『始まりの終わり、終わりの始まり』
争いは勝利を得ても続いていく。敵を破っても、また新たな敵が現れるからだ。
そして必ずしも敵は常に敵で有り続けていたとは限らない。刃を交えるその瞬間まで、肩を並べて共に道を歩んでいることさえもあるのだ。
若き貴族は自らも争いの混沌へと巻き込まれていく事に、その真の恐ろしさにまだ気付いてはいなかった―――
◆ ◆ ◆
【新暦666年3月 エピレンの丘 リンガル公ジュエス】
「第一大隊構え! 第二大隊・第三大隊は交互に前進!」
「第一列は前進を続けろ! 第二列以降は方陣形成!」
「陣を崩すなァ!! 戦場では臆病者は死ぬしか無いぞ!」
日の光を浴びて輝く武具が土埃の中でもはっきりと見える。頭よりも高く穂先を掲げる槍、人一人覆えてしまいそうな大盾、磨き上げられた頑丈そうな鎧や兜。それらを身に纏う大勢の兵士も同様だ。
兵士達は方陣を形作っているが、号令に合わせて分裂したり、円陣や三日月陣に形を変えたり、盾を重ね合わせ亀の様な隊型を取ったりと、目まぐるしく動いている。
兵団の放つ熱気はさながら実戦の様で、違いと言えば血が流れていない事くらいであろうか。
そして、彼らの持つ旗印には黄金で作られた金蓮華の意匠が施されていた。
――寄せ集めにしてはよく動く。我がリンガルの兵やメールの精兵に比べれば一段劣るが、まあ、十分役に立つだろう――
ジュエスは調練の大詰めを視察しながら思った。ジュエスが調練しているのは彼の子飼いのリンガル兵や精鋭のメール兵ではなく、新たに徴収され王の名の元に戦う"中央軍"の兵士達だった。よくよく見れば顔付きや号令の訛りが何れも異なっている。出身地に依らず集めた兵を混合させて部隊を編成していた。
王土のほぼ全てを奪還したとはいえ戦争はまだまだ続いている。優れた兵は何人いても足りることはない。ランバルト政権の元、軍の上層部に位置し続けているジュエスは王都ユニオンの郊外、エピレンの丘で新機軸の兵である"中央軍"の訓練を担っていた。
――例え雑魚ばかりでも、敵方より少しでも大魚でありさえすればよいのだ。リンガルやメール兵の様な逸品ばかり求めるのも欲が過ぎるというものだからな――
この場に彼の子飼いのリンガル兵はいない。多くは故郷リンガルへ戻っており、残りはプロキオン家の邸宅の守備や王都の警備に付いている。歴戦の彼らには最早一々訓練を見てやる必要など無かった。
――兵の方は十分だろう。後は此方だな――
ジュエスは兵団から目をそらし、後ろを振り向いた。
勿論、兵の調練だけでジュエス程の上位者が足を運ぶ事はなく、今一つの仕事があった。
――この大物も差し当たりは使い物になりそうだ。まだ石造りでなく、木製だが――
王の城塞。この大城塞は新たにエピレンの丘に築かれ、今も工具の音を響かせながら工兵や腕利きの大工連中が建築に邁進していた。石造りの箇所はまだ少なく大部分は木製とは言え、その機能は砦としては申し分なく、王の城塞は王都郊外唯一の高地という要所を押さえることで都の護りを一段と強めていた。
そしてその位置はあからさまな程に王都を睥睨している。
――王の名の下の軍隊、王の名の下の砦。その何れもが彼の手の内にある訳だ。それがどういう意味なのかは言うまでもないことだな。まあ、どうでもいいがな――
王国が誰の手の内にあろうがジュエスにはどうでも良かった。彼には王土も民も、真に大切なことの前には露程の価値も見出だせなかった。
――王国もその住民も、その支配者もどうだっていい。僕にはそんなものは、本当に、どうでもいいんだ。そんなものより、僕には大事な人たちがいる。僕が命を掛けて護るべき、欠け換えの無い家族が――
ジュエスは視線を丘の下の都に向けた。都の中に在る己の住み処に目を凝らした。
――はあ、全く、それにしても――
と、ジュエスは心の中で溜息を付いた。
――家に帰りたい。一刻も早く。僕のサーラたちのいる所へ――
もう五日も市外で演習の視察に、建設の監督に、と駆け回らされている。その前も少し時間が空いたかと思えば土地の管理や豪族達の転封の調整にと、行き着く暇も無かった。
以前は一月家から離れようが何も感じなかった。しかし、今は一刻離れるだけでも苦痛に感じられた。
勿論、疲れや疲労による苦痛ではない。まだ二十五歳の身上では疲れを覚えよう筈もない。愛する者たちに会えない事が彼の心を締め付け苦痛をもたらしているのだった。
だが、それがやむを得ない事はジュエスも分かっている。攻め来る敵と戦う為の力を養っておかなくてはならない。その為の時間は十分に多いとはとても言えない。
敵は今は反乱の渦中にあるメガリスに限らない。北の蛮族に沿岸地帯の海賊、戦乱に漬け込んで跋扈する賊徒や盗賊共。そして、身中の反逆者もまた、未だに殲滅され切ってはいない。
奴らは蠢動し、食らい付く時を狙っている。愛する者たちを傷付けようと牙を研いでいる。
まだ、戦争は続いているのだ。
「宰相閣下より御伝言!」
駆け寄る遣いの言葉がジュエスを現実に引き戻した。奇妙なことにその遣いは装いこそ長外衣を纏っているものの宮廷で働く文官ではなく、戦場でよく見掛けたランバルト直下の親衛隊の一人だった。
この王都で伝令を飛ばすとはただ事ではないなと否が応でも感じさせられた。そしてまた帰れなくなるのか、と嫌な気分にさせられた。
「何事か」
「大事にて至急宮殿へ参上せよとの御言葉で御座います、リンガル公殿」
「……大事とは何か、そなた聞いてはおらんのか」
――聞いている訳がない。忠実な伝令なら命令以上の詮索などしないし、そもそもランバルトが機密を漏らす筈がない。僕は何を言っているんだ――
「国務に関わる重要事の為、宰相閣下はリンガル公に直接御伝えなさると」
「……そうか」
舌打ちを押さえて言った。伝令は落ち着きを崩しこそしないがジュエスの勘気を感じ取っている事は間違いなかった。勿論、彼には何の責任もない、唯の八つ当たりに過ぎないのだが。
――苛ついている。彼に苛つきをぶつけても意味がない。ランバルトに苛つく意味もない。だが彼女らに会えないと思うととても抑えられない……僕も感情的になったものだ――
「分かった。だがその前に私には行く所がある」
「しかし、火急の大事との仰せで……」
「重要事項だろうがなんだろうが関係無い。私は一度館へ戻る」
伝令の言葉を遮ってジュエスは告げた。流石に伝令は焦り始めたがジュエスには関係無かった。
「し、しかし、ジュエス殿!」
「家族のことだ。閣下ならお待ち下さるだろうよ!」
ジュエスは馬に跨がると伝令を後ろに置き去り、市内へ向けて丘を下りていった。
◇ ◇ ◇ ◇
市内は喧騒に包まれていた。度重なる戦乱に巻き込まれた王都ユニオンも支配者達の統治と住民の尽力でかつての栄華を取り戻していた。
ジュエスが初めて見たときの雑然とした市街は姿を消し、大都市特有の混雑は見られても都は整然さを獲得していた。道も建物も整えられ、端的に言って綺麗に仕上げられていた。
ジュエスはこれらに目もくれず馬に乗ったまま駆け抜け、市民が驚いて飛び退く姿を後に残して一路宮殿地区へ向かった。宮殿地区には大貴族の邸宅も築かれており、ジュエスの我が家であるプロキオン家の館もそこに在る。
――この一時すらも惜しい。早く会いたい。早く、早く――
我が家の門を潜るや否やジュエスは馬から飛び降り、突然の主人の帰還に召し使い達が慌てて駆け寄る。ジュエスは馬や外套、重苦しい武具を投げ捨てるような勢いで召し使いに渡すと、忽ちに愛するもの達を呼んだ。
「サーラ!ジュラ!帰ったよ!」
ジュエスの声は彼自信も感じるほどに喜びが満ちていた。先程までの苛つきなど何処へ行ったのか、すっかり消え去ってしまっていた。
程無く館の奥から二人が現れた。一人は腰まで届く長い金髪を靡かせた女、一人はまだ幼い男の子だ。
「お帰りなさい。あらあら、また埃だらけじゃない」
女―サーラ―が言った。妻であるサーラの顔もまた幸せそうな柔らかな笑顔を湛えている。青色の瞳は澄んで、まるで快晴の空の様。しなやかで豊満な体つきは変わらないが、腹は大きく膨れていて一目で子を宿していると分かる。絶世の美貌は些かも衰えないばかりか、母の暖かな美しさも兼ね備えて一層魅力的だった。
「ちちうえ!おかえりなさい!」
幼い男の子がジュエス公駆け寄りながら言う。髪は輝く黄金の巻き毛、瞳は大粒の翠玉の如く。幼子の名はジュラ。件の結婚式を終えて直ぐにサーラが孕み、ジュエスが王土平定に奔走している最中に生まれていた待望の第一子である。未だ齡三つで在りながらもその存在感や端正さは家系のそれを十分に感じさせ、紛れもなくジュエスとサーラの子であると主張していた。
ジュラはプロキオン家の跡継ぎであると同時に、今のところアルサ家の第一位後継者でもあった。ランバルトには子が居なかったからだ。
――我が愛する妻と子らよ。僕の、他の何にも変えられない掛け替えのないものたちよ――
「よしよし、さあ、おいでジュラ。父に抱かせてくれ」
「うん!」
子供らしい軽やかな足取りで駆け寄る幼子をジュエスはすっと抱き上げた。
――愛しい我が子よ。お前の為ならこの身を投げ出すことも厭うまい――
我が子を腕に抱くことにこれ程の充足を得るとはジュエスは今まで考えた事もなかった。くすぐったそうに身をよじったり、ひしと抱き付いたいりする仕草も、全てが彼の心を陽光で照らした。
「もう、ジュラったら。すぐに独占してしまうんだから」
「じゃあ、ははうえも!」
「ふふっ、そうね」
サーラも合わせて三人で暖かな時間を共有する。そして、直にこの時間を共有する人間も数を増すだろう。
サーラは今二人目の子を孕んでいる。世では男児を望むのが常だが、ジュエスにはどちらでも良かった。男であろうが女であろうが同じ可愛い我が子である。なにゆえ喜ばぬことがあろうか。
「ジュエス、暫くは居られるの?」
「……いや、多分無理だろう。今も宰相閣下に召集を掛けられている最中だ。強引に帰って来ただけなのだ」
「そう……あまり邪魔はして欲しくはないわね、お兄様にも。また戦争になるかしら?」
「多分ね」
「嫌だわ。また貴方がちゃんと生きて帰ってくるか心配する日々が続くのね」
「僕も嫌だよ。でも仕方ない。君たちを守る為でもあるんだ」
サーラが顔を胸に寄せて撓垂れ掛かった。ジュエスはサーラとジュラの二人を抱きしめ、妻の腹に宿る新たな子も肌ごしにそっと撫でた。
「ちちうえ、またいくさにいくの?」
「ああ。いいか、ジュラ。僕がいない間はお前が母上を守るんだぞ。お前も兄になるんだからな」
「うん!まもる!」
――僕にはもう守るべきものがいる。守る為なら何だってやる――
「貴方……お願いだから生きて帰ってきて」
――何だってやる。もう命も惜しくないさ――
そして、ジュエスは愛する家族達を抱きしめながら言った。
「……もう少し一緒にいよう。ランバルト公には待って貰うさ」
◆ ◆ ◆
【同 小議の間 コーア公フレオン】
――いつも以上に慎重に、いつも以上に丁寧に。今日のこれからは私にとっても極めて重要だ。失敗は許されない――
フレオンは一度扉の前で身支度と心持ちを整えた。深呼吸し表情を抑えて、改めて平然とした態度を作る。しかし、同時に急いできた風を装う為に外長衣の一部を崩し、裾に土埃をつける。
「失礼します、閣下」
「入れ」
扉の向こうからの声に応じてフレオンは部屋に入った。小議の間に入った時、中に居たのはまだ我らが金色の主、ランバルトだけだった。
――彼はまだ来ていない。良いぞ――
「ジュエス公は……まだ来ていないようですな」
努めて冷静な態度と口調を作る。召集を受けるのも当然、直ぐに参上するのも当然、何時でも命令に服するのも当然。そういった態度で口を紡ぐ。外面の工作も狙い通り効果があった様で、ランバルトの視線がさっと僅かな着崩れと汚れに走るのを感じる。
「……ああ。まだだ」
――少し怒っているな。良いぞ――
ランバルトは冷たい口調で言った。一見しただけでは単なる冷たさにしか映らないランバルトの態度だが、フレオンにはその裏に燃え盛る炎を感じ取れた。
フレオンは謀略に関して大変な才があり、自らも大いに自信を持っていた。その才と自信を裏付けているのが、他者の心の機微に極めて敏感であることだった。動きさえ捉えられれば、操ることも利用することも容易い。怒りや憎しみや恐れは特に扱い易い。
ランバルトは冷酷な独裁者ではあるが、その実自身ですら御し得ない激情の炎に身を焦がしている。その炎に此方まで煽られる危険はあっても、熱の動きが感じられないなど有り得なかった。
――今のうちにもう少し煽っておくか。鉄は熱いうちに叩けだ――
「参じるよりも何か優先せねばならない事情でもあるのでしょうか。軍務については私も把握出来てはおりませぬから」
椅子に腰掛けつつフレオンは何時も通りの"人からは印象に残らない望洋とした"と言われる顔を見せた。自分はそうではなく、それが当たり前だと思っていると表情で伝える為だ。
ジュエスより先に来ること、もっと言えばジュエスが遅れて来ることが今回は重要だった。そして殊更に彼が遅れている事、他を優先した事を印象付ける言い方をし、ジュエスが兵力の幾分かを握っていることを思い出させた。
「……」
ランバルトは何も言わなかった。だがその背後に少しばかり憎悪と焦慮の色が見えていたことをフレオンは見逃さなかった。
それから暫くの間、ランバルトとフレオンは無言で待った。重苦しい雰囲気が部屋を満たす。
――空気が実に重苦しいな。ジュエスが来ても実に居心地は悪いだろう。良いぞ。もっとも、事情が事情だからな、何もせずとも十分だったろうが――
何故召集を受けたのかについてフレオンは知っていた。そもそも彼がもたらした情報に基いて召集されたのだから知らぬ訳がなかった。それはこれまでより遥かに重大な出来事であり、時代が大きく転換する様な出来事だった。
――そう、ランバルトにとっても、私にとっても極めての重大事なのだ――
◇ ◇
一刻程して漸くジュエスが姿を現した。軍装ではなく|外長衣を着ており、調練で被っているはずの土埃や汗は拭い去られていた。つまり、大急ぎで参上した訳でもなく、ランバルトを待たせていると分かってやっているのだ。
「失礼します」
――遅れてきたな。それにこの装い。良いぞ。極めて、良いぞ――
ジュエスは謝罪は口にしなかった。彼の方も苛つきを押さえていることが感じ取れた。恐らくは一度邸宅へ帰り、愛妻や愛息子と触れ合ってきたのだろう。彼にとっての至福の時間を邪魔され、再び長期の軍務につかされかねない事を酷く嫌がっているのだ。
「……来たか。座りたまえ」
悪びれる様子もなくジュエスは部屋に入り、先に来ていたフレオンを見てあからさまに不快感を示した。以前から好意を持たれていない事は重々承知であったが、サーラの結婚以後その傾向は遥かに強まっている。まず間違いなく同じ志向の妻の影響を受けているのだろう。尤も嫌われたところでフレオンは毛ほどの痛みも感じない。好き嫌いなど所詮そういうものだと思っているからだ。
――先程の態度といい、私への嫌悪といい、女が出来ると男は実に変わるものだな。今回はそのお陰で私にとっては大いに有難い方向に進んでいるが――
「いつぞやと同じ様な光景ですな。今度は何が起きたのですか?」
「いつぞやと同じ様な事、反乱だよ。ジュエス公。但しより大規模だ」
「反乱? またですか?」
「ブリアンが決起する」
フレオンが答えようとした瞬間、耐え切れないとでもいった風にランバルトが口を開いた。妙に感情的に言葉を発したランバルトにさしものジュエスも驚きを感じている様子だった。
――ランバルトも感情的に為らざるを得ない。それほどの出来事だ。何と言っても玉座が懸かっているのだから――
「へえ、ブリアン王子がですか……」
言葉に内容に対してはジュエスは諧謔とも嘲弄とも付かない苦笑をもらした。ブリアンなら勝ち目があろうが無かろうが何時かは王座を求めて暴れ出すだろうと予測するのは難しくなかった。だが大規模な反乱となると、それほどまでにブリアンを形だけでも支持する者がいようとは、意外と言うべきかなんというべきか、そうジュエスは感じているのだろう。
フレオンも謀略の帷幕の外にいればそう感じただろう。
「いつかはやるだろうと思っていたが、そこまでの度胸があったとはな。それに益体もない幻想の支持者がいたのも驚きだ」
「反乱に荷担しているのはウッド家のパウルスは言うに及ばんだろうが、レグニット公ガムローやプリムス家のエナンドル、ガーランド、ガラップのヴェネター家、ハルト地方ではマーサイド家やメイルーン家。彼らはランバルト公の施策に反対する為に戦うようだ。フェルリア地方の賊徒共も扇動されて兵を上げている。ブリアンの支持者だけと言うわけではないさ。ああ、そうそう、後はスレイン公が反乱に加わっている」
スレイン公こと老将オーレンの名前が出た瞬間、ジュエスの顔がさっと色めきだつ。背後に怒りの炎が沸き立っているのが見て取れる。
「オーレンか! あの野郎め、いい加減に自分の年と分を弁えやがれ! いつまでもサーラにつきまといやがって!」
一頻り言葉に怒気をはらませた後、落ち着かせるようにふうと息を吐いてジュエスは続ける。
スレイン公オーレンがメール公妹サーラに諦めず懸想しているのは最早公然の秘密だった。サーラは言うまでもなくジュエスの妻である。両者の仲が良好で有ろう筈もなく、ランバルト幕下の重鎮二人の対立は深刻で埋めようが無かった。そしてたった今、ついに破局を迎えたのだった。
「……ふう……。しかし反乱軍は何故今を選んだ? 王位を奪い取りたいなら他にも機会はあったろう」
「我々が選ばせたのだ。敵軍の意を操る好機であり、同時に対抗する我々の力も充実している。加えてメガリスの反乱もまだ収まっておらず今は手は出せないからな」
ランバルトが答える。外部からの介入の可能性が今、ランバルト側にとっても二度目の内戦を起こす好機なのだ。
「決起だが反乱軍の計画通りというわけでもないのだ。彼らの計画もフィステルスの敗北やポルトスの反乱で一度破綻している。メール反乱勢力は勝手に脱落し、セファロスが暴れまわっている状況ではブリアンにとっても王位を取る取らない以前に王土の危機だったのだよ」
フレオンが言葉を継いだ。
ブリアン一派も玉座を取った直後に討ち死にしては意味が無い。内戦を起こすにしてある程度外圧を避けられる時期で無くてはならない。
「今はメガリスでも王位争奪の内乱が続いている。幾らセファロスでも背後を固めずに攻めてくることはないだろう。我々にとっても今が好機なのだ、ジュエスよ」
ランバルトが再び話す。
――英雄ランバルト公をして戦略を左右させざるを得なくさせるとは、セファロスとは実に恐ろしき男よ。その武威だけで歴史の流れを変えてしまう――
話を聞いていたジュエスは足を組み替えつつ形の良い顎を擦った。髭はすっかり綺麗に剃られている。
「成る程ね……それにしてもフレオン公、随分内部事情に詳しいじゃあないか。まるで直接話を見聞きしてきたかのようだ」
「ああ、その通りだからな」
フレオンの突然の告白に空気が張り詰める。ジュエスから刃の如き敵意が突き刺さる。
「……それはつまり、君は反乱者の側にいたということか?」
「正確な表現ではないな。反乱者の側近くまで居たのは確かだが」
「私相手に一々言葉を弄するのは止めろ。面倒だし、付き合う気はない。はっきり答えろ」
フレオンは敢えて感情を煽る言い方をした。機会が有る事に自身とジュエスの仲が決して良好ではないとランバルトに印象付けたかった。
勿論、何も無思慮に陣営間を動いているわけでも、単なる返り忠や裏切りを繰り返しているわけでもない。フレオンは続けた。
「私は宰相閣下の御指示で間諜として反乱者達と接触していたのだ。反乱軍の情報を引き出し、逆に連中にも情報を渡し動きを操る為だ。これまでもずっと彼らの動きは見張っていた」
――所謂二重間諜と言う奴だ。一応は、な――
「実を言えばメールでの反乱の時も私はこの筋から情報を入手していたのだ。私が最初に情報をもたらしたろう?」
「確かに、そうだな……なら情報封鎖をしていたのもアンタか?」
「いや。情報管理の大本はパウルスだった。私も全てを操っていたわけではない」
「……まあ、そういうことにしておこうか」
ジュエスの機嫌が見る見る内に悪くなっていく。フレオンに対する不信と不満が今まで以上に募ってきているのだろう。
「フレオンなら私を裏切り謀を弄して暗躍するのも十分有り得ると連中も思うだろう。事実そう思っていたようで、接近させるのは容易だった」
「"疑わしく裏切りそうという信用"ですか。複雑ですな」
ジュエスは苦笑いとも嘲笑とも付かない小さな笑みを浮かべた。だが彼は一秒と経たせずして笑みを消した。当然浮かぶべき疑問が彼の胸中に現れたのだろう。
「しかし……何故私にはこの件はお知らせ下さらなかったのです?」
そう、ランバルトはフレオンが内通者として働いていることをジュエスに教えていなかった。同士であり政権第二位の重臣である筈のジュエスに、である。普通に考えればあり得ないことだ。幾ら謀略は機密の保持が重要であるとは言っても、これほどの重大事から省かれていたと知れば不信感を大きく抱くことになるだろう。
だが"普通に考え"ても割り切れないのが人の感情というものだ。ランバルトも人の子、彼なりに基づくある感情があったのだ。フレオンは少なからず、それに気付く事ができていた。
尤も、フレオンにとって重要なのはその事ではない。
――不信が私だけでなく、私を用いたランバルトへも向いている。いい傾向だ――
ジュエスの不信感にランバルトは冷たい沈黙で応えるかと思いきや、熱っぽい反論で立ち向かった。
「それぞれの職務と領分を私は決めている。ジュエス、お前には軍事を担当させている。その事はフレオンには関わらせていないし、口を出させていない。同じことだ。フレオンは謀が領分だ。お前は関係無い」
「ですが、これ程の大事です。軍略にも大いに関わってくる。そうではありませんか」
「何が軍略で、何が謀略かは私が決める。そして、決めたのだ」
「しかし……いえ、そうですか、分かりました」
ランバルトの態度にこれ以上の攻撃は無意味と悟ったか、ジュエスは渋々矛を収めた。しかしせめてもの鬱憤を晴らそうとでも言うのか、八つ当たり気味にフレオンへ言葉を掛けた。
「それと一つ聞きたい、フレオン。ハウゼン公が死んだのも関係しているのか?」
「これはまた、昔の事を引っ張り出してきたな、ジュエス公。少なくとも私は関係していない」
「本当か? 生憎と私は謀略については情報が無くてな。真偽の程は貴公の言葉に頼らざるを得ないのでね」
ジュエスは言葉に添えた刃を隠そうともしない。傷つけんとする対象は一人だけではなかった。
「ハウゼン公を調略しようと言う動きは予てからあったが上手くいっていなかった。多分パウルスが耐え切れず独断で動いたのだろう。フィステルスでランバルト公が死んだ直後の事だからな、焦ったのかも知れん。推測でしか言えないのは、私は関わっていないからだ」
――残念ながら本当だ。ハウゼン程の要人をどうやって仕留めたのか。状況から考えて毒を使ったのだろうとは思うが、その毒の手がかりもない。今も探っているが、私には捨て置けない問題だ――
「ふん。だが貴公は以前ハウゼン公を狙った事があると言っていたではないか。此方からすれば今度は違うとは言い切れまい?」
「確かに言った。しかし今回は違う。関わっていないものは関わっていないのだから、どれだけ突かれても答えは変わらんよ」
「へえ、そうかい! 流石はフレオン公のお言葉だ、実に信が置けるね!」
フレオンに素気無く突き返されたジュエスは子供染みた八つ当たりだったからこそ余計に怒りを覚えたようだった。三者の空気は凍てつく一方だ。
「死んだハウゼンの事などもう良い! そんな事よりも、いいか、本題に戻るぞ」
拳を肘掛けに叩きつけランバルトが凄む。ジュエスも別段動じる訳ではないがそれで渋々と矛を収めた。何にしても差し迫った協議すべき事態があるのは事実なのだ。
「我々の目的は反乱者の連中を尽く叩き潰す事だ。奴らとその追従者共にどの様な手を用いてこようが、正面から打ちかかってこようが搦手から来ようが決して私には勝てないと刻み込ませるのだ。その為に敵を全て引き摺り出す」
ランバルトが言いながら執務机の上に地図を広げる。
「具体的には敵の戦略を利用し、一時的に反乱軍にとって優位な状況を作り出し巣穴から誘き出す。連中の戦略は単純だ。まず辺境や周囲で兵を挙げ、無論これは陽動だが、耳目引き付けておいて王都を獲ろうとしている。そこで我々は此方も軍を送り込み、陽動にかかったように見せ掛ける。成功したと思えば反乱者どもは挙って姿を見せる筈だ」
広げられた地図の上に兵を模した駒を置いていく。クラウリム、スレイン、ライトリムなど至る所に置かれていく。
フレオンは大まかな戦略は知っていたが、細かな軍の配置や展開の意図は知らなかった。
「陽動となる辺境軍で最大の軍勢はスレイン軍になるだろう。この方面に関しては此方も主力軍を送る。指揮はジュエスに対応して貰う」
「オーレンが相手ですか……それならば、否やはありません」
「陽動に引っ掛かったように見せるのも目的だが、同時に反乱軍を撃破する事も目的だ」
「つまり、相手の狙いに敢えて乗ってわざわざ敵の下へ出向いて行き、勝利し打ち倒せということですか」
策としては単純だ。だが一筋縄で行くような策でもない。ジュエスと言えどオーレンという歴戦の猛将相手にしてそう簡単に使命を果たせるだろうか。
但し、フレオンにとっては実際に勝てるかどうかよりも、両陣営共にが勝てると考えているかの方が重要だった。ブリアン派の連中が自分たちが勝てると思って動いているのは知っていたが、フレオンとしては是非ともランバルトやジュエスらも自らが勝てると思っておいて貰いたかった。
「いいでしょう。奴は必ず僕が討つ」
ジュエスは無意識にか両の拳を握りしめて言った。フレオンは思惑通りに事が運んでいることに満足した。
――"僕が"、か。本心を口に出してしまうほど強く決めているな。実に感情的だな、良いぞ。そして勝利を手に出来る事を疑っていない――
「それとセルギリウスには一軍を与える。アイセン島やモアを攻撃し、敵の後背地を襲わせるのだ」
「セルギリウスをですか?」
「不服か?」
「不服という事はありませんが……彼が我がプロキオン家の家臣であり、私の副将である事はご存知でしょう?」
――その内来るだろうとは思っていたが、案外早く切り込んできたな――
セルギリウスはリンガル軍の副将としてこれ迄は従軍してきていた。理由はどうあれ、それを切り離そうとしている。今のランバルトの立場や望みを考慮すればこの動きも予想は出来た。
「リンガル公。私は軍総司令官として話をしているのだがな」
「私も軍兵を預かる身として発言しています」
「ならば分かる筈ではないかな。セルギリウスは最早一介の部隊長に納めておいてよい人材では無い。軍を預けて独立した作戦に従事させるべきだ」
「その事については私も、いや私の方が良く理解していますよ。私が言いたいのは、セルギリウスは私の傘下で独立作戦に従事させた方が良い働きをすると言うことです。それにセルギリウス以外にも一軍の将を務められる者はいるでしょう」
手下への露骨な介入にジュエスも露骨な反意で返した。両者の鍔迫り合いにフレオンは口を挟んだ。
「いや、ジュエス公。私もセルギリウスが最適と思う。理由としては……」
「フレオン。それはお前の領分ではない」
ランバルトが遮った。
――そう来るだろうなと思っていた、良いぞ――
元より説明するつもりなど無い。ランバルト自身が言っていたように、フレオンの領分は軍事方面には求められていない。ランバルトがフレオンの言葉を遮り支配者然としている姿をジュエスに見せる事、同時にフレオンがランバルトに支配を及ぼしているのでないとジュエスに思わせる事が目的だった。
「何にしても、これは命令だ。従って貰う」
「……承知しました」
ジュエスの憮然とした態度を見ると、企みは成功したようだった。
「いいな、続けるぞ。先程も言ったようにこれは我々にとっても陽動だ。ユニオンと王土の中足る枢ハルト地方を狙う反乱者の決起を誘う。ユニオンの守りは私が指揮を執る」
ランバルトはハルト地方にも駒を置き、中央にある王都ユニオンの場所には銀で出来た十字架を配置した。その回りに敵役の駒をぐるりと置いていく。
「そして反乱軍を惹き付け留めておいて、各地方から軍を集結させて敵を一網打尽にする」
地図上の北と南から駒を運び、十字架の回りの敵駒を全てぶつけて倒した。
――改めて聞くととんでもない賭けだな。はっきり言って綱渡りだ。まあ、今までもそうではあったが――
「後は他愛の無い掃討戦だ。以上が我が軍の戦略になる。何か質問はあるか?」
「それぞれの兵はどれ程になりますか。特に重要になる王都、私、テオバリドの兵です」
「ジュエスの軍勢は戦場になるクラウリム兵も併せて四万。テオバリドのライトリム軍はレグニットへの牽制を除いて一万。反乱軍を全て引き摺り出す為に王都の兵は少なくする」
「何人ですか?」
「五千人だ」
ジュエスが身を前に乗り出す。声に焦慮の色が混じっている。
「待ってください。それでは余りに兵が少なすぎる。策は理解していますが、王都の曝される危険が大き過ぎる!」
――ところが、本当に君が気にしているのは王都ではない。その中だろう?――
「十分だ」
「何故そう言いきれるのです。攻め手は反乱軍の兵力は分かっているのですか?」
「一万人を少し超える程度だ。そうだな、フレオン」
「はい。パウルスから得た情報ですが」
「信用出来ない」
――別に信用して頂く必要は無いんだな、これが。寧ろそういう反応をしてくれて、私の構想上、全く有難い――
「心配ならば王都に貴公の精兵を置いたら如何か? 勇猛を誇るリンガル兵の精髄ならば王都の壁も守り切れるだろう」
フレオンは言った。軍に関わる事なのにランバルトは今度は遮らない。この発言はランバルトにとっても有益な出来事で、それをフレオンは分かって言っていた。
「元よりそうさせて貰うつもりだ。絶対に護らなくてはならないからな。我がリンガルの勇者は挑むべき戦いを前にして命を惜しみはしない」
――よし、良いぞ。彼が手を引くつもりは無いと確認したかったが、良く分かった。人質にするつもりならリンガル兵が相手をすると脅してくるくらいだからな――
「フレオン公は何処にいるんだ。前線か?」
「私かね、無論王都だ。ここが一番安全であるし、ブリアンを騙すのにも都合が良いだろう」
「……本当にそう思っているのか?」
「当然だ。私も関わっている絵図だぞ。身を滅ぼすような選択をするものか」
「……」
ジュエスは足を組み、顎に手を当てた。
――彼は迷っている。私の事は疑っているが、"私が誰かを騙し裏切っている"事は信じている。どうすべきか、どうすれば愛する者を守れるか考えているようだ――
重い沈黙を破ったのはランバルトだった。
「後はお前の尽力次第だ。最大の兵を預けるのだからな。反乱軍如きにユニオンの壁は破らせないが、戦いが上手くいくかどうかはお前の肩にも掛かっている」
ランバルトの言葉を聞いて、ジュエスの瞳がぎらと光った。
「……分かりました。どうやら、全力で挑まなければならないようですね」
ジュエスの声には突き刺すような冷たさと焼けつくような熱が同時に現れていた。だが極めて単純で考察を必要ともしないくらいにはっきりしていた。
「サーラは僕が守る。絶対に」
「……」
ランバルトのジュエスを見る目は複雑だった。
――良いぞ。事態はとても良い方向に向かっている。誰にとってかって?――
フレオンは内心満足していた。
ランバルトとジュエス、二人の実力者に楔を打ち込めたことに。
――勿論、私にとってに決まっている。他の誰でもなくな――
◆ ◆ ◆
◇ ◇
ランバルト主導のディリオン王国は内乱から回復し、一応の平和と繁栄を手に入れていた。やはりランバルトの統治手腕は苛烈ではあっても力強い確かなものがあった。
次々と進められ実行されていく制度改革に、領主も民衆も貴族も平民も次なる時代の幕開けを予感し、己が身の置き方を模索していた。大抵は流れに逆らわず、如何に上手く強者に支配されるかを考えていた。だが、一部の者、それも始末の悪いことに相応の力を持つ者に限って、それを是とせずに自らが強者の台に座そうと狙っていた。積年の恨みも共に、である。
ディリオン王国の覇権を争う内乱の幕が再び開けようとしていた。それは或る者には突然の凶事であり、或る者には待ちに待った慶事であり、或る者には獲物が罠に掛かる愉悦の瞬間であった。
新暦666年5月、王子ブリアンと支持派が遂に決起したのであった。彼らの全員が全員同じ意思で動いている訳ではなかった。
ブリアンの目的は言うまでもなく玉座にある。ロラン家の真の主、王土の真の支配者の姿を手に入れるべく、此度の戦を最も待ち望んでいる者の一人であった。
ブリアン支持派は数こそ少ないものの、その底力は侮れないものがあった。特に支持者筆頭のウッド家のパウルスは力の全てをブリアンの為に注ぎ込んでいた。金銀の輝きの助けを得てパウルスは着々と策謀と調略を巡らせていたのだった。
スレイン公オーレンは実の所極めて個人的な感情によって今回の反乱に加担していた。言うまでもなく愛する女サーラを手に入れるためであった。
オーレンの横恋慕は公然の秘密であったが、サーラの結婚以後は悪化の一途を辿り、憎悪と嫉妬の炎は燃え立つばかりで、憎き恋敵ジュエスの死を常に望んでいた。
指揮下のメール兵もへの謀反に手を貸し、スレイン、モア、アイセン島の諸侯は真の目的を知ってか知らずか、オーレンに従って決起する事を選んだ。
バトラス家のガーランドはクラウリム公の地位を約束されてブリアンへの加担を決めた。前公ハウゼンの従兄弟である彼は予てから公位への野心を露にしていた。
クライン家一族であり、大領主ガーランドの離脱はクラウリム勢にとって大きな痛手となった。
ガーランドは戦力増強に北方のサイスからも傭兵を集めていた。アノール河の北に住まうサイス人は野蛮だが勇猛な戦士として知られていた。
プリムス家のエナンドルはモア地方の支配権を、ガムローはレグニット公領の回復を提示され、ブリアン派へ転がった。仇敵同士でも利害が一致すれば同士とも為りうるのだ。
モア地方はオーレンの勢力圏だが、今の彼にとっては所詮は道具の一つでしかなく、必要があれば簡単に棄てる事が出来た。
政権の足元であり、ランバルトが苦労して影響圏を再編した筈のハルト地方でも多くの豪族が離反した。転封を免れた領主達は何とか旧来の土地に居残っていたが何時まで続けられるか分かったもので無く、この事は常に彼らの心に陰を落としていた。
この隙をブリアン派の謀臣が巧みに漬け込んだのだ。調略の手は王土平定の遥か前から進められており、寧ろの反旗の為に一時の屈辱を甘受してでもハルト地方に勢力を残した領主や貴族もいた程だった。
バレッタ地方では殆どは決起には加わらなかったが、ガラップのヴェネター家は決起に手を貸した。
フェルリアの決起勢は他地域と異なり殆どが単に利に釣られて動いていた。
これまでの内乱で侵略者や新参者が居座っているという特殊な事情から、実物的な益の方が判断に影響を及ぼすのだった。同時に高名な人物や人望のある人間の決起もまた無く、有象無象の中小集団がそれぞれで兵を起こした。
そして前線地帯であるという事情も事態に大きな影響を与えていた。重要地点は軍の制圧下にある。だがそれだけにいざ大規模な反乱が起きた時には兵が動けないという危険性があった。
これらブリアン派の動きはランバルトが戦乱や内政に忙殺されていた事や、間諜役の筈のフレオンによって意図的に一部が秘されていた事もあったが、謀略を司ったパウルス自身の奸智もまた秀でたものが有り、巧みに管理・隠匿されていた。
そして、これ程にブリアン派の調略が上手く運んだのはランバルトに対する恐怖と反感が予想以上に根強かったからであった。事態の打開に恐れを用いる余りに猫を噛む窮鼠を大量に生み出してしまったのだ。
◇ ◇
ブリアン派の戦略であるが、外周部で兵を挙げて陽動として王土中枢から主力軍を引きずり出し、ハルト残留の領主を動員してがら空きとなった王都の奪還を図るというのが基本であった。その戦略に従い各地に兵が集結し出陣していった。
スレイン公オーレンは自らメール兵8百を含む1万2千人を率いてスレイン地方から発った。
ガーランドはクラウリム兵8千人、サイス人傭兵3千人を率いてオーレン軍と合流した。
エナンドルとガムローはレグニットで1万2千の兵を率い、ヴェネター家は1千を集めガラップの守りを固めた。
◇ ◇
とは言えブリアン派の戦略は半ばまで成功する事は決まっていた。ランバルトがその戦略に乗り逆利用するつもりだったからである。
ミーリア支持派はメール公ランバルトを首魁とする現政権である。彼らもまた必ずしもミーリアの王位を守ろうとしている訳ではなかった。単に現政権に追従し命令されているだけの者も数多くいた。
主力軍はリンガル公ジュエスが指揮の下、反乱勢力の最大集団であるオーレン軍撃破に向かった。ニールトン家のコンスタンスらリンガル兵8千人、シュタイン家のコロッリオとトッド家のハルマートを指揮官とする"中央軍"5千人、スリスト家のレイツ麾下メール兵5千5百人ら総勢2万9千人の"王国軍"が公都クラインにてダロス将軍らクラウリム軍1万5千人と合流する手筈となっていた。オーレン軍を撃破した後はスレイン・モア方面に一隊を派遣しつつ反転し、ハルト地方の反乱軍追討に向かう作戦であった。
ライトリム兵団は王国軍第二の主戦力であった。ライトリム公テオバリドはメール人歩兵、新編成の重装歩兵を含む1万の兵を率いて反転してきたジュエスの主力軍と共に南北から反乱軍を挟み撃ちにせんと図っていた。
クレア家のセルギリウスは独立して別働隊の指揮を執ることとなった。この別働隊は160隻のガレー船の支援を受けリンガル兵ら1万人からなり、アイセン島に上陸しブリアン派の後背を撃つ事が主な任務であった。
バレッタ地方からも兵が進発する予定になっていた。キンメル家のレオザイン率いる8千人がフェルリア地方へ、ローウェン家のフライス率いる4千人がガラップ攻撃に向かった。
レグニット地方では反乱に加わらなかったトラヴォが50隻の軍船からなる艦隊、市民や傭兵から構成される陸戦兵1万5千人で守りを固めていた。
フェルリア地方の軍勢は召集を受けても現地を離れることは出来なかった。フェルリア全土で中小の反乱軍が蠢動しており、その上でメガリス王国との国境に兵を配置せざるを得ない事情があった。広範な反乱への対応に苦慮し、バレッタからの援軍すら必要な程だった。
そして最も重要な戦力が王都ユニオンに残留する部隊であり、宰相ランバルトが直率していた。敢えて兵力を少なくして反乱軍の決起を誘発し、援軍到着まで反乱軍を引き付けておく事を目的としていた。その為王都には最強の戦力が集められた。
隊長アレサンドロ麾下の親衛隊ら兵力としては併せて5千人だがその質は極めて高く、数々の攻撃を跳ね返してきたユニオンの大城壁、エピレンの丘に聳える"王の城塞"と共に王都の守りは十分と考えていた。
ランバルトの目的は反乱勢力を悉く引き摺り出し、討ち滅ぼし、決定的な勝利を見せ付ける事である。その為には敢えて敵軍の意図に乗り、不利な戦局を展開させることも辞さなかった。
◇ ◇ ◇
漸く平定されたかと思われたディリオンの王土に再び戦の嵐が吹き荒れようとしていた。
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