流れる血の色
「こんなにのんびりしてて、いいんでしょうか?」
木下このりが、前を歩く黒鵜に訊ねた。
「はは、街並みを見るのも仕事のうちだよ」
黒鵜はのんびりした調子でこたえた。
会議室を後にした彼と木下、八千の3人は、そのあしで7区の中心から少し外れた商店街に来ていた。
Mt12:00の少し手間という事もあり、年配の女性や、幼子をつれた母親が行ったり来たりしている。
「そう言いましても、ジャンク者はどこにも見当たりませんが」
木下はやや不満げに頬を膨らませた。
「そりゃそうでしょ」 言いながら八千は、空に浮かぶ雲を目で追う。
「あ、あなた。階級が上だからって」
歳は自分が上なのよ。
そんな言葉をのみこんで、彼女は後ろの八千にしかめっ面を向けた。
「ほら、よそ見しちゃ」
黒鵜が言いかけたところで、木下は前からくる人にぶつかった。
どん、という衝撃を受けたのは相手――メガナイロン製のタイトパンツ。チューブトップに、同じ丈のベストを羽織った少女だった。
木下の人工骨格の前では普通の人間なんて枯れ枝とかわらない。
少女は、思い切りついた尻を摩りながら顔をしかめると、キッと木下を睨んだ。
「いってーな!」
「――すいませんっ」
ぶつかった衝撃をまったく感じなかった木下は、一瞬間をおいて頭を下げた。
そして、少女に手を差し伸べる。
しかし、彼女はそれを無視して立ち上がると、
「んだよ、MOAかよ。でかいツラして歩きやがって」
言いながらそっぽを向いて歩いて行ってしまった。
遠くなっていく後ろ姿をみながら、木下は 「何よでかいツラって! 大体、どう見ても15、6歳じゃない! 学校はどうしたのよ! しかも今時、サイバ派ファッションなんて流行んないっつーの!」 声を上げた。
その大音量に周りの視線が集まった。
「まあ、まあ木下君。少年少女の更生は私達の管轄外だから」
「そ、そうはいいましても……」
「それに、目当てが見つかったよ」
黒鵜は言いながら、小さくなった少女の後ろ姿へ目を向けた。
「え、え!? あの子が!?」
黒鵜は頷きながら顎をさすった。
別にあの少女じゃなくてもいい。少年でも構わない。
単独行動をする若年を、彼は探していたのだ。
驚きに目を瞬かせる木下の疑問を解消する為、彼は告げる。
「実はね、失踪者の殆どが10代の若者なんだよ」
「え、しかし6区から8区の失踪は殆どいないんじゃ」
「どうだろうねぇ。無いのか、表にでてないのか」
「それって……」
「ふふ、まあ調べはじめなんだから、藁にもなんとやらってやつだよ」
「は、はあ……」
木下は自分を追い越し、歩いていく黒鵜の後を追った。
少女が道なりに真っ直ぐ進んでいてくれたお陰で、三人は楽にその姿を捉える事が出来た。
「どこに向かっているんですかね?」
「どうだろうねぇ」
「あなたも何か喋りなさいよ」
木下は直ぐ右隣にいる仏頂面の八千に向いた。
「俺、腹減ったんすけど」
「は? 今は仕事中よっ」
「はあ。てか、俺の方が階級は上っすよ」
「な、なにっ。だから何よっ。黒鵜二尉、言ってやってくださいよ」
木下は左隣にせがんだ。
黒鵜は一瞬困った顔をした。
彼はスーツの懐に手をいれると、十数センチ程の細い銀包を取り出した。
「これ、食べるかい?」
「うまいんすか、それ」
八千が訝しむ。
「なっ……黒鵜二尉が折角っ、というかそこは注意してくださいよっ」
木下は半分涙目で訴えた。
「いやぁ、お腹すいちゃ力でないからね」
「そんな呑気なっ」
「これは冗談でもなんでもなく、職業がらいつ死んでもおかしくないんだから、後からあれをすれば、これをやっておけば、なんて事にならないように、自身の管理は非常に重要だよ」
「え……はい……」
木下はしゅんと小さくなった。
黒鵜はそれを一瞥すると、八千に視線をうつした。
「わかるかな? 八千君。自身の管理をしっかり、ね」
八千は黙ったまま黒鵜の目を見返し1回頷いた。
その視線は直ぐに銀包に向き、観察するように睨めると、手に取った。
包をあけて、まるで幼い子供のように、中に入っている固形の栄養スナックにかぶりつく。
一口、二口で平らげると、彼は遠くに見える少女に目を向けた。
「追わなくいいんすか」
黒鵜はにんまり笑みを浮かべ 「それじゃあ、行こうか」 と、少女に向いた。
3人が尾行をはじめて3時間が過ぎた。
その間、少女はいたる所に立ち寄った。
ドメスティックブランドのアパレルショップ、ネイルサロン、ゲームセンター。
古書店に立ち寄ったのを見たときは、その意外性に黒鵜が驚いた。
自分の世代でさえ、ホログラムが当たり前だ。
両隣の若い2人なんて古書店て何がある所? と訊ね合っていた。
そして、手ぶらで出てきた少女は今、7区の中心街を彷徨いている。
3人は少女と30m程の距離を保ち、テナントビルの影から彼女をのぞいていた。
「黒鵜二尉。やはり何もおきないんじゃ。人の多いところばかりですし、白昼堂々ってのは流石に――」
「昼に消えたんだろ」 八千が壁に背をあずける。
木下は彼の発言の是非を、黒鵜に求めた。
彼女の視線を受けて、彼は顎さする。
「そう。失踪者の保護者は皆こう言ったそうだ。気づいたらいなかった、てねぇ」
木下は眉をよせる。
「おかしな話ですね。一緒にいて、それも自分の子供だったりするわけですよね? 気づいたら、なんて状況になりますか?」
「右を見ながら、左は見れない」
八千がポツリと呟いた。
「懐かしいねぇ。八千君の指導教官は西蝉元一佐かな」
「うす」
「一体、何の話しなんですか?」
木下の問いに、黒鵜は口元をほころばせた。
「なに、私の指導教官も彼と同じ人でね。まだ現役で教えていたとは驚いたよ」
「でも八千の発言とそれが、どう関係が……」
「まだ私が訓練生だった頃の話しさ。実戦訓練と言われて、ジャンクの巣食う廃ビルに10名の訓練生が集められた。私達の装備はリコイルレスの銃だけだった」
「そ、そんな無茶なっ!? ジャンク相手に銃のみだなんてっ。それも警察が使うようなものじゃないですかっ」
「そうだね。あの人は凄く厳しい人だから、あの時はそれでもやるしかないって思ったよ。そして、私達は廃ビルを進んだ。1階、2階とあがり、いつジャンクがでてくるのかと、私達は込み上げる恐怖を必死におさえ、細心の注意をはらいながら進んだ。とはいっても、何も無い、見通しのいい部屋だったけどね。ジャンクがいれば誰かが気づいたはずだよ」
「誰もジャンクの存在に気付かなかったんですか?」
「ああ、そうだよ」
「もしかして、誰か亡くなったんじゃ……」
「まさか。10人とも無事卒業したさ」
「え、でも……ジャンクが逃げた。そうだ、捜査官の卵とはいえ、10人もいたんなら」
木下は自分の納得できる答えを探そうと必死に言葉をはいて頷いた。
しかし、黒鵜は首を横にふる。
「いいや。その廃ビルには、はじめからジャンクなんていなかったのさ。3階まであがって、そして、屋上にでたんだ。そしたらね、西蝉さんが場には似つかわしくない、それはもう豪奢な座椅子に座ってタバコをふかしていたんだよ」
その時の彼を思い出して、黒鵜は吹き出しそうになるのを我慢した。
食い入るように話しを聞く木下の視線に、彼は 「失敬、失敬」 と顔元に戻した。
「そして、あの人は、こう、私たちに尋ねたんだ。何か気づいた事はないか、ってね」
「何かあったんですか? ジャンクはいないんですよね?」
「ふふ、あの時の私達も皆、君のような反応をしていたよ。結局、10人が10人ともその問いに答えられなかった。いや、正確には9人なんだけどね」
「へ……え? それって」
「訓練生の1人は西蝉さんの仕掛け人でね。1階を過ぎた辺りから私達とは別のルートで離脱していたんだ。つまり、結構早い段階から9人しかいなかったって事さ。そして、それを告げたあの人は言ったんだよ。右を見ながら左は見れない、とね」
木下は目を点にしていた。
つまり、その言葉の真意――教訓は何なんだ、と。
それを悟ったように黒鵜は再度口を開いた。
「つまり、人間なんてのは不完全な生き物だって事だよ。何かに気をとられていれば目の前でおこった事すら、認識できないんだからね」
「自分の子供が消えても、気づかない」
木下は噛み締めるように呟いた。
「どうかな。ただ、程度はあれど、街は誘惑に満ちている。あれが欲しい、これが見たい、それを聞きたい、食べたい、したい、したくない――大なり小なり、皆、思い思いの欲にかられ」
黒鵜は言葉をきって、壁の影から出た。
「彼女がまた移動したよ。さ、行こうか」
3人はこれまでと変わらず、少女を追う。
ただし、一つ違う点がある。
木下の表情から迷いのようなものが消えていた。
「黒鵜二尉。自分、西蝉元一佐に会ってみたくなりました」
「機会があれば、会ってみるといいよ。ただ、」
黒鵜は言いかけた言葉を飲み込んだ。
木下は首を傾げる。しかし、それ以上の追求はしなかった。少女に目を向け、その一挙手一投足に注意を払う。
少女は店に顔だけ向けながら街路を歩いている。店の終わりがくると顔を前に向け、店のはじまりがくると横に向ける。
それを何度も繰り返し、もう8店舗を通り過ぎようとしていた。
彼女が顔を前に向けた。
瞬間、フッとその姿が消えた。
周りにいる人々は誰ひとり、その現象に気づいていない。
談笑をしながら、犬を連れながら、店を見ながら、まるで最初から少女が存在していなかったかの様に自分たちの世界に浸っている。
だが、黒鵜、木下、八千の3人には彼女が消えた原因が見えていた。
「二尉っ!」
「そういう事みたいだねぇ」
3人が駆けた。店と店の間にある細路地へ。
着いて、その先を見定める。
立ち並ぶ建物によりつくられた一本道。
木下にはそれが獣の食道のように思えた。
黒鵜はどう感じているのだろうか。
視線を右に向ける。
「黒鵜二尉、やはりジャンクの仕業でしたね」
「ああ、でもあれが見えたとは関心したよ」
「一瞬でしたが、ハサミのようなものが見えました」
「うん。八千君はどうかな?」
「殆ど見えなかったっす」
「そうか。じゃあ――行こう」
黒鵜が先頭をきって路地を走った。
木下と八千はそれを追う。
暫く走り、開けた場所に出ると、黒鵜を真ん中にして、右に木下、左に八千の陣形をとった。
「これって工場でしょうか?」
そこには半分屋根のない、未完成の建物がもの哀しげにたっている。
「多分、建設途中で終わったんだろうね」
「行き止まりっぽいですが、少女はここに?」 木下が左右を見回す。
「どうかな。局に応援を頼みたいところだね」
「連絡しますか?」
「極秘任務っすよね」 八千が答えた。
木下は彼を一瞥して頷いた。
「何にしても、少女がジャンクに拐われたのを目撃して、ほうっておくわけには、ね?」
黒鵜は木下の緊張をとくため、優しく声をかけた。
彼女は 「はい」 と一言。生唾を飲み込んだ。
3人は歩を進め、廃工場に入った。
薄暗く湿っぽい空間が、悍ましいジャンクを連想させる。
気を配りながら進み、黒鵜は山ずみの金属パイプに目をとめた。
そこに積もった埃は、ここがどれだけ放置されていたのかを物語っている。
なぜ、こんなものが取り壊されもせずに残っているのだろうか。或いは意図的に。
そう思った時、奥から物音がして、黒鵜は目を細めた。
「エフェクト展開!」
黒鵜は腕を振り、後ろに促す。
「思念皮展開OK!」
木下が声を上げた。
「俺はそれ使えないんすけど」
「八千君は……気をつけて」
黒鵜は言った。
対ジャンク戦において必要不可欠な技術、思械術。
PSIは意促性といわれる、特異な性質をもっているが故、これを使えない。
今、奥から歩いて近づいてくる青年がジャンクだった場合、PSIならば最大火力での先制が好ましのだが。
黒鵜は思いながら口を結んだ。
「あなた、止まりなさい」
木下の忠告に青年はニヤリとし、止まった。
「君、ジャンクかな?」 黒鵜が訊ねる。
「だとしたら、なんだっていうの?」
「少女を拐ったのは君かい?」
「さあーどうだろ。それ言ったらアンタ達、俺を殺すでしょ」
「それは君の出方次第なんだけどねぇ」
「ふうん。じゃあこんなだったら、どう?」 青年が指を鳴らす。
「何がどう? よ。指パッチンしただけじゃない」
木下が鼻で笑った。
しかし、彼女の顔は直ぐに一変した。
「1対3じゃキツいんで、応援よばせてもらったよ」 青年が厭らしく笑う。
薄暗い中に無数の光が現れた。
それが人の目だと気づいた時には、それぞれの全身が分かる程、彼等は接近していた。
「なんてチームなんだい?」
黒鵜は辺りをぐるりと見ながら訊ねた。
「パラライズ。あんま有名じゃないけどね」
「そういうのが一番こわいんだよ」
「こわい? 全然そんな顔してないじゃん、おじさん」
「いやいや、私は凄く怖がりでね。どうだろう取引しないかい? ここ見逃してくれれば、これから先、君達の悪行に一切干渉しないよ」
「ちょっ、何言ってるんですか!」 木下が声を上げる。
「君は黙ってて」 黒鵜は彼女を一瞥した。
木下は信じられないといった表情で彼から視線を外すと八千に顔を向けた。
「あんたも何かいいなさいよ!」
怒声をうけても、彼は黙って黒鵜に目を向けるだけだった。
「ほら、木下君。多数決をしたら、僕の意見が通りそうじゃないか。で、どうかなパラライズの皆さん」
「間に合ってるよ」 青年は両手を広げた。
これに黒鵜は顎をさする。そして 「なるほど、既に協力者がいるのかな?」 青年を見据えた。
すると、彼は顔をこわばらせ、次に笑った。
途端、その背面から尾が起き上がった。頭頂を追い越した先端は三日月状の鋏になっている。
黒鵜は 「うむ」 と、呟いた。
少女を路地に吸い込んだ、それだったからだ。
「二尉っ」
声を上げる木下を、黒鵜は一瞥する。
「安心しなさい木下君。ジャンクと取引なんてするはずがない」
「じゃあ、どうする?」 青年が鋏を揺らした。
それを見て黒鵜は笑みをつくった。それから右手の人差し指を立てる。
「1人」
「ん?」 青年は首を傾げた。
「1人だけは、しばらくの間、生かしておいてあげよう」
ギギッと、青年の歯ぎしりが響いた。
そして、なにを合図にするでもなく戦闘が始まった。
「木下君、八千君を中心に180°をカバー」 黒鵜が淡々と指示する。
彼女は戸惑いながらも返事をした。そして右から左へ上体を捻点させると、腰のホルスターからハンドレール銃を抜いた。
数発発射。
一発が青年の肩に命中する。
続けて3発撃った。
全弾外れた。
彼女は渋い顔をした。
対ジャンクにおいて銃の有用性の低さを改めて実感する。
青年は背面の鋏を大きく左右させながら、右に左に動く。そしてそれは前進も兼ねていた。
木下の眼前に青年の顔がきた。
その素早さに、ハッとして銃をかまえるが、彼は容易くその手を打ち払う。
何気ない平手にしか見えないそれは、まるで鈍器で殴られたかの様な衝撃を彼女に与えた。
「人間ってやつは本当に銃が好きだな」
青年は言いながら、木下に尾を振った。
彼女はそれを両腕でがっちと防御した。
「硬いな……ボーグか」
青年の目が光った。瞬間、彼の体が裏返った。全身の皮膚が捲れ、肉は裂け、骨が飛び出す。
それが全て一点で交じり合うと3mちかい楕円になった。
その中心が縦に割れるのを見て、木下はアケビを連想した。
しかし、そんな可愛いものではなかった。
割れ目から、鋏をそなえた尾が2本生えたからだ。その長さも太さも、各態時の倍はあろうかというサイズである。
黒鵜はその変態ぷりを目の橋で捉えていた。
援護にまわりたいところだが、思った以上に数が多い。目算で数十か、と目を細める。
「こっち、やっときますよ」
黒鵜の思考を遮るように、彼の後ろにいる八千が声をかけた。
「まかせていいのかい?」 問いかけ、彼が頷くのを認めると、黒鵜は木下の援護にまわった。
彼女に声をかけようとすると、その数m前にいる大きなアケビから、甲虫のような節をそなえた四足が生えた。
「ぼうっとしてちゃダメだよ」
「二尉っ!?」
振り返る木下に、前を見るよう黒鵜は促す。
「すいませんっ」
「この距離。やる事はわかるね?」
その言葉に、彼女は思い出した様に目を見開く。 「アームド展開っ!」 叫び、襟の階級章に右手の親指を押し当て擦った。
すると彼女の左手に、握られる形で金属のバトンが現れた。縦二層のグリップ。そこから金属の棒が数十cm伸び、先端は人間の頭部の倍はある金属球になっている。
彼女はバトンを、両手で強く握り締める。
自分が捜査官になったのはこの為だ。
両親の仇を、ただただ力いっぱい叩いてやるためだと。
「これからよ」 呟き、彼女は思い切り前を睨めつけた。
黒鵜はそれを認め、自分の階級章を擦る。彼の手には長さ十数mはある金属鞭が現れた。それをアケビに向かって振るうと、4足が屈伸、後ろに飛び上がった。
木下がそれを追う。バトンを振りかぶり、金属球を力いっぱい叩きつける。アケビは波打ち、クレーター状に凹んだ。
もう一撃加えようとした瞬間、彼女の体が後ろへ引っ張られた。
刹那、真上から鋏の突きが雨みたく降り注いだ。
その衝撃で飛び散った床の破片は、石つぶての様に全方位を侵した。
木下はわけも分からず、両腕で身を庇った。腕と腕の隙間から見える飛礫が、妙にゆっくり感じ、自然と死を意識した。
ふと彼女の意識の隅に割り込む違和感があった。それが胴体にあると感じ、彼女は視線だけを腹に向けた。
そこには金属の蔓が巻き付いている。
それが消えた。
刹那、飛礫も消えた。
遅れて耳を突き抜くような破裂音がした。
「――――だよ」
つんぼになった耳のせいで、よく聞き取れなかった。しかし、声の主は誰かわかっている。
目の端で黒鵜を認め 「はいっ」 と、木下はかえした。
悠長に喋っている時間はない。
彼女は襲い来る鋏を、横に跳び躱す。
だがそれは追尾するように軌道を変える。
バトンで打ち払うが、しつこく追いかけてくる。
上方からきた鋏を、後ろに躱した時だった。何かを踏んづけた。勢いがついていた為、彼女の体は大きく揺らぎ、倒れた。
目前に迫る鋏。彼女は腕で顔面を庇った。
鋏がその左前腕に食らいついた。ガキンと金属音が鳴った。
人工骨格が腕の切断を防いだ音だった。
木下は、痛みで奥歯と奥歯を、強く打ち付けた。
鋏が持ち上がり、彼女も腕を支えにして浮いた。そして周囲に無数の火花が見えた。黒鵜の鞭が周囲を奔り、もう一本の尾とせめぎ合っている。
彼女は今にも閉じてしまいそうな目でそれを追った。
黒鵜もまだ戦っている。自分を助ける為に? 違う。彼は生粋の捜査官だ。話にきいた黒鵜時臣二尉は、ただただジャンクを抹殺する。そんな彼に憧れたんじゃないのか、自分は。
彼女は右手に握ったバトンのグリップを、捻りながら上に振ってピストンさせた。
硬いものが噛み合う音と共に、グリップが金属球の付け根までスライドする。すると球から無数の刺が生えた。
素早くグリップの層を持ち替え、もう一度ピストンさせる。
すると、刺がボヤけ、高音を発した。
彼女は更にもう一回ピストンさせた。
刺を備えた金属球が回転をはじめる。
そして、それは一見してトゲがあるとはわからない程、滑らかな球の像になった。
「トップギア」
彼女は言いながら鋏の根元に思い切り像をぶつけた。
バチンという切断音と共に、尾は両断され、木下は地面に着地した。
アケビのもがきを聞きながら、像を振りかぶる。
「お前、殺すッ!」 アケビが叫んだ。
もう一本の尾をひるがえし、木下へ向けて放つ。が、それよりもはやく、像がアケビに大穴を穿っていた。
「ハイトップ」
木下は後方に腕を振り、アケビに出来た穴を通る鎖、その先端の像を引き戻した。
鎖は自我があるみたいに、バトンへ収まり、像も元の位置に戻った。
そして、アケビは四足をおり、その場に倒れた。
「よくやったね、木下君」
後ろからした声に振り返りながら、彼女は上下二層のグリップを捻り、数度スライドさせた。
すると回転と振動。そして刺が引っ込み、元の金属球になった。
「二尉、すいません。自分みたいな足でまといのせいで……」
「いや、なかなかに手ごわい相手だったよ。本当に見事だった」
彼の笑顔に、木下の表情は明るくなった。
「そ、そうだ、八千はっ!?」 木下が辺りを見回す。
自分の戦いに夢中になるあまり、忘れていた。
黒鵜が援護にきたという事は、八千は1人という事になる。
「もう、終わったすよ」
はなれた所から声がして、それを見た木下は驚愕した。
無数のジャンクの死骸。
その中心に八千はいつもと変わらぬ調子で立っていた。
木下は彼に駆け寄った。
「あ、あんたが一人でこれを!?」
「あー、まあ」
「流石に、久留須中将からお墨付きをもらうだけあるねぇ」 黒鵜が歩きながら言った。
「いや、多分二人がやってた奴が一番強いんじゃないんすか。こっちは雑魚ばっかだったけど」
「そ、そうよ! そうよね!」
木下は必死に彼の言葉を肯定する。
仮に、彼の言うとおりだとしても、一番怖いのはやはり数の暴力だ。
身体的に劣る人間が、いくら雑魚とはいえ、ジャンクの群れを一人で相手にするなど、成り立ての捜査官にできる事ではない。
それはアケビを攻略するよりも遥かに難しい事だと、彼女はわかっていた。
「はは、木下君。素直に褒めてあげたらどうだい」
「な、黒鵜二尉っ」
顔を突き出す彼女を他所に、黒鵜は散らばった死骸に目を向けた。
まるで無数の顎に食いちぎられた様なジグザグとした傷跡が目立つ。
「資料によると、君の意個性はサイコキネシスとなっていたが」
「俺はピラニアって呼んでる」
八千は言いながら、両手五指をくみ合わせ横にすると、数度開閉させた。 「こんなカタチ」
黒鵜はそれを認め 「ふむ」 と呟いた。
思流の位相を合わせ、生み出した思念体を、物理エネルギーに変換するサイコキネシス。
基本的にPSI以外がそれを見る事は叶わない。
黒鵜は再度、死骸に目を向け思う。
こいつらもさぞ恐怖したことだろう、と。
不可視のトラバサミが、自分たちの肉を、骨を食いちぎっていくのだから。
「さて、ところで生き残りはいるのかな?」
黒鵜は後ろ頭をかいた。
木下は 「あっ!」 と声を上げた。
「八千君の方は望み薄だね。あのデカいのはどうかな」
黒鵜の視線がアケビに向いた。そして歩き出す。
彼はアケビの真ん前まできて足を止める。それから木下にあけられたトンネルを覗き込んだ。
すると 「殺せ」 と、アケビから声がした。
何処が顔なのか、そもそも頭部という部位が存在するかもわからない為、黒鵜はトンネルに向かって声をだした。
「生きててよかったよ。君の仲間はみんな死んじゃってね」
「……あんた、名前は?」
「黒鵜時臣っていう名前だよ。今更だけどよろしくねぇ」
「そうか……あんたが、あの黒鵜か」
「知っているのかい?」
「ハウンズが活動を中止したのは、アンタがきたからだって噂をきいた。第3トウキョウにある他の有名どころも、動きがないから俺達の時代だとおもったんだけどな……ついてない」
「ふ、私もそれなりに役にたっているのか。それを知れて嬉しいが、私が知りたいのはそんな事じゃない」
「……俺は何も知らない。ただ、言われたとおり動いていただけだ」
「ほう、誰に指示されたんだい?」
黒鵜は目を細めた。
「それは……知らない」
「どういう事だい?」
「ネットでのやり取りしか、してない。ただ、どういうわけか言われた事をこなし始めてから、堂々と人を食っても、表沙汰にならなくなった。その事を言及したけど、返事はなかった」
「じゃあ、拐った少女はどこにやったんだい?」
「引き渡したよ」
「誰に?」
「誰かは知らない。覆面をしたスーツの男だ。受け渡しは必ずそいつがくる。当然顔は見た事がないし、声も聞いた事がない」
「そうか。この状態だ、嘘ではなさそうだね」
黒鵜はアケビから数歩はなれた。
「さあ、やれ」
「さようなら」
別れの挨拶と共に、黒鵜の持つ金属鞭が赤熱した。
そのあまりの高熱に触れている床はとけ、鞭をのみこんだ。
彼はそれをアケビにふるった。
宙に赤い縦線が描かれると、それと一寸のくるいもなくアケビは両断された。
それを見ていた木下は目を見開いた。
そして、思った。
自分は彼に試されていたのかもしれない。
いや、自分だけじゃない。八千も。もし、そうだとすれば彼は合格だろう。
はたして自分は、どうなんだろうか。
「さ、二人共。行くよ」
「はい」
「うす」
返事をして彼女は彼の背を追った。
「二尉、どこへいくんですか?」
黒鵜は木下の腕を見ると 「病院へ」 笑顔で告げた。




