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ディリオン群雄伝~王国の興亡~ (修正版)  作者: Rima
第一部 第一章『崩壊』
11/46

『決戦に向けて』

 王国の覇権を手にした諸侯同盟(アリストクラティオン)だったが、その大き過ぎる戦果を巡って元来の対立が表面化していた。紆余曲折の果てに諸侯同盟は形を変え、国王に対抗する為の同盟から最大の勝者となったライトリム公に対抗する為の同盟へと変わっていった。


 レグニット公ガムランを主導者とする新たな同盟にライトリム公ベンテスは四方から攻撃を受け、一進一退の戦いを展開していたが戦況は徐々にライトリム不利へと傾いていった。


 しかし、この劣勢は再起した国王軍(ドミニオン)がコーア地方へ舞い戻って来た事で解消される事になった。

 クラウリム公ハウゼンがコーアでの戦いを優先させてベンテスと和睦を結んだからだった。

 追い詰められていた筈の国王軍(ドミニオン)の復活はベンテスの心に一抹の不安を過ぎらせたが、この和睦によりライトリム軍は対レグニット戦に集中する事が出来るようになった。



 新暦659年9月、ライトリム公ベンテスはレグニット制圧を目的として5万人に及ぶ軍を集結させ、大挙してレグニット地方へ押し寄せた。

 戦いはカゼルタやベリアーノなど独立都市(ムニチピウム)の驚異的な奮戦や冬の到来で意外にもレグニット勢は持ち堪えた。だが反撃に出たレグニット軍はライトリム軍の伏撃を受け壊滅し、ガムラン公含め多くの戦死者を出した。

 

 公を失ったレグニット地方はライトリム軍の撤退以後も分裂状態は加速し、混沌とした情勢へと転がっていく。


 レグニット軍の撃破したもののライトリム軍は冬季の行動を嫌い帰還した。国境の都市サンボールを除いてレグニット制圧には失敗したが、ガムランは死に、レグニットは当面は脅威では無くなった。


 再度のレグニット侵攻を計画するベンテスの元に北に関する新たな情報が伝えられた。


 その情報とは言うまでも無く、ハウゼンの敗北とクラウリムの降伏であった。

 


 そして、恐れと侮りは表裏一体である。そのことを知る野心家は自身の国盗り最後の一手を仕掛けようとしていた―――






 ◆ ◆ ◆ 


【新暦660年1月 公都サフィウム ライトリム公ベンテス】




 ライトリム公ベンテスを始めライトリム軍の主だった面子が会議の間に集っていた。


 公弟ザンプトン、公子ベントレス、メゴン家のエトランド、クレッグ家のラース、イットリア家のフォルミオ、そしてマシュ家のアルメック。

 その他十人以上に及ぶ名のある貴族や騎士(エクイテス)が巨大な会議机を取り囲んで座っていた。それぞれの地位や家格に応じて席次は取り決められている。


 当然、最上座に座るのはベンテス公その人だ。


 ベンテスは特別に作らせた派手な装飾付きの椅子に座っていた。横幅も彼の腹回りに合わせて幅広く作られている。


 ベンテスは椅子の上から家臣達を眺めた。


 王都に腹心のラテランとハルト出身の家臣は残してはいるが、ライトリムの家臣は殆ど全て集めている。これがベンテスの廷臣達、ベンテスの駒の全てだった。これだけ揃っているとやはり壮観であった。


 命令の通達や儀礼以外で部下を召集することは滅多に無かった。前回、会議を招集した時は国王に反旗を翻す事を決めた時だった。


 ベンテスは"樽"と揶揄されている見た目とは裏腹に傲慢さを感じる程に剛胆で即決の人だった。公という上位にありながら戦場で剣を振るう事を厭わないなど勇気にも満ち溢れている。


 その彼をして会議を招集せざるを得ない事態が発生していたのだ。


 ベンテスが話し始めた。良く通る低音の声はざわつく議場一杯に響き渡り、家臣達を静めさせる。


「全員集まったな。よろしい。諸君らを集めた理由に関して改めて説明する必要は在るまいな」

「ブリアン一派の事ですな? 兄上の心配事とは」


 弟のザンプトンが受けた。

 ベンテスは弟の不躾な発言にはじろりとした睨みで答えた。


 ――心配だと? 家臣達を悉く集めたこの議場で私の権威を損なうような言い様をするとはな――


 ザンプトンは昔からそうだ。こういう場面で余計な一言を付け加える。軍隊の指揮官としてはそこそこ有能だが、政の場では役に立たないとベンテスは思っていた。その内に大きな失態を犯しかない。


 ザンプトンは視線の真意を汲み取れ無かったようで、そのまま言葉を続けた。


「ブリアン一派の軍勢は我らライトリム軍の半数でしょう。連中など取るに足りません。それにハウゼン公が何だというのです? ブリアン一派が勝ったのはメールの……例の何とか言う奴が増援に来たからだそうではありませんか。そんな辺境の小領主が加わった位で敗れてしまうのですからハウゼン公も大した事はありませんな」


 ザンプトンは鼻で笑う。


「報告に拠ればメール軍は我々ディリオンの軍とは大きく異なる戦い方をする様です。それに半数の兵力だからといって侮るのは危険ではありますまいか? 現に先のレグニット攻めでは城壁越しとは言え、少数の民兵ごときに散々煮え湯を飲まされました」


 エトランドが言った。


 エトランドは古くからリカント家に仕える譜代家臣である。融通の利かない所はあるが優れた軍人で、レグニット公を敗死させたのも彼だ。


 エトランドの発言は半分は当たっている。軍事的に見てメール軍が脅威なのは確実ではある。だが、問題はやはりハウゼンの方なのだ。


「エトランドの言は間違っておらん。確かにメール軍は警戒するに足る強さではある。ハウゼン公とクラウリムの精兵をいとも容易く打ち破ってしまったのだからな。しかし、問題はハウゼン公を打ち破った事では無い。奴らがハウゼン公を味方につけた事、つまりハウゼン公がブリアンを支持する立場に立ったという事が最大の問題なのだ」


 ハウゼンは我らが国王に逆らった時に同盟に引き込もうとしていた様に、ある種の許可状の如き存在なのだ。

 王家に尽くし民に尽くした誠実で賢明なハウゼン公が味方するくらいなのだからきっと正しいのだろう、ハウゼン公が見限るくらいの暴君だったのだ、と思わせられるからだ。

 彼自身の力量よりも、彼に付随する名声の方が重要だった。

 そして、その名声と王家が組み合わさった時、どれほどの効力が発揮される事か。


「奴らが次に狙うのは間違いなく王都だ。ハウゼン公ですら支持するだけの大儀と勝算があるとハルトやユニオンの連中が判断したらどうなる? 皆、こぞってブリアンの旗を仰ぐだろう。今は誰もが状況を静観しているが、一人動き始めれば連鎖的に離反していくこと疑いは無い」


 我らがブルメウスに逆らった切欠もハウゼンが王から離れた事だった。

 今まではハウゼンがどの陣営も支持せず、単独で動いていたから指針には成り得なかったが、これからは違う。


「王都を取られたら政治的にも軍事的にも不利になる。メガリスも窮地に付け込もうと動くだろう。下手を打てばそのまま滅ぼされかねない。我らの優勢は覆されかねない状況に置かれている」


 家臣達は再び静まり返った。

 誰が口を開くのかと互いに視線を見合わせている。


「ならば今更我々に何を聞こうというのですか? 先手を打って攻め込む以外の選択肢は無いのでは?」


 先ず発言したのはアルメックだった。

 ライトリムにこそ未来ありとヒュノーの下から出奔してやってきたアルメックにはここで勝って貰わねば困るという思いが他の家臣より強いのだろう。


 ベンテスは返答しなかった。ベンテスは他の言葉を待っていた。

 この答えはまだ主君である自分が言う訳にはいかないのだ。


「……いえ、他に一つあります。我らも仰ぐ旗を変えるのです。ライトリムの勢力は強大です。それに加えてユニオン市や王殺し達の首を差し出せば、ブリアン王子の傘下に降ったとしても、有利な立場を維持できるでしょう」


 答えたのは公子ベントレスだった。まだ二十歳と若く、父ベンテスに似ない細面の青年だ。


「勿論、父上がその様にお考えとは私は思いませんが」


 ――おお。ベントレス、我が息子よ。私の待っていた言葉を全て言ってくれたな。期待通りの働きだ――


 ベンテスは心中で成功の笑みを浮かべ、家臣達を見据えた。


「諸君らに聞きたいのはその事についてだ。戦うか、それとも……」


 ベンテスは家臣達の心が揺れていないか確かめたかった。王ではない主君への忠誠を維持しているかの試金石だ。

 その為にわざわざほぼ全員をこの場に呼びつけたのだ。


 勿論、家臣共が反対した所でベンテスは戦う。折角苦労して手に入れた王国を何で手放すものか。

 反対したり動揺した素振りを見せた家臣を後で粛清するつもりだった。


「馬鹿なことをおっしゃいますな、兄上! 俺は戦いますぞ! 皆もそうだろう!?」


 立ち上がりながらザンプトンが大声で家臣達に呼びかける。


「その通りです! 我らは閣下の為にこそこれまで仕え、戦ってきたのですぞ」


 エトランドが興奮した様子で答えた。


「ハウゼン公は敬意に値する方ではありますが、彼の動向など今更関係ありません。閣下と共に戦います」


 重臣のラースも続いた。その後に幾人もの家臣が賛同の声を上げた。


「いっそ兄上が(ドミヌス)になられれば良い。リカント家に王冠を取り戻すのです! 今こそライトリム王家の再興を!」


 ザンプトンが大袈裟な身振りを加えつつ言った。その力強い目はベンテスの方を向いていた。


「その通りだ!」「ライトリム王!」「陛下!」


 最早誰が言っているのかも分からない程大勢の家臣達が賛同の合唱をしていた。


 離反者の存在は杞憂に過ぎず、家臣の忠誠心は高いままであると分かりベンテスは昂揚した気分で家臣達の声を聞いていた。


 ――(ドミヌス)……ベンテス王か……良い響きだ。私にこそ相応しい称号ではないか――


 会議場には何時までも合唱が鳴り響き、ザンプトンはその中心に立って歓呼の声を上げ続けていた。


 ――それにしても、ザンプトンが真っ先に忠誠を表すとは意外だった。浅慮で反抗的な奴だとずっと思っていたが、認識を改めなければならんかな――



 ◆ ◆ ◆ 




 ライトリム軍はブリアンを推戴する国王軍(ドミニオン)と雌雄を決する為に年明け直ぐの侵攻を決定した。


 ◇ ◇ 


挿絵(By みてみん)


 ◇ ◇


 クラインで冬を越したランバルト率いる国王軍(ドミニオン)は軍と占領地の再編を行っていた。リンガル地方だけでなく新たにコーア地方・クラウリム地方という広大な地域を勢力範囲に収めた以上、整理が必要だった。


 コーア地方はランバルトの信任を得たフレオンにより、それまでの分裂状態を脱して安定化していた。

 その方法は平和的な交渉だけでなく、恫喝や買収、欺瞞、経済封鎖など血こそ流れないものの硬軟両面ありとあらゆる手段を講じて、反対者を取り除いていった。

 先のコーア・クラウリム戦での謀略に続いて彼の謀の手腕は如何無く発揮され、フレオンに仕方なく従っていたコーア諸領主も抵抗力を失い、上位者としてのフレオンを受け入れざるを得なくなった。

 フレオンはそのまま公都オリュトスに駐留して現地のコーア兵を統括し、国王軍全体の後方支援を担当したハルマナスと共に兵站の管理という重責を担った。行政面に関しても一定の能力を持つフレオンはハルマナスの下でより多くの経験を積むこととなった。


 クラウリム公領は内戦以前の領土へと戻され、放棄した領土は全て国王領へと返還された。但しハウゼンを始めとするクラウリム諸侯は旧来の領地に関する統治権は安堵されることとなった。


 そしてリンガル軍は冬一杯を掛けて編成や装備をメール軍方式に改め、同様の厳しい訓練を施した。

 メール軍方式の猛訓練は元々非常に高い忠誠心を誇っていたプロキオン家らリンガルの兵との相性はよく、内戦における過酷な戦闘の経験も有効に働き、兵の上下に関わらず水を吸う海綿のように新たな戦い方を修得していった。


 訓練と部隊再編の於いて幕僚の一人であるフェブリズの功績が著しかった。

 フェブリズは戦闘に関しては凡将で、個人的武勇も特筆すべき事のない平凡な人物だが、組織化や兵站の管理など組織者としての手腕は抜群であった。

 セルギリウスやコンスタンスなど攻撃志向な家臣の多いプロキオン家に於いて貴重な後方支援に向いた人材であった。


 クラウリム軍やコーア兵は敗戦の打撃からの立ち直りを優先しており、また個人的な武勇を重んじる勇士(ミリテス)勢力の反対も根強かった為、大規模な再編は出来ず、将軍の護衛など一部の精鋭部隊をメール軍方式に訓練するに留まった。

 また、ある意味でクラウリムに対してもコーアに対しても国王軍(ドミニオン)は勝ち過ぎてしまった。余りに徹底的に戦場で打ち破ってしまった為に彼らの兵力が枯渇しかけていたのだった。

 そして、ハウゼンの心に穿たれた離反者への不信は表面上は隠れてはいるものの、水面下では最早昔日の信頼は消え去っていた。改革や再編どころの話では無かったのだった。


 メールからも召集された増援が派遣されて来ていた。重装歩兵(ホプリタイ)軽騎兵(プロドロモイ)からなる増援部隊は数こそ二千人足らずであるが、補充の効き難いメール軍にとっては一万の友軍にも優る助けであった。


 また大規模化した軍勢を維持する為にアルサ家の重臣であるハルマナスがコーア地方に留まり、物資の補給や輸送などの後方支援を一手に担い、コーアのフレオンがこれを補佐した。


 来る王都奪還に向けて着々と準備を整える国王軍(ドミニオン)に、ライトリム軍が春明けにも北へ侵攻を開始するとの報がもたらされた。


 ライトリム軍の内通者からは次々と新しい情報が寄せられていた。


 ライトリムはおろかハルト全域からも兵を招集し、総数八万の軍勢がライトリム公ベンテスに直接率いられて攻め込んでくるという。

 無論、その下には公弟ザンプトン、腹心のラテラン、エトランド、ラース、フォルミオ、アルメックといったライトリム軍の重鎮達も付き従ってくる。

 その他のかなり詳細な部隊の編成や序列も知らされていた。

 大軍の召集に時間が掛かっているが、それでも四月中には進軍を開始する見込みであるとも知らされた。


 さらに情報ではこの戦いを終えた後、ベンテスは"(ドミヌス)"へ戴冠することも予定しているとの事だった。


 ライトリム勢との戦いまでは国王軍の幹部達ももう少し準備時間があるだろうと考えていた。

 それは王都を巡る戦いは政戦両面において入念な準備を行わなければ凄惨な長期戦になると考え、時間を欲していた希望的観測でもあった。


 モア攻め以降動きを示していないスレイン公との折衝もまだ殆ど手を付けておらず、外交面でも地固めは行われていなかった。


 結局、国王軍は時間の無さから軍備を整える事を優先した。ある程度の調略も同時に平行して行っているが、色好い返事は得られていなかった。



 そして、冬が明けた新暦660年4月、ライトリム軍はブリアン一派を覆滅せしめる為、ベンテス率いる"討伐軍"を出陣させた。

 ライトリム軍の最初の目標はコーア公都オリュトスであった。ここを落とせばブリアン派の勢力を東西に分断することが出来た。


 ライトリム軍の動きに対応するべくランバルト率いる国王軍(ドミニオン)は、スレイン公への抑えに1万の兵を残して公都クラインを出立し、オリュトスに集結した。


 オリュトスに駐留しているのはメール、リンガル、クラウリム、コーア兵ら総勢4万6千人の軍勢であった。大軍ではあるが、それでもライトリム勢には及ばない。




 そして、決戦へ向けて準備が進められる。老将は覇者の覇者足るを知ることになる――






 ◆ ◆ ◆ 


【新暦660年4月 公都オリュトス 将軍オーレン】




 国王軍(ドミニオン)の幹部達がオリュトスの評議場に一同に介していた。クラウリム軍を加え、その人数も陣容の厚さも増していた。


 ブリアンら王族は廷臣達と共にクラインに残留している。毎度の事だが、戦場には出てこない。

 幹部達にとっては戦死されても困る上、作戦に口出しされるのも厄介なので、寧ろ有り難いくらいだった。


 コルウス族の面々も出席してはいない。言葉も通じない野蛮人が会議に出張った所で百害合って一利無し、と判断されていたからだった。


 最上座の総司令官席にはメール公ランバルトが座している。

 肩口までに揃えられた金色の髪に太陽の光が当たりキラキラと輝いている。

 ランバルトの背後にはアルサ家の銀十字旗が立っている。そのお陰で総司令官(インペラトール)はより一層光り輝いているように見える。


 ランバルトはまだ一言も発さず、机上に肘をついて部下に議論を任せている。


「ライトリムの連中、本当に動きましたな」


 強い顎鬚を撫でながらオーレンが言った。


「動くのは当然だろう。八万人も集めて惰眠を貪らせておく訳が無い」


 ハウゼンが答えた。彼は総司令官席の左横に座っている。席次では軍の第三位に位置する席だ。


「レグニットでの戦いも完了させていないのに攻めて来るとは、余程我等を恐れたに違いない」


 ハルマナスが言った。長老然とした重々しい口振りは会議でも変わらない。


「恐れているかどうかは分からん。侮ったからこそ攻撃を仕掛けたのかも知れないぞ」


 ハウゼンが受ける。


「そうなら、これだけの大軍で来るものか。我々は奴らの脅威に成り過ぎたのだ。急激に勢力を膨張させてしまったし、最近近危険な人物を幕下に加えてしまったからな」


 反駁したのはオーレンだ。


 オーレンはハウゼンの参入を快くは思っていなかった。


 投降者が自分より上の序列になったことも気に入らなかったが、あのジュエスに説得されて降ったというのが、信用出来ない最大の理由だった。


 奴同様、危険な男ではないのか。一度は主君を見捨てた男だ。またやってもおかしくはあるまい。とオーレンは思っていた。

 勿論、ハウゼンの功績や力量は辺境のメールといえども伝わっていた。だが、それとこれとは別問題だった。


「ライトリムの攻勢は私のせいだと言いたいのかね?」


 ハウゼンの声に怒りの色が混じる。


「心当たりが在るのなら、そうなのだろうな」


 オーレンが言った。


「私は正当な王の旗下に戻っただけだ! それの何が悪いというのか! 血で償いもしたのだぞ!」


 ハウゼンが身を乗り出しかける。



 議場にピリピリとした緊張が走る。軍の重鎮同士の言い争いを止められる者は少ない。

 ランバルトは他の幹部達からのちらちらとした視線にも何も言わず、黙って見ていた。


「誰のせいかは兎も角、この時期に攻撃を受けるのは余り望ましいとは言えませんね。それは確かですよ。それに今更原因について言ったところで何も始まりませんよ、オーレン将軍」


 間に割って入ったのはジュエスだった。


 ジュエスはランバルトの右横という副司令官に相当する席次に座っている。

 以前はオーレンにもジュエスを追い越す隙があった。今やハウゼンとクラインを降伏させた功績で彼の地位は磐石となっている。


 先程までその皮肉っぽい目付きで脇から見て楽しんでいた癖に、利があると踏むとすぐやって来る。

 身体を張っているから、賞賛こそされても批判される事は滅多に無い。


 奴のこういう所が大嫌いだ、とオーレンは心の中で毒を吐いた。


 オーレンは思わずハウゼンごとジュエスを睨み付けそうになった。


 しかし、仮にも副司令官の仲裁があっては静まるしかない。ハウゼンも判断を同じくしたようで、椅子に座りなおした。


「それにしても、指揮官の人選も数も動きも報告通りですか。内通者はかなり中枢にまで入り込んでいるようですね。一体、どうやって接触したのですか?」


 ジュエスは"誰が"とは言わなかった。代わりに視線で返答の相手を指名していた。


 こんな謀略の糸を伸ばせる人間など、彼奴しかいない。

 その男は相変わらず茫洋とした印象の残らない風貌で、ジュエスだけではない全員の視線の先に座っている。


「どんな強固な壁にも亀裂の一つや二つはあるものです。見つけさえすれば、後は向こうから勝手に近づいてきますよ」


 フレオンは全く動じること無く言った。


 初めて会った時からオーレンはこの中背の男が気に入らなかった。


 謀を否定するつもりはない。戦なのだから武略として相手の裏を掻くことは、寧ろ賞賛されるべき事柄だ。

 だが、此奴のやり方は武略の範疇を越えている。

 勝利、それも自分自身の勝利の為なら平気で味方を売る。その為に自陣営に対してすら謀略の糸を張り巡らせている。


 奴がコーアを手に入れてからの平定の方法は悪辣そのものだ。不和の種を撒き、疑心暗鬼に陥らせ互いに争わせて漁夫の利を得る。

 武略とは、知謀とはもっと名誉あるものであるべきだ。


 自分の首にも奴の手から放たれた糸が巻き付いているのかと思うと、薄ら寒くなる。


 何故、ランバルト様はフレオンやジュエスの様な男ばかり重用されるのか。メールではこんな輩とは関わり合いになられなかったというのに。


 オーレンはフレオンから視線を外して嘆息した。


 思えばメールを出てからは気に入らない奴ばかりだ。

 どいつもこいつも、心の底では他人を騙す事ばかり考えている。

 この世界には裏切り者と卑劣漢しかいないのか?


 それとは違ってサーラ様はいつも純真で純朴で輝いておられる。

 影や薄暗さとは無縁だ。サーラ様なら私の心を明るく照らしてくださるだろうに……


 オーレンはいつも以上にサーラを恋しく思った。


「向こうから来た、ということは内通者は余程の野心家かベンテスを恨んでいるか、と言った辺りですか。それなら、どちらにしろ信用できますな。情報も確かだと、今なら分かっていることですしね」


 ジュエスは漸く幼さを感じさせなくなった顔に不敵な笑みを浮かべた。


「まあ何にしても、今は具体的にどうライトリム軍に立ち向かうかを決めなくてはなりません。敵は大軍でこちらは後が無い。諸将らはどうお考えですか?」


 ジュエスが訊ねた。


「敵軍は我が方の倍に及ぶ。篭城して消耗を強いるのが得策だろう」


 ハウゼンが言った。


「ベンテスはコーアの地理には疎い。我々しか知らない側道や山道を使えば、補給線の遮断も容易に行える。メールの軽騎兵(プロドロモイ)はその為にこそ在るのだからな」


 これはハルマナスだ。


「そうだな。八万の口を養うだけの糧食を維持するのは困難だ。持久戦になればこちらが有利だ」


 オーレンが言った。


 大軍である事は必ずしも全ての状況で有利に働くとは限らない。多勢になれば統率も難しくなり、十分な補給を維持するのも飛躍的に難しくなる。

 事前にオリュトスの周囲を焼き、後方からの補給を遮断してしまえばあっという間に飢えに襲われる。後は放っておけば勝手に統率を失い自壊していくだろう。


「奴らが大挙して攻めて来るのなら構わん。我らは壁の上から連中が飢えで自滅していくのを眺めていればよいのだ」


 オーレンが結論を纏めた。

 他の幹部も概ね同様の結論に達したようだ。

 

 だが――司令官ランバルトは意見を異にしているようだった。


 一体を何を迷うことがある? これが最善の選択だ。


「我らとしては籠城が最適と考えますが、ランバルト様」


 苛々したオーレンは答えを迫るように訊ねた。


 ランバルトは机についていた肘を上げ、しっかりと座り直した。そして――



「籠城はせん。軍を出して迎え撃つ」



 ランバルトは無表情で、凍りつく様な視線だけ向けて言った。


 議場の空気が張り詰めた。幹部達の戸惑いと混乱が部屋中に放たれる。


「か、閣下、ランバルト様、戦いの危険を犯さずとも敵軍は追い返す事は出来ます。どうか今一度お考え直しを」


 ハルマナスが翻意を促した。


「二度は言わぬぞ、ハルマナス。それにな、奴らが"負ける"のでは意味が無い。我軍が"勝利"しなくてはならんのだ」


「ランバルト公、閣下の事ですから、何かしら手はお打ちなのでしょう? 是非、我らにも深慮のご一端を説明いただければと思いますが」


 ジュエスが言った。彼の瞳にも面白そうな表情が湛えられ始めている。


 ランバルトはジュエスの言葉に頷くと、コーア・ハルト国境の一帯の地図を机上に広げさせ話し始めた。


「内通によればライトリム軍は国境近くのリリザに一度集まり、補給の拠点とする。そこで我軍は騎兵隊で一度リリザに攻撃を仕掛け、すぐに撤退させる。ただし、無様にな。ここでは寧ろ敗北して貰った方が都合が良い。またその間、オリュトスの駐留兵には夜にも赤々と明かりを灯させ、出来るだけ慌ただしく動いてもらう。壁の内側に全軍がいる様に見せかけるのだ」


 ランバルトは地図上に兵に見立てた駒を展開させながら続ける。


「ライトリム軍は我軍が籠城を選択し補給線の遮断に出てきた、野戦軍はオリュトスの壁の内側に篭って出てこない、と思うだろう。そして連中は警戒心の薄れたまま、ここ――」


 リリザから一両日程度の距離の場所を指した。山と丘の間を縫う一本の道だった。


「この隘路に入り込む。我々は事前に兵を伏せ、ライトリム軍が現れた機を見計らって奇襲する」


 オーレンは頭を抱えそうになった。


 こんな作戦そうそう上手く行くものか。まるで博打だ。それより籠城して持久戦に持ち込む方が確実だ。奴らが"負ける"のも、我らが"勝つ"のも一緒ではないか。


 ランバルト様はどういうつもりなのか。


「しかし、ランバルト公……もし上手く敵軍が前進して来たとしても、易易と隘路に入り込んでくれるものだろうか。ライトリム軍にも歴戦の将は少なくはない。罠だと見破られるのでは」


 ハウゼンが苦み走る表情を抑えきれずに聞いた。


「来る」


 ランバルトは一言返しただけであった。


「ランバルト様、お考え直し下され。ここにいるのは我々のほぼ全軍です。もし敗北すれば、ライトリム軍の進軍を遮る兵は居りません。守る者がいないのですよ。コーアにもクラウリムにもリンガルにも、そしてメールにも」


 オーレンは堪らず言った。


 一番考えていたのは故郷メールの事だ。メールは今空っぽだ。ライトリム軍の進撃に抗する事は出来ない。


 ――そして……そしてメールにはサーラ様が居られる……――


「閣下、どうか……っっ」


 主君に視線を向けたオーレンは思わず息を呑んだ。


 ランバルトはかつて見たことも無い程、冷たく厳しい怒りに満ちた目をしていた。


 その目には数多の戦場を駆け抜けて来た、恐れを知らぬ猛将であるオーレンでさえも気圧され、怯えてしまった。

 額に冷や汗が流れるのを感じる。


 オーレン以外の幹部も気圧され、何も言えなくなっていた。反対は出来ないが賛成も出来ないといった様子だ。

 皆一様に押し黙り事態の推移を見守っている。

 

 ――ただ一人を除いて。



「私は戦いますよ」


 ジュエスが至って平静に言った。相変わらず眼には面白がるような光が宿っている。


「ランバルト公と共に戦場へ出ます。他の方々がその間どこに居られるかは知りませんがね」


 敢えて挑発的な物言いをしているのだ。壁の後ろにいるのなら臆病者だ、と炊きつけているのだ。

 ジュエスが戦うと謂う事はプロキオン家も全員戦うということに等しい。主君の決意を受けたプロキオン家の面々からは早くも戦意が感じられる。

 そして、彼らの戦意に焚き付けられて、メール勢も若手幹部達が名乗りを上げた。


「俺も戦うぞ! 敵と雌雄を決することこそ、武人の誉だ!」


 ザーレディン家の家のテオバリドが大声を上げる。アルサ家の若手家臣の筆頭だ。豪胆で快活な性格で、オーレンとは良く馬が合う。

 血気に逸る彼の気持ちはオーレンにもよく理解出来た。


「俺もだ!」「私も戦う」「私も行くぞ!」


 若手家臣のノゴール家のアールバル、スリスト家のレイツが後に続き、仕舞いにはカルコン家のネフノスの様な古参家臣も熱に浮かされたように戦いに赴く旨を叫んだ。


 ついに、ハウゼンもハルマナスも折れ、出陣を受け入れた。


 オーレンはやはり否定的な思いを拭えなかったが、ここに至っては逆らう事も出来なかった。


 それに、自らも武人の端くれとして大軍と戦う事に高揚感を覚えない訳では無かった。

 かくなる上はサーラ様の御身に危険が振りかからぬように全力で戦う他あるまい。

 

 オーレンも賛成の言葉を発しながらランバルトを見た。主君はもう彼の事を見てはおらず、その眼の冷たさも幾分和らいでいた。



 だが、オーレンの脳裏にはランバルトの氷の瞳が鮮烈に焼き付き、消えることは無かった。



 ◆ ◆ ◆ 





 国王軍(ドミニオン)はオリュトスに籠城せず、ライトリム軍を迎撃するために出撃した。

 内通者から情報を得たランバルトは北上するライトリム軍を罠に嵌めて、一挙に撃破せんとの戦略を採用した。

 コーア兵はフレオンに指揮されオリュトスに残し、兵数を過大に見せる工作に従事していた。ランバルトと共に南下したのは残る四万の兵であった。


 決戦の時は目前まで迫っていた。



挿絵(By みてみん)

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