『変化の兆し』
新暦663年1月、ディリオン王国は態勢を建て直すと共に、体制そのものに変化を加え初めていた。
その"犯人"は言うまでもないが、全権を掌握するメール公ランバルトである。彼が加えた変化は多岐に渡り、複合して効果を発揮する政策も含まれていた。
この時点での多くの施策の中で特筆すべきは領地再編と軍事改革であった。
ロラン王家直轄地は王国の規模からすれば非常に小さく、ハルト地方に限局されていた。しかし多くの領主が戦乱の中で消え、ランバルトは空白地を没収してアルサ家領とするだけでなく、積極的に王家直轄地として組み込んでいた。
・ランバルト介入前
・介入後
一見すると忠誠心の現れのようであるが、その実は権力拡大の布石でしか無かった。
この時期から宰相としての立場を利用し、自らの息の掛かった人間を王家からの統治者として派遣させ、管理を名目に事実上ランバルトが王領を握ることになったのだ。
これら宮廷から派遣された統治者は代官と呼ばれていた。本来は民衆を保護する護民官を意味していたが、今や支配者の手足であり皮肉な名称といえる。
新たな代官達の内実はランバルト個人の代理人であった。
一方の軍事改革であるがその根本はメール式の重装歩兵部隊及び訓練法を王国中央へ導入したことにある。
ランバルトは兵員を王領地から集め、これらの兵は王都ユニオンを拠点とし、ランバルトが選抜した士官達によって訓練・指揮された。メール式に訓練されているとはいえ、やはり速成で本家メール兵に比べて練度は低く、武装も安価なものへと変更している。
この新軍勢は便宜上"中央軍"、即ち"教えられたる者たち"と呼ばれ、現時点では4千人程の兵が戦闘に耐えるだけの力量を持っていた。これまでの主力部隊に比べれば劣るものの強力な兵員を少しずつだが補充していった。
また、諸侯の力に依らない軍勢の存在は中央政権の強大化も呼びこむこととなった。後々に時代が進むに連れより大きな意味を持つようになっていくだろうことは疑い無かった。
当然ながら、何れも従来の支配体制を根本から作り変える劇薬であった。諸侯にとってランバルトの施策はかつてのブルメウス王の政策よりも遥かに危険で激烈であった。
◇ ◇
再びの激突を控えて態勢を整えなおしたのはメガリス王国も同様であった。
メガリス王サリアンはディリオン方面への大規模な増派を決定した。これまでは弟セファロスの不信から投入する兵力を抑制させていたが今や心配はなく、思う存分援軍を送りこめた。更に戦場での武功や戦利品を求める各氏族首長達からの突き上げも関わっていた。
多方向からの思惑が絡み合った末、7万人もの大軍が新たに送り込まれることとなった。
総勢9万5千人となったメガリス軍だが、その指揮系統はまたも単一化されていなかった。援軍に遣って来た氏族首長は最大の利潤を得られる司令官職を求め、サリアン王も単一の人間に功績を独占させることを嫌っていた。
結果として軍は二分され、それぞれを別の司令官が指揮する事となった。彼らもまた軍事的な有利よりも政治的な要求の方を優先させたのだった。
ライトリム方面ではマクーン首長オルファンが司令官となり、これ迄ディリオン方面軍であった軍勢を中心に5万人の兵が配置された。
このライトリム方面の部隊はメガリス軍優勢の状況を築いた立役者達だったが、往時の力は期待出来なかった。これまでの強さは王弟セファロスが率いていたからこそという理由が大きく、兵たちもセファロスという圧倒的な"神"が居なくなった事は致命的であった。
もう一方はバレッタ方面へ4万5千の兵が配置され、大氏族ペトラ首長アグーが司令官に収まった。
彼らは皆武功と戦利品への情熱に溢れ、士気だけは高かった。それ故に積極的な侵攻を旨とするようになるが、この事が幸と働くか不幸と働くかもまた今後次第であった。
◇ ◇
そして、ディリオン軍の再起とメガリス軍の増援は戦乱に新たな風を巻き起こした。
一つはバレッタの統治者ヒュノー将軍が再度メガリス側に付いた事、今一つはレグニットの独立都市トラヴォがメガリス王国との同盟を受け入れた事である。
二つの王国を巻き込む戦乱は次の段階へと移行しようとしていた。
◇ ◇
バレッタ地方はヒュノー将軍が統治を続け、公都レンブルクとトルシカの遺児イルセルを押さえていた。ヒュノーはディリオン王国からの降伏勧告を受け入れ、独立を望む反対派のバレッタ貴族と対立していた。
ヒュノー派と独立派の勢力は拮抗しており、各地で衝突を繰り返していた。ディリオン軍やメガリス軍の進撃で二転三転したものの、形勢は再び拮抗した。
内戦が長引くと、バレッタを荒らし回る賊徒集団もその活動を一層増した。
新暦663年2月、ヒュノー派も独立派もどちら共が身動きの取れない状況が遂に変化する事となった。援軍を得たメガリス軍にバレッタ地方への進軍の動きが現れたのだ。
ヒュノーはまたも窮地に追い立てられ、選択を迫られていた。
ヒュノーの立場は苦しいもので、判断を下すには困難だった。例えどの様な判断を下しても敵を作ることは免れなかっただろう。だが同時に挑む者には理解者と味方も必ず現れる。
しかし、それは飽く迄も自らを捨てて事に当たる者の前にだけ、現れる。そうでない者の前には敵しか現れないものだ。
尤も、神々が必ずしも無私の英雄だけを救うとは限らない。何故なら神々は何時だって残酷なのだから―――
◆ ◆ ◆
【新暦663年2月 公都レンブルク 将軍ヒュノー】
「ヒュノー将軍! レイアントロプ家に仕える者として貴方の判断は承服しかねる!」
怒りに満ちた声が響きわたる。広間は暖炉で暖められていてもまだ肌寒さがある。
公都レンブルクの宮殿。その中心部である大広間は晩冬の寒気と火の暖気だけでなく、冷たい不信と焼き付く様な憤りが渦巻いていた。肌を突き刺すぴりぴりとした感覚は必ずしも実在の痛みだけではないとヒュノーは感じていた。
「我々はこれまで貴方に敬意を払い、その判断に従ってきた。理解し受容してきたのだ」
先程と同様に声の主はレイトウード家のメラストスだ。闊達な老人で、レイアントロプ家の家宰を務めている。つまりバレッタ公レイアントロプ家を握るのに協力が欠かせない人間だ。
広間には他にも何人かの貴族が居る。他人事の様な表現ではあるが、この期に及んでまだヒュノーを支持していた連中だ。
「ライトリム公と共にメガリスと手を組んだことも、ロラン王家からの和睦を受け入れた事も、和睦を覆して再びメガリスと手を結ぶ事も、受け入れたくはないがまだ飲み込んでも良い」
――手を組んだ? 和睦? どれも正確ではないな。屈した、と言うのだ。それも諸君らにも責任はあるのだぞ――
メラストスは深い皺の刻まれた顔を真っ赤にさせ、机に手を付きながら続けた。メラストスは宗主レイアントロプ家への強い忠誠で心身を満たしている男だった。今まではその忠誠の方向とヒュノーの政策が辛うじて重なる部分があった為、助力を得る事が出来ていた。
「だが! レイアントロプ家の領地や財産を無断で割譲するなど許されない事だ! 貴方は飽く迄もイルセル様の後見人に過ぎない筈だ!」
――では他にどういう手段があったというのだ。それに命を繋ぎ、関心を得るために幾許かの土地を手放させただけた。安い代償では無いか? 確かに貴族にとって土地は重要だが、そんな事を論じている場合か?――
「メラストス殿。この状況では他に方法が無かったのだ。バレッタの自由と平和の為には最善の方法だ。我々にとってもな」
ヒュノーは冷静さを保とうと努めて言った。
「"我々"ですと? "貴方"は"私達"では無いのだと分かっているのでしょうな、ヒュノー殿」
応えたのはワーレン家のジャンだ。若く野心的な人物で、キンメル家に次いでバレッタ地方を代表する有力貴族だ。
忠誠という化けの皮を被って隙あらば権力を蚕食せんとしている。彼のような人間はこの戦乱の時代を代表する人種と言える。
「貴方は結局は余所者だ。バレッタは関係の無い世界。いざと言うときに切り捨てないと何故言えますか?」
「いざと言うときはこれまでも何度もあったではないか。その時も私はイルセル殿や君達の為に行動してきたでは無いか」
これまでヒュノーと彼らバレッタ貴族とは上手く互いを利用しあって来ていた。ヒュノーは統治権確立の為に彼らの支持を求め、バレッタ貴族達は自治と独立の為に強力な指導者を求めた。
だが、今は違う。お互いに貪り合う蜜月は終わってしまったのだ。
――兵力を失い、武功にも翳りが差した私にはこれ以上貪る価値も無いと判断した訳だ。さっさと見切りをつけたキンメル家のような連中の方がいっそ清々しいと言うべきか――
「はて、そうでしたでしょうか?」
「どういう意味かね、ジャン殿」
「先程メラストス殿が挙げておられたではありませんか。貴方はバレッタを奪い取り、ライトリム公に、メガリスに、ロラン王家にと売り渡し続けているではありませんか? その証拠に代償に身の安全と権力を得ているではありませんか」
「なっ……」
「……ジャン殿の言葉は過激だが、誤っているとは私も思わん。ヒュノー将軍」
ヒュノーも保身を考えていなかった訳ではない。彼も権力や財産や名誉を求める想いが欠けた人間では無かった。
しかし、それ以上に力ある者の責務として王土に、そしてバレッタの地に平穏をもたらすべく努力していたし、幼い公子イルセルの為に後見人として心を砕いていた。その事は家宰として近しい位置にあったメラストスならばよく分かっている筈だった。
であるにも関わらずこの言い分である。ヒュノーは憤懣やる方ない思いを抑えきれなくなっていた。
「私とてバレッタの民の為に砕身して戦ってきた! レイアントロプ家の幼きイルセル殿の為に剣を振るってきたのだ! 余所者だの裏切り者だのと陰口を叩かれてもな! にも関わらず諸君らのその態度は一体どういう事か!」
ヒュノーは怒りを露にした。自分でも醜いと思う程に怒号を浴びせた。
メラストスは怒りの煽りを受けて顔を真っ赤にし、ジャンは軽蔑の表情を見せた。他の貴族も多かれ少なかれ同様に負の感情を表出させた。
この場に兵は居らず、レンブルクにも双方の兵力は少数しか駐留していない事は幸運だった。流血の惨事までは少しは猶予がありそうだ。
「ほお、事実を言われて激昂なさるとは、ヒュノー殿にも心当たりがおありなのですな!」
「ああ、あるとも! 諸君らに謂われなき侮辱を受けているという心当たりがな!」
対立の炎はあっという間に燃え上がる。諍いは暖炉の火以上に場の空気に熱を加える。
暫しの沈黙と睨み合い。互いに視線の刃を交わし、敵意を交換しあう。
「バレッタは我々の土地だ。我々が統治する」
自らの胸を叩きながら言うジャン。
「その通り、レイアントロプ家の手に戻すべきだ。ヒュノー将軍には手を引いて貰いたい!」
メラストスは皺だらけの顔を一層歪ませて言った。彼は大広間の奥に置かれたバレッタ公の公座を指さしている。
ヒュノーは彼らを睨み付けながら、二人の言動の差に注意を向けた。
――全く何処に行っても亀裂はあるものだな。私と彼らだけでなく、彼ら同士も亀裂だらけだ――
◆ ◆ ◆
ヒュノーはメガリス側に組する事を決めた。それも領土を差し出しての従属だった。差し出した領土は当然だがバレッタ人の土地であり、彼自身の土地ではない。
度重なる変節にバレッタ貴族はヒュノーに愛想を尽かした。ヒュノー支持の貴族の殆ども彼を見捨て、反旗を翻したのだった。
首謀者はレイアントロプ家家宰のレイトウード家のメラストスと有力貴族ワーレン家のジャンであった。家宰のメラストスに背かれると言うことは事実上レイアントロプ家との関係は絶たれてしまった事になる。
反乱軍がレンブルク近郊まで迫ると、ヒュノーは抵抗を断念し公都レンブルクを放棄した。
ヒュノーはレイアントロプ家の後継者イルセルを伴い、北部の要害レイゲルト城へと身を寄せた。
ヒュノーの逃走でバレッタは独立派優勢となり、メガリスとの対決が訪れるかと思われたが、事態は更なる混沌へと突入していった。
独立派は今度は彼ら同士で互いに激しく争い始めたのだった。
独立派はレイアントロプ家の手にバレッタ地方を取り戻そうとする"レイアントロプ派"と宗主を置かずにバレッタ支配を図る"貴族連合派"に分裂した。
"レイアントロプ派"はレイトウード家らレイアントロプ家直臣達を筆頭とし、"貴族連合派"はポノホードのキンメル家、コライトンのマグナマリス家、ネルカマのワーレン家らが所属していた。
顔触れからも分かるように"貴族連合派"はバレッタの有力貴族達からなり、野心を剥き出しにし始めたのだった。
ヒュノーらメガリス派は当初はレイゲルト城周辺に限られていた。だが独立派同士の争いで敗北したり、メガリスの大軍を目前にした貴族が徐々にメガリス側に身を投じていた。
参画した領主は当然だが主にバレッタ地方南部に集中している。特にコール家の拠点ヒューゴーは最南部に位置し、メガリス軍の前進拠点ともなっている。
一方でディリオン王国に味方し続ける貴族も居た。
彼らはバレッタ地方の外周に領地を持つ貴族達で、外部からの情報により多く接しており能く理解していた。
理想や権力欲よりもランバルトとセファロスという凶人達に対する恐れがその行動に強く現れていた。
そして、バレッタに混沌をもたらしたのは貪欲な貴族達だけではなく、跳梁跋扈する賊徒も同様である。彼らは盗賊活動だけでなく各派の貴族と結託して略奪や襲撃を繰り返すなど確りと戦争に加わっていた。
更に、困窮した平民は命を繋ぐために賊徒集団に参加するしか道が残されていなかった。こうして賊徒は際限なく増加・膨張し、流血を拡大化させていた。
貪られる者の難苦は何時までも終わらない。彼らは救いを求めて新たな神々を生み出す。
しかし、それさえも結局は新たに貪られる贄となるだけなのだ―――
◆ ◆ ◆
【新暦663年4月 辺境の街 賊徒ロック】
戦に喘ぐバレッタ地方の一隅を根城としたヨドやロックら賊徒集団は略奪や襲撃を続け勢力を拡大化させていた。他の賊徒集団を屈服させて吸収したり、腕の立つ奴が金を求めて参入してきたりと人は増え続けていった。今やヨドを首領とする賊徒集団は三百人を数え、局地的に影響を与えられるほどの兵数となっていた。
時には領主の守備隊と戦って打ち破り、町々を襲って財宝や女を奪い取った。ロックも残酷なこの生活にすっかり慣れて、ヨドの盗賊団の中でも重要な地位を占めるようなっていた。
彼らは手狭になったロックの故郷を捨てて、より大きく整備された場所へ拠点を移した。新たな拠点は小さな町だが、これまでの田舎村よりはずっと大きかった。
故郷が廃墟となって打ち捨てられてもロックの心は今更痛まなかった。
そうこうしている内にバレッタの戦は混乱を増していき、兵力欲しさにヨドの集団に助力を求める貴族どもが現れ始めた。
今、目の前に居る貴族もその一人だ。
近隣の領主家から交渉の使者がヨド達の拠点に遣って来て援軍を要請してきた。そして、頭のヨドを始めロックら幹部達が接見しているのだった。
「あなた方の勇名、武名は我々チェリーナ家も聞き及んでいる。多くの勇者を伴い、暴虐なランペル家の連中と刃を交えた事も耳にした」
チェリーナ家の何とか言う勇士は鎖帷子を着こみ腰には剣を佩いていて、出来る限りの威圧感を此方に与えようとして必死な素振りが滑稽だった。若い勇士は鋭い目付きの賊徒に囲まれて居心地悪そうに目を泳がせている。
――こいつも貪る側に居続けようって訳だ。本当、いい心がけだな!――
こういう奴が一番憎い。自分のことを棚に挙げてロックは相手に憤り、心の中でその勇士に唾を吐いた。
「過分な御言葉痛み入ります。我々は常に正義を追求しているのです。如何なる暴虐も見過ごす事は出来ないだけのことです」
ヨドは武人風に言った。仮にも元古参兵である訳だしそれなりの受け答えは出来るのだろう。
――その暴虐とやらで俺達は食ってるのにな。とんだお笑いだ――
「ヨド党には我がチェリーナ家に是非助太刀して頂きたい。バレッタの自由と平和の為に、あなた方の剣を貸して頂きたいのだ」
――"ヨド党"か。ずいぶんと御為ごかした呼び方だ。金で動く傭兵くずれの屑だと本心では思っているくせに――
ますますロックは憎々しく思い、うろんな目で勇士を見た。勇士の方も不愉快げな視線をこちらに向けてきたがロックは睨み返した。
「ふうむ。我々も善なる行いの為に刃を振るうことに否やは御座いませんが、さてどうするべきでしょうか」
「一体何を悩む事があるのです?」
「例え正義の為とはいえ戦は戦。我々の多くは土地も財産も持たない平民です。宝と言えば家族だけ。戦になれば多くの仲間が傷付き、また敵達が支配する無垢なる人々も血を流す事になる」
「それはその通りです、ヨド殿。しかし、それよりも優先すべき大義があるはずです!」
「大義も正義も十分理解しております。ですが、戦に巻き込まれる事になる同じ平民達の暮らしを考えると……」
ヨドは妙に言を左右にしている。何故本題に入らずまごまごしているのか。どうせやるのだがら、さっさと具体的な報酬の話に移るべきだ。つまり金の話を、だ。
ロックの苛つきは増し続け、心を埋め尽くしていく。そして茶番に耐えられなくなったロックは横から口を挟んだ。
「で、その"バレッタの自由と平和"とやらにお前らは幾ら払うんだよ」
ロックは交渉相手を睨みつけながら言う。部下の差し出口にヨドの表情が歪んだ。
「なあ、最初っからそのつもりで来てんだろ? いいからさっさと下らねぇ世間話してねぇで、金の話をしろよ。いくら払うんだよ?」
ぞんざいなロックの言い方に若い勇士は酷く不快感を覚えたらしく、此方を睨み付けてきた。そして勇士は侮蔑を露骨に表に出し始めた
「ふん、所詮は下賎な脱走兵だな。ならば、もう礼儀を尽くす必要もあるまいな。心配せずとも金ならくれてやる。お前らには金貨一枚もあれば十分だろう」
「おいふざけてんのか! そんな端金で話になると思ってんのかよ!」
「ロック! 黙っていろ!」
「端金だと!? 貴様らにはこれでも高すぎる位だ! お前らが我々の領地からも略奪を働いたことは知っているのだぞ! その代償を差し引いてでも金を払ってやるだけ有難いと思え、屑が!」
「何だと、てめぇ!」
「ロック、止めろ! おい、此奴を連れ出せ!」
「糞っ! 何しやがる、離せ!」
ロックは抵抗し暴れたが、結局会合の場から引きずり出されてしまった。
しかしこうなると憮然としている他なく、引きずり出された屋外で話し合いが終わるの待った。
暫くして話し合いが終わったらしく、仲間の賊徒が部屋から出て来た。そしてロックは部屋の中へ入る様命じられた。
ロックは命令されたことに不快感を抱きながら部屋の中で再び入った。部屋の中にはもうヨドしか居らず、硬い表情で彼は腕を組んで座っていた。
「ヨド。それで、幾ら貰える事になったんだよ?」
「……金貨一枚半だ」
「何だって!? おい、冗談だろ! たったそれっぽっちかよ!」
ロックは怒鳴りながらヨドへ近付いた。金貨一枚半といえば徒党一日分の食費だって賄うことさえ出来ない。どうしようもない端金だった。
腕を組んで座り続けるヨドに近づき、机の上にダンッと手を付いてさらに詰め寄る。
「なあ、おい、ヨドよお。そんな小銭で一体どうしようってんだ? だから、さっさと金の話にすりゃあ良かったんだよ! それなのに俺を追い出しやが……がっ、うげっ!?」
ロックの抗議は遮られた。突然立ち上がったヨドに首を締め上げられ、壁へ押し付けられたからだった。
余りに素早く急な身のこなしにロックは何も対応できずされるがままとなった。
「随分な口叩くじゃ無いか、ロック。人様に文句付けるからには覚悟は出来てるんだろうな」
「お、落ち着けよ、ヨド……」
「落ち着けだと? お前が、それを、言うのか? 醜態晒して、相手の財布にいきなりを手を突っ込もうとした阿呆のお前が?」
ぎりぎりとヨドの手に力が込められていく。振り解こうとしてもとても無理だった。怒りによる影響もあるだろうが、根本的な腕力の差がヨドとロックにはあるのだった。
「うぐっ、お、俺たちは金がいるんだ。そうだろ? 食うものだってそうだぜ。金がなきゃ食ってもいけねぇ。今の仕事だって、か、稼ぎの為にやってんじゃねぇかよ」
「確かにそれは間違ってねえ。俺達はあいつら糞貴族どもから毟り取ろうとしていた。だがな、やり方ってもんがあるんだよ」
「ううっ」
「てめぇが口を挟まなけりゃあ、もっと釣り上げられたんだよ。先方からの条件をもっと引き出せんだ。略奪分もチャラに出来ただろうに! 邪魔しやがって!」
ヨドの締め上げは弱まる気配がない。ロックは苦しさに呻くしか出来なかった。
そせてヨドの怒気は次第に殺意に変わっていった。
「だが、一番の問題はそれじゃねえ」
ヨドはロックを締め上げたまま、顔をぐっと近付けて殺意の籠った目で見据えてきた。
「いいか、俺が頭だ。お前は頭か? いいや、違う。だから、俺に逆らう様な真似はするんじゃねえ。分かったか?」
ロックが目を白黒させて呻いていると語気をより恐ろしげにしてヨドは迫ってきた。
「分かったのか?」
「わ、分かった……俺、俺が悪かった……」
ロックは涙や鼻汁を流しながら許しを請うた。屈辱だが恐怖が勝っていた。生きる為にただひたすらに媚びた。
無様に許しを請うロックの姿にヨドも溜飲を下げたのか、締め上げを解いて蔑んだ瞳を向けて去って行った。
はあはあと荒く息するロックは屈辱に涙し、床をダンダンと叩いた。彼は今、"貪られる者"だった。
「クソッ! クソッ! クソクソクソッ!」
――糞ったれ! また"貪られる"側だ! もう御免だ!――
ロックは暫くぶりに背後から死んだボーマンの視線を感じていた。
◇ ◇
ロックは誰にも見られないようひっそりと館の外へ出た。涙にまみれた無様な顔を布を巻き付けて隠し、こそこそと路地を抜けた。
屈辱だった。心の中を苦々しい思いが満ちた。
――糞ッ! くそっ! クソォッ!!――
屈辱に握りしめた拳は指が白むほどに力が込められていた。ロックはこの鬱憤を晴らそうと足早に宿へと向った。
宿へ辿り着いたロックは乱暴に扉を開けた。この街を占拠してからずっとねぐらにしている宿だ。仮にも賊徒の幹部であるロックに相応しく、それなりの広さの建物である。
誰も彼を出迎えなかった。何時もならピラが足を引きずりながらよろよろと出て来るのだが。
ロックは怒り、叫ぼうとしが思い留まった。勿論、慈悲ゆえではない。
――あの糞あまが、何してやがる? こそこそ隠れやがって。今更隠れても無駄だって思い知らせてやるからな!――
抵抗する彼女の心を再び圧し折る為にロックは探し始めた。予告なしに突然暴かれた方が衝撃は大きくなるものだ。
しかし宿中の部屋を探してもピラは見つからなかった。残るは地下の倉庫だけだった。
――ちっ! 手間かけさせやがる! もっとやってやらないと分からねえらしいな!――
そしてこの考えが、自身が"貪られる"側へと回った屈辱の裏返しだと自覚していたために暴虐が激しさを増していた。
倉庫へ続く扉を開けた時、薄暗い階段の先から声が聞こえてきた。
「…めい…どう…」
訝しみながら階段を降りるロック。手は万が一に備えて剣の柄を握っている。
声は階段を一段一段降りる度に鮮明に聞こえてくる。
「……おすくい……じひ……」
「……どうか……」「……われわ……すく……」「おたす……」
どうやら声の主は一人ではないらしい。
――声が一人分じゃねえ。どうなってんだ?――
そして、階段を降りきった先の倉庫の中にはピラがいた。
いや、ピラだけではない。他にも十人程の人間がいた。皆薄汚れ、傷付き、痩せこけている。
――こいつらはピラと同じ奴隷どもだな。一体こんな所で何してやがるんだ?――
ロックは予想だにしない光景を目の当たりにし、怒りよりも疑問が頭を満たしていた。
倉庫の中の彼女らは皆僅かな松明の灯りに照らされ、跪き、祈りを捧げていた。祈りの対象は"冥神"だった。
「い、"冥神"様は私達を、す、救ってくださいます。残酷な"太陽神"に、か、影の世界へ追放されるほどに、じ、慈悲深い、か、神なのですから、から。」
「おお……"冥神"様よ、どうか我らをお救い下さい……」
「ああ……お願い致します……」
ピラ達は懸命に、必死に祈りを捧げている。ひたすらに神に救いを求めている。そしてどうやらピラは奴隷どもにとってある種の指導者に成りつつあるらしい。
ロックは暫く彼女らの姿を哀れみや蔑みを込めて見ていた。神など下界の人間の為には指一本すら動かさないというのに何を必死になっているのだろうか、と。
だが、彼女らを眺めていたロックの頭に一つの考えが浮かんだ。
――"冥神"か……もしかしたら、使えるかもしれねぇな……――
ロックは先までの怒りや屈辱を払拭できる程に気分が高揚していた。
"貪る"側へと回る手立てが見つかったかも知れなかったからだった。
――俺にとっちゃ救いに為るかもしれねぇ……まあ、お前らにとってはやっぱり残酷な神に変わりはねぇがな――
ロックは思わずにやりと薄笑いを浮かべた。
◆ ◆ ◆
◇ ◇
レグニット地方はこの頃、諸侯・諸都市が覇を競う、局地的な戦国時代の様相を呈していた。
公都ガルナでは有力貴族プリムス家のエナンドルがガムランの死後に反乱を起こしていた。
混乱する公都を瞬く間に掌握したエナンドルは味方の諸侯を集めて支持を得ると、レグニット公位の継承を宣言した。
一方、ガルナを奪われた公子ガムローは所領のフォン市へ退き、彼もまたレグニット公位の継承を宣言した。
またトラヴォ、べリアーノ、カゼルタ等独立都市はかつての栄光を希求し、独立した都市国家として活動し始めた。
新暦662年9月、割拠するレグニットに於いて跳び抜けたのがエナンドルだった。ガムローら公都ガルナを奪い取ろうとする敵勢力を撃破し、その多くを膝下に捻じ伏せた。
反対に敗北したフォン市のガムローは何とか勢力を維持したが、それでも衰退は著しかった。エナンドルの元へ寝返る家臣達を留める力はもう無かった。
大きな動きはトラヴォ市でも見られた。
新暦663年3月、エナンドルの圧迫とディリオン王国の艦隊に対抗するべくトラヴォ市はメガリス王国と攻守同盟を締結した。交易を第一とする場合、特定の勢力のみとの同盟は余り好ましくはない。にも関わらず同盟を組んだ事は圧迫されるトラヴォ市の窮状とディリオン王国が新艦隊を持つ事への危機感を表している。
トラヴォ市には彼らの海を脅かす存在は何よりも排除すべき対象であった。
何れにしても、レグニット地方へのメガリス勢の進出はディリオン王国にとって見過ごす事の出来ない案件である。両陣営の衝突も近くまで迫っていた。
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