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ディリオン群雄伝~王国の興亡~ (修正版)  作者: Rima
第一部 第二章『再生』
14/46

『凱旋』※挿絵

 同盟軍に決定的な打撃を与えたランバルト率いる国王軍(ドミニオン)は十分な余裕を持って王都への総攻撃の準備を整えていた。

 ユニオンの同盟軍残党に力は無く、一撃で王都を奪還出来る事は疑い無かった。

 その事は同盟軍の側も理解していた。援軍の見込みも潰え、主将を失った敗残兵では対抗すら出来ない。遂に彼らは降伏を申し出た。守備隊指揮官マシュ家のアルメックが降伏を申し出たのだ。



 そして、新たな勝利者を迎えて戦いは一旦終焉へ向かう。若き貴族はこれまでの苦労が満たされる瞬間に立ち会っていた―――






 ◆ ◆ ◆


【新暦660年12月 エピレンの丘 リンガル公ジュエス】




 大勝利だ。

 

 同盟軍の増援を叩き潰し、籠城軍を粉砕した。そして今、市内の敵残党から降伏を受け入れようとしている。


 これ以上無い大勝利だった。



 王都への入城はランバルトを筆頭とする軍司令部、新たに参入したアルメック、少数の護衛だけで行われた。大軍での入城は市民に警戒心を与え、不要な騒乱を巻き起こすと考えられたからだった。


 そして市内へ入った諸将は市民による歓呼の声に包まれた。


「国王陛下万歳!」「ブリアン王!」「万歳! 万歳!」「ランバルト公!」


 市民は道の両脇に詰めかけ、花吹雪を散らしている。両手を振り上げ、歓呼の声を叫んでいる。

 大部分は国王への歓声だが、幾らかはランバルトの名前を叫んでいる者もいる。ランバルトは堂々と手を挙げて歓声に応えている。

 傍から見れば彼の為の凱旋だ。


 そしてハウゼンの名を呼ぶ者はいない。戦争の要因の一つにもなった程の人物なのに、最早過去の人、不要な人なのだ。特に災禍に見舞われてきたユニオン市民にとっては。

 当のハウゼンは無表情のままだ。彼の心中がどんな色彩であるのかはジュエスにも測りかねた。


 ――しかし市民も現金なものだな。敬意の方向をあちらこちらへと変え、先程まで戦っていた筈の相手にすら両手を広げて歓迎する――


 とはいえこれが彼等最大の自衛手段なのだ。支配者や征服者に逆らわず、受け入れる。従順であれば慈悲も掛けて貰いやすくなる。その事を本能的に知っているのだ。

 戦う手段を持たない平民なりの生き残り方だった。その事はこの平民の性質を利用し尽くして来たジュエスにはよく分かっていた。


 王都の市民は大して変わってはいなかったが、街並みは二年前とは大分様変わりしていた。

 かつて王都は無秩序に住居が立ち並び、道は大通りにさえも露天や出店が溢れ、通行が困難な程だった。風景も大きく制限され、空も見えない場所すらあった。建物に挟まれた路地など入り口しか見えず、奥がどうなっているかは想像するしか無かった。


 だが今は王都はさっぱりとしてしまっていた。

 立ち並ぶ建築は再建も進んでいるとはいえ、倒壊した残骸が放置された場所もまだ見当たる。

 街路に溢れていた出店は全て消えており、詰め寄せる市民がいて尚、街路から宮殿を見ることが出来た。


 ――これも一つの戦果だな。ロラン家の都ユニオンから次の時代の都へと作り替えやすくなった訳だ――


 そう思いながらジュエスは軍幹部の他の面々を見た。

 既に王都を知るハウゼンやプロキオン家の家臣は寂寥を感じているようであった。対してメールの家臣達は立ち入った王都の巨大さや市民の多さに圧倒されている。

 王都には攻め立てていた城壁とはまた違った壮大さがあるのだ。

 テオバリドら若手家臣は驚きと好奇心の目でキョロキョロと周囲を見回している。

 リンガルより辺境のメール出身者にはとても想像できない街並みなのだろう。オーレンなどの古参家臣ですら隠そうとしているが動揺が見える。


 ――これで驚いているようでは、大市場に行ったら卒倒してしまうぞ――


 彼らの反応を見ながらジュエスは自分だ初めて王都に来た時の事を思い出した。


 一行は歓声と花びらを全身に浴びながら宮殿へ向かっていった。



  ◇  ◇


 宮殿へ到着した一行はアルメックの案内で玉座の間へ向かった。リメリオが待っているとの事だった。

 玉座の間はジュエスが以前見た時と殆ど変化は無かった。王の弑逆や血と暴力に塗れた暴動に巻き込まれながらも、王権の象徴である玉座の間には被害が無いと言うのは何とも皮肉であった。


 ランバルト達が広間に入ると、玉座を前に立っていたリメリオが慌ただしく近寄ってきた。


「ランバルト公!」


 リメリオはフレオンとは違った意味で印象に残らない平凡な男だった。頭上には王冠は被さってはいないが、最大の特徴を失った彼のことを一体どれだけの者が認識する事が出来るだろうか。


「私はベンテスに強要されたのだ。簒奪など考えていないし、考えたこともない。全てあの男の所為なのだ! 彼奴は軍隊も持っていたし、私には逆らう方法など無かったのだ。分かるだろう!?」


 ――きっとリメリオは人生で一番熱意を入れて話しているのだろうな――


 ジュエスは必死に弁明するリメリオを見て思った。

 但し、言われた側の反応は極めて冷淡だった。


「貴殿の主張は理解できるが、私に王族の進退は決めることは出来ない。裁可は陛下が下される」

「で、ではブリアン陛下に説明させて貰えるだろうか? いやそうでなくては困る! 私は大逆人などではない!」


 ランバルトの冷たい態度にリメリオは焦り、縋り付かんばかりだ。


「そうか。そうしたければするといい。だが、それまでは自室に居て貰う」

「御前で説明出来る機会が貰えるのだな!? 私が罪人で無いことを説明させてもらえるのだな!?」

「衛兵! リメリオ殿をお連れしろ!」

「お、おい! 頼むぞ! 必ずだぞ!」


 衛兵が騒ぐリメリオを連れていく。諸将もこの醜態には呆れている。

 摘み出した当のランバルトは何事も無かったかのように涼しい顔だ。


 だが、ジュエスにはある事に注目していた。


 ――ランバルトは"ブリアン陛下"にとは言わなかった。降伏の受け入れの時もそうだった。その事に何人が気付いただろうか――


 ジュエスは視線を悟られない様に諸将をちらりと見たが、皆リメリオの事に気を取られていて何も気づいていない様だった。


  ◇  ◇


 そしてリメリオの対談を済ませたランバルトはジュエス以外の諸将に宮殿内の接収を指示して、自らはジュエスと共に玉座の間に残った。

 露骨な贔屓過ぎるなとジュエスは思ったが黙って従っておいた。


 二人だけが残り静まり返った広間の中でランバルトは玉座を見ている。


「玉座か。初めてみる。中々優雅な造りだな。ジュエスは前に見たか?」

 

 ランバルトの声質はジュエスが今まで聞いたことの無い感触だった。野心に満ちた熱情も支配者の酷薄な冷たさも無い。

 それこそランバルトの本心がむき出しになったような印象だ。


 ジュエスは面食らっていた。彼に熱情と冷酷さ以外の面があるとは思いもよらなかった。


「はい。前に見た時はブルメウス王が座していました。ご存知の通り、玉座を手にしたまま死にましたが」


 ――そしてブルメウスの手から奪いとったジョアンも死んだ。その次に玉座を手に入れたリメリオも直に死ぬだろう――


「"玉座は死で象られている"とはよく言ったものだな。(ドミヌス)とは神々に祝福されているのか、呪われているのか。一体どちらであろうな」


 ランバルトは玉座の肘掛けに手を置いた。


「神々も玉座の主の運命には興味があるのでしょう」


 ――尤も、何時取り上げるかについての興味だろうがな――


「確かに、そうかもしれん。神々は暇を持て余している。それも残酷な神々ほどな」


 ランバルトはくくっと笑うと、肘掛けに手を置きながらくるりと此方を向いた。

 ジュエスには次に彼が取るだろう行動に一つだけ予測が出来ていた。


「神々には天の事だけ見ていて貰おう。地上の世界は私に任せてな」


 そう言ってランバルトは玉座に腰を下ろした。


 ――歴史を貴方の手で動かしたいなら、"それ"は絶対に必要なものだ。だが、まだ早すぎる――


 ジュエスは今だけは心の中を表情に出した。

 ランバルトはジュエスの顔を見ても玉座から立ち上がらなかった。声色も瞳の光にも何の変化もない。そしてそのまま言葉を続けた。


「次に王冠を得る者について君には話をしておこうと思っている」


 ――得る者か。既に既定事項な訳だ。だがどうやらランバルト自身が王冠を冠ろうという事ではないらしいな――

 

「きっと彼女はとても良い主君になるだろう」


 ランバルトの瞳には諧謔さの光が讃えられていた。声にもいつもの熱情と冷酷さ篭もり始めている。


 ――彼女? 王位に近い女性は極めて少ない……ましてや此方の陣営には一人しかいない――


「君にとっては特に、な」


 ジュエスは背筋に一筋の冷や汗が垂れ落ちていくのを感じていた。



 ◆ ◆ ◆





 降伏を受け入れた国王軍(ドミニオン)は二年ぶりに王都へ入城した。ついに諸侯同盟(アリストクラティオン)の手から奪還することに成功したのだった。

 国王軍は撃破した増援部隊の分も含めて3万人もの捕虜を獲得した。著名な貴族や名門の騎士(エクイテス)から無名の平民まで、あらゆる階層の兵士が降伏していた。彼らの多くは後に忠誠を改めて誓い、王家に仕える兵士として従軍することになる。


 そして同盟軍を打ち破り、王都を奪還した国王軍の元にはハルト各地から貴族や領主が従属を誓いに続々と集まっていた。

 名門マーサイド家やカルボン家などが良い例であるが、これらハルト貴族は変転する状況に日和見と両天秤で対応していた。それは非難されるべきことではなく、彼らなりの護身術であった。


 また、トバーク海沿いの港湾都市ストラストも帰順させ、同地に駐留していた警備艦隊を獲得する事が出来た。海軍力を保有していなかった国王軍にとっては、海上での戦いを可能にする大きな一歩であった。


 国王軍(ドミニオン)は王都奪還により正統な勢力へと返り咲き、ディリオン王国軍という呼称を取り戻すこととなった。


 王都奪還の報は国王軍の勢力圏である北部にも最優先で伝えられ、ブリアンら亡命王族に報告された。ブリアンは驚喜し、報告を受けたその日に王族や廷臣を連れて王都へ出発した。



 そして、歴史は人々を巻き込んで動いていく。美しき姫は抗い、運命を引き寄せようとする。それが悲劇への第一歩になるとも知らずに―――




 ◆ ◆ ◆


【新暦660年12月 リリザ 王女ミーリア】




 王都奪還の連絡を受けた王族達はユニオンに向けて移動していた。ブリアン、ミーリア、ファリアに加え、ロンドリク、ブルーノ、パウルスら廷臣達、そしてフレオンが護衛を兼ねて同行していた。


 そして一行は休息と食事を求めてリリザ市に立ち寄った。国王軍(ドミニオン)が勢力圏に収めて以降、コーア・ハルト境界上の拠点として機能していた。数日とはいえ野営と行進続きの一行には有り難い場所にあった。



 入浴や着替えを済ませた一行は準備させておいた夜の宴を行っていた。

 ディリオン王国貴族の食事、特に夕食は有力者が一同に介して取ることが普通だった。食事の置かれた円卓を中心に周りに幾つも配置された長椅子に寝そべりながら食べるのだった。

 食事中は楽師や吟遊詩人が音楽や詩で人々の耳を楽しませることも一般的であった。

 王族一行も伝統的な形式で夕食を取るべく集まっており、中には無論ミーリア姫もいた。


 ミーリアは滑らかな黒髪を結い上げ、ゆったりとした女性用の赤い長外衣を着ている。

 胸元は幾分か開かれ、染みひとつ無い足の肌も長外衣の切れ込みから伺える。"あの日"からミーリアはこの様な艶やかな装いをするようになっていた。


「冬だったので思ったより時間がかかってしまいましたが来週中には王都に到着出来るでしょう、陛下」


 小山の様に太ったロンドリクが果実に手を伸ばしながら言った。


「やっと王都へ帰れるな。戴冠を済ませたら直ぐにでも反乱者共を一掃するぞ。報いを受けさせてやる!」


 ブリアンはいつも通り傲慢な調子で言った。彼はまだ王では無いのだが、周りは皆陛下と呼んでいる。

 ミーリアは盃に注いだ水割りの果実酒に口を付けながら、彼らの言葉を聞き流していた。彼らの話は王都へ帰る事、ブリアンの王位の事、そして反乱者を殺す事ばっかりだ。


 ――私には都も玉座も裏切者もどうでもいいの。私の心にあるにはあの人のことだけ――


 戦争の間中、ミーリアが心配していたのは愛する若貴族ジュエスのことだけだった。ずっと彼の事を想っていた。クラインでの一夜以来、その想いは増すばかりだった。

 ジュエスに頼まれたらどんな事でも受け入れてしまうだろう。どんな事でもだ。


 ミーリアは南から伝わってくる国王軍の情勢について、連絡が来る度に一喜一憂していた。そして、同じ反応を示していたのはミーリアの他にもう一人いた。


「目出度い出来事なのですから、今は血腥い話は止めて、ブリアン。それよりも私達の為に戦った勇者達に乾杯しましょう」


 ミーリアとブリアンの母である王妃ファリアが果実酒を注いだ盃を小さく掲げた。

 王妃ファリアは三十代も後半だというのに未だに美貌を保っており、豊満な体はミーリアの目からみてもまだまだ男を誘惑出来る力がある。良くも悪くも意志力の無かった母の相貌はその印象が変わり、寧ろ好きなように弄べる余地を感じさせる妖艶な風情を与えていた。

 ファリアもまた伝わってくる情報に感情を浮き沈みさせていた。


 母が変わった理由もそう言った反応を示す理由もミーリアは分かっている。この事は他の誰も分かっていない。理由の原因となった人物すら分かっていないだろう。


「むう、まあいいでしょう、母上。皆の者、忠実なる勇者達に乾杯だ! さあ姉上も盃を!」

「乾杯!」「乾杯!」

「ええ、乾杯」


 ミーリアは盃を掲げた。

 そして、自分に向けられる幾つかの視線の中に、負の感情が篭った冷たい視線が一つある事に気付いていた。


 ――相変わらず冷たい目を向けなさるのですね、お母様――


 それは、母ファリアから向けられたものだった。


 ミーリアが母と共にいたジュエスの元へ押し入って抱かれてから、ファリアはミーリアに対しての視線に怒りと憎しみを加えていた。

 態度や言葉にこそ出してはいないものの、その感情の刃は実の娘に向けるものとはとても思えない程鋭かった。


 ファリアは切っ掛けはどうあれ、今はミーリアと同じくジュエスに完全に魅了されていた。

 だから他の男には抱かれる事は決してなかったし、ジュエスに対しても他の女の元に行かないよう王妃の立場を尽くして"貢いで"いたのだ。

 そして、二人だけの蜜月の世界に割って入ってきたミーリアをファリアは憎んでいるのだ!

 入り込んできたのが実の娘であることも、相乗して寧ろ母の憎悪を駆り立てる事となってしまっていた。


 ――お母様、余りに年甲斐の無い行いだとは思いませんの? それに私にとっては貴方こそジュエス様との間に入り込んできた邪魔者なのですよ――


 ミーリアは最初ジュエスとファリアの関係を知って衝撃を受けた。

 宮廷育ちということもあって恋愛や性に疎かったミーリアには彼らがどういう状況にあるのかよく分からなかった。兎に角、愛する人が盗られそうになっていることだけは理解出来た。それも実の母にだった。

 ミーリアは母に嫉妬した。

 母の事は娘として好きで尊敬していたが、それとこれとは別問題だった。

 ただ、誰にも相談する事など出来る筈もなく一人で悩み苦しんでいた。そして限界に達したミーリアは最も強硬な手段に出たのだった。


 それ以来、ミーリアとファリアは母娘という関係以上に愛する男を巡って争う敵同士となっていた。

 これまでの争いは飽く迄も私事の範囲に収め、他者には影響を及ぼさないように、特にジュエスには対立を悟られないよう努めていた。

 

 ――何時かはこの関係が変わるでしょうけれど、まだ先の事かしらね――


 そして、ミーリアはファリアを見た。二人は貴方の視線など怖くないとばかりに真っ向から視線を受け止めあった。

 その時になってミーリアは今日の母の視線に違和感を覚えた。


 ――何がとは言い表せないけれど、何かいつもと違う気がするわ。一体何なのかしら――


 違和感の正体を突き止めようとしていたが結局分からず、気にしない事を選択した。そして二人の思いに関係無く宴は続いた。




 宴は進み、食事に舌鼓を打った。皆、酒と勝利に酔っている。


 ミーリアは果実酒を飲み過ぎて酔いが回り始めていた。ぼんやりと宴を眺めていた。


「陛下程ご資質に満ち溢れ、御思慮の深い王は御座いませぬ」

「なればこそ、忠実なる者達が陛下を支えに参るのですからな」

「ハッハッハ! 当然だ! 私は父以上の(ドミヌス)になるぞ!」


 上機嫌のブリアンに追従するロンドリクとブルーノ。いつもと同じ光景が広がっている。

 パウルスとフレオンは小声で何かを話している。印象に残らない容貌と言い、考えが読めない所と言い、ミーリアは何となく二人が似たもの同士であるように感じていた。


「そうだわ、ブリアンも王になるのだから結婚の相手を考えなければいけないわね」


 父という言葉で気付いたのかファリア王妃が言った。母らしい暖かな声だ。


 ――若い愛人と閨を共にし、娘に嫉妬する様な人なのに今だに母でも有りたいのね――


「ブリアン陛下も妻の一人や二人持っても宜しいお歳で御座いますからな。王に相応しい女性を臣の全力を持ってお探し致しましょうぞ」


 ロンドリクが調子よく続く。彼はいつもこうだった。忠実な犬と言うより餌を求めて彷徨く豚のようだ。


「うむ、そうだな。お前ならば良い相手を見つけてくれるだろう」


 ブリアンは満更ではない様子で受けている。父ブルメウスは色欲も強い人だったが、ブリアンもその質を色濃く受け継いでいる。妻を娶ってい無いだけで、貴賎に関わらず関係を持った女性は多い。

 そしてブリアンは言葉を続けた。


「私の結婚もそうだが、姉上も結婚が必要な時期だな。戦争で後送りにされていなければとっくに夫を迎えていても可怪しく無い」


 予想だにしていなかったブリアンの言葉にミーリアの酔いは一気に醒めた。

 

「私の?」

「そうだ。実は縁談の相手についてはもう考えてある。高位の貴族で忠実で信頼の於ける家臣だ」

「えっ、そ、その相手というのは……」


 ――高位の貴族で忠実で信頼出来る……それってもしかして……そうよ、当てはまるのは一人しかいないわ!――


 ミーリアは初めてこの傲慢な弟の事を好ましく思った。頭の中ではもう愛する男との幸せな生活に思いを馳せていた。流石に顔が緩むのは抑えたが、心の拍動を抑える事は出来なかった。


「フフッ」


 その時、まるで堪え切れなくなったかのようにファリアが小さく笑い、ミーリアをちらと見た。

 母ファリアの冷たい視線に混じる違和感が勝ち誇りの色である事に気づいたのは、ブリアンの次の発言と同時だった。


「縁談の相手はロンドリクだ。これは母上も了承されている」


 ――え? な、何て言ったの……?――

 

 ミーリアはブリアンの言葉を認めたくなかった。聞き間違いである事を願った。


「そ、それは本当で御座いますか、陛下、太后様!?」


 だが、その願いは全身を揺するロンドリクによって打ち砕かれた。縁談の話は彼も知らなかったことのようで、驚きながら喜んでいる。


「ええ。貴方の忠誠心と才覚はこの国の宝です。夫として我が娘も導いていって欲しいのです」


 ファリアが言った。その言葉にはブリアンに向けた様な母としての温かみは無かった。


「うむ。お前は我が宮廷の中で最も忠実であるからな。信頼しておるぞ、ロンドリクよ」

「望外の幸せにて言葉も御座いません! 陛下、永久に変わらぬ忠誠を改めてお誓い致します!」


 ロンドリクは大袈裟に咽び泣き、ブリアンとファリナに奉謝し続けている。そしてちらりと此方を舐め回すように見る視線にミーリアは心の底から嫌悪を催した。

 そして、とても黙っていられず長椅子から立ち上がり大声で叫んだ。


「嫌です! 絶対に嫌です! 何故私が、こんな、屈辱を……!」


 言葉遣いや態度など最早気にしてはいられなかった。


「なっ、あっ、そ、それは余りに御無体な……」


 真っ向から拒絶されたロンドリクは蒼白になり、喘でいる。


「これは命令だぞ。例え我が姉であったとしても私の言葉に逆らう事は許さん」


 ブリアンは長椅子から上体を起こして言った。その顔は激しい怒りに満ち、声は激情の余りに震えている。

 激情と怒りの強さなら今のミーリアなら決して劣らない。いやそれ以上だろう。


「何と言われようと絶対に受け入れません! それに結婚相手ならもっと忠実でもっと頼れるジュエス様が居らっしゃるじゃないですか!?」


 ミーリアは人生で初めてと言っていい位の大声で言った。せめて声を張り上げなければ、とてもこの心の内に吹き荒れる憤懣の嵐を制御出来なかった。


「ジュエスは……奴はならん! 二年前なら兎も角、今は奴が王家に近付くことは決して許さん!」


 ブリアンの意外にも強い拒否にミーリアは怒りを増させた。そして、別の方向から攻め立てることにした。


「母上は? ロンドリク殿なら母上の方が歳は近い筈です。私ではなくそちらの方が適切でしょう!」


 ミーリアは母を睨みながら言った。だがファリアの表情に曇りは無く、涼しげなままだ。


「母上は太后だぞ。新たな結婚などさせぬ。我が父はブルメウス唯一人だけだ」

「そんなっ!」

「兎に角、これは決定した事で、私の命令だ! 従え!」

「くっ……そんな事!」


 怒りと屈辱と憎しみと、その他言い表せない程の怨嗟の感情で言葉が詰まる。

 そして、ファリアがミーリアにだけ見せた勝ち誇った横顔を見た瞬間、耐え切れなくなり、ミーリアは手に持った盃を床に叩きつけた。


 ブリアンやロンドリクが呼び止める声も無視して自室へ走り去った。


  ◇  ◇


 提供された自室に走り帰ったミーリアは服も着替えずに寝台へ飛び込み、そのまま泣き暮れた。

 悲しみと怒りの入り混じった感情が吹き荒れ、涙が枯れることは無かった。

 何度もロンドリクやブリアンからの遣いが遣って来たが、ミーリアは全て拒絶して追い返した。


 それから何時間経っただろうか。泣き疲れぐったりしていてもミーリアは眠りに落ちることも無く、ずっと寝台に倒れ伏していた。


 ――何故こんな事に……何故……――


 その時、不意に扉が叩かれた。


「誰にも会いたくありません! 帰って下さい!」


 ミーリアは顔だけ扉に向けて叫んだ。誰か来る度に繰り返していた。

 だが、扉の向こうの人物は帰れと言われても勝手に話し始めた。


「フレオンです。ブリアン王子が一案を提示なされました縁談について、貴女にお伝えして置かなければならない事があるのです」


 扉越しにフレオンが至って平然と言った言葉の中に、ミーリアには気になる箇所があった。


 ――今、フレオン殿は何と仰った? そう、"王子"……"一案"……――


 ミーリアは寝台から降り、乱れた衣服を正すと扉を開けた。

 扉の向こうにはフレオンはいつも通りの印象に残らない茫洋した姿で立っていた。


「中に入っても宜しいでしょうか、ミーリア姫?」

「……いいわ。入って下さい」


 ミーリアはフレオンを部屋に招き入れ、扉を閉めた。フレオンは何を思っているのか分からない表情のまま、話始めた。


「先程の縁談ですが、ミーリア様は大変御不満な御様子ですな」

「……何が言いたいのですか」


 ――フレオン殿が何も意図せずに来る筈は無いけれど、何なのかしら――


 真意を汲み取ろうとフレオンの目を見つめたが、やはり何も感じとれなかった。


「縁談を拒絶しうる方法が一つだけ御座います。この件はランバルト閣下とも協議の上の事です」


 ――そんな方法が本当にあるの? ブリアンは王命を決して拒否させないわ。でも、あのランバルト公も関わっているのだというのなら、もしかして……――


 フレオンは軽く深呼吸すると、厳かに言った。




女王(ドミナ)陛下」



 ◆ ◆ ◆





 ユニオンを奪還したランバルトは王都の復興やハルト地方の平定を行いつつ、平行して王族達の受け入れ準備を行っていた。

 玉座を空にしておく訳にはいかず、直ぐにでも戴冠を行いたいと考えていた。今だ続く戦乱に対処する為にも、彼自身の権力の為にも必要な事であった。


 しかし、ランバルトが玉座に据えようとした人物は、それまで旗印にしていた王子ブリアンでは無かった。

 ランバルトはブリアンの姉である王女ミーリアをディリオン女王(ドミナ)として即位させようと謀っていたのだった。



 所謂"無能な働き者"であるブリアンを主君に据えて、下手に権力を掣肘されたくないという理由もあったが、より大きな理由はミーリアがまだ独身女性である事だった。

 基本的に男性の継承が優先される為にディリオン王国の歴史に於いて"女王"は稀有な存在だった。例え王位に在っても実際に政治に関わることは殆ど無い。そして女王の配偶者は共同統治者に指名され、王権を共有する。つまり、女王の夫こそが事実上の(ドミヌス)となるのだ。

 この事は野心家達――言うまでもなくランバルトの事である――にとっては非常に都合が良かった。王族では無い自分でも王冠を手に入れる機会が用意されていると言えるからだ。



 その様な状況の中、王都へ帰還した王族一行だったが既に彼らの間でも問題が発生していた。ブリアン王子とミーリア王女が激しく対立し、更にミーリアが女王への即位に意欲を示した事で両者の関係は修復不可能な程に悪化していた。


 王位を巡って対立する二人の王族だったが、その勢力と支持層には著しい差があった。

 ミーリア王女は既にしてメール公ランバルト、リンガル公ジュエス、クラウリム公ハウゼンの三者が支持しており、ブリアン派を圧倒していた。

 対する王子ブリアンを支持するのはアッシュ家のロンドリク、パウルス家のウッドと言った以前からの廷臣達のみであった。だがロンドリクは早くもブリアンを見限ろうとしており、支持者は減少の一途を辿っていった。


 王妃ファリアは当初ブリアンを支持すると思われていたが、予想に反してミーリア支持を表明した。支持されたミーリア当人もこの件に関しては驚きを隠し得なかった。

 動機は兎も角、ファリアの支持はミーリアに正当性と優位性を与える事となり、王位継承を決定的なものとした。

 

 ブリアンの怒りも他所に王位継承者は事実上ミーリア王女に決定され、戴冠式の準備は進んでいった。戴冠式は内戦勝利の記念も兼ねており、盛大な式典ととするべく長期間の準備を行い、翌年の三月に挙げられる予定であった。


 余談だがこの間にカスタン家のブルーノが死去した。死の原因は定かではないが、カスタン家の領地や財産は遺言によりブリアンが接収した後、アッシュ家のロンドリクに下賜されることになった。



 また、年を越す間にランバルトは本土メールから掻き集めた増援と幾人か親族を呼び寄せていた。中央での政争に彼の為だけの手駒を必要としており、それには同じアルサ家に属する血縁者は最適だった。



 そして、流れ続ける歴史に新たな一石が投じられた。若き貴族は自らの運命を変える出会いを果たす―――






 ◆ ◆ ◆


【新暦661年2月 宮殿 リンガル公ジュエス】




 王都を奪還してから三ヶ月。嘗ての国王軍(ドミニオン)、現在では正式にディリオン王国と呼ばれる彼らは王都の復興、王国領の平定、軍の再編、そして新王戴冠の準備を行っていた。

 ジュエスも職務に精励していた。事実上、宮廷の序列第二位にある彼の両肩には幾つもの責務が重く伸し掛かっている。数多の修羅場をくぐり抜けてきたジュエスにも、国家の運営は厄介な仕事だった。未だ二十歳になったばかりの若者ともなれば尚更である。


 そして、ジュエスは連日の様に序列第一位であるランバルトと協議を行っていた。普段はジュエスの方から連絡と報告に赴くののだが今日に限ってはランバルトの側からの呼び出しがあった。それも最近にしては珍しく用件を明らかにされていなかった。


 ジュエスは呼び出しに応じて出頭する為に宮殿の通路を歩いている。軍の練兵所から直接来た為に鎖帷子を着込んだ軍装のままだ。


 ――全く政権を手に入れる事こんなに忙しいとは思いもしなかった。家臣を酷使してこの有り様だ――


 幾ら彼が心身壮健な若武者であったとしても、戦場に劣らぬ激務の日々に疲労は貯まる一方だった。


 ――ランバルト公もよくやるよ。彼は僕以上に働く立場にあるんだから。それで政務を滞らせていないのだから、信じられないな――


 実際、ランバルトの仕事量は激務という言葉では語りきれない段階に達している。内政、外交、軍事全てを最高位の者として一手に引き受けているのだから、当然ではあった。ジュエスとハウゼンが彼の次席として職務にあたっているがそれでも尚、仕事の量は膨大であった。

 しかし、ランバルトはそれらの膨大な仕事を見事に処理し、未だ終結していない戦争へ向けての準備も着々と整えている。この見事さにはさしものハウゼン公も舌を巻いている。戴冠式が終わりさえすれば、新たな軍事行動も可能になるだろう。


 ――そして、こんなに忙しいというのに、一体何の用事だというのだ。時間が惜しいのだから先に用件ぐらいは伝えて欲しいものだ。女王(ドミナ)陛下の件でさえ無ければいいのだがな――


 ミーリアとの秘密を勘付かれても、ランバルトとの関係には大きな変化は無かった。ランバルトもそれ以上探ることや話題に出す事はしなかった。ジュエスの方もはっきりと口に出してはいない。

 しかし、王国の覇権を狙うランバルトからすれば、独身の女王と親密な仲の有力者が居るというのも心地よい話ではないだろう。今のところは何事も無く過ぎているがこの後どう転ぶか分からない。

 また、今はミーリアやファリアとの接触も激務を理由に回数を減らしている。彼女らに不快を被らせない為にも無接触にはしておらず、時を見て可愛がりにいってはいる。


 ――王族を愛人にして地位を確保するのは失敗だったかな。ここまで面倒になるとは――


 そして、ジュエスは宰相プレフェクトス・スペリオルの執務室へと向かった。ランバルトは"宰相"にはまだ正式に任命されてはいないが、彼の立場や権力を考えれば他に相応しい部屋は無い。

 扉を叩き執務室の中へ入る。


「失礼致します。御命令に従い参上致しました」

「来たか。座れ」


 部屋の中にはランバルト一人がいた。輝く金髪、刈り揃えた顎髭、そして諧謔さを秘めた瞳。いつも通りだった。

 だが、執務卓は普段と違っていた。何時もならば粗紙の書類や木簡が山の様に積み上がっているのに今日は綺麗に片付けられ、さっぱりとしている。


 ――これは、また何か企んでいるな。面倒事で無ければいいが……――


 ジュエスは執務卓を挟んだ向かい側に置かれていた二つの椅子の片方に座った。


「どの様なご用件でしょうか、閣下」

「実は他でもない、お前に合わせたい者がいてな」


 ランバルトの面白がる様な瞳の光が一層強くなったのが分かった。

 

「合わせたい者、ですか」

「うむ、今呼ぼう。サーラ、入れ」


 ランバルトは珍しく優しさを帯びた声で言った。その声に応じて一人の女性が奥の扉を開け、部屋に入ってきた。


 ――サーラ? 確かランバルト公の妹がそんな名前では無かったかな?――


 そう思いながら入ってきた女性を見た瞬間、ジュエスは頭から稲妻を落とされた様な衝撃を受けた。


挿絵(By みてみん)


 腰まで伸びる長髪はふんわりと波打ち、差し込む光を反射して黄金の如く輝いている。


 体は十二分に女性的な豊満さと健康的で筋肉質な肢を兼ね備えており、彼女の魅力を倍増させていた。


 僅かに日焼けして褐色みを帯びた肌は快活な雰囲気を放ち、その美貌と合間って独特な妖艶さを作り出して抗いがたい魅力を伝えている。


 容姿は絶世の美女と評判なのも無条件で頷ける器量好しで、目は大きくくりっとし、すらりとした鼻筋と赤みを帯びた瑞々しい唇が嫌でも目を引いた。


 そして、晴天の空の様に青い瞳には兄によく似た諧謔みと冷たさが感じられる。ただランバルトに視線を向けた時だけは恥ずかしがるような色を帯びている。



 ――美しい――


 ジュエスは目を奪われていた。

 ただ見つめているだけで心の鼓動は激しく、大きく鳴る。

 彼女以外、何も目に映らない。


「ジュエス、我が妹のサーラだ。昨日王都へ到着した」

「え、ええ、あ、はい」


 ランバルトから妹を紹介されても、ジュエスは自分でも驚くほどの動揺で上手く話せなかった。


「サーラ。話したように彼がリンガル公、プロキオン家のジュエスだ」

「はい、お兄様


 彼女のふっくらとした唇から現れる声も、耳も頭も蕩けさせる淫靡さがあり、瞬く間に虜になってしまう。


「お初御目に掛かりますジュエス公。アルサ家のサーラです……あら」


 ジュエスと視線が合うとサーラはそれまでの凍える様な冷たい瞳を一変させ、目に情熱の光を湛えながら、はにかんだ笑顔を見せた。

 その笑顔の引き込まれる美しさといったら、正に神話の"愛と美の女神"そのものであった。


 ――これ程に美しい人は今まで見たことが無い。これからも彼女以上の存在に巡りあう事は決して無いだろう――



 ジュエスが見惚れて何も言えないでいると、サーラははにかんだ笑顔のままランバルトに向き直った。と言うより寧ろランバルトに向けていた笑顔を先程までジュエスにも向けていたと言うべきだった。

 その事に激しく心を掻き乱された。

 かつて感じた事の無い黒い感触。怒りとも憎しみとも悲しみとも付かない不可思議な感情。


「ジュエス殿は良い方のようですわね。お兄様の仰られた通りですわ」

「そうだ、だからお前と引きあわせたのだよ。さてジュエスよ、我が妹はどうかね?」


 ランバルトに話しかけられても、ジュエスの思考は現実世界に引き戻され切られなかった。


「え? あ、あの、美しい妹君で居らっしゃいますね。まるで女神のようです」


 自分でも嫌になるほど陳腐な物言いだった。もっと言い方があるだろうに、これ以上頭が働かなかった。

 幸運にもそう言われたサーラの反応は上々だった。


「女神だなんて、勿体無い御言葉です」

「そ、そんな事はありません! 寧ろこんな言葉でしか言い表せず申し訳無い位です」


 ――僕は何を言ってるんだ。何故こんなに必死なんだ――


「まあ、嬉しい事を仰ってくださるのね」


 サーラは心なしか頬も赤く染め、笑顔を向ける。ジュエスの方が顔を赤くさせてしまった。


 ――顔が熱い、心が高鳴る――


 ぼうっとしていると、実に面白そうな態度でランバルトが話した。


「来て貰って早々に悪いが用件は以上だ。今の内にお前を我が妹に合わせておきたかったのだ。ご苦労だったな、さあ、君の職務へ戻り給え」

「お会い出来て良かったですわ。またお会いしましょう、ジュエス殿」


 アルサ家の兄妹は二人して良く似た諧謔み帯びる、面白がるような視線を向けている。


 そしてジュエスは促されるままに、辞して執務室を出て行った。頭はふわふわとして、夢心地のままだった。


 ――サーラ、か。彼女は美しい……彼女の笑顔をもっと見ていたい。僕だけに向けて欲しい。その為なら全てを投げ打てる――


 ジュエスは自分がそんな風に考える時がくる等とは思っても見なかった。これまで只々身を守り、他者を利用する術だけを考えて生きてきた。

 しかし、今や心中には既に異なる要素が入り込んできている。


 胸の中から沸き起こり身を焼く激情、心の奥底に漂い粘付く暗い沈殿。


 それが愛と嫉妬の混淆であると気付いたのは直後の事だった。



 ◆ ◆ ◆






 ◇ ◇



 真暦661年4月、予定より若干の遅れがあったものの、ついにミーリアの戴冠式が行われた。

 今回の戴冠式には二つの重要行事があった。一つは言わずもがなミーリアの戴冠そのものであるが、もう一つが"僭称者"リメリオの処刑であった。


 戴冠式を計画したランバルトはこの機を利用して、未だ帰順を申し出ないスレインやバレッタ、レグニットの諸侯に対して政治的な喧伝を行うつもりであった。

 ランバルトはリメリオこそが内乱の首謀者である、全てリメリオに責任があるとの公式声明を発した。

 これは反乱を起こした諸侯に対し、今なら降伏を受け入れてやるぞ、まだ逆らうようなら容赦はしない、と暗に伝えていたのだった。

 そして、今後の平定戦に於いても、抵抗勢力を暴虐な王と戦う勇者から、恩赦を無碍にする背信者へとその立場を引きずり下ろすことが出来る事になり、大義名分の面でも大いに有効性があるのだった。

 処刑は新女王の戴冠前に行われた。戴冠後最初の責務が流血というのも具合が悪く、また前王の仇をとったが故に王としての力量が認められるという政治劇でもあった。



 こうして、王女ミーリアはディリオン王国の歴史上でも珍しい女王(ドミナ)として君臨することとなった。





 そして、一度頂点に立つと後は落ちるのみである。悲劇の姫は自らの運命が既に頂点を過ぎてしまっている事に、まだ気付いてはいない―――






 ◆ ◆ ◆


【真暦661年4月 "太陽神(ソル)"の神殿 ミーリア】




 周囲を列柱の回廊に囲まれた神殿には戴冠の儀式に出席するべく、大勢の人間が詰めかけていた。

 出席者は皆沈黙を守り、神殿は荘厳な雰囲気に満たされている。唯一、儀式を取り仕切る神官長の祈りだけが響いていた。


 神殿奥の祭壇の前では神官長ポンティフィクス・マクシムスが祈りの言葉を唱えながら王冠を清め、その傍らにてミーリアが跪いていた。彼女は新雪の様に白く、飾り気の無い長外衣を纏っている。白の長外衣は純粋さを象徴し、婚儀や成人の儀などの重要な儀礼の際にのみ着用するものだ。


「エト・コンシリウム・パシス・グラティア・デオス」


 神官長の祈りの言葉は古の言語で、響きはペラール地方の語音に似ているが意味を理解出来る者はこの場には誰も居ない。


 ――もしかしたらこいつだって分かってないんじゃないかしら。それにしてもまだ終わらないの? いい加減、足が痛いわ――


 儀式は既に一刻近く行われており、その間ずっと跪いている為にミーリアは膝の痛みを覚えていた。

 とは言え、儀式ももう終盤だと思われた。神官長が清めの水に浸していた王冠を取り出し、此方に向き直ったからだ。

 

「アウト・オフィシオルム・プロンプトゥ・エスト・ムリエ?」


 神官長は両手で王冠を恭しく持ちながら問うた。勿論意味は分からない。ただ、この言葉で問われたら決められた答えを返す事だけは事前に教えられていた。


「ベネディクティオ・エト・オムネス・ホス、ファトゥム・エスト・エト・マレディクト」


 ――良かった、間違えずに言えたわ。何で儀式って一々長ったらしいのよ。もっと短くすればいいのに――


 正式な答えを受けた神官長は手に持った王冠をミーリアの頭の上にそっと被せた。

 王冠は全て黄金で出来ており、金蓮華の花や葉を模した装飾や象嵌で彩られている。列柱の隙間から差し込む太陽の光を反射してキラキラと輝いている。


  ――父が被って殺された冠。リメリオも被って死を賜った冠。ベンテス公が求めて討ち死にした冠――


 被せられた王冠はずしりと重く、頭に食い込むように感じられた。


 ――見た目は美しいけれど、血と怨嗟が染み込んでいる。重いのは純金で出来ているからだけではないわね――


 王冠を被せられたミーリアは頭から落とさないよう気をつけながら立ち上がり、後ろを振り向いた。視界一杯に彼女の家族と家臣達の姿が見える。


 メールやリンガル、コーアの貴族だけでなく、今はハルト地方の貴族も多い。王都を奪還した後、多くのハルト人が再び忠誠を誓っていた。

 その中にはロンドリクの太った姿も見える。彼はミーリアの王位継承が優勢となるやブリアンを捨て、浅ましくも忠誠を誓いに来たのだ。多くの者が恥知らずと罵っているのだが、何も知らぬ彼は忠臣面して並んでいる。

 同じくブリアンの廷臣であったパウルスは病を理由に欠席していた。彼は暫く前から姿を見せていないが、それに気付くものは少ない。


 フレオンも並んでいた。相変わらず茫洋とした出で立ちだ。ミーリアは今回の一件で多少なりともフレオンに信頼を寄せるようになっていた。無論、彼には裏もあれば謀もある。ただ、それを差し置いても他の益体もない家臣達より余程頼りになる相手だった。


 そして、参列者の最前列に並ぶのは王族と最有力者達だ。王妃ファリア、メール公ランバルト、リンガル公ジュエス、クラウリム公ハウゼン等が並んでいる。


 弟のブリアンは出席していない。理由も何も言わず欠席している。今の彼の立場では不敬に当たるが、ミーリアも咎める気は起きずランバルト公も黙殺した為放置されている。


 ――大嫌いな弟だけれど、少しは哀れに感じるわ――


 母であるファリア王妃は最上座である中央に位置している。

 母は全ての気力を無くしているように見えた。そして、彼女から向けられる視線にはもう冷たさは宿っていない。

 態度の変化はミーリアを理由とするものではなかったが、母の気持ちはミーリアにも痛い程良く分かった。


 ファリアの右には事実上の最高権力者であるランバルト公が立つ。左隣には次席であり、今も尚ミーリアの愛する男であるジュエスが並んでいる。


 ――ああ、ジュエス様。愛しています。愛しています。なのに、なのに――


 ジュエスとミーリア、そしてファリアとの関係にはある変化が生じていた。それまでは機会を見ながら密かに行っていた閨での関係が一切無くなったのだ。片方だけでなく、ミーリアとファリアの両方ともだった。

 勿論、彼女らの側から拒否などする筈もない。ジュエスが受け入れなくなったのだ。はっきりと拒絶された訳ではないが、やんわりと躱されたり、行き違いにさせられたりしていた。

 ミーリアが女王(ドミナ)として即位したら、王権の兼ね合いからジュエスと伴侶となる事は先ず不可能になる。その事は承知していた。母もそれを分かっていたからこそ、ミーリアを支持したのだ。

 しかし、彼との蜜月がそれで終わるとは思っていなかった。困難にはなっても愛し続ける覚悟だったし、彼も愛してくれると信じていた。


 ミーリアもファリアも嘆き悲しんだ。

 愛する男が自分を避けている。それだけで身が裂かれそうな思いだった。


 ――なのに、なのに、あの人は私を見てくれない! それもこれも全部"あの女"の所為――


 ミーリアは出来るだけ感情を押し殺しながらランバルトの更に右横に立つ女に目を向けた。


 ――全部全部全部、貴方の所為なのよ!――


 その女、アルサ家のサーラはミーリアも含めたこの場にいる全ての人間の中で最も神殿に相応しい姿だった。

 体付きは女性的な豊満さと引き締まった肢体を兼ね備え、腰まで伸びる金色の髪は何処までも美しく、儀礼用の派手さの無い服装であるのに常に目を奪う。

 瞳は蒼く澄んで吸い込まれそうに感じる。奥底には兄ランバルトと同じ冷酷さが潜んでいるが、それさえも魅力と捉える男も少なく無いだろう。


 ――神殿に居るとまるで"愛と美の女神(アモル・デコレム)"だわ。神話の様に彼女を巡って戦争が起きたとしても何も不思議では無いわ。悔しいし、認めたくないけれど、彼女は美しいのよ――


 目鼻だちの美麗な事と言ったら、同じ女性であるミーリアも初めて見た時は余りの美しさに思わず溜息を付いてしまった。今思えば一生の不覚である。


 そして、ジュエスが彼女を見る視線は明らかに恋や愛を感じさせるものだった。

 ミーリアや母ファリアには決して向けたことの無い視線。閨であんなに尽くしたのに向けてくれなかった視線。それをサーラには惜しげも無く注いでいる。

 その事が何より悲しかった。世界が滅び去るとしてもこれ程の衝撃は受けないだろう。

 一方のサーラの方もジュエスに対して乙女の瞳を見せている。彼女もまた自分やファリアのようにジュエスに魅了されているのだと確信出来た。


 改めてサーラの事を考えると心の底に黒い感情が止めどなく湧き上がる。嘗て母に感じたのよりずっと強く、激しい妬みの炎だ。ミーリアは生まれて初めて誰かを殺したいと思っていた。


 ――強く自制しなければ、今この瞬間にでも飛びかかって首を絞めてしまうかもしれない――


 とは言え醜態を晒す訳にもいかずじっと耐えていた。

 頭の中に様々な思いが駆け巡っていたが実際の時間では一瞬であったようだった。


 背後の祭壇側に立つ神官長が新たな女王となったミーリアを称える言葉を叫んだ。


「新たなる主に永遠の繁栄を!」


「「「永遠の繁栄を!」」」


 参列者達が負けじと大声で復唱する。余りの声量に神殿全体が振動している。


 ――でもね、私はそんなものは要らないの。王冠も玉座も王国も――


「王土の護り手に悠久の平和を!」


「「「悠久の平和を!」」」


 大勢の人間が叫ぶ為、余りの声量に神殿全体が振動している。


 ――私が欲しいのはこんなものじゃないの! 私が欲しいのはたった一つだけ!――


女王(ドミナ)陛下に無限の栄光があらん事を!」


「「「無限の栄光があらん事を!」」」


 参列者達の中には興奮の余りに両手を掲げ叫んでいる者も見受けられる。

 しかし、ミーリアの目はその中の唯一人にだけ向けられている。


 ――私には彼の愛だけあればいい! ただそれだけなの!――


 神殿から外に漏れ出る程の大歓声を浴びながら、女王(ドミナ)ミーリアは愛する男の事だけを想っていた。



 ◆ ◆ ◆

 お読み下さり本当に有難う御座います。

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キャライラストは iri000(https://www.lancers.jp/profile/iri000)さんに描いて頂きました


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