『凶報・一 スレイン方面』
王都のランバルトの下に凶報が舞い込んだ。クラウリム公ハウゼンの死とメール地方の反乱である。
司令官ハウゼンの急死によりスレイン方面軍は混乱を来していた。副将達の主導権争いが原因だった。
スレイン方面軍には三人の副将がいた。古参の腹心平民出身のダロス、ハウゼンの従弟バトラス家のガーランド、マシュ家のアルメックである。
ダロスは主君ハウゼンの薫陶篤く、王土の平和への希求が強かった。対してガーランドはハウゼンの後継者の立場を獲得しようとし、アルメックは自身の立場を強化する基盤を欲していた。
平和を導く為に戦おうとするダロスと他の二人の間には深刻な溝が穿たれていた。
副将達は互いに対立しあっていた。皆有能な軍人であるが、対立し合ってはその力量を十分には発揮出来ない。個人の政治的な欲求は集団の軍事的な必要性を無視しうるのだった。
ランバルトはアルサ家の宿将オーレンを新たな司令官として赴任させることを決めた。オーレンは優れた将軍で、十分な老練さを持つ指導者だった。
新司令官の任命をガーランドとアルメックは懸念を示したが、ダロスは賛意を示し結局は従容とせざるを得なくなった。
オーレンはバレッタ方面軍の指揮官であったが、バレッタ方面へは侵攻を取り止め軍も別方面へ転用させることとなった。この時期のディリオン軍は危機に直面し、再びの再編を必要としていた。
オーレンはメール兵2千を率いてスレイン方面軍2万3千と合流し指揮を執った。スレイン公フレデールは劣勢とは言え依然勢力を保っており、戦いは新たな局面へと進んでいくのであった。
新暦661年11月、オーレンは進軍を始め、公都ロディへ向った。
オーレンは副将陣を纏め上げ、引き継いだ軍を見事に統率した。長い軍隊経験の中で培った指揮能力は堅実且つ着実で、個人の武勇にも長けており、勇猛果敢な戦いぶりや兵と共に戦う姿勢は直ぐにも兵達の信頼を勝ち得た。
対するフレデール率いるスレイン軍は名を馳せたハウゼン公の死を振れ回り、再びスレイン諸貴族を味方に引き込みつつあった。
スレイン諸貴族の日和見を早期に抑えたいオーレンと今の気勢のまま勝利を掴みたいフレデールは双方ともに戦いを希求し、総勢2万3千のディリオン軍に対しスレイン軍は2万の兵を揃え、公都ロディ南の庄村グルム近郊で激突した。
スレイン軍との戦いは宿将には人生の転機となる。それが良い転機となるか悪しき転機となるかはまだ誰も知らない―――
◆ ◆ ◆
【新暦661年11月 グルム近郊 将軍オーレン】
「前進!!」
オーレンが大声で命令を下すと進軍の角笛が吹き鳴らされる。歩き始めた兵士達の足音や鬨の声も角笛の甲高い音色は覆い隠すことは出来ない。
ハルーーーーーーーーー!
ハルーーーーーーーーー!
ハルーーーーーーーーー!
角笛の音は戦場を駆け巡り、反対側のスレイン軍からも同じ角笛が吹き鳴らされた。
ハルーーーーーーーーー!
ハルーーーーーーーーー!
前方に並び立つスレイン軍の兵士達も歩みを進める。彼らの立てた砂煙がもうもうと巻き上がった。
オーレンはスレイン軍を睨みながら兵達と共に歩き始めた。オーレンは馬に乗らずに徒歩で兵と戦う事を好んだ。
身に帯びる鎧は古いながらも良く手入れされ、兜も盾も持ち主に似て重厚さに溢れていた。引き抜いた剣は陽光を反射して猛々しい輝きを放っている。
――この戦いは何より私にとって重要だ。そうだ、サーラ様の為に先ず勝利しなくてはならない戦いだ。サーラ様をあの下衆の手から救い出すために!――
剣を持つ手に自然と力が入る。
――私は自分が許せない。あの方に近付く悪人共を追い払いきれなかった。よりによってあのジュエスを近づけさせてしまうなんて! 何故、ランバルト様は下劣な暴挙に黙しておられるのだ!――
燃え立つ憤怒は今やオーレンの心一杯に盛り、身をも焼き焦がそうとしていた。
――サーラ様をお救いするにはジュエスを潰さなくてはならない。その為にも"私の"力、"私の"勢力が必要だ。ハウゼン公には申し訳ないが、彼がこの時期に死に、私に後釜が回ってきたことは幸運だった。スレインを平定すれば、その勲功からランバルト様も私に大きな領地を与えなければならない。上手くすればスレイン地方が丸々手に入るだろう。バレッタではヒュノーも公の遺児もいる以上、ここ程上手くは行かない――
戦いの前には無心にならねばならない。しかし、今は想いが寧ろ戦意が沸き立たたせ、力を漲らせていた。
――そして荒れ果てたモアとアイセンの復興に手を貸せば、両地域の民から支持を得られる。それに死んだハウゼンの領地を巡ってクラウリムでは争いが起きる。ダロスでもガーランドでもいいが、どちらかに協力すれば新たなクラウリム勢も味方に付けられる筈だ。メールの私の領地は心配ではあるが、残してある甥のコロッリオならば反乱に加担するような真似はせん――
オーレンは今までにない強い決心―それは"欲望"と言われる想い―を胸中に浸透させた。
――スレイン、モア、アイセン、そしてクラウリム。これだけの勢力があればランバルト様も私を無視出来ない。リンガル勢など居なくなっても私さえいれば王土を守る事も出来ると理解なされるだろう。そして……そして、サーラ様を……――
オーレンは眼前の敵軍に目を向けた。
武具を身に纏ったメールの重装歩兵が緊密な方陣を築き、一分の乱れもなく戦列を作り上げていた。その左翼の向こう側にはクラウリム兵が戦陣を形成して同様に立ち並んでいるが、少しずつ戦列が後ろにずれていて全体的には斜線を描いている。
――これでスレイン軍は選択に迫られる。此方の精鋭部隊に全力を注ぎ込むか、左翼部隊にも対処する為に部隊を置くか、を決め無くてはならない――
対するスレイン軍は左翼部隊だけが此方へ向って転進し、中央と右翼はそのまま前進した。無数の足音は地を揺らし、空に太鼓の如き音で満たさせた。
両軍の兵士が近づいていく。互いの戦いの意思と殺意の渦が近付くごとに密度を増していく。
剣や槍や弓矢など鋼に憎悪は形を変え、敵の肉を切り裂いて命を奪うべく、今か今かと待ち構えている。
「駆け足!!」
オーレンが再び命じるとメール兵は重装の武具を身にまとっているとは思えない速さで走った。素早い機動は突然の出来事に困惑するスレイン軍の側面にあっという間に回り込む事を可能にした。
スレイン軍左翼は前面にクラウリム軍、側面にメール兵と対峙し更なる選択を迫られる事になった。
しかし、彼らに対応を選択する時間の余地は与えられなかった。
「突撃!!」
命令を叫ぶや否やオーレンとメール兵はスレイン軍の側面に猛烈な突撃を仕掛けた。穂先を揃え、盾を重ねあわせて兵士達は鋼の巨大な拳を叩きつけた。
メール兵の数は二千程度だが一塊となった彼らの突撃は強烈で、くろがねの怒濤はスレイン軍の勇士も民兵もまるで葦茎に刃を入れるかの様に切り裂いていった。
オーレンも歩兵達と同様に戦い、剣を振るった。
混乱に陥るスレイン軍の中でも勇敢に反撃して来た兵はいた。馬から振り落とされたらしい若い勇士が剣で斬りつけてくる。オーレンは敵の刃を盾で受け止め、押し返した。
オーレンは若い盛りはとうに過ぎているが依然として勇猛果敢な戦士だった。
――私は戦える。私は戦う。私は戦っていくのだ! 彼女のために!――
互いの剣戟が交差し鈍い金属音が鳴り響く。若さのままに勇士は斬りつけるがオーレンの熟練の技の前に見る見る内に追い詰められていく。
数合の斬り合いの末、オーレンは敵の剣を持つ手を切り落として戦力を奪った。
「ううっ……ま、待ってくれ、降伏する……」
腕の切り株を押さえてその場に跪き勇士が命乞いをした。兜の下から覗く瞳は若々しい緑の色をしていた。
――"奴"の目も緑だったな――
若い勇士の目は恐怖に満ちていた。哀れみを乞う弱々しい目だった。
オーレンはその目に憎い"彼奴"を重ねあわせながら、首を刎ね飛ばした。
――彼奴も必ずこうしてやる――
◆ ◆ ◆
少数ながらメール軍の機動力を活かしたオーレンの指揮によりディリオン軍は危なげなく勝利を手にした。ダロス、ガーランド、アルメックら三人の副将もオーレンの期待に十二分に応え、勝利に貢献した。
敗れたスレイン軍は後退し、フレデール公は公都ロディへ逃げ延びた。
オーレンはフレデールを追撃し彼の篭もるロディを包囲した。兵士の配備された城壁の突破は容易ではなく、冬季では尚更だった。更にスレイン軍の残党が背後から遊撃戦を仕掛け補給戦の遮断に出て来た為、一層の困難を伴った。
オーレンは不退転の決意と堅実な作戦指揮を以って包囲を続けた。その間にもスレイン諸貴族に再度の調略を行った。
新暦662年4月、背後を固めたオーレンはロディ攻囲を本格的に進め、遂に攻略に成功した。追い詰められたフレデール公は降伏勧告を拒絶し自害した。フレデールにも汚名の更なる恥辱の上塗りには耐えられなかったのだろう。
公都ロディを攻略したオーレンは態勢を整えるとスレイン地方全域の平定に着手した。
南の主要都市アスコンカ一帯では予想外の苦戦を強いられた。地の利を駆使した遊撃戦によりディリオン軍は被害を出していた。
しかし、やはり勢力の差は覆し難く、王家に降ったスレイン貴族らの協力と調略で徐々にディリオン軍が優勢になっていった。
8月には籠城するアスコンカ勢の頑健な抵抗をねじ伏せて陥落させた。生き残りは降伏し、オーレンはその全てを受け入れた。
新暦662年11月、オーレンはモア地方とアイセン島へ入った。スレイン軍残党を蹴散らし、荒れ果てた両地域を復興するためである。
両地域は多くが文字通りに破壊されており、徹底的な略奪の嵐に見舞われ、視るも無残な荒れ地だけが後に残されていた。
オーレンはスレイン攻略で手に入れた財貨に私財も加えてモア・アイセンの復興に尽力した。例えそれが善意に依るものでなかったとしてもモア・アイセン人はオーレンに強く感謝し、彼への支持を表明した。
オーレンは彼自身を支持する勢力を獲得した。この事実は後の歴史に少なからぬ影響を齎すこととなる。
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