『決戦・二 ~王都ユニオン攻防戦~』
リリザで大敗を喫したライトリム公ベンテスは辛くも国王軍の追撃を逃れ、落伍兵やリリザの補給物資も全て放棄して只管に後退した末に王都ユニオンへ辿り着いた。
ユニオンに入城出来たのはベンテス公の他、ラテラン、アルメック、フォルミオらと2万を大きく割った兵だけだった。
だが息を吐き、悲嘆にくれている余裕は無かった。
国王軍は既にはユニオン近くまで前進しており、遠からず王都に到達するだろうことは想像に難くなかった。
ベンテスは再起を決意し、ブリアン派に対抗する戦力を集める為にライトリムへ向かった。
その間、ユニオンは腹心ラテランが手持ちの兵力全てを率いて守り、国王軍を引き付けておく役目が授けられた。
アルメックとフォルミオも共に残り、ラテランの麾下で戦うこととなった。
ベンテスは極少数の供回り以外の護衛兵は全て残していった為、ラテランの指揮下にはリリザでの生き残りとユニオンに残していた守備兵併せて2万の兵力が託された。ベンテスの護衛兵とラテランの手勢を含み、兵の質は生き残りと言えど高く、王都を守り抜く事への強固な意思か感じられた。
ラテランは王都の住民も防衛に動員した。
王都は暴動やライトリムによる動員の後も20万人近い人口を抱えており、女子供・老人と奴隷を除いても3万人は動員可能でこれを使わない手は無かった。
戦闘経験も忠誠心も無い王都の住民を兵士として使うことは無く、輸送や修理などの後方支援に動員した。
王都の住民はベンテスに対する忠誠心は欠片も無かったが、暴動によって傷ついた王都を救ってくれた事は覚えていた。
ハウゼン公も加わるブリアン派軍を選ぶかライトリム勢を選ぶかという状況に置かれた王都の住民は積極的にライトリム勢と共に戦う事は無かったが、少なくとこの段階では逆らう事無くライトリム軍の指示に従っていた。
この点に於いては両陣営ともハウゼンの影響力に対する最初の見込みが、誤っていたことになる。
王都がライトリム公の手に落ちてから復興は進んでおり、ブルメウス死後の暴動の傷跡は大部分が癒えていた。
ラテランは可能な限りの食料や飲料水、灯り油を掻き集め籠城に備えた。
城壁や防御塔を補強し、火事の延焼に備えて各所に水瓶や避難所も設置した。
リリザへ多くの物資を運んでいたとはいえ依然王都には膨大な量の食料が保存されており、それらも併せると配給次第では一年は籠城できる量があった。
だがラテランは長期に渡る籠城を覚悟し、市内の統一を維持しやすく為に特殊技能を持たない奴隷の殆どを処刑した。
戦闘が佳境に差し掛かった際に反乱を起こされる事を嫌い、口減らしも兼ねていた。
奴隷の死に関して王都の住民は反対すること無く、前回の暴動で奴隷が暴れ回ったことを覚えていた為に寧ろ率先して奴隷を殺して回った。
六つの城門は全て閉ざされ、大小の水門も閉鎖された。
市外にある大埠頭からも尽く物資を運び込み、艀や桟橋を破壊して河川港としての機能を損なわせた。敵に奪われることは確実である以上、多少動きを妨害できれば良いと考えていた。
そして、籠城の準備を大至急で進めるユニオン市についに国王軍が到着した。
◇ ◇
ライトリム軍を打ち破り大勝利を収めたランバルトは公弟ザンプトンの軍を吸収し、5万の兵を以って王都へ向け南下した。
勝利に貢献したザンプトンだったが、国王軍内での扱いは悪かった。
諸将は幾ら勝利に必要だったとは言え兄を裏切った彼に対して好意的にはなれず、ランバルトは封鎖を破られベンテスを取り逃がした事でザンプトンへの評価を下げていた。
ザンプトンは悪評を払拭する為にライトリム軍残兵への執拗な追撃を掛けたり、率先して放棄されたリリザの物資を接収したが、悪足掻きと取られ寧ろ嫌悪を煽るだけだった。
ベンテスの追撃にも結局失敗しており評価は更に下がることとなった。
僅かな守備兵を追い散らしてリリザを手に入れた国王軍はライトリム軍が放棄していった大量の補給物資を獲得することが出来た。
北のコーア進軍の為にライトリム軍が設置したリリザの補給基地は攻守ところを変えて、今度は国王軍が王都攻略の為の足掛かりとして使われることになる。
快速部隊で露払いしつつ王都近郊まで接近したランバルトは、ユニオンが既に籠城の準備を整えている事を知った。
王都住民に人気のあるハウゼンがいても門を開けない以上攻め落とすしかなく、早期の攻略を諦め包囲戦を覚悟した。
しかし、包囲戦に関して国王軍には一つ懸念があった、総司令官ランバルトと主力のメール兵には大規模な包囲戦の経験が無いのだった。
大都市であるオリュトスもクラインも城攻めをせず、謀略と説得で開城させていた。結果としては味方の血を流すこと無く両都市を獲得するという大勝利だったのだが、代わりに包囲戦の経験を得ることが無くなった。
城攻め自体の経験が無いわけではないが、メールでは蛮族の築いた砦や山岳民族の山城程度しか攻撃することがなかった。
それらの小砦は登板能力や山岳の経路探索等が攻城兵器による重攻囲より重視されていた。
また、メール式の重装歩兵は密集方陣を形成しての集団戦が本領であり、勇士とは違って個々の兵単位での戦力は然程重視されておらず、城壁上の狭い空間ではその力を十分に発揮出来ないであろうことも予想された。
司令官と主力の経験の無さが国王軍の前半に於ける行動の鈍さに繋がった。
ランバルトはエピレンの丘に本陣を置いた。
エピレンの丘はユニオン市外に在るなだらかな丘陵で標高も二十メートル程度しか無いが、ユニオン市周辺で唯一の高所である。
国王軍は包囲陣地の構築に取り掛かった。包囲戦の経験を持つハウゼンとジュエスが監督し、防柵で補強された堡塁と監視塔をユニオン市に沿ってぐるりと囲むように張り巡らせようとした。
しかし、包囲陣地を建設しようとする国王軍に対しラテランは市外へ兵を繰り出して、矢や投石によって妨害行動に出た。
国王軍が反撃に出るとライトリム軍はユニオンに取って返し、城壁上からの支援で大した被害もなく撤退させていた。
出撃してくるライトリム軍は小回りの効く小規模部隊だったので、国王軍側の人的被害は少なかった。戦闘より建設作業の遅延がラテランの目的だった。
ライトリム軍の妨害は昼夜を問わず繰り返され、国王軍の包囲陣地建設は難航した。
ハウゼンとジュエスはこの苦戦を打破する為に陣地構築の方法を変えた。
先ず監視塔を建設して弓兵を配置し、加えて軽歩兵と騎兵を組み合わせた快速部隊を常に遊弋させて警備に当たらせることで建設作業を可能にする防御圏を形成した。
その防御圏を幾つも連ねる事で建設を続け、一ヶ月以上の時間を掛けて最終的に全周に渡る包囲陣地を築き上げることに成功した。
国王軍の包囲陣はエピレンの丘に設置された本陣を起点にユニオン市の外周を囲み込んでいた。
各城門の前には宿営地も兼ねる防御陣地が配置され、市内からの攻撃に備えている。それぞれの防御陣地の間は防柵と堡塁で接続されており、防柵沿いに数メートル置きに監視塔が建設されていた。
包囲線はユニア川で建設不能な地点を除いて途切れる事無く連なっていた。
本陣にはランバルトが3千人の親衛隊とコルウス族2千人と共に予備として控えていた。
本陣に近いエピレン門と西門にはメール軍が対峙し、オーレンとハルマナスがそれぞれ歩騎混成で4千人ずつ兵を率いていた。
ユニア川が市内に注ぎ込む出入口である大水門もメール軍が見張った。
北門と東門に対してはクラウリム軍1万2千が布陣し、ハウゼンの統率の下にダロス将軍らが指揮を執った。
レリウス門には公弟ザンプトンと寝返ったライトリム兵1万が配された。
この部隊にはリリザの隘路で降伏したライトリム兵も押し付けられており、焦るザンプトンを除いては士気が低く、連携も欠いた。
南門と付近一帯の城壁にはジュエス率いるリンガル軍1万5千
が担当した。
単純に南城壁と南門が長大で堅固であるという理由もあったが、南城壁は両側にユニア川が流れている為に援軍を送り込みにくく、また南から敵の増援が来襲した場合最短距離に在る南門に到着する可能性が高い為、リンガル軍単独で一つの方面を担当した。
包囲陣地を構築し終えた国王軍はユニオン市への総攻撃への準備を開始した。
新暦660年7月、漸く包囲陣陣地を構築し終えた国王軍だが未だ王都への攻撃には至っていなかった。攻城兵器の製作という大仕事が残っていたからだ。
王都ユニオン市の城壁は平均の高さ10メートル・厚さ4メートルに及び、複数の射撃兵器や防御装置を備えた強力な塔と深い堀によって守られている。
城門の周囲は特に堅固に築かれており、一つ一つがまるで要塞の如き様相を呈していた。
強力無比なユニオンの大城壁を突破するには攻城側にも相応の兵器が必要だった。
ランバルトは再びハウゼンとジュエスの監督下に攻城兵器の作成を命令した。
そして、10メートルの城壁を乗り越える為の攻城塔や梯子、堅固な城門を打ち破る為の破城槌、移動中の兵士を守る車輪付きの防御盾や亀甲車、堀を埋め立て押し渡る為の台車、城壁上の敵を狙い撃ち進軍を支援する弩砲や石弓、城壁を撃ち崩す為の投石器が次々と製作された。
攻城塔や亀甲車は延焼への対策に濡らした獣皮で覆われており、その巨体と合間って神話の怪物の様であった。
坑道掘削による城壁下への攻撃に関しては資材と技術不足により行われなかった。ランバルトがメールから鉱山技術者を連れて来ていれば、或いは可能であったかもしれない。
ラテランも黙って見ている訳はなく再び妨害行動に出るが、新造の攻城兵器群により包囲陣地は強化されており、小規模な襲撃隊では近づくことも出来なくなっていた。
◇ ◇
新暦660年8月、更に一ヶ月の時を費やし攻城兵器の群れを作り上げた国王軍はついにユニオン市への総攻撃を開始した。
攻城兵器の多くは本陣から近く、攻撃に適したエピレン門に投入され、総攻撃の主攻も同門を攻めるメール軍となった。
他の部隊は助攻として各城門を攻撃し、ライトリム軍のエピレン門への増援を阻止する任務が与えられた。
攻撃は外堀の途切れる城門周囲に集中して行われた。射撃兵器の支援の元に十数基の攻城塔、破城槌、亀甲車が城門へ接近していった。徒歩の兵士も防御盾を前面に押し立てて後に続いた。
城門から離れた城壁に対しても射撃や梯子による強襲で陽動を掛け、敵兵力集中の阻止を図った。
しかし、ユニオン市からの反撃は熾烈だった。
城壁上の弓兵からは空が暗くなる程に大量の矢が放たれ、防御塔の弩砲から撃ちだされた極太の矢玉は攻め手の防御盾を背後に隠れる兵士ごと貫いた。
無数の火矢や燃えた油壺が空を赤く焼きながら攻城塔や亀甲車に降り注ぎ、獣皮で覆っていた意味などなかったかのように火達磨にした。
嵐の如き射撃を潜り抜け堀を越えて漸く城壁まで辿り着いた攻城塔や梯子もいた。しかし、彼らを待っていたのは煮え立った油と落石、防御塔からの集中射撃だった。
城門周囲の攻撃は更に激しく、攻撃側の努力と奮戦にも関わらず余りの火力に近づくことすら出来ずにいた。
殆どの兵は壁に取り付くことも出来なかった。幸か不幸か城壁の上に登る事に成功した一部の兵士も、守将ラテラン、アルメックやフォルミオらが適切に兵を投入し、直ぐ様壁の下へ叩き落とされてしまった。
勇敢な戦いぶりにも関わらず国王軍の総攻撃は頓挫し、これ以上の被害が出る前に撤退を命じる他無かった。
そして、敗北の味は何時味わっても苦いもの。口直しは勝利の美酒でしか行えない。若き貴族は敗北の後始末に奔走させられていた―――
◆ ◆ ◆
【新暦660年8月 王都ユニオン南門 リンガル公ジュエス】
ジュエスは歯噛みしながら撤退させたリンガル軍を見ていた。
突き刺さった矢で針鼠になった亀甲車や弩砲に撃ちぬかれて穴だらけになった防御盾が包囲陣地に向け後退してくる。
徒歩の兵士は負傷した他の兵を数人がかりで運び精一杯の速さで駆けている。
その間も後退を支援する為に陣地からは石弓や弩砲が城壁に向けて矢玉を打ち続けていた。
総攻撃の結果は惨憺たるものだった。
繰り出した3基の攻城塔は全て焼け落ちて倒壊し、城門へ向かった破城槌も中の兵士ごと失われた。
梯子を使用した部隊は城壁へ近づくことすら出来ず、防御盾の残骸を寄り集めて隠れているしか無かった。
城壁からの射撃も凄まじいが、城門一帯からの攻撃は敵が"雨と風の神"の加護でも受けているのかと信じたくなる程の激しさだった。
指揮下に収めたリンガル兵やフィステルスからの混成部隊もプロキオン家の兵士と同様の強烈な忠誠心を発揮するようになった。
普段の戦いなら有り難い事この上ないのだが、今回はそれが不利に働いた。
怖気づいて逃げ出すこと無く前進して、ユニオン市の防御圏の奥深くまで入り込んでしまったのだ。
ジュエスは攻撃を無闇に行わせた訳でも無ければ、無理矢理に攻撃を続けさせたわけでもない。攻撃自体は陽動の範疇を超えることはさせず、危ういと見るや直ぐに撤退命令を出した。それでもこの被害なのだ。
攻城兵器の大部分は焼失し、負傷者を五百人近く出してしまったが、不幸中の幸いと言うべきか早期に撤退させたので死者は百人程に収まった。
助攻に過ぎない南門でこの被害なのだから、主攻のエピレン門はどうなっていることやら……
ジュエスは嘆息せざるを得なかった。
王都の防備を見たことのあるジュエスは王都を軍事的に攻略することが可能かどうか疑っていた。
兵糧攻めにするなら兎も角、力づくの城攻めは無理だろうとも考えていた。フィステルスの戦いの後にブリアンに王都奪還を命令されても拒否したのはその為だ。
その上、今王都を守っているのは戦闘経験の豊富な将軍とその家臣達だ。
大城壁と将軍、何方か一方だけでも厄介だというのにだ。
ハウゼンに敗れる前にオリュトスで包囲戦に踏み切ったのは、壁はもっと低く、防御塔も少なく、籠城していたのは士気の低い烏合の衆だったからだ。
それでも今回攻撃を承知したのは、ランバルト公なら今までの様に何か上手い事やれるのだろう、攻め落とす考えが在るのだろうと少なからず期待していたからだ。ハウゼンも同じく彼に期待していた。
だが此方の期待を裏切ってランバルトが命令じたのは規模こそ大きいが、何の変哲もない包囲攻撃で、工夫の無い単なる強襲に過ぎなかった。
指揮官の命令には従わねばならないし、案外上手い事陥落させられるのかも知れないと思いもした。
それは自分が付いて行く事を選んだ男が失敗を犯す筈がないという、ある種の願望であったかもしれない。
その結果は見ての通りだ。
得られた事といえば城塞を力攻めすれば甚大な被害が出る、という戦訓を改めて確認出来たことぐらいか。
こんな事なら二年前にブリアンの命令を聞いて攻めておけば良かったかな。
一瞬後悔した後、直ぐに馬鹿げた考えを打ち捨てた。
あの時は王都を占領した連中があそこ迄、纏まりが無かったとは知らなかった。攻囲中に諸侯同盟軍に市内毎一掃される危険の方が大きかったし、攻め落としても近衛や守備隊の奴らと同じ運命を辿る公算も高かった。
そんな昔の事を今更どうこう言っても何も変わらない。
ジュエスには現実で対面しなければならない事が山のようにある。
部隊の再編に攻城兵器の再製作、敗北で気落ちした兵士にも声を掛けてやる必要があるし、負傷兵も見舞わねばならない。
忠誠心を維持する為には兵一人一人と関わる必要がある。面倒だが止むを得ない。
ジュエスは陣地に戻ってきた兵士達の下へ歩き出した。
◆ ◆ ◆
国王軍によるユニオン市への総攻撃は無残な失敗に終わった。
一つの城門も、一箇所の城壁も突破することが叶わなかったのだった。
被害も大きく、攻城塔や破城槌の半数を失い、全体で3千人の死者を出した。ランバルトが総指揮を執って以来最悪の損害である。
ただし、死者の過半は功に焦り冷静さを欠いたザンプトンの部隊によるものであった。レリウス門に配置されたライトリム兵が復讐心に猛り一層の激しい攻撃を行ったことも理由の一因となった。
それでも、主攻となったメール軍は2百人の死者とそれに倍する負傷者を出し陣地までの撤退を余儀なくされた。
一方のユニオンを守るライトリム軍の損害は負傷者含め百人以下でしかなかった。
質量共に勝る国王軍相手に大勝利を収めたライトリム軍の士気は一気に高まり、リリザでの敗戦のショックも払拭することが出来た。
ラテランはこの士気の高まりと国王軍の消沈を見逃そうとはせず、この機に打って出る事を考えた。
狙うのは最も多い損害を出し、質的にも最も劣るレリウス門のザンプトン隊以外には無かった。
ラテランも唯攻撃するのでは無く一計を案じた。
自ら率いる一隊はエピレン門から出撃し国王軍の本隊を攻めるが、これは言うまでも無く陽動で、耳目を引き付けている間にアルメック率いる襲撃部隊が小水門から密かに市外へ出撃しザンプトン隊を奇襲するというのが真の目的だ。
士気の高まったライトリム軍は此方からの攻撃に異を唱える事も無く賛成し、襲撃は早くも翌日の夜には実行に移されると決まった。
ランバルトもこの機を逃さぬ敵襲が来ると確信しており、各隊に防御と警戒を下令した。
その甲斐あってかライトリム軍の攻撃が始まっても混乱を来すことも無く反撃に出ることが出来た。
だがこれが裏目に出てしまう。
警戒通り反撃が来たと思った国王軍の各部隊の注意は余りに素早くエピレン門に集中してしまったのだった。
先の敗北での気落ちを振り払う為に戦いに赴きたかったのかもしれない。幾つかの部隊等は持ち場を離れて本隊の援護に向かってしまった。
ザンプトンは本隊への攻撃が始まっても、何か行動を起こす余裕は無かった。それどころが市の反対側で戦ってくれている今の内に部隊の再編と死者の回収を済ませておこうとすら考えていた。
ライトリム軍の襲撃部隊はこの隙を完全に突く形となった。
先の総攻撃の疲れも癒えていない所に突然の夜襲を受けたザンプトン隊は大混乱を来し、碌に反撃出来ないまま逃げ惑う事となった。
ライトリム軍が陣地に火を点け混乱に拍車を掛けた。
指揮官のザンプトンは怒声を張り上げて混乱を収集しようとしたが、結局混乱に巻き込まれた所をライトリム兵に討ち取られてしまった。彼の野望も未来への展望もあっさりと道端の露と消え落ちてしまった。
指揮官を失って収集のつかなくなったザンプトン隊の中にはライトリム軍に再び寝返ろうとして味方に刃を向ける者も現れた。
レリウス門陣地での混乱がこのまま続いていたら国王軍の包囲陣は総崩れとなり、敗走に追い込まれていたかも知れなかった。
だがそうはならずに済んだのは東門に布陣していたハウゼン率いるクラウリム軍が援軍に駆けつけたからであった。
ハウゼンもエピレン門の攻撃に気を取られていたが隣接するレリウス門方面の異変を察知して援護に出撃したのだった。
クラウリム軍は陣地を空にする訳にも行かず、3千人程しか連れて来てはいなかったがこの状況では十分だった。
夜襲とザンプトン隊への追撃で隊列を乱していたライトリム軍はハウゼンの攻撃には流石に抗し得なかった。
不利を悟ったアルメックは撤退を命令し、レリウス門から市内へ退いていった。
エピレン門から出撃したラテラン隊もある程度戦うと市内へ撤退した。
ランバルトはこの機に野戦で叩き潰そうと考えていたが、総攻撃での心身共の疲労は彼の予想以上にメール兵を苦しめており、追撃するにしても城壁に近づくことを無意識的にも避け、効果的とは到底呼べなかった。
結果としてライトリム軍による夜襲も大成功に終わり、国王軍の一角を突き崩し、憎き裏切り者のザンプトンを殺すことにも成功したのだった。
総攻撃に失敗し、反撃を受けて被害を出したランバルト率いる国王軍はそれ以降、打つ手の無いまま陣地に篭もる日々を強いられていた。
そして、ユニオン市が時間を稼いでいる間にライトリム公ベンテスの再起の策は着々と進められていた。
◇ ◇
ラテラン将軍が王都で必死の防戦に当っている間、ライトリム公ベンテスは公都サフィウムへ帰還し、公子ベントレスと共にブリアン派と戦う為の方策を練っていた。
彼には一つだけ策があった。それは以前にも国王ブルメウスと戦う時に使い、レグニット公ガムランには自らに対して使われた策だった。
諸侯同盟の再結成である。
最早、単独では国王軍に抗い得ない以上、同盟者に手を貸して貰う以外に方法が無かった。
だが同盟を結成する上で、現在の状況は以前と比べて二つの点で問題があった。
一つは同盟の構成者に関して、もう一つは如何にして同盟を承知させるかという点であった。
同盟の構成者については、同盟を見込めるだけの勢力を保有する諸侯が殆ど残存していない、という問題があった。
ブルメウスと戦った時には自身ライトリム公の他にレグニット公・スレイン公・バレッタのヒュノーと、同盟を見込める諸侯が多数存在していた。
レグニット公が同盟を結成した際にもクラウリム公やフェルリアのサレンがまだ残っていた。
だが今はレグニット公は打ち倒され、クラウリム公はブリアン派に馳せ参じ、フェルリアのサレンは滅びた。スレイン公はモア・アイセン攻めに夢中で他陣営と接触すらしていない。
"諸侯同盟"と言う点ではメール・クラウリム・リンガル・コーアを擁するブリアン派の方が相応しい程だった。
現状で唯一同盟への参加が期待出来たのはバレッタのヒュノ―だけだったが、バレッタ勢との交渉は難航するだろうと予想された。
悪漢サレンと手を結ぶという、今尚暴れ回る盗賊集団がバレッタにばら撒かれる切っ掛けを作ったのはベンテスその人なのだ。
バレッタ人の怒りを宥めるのは容易な事では無いのは明らかだった。
だが、例えバレッタを味方に付けられとしても、ヒュノーとバレッタ兵だけでは今の国王軍と戦うには力不足だった。
そしてスレイン公はやはり何も返答してこなかった。しかし、ライトリムとの同盟破棄も通達してきてはおらず、敵とも言えない立場であった。
あらゆる手を打つしかないベンテスは"諸侯"以外から同盟者を得ようと考えていた。
その同盟者とはメガリス王国であった。
メガリス王国は南方の大河流域を押さえる大国である。当然ながらその勢力は単独のディリオン諸侯を遥かに上回り、援軍を得られればこれ以上強力な味方はいない。
とはいえメガリス王国はディリオン王国と覇権を巡り対立して久しい敵国である。
近年は南方蛮族への対処で動きは鈍っているとはいえ、先年もサレンを放逐しフェルリア地方を占領するなどその野心は些かの衰えも見せていない。
内戦に於いて他国を呼び寄せることは禁じ手に近い。例え勝利できたとしても、事実上の属国と化してしまう。
ましてや敵国を引き入れるとなれば母国が無事でいられる可能性は皆無となる。
ベンテスは既にディリオン王国ではなくライトリム公としての未来しか眼中に無く、自らが擁立したリメリオの事も思考の埒外にあった。
例え国を売ってでも、先ずは自身存亡の危機を乗り越えようとしか考えられなくなっていた。
単に他勢力の下風に立つと言うのであれば、ブリアン派に降伏するという選択もあった。
だが、ブリアン派に加わったとしても諸侯同盟を結成して王国を崩壊に追い込んだ張本人たるベンテスが許される訳はなく、リカント家が改易の憂き目にあう可能性も十分考えられた。
その危険性を犯すよりも、汚名を被ってもメガリス王国の傘下に降り、旧ディリオン諸侯の首位を占め続ける方がライトリム公として生き残れる公算が高かった。メガリス王国としてもライトリムという現地の有力者を抱き込むことが出来、占領統治の上で有利立てる筈だった。
もう1つの如何にして同盟を承知させるか、という点に関してもベンテスには策があった。
メガリス・バレッタとの同盟結成の実行にはベンテス自らが出馬し直接交渉に赴くことで同盟に掛ける熱意を示した事もそうだったが、一番は同盟結成に対する見返り、簡潔に言えばどの領土を割譲するか、であった。
ベンテスはメガリスに対しては交渉に当っての不安は無かった。
実際、さしたる困難も無くメガリスは同盟を受け入れた。フェルリア地方に隣接した大都市シェイディンの割譲とメガリス王への忠誠で十分だった。
バレッタに対しては実に大胆な手を打った。
そして、怒りと憎しみの感情だけはまるで燃え盛る火炎の様に頂点から末端まで一瞬にして広まっていく。無力な平民は下々の者の憤怒を常に感じていた―――
ベンテスはヒュノーに、現在ライトリムが占領しているハルト地方の全域を譲り渡すと伝えた。
これはヒュノ―の現状を鑑みると、断ることが出来ない程の魅力的な提案であった。
ヒュノーは軍事的にではなく、政治的に窮地にあった。ヒュノーは元々バレッタの人間ではなく、生粋のハルト人である。バレッタの統治を担えているのは、軍隊による征服と現地貴族からの支持を取り付けられたからに過ぎない。
バレッタ貴族も心からヒュノーを敬愛しその手腕に未来を委ねている訳ではない。今は戦時下であり、従うべき公子はまだ幼い。
となれば、緊急措置としてヒュノーに従っていたのだ。
少なくとも軍人のとしての力量は確かであり、統治者としても現地に配慮した政策をとっている。このまま滅びの道をたどるよりは些かでも良い、と判断していた。
そして、バレッタ貴族は愛するトルシカ公を殺したのがヒュノーであることを、サレンがバレッタに災禍を齎す切っ掛けを作った大本がヒュノーが諸侯同盟軍に加わった事だと言うのを忘れていなかった。加えてサレンの略奪に晒され、暗い怒りを持て余したバレッタ人は余所者に対する強い嫌悪感を醸造させていたのであった。ヒュノーが連れて来たハルト兵は今のところ大きな問題は起こしていなかったが、いつ盗賊となって暴れ回るか、バレッタ人には不安以外の何者でも無かった。
一方のハルト兵にとってもバレッタ等は遠い異郷であり、その地で何年にも渡り戦いを強いられるのは、幾らヒュノーの指揮下でも苦痛であった。彼らの土地と家族はハルトにあり、ライトリム公の管理下にあった。まだベンテスとヒュノーが協調していた間は良かったが、対立し始めると一挙に不安は高まった。だからこそ、ベンテスの引き抜き工作も実を結び、アルメックの様な幹部級の人材まで手に入れることが出来た。このまま、ハルト兵をバレッタに駐留させ続ければ何れヒュノーに対する不服従を招くだろうことは疑い無かった。下手をすれば手勢に反乱を起こされる危険性すら内包していた。
この様な現状に於いてハルト割譲はヒュノーにとって喉から手が出る程有り難い提案だったのだ。
ハルト兵を故郷に返すことが出来、バレッタ人の余所者に対する憎悪を減らすことが出来た。
ヒュノーも個人にとっても、バレッタを追い出されたとしてもハルトという避難先が確保出来るのは有り難い事だった。
こうして大幅な領土割譲を条件にベンテスはメガリス王国とバレッタを同盟に引きずり込む事に成功した。
諸侯間に於いては、先日までの敵との和睦・同盟は珍しいことではなかったが、メガリスという列記とした敵対国との協同はディリオンの歴史上、ある意味革新的な出来事であった。
この同盟に盟主は置かれなかった。ベンテスは事実上メガリスの傘下に下った以上、主導権を握るわけにはいかず、ヒュノーも勢力の大きさで言えばメガリス王国に遥かに及ばない。と言ってメガリス王国が主導権を握るのではバレッタ人の心象が良くない。
と言うことで同盟内の優劣は特に規定されなかった。問題は軍の総指揮まで曖昧にされたことだった。
軍の派遣を決めた同盟軍はライトリム公都サフィウムに集結した。ユニオンまでの最短距離という点ではバレッタ方面から進むのが良いのだが、そこはヒュノーが強硬に反対していた。
また戦略的には海軍を用いたリンガル攻撃も有効な手段であったのだが、寄港地としてバレッタを提供することもヒュノ―は拒否し、肝心のメガリス海軍もまだ南方蛮族対策でメガロ海・ローランディア川に貼り付けであり実現しなかった。
新暦660年10月、サフィウムに集結した軍勢はライトリム軍1万、バレッタ軍1万8千、メガリス軍2万の総計5万2千の兵となった。
ライトリム軍は各地の守備隊をかき集めた混成部隊で公ベンテスが指揮を取った。
バレッタ軍はヒュノーが指揮を執った。大半がハルト兵でバレッタ兵は少数だったのがヒュノーのこの戦いに於ける意図を表している。
メガリス軍はアンニー氏族の首長エルベドが指揮を執った。彼はフェルリア攻撃も任されたメガリス軍の重鎮で、王国内でも大勢力を保有する首長だった。首長とはメガリス独自の氏族制度に基づく有力者のことである。兵力の半数は征服したばかりのフェルリアから徴収した兵であったが、サレン時代に登用され裏切った者が多く、新たな支配者であるメガリスに気に入られようと意気込んでいた。
合流した同盟軍は問題の総指揮権について協議した。喧々赫々の言い争いと駆け引きの末、ヒュノーとエルベド首長とベンテスが毎日交互に指揮を取ることで話は決まった。
ベンテスが総指揮官に含まれているのは、メガリス側がベンテスを自陣営の人間だと認識していた為だった。三日に二日はメガリスに有益な行動を取る人間が総指揮官となると踏んで、エルベドが主張した結果だった。
無論、毎日指揮官が代わるなど混乱を生み出す元凶以外の何者でもないが、それは軍事の世界の話であって、政治的闘争に於いては説得力を持たなかった。
国王軍に対抗する為、新たに結成された同盟軍は包囲された王都ユニオンを解放するべく、サフィウムを出陣した。
戦いは内乱の枠を越え、大陸を巻き込んだ戦争へと変貌していった。
総攻撃に失敗した国王軍は王都の包囲を続けていたものの打開策が見出だせず、二ヶ月に渡り壁を挟んだ睨み合いを続けていた。
その間も新たな攻城兵器を作成し攻撃の準備は整えていたが、先の敗北は国王軍将兵の心に重く伸し掛かり、攻め寄せる決断は出来ずにいた。
ザンプトンの戦死後にレリウス門はハウゼンの指揮下に統合され、クラウリム軍が守ることとなった。
また、オリュトスに於ける役目を終えたコーア兵四千人が増援として合流しても状況は変わらなかった。
ランバルトも包囲陣地の強化、部隊の再編、攻城兵器の製作を只管続ける他に手が出せずにいた。
だが一方のユニオン籠城軍も総攻撃の撃退と夜襲の成功以後、閉塞した状況にあった。
国王軍は攻撃しない代わりに包囲陣地を日に日に強力していき、蟻の這い出る隙間も無い程の重厚さを誇らせていた。大小の水門への監視も強化されており、前回の様な奇襲も成功は見込めなかった。
ラテランは襲撃隊を数度編成し包囲陣を攻撃したが、何も成果は挙げられず這々の体で市内へ撤退した。
ユニオン市内の食料は未だに豊富でまだ数ヶ月の籠城に耐える余裕が存在した。水も油も底を付く心配は無く、酒や香料等の嗜好品もまだ蓄えがあった。
しかし、打つ手が無く篭もらざるを得ないというのは、籠城者の心には耐え難い苦痛を齎すものであった。ましてや既に大勝利を経験しているのだ。
甘い勝利の味は彼らの戦いに対する閾値を下げ、耐え忍ぶ事を困難にしつつあった。
そんな膠着状態の中、国王軍の元にライトリムに敵軍が集結したとの情報がもたらさされた。
そして、戦いは終幕に向けて速度を増していく。若き貴族は時代の岐路に立とうとしていた―――
◆ ◆ ◆
【新暦660年10月 エピレンの丘 リンガル公ジュエス】
ランバルトから緊急の召集を受けたジュエスは、国王軍の本陣が置かれているエピレンの丘に居た。
前回の総攻撃の失敗と籠城軍の夜襲による被害の痕跡はすっかり消え、新たな攻城兵器が幾つも再建されていた。だが、陣内には膠着状態に伴う嫌な緊張感が漂っている。
総司令官ランバルトも本陣から命令を下すだけで軍議を召集しなくなっている。ジュエスはその事を心配や不安に思うよりも、務めて期待に変えようとしていた。
――久々の軍議か。陣地の強化と警戒以外の指令だと良いのだが――
ジュエスは本陣の兵士に案内されるまでもなく、最も見晴らしの良い場所に設置された司令官用の大天幕へ向かった。
召集の理由は大方予想が付いていた。
◇ ◇ ◇
「失礼します。御命令に従い、参上致しました」
天幕の中に入ったジュエスはその場にいる面子に少々の驚きを覚えた。中に居たのは地図を前に将几に腰掛ける総司令官ランバルトの姿しか無かったからだ。
――ランバルトと僕だけか。軍議では無いのか?――
ジュエスは訝しみを表情に出さないように努めた。ランバルトはちらと横目で確認すると着席を促した。
「よく来た、ジュエス公。座ってくれ」
ジュエスは地図を囲むようにランバルトの対面に座った。ジュエスが着席するやいなやランバルトは話し始めた。
その青い瞳にはこの所見られなかった輝きが灯っている。
「呼びつけた理由は分かっていような」
「敵の援軍が来襲しようとしている件でしょうか」
「そうだ。諸侯軍、いやもうその呼び名は相応しくないか。メガリス勢を含む同盟軍はサフィウムに集結しつつある。情報に拠れば近日中に出陣する予定との事だ。十一月末には王都に辿り着くだろう」
王都から逃げ出したライトリム公ベンテスは新たな味方を募り、王都奪還の軍勢を送り出してきたのだ。同盟軍の集結も王都への来襲も予想された事態であり、同盟軍の方も籠城部隊の士気を高める為に声高に救援に向かうことを叫んでいる。
ジュエスも増援の報を聞いて、やはりと思いはしても、まさかとは思ってはいない。
驚くべきはベンテスが味方に付けたのがディリオン諸侯だけで無く、メガリス王国も含まれていると言うことだった。"樽"の奴は剣を失って、本当に形振り構わなくなったらしい。
「敵増援の兵力は凡そ五万。メガリス、バレッタ、ライトリムの連合軍だ。大軍だな」
「指揮官は誰です? ヒュノ―将軍ですか?」
指揮官についての話題になるとランバルトは失笑した。
「面白いことに指揮官はな、三人いるのだ。ベンテス、ヒュノ―、それにメガリスの首長だ」
「三人でどうやって指揮を執るのですか? 一々合議何てしていられないでしょうに」
ランバルトは我慢出来ないと言った風に笑い出した。
「それがな、連中は一日毎に指揮官職を交代しているのだそうだ! 信じられるか? 流石に冗談か何かだと思ったがな!」
「交代で? 信じられませんね……そこ迄愚かになれるものですか」
何時もの裏の在る笑みではない笑顔をランバルトが見せるのをジュエスは初めて見た。その事にも驚きながら答えた。
一頻り笑ったランバルトは、素直な笑顔から何時もの魔性の笑みに表情を一変させた。
「だが、これは奇貨だ。現状の膠着を打破し、一気に好転に持っていける」
「奇貨ですか。それで、私は何をすればいいのです? 唯の戦闘とは違う任務が在るのでしょう?」
「やはり話が早いな、ジュエス公。本題に入らせて貰おう」
ランバルトは目の前に広げた地図を指しながら説明を始めた。
「同盟軍は最短距離のバレッタ方面ではなく、南のライトリムからの進軍を選んだ。となれば、敵増援の攻撃を受けるのは南門のリンガル軍になる」
――ここまでは既定事項だ。問題はこれからの部分だな――
「この動きを逆に利用し、敵の増援を南門に一挙に引き付ける。そして、別働隊で背後から急襲するのだ。その別働隊をジュエス公、君に指揮して貰う」
「私がですか? 閣下ご自身では無く?」
この別働隊による勝利は事実上、王都攻防戦を決する戦いとなる。勝利の功績も大きなものとなるだろう。それを他人に譲るとは。
「私は本陣からは動かない。同盟軍に我々が後手に回ったと思わせたい」
「これ見よがしに隙を見せても、罠だと警戒されませんか?」
「それならそれでも良い。ベンテスは直ぐにでも攻撃に出たがるだろうし、メガリス人も外国での戦争を直ぐにでも終わらせたがっている筈だ。警戒して動きが慎重になるとすれば、それはヒュノ―によるだろう。その際も他の指揮官との軋轢が生まれ、今以上に連携を欠く事になる。どちらにしても勝率は高い。そして増援が敗れたと知れば籠城軍の心も挫けよう」
――少なくとも、王都の周りで燻っているより余程勝算はあるな――
「成る程。それで別働隊の兵力は?」
「コルウス族全てを連れて行け。それと親衛隊からも選抜して五百名出す。後はリンガル兵から一千人選べ。リンガル兵の残りは適当な指揮官に任せて、南門に布陣させろ」
――僕が自ら別働隊を率いるならば、後事を託せるのはセルギリウスだな――
プロキオン家の家臣は内戦の中で皆大きく成長していた。将として特に力量を高めたのは"氷の男"セルギリウスだった。
以前からプロキオン家の副将として活躍していたが、今やジュエスの代わりに軍勢を率いる事も可能な力を持っている。
勝利への望みに、説明するランバルトの声も熱を帯びていく。
「そして、戦いが始まるまで別働隊は付近に隠せ。三千人程度なら十分隠れていられる」
「隠れてはいられますが、三千人も陣地から離脱するのをどうやって気づかせないようにするのですか? 籠城軍も此方をずっと見張っていますよ」
「近日中に王都にもう一度総攻撃を掛ける。出来るだけ大袈裟で大規模にな。如何にも増援を前にして焦っている風を装うのだ」
――この状況なら多分、焦っている"風"では無い迫力を出せるだろうな――
「増援の連中も王都への総攻撃に注意が惹かれる筈だ。目眩ましには十分だろう」
「大掛かりな陽動と言うわけですか。了解しました」
ジュエスは作戦について理解した。今度の戦いも賭けだが、勝率は高い。
だが、ジュエスにはまだ一つ聞くべき事があった。今作戦よりも戦後に関わる類の話だが、ランバルトとの関係に於いて最も重要な事だった。
「もう一つだけ質問しても宜しいですか?」
「何だ」
ランバルトも何か感づいたのか、声の熱が引いている。
「閣下ご自身で指揮なさらない理由は伺いましたが、何故私を選んだのですか?」
「……」
「実績や経験ではハウゼン公やオーレン将軍の上だと思いますが」
ランバルトは黙っている。ジュエスも質問はしたが、実際の所はこの件についても予想は付いていた。ただ、確認したかっただけだった。
暫くして口を開いたランバルトは一言だけ発した。
「言わねば分からんかね?」
「いえ。今の御言葉で得心しました。命令は謹んでお受け致します。早速準備にかからせて頂きます」
ジュエスは今の一言で確認を終えた。
――ランバルトは来るメール公政権に於いて僕を次席に置き続けるつもりなのだ。或いは"アルサ王朝"に於いても――
瞳に満足気な光を足したランバルトに礼してからジュエスは大天幕を出た。
ハルト地方といえど晩秋には外気は肌寒さを覚える程度には下がる。
倦怠感に包まれつつある陣営を抜けながらジュエスは思った。
ランバルト公は勝利を確信している。絶対の自信があるのか、単なる思い込みかは分からない。
だが、どちらにしても、その結果がどう出るかについては大いに楽しみだった。
――ここが正念場だ。負ければ僕達は壁と増援に挟まれて挽き肉になるだけだ。今までの努力も経過も何もかも関係無い。何としても勝たねばならない――
◆ ◆ ◆
ランバルトはこの機を利用して同盟軍の増援を罠に嵌め、一挙に王都を制圧しようと図った。
ジュエスにリンガルの選抜兵1千人、親衛隊からの選抜兵5百人、コルウス族2千人を預けた。これを別働隊として王都付近に潜ませ、増援軍の背後から奇襲させという作戦であった。
ランバルトはその前段階として王都への二度目の総攻撃を行った。大々的に攻城兵器と攻城砲を投入し、その規模は一度目の攻撃を上回る程の派手派手しさであった。
勿論、これは陣地から抜け出すジュエス麾下の別働隊を隠す為のものである。
この企みは見事に当たり、ラテランは猛烈な攻撃に集中し別働隊の動きには全く注意を向けていなかった。解囲に向かう増援部隊も国王軍の再度の総攻撃に完全に耳目を奪われていた。
国王軍は別働隊が離脱に成功したと知ると直ぐに攻撃を停止し、撤退していった。被害は当然ながら一度目の総攻撃とは比べ物にならない程少なかった。
表面上だけ見れば再びの敗北であるが、仮にも膠着状態が打破され、更に被害も少なかった為、国王軍兵士達の間に蔓延していた倦怠感は一掃されることとなった。
国王軍は本隊も別働隊も同盟軍の増援に備え、王都の籠城部隊も呼応して打って出る態勢を整えていた。
新暦660年11月、ついに同盟軍の増援5万2千人が王都に到着した。ライトリム方面からの進軍であった為、南門に到達していた。
この日、同盟軍の総指揮を担当したのは偶然にもベンテスであった。ベンテスは到着するや否や攻撃を主張した。
しかし、ヒュノーは国王軍の配置が余りに隙だらけであると思い攻撃に反対した。コントリア川での手痛い敗戦もまだ真新しかった。だが結局は総指揮を担当するベンテスと彼を支持したエルベド首長により押し切られ、王都を包囲する国王軍に対する攻撃が決定された。
だが当然のことながら各軍の連携は極めて悪く、ただ数と戦意を頼りに押し続けるだけとなった。
同盟軍は雪崩を打って南門のリンガル軍に襲いかかった。
ライトリム軍は王都に押し込まれている友軍を救う為に、ヒュノー軍は土地を取り戻す為に、メガリス軍は更なる征服の第一歩として戦場に赴いた。
ジュエスが別働隊として離脱した為、南門前に陣取るリンガル軍は家臣のセルギリウスが指揮していた。
冷静沈着で知られる彼は要塞化された陣営地に篭もり、同じく家臣のコンスタンスやフェブリズらを上手く統御し、数倍の敵を全く寄せ付けなかった。
ランバルトはリンガル軍への援軍は送らないよう各部隊に指示していた。同盟軍全てを引き付けて罠に掛けるには弱点を晒し続ける必要があった。
とは言え、リンガル軍以外の部隊が戦わなかった訳ではない。同盟軍の来援に呼応して打って出たラテランが決死の攻撃を仕掛けてきたからだった。
ユニオン守備軍も長い籠城の逼迫を振り払いたがり、遮二無二に戦いを挑んできていた。
ラテランの手勢とベンテスの護衛兵を先頭に城門から出撃して来た籠城軍は死をも恐れぬ苛烈な攻撃を行った。その激しさは包囲陣の一部を突破してしまった程だった。ランバルトも予想外に強烈な攻撃に対応を迫られていた。
だが、国王軍の予想外の必死さが同盟軍増援に攻撃を成功させられるとの思いを強めさせ、南門への集中攻撃を優先させていた。
ラテランは自らも出撃し決死の攻撃を行ったが、増援部隊が南門以外には兵を回さなかった為、連携出来ずに戦死してしまっていた。
彼が戦死する程の奮戦の甲斐あってか、現時点では国王軍は全線に渡って釘付けにされ、南門のリンガル軍は三倍近い軍勢に取り囲まれていた。
リンガル軍はセルギリウスの指揮の下、同盟軍を押し返し続けていたが、それもいつまでも持つものではなかった。
国王軍も同盟軍も頂点に達した戦場の熱狂に飲まれ、目前の戦いに集中していた。
その時、正に絶好の機会を捕らえたジュエス率いる別働隊が姿を現した。
コルウス族の狂戦士を筆頭に突撃を掛け、リンガル軍の陣地に群がる同盟軍を背後から強襲したのだった。
そして、戦いの最終幕が落とされた。女族長は待ちに待った至高の戦を求めて虎口に飛び込んだ―――
◆ ◆ ◆
【新暦660年11月 王都ユニオン南方 族長ロシャ】
目の前には雲霞の如き敵の大軍が砦に群がっている。見立てでは数万を優に超えていた。
ロシャは天におわす"戦神"に祈った。今から捧げる無数の生贄には"戦神"も満足して下さるだろう。
そして突撃の角笛が鳴らされるやいなや、真っ先に馬を駆けさせた。
ロシャは戦闘部族コルウス族の女族長である。その膂力と勇猛さはメールの山々を震撼させ、戦神の化身だと恐れさせていた。特殊な染料で真っ赤に染め上げた髪を振り乱し戦う姿は敵味方の区別なく畏怖の念を刻み込んだ。
彼女とコルウス族がこの地まで戦いにやって来たのは、ランバルトという男に、"外の世界でしか得られない戦いをさせてやる"、と言われたからだった。ランバルトの眼を見たロシャは一も二も無く着いて行くことを承諾した。
彼の眼は神々を見据えているとロシャは感じていた。信用した訳ではないが、言葉を聞くは価値があると思ったのだった。
そしてランバルトの言う通り、多くの戦いで多くの命と血を"戦神"に捧げる事が出来た。
それは喜ばしい事ではあったが、満足はしていなかった。まだ彼女を唸らせるような勇者には出会っていなかったし、"戦神"に捧げるに足る偉人を殺す機会にも恵まれなかった。
メールを出て以降、殺すに足りると思った者はハウゼンという老人と今自分と共に戦場に立つジュエスという若者だけだ。
だが残念な事に何方も味方だ。いずれ殺せるかも知れないが今は無理だった。
――此度の戰場では殺すに足る勇者か偉人がいれば良いのだが――
ロシャは馬に鞭を入れながら思った。
しっかりとした体躯の軍馬を駆けさせるロシャは、兜・鎖鎧・手甲・脛当てを全て身につけた完全武装で戦いに挑んでいる。手に持つのは先端に人の頭程もある鉄球を括りつけた巨大な槌だ。
他部族の戦士には裸や素手で戦う事を勇者の証だと信じる者がいるが、ロシャにとっては信じ難い愚行にしか思えなかった。武器とは天にまします"戦神"が地上の下人に与えてくださった唯一の知恵だ。
この偉大な贈り物を用いないなど"戦神"に対する冒涜以外の何物でもない。
ありとあらゆる手を尽くしそれでも尚苦戦させられる力を持った敵こそが勇者なのであり、そういった敵こそ"戦神"に捧げるに相応しい命だ。簡単に捧げられる命など何の意味もない。そうロシャは信じていた。
後ろからは同じコルウス族の戦士や他の部隊の兵士が付いて来ている。だがロシャは彼らと歩調を合わせる気は毛頭無かった。
より速くより多くの命と血を捧げることが我ら神々の下人の使命だ。遅れる者の事など気にかけている余裕はない。
ロシャは馬の腹を蹴り、一層速く駆けさせた。敵の群れとの距離がみるみる内に縮まっていく。
敵は突然の攻撃に漸く此方側に向けて隊列を整えようとしている。混乱の余波は尾を引き、陣形は槍兵と弓兵が混在する無様なものであった。
何人かは密集して槍や盾を構えたり、弓に矢を番え反撃を行おうとしていた。
――だが、もう遅い!――
ロシャは馬ごと隊列に突っ込んだ。
大重量の突進は突き出された槍をへし折り、進路を遮ろうとする盾を粉々に砕いた。
気性の荒い軍馬は衝突や妨害程度では止まること無く、敵兵を打ち倒し馬蹄で踏みにじった。
巨大な体躯の軍馬はそれだけで十分に脅威になる。敵の心も体も押し潰してしまえるのだ。
隊列に飛び込んだロシャは腕を高く上げ、脇にいた歩兵目掛けて鉄球の付いた槌を振り下ろした。
耳障りな音と共に兜ごと頭が弾けた。真っ赤な肉の霰が飛び散る。
次に見えた歩兵に向けて槌を叩きつける。乗馬の速度と衝撃で歩兵の胴体に綺麗に穴が開いた。穴からは向こう側の光景が覗いて見える。
中には果敢に反撃してくる兵もいる。二人の騎兵がロシャを両脇から挟み込み、剣を振り下ろしてきた。
「死ねっ! 化け物めが!」
――二人掛かりなのは良い手だが、お前ら程度では捧げ物にならん!――
ロシャは右側からの攻撃を槌で受け止め、左の攻撃を上体を後ろに反らし、さっと回避した。
そして、そのまま突き出された騎兵の腕を掴むと馬から引きずり下ろして投げ捨てた。
投げ捨てられた兵士は悲鳴を上げて後ろの人混みと砂塵に飲み込まれていった。
――今のは殺した内には入らんかな。もう一方で我慢するしか無いか――
あっという間に挟み撃ちの窮地を脱したロシャは右側の騎兵に向き直った。
が、騎兵の目には恐怖がありありと浮かんでおり、刃を引いて逃げ出した。片手で鎧を着込んだ兵士を引きずり回せる様な膂力を恐れたのだろう。
ロシャは騎兵を追った。一度は立ち向かってきた相手だ。捧げ物には不適でも殺す価値はある。
馬を走らせ敵の騎兵に追い付くと、顔だけを振り向かせ、恐怖に満ちた目を向ける敵兵の頭に槌を振り下ろした。
鋼と何かの混ざりものとなった騎兵は力なく馬から落ち、後ろの人波に消えていった。
獲物を仕留めたロシャはその後も馬の速度を緩めずに駆た。
歩兵にも騎兵にも鉄球の付いた槌を力の限り振り下ろし、叩きつけ、敵を鎧兜ごと砕き続けた。
彼女は騎乗する馬も返り血で真っ赤だ。
ロシャが通った後には原型を留めない塊が残された。
暫く突き進み、また一人叩き潰した所で左腕に衝撃が伝わった。見ると矢が刺さっている。上質な鎧に阻まれ肉までは貫通していなかった。
ロシャは矢の飛んできた方を向いた。一人の弓兵が再び矢を番えているのが見えた。
――幾ら横から射ったとは言え、この私に矢を当てるとは中々の手練。殺すに相応しい――
新たな生贄を見つけたロシャは弓兵に向け馬を走らせる。
彼女は弓を卑怯だとは思わなかった。弓もまた"戦神"が与えたもうた知恵だ。それで敵を殺せるのなら使いつつければ良いと思っていた。
だから他の多くの戦士の様に弓兵を侮ったり嘲ったりはしない。手練の弓使いは十分生贄に値する。
「うわあああ! く、来るなあ!」
だが、自らが招いたロシャの突進に弓兵は恐慌を来し、武器を放り投げて逃げ出した。死にかけた味方の兵を踏み付け、逃げ惑った。
――逃げるにしても、この醜態では困るな……こんな奴を送り込んだら天なる戦神にお叱りを受けてしまうかもしれん――
見込み違いに落胆しながらもロシャは追いつき槌を振り下ろす。鉄球が体の半ばまで埋まった。
――これで二百三十八人目か。もっと血と命を捧げねば――
ロシャは今まで戦神に捧げた命を全て数えている。尤も、戦場で殺した分だけで、それ以外で殺した分は数えてはいない。
他に捧げるに足る勇者はいないのかと思いながら辺りを見回した。
戦いはロシャらの突入の時点で既に決していた。もうじき戦いも終わってしまう。追撃で得た生贄に意味など無い。戦場での殺し合いで得た命で無ければ意味が無いのだ。
ロシャは焦っていた。
その時、ロシャの眼が引き寄せられるように馬上の一人に向かった。
駆る馬に引けを取らない巨大な体躯の男。まるで樽の様だ。
身に纏う武具も陽光を反射して煌き、最上質の鋼を使っているのが一目で分かる。
天を仰ぎ、祈った。
――おお、天なる戦神よ。今から貴方に最上の生贄を捧げます……!――
ロシャは魔物も怯むと謳われた凶悪な笑みを浮かべ、"樽"に向けて馬を駆けさせた。
興奮の余り、馬に何度も何度も鞭をくれる。軍馬は律儀に速度を上げ続け、口からは血混じりの泡を吹き始めた。
ロシャの突進に気付いた護衛か側近らしき騎兵が剣を振りかざし、此方に馬主を巡らせた。騎兵の側も命懸けであるらしく、"樽"の間に盾の様に立ち塞がる。
――素晴らしい! 此奴もまた勇者! 一度に二人も戦神に捧げられるとは!――
二頭の馬は正面から衝突した。砕ける音が響き、二頭の融合し塊が出来上がった。
ロシャは衝突の瞬間に、自らの軍馬を踏み台に飛び上がった。
全ての光景がゆっくりになって見える。
衝突し倒れこんだ二頭の軍馬に押し潰された騎兵が見えた。
――二百三十九人目!――
飛び上がったロシャは慣性に従い、真っ直ぐ"樽"の元へ向かっていく。最上の生贄の目が驚愕の色をむき出して此方を見つめている。
そして、勢いを付けたままロシャは槌の鉄球を全力で"樽"の頭を目掛けて叩きつけた。空を裂く恐ろしい音と共に槌が振り下ろされる。
――二百四十人目です! 戦神よ、御照覧あれ!――
◆ ◆ ◆
背後からジュエス麾下の別働隊による猛攻撃を受けた同盟軍は散々に打ち破られることになった。眼前のリンガル軍攻撃に集中していた為、完全に不意を突かれる形となった。
コルウス族の常軌を逸した攻撃力はここでも敵軍に死をまき散らした。
ライトリム公ベンテスは側にいた公子ベントレスと共にコルウス族のロシャに討ち取られ、ライトリム軍は態勢を立て直す暇も無く敗走に追い込まれた。
メガリス軍はライトリム軍の敗走に巻き込まれ、混乱したまま潰走を余儀なくされた。
バレッタ軍はヒュノーの指揮の下、一転して不利になった状況でも防戦し続けた。
だが、陣営地からはセルギリウス率いるリンガル軍が出撃し、籠城軍を打ち破り手の空いた他の国王軍部隊も南門に殺到し始めていた。そしてジュエス隊は勢いの留まる所を知らず、コルウス族を先頭に猛攻をかけ続けていた。
ヒュノーは巧みな指揮で他の同盟軍が逃げ切るまで戦線を支え、最終的には自軍も戦場からの離脱に成功した。しかし、最後まで戦い続けた代償は小さくなく、バレッタ軍は大きな被害を出すこととなった。
同盟軍の増援部隊はユニオン解囲に失敗し、壊滅した。敗残兵は追撃の手を逃れようと各地へ逃げ散った。
ランバルト率いる国王軍は長きに渡る攻防戦の末、ついに王都を手に入れることとなった。
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