『獲得 ~アイギナの会戦~』
新暦659年9月、コーア地方の大部分を失ったハウゼンは軍の再編だけでなく、周辺国との関係も整理する必要に迫られていた。
この時期、ハウゼンは主力部隊を率いてライトリム公が領するハルト地方へ攻め込んでおり、野戦でもライトリム軍を打ち破り、幾つもの砦を攻め落としていた。
この優勢はクラウリム軍の戦略的優位という理由が大きかった。それまではクラウリム側はスレイン公とは中立を保ち、国王軍をコーアから叩き出しつつあり、ライトリム側は四方を敵に囲まれていた。
しかし、今や国王軍らブリアン派は勢力を盛り返してコーアを占領し、ヒュノーはバレッタに釘付けとなり、フェルリアのサレンは殺された。今後の状況次第でスレイン公がどう動くかも分からなかった。今度はクラウリム勢の側が囲まれていたのだった。
また、ハウゼンにとってブリアン王子を推戴するランバルトの勝利は受け入れられないものであった。ブルメウス王と主義主張を同じくするブリアン王子とは相容れなかったのだ。
そして、ランバルトの力量の一端を知ったハウゼンは彼に強い脅威を覚えていた。一撃でコーア地方を奪い取ったその鮮やかな手並みがこれ以上発揮される前に潰す必要があると考えた。
ランバルトとの戦いに集中する為にハウゼンはライトリム公に和睦を申し入れた。これはレグニット公やヒュノーを見捨てることにもなるが、その汚名を甘受してでも注力するべきだと判断した。
ライトリム公ベンテスがこれを受けない筈も無く、講和は成され、ハウゼンはランバルト攻撃の準備を整えた。
新暦659年10月、秋も深まり冬が近づく中、一旦本土クラウリム地方へ戻った後、軍を再編したクラウリム公ハウゼン自身が率いる3万5千の兵がコーア地方へ進軍を開始した。
コーア地方の西端でダロス率いるコーア方面軍の残存部隊1万人と合流する予定であった。
しかし、進軍は予想外に遅れた。ランバルトがハウゼン陣営の切り崩しを図って調略を仕掛け、この対処に思いの他力を使わされたからだった。
調略の実行者は新たに国王軍に参画したコーア貴族のフレオンだった。
彼は謀略の才覚を如何なく発揮し、ハウゼン軍に不和を撒き散らした。一時期ハウゼンの下にいた際の情報を駆使できたことも有利に働いていた。
実際のところは調略の手が蠢いても、ハウゼン配下の勇士は皆忠誠心が強く、誰も調略には応じていなかった。
しかし、まるで調略が成功したかのような手紙やその返答の偽書も紛れ込ませ、それを敢てハウゼン側に発見させることで疑心を招かせていった。
ランバルトとしても調略が成功すればそれで良いし、成功しなくても疑心の種を植え付ける事が出来、いずれ芽吹かせることが出来るだろうと考えていた。
短期的に見てもクラウリム軍の足を遅らせて布陣の時間を稼ぐことが出来た以上、調略に応じた相手がいなかったとしても不満は無かった。
ハウゼン麾下のクラウリム軍がダロス隊と合流し、漸くコーア東端の町アイギナに到着した頃には国王軍は布陣を終えており、ハウゼン軍を迎え撃つために有利な地形を占めていた。ハウゼンも直ちに軍の布陣を行い、両軍は対峙した。
そして、戦いは人々の思惑も信念も一瞬で覆してしまう。老功臣は運命の齎す不確実さを身を以って知ることになる―――
◆ ◆ ◆
【新暦659年11月 アイギナ近郊 クラウリム公ハウゼン】
幾つもの旗印が林立し、大勢の兵士が音を立てて隊列を整えている。
太陽の光を反射して鈍く輝く鎖帷子を纏った勇士や興奮して嘶く軍馬に跨る騎兵、緊張した面持ちで槍と盾を構える民兵が大地を埋め尽くしている。
クラウリム軍は布陣を完了しつつあった。
ハウゼンはその事に満足しながら、これから一戦交えようとしている対面の敵軍を見やった。
国王軍は丘陵を押さえ、その稜線沿いに兵を配置していた。丘自体はそれ程標高も斜度もある訳ではないが、それでも防御側に有利な地形であることに変わりは無い。
既に一戦交えているダロスからは敵軍は今までより遥に手強くなっていると報告があった。リンガル勢も十分強敵だったが、それすらをも上回るという。
現にダロスは無念な事だが敗北を強いられてしまっている。
平民出身のダロスは有能な指揮官で武勇にも長ける。その彼が手も足も出なかったというのだから、警戒せずには置けない。
新たに国王軍に加わったメール軍の異質さは丘の麓から見ても一目瞭然だった。
対面の右翼に並ぶメール兵は鎧と大盾を備えてずらりと並び、一分の隙も無い鋼鉄の壁を形成している。
メールという辺境の地であれだけの数の戦士を揃え、高度な訓練を必要とする強固な方陣を形成させるとは信じがたかった。
左翼に並ぶプロキオン家の兵と比べると一層違いが際立って見える。
我がクラウリム軍の精強さが誇るべき水準に有ることは築き上げてきた私自身が良く知っている。
だが、それでもあのような陣形を維持して戦う事が出来るのは、私の直卒部隊くらいなものだ。メール軍は軍制そのものからして我々とは違うのだろう。
ライトリム公との戦いを止め、同盟から離脱してでもこちらに来て正解だった。
これ以上、国王軍が強化される前に叩いておく必要がある。狂信的なプロキオン家の連中まであんな戦い方が出来るようになったら勝利も覚束なくなってしまう。
とはいえ、我が方が4万強に対し敵軍は3万足らずと兵力数では此方が優っている。それにメール兵は敵軍の半数に過ぎない。
どれほど軍が強くなっても、やはり兵力差というものは戦いに於いて最も重要だ。
ダロスによればメール兵は戦いぶりも然る事ながら、その健脚が恐るべき速さで、こちらの気付かぬ間に側面や背後へ回りこんでくるのだと言う。
メール兵と戦闘経験のあるダロスを予備隊として後方に置き、敵の側背攻撃に備えさせよう。
もし相手が正面攻撃しかして来ないようなら戦況が動いた時に止めの一撃として使うのもよい。出せる駒は一気に出さねば遅れをとってしまう。
戦闘を目前に控え、兵達の間に漂う緊張と興奮の気配は高まり、渦巻いている。
誰が相手になろうと負ける訳にはいかなかった。
ハウゼンは心の中で改めて思い定めた。
王国とディリオンの民を平和と繁栄に導く為にはここで足を取られる訳にはいかない。
真の平和への最善の道は、持てる者達が持たざる者へ手を差し伸べ、分け与えること。それこそが肝要なのだ。
そうすれば伝説の"尊厳者"の時代の様に、争いの無い平穏な世界が築かれるだろう。
ブルメウス王は、私達が会った最初の頃は、弱者を押さえ付け、暴力で奪い取る大諸侯のやり方に反対していた。
だから、共に歩く事も出来ると思っていた。
しかし、それは思い違いだった。ブルメウス王が本当に望んでいたのは何よりも自分より下位である筈の大諸侯が権力を行使している事が許せなかったのだ。
彼は頂点の者が全てを独占すれば、諸侯や貴族が力を振るう事は無くなると主張し始めた。
頂点たる王だけが全ての富を握ればよい、貴族も勇士も平民も奴隷に落してしまえばすっきりする等ということすら言っていたのを聞いた事もある。
そして、諸侯の権力を封じたいが余りにサレンの如き強盗紛いすら用いようとしたことも許せなかった。
サレンは奪うことしかしない、諸侯より性質の悪い悪党だ。
次代を担う筈だったブリアン王子もブルメウス王と似たり寄ったりの思考だった。それ故に私は失望し、王都を離れたのだ。
そして、王都を離れ、故郷で信頼できる者達と語らう中で、私は一つの到達点に達した。
今の貴族は皆自身の事しか考えていない。富と栄誉を貪ることしか頭に無い。
そのような自省無き考えを正し、在るべき姿と行いを指し示す。
その為には多少の犠牲と汚名は止むを得ない。私は、進むべき道を選んだのだ。
ハウゼンは稜線の向こう側にいるであろう、敵将の姿を透かし見た。
新たに司令官となったメールのランバルトはブリアンを支持し、その旗の下に戦う為に来たという。
それが事実ならば、良くも悪くもロラン王家に忠実と言うべきなのだろうが、実際に戦場でまみえて見ると、単なる忠誠心だけではない何かを感じる。
かと言って他の諸侯の様な領土や富への欲望でも無い。
もっと純粋と言うか、単純と言うか、上手くは言い表せないが……
つい先頃まで敵軍を率いていたプロキオン家のジュエスからも同じような印象を受けたが、ブリアン王子が意図的にそのような人物を選んでいるのか、それとも単なる偶然か……
物思いに耽りそうになったハウゼンを伝令からの布陣終了の報告が現実に引き戻した。戦闘の準備が整った。
何にしても、先ずはこの戦いに勝たねばならない。
ハウゼンは戦いに先駆けて兵達に声を掛けるべく、馬を走らせた。冬も間近に迫り、吹き付ける風が肌を刺した。
◆ ◆ ◆
国王軍は総勢2万8000の兵が丘の稜線沿いに布陣していた。
ランバルトはテレック、アールバル、レイツら若手将校を含む親衛隊3000人と共に全軍の中央に布陣し、全体の指揮を執った。
右翼にはオーレン指揮下のメール兵が配置され、最右翼には軽騎兵1500騎、その右手にメールの誇る重装歩兵の方陣が並び、ハルマナス、ネフノス、メネート、テオバリドらがそれぞれ4個方陣1200人の歩兵を指揮した。方陣の間には弓兵や投石兵などの軽装歩兵が配置され側面を守った。
左翼にはジュエス麾下のプロキオン兵を中心としたリンガル兵1万6000人が配置され、セルギリウス、コンスタンス、フェブリズといったプロキオン家の家臣や古参士官がそれぞれ部隊を率いていた。左翼に在った2000人の勇士は多くがリンガル人であるが、フィステルスの敗戦以降も従い続けたハルト人も含まれている。
そして稜線の背後に隠れるように後衛としてコルウス族2000人が配置されていた。
対するクラウリム軍は総勢4万5000人が丘の麓に布陣していた。
右翼にバトラス家のガーランド率いる勇士1000人を含む1万人が、中央にハウゼン自身が勇士1800人を含む2万の兵が、左翼にハウゼンの弟リホード率いる勇士1200人を含む兵1万が布陣した。またハウゼンは中央部隊の内、5000人の直卒部隊に守られていた。
さらにメール軍の機動性についての報告を受けていたハウゼンは予備隊として5000の兵をダロスに率いさせ、背後に配置していた。
有利な地形を占めているが数で劣る国王軍は防御に専念するだろうとハウゼンは考え、自軍の側から攻勢を仕掛ける事を想定していた。
しかし、ランバルトは予想を裏切って国王軍の側から攻撃を掛けた。メールの重装歩兵を先頭に丘の斜面を下り、国王軍は攻撃を開始した。
重装歩兵の密集方陣やリンガル兵から繰り出される激しい攻撃ではあったが、その攻撃力は前回ダロス隊を打ち破った時に比べて劣っていた。その姿はハウゼンの巧みな指揮も国王軍の鈍りに寄与しているように見えた。
次第にその鋭鋒は鈍り、逆にクラウリム軍の反撃を受け丘の上に押し戻されていった。
現状の優勢を決定的なものにする為、ハウゼンは後方に配置していたダロス麾下の予備隊も投入して全面攻勢を掛けた。敵軍の迂回攻撃は警戒していたが先手を打って敵軍を撃破しようと考えていたのだった。
その時、丘の向こう側に隠してあったコルウス族が密かに戦場を迂回し、クラウリム軍の側背から攻撃を掛けた。同時に劣勢だった筈の国王軍は猛烈な反撃に打って出た。
国王軍の後退はクラウリム軍の全軍を引きずり出し、迂回攻撃を成功させる為の擬態であった。
クラウリム軍の大部分は国王軍の猛攻により防戦一方で身動き出来ずにいた。コルウス族の迂回攻撃とクラウリム軍予備隊の投入時が重なったのは偶然であったが、致命的な偶然となった。
ハウゼンは即応で行動できた5000名の直卒部隊をコルウス族への対処に振り向けた。
しかし、コルウス族の破壊力は常軌を逸しており、只管攻撃を続ける狂戦士達により精鋭の直卒部隊は見る見る内に血祭りに上げられていった。
特に族長ロシャはこの局面だけで三十人以上の敵兵の首を上げていた。
直卒部隊を粉砕し、そのまま背後からクラウリム軍の本隊に雪崩れ込むコルウス族を押し留められる者はいなかった。
前後から攻撃を受けたクラウリム軍の崩壊は時間の問題だった。
敗北を悟ったハウゼンだったが矜持と誇りからその場に踏みとどまり、戦い続けるも負傷してしまった。負傷したハウゼンは周囲の者の手で後方へ逃された。
ハウゼンの後送を機にクラウリム軍は全面潰走に到り、コルウス族とメールの軽騎兵隊の追撃を受けて多くの死者を出した。
メール軍の血の暴風の前にハウゼンの弟リホードが戦死し、5千人近くが戦死・負傷によって戦闘力を失い、1万人以上が捕虜となった。
アイギナでの戦いはメール公ランバルト率いる国王軍が決定的な勝利を収めた。
◇ ◇ ◇
◇ ◇ ◇
アイギナから敗走したクラウリム軍は負傷しながらも指揮を執るハウゼンの下、後退し続けていた。
二度に渡る大敗を受けてさしものクラウリム地方でもハウゼンから離反する地域が出現していた。
そして、機動力を活かして近隣地帯一杯を遊弋するメール軽騎兵により態勢を立て直す拠点を得られずに後退を強いられ、結局クラウリム公都クラインまで退却することになった。
ハウゼンは決定的な敗戦ながらも抵抗を諦めず、残存の兵力を何とか纏めていたが、フレオンが戦闘前に仕掛けていた調略工作が効果を発揮し始め、止まらない出血のようにじわじわとその兵力を減らしていった。
これらの離反者の出現はクラインでの防戦を決めたハウゼンの強固な意思にも小さからぬ穴を穿っていった。
勝者であるランバルト率いる国王軍はハウゼンから離反する諸勢力を吸収しながら公都クラインへ迫った。
ハウゼンが負傷しクラウリム軍は大きく数を減らしているとはいえ、クラインを正面から攻め落とそうとすれば、味方に少なからぬ流血を伴うだろうと予想された。
しかし、そのような流血の戦いは起きなかった。ジュエスが単身クラインに乗り込んでハウゼンを説得したからだった。
そして両軍の見守る中、ハウゼンはジュエスの説得を受け入れて降伏を受諾した。
公都クラインは開城し、国王軍が入城した。クラウリム地方も国王軍の勢力下に入った。
クラインにはブリアン王子やファリア王妃ら王族とロンドリクら廷臣達も入城し、ランバルトはメールから増援を呼び寄せた。
そして、勝利の後の穏やかな夜は貴重なもの。若き貴族は自分が"手に入れた"人々について思いを馳せる―――
クラウリム地方とハウゼン公を手に入れたランバルト率いる国王軍はクラインに於いて冬越しと軍の再編を行い、次の戦いへ向けて一時の休息を取った。
お読み下さり本当に有難う御座います。
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