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ディリオン群雄伝~王国の興亡~ (修正版)  作者: Rima
第一部 第二章『再生』
15/46

『次の戦争の為に』 ※挿絵

 新暦661年4月、ディリオン王国は王土平定に向け再び行動を開始した。全てはメール公ランバルトの主導によるものである。

 ランバルトは総司令官(インペラトール)の立場はそのままに宰相プレフェクトス・スペリオルを兼務することとなった。軍政両面の最高位としての立場を追認するものであり、これ程の権力を王家以外の貴族が保有したことはディリオン王国の歴史上でも稀な出来事であった。


 正式に全権を獲得したランバルトは占領地の差配をしつつ、残る反乱諸侯に降伏を呼びかけた。退路を示して弱体化させると同時に裏切りと不信の毒を送り込む策でもあった。



 先ず反応したのはバレッタのヒュノーだった。王都での敗北以後、彼のバレッタへの掌握力は急速に失墜していた。

 元々、将才を拠り所としていたヒュノーの権威は敗戦で大きく傷つけられ、またハルト系兵士の大半が投降した事で後ろ盾となる個人的な軍事力も著しく減少していたので、余所者に過ぎない彼を排除しようとする動きが出るのも宜なる事であった。

 その為、ヒュノーは状況を打開すべく王命による降伏を受け入れたのであった。新たに王権を後ろ盾としてバレッタの平穏を維持しようと考えていた。


 尤もそれはヒュノーの都合であってバレッタ諸貴族には単なる変節でしかなく、彼への反感を爆発させることとなった。



 次にスレイン公が反応を示した。これ迄の無関心から一転して反応したのは、降伏勧告がつまりはモア・アイセンへの攻撃停止命令であるからだった。依然として両地域への復讐心に駆られているスレイン公フレデールは明確な拒否という形で反応したのだった。

 この時点ではまだフレデールは征服地と戦利品の没収を恐れるスレイン諸貴族から支持を得ており、強気に出る事が出来ていた。

 しかし、それもランバルトが代替としてスレイン公直轄領を割り当てると呈示するまでの間だけであった。鞍替えする貴族は後を絶たず、フレデールは一転して窮地へと追い込まれる事となる。



 そしてレグニットであるが、ガムランの死後は公の陪臣と独立都市(ムニチピウム)達で割拠状態にあった。幾つかの勢力は優位を得る為に帰順したが、多くは王命を無視し続けていた。

 ランバルトは離れたレグニットには積極的な調略は行わず、当面は互いに消耗させるだけで十分であると考えていた。



 状況を整理したランバルトは旧国王軍(ドミニオン)を中心に再編した軍を平定の為に各地へ派遣した。

 ランバルトは親衛隊(ヒュパスピスタイ)と共に王都に駐留し、全軍を監督しつつ内政を同時並行で行っていた。


 スレイン地方へはハウゼン公が派遣され、クラウリム軍を中核に総勢2万5千の兵力を指揮下に擁していた。またダロス、ガーランド、アルメックらが戦闘部隊の指揮を執る事となった。


 バレッタ地方にはメール兵5千5百人を主力に総数2万人の兵が送られ、宿将オーレンが指揮を執った。アルサ家の古参家臣も配され、安定した戦力発揮が見込める集団となった。


 最も重要なライトリム地方へはジュエス公が派遣された。リンガル軍1万4千、メール兵2千8百、コルウス族1千5百からなるライトリム方面軍は現在のディリオン王国軍に於ける最強戦力であり、この軍勢を任せられたジュエスの重用ぶりが伺えた。


 そして、これらの主力軍をハルマナスやフレオンが後方から支えていた。特にハルマナスの実力は折り紙つきであり、軍の規模か拡大し続けても、彼ある限り兵站面に於いて心配は不要だった。


 ランバルトが内政に於いて最も重用していたのはフレオンである。

 人心掌握術と管理能力を認め、内政に用いていた。その実力は国政でも十分に発揮されており、早くもハルト貴族の従属に成功している。

 ランバルトはジュエスとフレオンを自政権の両輪と考えており、それはフレオンを正式にコーア公に任命させた事からも明らかであった。




 また、王都奪還と共に港湾都市ストラストも獲得しており、同市に駐留する艦隊も手に入れていた。

 ランバルトは今後の戦争を鑑みて艦隊を拡張する事を決めていた。特に強力な艦隊を保有するメガリス王国と対決する為に必要であると考えていた。

 元々ディリオン王国は海軍力が弱く、その点に於いてはメガリス王国の後塵を拝していた。

 これまでも海軍を拡張しようという動きはあったのだが、資金と戦略という二つの理由から推進されることが無かった。艦隊編成には膨大な費用が掛かるのだ。

 しかし、今やランバルトの主導するディリオン王国は全国に支配力を及ぼし、資金・物資・人員を掻き集めることも可能であった。

 ランバルトはザーレディン家のテレックに艦隊を指揮を委ねた。若手の将ではあるが、冷静で適応力の高さを見込んでの抜擢である。とは言え、一朝一夕で艦隊の建造・編成が出来るわけでは無いのだか。



 (プリンケプス)に限らず、諸貴族は戦争や国務と自領管理を同時に行っている。ランバルトもまたと王都での激務をこなしながらアルサ家当主としてメール地方の統治に携わっていた。

 この時期、自身の代理としていたのは叔父ポルトスであった。ポルトスは昔気質な勇士であり、法令より仁義や情を優先させる傾向があった。

 ランバルトは自らの定めた規則を無視するが如きポルトスの統治に怒っていたが、仮にも血縁であるポルトスを排斥するまでには至らず、中央での活動が忙しい事もあり譴責処分で済ませていた。

 ポルトスも不満を募らせながらもランバルトに従っていた。現状では圧倒的なランバルトに逆らってもどうすることも出来ないと判断していた。




 その他話題に上る価値のある変化としてアッシュ家のロンドリクが急死した。

 見るからに不健康なロンドリクの死を不審に思う者は極々僅かであった。死後、領土は大甥が継ぎ、ウッド家のパウルスが後見人となり領地を差配することとなった。

 この時、パウルスはランバルトとミーリアに許しを請うていたランバルトもパウルスの動きには特に問題を覚えず、謝罪を受け入れた。

 また、獲得するアッシュ家とウッド家を合わせても脅威にはならないと判断しており、先の後見人の件を容易に認めたのもその為であった。

 とは言え、次の戦争への準備に追われる王都に於いては些細な出来事でしか無く、直ぐに忘れ去られていった。


 ◇ ◇ 


挿絵(By みてみん)



挿絵(By みてみん)


 ◇ ◇ 


 王都攻防戦以降、同盟軍は一転して守勢へと立たされていた。劣勢の同盟軍は共同活動するだけの精神的余裕も無くなり、個々の勢力毎にディリオン軍の反撃に対応していた。

 彼らは勝ち取る為ではなく生き残る為の戦う事となった。



 ヒュノーは敗戦で戦力が大きく減ぜられることとなった。

 バレッタへ帰還しても彼の前途は明るいとは言えなかった。バレッタ諸貴族は敗戦でヒュノーへのそれまでの支持を取り下げつつあった。未だバレッタを荒らす賊徒集団への対処を戦力不足を理由に無視し始めたことも理由の一つにあった。

 だが、ヒュノーとバレッタ貴族との亀裂が致命的となったのは、降伏勧告を受け入れた時であった。


 ヒュノーには降伏受諾は権力と平和に同時に有益であった。だがバレッタ貴族でこの選択を単なる変節と捉える者も少なくなく、彼らは各地でヒュノーに反旗を翻した。

 ヒュノーも王への降伏を決めた以上、融和的な態度を示す訳にもいかず、減少した兵で鎮圧に向かわざるを得なかった。質量共に今までより大幅に劣る軍を率いての戦いにはヒュノーも苦戦を強いられ、彼の武功に再び土を付ける事となる。

 この時点ではまだヒュノー支持の貴族は居り、ディリオン軍の来援を期待することも出来た。

 だが賊徒集団への対処は尚更疎かとなり、略奪と戦乱に見舞われたバレッタは一層混沌とした状況へと転がり込んでいった。




 弱者は何時の世も強者の獲物でしか無い。弱者を救済するものなど何処にも居はしない。そして、無力な平民は獲物を貪る側に回るべく同胞を売り、仲間を欺いた―――






 ◆ ◆ ◆ 


【新暦661年5月 辺境の村 賊徒ロック】




 朝日が差し込む小屋の中は雑然と衣類や陶器が散乱し、人の体臭や酒、食物、煙の臭いが充満している。中央には消えかかった燠が僅かに赤く光り、その脇には毛皮に包まった男女が寝そべっている。何方も毛皮の下は一糸まとわぬ裸体だ。


 そして男――ロックは頭痛に悩まされながら目を覚ました。葡萄酒をしこたま飲んだ翌朝は何時もこの苦しみを味合わされる。酒の齎す地獄から抜け出すにはまた酒を飲むのが一番だった。


「酒だ! 酒を持って来い!」


 毛皮に包まり寝そべったまま大声で命令する。自分の声が痛む頭に響き、苛つきを覚える。すぐ隣で女がパッと飛び起き、体を覆う事もせず慌てて酒瓶を取りに走る。


「は、はい。お酒です」


 女は怯えた様子で酒瓶を渡す。女の体にも顔にも傷や痣が幾つも有り、手酷い扱いを受けていることが見て取れる。口調もどこか辿々しく、心にも傷を負ったのだろう事が伺える。

 ロックは酒を受け取ると一気に飲み干し、空にした。悪酔いの頭痛が取れる程の量ではなく、まだまだ足りなかった。


「足りんぞ。もっと持ってこい」

「で、でも、もうお酒はありません。さ、最後の瓶です」

「チッ!」

 

 苛つきのまま空になった酒瓶を壁に投げつける。叩き付けられた瓶が割れる音で女がビクッと身を震わせる。女は身を竦ませたまま立ち尽くしている。ロックの勘気には抵抗しない事が最善だと分かっているのだ。

 だが酔いと頭痛で苛つくロックには彼女がどんな反応を示そうと気に障り、癇癪を起こすに十分だった。

 ロックは立ち上がり、女に近づくと頬を張った。乾いた音がいつも通り小屋中に響き渡る。


「何時まで突っ立ってやがる。酒が無いのならさっさと新しいのを探して来い、ピラ!」


 女――ピラは暴力を振るわれてももう涙を流すことは無かった。出来なくなったというべきかもしれない。怯え、従い、受け入れる以外の感情はロックにより壊されてしまったのだから。


「は、はい。ごめんなさい。さ、探しに行きます」


 謝りの言葉だけは言い慣れて流暢に言うと、ピラは粗織の布を被って肌を隠すと急いで小屋から外へ出て行った。

 ロックは頭痛を和らげようと米噛みを押さえながら近くに打ち捨てられていた衣服を身につけ椅子に座り込んだ。せめて水でも飲もうかと思ったが億劫になり結局ぼうっと座り続けていた。

 ふと何の気なしに周りを見回した。村の外れにある小屋、あの日ピラから問われた小屋を今ロックは住居としている。

 但し、嘗てそうであったように村の一員としてではない。

 ロックは村を占領し支配する山賊集団の一人として居座っている。


 そして、ここに至るまでの昔の出来事を思い出していた。



 ◇ ◇


 半年前、ロックはバレッタ軍の一人として王都を包囲する国王軍(ドミニオン)と戦いに向かった。指揮官連中の話ではハルト地方の領土が獲りたい放題の美味しい戦いとのことであった。ロックもそんな楽観的な話を信じたわけではなかったが、戦利品には少なからず期待を寄せていた。以前も王都で戦った時も多くの戦利品を得ることが出来た。こんな戦続きの世の中ではそれくらいしか楽しみなど見出だせなかった。

 しかし、結果から言えばバレッタ軍は敗れた。他の同盟軍共々散々に打ち破られてしまった。

 再び死ぬ寸前まで追い詰められたロックは勿論、恥も外聞も無く味方を見捨てて逃げ出した。新しく出来た戦友も、命を助けられた恩人も何もかも捨てて逃亡した。亡きボーマンの恨めしい視線ももうどうでも良くなっていた。

 

 幸運にも今回もまた追撃の手を逃れ無傷で生き延びる事が出来たロックだったが、最早軍隊へ復帰する気にはならなかった。

 過酷な戦場と生死の賭かった修羅場の中で、やはり自分の命以上に大事なものなど無いと改めて認識したのだった。軍隊などに所属して顔も知らないお偉方の為に危険に飛び込むなど愚かな事だと分かったのだ。

 その後、取り敢えず故郷へ戻ろうと東へ向かった。道中の盗みや強奪や殺しもすっかり手慣れて抵抗が無くなってしまい、日常のこととなっていった。巡回の兵士や自警隊の目を逃れつつ故郷へ向かった。

 尤も、故郷へ帰り着いたとしてどうなるものか、同胞に再び受け入れられたとしても、居心地はきっと前より悪いだろうとも思っていた。ただ他に行く場所も無く漫然と動いていた。

 

 そして山賊紛いの事をしつつ故郷へ旅していた最中、彼らに出会ったのだった。彼らとは言うまでもなく、今ロックが属している賊徒集団の事だ。

 最初は追い剥ぎの獲物として賊徒連中に捕まったのだが、幸か不幸か、その賊徒集団の長はあの古参兵のヨドだった。身ぐるみは剥がされたが昔馴染みの誼で生きて解放された。だがロックは解放されても逃げ去るどころか山賊集団への参加を決めた。


 戦での事もそうだったが、今回の追い剥ぎでも思い知らされた。


 "世の中は貪る者と貪られる者に分かれている”と。

 "貪られたくなければ貪る側に回るしか無い”と。


 ヨド一味への加入は呆気無い程簡単に受け入れられた。

 彼の執念が賊徒に伝わったのか、ロック自身が戦闘経験のある古参兵である事が効いたのか、それとも今日び賊徒へ身を投じる者など別に珍しくもないのかは分からないが、兎に角ロックは山賊紛いから山賊へと転ずる事となった。一味に加わっても剥がされた財産は返却されなかったが。


 その時から続く山賊団の一人として略奪と殺生を行う日々。だが今までの自らにとって無意味な貪られる為の戦いより遥かに活力に満ちた毎日だった。

 ヨドの山賊団は三十人程でヨドを初めとする古参兵や脱走兵も数名いるが大半は戦争や飢えで死ぬより犯罪に手を染める道を選んだ農民だった。殺すことも奪うことも躊躇なく行え、戦闘経験もあるロックは山賊団では重宝された。

 次第に一味の中での地位を高めていったロックは更なる上昇を求めた。自身の価値を高める最大の近道は組織に利益を齎してやることだ。


 最も手早く利益を与える為に、ロックは故郷を売った。

 故郷の同胞を騙し、山賊団を手引きして村を占領したのだった。


 心は大して痛まなかった。

 村を捨てたロックが再び帰ってきても今更嬉しがる者などいず、皆迷惑そうな表情を隠そうともしなかったし、唯一喜んでくれそうだった両親もいつの間にか死んでおり、家族はいなくなっていた。ロックの姿を見たピラは複雑な顔で、会うの避けていた。

 少なからず土壇場で躊躇してしまうのではないかと恐れていたが、彼らの表情と態度を見ると、"こいつら村人がどうなろうとも、もうどうでも良い”という思いが勝った。

 ロックの手引きによるヨド達の襲撃を受けた村人は碌な抵抗もできずになすがままとなった。元々戦争の所為で村に残った男手が少なく、女子供と老人しかいなかったので戦いにすらならなかった。

 

 そして、運命を握っている側であるロック達は村の備蓄品を食い潰し、時折周辺地域の略奪に赴きながら冬を越し、今に至っていた。


 ◇ ◇ 



 物思いに耽っていたロックだったが、次第に頭痛と苛つきが再び勢いを増し、現実へと引き戻された。足元にあった食器の残骸を蹴飛ばし、机を叩いて気を紛らわせる。

 そうしている内に小屋の扉が開き、酒壺を抱えたピラが帰ってきた。大急ぎで探してきたのか息は荒く、身を包む粗織の布に泥が付いている。


「お、お酒です。も、持ってきました」


 ロックは差し出された酒壺を毟り取ると喉を鳴らしながら飲んだ。不味い安酒だが頭痛を紛らわせるには十分だった。

 苛つきが多少収まるとロックはピラに近づいて頬を張った。


「遅い! さっさと持ってこい!」

「は、はい……ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 支配者の怒気をぶつけられたピラはその場に蹲り、延々と謝罪を繰り返していた。彼女の涙は枯れ果て、一筋も流れない。


「ちっ! 役立たずが」


 ロックは彼女を見下ろしながら何とも言えない満足感に浸っていた。同胞に暴力を振るってもか弱い女性を蹂躙しても、僅かも心は痛まず少しの躊躇も無かった。

 それどころか自身が支配する側、傷つける側、貪る側へと回ったと感じられる至高の悦びさえ存在していた。

 そして、蹲り続けるピラを無視して外衣を羽織るとロックは酒を飲みながら小屋を出た。無論、剣も帯びている。幾ら支配し占領していると言っても、何時寝首を書かれても可怪しくはない。


 朝どころかもう昼過ぎになっていたらしく、小屋の外は日の光が燦々と照らしている。季節も春も半ばを過ぎ、温かい大気が満ちている。

 村の中は小屋と同じく雑然と物が散り、傷つき生気を失った女達が覚束ない手つきで手工業や織物に従事している。仲間の山賊連中は何人かで集まり、酒を煽り下衆な冗談を言い合っている。


 それらの場面を眺めていると何時もロックは人生の充足を覚える。他者の人生を踏み躙り、握り潰し、弄ぶ。そんな非道を好き放題に行える立場にある事を実感出来る。

 そして、この実感を得てからというものボーマンは現れなくなった。誰を傷つけ、見捨てても彼の存在を感じる事は無くなった。


 ロックはこれからもこの充足を味わい貪り続ける為ならどんな事でもするだろう、名誉も友情も愛も何を売ってでもしがみつき続けるだろう、と強く思った。

 


 ◆ ◆ ◆ 





 怒りと憎しみのままモア・アイセン地方攻撃に熱中していたスレイン公フレデールは誰が中央政権を獲得するかには一切の興味を持っていなかった。

 それ故に降伏勧告にも前向き、と言うよりは特段の拒絶は示さなかった。しかし、降伏勧告がモア・アイセンへの攻撃停止命令も含むと知るや態度を一変させ、停止命令を撤回しない限り戦いも辞さないとの声明すら発していた。

 フレデールが蛮勇を示せていたのはまだスレイン諸貴族から支持を得ていたからであった。彼らは手に入れた占領地や戦利品を手放したくなかったのだ。


 だが、補填をスレイン公の財産から行うとの布告が届くやスレイン諸貴族の多くが離反を決め、主家スレイン公と対立した。主に似て家臣もまた褒章さえあれば主君がどうなろうと一向に構わなかった。

 フレデールは兵を撤収させ、味方貴族を掻き集め防戦を準備した。本末転倒な戦略であるが、フレデールの能力や性格の限界を示す好例と言えた。

 既に彼には優位と呼べる要素はなく、この後も劣勢に追い込まれ続けるだろう事は確実であった。



 ◇ ◇ 



 各勢力が割拠するレグニット地方では、公都ガルナは家臣筋であるプリムス家のエナンドルが占拠し、追い出されたガムランの子ガムローはフォン市に拠った。また、べリアーノ、カゼルタ、トラヴォら独立都市(ムニチピウム)は古の流儀に従った統治を始めていた。

 ライトリム公の支配下にあった東のサンボールはメガリス王国支配によって引き続き外勢力に収められることとなった。

 レグニット諸勢力の中では公都ガルナを抑えるエナンドルと大港湾都市トラヴォがで頭一つ抜けていた。何れもレグニット地方の枢要都市であり、他の都市より戦力面でも優位にあった。


 レグニット人は互いに狭視野な同盟と対立を繰り返し、二大王国への従属も覇権争いの一環でしか無かった。



 ◇ ◇ 



 メガリス軍はライトリム軍残党と共にアンニー首長エルベドに率いられて公都サフィウムまで撤退した。まだ兵力を保っており、ライトリム地方の制圧を維持するだけの力があった。


 ベンテス公、公子、更に主要家臣も失ったライトリム諸貴族は主導者を欠き、メガリス軍に唯々諾々と従わざるを得なかった。また、ライトリム諸貴族にとっても勝ち馬が何方の王国なのかが明確で無い以上、現状維持の意識が働き、メガリス王国への従属を継続していた。


 メガリス軍はエルベド首長のライトリム隊とマクーン首長オルファンのフェルリア隊のみで、戦力の過半は現地兵であった。またエルベドもオルファンも同格であり、指揮系統に乱れがあった。

 メガリス王サリアンは兵力の補充と指揮系統の統一を図り援軍を派遣した。援軍の指揮官で、ディリオン方面軍の司令官とも為る人物には彼の弟セファロスが任命された。

 王弟セファロスは先の南方蛮族撃退でも大功があり、その用兵の実力は確たるものがあった。だが、サリアンとセファロスの兄弟仲は非常に悪く、今回の派遣も辺境の前線へ送り込み、あわよくば戦死を期待する目論見があった。




 神々は世界の運命を握っているにも関わらず、気紛れで移り気し易いもの。天才や英雄が現れるか否かも所詮は神々の掌上の出来事でしか無い。

 そして、南の首長は自陣にも天性の才人が存在することを知る―――





 ◆ ◆ ◆ 


【新暦661年4月 公都ウォルマー 首長オルファン】




 ウォルマー郊外の野営地に続々と兵達が入場していく。メガリス王に遣わされた本国からの援軍で、総数は二万人にも達するだろう。皆戦意に満ち溢れた目をし、行軍の疲れも見せていない壮健な戦士だ。


「兵は野営地へ入れ。士官は宿営の準備を整えさせろ。指揮官達は設営が終わり次第報告に出頭せよ」


 マクーン氏族の首長オルファンは市外で援軍の受け入れを指揮していた。オルファンはもう一人の首長エルベドが戦地へ向った為にフェルリア地方統治を任されていた。

 この花崗岩を思わせる風格の三十歳の男は後方へ残されたと言っても武人として劣っている訳ではない。指揮官としても一人の戦士としても十分な力量を保っている。

 冷静な判断力と戦場での勇敢さで国内でも知られており、先の南方蛮族との戦いでも活躍している。また三十歳の若さで大氏族の首長を担っている事からも分かる通り、人を操る術や調整力・交渉力も備えている。


 ――援軍は有り難いが中途半端な数だ。この状況で攻めこむには足りないし、守るには多い――


 大半はメガリス王国軍に典型的な軽装剣士だが、一部には槍と腰蓑を身につけただけの南方部族も混じっている。先の戦争で敗れた南方部族を捕虜兼捨て駒として集め、部隊を編成させているのだ。

 そして、援軍の中に明らかに統率が執れ、隊列が整った兵士達がいた。彼らは武装こそ他の兵士と同様に軽装ではあったが、動きは他と一線を画していた。

 メガリス兵は個々の戦士の力を重視する一方で集団行動を苦手とする面があったが、この兵士達は訓練が行き届き、服従心も養われている様子であった。


 ――驚いたな。あれはサリアン王の精鋭部隊だ。王が手勢まで送り込んで来ているとは。本腰を入れるつもりなのか、唯の応急処置なのか益々分からないな。やはり新しい"司令官殿"が原因だろうか――


 オルファンが市外へ来たのは援軍との合流も理由の一つだが、新たな司令官を迎える事も又大きな理由だった。特に司令官が王の弟ともなれば尚更大事であった。

 当面の指示を終えたオルファンは新司令官を此方から出迎えに向った。隊列の中央辺りに位置する本陣に向け、歩を進めた。

 オルファンは王弟を見たことはあったが共に戦ったことは無かった。その戦果も勲功も広く王国に知れ渡っているが、外見からは優秀な武人とはとても思えなかった。

 正直な話、オルファンは新たな司令官の力量や人柄に不安を抱いていた。到着した援軍に対して差し出口と思われる可能性がある設営指示を出したのもその不安故だった。


 ――さて、本当に話通りに有能な方であって頂きたいものですな、殿下――


 本陣に近づいていくと周囲を囲む屈強な兵士の中に一人目立って浮いた者がいた。

 メガロ湖畔風の色彩豊かなローブをゆったりと身に纏う体は細く色白で、一見すると病弱にも見える。日に焼けて赤みを帯びた頭髪は肩を超える程に長く、女性とも遜色無い滑らかさだった。

 もっと近づき顔を認識する。実年齢より遥かに若く見える整った顔立ちで髭はなく、体と同じく細く白い。精悍な勇者というより寧ろ儚げな詩人といった風貌だ。角度と光の当たり方次第では淑女にすら見えるかもしれない。

 だが、目は力強い視線を放ち、茶色の瞳は生気に満ちている。


「お迎えに上がりました、殿下。私はマクーン氏族の首長オルファンで御座います」

「うん、ご苦労様。遅くなって悪かったね」

 

 頭を垂れて出迎えたオルファンに涼やかな声を掛けた彼こそがバルター氏族に連なる王の弟であり、御年三十五歳になるメガリス王国屈指の将セファロスであった。


挿絵(By みてみん)



「兄上と出掛けにちょっとあってね、思ったより出発が遅れてしまったんだ。全く面倒な奴だよ。さっさと行けって言ってきたのは向こうなのにさ」


 まるで童が悪戯を咎められた時の様な態度で言った。思わず苦笑しそうになったオルファンだったが、セファロスの目を見て表情を引き締めた。


 ――態度こそ軽々しいが目は笑っていない。憎しみか怒りか単なる衝動か、感情の色までは分からないが、焼き尽くすような激しさが感じられる――


 以前は見かけただけだったので分からなかったが、この瞳から放たれる覇気は強烈だ。皆が王弟の才覚に対して外見を引き合いに出さないのも頷ける。

 そしてこの得体のしれない覇気が良くも悪くもセファロスという人物の印象を決めつけてしまっていた。だからこそ兄王との衝突が絶えないのだろう。

 下馬し、従者に馬を引き渡すとセファロスはオルファンの側に寄った。近くで見ると王弟の細さは全身を靭やかで締まった筋肉が覆っているためだと分かった。

 背丈は然程高く無く顔立ちも柔弱であるのに、覇気で燃え盛る瞳と引き締まった肉体の所為で寧ろ重厚な迫力が感じられる。


 そして、この覇気はオルファンが今まで王弟に抱いていた疑念を払拭し、セファロスに対する評判が正しいものだと信じさせるに十分な勢威があった。


「オルファン君、君の事は聞いているよ。勇敢で優れた戦士だとね」


 近くに寄りつつセファロスが話しかけてきた。


「光栄な事でありますが、過分な評判です」

「そう謙虚にならなくてもいいよ。私も君の評判は正しいと思うな」


 肩を叩きながら軽い口調で言う。


「オルファン君を幕下に加えられるのは大きい。エルベド君では大して役に立たないからね。前に一緒に戦ったことがあるから知ってるんだ」


 が、言葉は厳しい。重さの無い口調であるが故により一層厳しく感じる。

 オルファンは南方蛮族との戦いで王弟とは別に戦ったが、アンニー首長エルベドはセファロスと共に戦っていた。


 ――私の知る限りエルベド首長も決して無能では無い筈だが……殿下にとっては彼も使い物にならない駒でしか無いのか。私も今は高く評価されてはいるが何時役立たず扱いされるか分かったものでは無いな――


 慄然とするオルファンにセファロスは言葉を続けた。


「そうそう、早い内に軍議を開いておきたいのだが」

「差し出がましい事とは思いましたが、宿営の準備が終わり次第各隊長には集合するよう命令を下しております」

「そうか、うん、仕事が早くて助かるよ。それじゃあ、一足先に軍議の場へ行っておこう。オルファン君とは事前に話し合って置きたいんだ」


 オルファンはセファロスを伴い、ウォルマー市内へ戻り、かつてのフェルリア公の官邸へ向った。

 オルファンらメガリス勢が入城した当初、サレンの暴虐な統治でウォルマーは荒れ果てていた。オルファンの緩やかな占領統治により現在は幾分落ち着いて治安は安定し、破壊された建築物の再建も進んでいる。

 フェルリア人にとっても、暴君の破壊的な統治より外国人による穏やかな支配の方がまだ受け入れられるのだろう。


 官邸の執務室に入る。中はサレンが奪った調度品の数々が置かれ、美的な調和は兎も角も絢爛な趣きを呈していた。

 上質な椅子に腰掛けながらオルファンは早速本題に入った。


「現在のディリオン王国の情勢ですが……」

「ああ、報告は不要だ。先に調べてきたから、必要な情報は知っているよ。加えて君からも書簡は受け取っているしね」


 すわり心地の良さそうな椅子を選んで深く沈み込むと、セファロスは懐から乾燥した香煙葉の塊を取り出し、遮るように言った。面倒臭がる様な言い草だ。

 オルファンは面食らった、と言うよりは困惑せざるを得なかった。


 ――書簡は送ったが古い情報だ。それに両軍の動向についてが主な報告で政の部分は十分では無かったのだが……――


「はあ、左様で御座いますか……一応、新たな報告は書簡には纏めてありますのでお渡し致します」

「うん」


 書簡を渡されたセファロスはちらりと覗いただけで脇に置いた。再び不安を抱いたオルファンを尻目に香煙葉を咥え火をつけると、濃厚な香りを楽しんでいた。

 だが、執務机に広げられた地図に注がれる視線は鋭く、覇気の炎で燃え盛っている。


「私に与えられた兵力はサフィウムにいるエルベド君の兵も合わせて四万強。その内メガリス兵は半数を少し超す程度で、残りは現地の戦士と蛮族の生き残り共だ」


 話始めたセファロスの態度は依然としてゆったりとして、落ち着いている。


「半端な数だと思わないかい? 本腰を入れているにしてはやる気が無いし、どうでもいいと思っているにしては多い。おまけに艦隊も無しだ」

「はい。その事は私も気になっておりました。しかし、陛下は手勢を派遣して居られますし意欲はあるのでは?」

「あれは私に対するお目付け役だよ。やり過ぎないようにというね」


 サリアン王と王弟セファロスの兄弟仲の悪さは有名だった。兄は弟の才能に嫉妬し、弟は兄の地位を狙っていると噂され、人々の間では半ば公然の秘密扱いと化している。大氏族特有の醜聞を越えて讒言が立ち入る間隙さえも生み出していた。


「やり過ぎ、ですか」

「そうだ。兄上は私を大層嫌っている。自分の王位を脅かすと思ってな。だから、私に余り戦功を立てて欲しく無いんだ。自分の手勢を送り込んできたのも監視のつもりで、私の行動に制限を掛けようとの腹なのさ」


 セファロスは香煙葉の香りを胸一杯に吸い込み、まるで怒りを落ち着かせようとでもするように二呼吸程時間を置いた。


「先の蛮族退治でも今回のディリオン攻めもそうだが、戦功は挙げずに敵を倒してさっさと死ねという所なんだろうね。全くもって無理な注文だよ」


 そこ迄言い終えるとふうっと煙を吐き出した。部屋中に薫り高い香煙が満ちる。

 オルファンは反応に困っていた。セファロスのこの発言内容はある意味で常軌を逸している。


 ――兄に対する愚痴では済まされない内容だぞ。完全に王への批判だ。造反を疑われても止むを得ないでは無いか。発言も問題だが、それを幾ら評価していると言っても初対面の人物に話すなどどうかしている……先程の言の中にも気がかりな部分があったが、もしや殿下は戦に関わること以外には考えが及ばない類の人間なのではないか――


 姿勢を崩して座るセファロスからは失言をしたという後悔や反省は微塵も感じられない。何も気にしていない、と言うよりも気付いてすらいない様に思われた。


 ――それも言われた側の方が危機感を覚える程に――


 司令官の言に反応しない訳にもいかず、王に関する言葉は流した上でオルファンは発言した。


「……陛下の御思慮は私には計り兼ねます。それよりも殿下は今ディリオン攻めとおっしゃいましたな。此方から攻めるご算段ですか」

「うん。勿論だよ」


 戦の話になった途端、セファロスの瞳に宿る炎が燃え上がった。


「実際に戦って彼らの本質を見たわけではないから絶対とは言い切れないけど、九割方は勝つ自信があるよ。まあ勝つかどうかは別にどうでもいいんだけどね」


 崩していた姿勢もぱっと戻し、大好きな娯楽を目の前にした幼子の如き反応を示している。


「ここ最近の内戦でのディリオン軍の戦いはずっと見てきた。確かに指揮官のメール公もリンガル公もとても優秀だ。ハウゼン公、ヒュノー将軍やライトリム勢にも打ち勝っているし、素晴らしいよ」

 

 オルファンの返答を待つことなく興奮した様子で話し続けている。


「彼らとの戦いをそれなりには楽しみにしているんだ。南方部族の屑共や一山幾らの賊徒退治何かじゃこの緊張感は味わえないからね」


 ――戦以外に考えが及ばないなんてものじゃない。この人は戦以外に興味が無いんだ――


「でも残念なことに彼らは所詮(まつりごと)(はかりごと)の人。彼らにとって刃とは誰かが突き立てに行ってくれる物、誰かが代わりに突き立てられてくれる物なんだよ」


 実に残念そうな声でセファロスは言った。


「戦は命の賭博だ。大一番の勝負で彼らは他人の命しか賭けようとはしない。それじゃあ、駄目なのさ」

「……」


 それが正常な人間の反応だろう、とオルファンは思ったが黙って見ていた。セファロスは咥えた香煙葉の灰を床に落としながら続ける。


「ただ、戦では何が起こるか分からない。彼らの心にも"何か"が起こってくれればいいんだけどねぇ」


 王弟の声は期待に満ち、瞳の炎は猛る業火の如くに燃え盛っていた。



 ◆ ◆ ◆ 


キャライラストは iri000(https://www.lancers.jp/profile/iri000)さんに描いて頂きました



 お読み下さり本当に有難う御座います。

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