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ディリオン群雄伝~王国の興亡~ (修正版)  作者: Rima
第一部 第二章『再生』
22/46

『婚儀』

評価・ブックマーク・感想貰えると嬉しいです。

 新暦662年9月、メールの動乱を鎮めたランバルトは王都ユニオンへ帰還した。

 この時、セファロスの解任とスレイン方面での勝利の報が伝わっていたが、ランバルトは直ぐの軍事行動へは出なかった。王都に残っていたメール兵の動きをまだ信用出来ておらず、また妹サーラとリンガル公ジュエスの婚姻を優先しようとした為であった。

 故郷での動乱と大粛清の動揺は当然王都のメール兵にも伝わっており、ランバルトは先ずは彼らを何とかして再度掌握したいと考えていた。更に自らの勢力の補強にリンガル勢を利用するべく、リンガル公ジュエスを婚姻によって取り込もうとしていた。その為の時間が必要だったのだ。

 特に結婚式はアルサ家の威光に衰えが無い事を示すべく盛大な祭典とする必要もあった。式の準備は大きな労力が注ぎ込まれたが、やはり多量の時間が掛からざるを得なかった。


 サーラとジュエスの結婚の知らせは瞬く間に国中へ広まった。ランバルトが意図的に広めた事もあったが、重要人物かつ大家同士の結婚が人々の耳目を引かない訳がなかった。

 一大勢力であるアルサ家とプロキオン家の結合は今尚荒れる王国に少なからぬ安定をもたらすと人々は期待した。そうでなくとも相思相愛の若い男女が夫婦となるのは喜ばしい事だった。





 だが中にはこの報せを凶報と受け取る者がいた。

 彼女にとって二人の結婚は身も心も引き裂かれる様な凶事なのだった―――





 ◆ ◆ ◆


【新暦662年9月 王都ユニオン 女王ミーリア】





 秋の王都。ユニオンに満ちる空気は変わりつつある。

 身も心も温める夏の陽気は既に去り、冬の寒風が隅々まで吹き抜ける準備を始めている。


 ――今の私と一緒。甘い情熱の時は終わり、直に厳しい苦痛に耐える日々がやって来る――


 ミーリアは宮殿の庭園を歩いていた。表情は暗く、疲れきっていた。

 王都に戻り王冠を戴いてからも日課の散歩は続けていた。昔は一番の心の癒やしだったが、今は唯一の癒やしになりつつある。

 庭園も王都での暴動の被害を受けて多くの花々が燃え落ち、美しい木々も炭になった。ディリオン王国文化の象徴の一つでもある庭園はライトリム公やランバルトら新たな支配者により造り直され再び華麗な光を放ち始めている。


 ――花々や木々の顔触れは昔と変わらない。色取り取りのアジサイ、ゼラニウム、アヤメ、ラン。植え込みにはバラにツバキにツツジ。木々の枝には黄色のオリーブ、薄桃色のアーモンド。そして、金蓮花(ロトゥス・アウレア)――


 王家の象徴足る金蓮花(ロトゥス・アウレア)の樹は暴動と火事の中でもしぶとく生き残っていた。樹肌は焦げ付き幾本もの枝が落ちたが、それでも花を咲かせ実を成していた。

 黄金の輝きを放つ花弁は季節外れに豊かに実り、庭園の太陽の如き存在を示していた。


 ――金蓮花(ロトゥス・アウレア)。王家の樹。我がロラン家の樹。私にとっても掛け替えの無い樹――


 そして今ミーリアが側に立つ樹は、今も変わらず愛する男と出会った、運命の樹だった。樹は未だ力強く立ち、花は息吹を保ち続けている。

 庭園に散歩に赴く度、自分と金蓮花の樹を重ねあわせて心を強く有ろうと努めた。木々に慰めを求めなくてはならないと思うと惨めだったが、他に依る辺も無かった。

 これ程の焦燥をもたらしているのは、戦争でも謀でも王冠の重みでも、無かった。


 ――それもこれも、全部全部全部、"あの女"のせい。"あの女"のせい――


 ある日突然現れた"あの女"は全てを投げ捨ててでも手に入れたかった唯一人の男ジュエスをいとも簡単に、まるで魔法か何かでも使ったかの様に一瞬で奪い去っていった。

 これまでジュエスを巡って啀み合ってきた母ファリアは全てを諦めていた。ジュエスが他の女の虜になってもう立ち入る事も出来ないと悟ってから母はめっきり老け込み、今では美貌も何も無い老婆になっていた。少し前なら恋敵の失墜を喜んだだろうが今となってはどうでも良かった。

 それでも、ミーリアは諦めたくなかった。彼は自分の人生で唯一の存在だった。どんなことがあっても彼への思いを捨てる気は無かった。

 例え"あの女"――サーラとジュエスが結婚すると聞いてもだ。


 ――私は絶対諦めない。私は彼を愛してるんだから――


 そう思いながらミーリアは金蓮花(ロトゥス・アウレア)の樹に寄り添った。その時、唐突に声を掛けられた。


「あらあら、ミーリア様。こんな所で奇遇ですわね」

「サ、サーラさん……」


 声の主はミーリアが今一番会いたくない人物だった。


 サーラはいつも通り美しかった。

 腰まで伸びる艶やかな金色の髪、健康的で締まった肢体に豊満な乳房、僅かに日焼けして褐色みを帯びた肌、そして晴天の空の様に青い瞳。

 面と向かって会うと憎しみが薄れてしまいそうな程にその美貌には一抹の曇りも無い。

 サーラは青い長外衣だけを羽織っていた。金の刺繍が幾らか施されているがそれだけの質素な造りだ。他には首飾りも耳飾りも腕輪も身に付けていなかった。だが飾り気の無さが彼女の美しさを寧ろ引き立てている。神々が己が美を誇示する為に裸になるのと同じ事だった。


 ――こんなに憎んでいても、彼女の美しさを否定する事が出来ない。自分が女であるから尚更彼女の美貌がよく分かる。分かってしまう――


 だが彼女の瞳を彩る光だけは別だった。

 人々――特に男――は透き通るような美しさと言うが、そんな素晴らしいものでは決して無い。他者を嘲り笑い、他人の生を面白がって見ている、そんな光だ。

 サーラは勝ち誇った女に嘲りの光を宿らせて此方へ近づいてきた。


「そう、実は陛下とお話したい事があったのを思い出しましたの。そこでお願いなのですけれど、今日は女王とか家臣とか、そういう身分抜きにしてお話しませんか? ミーリア陛下」

「……何故ですか? その様な無礼な振る舞いを、どうして私が受け入れなければならないのです?」

「私も貴方も同じ"もの"を求めた女同士だから、ですわ。同じ立場で一度お話しておきたいのですよ」

「……」


 ――止めるべきよ、ミーリア。彼女と話しても何にもならない。どうせ碌な話しじゃないわ……――


 今直ぐこの場を立ち去るべきだった。分かっていた。しかし頭とは裏腹に心は言うことを聞かず、体はその場に留まり耳を傾けてしまっていた。


「……分かりました。今だけは許します」

「そう、良かった」


 サーラは軽やかな足取りで金蓮花(ロトゥス・アウレア)の樹に近づいた。一歩歩く度に金色の髪がふわりと靡く。

 サーラの細やかな指先がそっと樹肌に触れる。

 吐き気がする。


「あらまあ、影のある表情しちゃって。そうね、この樹も思い出の樹、って所かしら?」

「っっ……あ、貴方には関係ありません」

「関係は大いにあるわ。そんな思い出に浸って貰ってちゃ困るのよ」

「何が言いたいのですか?」

「いいこと、ジュエスはもう私のものよ。手は出さないで頂戴」


 サーラは此方をきっと見据えながら言った。

 冷たい瞳。

 怒り、殺意、憎しみ。あらゆる負の感情を内包させた氷の目。

 体を芯から震えさせるほど酷薄な眼光。


「はっきり言って他の女が彼の事を想っているだけでも不愉快だわ。その上貴方はジュエスと寝た。そして今も彼と寝ようとしてる。そんなの許せると思って?」

「そ、それは……」


 正しくその通りであり、思わず言葉に詰まった。

 それは確かにそうだった。認めざるをえない。

 彼の温もりを強く求めている。一晩でもいいから彼に抱いて欲しかった。


 ――もし自分が彼女の立場なら決して許さない。いや、実際に私はサーラが彼と閨を共にしている事を許してはいない――


「当然分かってると思うけど、ジュエスと私は結婚するの。夫婦になるのよ」

「だ、だから、何なのですか」

「だから何なのですって? 本気で言ってるの?」

「……」

「彼に必要な女という存在は私だけってこと。貴方は邪魔なの」

「そ、そんな事勝手に決めないで下さいっ。それはジュエス様が決めることですっ」

「まあ。見苦しく噛み付いてくるのねぇ。第一、彼が結婚を受け入れた時点で私の方が必要って事じゃない。でしょう?」


 サーラは冷たい瞳のまま、にやりと笑った。自信に満ちた笑みの所為か身ぶりまで優雅に見える。


「百歩譲ってそうじゃ無かったとして、王族という身分抜きにジュエスが貴方を必要した事があって? 一人の"おんな"として彼が貴方を欲した時があるのかしら?」

「ジュエス様が、その……よ、良かったと言って下さった事は、わ、私にだってあります!」

「へぇ、そう」


 まるで鳥のさえずりでも聞き流すかのように軽く返した。必死の抵抗も少しも彼女の心に打撃を与える事は出来なかった様だ。


「それって体は良かったって事でしょ。まだ若いんだから体くらい褒められなきゃどうしようもないじゃない。ま、それでも許せないけどね」


 ミーリアは強い屈辱を感じた。まるで娼婦を相手にしているかのような言い種だった。

 幾ら同性であっても体を値踏みするが如き発言は耐え難かった。


 ――でもジュエス様が私の体を欲しがって求めてくれるならそれは望むところ――


「それに自分から押しかけて強引にしたらしいけど、私はそんな事しないわ。いつだって彼の方から求めてくれるもの。それって最高じゃない? 勿論、お断りなんてしないわよ」

「そ、そんなの、貴方だって一緒じゃないんですか? ジュエス様はサーラさんの体が欲しいだけじゃないんですか?」

「それは無いわ、だって……」


 サーラの声は一段と確信に満ちていた。

 そして、純粋で澄み渡るような声ではっきりと言った。


「彼は私に愛してると言ってくれる」


 ――やめて――


「抱きしめて、口付けして、体を重ねて、そして耳元で愛を囁いてくれるの」


 ――やめて、やめて――


 サーラは恍惚とした表情で続ける。愛の思い出は目前にした恋敵への憎悪を一時的に忘れされたようだった。或いは相手が手に入れようと欲している待望のものを魅せつけて悦に入っているのかもしれない。


「貴方は言って貰った事あるのかしら? 愛してる、と彼が言ったのを一度でも耳にしたことがあるの?」

「わ、わたしは……」


 耳からその"言葉"が入ってくる度に顔が強張るのが分かる。

 それまで心に溜まっていたどす黒い泥が激流となって荒れ狂った。

 心が軋み、悲鳴を上げる。ばらばらに砕け散りそうだった。


 ――おねがい、やめて……!――


「ジュエスは、"私にだけ"、愛してると言ってくれるのよ。貴方でも太后でも他の誰でも無く、"私にだけ"!」


 彼女の声が雷の様に響く。

 空気がぴしりと凍る。

 静寂。何も届かない。

 周りが霞む。世界が歪む。

 頭が、痛い。

 耳が。目が。喉が。指が。足が。

 何より、心が、痛い。


「お話はこれだけです、ミーリア陛下。御理解頂けまして?」


 サーラは慇懃な調子に戻って言った。瞳には人を嘲る光を宿らせ、他者を平然と踏みにじる笑みを浮かべていた。

 そして、くるりと外長衣(ヒマティオン)を他靡かせて背中を向けた。

 ミーリアは無意識に彼女を睨みつけていた。それ以外に何も出来なかった。

 掌に爪がめり込み血が滲むまで拳を強く握りしめていた。


「お顔が怖いですわよ、女王陛下?」


 振り返りもせずにサーラは言い、そのまま去った。後ろ姿はあくまで優美で、太陽の光を一身に浴びるその姿は絶望的なまでに美しかった。

 まるで"愛と美の女神"の様だった。完璧な美しさ。欠けたる所の無い優雅。そして恐ろしい残酷さ。


「……フ、フフ……」


 惨めさに打ちのめされ、笑いたくもないのに笑いが出た。

 心の痛みはもう感じ無かった。感じられなかった。傷めつけられ過ぎて何も分からなくなってしまっていた。


 ――私は一体何のために女王になんてなったの……母と争い、弟を見捨て、国を家臣に譲り渡しさえしたのに……――


「……フフフ……アハ、アハハハハハハハハ!」


 ――神々には何度も何度も祈った。頭を垂れて跪いて、膝が擦り切れる程に祈った。ただ愛する人と一緒になれるよう祈っただけ――


 ミーリアは金蓮花(ロトゥス・アウレア)の根本に崩れ落ちた。がくりと力が抜けて、体を支えていられない。

 涙が溢れて止まらなかった。ぽつぽつと涙が垂れ落ち、地を僅かに濡らした。


 ――それなのに、それなのに……どうして? 何故こんな事に? 私は、私はただ……私はただ、彼を愛していただけなのに――


 嗚咽と壊れた笑い、涙が溢れ続けた。

 頭上からひらひらと一枚の金花が舞い落ちた。


 金蓮花(ロトゥス・アウレア)の花びらだった。



 ◆ ◆ ◆ 







 新暦662年11月、王都ユニオンではプロキオン家のリンガル公ジュエスとアルサ家のサーラとの結婚式が開かれた。

 この婚姻はディリオン王国の二大勢力であるプロキオン・アルサ両家を公式に結びつける重要事であり、盛大な婚儀を開くことで両家の権勢を見せ付ける意図もあった。

 またアルサ家はメールでの反乱以降傘下のメール人達の忠誠に疑心を抱いており、当主ランバルトは彼らメール人への対抗勢力或いは新たに頼りになる味方としてプロキオン家を引き込むことも考えていた。

 プロキオン家のジュエスにとっても個人的な感情は勿論の事、勢力維持の為に最有力者との関係強化は願ってもない事だった。戦乱の時代に於いて有力者との繋がりは生存に何よりも重要な要素だった。




 婚姻は単なる終着点では無い。新たな関係の始まりである。

 それは必ずしも夫婦ふたりだけの関係に留まらない―――





 ◆ ◆ ◆ 


【新暦662年11月 王都ユニオン リンガル公ジュエス】




 その日、プロキオン家の邸宅には多くの賓客が集い、大いに賑わっていた。何れも貴族や勇士(ミリテス)、富豪などの上層階級の者達ばかりだ。

 それも当然で、今日はプロキオン家当主にしてリンガル公ジュエスの晴れの結婚式の日なのだった。

 主役の夫婦と来客の人々は今日の為に鮮やかに飾り付けられた大広間に揃い、盛大な宴に明け暮れていた。

 主役のプロキオン家とアルサ家、"(こう)"のピュリア家、クライン家は勿論の事、ハルト地方からはウッド家・ホラント家・マーサイド家・ソーン家・ギャレド家・マシュ家が、コーア地方からはシャープ家・ダグ家・マーロ家が、クラウリム地方からはバトラス家・ヴィクター家・フィウメ家が、そして遠くリンガル地方からもニールトン家・クレア家・トリックス家・シュロッター家・ポンポニア家など、数多くの貴族が顔を揃えている。鎮圧なったばかりのメール地方からも譜代シュタイン家を初め、ザーレディン家・トッド家・カルコン家・ノゴール家・スリスト家などが来賓しているが、これは反乱など小事であり祝い事にも出席出来る程度という政治的な意味合いが強い。

 

 大広間の奥、席の最上座には新郎のジュエスと新婦のサーラが座っている。二人は無垢を表す純白の外長衣を身に纏い、加えてジュエスは赤色の花冠を載せ、サーラは貴重なラトリア産の絹で出来た青色の薄布を被っている。赤色の花冠は夫の情熱と妻への守護を、青色の薄布は夫への献身と妻の貞淑を象徴している。

 二人の背後には"愛と美の女神"の見事な彫像が優しげな表情で見守っている。あらゆる愛を象徴する神である"愛と美の女神"の像は婚姻した夫婦の家には必ず置かれるのが常だった。更にこの彫像は特に入念に作られた品で、"愛と美の女神"の神殿で誓いの儀式を行った際にも使用された最高級の特注品だった。


 そして大広間には巨大な長机が幾つも並び、机上にはありとあらゆる御馳走や酒が所狭しと置かれている。丸々と太った豚の丸焼き、香草を詰めた鶏、茹でた魚、海老や貝の揚げ物、葡萄や柘榴などの新鮮な果物、種々の卵料理、真っ白な良質の麦餅(パン)、香草や干し果実で味付けした粥、蜂蜜漬けの無花果や重々の焼菓子、葡萄酒(ワイン)麦酒(ビール)に果実酒。

 豪勢でありながら何処か純朴さのある料理が出されているのは、辺境のリンガルやメール出身故であろうか。来客達は長机に群がり大いに飲み、食い、祝っていた。


 この結婚の宴はジュエス・サーラ夫婦だけでなく、サーラの兄ランバルトの肝いりでもあった。巨大な権勢を示し、アルサ家とプロキオン家に逆らう事が如何に無駄な事かを言外に語っているのだ。


 ――尤も、僕にとっては宴が豪勢であること自体には大きな関心は無いのだがな。何よりも大事なのは妻……そう、妻のサーラとの結婚が最高のものとなる事の方だ――


 ジュエスは隣に座るサーラを眺めながら思った。婚儀に臨むサーラはいつも以上に美しく、背後に佇む"愛と美の女神"の像も霞む見事さだった。昂揚しているのか真っ白な肌が僅かに紅潮しているのが美貌をより引き上げていて、興奮よりも純粋な感嘆を禁じえない。

 ジュエスの視線に気付いたサーラはにやっと口角を上げると此方に近付いて耳打ちした。


「ほら、そろそろ皆からの挨拶周りが始まるわ。私ばっかり見てないで、お相手してあげなさいな。貴方だって主役なんですからね、"旦那様"?」

「そうだった。でも、挨拶の席次は君が決めたから、誰から来るのか僕は知らないぞ」

「ふふ」


 サーラは悪戯っぽく笑った。


「私とお兄様で、だけどね。ま、楽しみにしていなさいな」


 ◇ ◇


 婚儀の挨拶と祝いの言葉は重要人物に成る程順番は最後に近づく。


 最初に挨拶にやって来たのはハルト人の連中だった。皆、大して繋がりがある訳でもない奴らで、ジュエスも名前と顔が漸く一致するという程度の者が大半だった。彼らは心にもない祝いの言葉と頭一杯の世辞をつらつらと言っていた。

 特別に良く知る顔としてはウッド家のパウルスがいた。と言っても、言葉も行動もやはり記憶に残らず、何をしていたか次の瞬間には忘れ去ってしまった。嬉しくなさそうな表情を示していたサーラの事の方が良く覚えているくらいだった。


 ハルト人の次にはコーアとクラウリムの貴族達がやって来た。彼らの言葉もハルト人とは大きな差は無かった。強いて違う点を上げるというならば、痛め付けられた経験がある分、世辞に怯えと迫真があったことくらいだろうか。


 そして、その次にやって来たのは何とメール人達だった。メール人がこの順番と言う事は当然リンガル人よりも軽い立場に置かれたということになる。夫の縁者を妻のそれより優先するのは常通りとは言え、それまでの重用ぶりから考えればランバルトが手勢としてのメール人を信用していないと宣言している、と受け取る者も少なく無いだろう。


 ――いや、それ自体は事実では在るだろう。だが、所詮部外者のリンガル人よりも下に置くとは、少々信じがたいな――


 メール勢は気付いているのかいないのか、気付かないように努めているのか、それとも本当に夫と妻の縁者の差だと思っているのか、皆堂々と肩で風を切ってやって来た。

 先ずはレイツやアールバルなどの若手家臣達が挨拶を行い、若いながらも武人らしく簡潔で実直な言葉で終わらせた。

 続くテレックは独特な落ち着きを見せながら挨拶にやって来た。その風格は新艦隊の編成を任されるだけの事はあった。


「ジュエス公、サーラ様。此度の御結婚、誠にお目出度く、執着至極に存知たてまつります」

「テレック! 暫くぶりね!」


 サーラはテレックを妙に気に入っているらしく嬉しげだった。ジュエスにはその反応は嬉しくなかった。


「長い事会いに来てくれなかったじゃない。私のこと、嫌いになったのかしら?」

「そ、そんな、滅相も御座いません! ただ、雑事が立て込み多忙でしたもので……大恩あるサーラ様に決してその様な無礼など働きません!」

「あははっ。分かってるわ。からかっただけよ」

「サ、サーラ様ぁ」


 テレックは先程までの落ち着きから一転して慌ておたおたとしだした。弱り顔のテレックは明るく笑うサーラとジュエスに一礼して辞した。

 ジュエスはサーラをついじっと見つめていて、彼女はそれに気付いた。


「何、どうしたの? あ、分かった。嫉妬してるんでしょ」

「ああ、そうだ」


 ――勿論だ。他の男が君と話しているのも耐え難いが、そんな嬉しそうな顔をされては尚更だよ――


「心配しなくて大丈夫よ。テレックはそういうのじゃ無いわ」


 ――じゃあ何だ?――


「彼は昔飼ってた犬に似てるのよ」

「犬?」

「そう、犬。大人しくて余り吠えないけど、悪戯すると良い反応をしてくれるのよ。それを思い出すの」

「ああ、成る程ね……」


 そう言われて思わずジュエスは納得した。確かにそういう点では良く似ているし、"飼い犬"に優しくする感覚は能く理解出来た。


 ――何処にでも誰にでも"飼い犬は"いるものだな。忠実であり続けてくれる奴らは有難いし、単純に可愛く見えてくるものだ――


 そうリンガルの家臣達に目線をやりながら思った。



 テレックの挨拶は和やかな雰囲気で終始したが、その次はそうも行かなかった。テレックと同じくザーレディン家だが後継者のテオバリドが遣って来たのだった。

 テオバリドは肩で風を切り、堂々を通り越してふてぶてしく歩いてきた。まるで婚儀の場だろうがなんだろうが関係無い、自分こそが主役なのだとでも言いたげな態度だった。

 彼はサフィウムでの失態でランバルトの勘気を被ってこれ以上の出世は望めない筈だった。しかし、ランバルト自身が続くフィステルスの戦いで敗れ、更にテオバリドの父テオグンドが死を以って主君ランバルトへの忠誠を守った為に恩赦として再度復帰してきたのだ。


 ――そして、驚いた事に奴はまだ僕と張り合うつもりなのだ。もう王国内での立ち位置など僕はどうでもいいのだが、な――


「ジュエス殿! サーラ様! 此度の御結婚、誠に御目出度く存じます!」


 テオバリドはやけに大きな声で言った。自身の存在を無理にでも人々に印象づけたいのだろう。


「アルサ家並びにプロキオン家、そして偉大なるロラン王家に益々の繁栄がこの婚儀にてもたらされますな! 私も両家と王土の為に粉骨砕身して家臣としての義務を果たす所存であります!」


 ――それは重畳な事だが態々この場でいう必要があるのかね?――


「先の戦いでも私は命懸けで戦い勝利の先駆けとなり、亡くなった我が父テオグンドも反乱軍と最後まで勇敢に戦い王国の危機に立ち向かいました。この喜ばしき婚儀も同様にディリオン王国にとって大いなる興隆と紛う事なき真の忠誠をもたらすことでしょう!」


 テオバリドは大袈裟な身振りを加えながら言う。此方を向いてこそいるが、その目は前にいるジュエスらを見てはいない。


 ――この結婚を祝っているようで、実際は自身の宣伝をしているだけだ。別に心からの祝福など微塵も期待してはいないが、僕とサーラの婚儀を勝手に演説の場に使われるのは許せん――


 まだ言葉を続けようとしていたテオバリドを遮り、辞するよう促した。テオバリドは話を切られて不満気だったが、サーラにも促され諦めて去った。結局最後まで自身の功績を宣伝して終わっていった。


 ――全く"権力喰らい"はどいつもこいつも面倒な奴ばかりだ。ロンドリクも此奴も。ロンドリクは大食らいの豚だったが、此奴は飢えた狼……いや飢えた野犬だな――


 この先もこんな連中が回りにいるのかと思うとうんざりだった。但し、強いていうならば、奴らが求めているのは権力であって、自分の隣に居る女性を狙っている訳ではない事だけは受け入れる余地があった。



 テオバリド、テレックらザーレディン家に次いで遣って来たのはアルサ家の重臣シュタイン家の面々である。当主たるオーレンはスレイン地方での侵攻に従事していたため、名代として甥のコロッリオが遣って来ていた。

 とは言え、オーレンがこの場にいなくて寧ろ有難かいというのが事実ではあった。


 ――オーレンは何時もサーラを見ている。僕のサーラを、だ。彼奴の彼女を見る目は憧憬や尊敬なんて温いものではない。"おんな"を見据えている目だ。――


 ジュエスはオーレンが嫌いだった。昔は単なる政争相手に過ぎなかったが、今では絶対に許せない相手、決して和睦する事は無いだろう仇敵だった。


 ――テオバリドはただの犬だが、オーレンは狼だ。"飢餓"に耐えかねて藻掻いている。奴とは何時か牙を向け合う事になるだろう――


 シュタイン家の奴もついでに嫌っていた。特に意味は無い嫌悪であり、オーレン以外のシュタイン家も知らなかったが。このコロッリオという男とも初対面だ。


「ジュエス公、サーラ様。此度の御婚儀、誠に御目出度う御座います。私も大変感動しております」

「コロッリオ。貴方も久しいわね。メールを発って以来かしら」

「はい、実にお久しゅう御座います。そして、ジュエス公、お初お目にかかります。シュタイン家のコロッリオに御座います」

「……うむ。遠くメールから良く来てくれた。妻も私も大変嬉しく思う」

「その様な御言葉、私如きには勿体のう御座います。これも家臣として当然の務めであります」


 そう言ってコロッリオは深く一礼した。


 ――オーレンと違って、こいつとは上手くやっていけそうだ。世辞と追従の使い処を知る程度に頭の回る小人の方が遥かに信用出来る――


 ジュエスからの感触が良かった事に安堵したのか、コロッリオは態度を明るくさせて言葉を続けた。


「ご承知頂けている事とは存じますが、私はシュタイン家の名代として参りました。そして、今スレインにおります叔父のオーレンより祝福の言葉を預かっております」


 コロッリオは懐から粗葦紙の書簡を取り出し、読み初めた。


 ――オーレンの言葉なんぞ言わなくていいぞ。折角、お前に対しては良い感情を抱きつつあるのだがら、それをふいにするような面倒事など捨て去ってしまえよ――


「"サーラ様、此度の御婚儀、誠に御目出度いことであります。きっとサーラ様の美しさは婚儀の場に臨めば神々も羨むことでしよう。何よりもお伝えしたいのは、貴女には良き伴侶と良き人生を送る権利があるのです。貴女に神々の祝福と守りが在らんことを。"」


 コロッリオは調子が良くなってきたのか、芝居がかった言い方で続けた。

 ジュエスは彼が代弁するオーレンの言葉を聞く事に心の奥底に炎が巻き起こるのを感じていた。


「"そして、ジュエス公。貴方は今は正しく幸福の極みに在る事でしょう。その幸運は何にも代えがたい妙々たるものだとは私も心から羨ましく思います。今いるこのスレインの地には多くの愛や恋に関する詩があります。モアやアイセンへの船に乗っているとその中でも特に素晴らしい一つの詩を思い出します。真実の愛の輝かしさとそれを阻む愚かさについて語った詩です。何れ、私自ら公にお聞かせしましょう。その日を何よりも楽しみにしております"。以上です」


 役目を果たしたコロッリオは最高の仕事をしたと確信し、胸を張って辞していった。事実、メール人からは流石オーレン殿だ、等と称賛と感嘆の声が上がっていた。


 大人しく聞いていたサーラがそっと近付いて耳打ちした。


「スレインの愛の詩って何かしら? スレインの詩なんてフレデール公の詩しか知らないわ」

「それだよ」

「ええ? だって、あれ例の寝取られ男を馬鹿にした詩でしょ?」

「そうだよ。それで合ってる」

「……分からないわ。どういう事?」


 ――分からない方が彼女の為かとは思うが、教えなければ怒るだろうなぁ。まあ、教えたって怒るには怒るか。その場合は僕に対してではないが――


「僕がフレデール、彼が水夫。そして君が令嬢だ。そういう事さ」

「それって、つまり……冗談でしょ? オーレンなんて"男"として見たことも無いわ! いつも私を見てたけど、それだって……」


 サーラは怒りと屈辱に顔を歪ませて、唇を噛んだ。


「オーレン……! なんて無礼な! 立場も私にそんな不遜な想いを抱くことだけも死に値するというのに、貴方にまで害を及ぼすなんて……! それに何より、私が彼奴の事なんかを選ぶようなと間抜けだと思っているのが許せないわ!」


 女の誇りを安く見られた憤怒は収まる気配がなく、今にも立ち上がらんばかりだった。


 ――オーレンは嫌いだし奴に同情はしないが、愛する女にこれ程憎まれているとも知らずに勝手に覚悟を決めているのだから、哀れと言うほかない。悲しいまでに哀れな道化だ。その覚悟こそが彼女を怒らせていると言うのに―― 


 他の男から向けられる愛に嫌悪し怒るサーラを見て、仄かな満足感を覚えながら、ジュエスは思った。


 結局サーラの怒りは収まらず、休憩の名目で中座せざるを得なかった。

暫くの後、戻って来たサーラは平静を取り戻して落ち着いていたが、顔にはまだ強張りが多少残っていた。


 メール勢の最後には長老のハルマナスがやって来た。経験豊富な老人だけあって挨拶は失態も問題も無く、恙無く終わった。ただその姿は日頃の激務からか年齢以上の老いを感じさせていた。王国軍の兵站を一手に担い、最近では案件が増す一方の国務行政にも携わっているのだから、その疲労は当然と言えた。


 ◇ ◇


 問題の多かったメール勢の次にリンガル人達が来た。彼らは言うまでも無く新郎の縁者であるが、同時にジュエスの家臣達である。

 それがメール人よりも、優先された順番であった事に何人が意味を感じ取ったかは定かではない。少なくともジュエスはそこから"深い意味"を受け取っていた。


 リンガル勢に中での順番は当然だがジュエスが決めていた。彼は出席した家臣達を一度に挨拶に来させた。これは家臣は身分に関係無く差別はしないという思い遣り、の演出であった。

 プロキオン家を初めとするリンガル人はジュエスの勢力基盤そのものである。彼らからの支持を維持し続ける為には折に触れてこういった名君らしさを示して見せる必要があった。


 ――それに今はサーラを守る為の力が必要だ。何時でも使い潰せるように、常に自身を犠牲にしてでも戦い続ける様に"造って"おかねばならない――


 一堂に介したリンガルの家臣達も祝いの言葉を発する順番は決めさせていた。


 最初は父の代から仕える老臣どもからだった。ジュエスは老臣連中に"父代わりの貴方方にどうしても晴れの姿を見て欲しい"と懇願していた。老臣達は泣いて喜び、勇んで王都までやって来ていた。勿論、ジュエスはそんな事は微塵も思っていない。彼らを招いたのは、昔自分を失脚させようとした邪魔者どもを遠くリンガルから呼び寄せて体力を削り、死神の足音を早めさせることにあった。そして老臣連中を排除して息の掛かった若い衆をその後釜に据える為だった。

 その目論見は当たったようで、老臣達は主の前に晴れがましいなからも死人の如くに蒼白な顔を見せた。ジュエスはある面に於いて心からの笑みを浮かべ、彼らが望む言葉を返した。


「貴方達の忠義と助力が無ければ私はここまで来れず、美しい妻を娶ることも出来なかっただろう。今までの誠実な助けには大いに感謝している」


 ――だから早く死ね。もうお前達は要らない。いや、それどころか僕にとって必要であったことなど一度足りともないのだ――


 老臣達は今にも冥界に行きそうな程に安らかな顔をして下がった。まるで今までの人生が報われたかのような安らかさだった。


 次に祝いの言葉を述べたのはリンガル軍の若い将達だった。

 セルギリウス、コンスタンス、フェブリズ、セイオン。いずれもジュエスと共にずっと戦い続けて来た腹心中の腹心だ。


 ――真の忠義者達。僕の可愛い"飼い犬"達。そして、これからは僕と共にサーラを守護する大事な剣にして盾になる者達だ――


 セルギリウスらは簡素な外長衣に、軍務にある事を示す鉄の腕輪や首飾りを身に付けている。王都の華美な衣服は揃えないが、素朴で純粋な身繕いは大変好意が持てた。また鉄の装飾品は丁寧に磨き上げられており、主君にして指揮官への誇りと敬愛の程が見て取れた。こういう細かな気遣いが一々可愛げが在るのだった。


「我が戦友よ! 我が同士よ! 共に喜び、祝ってくれ!」


 ジュエスは立ち上がり、迎え入れる様に両手を広げて言った。

この思いは嘘ではなかった。幾らジュエスでも忠実極まり無い家臣達にはそれなりの情を抱いているし、仮にもサーラを守る盾としての責を共に果たすのだと考えるとその情はより強くなった。

 ジュエスの望外の言葉にセルギリウスらは目を感涙に滲ませながら、誇らしげに胸を張った。鉄の首飾りがきらきらと光を反射する。


「ああ、閣下! 何と言う嬉しい御言葉で御座いましょうか! この世の何よりも閣下と、そして奥方様のお幸せを祝っております!」


 セルギリウスは歓喜に声を震わせている。恐らくはこの晴れ舞台に合わせてしっかりと形式に沿った発言も考えていたのであろうが、突然の喜事に全てぶっ飛んでしまったのだろう。"氷の男"と揶揄される何時もの彼からは想像も出来ない程に感情の波動を放っている。


「閣下! 奥方様! 御結婚、誠に御目出度う御座います! 俺も、あ、私も凄く嬉しいです!」


 コンスタンスがもう辛抱堪らないといった調子で言った。勇猛で直情的な若者である彼らしく飾らない、その分心からの慶びに満ちた言葉だった。顔も満面の笑みを浮かべている。


「閣下。奥方様。御結婚誠に御目出度う御座います。本心から私も慶びを申し上げます」


 フェブリズも純粋な喜びを現し、形式ばった言葉よりも本心からの言葉を選んていた。


「閣下! メールから帰って来るのが間に合って本当に良かったです!」


 セイオンはメールの鎮圧から帰って以降、ずっと暗い表情でいた。ランバルトの鎮圧方法は彼にとっては苦しいものであり、命令とは言え女子供まで剣に掛けさせられた事に苛まれていた。が、今日の出来事で元の若々しい明るさを取り戻したようだった。


 ――正に僕こそが彼にとっては祝福な訳だ。この場に於いては何とも不思議な逆転だな――


「うん。皆の祝辞に勝る祝福は無い。神々の加護でさえ見劣りする」


 ジュエスは老臣どもに見せた嘘の笑顔とは違って心からの笑みを浮かべた。サーラもジュエスと家臣達を見て微笑ましそうに柔らかな表情を湛えている。

 すると、セルギリウスが表情を決意に満ちたものに変え、すっとその場に片膝を突いて跪いた。


「ジュエス閣下。奥方様。今ここに、改めて宣誓致します。私セルギリウスは閣下と奥方様と何れ御生まれになられるでしょう御子様に永久の忠誠を誓います。この身を、この心を、この魂を捧げます。剣として盾として如何様にもお使い下さい」

「私も誓います! 閣下と奥方様と御子様に捧げます!」

「私も宣誓致します」「自分も誓います!」


 続いてコンスタンス、フェブリズ、セイオンも同様に跪き、各々の言葉で忠誠を宣言した。ジュエスはその光景を満足と共に認めた。

 そしてジュエスが口を開こうとしたその時、サーラが言った。


「それは違うわ」


 唐突な言葉にジュエスは彼女が何を言うつもりなのか見当もつかなかったが、少なくとも悪し様に言う事は無いだろうという信頼はあった。サーラの放つ雰囲気は柔らかく、敵対的な色は無かったからだ。


「貴方方が忠誠を誓う相手は私とジュエスの"子供"ではありません。"子供達"です。いいですね?」


 皆は一瞬呆気にとられた。ジュエスもそれが喜ぶべき言葉だと分かっていても、身動きが取れなくなっていた。

 セルギリウス達は少ししてから頭が働き出したのか、再び声を発した。


「そうだ! 奥方様の仰られた通り、我々は永劫に忠義を尽くすのだ!そうであろう!?」

「そうだ! その通り!」「永遠の忠誠を!」


 わいわいとリンガルの家臣達が沸きたつ中、サーラはまたそっとジュエスに耳打ちした。


「だって、貴方の愛も私の愛も、一人分だけじゃ収まらないわ。そうでしょ? 沢山愛してくれるわよね?」


 ジュエスは唯こくこくと首を縦に振って可能な限りの賛意を示すしか出来なかった。顔が熱くなるのが感じられた。

 そして、サーラの方も顔を赤らめ、恥ずかしそうにはにかんだ笑みを見せた。


 ◇ ◇ ◇


 ジュエス縁者のリンガル人を終えた次が漸く"(プリンケプス)"ら大物達の番だった。

 大物枠の中での最初はコーア公フレオンである。何時も通りに茫洋とした印象に残らない中年男の脇には見慣れない青年が侍っていた。赤銅色の髪に隆々とした筋肉、堀の深い顔立ちの精悍な男だった。


 ――フレオンの横にいるとどんな奴でも印象深く見えるものだが、こいつは妙に目を引かれるな。こいつ自体ではなく、あくまでフレオンと一緒に見たときだが――


 フレオンは青年を伴ってジュエスとサーラの前に立った。普通を通り越して何とも印象に残らない声で挨拶の言葉を発した。


「ジュエス公、サーラ姫。此度の御婚姻、誠に目出度い。心から祝福させて頂く」

「そう。誠にありがとう。心から感謝するわ」


 サーラは露骨に嫌そうな顔、露骨に嫌そうな声、露骨に嫌そうな態度で言った。彼女の目は前の男に、さっさと消えろ、と強く語っていた。

 どういう訳かは知らないが、サーラはフレオンの事を酷く嫌っているのだ。ジュエス自身も別にフレオンは好きでは無かったが、徹底した嫌悪と拒絶を示す程ではない。


「ありがとう、フレオン殿。ところで貴殿の横にいる彼は何方かな?」

「彼は息子だ」

「なっ」「えっ」


 ジュエスは驚きを禁じ得なかった。フレオンに子がいることも知らなかったが、それよりも親子があまりに似ていない方が衝撃だった。

 サーラでさえ嫌悪よりも驚愕が勝っているようで、目を見開いて驚きを露にしている。


「フレオン殿に子息がいたとは、申し訳ないが知らなかったな」

「ずっとコーアの領地に留めておったのだ。そろそろ宮廷に出しても良い頃かと思い、丁度良い機会だったのでな。ジュエス公とサーラ姫に挨拶をせよ」

「はい、父上」


 茫洋として印象に残らない父とは違って、子は精悍で輝いており爽やかさすらある。


「お初お目にかかります。ジュエス公、サーラ様。ピュリア家のフレオンが嫡子フライオルで御座います。若輩非才の身で御座いますが王国の為に力及ぶ限りの忠義を尽くします故、どうか御指導御鞭撻の程を宜しくお願い致します」


 このフライオルと名乗った青年は今はまだ若いが経験を積み錬成されていけば、威風堂々とした勇将になるだろうと窺えた。父のように印象に残らない中年とはならないだろう。


「え、ええ……宜しく」

「う、うむ……失礼だが、フレオン殿と随分雰囲気が違うようだが、養子なのか?」

「いえ、我が父の実子に相違ありません」


 フライオルは少しむっとした。その様な感情の動きが見てとれる事もまたフレオンとの似ていなさを覚える一因だった。


「私の子は皆母親似なのだ。フライオルでも八人の子の中で一番私に似ている」

「八人も子がいるのか?」

「嫡子はな。男が五人と女が三人だ。庶子を含めればもう少しいるが」

「そうか……知らなかったな……」


 ――本人の口から直に聞いてもやはり信じられないな。フレオンに子宝に恵まれるという特質があったことも驚きだが、八人もよくこいつの子を産もうと思ったものだ。精力を感じさせないこの男からこれ程多くの子供が生まれること自体に皮肉すら感じる――


「私のことはいいだろう。君達の祝福事なのだからな。この婚儀で君も今や真に王国に欠かせぬ人間となった訳だ。辺境の土豪の頃とは天と地程の差があるな」


 ――"君も"、か? フレオンの言葉は全て穿って聞いてしまう――


 フレオンが話し初めると再びサーラは嫌そうな表情を顔に出した。尤もフレオンの方はどこ吹く風で、録々反応を示すことは無かった。むしろ子のフライオルの方が反感を表していたくらいだった。


 何にしてもフレオンらの挨拶は異質な衝撃を伴って終わった。無事に、とはいかなかったが。


 ◇ ◇


 フレオンの挨拶を終えて次の大物の番となった。サーラは妙に機嫌が良く、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。


「嬉しそうだね。フレオンが終わったから?」

「それもあるけど、次の人が今回の面子で私には一番重要なのよ」

「へえ、ランバルト公以外でそんな人がいるのかい」

「ええ! 本当はもっと来て欲しい人がいたんだけどね。駄目だったから、その次に来てほしい人に来てもらったのよ」


 異様に嬉しそうなサーラの瞳に冷たい輝きがあるのが感じられた。それは勝利を目前にした時のランバルトの瞳に良く似ている。


 ――何かまた騒動が起きる予感がする――


 サーラの瞳を見たジュエスは思った。そしておもむろにサーラは立ち上がり大声で話し始めた。


「今日は多くの来賓が我らの婚儀に出席して頂き、誠に感謝しています! 私の懇願に快く応じて下さった方もおられます! そして今日と言う日を、一層素晴らしい日にしてくださる方がいらしてくださいました!」


 心に浸透する魅惑的な声。嬉々としている為かいつも以上に強く心に響いた。


「さあ、入らして下さいまし! "陛下"!」


 その声と共に広間の扉が開き、一人の女性が入ってきた。

 その女性は幾つもの宝飾品で飾り立てた豪華な外長衣を纏い、黄金の腕輪や首飾りを身に付けていた。広間の各所に置かれた燭台の光を照り返し、身体中がきらきらと光輝いていた。

 しかし、それらを帯びる当の女性は白髪混じりの黒髪に崩れた身体、腫れぼったい顔は皺まみれで疲れはて、見るからに老婆だった。ただ、黒色の瞳だけは何処か"おんな"を残し、広間に入ってきた時からジュエスを悲しげに見ていた。

 ジュエスは予感が当たった事を確信した。


 ――見ない間に随分変わりましたね、"陛下"――


「楽しみにしててって言ったでしょ?」


 そんなジュエスを見てサーラはそっと言った。


「よくお出でくださいました! ファリア太后陛下!」


 そして再び此方へ歩いてくる女性に向けて大声で言った。


「太后陛下!?」「ファリア様がいらしたのか!?」


 太后の入場は広間をざわめきで埋め尽くした。

 王家の人間が家臣の集まりに来ることなど普通はあり得ない事だった。それが例え冠婚葬祭のような大事でもだ。王家から出席者があっても、名代として臣下の誰かが送られるだけだ。王の親類程度でさえ異例であるのに、太后が来るなど尋常な事ではない。


 ――(プリンケプス)家同士の婚儀なのだから王家から名代の一人も来るだろうとは思っていたが、まさか太后を呼びつけるとはな――


 企画者のランバルトは余程今回の婚儀を印象付けたかったのだろう。プロキオン家とアルサ家の家格を強引にでも高めさせ、そして太后すら呼びつけさせる自らの権力を見せつけようとしたのだ。反感を買わない訳は無いだろうが、寧ろ反対派の炙り出しに使う気なのかもしれない。今の状況でこんな遣り方を取るとは、相変わらず強気なことだった。

 尤もそれはランバルトの事情であって、妹のサーラにとってはまた別の事情があるようだった。

 サーラは見るものが見ればぞっとするだろう程に美しく怜悧な笑みを浮かべて太后を迎えた。


「ああ、太后陛下。本当に来て下さったのですね。感謝に絶えません」

「……忠実で大事な家臣達の祝い事ですから、主家として相応の待遇を取ったに過ぎません」

「まあ、流石は太后陛下、謙虚でいらっしゃいます。ファリア様に来て頂いただけでも素晴らしいのですけれど、実を言えばミーリア陛下にも是非ご出席頂きたかったですわ」


 ミーリア、という単語が出た時にファリアは一瞬体がビクリと震えた。


「ミ、ミーリア……女王陛下はどうしても体調が優れず出席は見送りました」

「ええ、この所伏せていらっしゃる事は存じております。残念ですわ。家臣としても、僭越ながら女の友人としても、陛下の御身には私も心を痛めております」

「……貴方の御言葉を聞けば女王陛下もお喜びになるでしょう」

「そうであれば嬉しいのですけれど。"私の言葉"で、ね」


 サーラの笑みは一層強くなっていった。この笑みは人が勝利の美酒を味わう時に現れる笑みを思い起こさせた。


「さあ、ファリア様! わたくしだけでなく、是非、我が夫のジュエスにも何か御声を掛けて下さいまし!」


 サーラは"我が夫"という部分を殊更に強調して言った。客観的に見てこの状況は、太后としてではなく独りの女としてのファリアにとって正しく処刑に等しいだろう。

 その原因であり共犯でも在るジュエスは他人事のようにそう思った。


 ――自分の物に手を出した奴は出した腕ごと切り落とす。この点はランバルトにそっくりだ。流石に兄妹と言うべきか――


 サーラに促されたファリアは縋るような目でジュエスを見た。最後の希望を何時迄も信じて抱き続けている様な目だった。


 ――そんな目で見られても困りますね。僕が貴方を愛した事は一度もないのだから、わざわざ救って上げる気にはなりませんよ。体の貸し借りの分は寝台の上で返したでしょう?――


「ジュエス公……こ、此度のご婚儀、誠に目出度く……王家としても大変喜ばしく感じています」

「ありがとう御座います、陛下。愛する妻サーラ共々王家への忠勤に励む所存でございます」


 自分でも驚くくらいに冷たく突き放す声色だった。

 ファリアの顔が歪みさっと顔から血の気が引くのが傍から見ても良く分かった。すがりついていた最後の希望があっさりと打ち砕かれた瞬間なのだから当然とも言えた。


 ――失意の王族といえば、彼奴はどうなった。この所忙しくて放ったらかしにしていたが――


「ところで最近見かけておりませんが、ブリアン殿下はどうしておいでですか? 郊外の邸宅へおられる事は伺っておりますが」

「ブ、ブリアンは……元気です。問題ありません」


 ファリアは泣きそうな目を逸らし答えた。ジュエスはその反応に何処か違和感を感じた。ブリアンの嘗ての忠臣であるウッド家のパウルスの方をチラリと見たが、彼は特に反応を示していなかった。


 ――息子の事は聞かれたくない、か。それだけではない様にも感じるが、気のせいか。まあ、負け犬の動向などもうどうでもいいか――


 祝辞を終えたファリアは来た時よりもどこか小さくなって退出した。ファリアが出て行くまでずっとサーラは満足気な表情を湛えていた。


 ◇ ◇


 太后ファリアを代表とするロラン王家の祝辞が終わった。後に残るのは唯一人である。

 広間の貴族達は気付いているのか、それとも気付いても反応しないようにしているのかは分からないが不思議と沈黙を保っている。


 ――王家よりも後にいる時点で本来ならとんでも無い事なのだが。リンガルとメールの順番の時とは違ってこちらは言い訳が効かないぞ――


 宰相にして王国軍総司令官、メール公ランバルトは刈り揃えられた顎鬚と肩口までの髪は黄金の如くに輝き、瞳は何かを面白がるような光と全てを支配する絶体の冷たさを再び取り戻していた。

 ランバルトは隆々とした頑健な肉体の上に純白の長外衣(ヒマティオン)を纏っている。他には一切の装飾品は身に帯びていないが、華美に着飾る緒貴族と比べても些かも見劣りしない。とは言え問題は美しさではなく、その格好自体にあった。

 その出で立ちの彼が改めて人々の前に現れると一同に緊張が走った。


 ――純白の長外衣(ヒマティオン)。ロラン王家の後にこの服を来て現れるのがどういう意味なのかを分からない奴がこの場に何人居ることか――


 只管に堂々と何も恐れずにランバルトは二人の前まで来た。彼らの間には一々形式ばった婚姻の祝辞などは交わされなかった。


「よくお似合いですわ、お兄様」

「ふん、そうか。まあ、まだ足りん"もの"があるがな」


 サーラも兄も目には良く似た、面白がるような光を湛えていた。兄妹である以上仕方はないが、互いに目を合わせるだけで何事かを通じあっている様子に少々の嫉妬を感じた。

 そして、ランバルトはその目をジュエスに向けた。


「ジュエス公。これからの事、分かっておろうな」

「勿論です。分からぬ者がおりましょうや?」

「皮肉のつもりか?」


 ランバルトは珍しくふっと軽く笑った。これからの道の険峻さからすれば余りにも緩んだ表情だった。


「そろそろ取りに行くぞ。"これ"をな」


 ランバルトはジュエス達にだけ見えるように自分の頭を指さした。

 ジュエスの位置からだと燭台の光がランバルトの頭に重なり、まるで彼の頭に金色の王冠が被さっているように見えた。



 ◆ ◆ ◆


 お読み下さり本当に有難う御座います。

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