『領主』 ※挿絵付
十数頭もの馬が駆け砂塵が舞う。馬上にある騎兵は綺羅びやかな鎧兜を着込み、高々と剣を掲げる。
無論、剣は振り下ろされる為に掲げられている。人馬も武具も無慈悲な猛りに満ちている。
兵士と馬に追われ、必死に逃げ走るのは五十人近い人の群れだ。皆粗末な服と簡素な武器を持っているだけだった。表情は恐怖と嘆き、理不尽な人生への怒りで彩られている。
逃げ遅れたり転倒した者は軍馬の蹄に踏み躙られていく。
そして、逃亡者達に追い付いた騎兵は馬上から剣を振り下ろす。兵士の腕力、剣そのものの重量、軍馬の速度を一体にした一撃。
地べたを這い惑う逃亡者、追い立てる馬上の支配者。それは戦場に限らぬ、社会の縮図でもあった。
騎馬兵の先頭を駆ける若者の眼は、他の兵士の熱狂的な色合いとは違い、冷徹で皮肉げな光を湛えていた。
◇ ◇ ◇ ◇
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
【新歴656年10月 リンガル西部 貴族ジュエス】
リンガル。この海と山脈に挟まれた帯状の土地は王国北部の辺境として知られている。
その地に一人の青年がいた。
青年の名はジュエス。リンガル地方最大の貴族プロキオン家の若き当主である。
十六歳になったばかりの彼は整った顔立ちだが、未だに幼さの方が目立った。明るい茶の髪がその印象を増幅させている。
その体躯は歳相応に確りとして、時期に逞しい戦士へと成長すると期待された。
そして一番の特徴が暗緑色の瞳に浮かぶ、若さに似合わない皮肉っぽい目つきだった。
その目は今、足元に幾つも転がる体に注がれていた。彼は馬を歩かせながらそれらを眺めていた。
殆どは粗織の外衣を纏い、手製の槍や簡素な盾を手にしていた。幾つかは綻びのある革鎧を身に帯びている。
彼らはリンガルの人間ではない。隣国から流れてきた盗賊集団だ。村々を荒らし、略奪しながらやって来たのだった。
ジュエスは領主として盗賊共の討伐に出、そして勝利した。それを証明する様に彼は兜や鎖帷子を着こみ、腰には剣を佩いていた。
近くには忠実な家臣や護衛の勇士――主君の下で戦闘を生業とする身分――が立ち並んでいる。皆勝利の興奮で息が荒い。
戦いは直ぐに終わった。盗賊の単純な行動を見切ったジュエスは先回りし、油断する彼らを騎兵の突撃で蹂躙したのだ。ジュエス自らが突撃の先頭に立ち、剣を振るいなぎ倒していった。
そして、この様な勝利を挙げたのはこれが一度ではない。ジュエスは初陣からいつも先陣を切って戦い続けている。
「今回も大勝利でしたな! ジュエス様!」
若い家臣のコンスタンスが昂揚も露わに言った。ジュエスに注がれる彼の視線はキラキラと輝き、敬意に満ちている。
自分より歳の若い主が率先して勇敢さを示し続けている事に、実直で武人肌なコンスタンスは信仰心に近い尊敬の念を抱いていた。
「そうだな。ただ僕……私は我が民の為に最善を尽くしただけだ。そして君たちの協力が無ければ不可能だった」
ジュエスは人好きのする笑顔を向けながら言った。コンスタンスは一層崇敬の思いを高めていた様子だった。他の家臣や兵士達も同様の思いを胸にしているようで、中には敬々しく武器を掲げて敬礼した者もいた。
笑顔を向けながらジュエスは思った。
――何て単純な奴らなんだ。尤も、その単純さに助けられてはいるんだが――
ジュエスは慈悲深く勇敢で誠実な領主として知られている。
だがそれは全て彼が演技し、作り上げて来た仮の姿に過ぎなかった。
若く実績の無い彼が家臣の忠誠心を維持し続ける為には常に寛大に振るまい、体を張れる所で張り、血を流せる時には流すしか無かったのだ。
当主の座を継承した時も多くの家臣が若さを理由にジュエスの継承を拒否した。その時は国王の鶴の一声で事無きを得たのだが、ジュエスは自身の支持基盤の弱さを思い知った。
当主の座を受け継いでからは兎に角、必死に臣下の支持を稼いだ。
逆らった部下も全て許して再び幕下に迎え入れたし、天災でも略奪でも被害を被った平民は私財を投じて助けた。賊徒退治では自ら出撃して退治して来た。
そして、本心は誰にも見せる事無く隠し通している。
――僕にとってはお前らなど所詮飼い犬と同じでしか無い――という本心は。
その御蔭で家臣や臣民からは自分でも驚く程の高い忠誠心を得ることに成功していた。コンスタンスの様にジュエスの事を"信仰"している家臣すら出てきた。有り難い事だが今後も同じくあり続けなくてはならないと思うと些かうんざりもした。
家臣達から浴びせられ続ける敬意の視線に、心の声が表情に現れずに済んだと多少安心しながらジュエスは再び死体を見た。
「こいつらもまたコーアから流れてきた連中か?」
家臣の一人が言った。
「他にどこから来るっていうんだ。ジュエス様は賊徒を出すような無様な統治は決してされない」
コンスタンスが憮然とした声で言った。忠誠心が高いのは結構だが、過大に期待されるのもそれはそれで迷惑だった。
「出来るだけそう在りたいものだ。まあコーアの食い詰め者には間違いないだろうな」
ジュエスは言いつつ検分した。
これらの盗賊は隣国のコーアから流れてきた食い詰め者だと思われた。というより、山と海に囲まれたリンガルには他に来る場所が無い。
「それにしてもこの一年で随分賊徒が増えましたね。これもやっぱり……」
コンスタンスはそこ迄言って口を閉じた。そこから先は一陪臣が発言するには憚れると思ったのだろう。
賊徒の発生や治安の悪化は何も隣国コーアに限ったことではない。既に王国全土に於いて起こっていた。
原因は国王と貴族の対立だった。
国王ブルメウスは王権強化の為に貴族を弱体化させようと課税や賦役をかけ、土地・財産を接収しようと躍起になっていた。今のところはまだ貴族達も王の施策に批判的ながらも従っている。王は王であるし、勅命に逆らう反逆者と言われたくはないからだ。
だが貴族への負担はそのまま平民への負担に繋がる。王は財産を貴族から奪うが、貴族が財産を奪う先は平民なのだ。まして諸侯は蓄えを減らしたがらず、あれやこれやと理由をつけて民衆から負担させようとしている。或いは、貴族同士、互いの土地の富を奪い合い争う。
上級者達の闘争で困窮した平民はこの死体達の様に盗賊として略奪で生計を立てるしか無い。
そうでなくても地方の統治は多くがその地の貴族が担っている。その貴族の力がどのような形であれ弱まれば治安が悪化するのは当然の出来事だった。弱体化する貴族の代わりの治安維持を王が行っているわけでは無いのだから尚更だった。
強力な貴族を弱らせたいというブルメウス王の気持ちも分からなくはないが、国を弱らせる本末転倒な策だとジュエスは思っていた。
まあ、貴族達の力をもって王命を拒否すればいいという部分もあるが、そう簡単にも行かない事情というものはあるのだ。
ジュエスのプロキオン家にも課税の命令は来ていたが、聞きつけた平民が率先して支払ってくれた。いつもお世話になってる殿様への恩返しだそうだった。
その時も、ジュエスは心の中では上手く利用出来たと思いながら、笑顔で平民の手を取り一人一人に感謝の言葉を述べた。
そしてブルメウスの暴走は留まる所を知らない。日に日に下される王命は増えていき、貴族の不満は蓄積されている。実際にどれだけの富が奪われるかが問題ではない。どちらも自分の懐に手を突っ込まれることが許せないのだ。
貴族達の王への忠誠は薄れつつあり、逆に国王や王の一派へ対向するための力を蓄えつつあるという話も伝わっている。
王と貴族、両者が破裂するのも時間の問題かも知れなかった。
――このままでは、王国も長くは無いだろう。いざと言う時の為に身の振り方は考えておかねば――
とジュエスは思った。
不意に風が吹付け、鎧越しに肌を寒気で撫ぜた。
太陽はもう中点を越えていて、今は初冬の肌寒さを多少和らげる力しか無い。
しかし、体に走った寒気が冬の冷気の所為か、それとも王国への不安の所為かはジュエスには判別がつかなかった。
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冒頭イラストは卯堂 成隆さんに書いて頂きました。
(http://mypage.syosetu.com/39329/)
キャライラストは iri000(https://www.lancers.jp/profile/iri000)さんに描いて頂きました
※『ディリオン群雄伝外史』
http://ncode.syosetu.com/n7933cs/
外伝的作品や設定資料集などを取り留めもなく載せていきます。
※『姫騎士アイーシャの野望~愛する王子様を玉座につけるのだ!~』
http://ncode.syosetu.com/n0771dj/
同一世界観の作品。一緒に読むと良い事がある。かもしれない。