『決戦・一 ~リリザの会戦~』
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春が明けるとベンテスは後事を公子ベントレスに任せて兵と共に公都サフィウムを出発し、王都ユニオンにて腹心ラテランに命じて集めさせてあったハルト兵と合流した。
ブリアン派掃討に出陣したライトリム軍は王都ユニオンを立ち、国境近くの小都市リリザへ向かった。リリザを補給拠点として整備し、オリュトス攻略及びコーア平定の足掛かりとする為である。
リリザまでの道中にブリアン派軍の攻撃は無く、小規模な偵察隊と遭遇する程度であった。8万の大軍を擁するライトリム軍は自然、少数である敵軍を侮ってしまっていた。
経験豊富なラテランやエトランドらの重鎮達はその中では冷静に判断していたが、それでも大征服と主君の勝利への期待という昂揚感で少なからず判断力に曇りがあった。
苦も無くリリザに到着したライトリム軍は大量の補給物資を運び入れ、前線拠点として整備した。敵軍への侮りは油断へと転じつつあり、早くも酒保商人や従軍娼婦を集め始めていた。
特に公弟ザンプトンは自身の財産で宴を開き、諸将や兵士だけでなく市の住民にまで酒や食事を振舞っていた。
リリザにライトリム軍が到着してから一週間後の夜、ついにブリアン派からの攻撃が行われた。
国王軍がメール軽騎兵1千騎を派遣して夜襲を掛けてきたのだった。
オリュトスから長駆して奇襲を掛けてきたメール軽騎兵は半蛮族らしく鬨の声を上げ、陣営に襲い掛かってきた。
しかし、所詮寡兵の急襲に過ぎず、国王軍の攻撃は真っ先に飛び出して行ったザンプトンによって跳ね返された。
襲撃に失敗した騎兵隊は算を乱して逃げ散り、後には多くの死体が残された。
この勝利によりライトリム軍の士気は大いに上がり、敵軍恐るるに足らずと豪語する者も現れた。
襲撃の際にライトリム軍が受けた被害の分布から国王軍の攻撃は、ライトリム兵を殺す事より集積された物資の焼き討ちが狙いであったとも分かった。
更に、先んじて送り出していた偵察からオリュトスでは連日防備の強化に大勢の兵士を駆り出していると報告を受けたベンテスは、敵軍は籠城によるライトリム軍の消耗を強いる事が目的だ、と判断した。
ならば籠城準備の時間を与えるのは得策ではないと考えたベンテスは翌日にもオリュトスに向け進軍を開始すると決定した。
翌日、リリザに少数の守備兵を配置し、残りの全軍を率いてベンテスはオリュトスへ向けての進軍を再開した。
ライトリム軍は総勢7万の大軍を五個の梯団に編成して行軍していた。
先鋒1万は公弟ザンプトンが受け持っていた。レグニット地方の侵攻では大きな活躍の無かったザンプトンが武功に逸り、熱烈に要望した結果であった。
関係の悪いベンテスはザンプトンに貸しを作っておこうと、先の夜襲撃退の褒美という形で先鋒を任せていた。
第二陣2万5000はベンテスの腹心でライトリム公第一の宿将ラテランが全体の指揮を取った。
ラテランは自身の手勢5000人も直接率い、マシュ家のアルメックとイットリア家のフォルミオがそれぞれ1万人ずつを指揮していた。
第三陣にはベンテスの本隊が控え、公の護衛兵も含め2万人が中央を固めていた。ベンテスは本隊に多くの勇士を集中しており、3000人もの勇士が配置されていた。
第四陣はクレッグ家のラースが1万の兵を率いていた。また補給段列も第四陣にあり、ラースは補給物資の輸送と護衛も担当していた。
後衛にはベンテスの信頼厚いメゴン家のエトランドが1万5000の兵と共に配置され、全軍の殿を務めていた。
先鋒のザンプトンからは一兵の敵も見当たらないとの報告を受けたライトリム軍は先鋒の誘導に従い、山間部の隘路へと足を踏み入れていった。
順調な進軍によりライトリム軍の陣中にはブリアン派軍に対する油断と弛緩した空気が漂っていた。
そして、決戦を目前に控え緊張と興奮はいやが上にも高まっていく。その最中、野心家の弟はある一つの事柄に命をかけていた――
◆ ◆ ◆
【新暦660年5月 リリザ近郊の隘路 公弟ザンプトン】
山と丘の間を縫うようにして形成された隘路は木々に覆われ、春の陽射しが点々と差し込む影と光の回廊になっている。
先鋒として勇士、民兵合わせて1万の兵を率いる公弟ザンプトンは常になく静かに行軍していた。
位置も普段ならば隊の先頭を切るのだが、今は隊列の後方に位置している。幕僚や副官達もザンプトンに従い隊列の後方に立ち並んでいる。
ザンプトンは冷や汗が垂れ落ちないようにするのに必死だった。
彼の心境を考えれば神経質になるのもやむを得なかった。騎馬の嘶きすら心をざわつかせて来る。
隣に並ぶ副官が緊張した表情を隠しきれず、ザンプトンの方をチラチラと横目で見てきた。
――ええいっ、一々こっちを見るな、馬鹿者がッ! 作戦を成功させる為には少しでも疑われてはならんのだ! 幾度も説明しただろうがっ――
しかし怒鳴りつける訳にも行かず、ザンプトンは目線を無視することで対応した。
心地よい気温であるのにも関わらず、焦りと不安で手はじっとりと汗で濡れている。
汗を拭いたいが、誰かに注目されているのではないか、と思うとちょっとした行動も控えてしまう。
寧ろそれが目立つかも、などと思うと一挙に疑心の螺旋に巻き込まれてしまう。
軍装も鎧は身につけているが、兜は浅く冠るだけで盾も馬に括りつけたままだ。
戦いを目前にしている以上、もっと完全武装でいたいのだが過度に臨戦態勢でいると要らぬ警戒を招いてしまいかねない。
本陣から伝令が来る度に勘付かれたかと思い口から臓物が吐き出てきそうになる。
今の所、計略は上手く行っていた。
陣中の空気を塗り替え、敵軍を上手く追い返し、先鋒も任された。
わざわざ宴会も用意して浮かれ騒いでいる様に見せ掛けた。
そして、一番肝心である、この隘路まで全軍を引き連れてくることにも成功した。
誰も疑っていない筈だ。
――あと少し、あと少しだ。焦るな。落ち着くんだ……――
何度のこの"祈り"の文句を心の中で唱えたことか。この数ヶ月で死後の分まで唱えたような気さえする
影の差す木々の間はひっそりと静まり返り、ライトリム軍の兵馬の足音や武具が擦れる音しか聞こえてこない。
――本当にいるのだろうか? 彼らは本当に来るのか?――
ザンプトンの疑心は焦燥に駆り立てられるままに膨れ上がっていた。
合図の種類や正確な時間までは彼らは教えてくれなかった。
最後の書簡では、始まれば分かる、その時に然るべき行動をしろ、とだけ書かれていた。
彼らとしても相手に与える情報を制限して主導権を握り続けたいのだろう。それに、知らなければ俺が余計な情報を漏らすこともないと考えてもいるのだろう。
何にしても彼らが始めるまで待つしかない。俺の未来がかかっているのだ。今更後に引くことは出来ない。
待つしかないのだ。
もう隘路にはライトリム軍の全部隊が入り込んでいる筈だ。彼らにも最適な自機に違いないのだ。
その時、木々の間から甲高い角笛の音が響いた。
ハルーーーーーー!
魂を揺さぶる激しい音色は一つでは終わらず、幾つも幾つも角笛の音が続いた。
ハルーーーーーーーー!
ハルーーーーーーーー!
ハルーーーーーーーー!
角笛と共に兵士の鬨の声が聞こえてくる。角笛の響きも鬨の声も遠くは無い。
音は隘路中に響き渡り、嫌でも耳に飛び込んできた。
そして木々の間からはキラリと光る銀十字が姿を覗かせた。
待ちに待った合図だとザンプトンは確信した。
それまでの疑心や不安を全て打ち払って、心を戦いへの一点に振り向けた。今までの反動から興奮で破裂しそうな程だ。
そして、後ろを振り向くと大声で兵達に告げた。
「総員反転! 真の王の元で戦う時が来たぞ! 不届きな僭称者ベンテスを討て!!」
同胞に攻撃しなければならないことに多少の混乱を来しながらも、事前の計画通りに兵は反転し、背後のライトリム軍に向けて戦闘態勢を整えた。
隊列が反転するとザンプトンのいる位置は"前線"に近くなる。この為に隊列の後方に位置したのだ。
ザンプトンは剣を鞘から引き抜くと、高々と掲げて下令した。
「突撃!!」
下令と共に配下の兵士達がライトリム軍の本隊に向けて前進した。
武器を構えて駆ける兵士に囲まれながら馬を走らせるザンプトンの心中は待望の戦いの昂揚と、兄も同胞も捨てさせた"戦後"への期待で満たされていた。
――これで! 俺が! ライトリム公だ!――
◆ ◆ ◆
隘路へ入り込んだライトリム軍は待ちぶせていた国王軍と反転したザンプトンによって包囲された。
総司令官ランバルトは公弟ザンプトンを調略し、彼を内通者として罠を仕掛けていたのだった。
ザンプトンはライトリム軍に油断を誘わせ、何の疑いも持たせずに狭隘な地形に進軍させた。
先の夜襲での敗戦もライトリム軍のザンプトンへの信頼を高めさせる為の偽装だった。夜襲の死者も兵自身ではなく、その為に偽装した死体を持ってきていたのだった。
全てライトリム軍を戦場で打ち破り、壊滅させる為にランバルトが仕組んだ策略だった。
攻撃を全く予期していなかったライトリム軍の混乱は疫病が伝染するかのように瞬く間に全部隊に広まった。
右側面からメール重装歩兵の密集方陣が、左側面からは密集方陣戦術を会得したリンガル兵が攻撃を掛け、クラウリム兵や軽歩兵が高所や木々の間から矢を射掛けた。
隊列に間隙が空くと快速の騎兵部隊が強襲して傷口を広げ、混乱を拡大させていった。
前方は勿論、寝返ったザンプトン隊が隘路の蓋をしている。
更にライトリム軍の背後からはコルウス族が兵力差を物ともせず襲いかかり、甚大な被害をもたらしていた。
混乱の中でもラテラン率いる第二陣は三方向からの攻撃に対して善戦し、前面のザンプトン隊を押し返しつつあった。
側面を守るアルメックもフォルミオも国王軍の重装歩兵の突撃で血みどろになりながらも戦線を支え、その間に手勢を率いたラテランが二倍の兵力のザンプトン隊に逆撃を掛けていた。
しかし、第三陣では一番安全である筈だったという油断が混乱に拍車を掛け、同士討ちまで発生していた。
勇士を多く集めた事も災いし、勝手に戦い始める勇士達の所為で収集がつかなくなりつつあった。
ベンテスは護衛兵に味方であり寝返ってもいないライトリム兵から守られる有り様だった。
後背からコルウス族の狂戦士に襲い掛かられた殿のエトランド隊は必死の防戦の甲斐なく、僅か半刻で部隊としての様相を保てない程に壊滅した。
族長ロシャを筆頭とする兵力差を物ともしない狂戦士の暴風は最早戦いから殺戮へと移行していた。
指揮官であるエトランドも討ち死にし、ライトリム軍の後衛部隊は消滅した。
ベンテスは敗北を受け入れ、脱出を決断した。状況は覆し難く、一刻の猶予も無かった。
背後は鉄壁のコルウス族戦士が猛威を振るっていた為、前面のザンプトン隊を突破しての脱出を決めた。
国王軍の猛攻は激しさを増すばかりで包囲の輪は一秒ごとに縮まっていった。
クレッグ家のラースが時間稼ぎの為に殿として残ることを志願した。
この敵兵に四方を囲まれた状況での殿は即ち死を意味するものであり、窮地に合っても命懸けで戦う家臣がベンテスの求心力を示していた。
ベンテスは涙を飲んでラースを殿に残すと、兵を可能な限り引き連れて第二陣のラテランを合流した。
それまで何とか戦線を維持していた第二陣もこの頃には疲弊して押し込まれていた。
もう少しベンテスの決断が遅れていたら第二陣は揉み潰され、ライトリム軍の全面潰走に至っていただろう。
不幸中の幸いにも第二陣が崩れ去る前に合流を果たしたベンテスは残りの全軍を率いて目前のザンプトン隊に向けて突進した。
裏切られた怒りからザンプトンへの攻撃は苛烈で、両側からのメール・リンガル軍の猛攻で隊列を削り取られながらも突破に成功した。
殿軍として残ったラースの防戦により背後からの攻撃が無かったこともあり、ベンテスは辛うじて敵軍の凶刃を逃れて戦場を離脱することが出来た。
2000人余りの手勢と残ったラースは輸送段列の馬車を並べて防壁代わりとして国王軍の猛攻に対した。
ラース自ら兵士に混ざり、剣を振るい、矢を射掛けて国王軍と戦った。
メールとリンガルの重装歩兵、コルウス族の狂戦士による激しい攻撃はライトリム兵を次々と戦死させ、急造の防壁を破壊した。
衆寡敵せず、ラースの殿軍は全滅の憂き目を見た。ラースも戦死者の中に含まれていたが、決死の防戦によってベンテスが脱出する迄の貴重な時間を稼ぐことが出来た。
最終的にライトリム軍は死者・捕虜含めて5万人を失い、エトランドとラースという頼れる重臣をも失った。
ベンテスと共に離脱出来たのは2万人に満たない兵だけであった。
対する国王軍の損害は、ベンテスによる突破を許したザンプトン隊が1千人程度を失っていたが、ランバルトが率いてきた主力部隊は数十人の兵を失っただけであった。
ランバルト率いる国王軍はライトリム軍の大軍を壊滅させ、リリザに於ける戦いに勝利を収めた。
歴史上を通覧しても稀に見る大勝利であった。
お読み下さり本当に有難う御座います。
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