死に方を求めて 3
真っ暗なトイレの個室で「そろそろか」 猛人は呟いた。
ずっと展望台に居るわけにもいかず、色々見回った結果、ここに落ち着いたのだ。
HOLO×13で時間を確認する。
Nt22:56の表示を見て、彼は個室を出た。
タワーの見物終了時間はNt20:00までだ。中に人はいない。いるとすれば警備員くらいだろう。
もし鉢合わせになったらどうしようかとも思ったが、どうせ死ぬのだからと、開き直る事にした。
展望台にいくと、しん、と静まり返った空間が彼を迎えた。
警備がいない事に内心ほっとしながら、暫し夜の景色を楽しんだ。
そしてガラス張りからはなれ、外の展望台へ続く階段をのぼる。
外に出ると、胸まである赤い柵に手をかけた。
「これで――」
全く躊躇いがない事が不思議だった。
柵を跨ぎながら猛人は思った。自室で行った自殺はどこか衝動的だった気がする。だが、今は違う。
彼は無造作に身を投げ出した。
浮くような感覚の直後、がくんと引っ張られるような感覚が身を襲った。
猛人は自然と目を閉じた。
地面につくまで、想像よりも長い。と思った瞬間、全身に衝撃が走った。
肉と骨を満遍なく震わされるような感触。あまりの力に痛覚すら麻痺したのか、その瞬間は痛みがなかった。
うつ伏せで地面に頬をつけ、彼は満足そうな笑みを浮かべた。
「アンタ、何してんの?」
上から声がして猛人は目を開けた。
そこには最近見慣れ始めた第3トウキョウの暗がりがあった。
死ねなかったんだと彼は悟った。
そして、無性に悲しくなり涙が溢れてきた。
「ねえ? そんなとこで――泣いてんの?」
またも上から声がした。しかし彼の耳には入らなかった。遅れてきた全身の痛みも感じなかった。
「死ねない……死にたいのに、なんで……」
「死にたい? 自殺? 手伝おうか?」
上からの声。
猛人はやっとその声を認識した。
「おい、シカトかよ」
言われ、彼は声の方を見た。
少女だった。
暗がりでも目立つ、プラチナブロンドのショートヘアーが、月明かりをうけて光の粒を放っていた。
猛人は涙を拭きながら起き上がった。それから不安に襲われた。
もしかしたら、飛び降りたところを見られていたかもしれない、と。
「あ? なんだよ起きてたなら返事しろよ」
彼は誤魔化そうと言い訳を考えた。
「いや、君、中学生? 高校生くらい? ダメだよこんな時間にであるいちゃ」
出た言葉に、無理やりすぎる。と彼は内心で自身につっこんだ。
立ち上がると、目も慣れてきたのか少女の中性的な顔が見えた。
「アタシは18だよ。学校はいってないけど。いってりゃ大学1年のとしだから」
「へえ」 言いながら、彼は何事もなかったかの様に、服についた石粉を払った。
「それより、アンタ死にたいって言ってたよね」
「い、言ってないけど」
「言ってたでしょ」
「いや……」
「わけありなの? 死にたいなら手伝うよ」
「手伝う?」
「そう」 少女は何食わぬ顔で言ってのける。
それが猛人の中の何かに触れた。
「どうやって」 彼は訊ね、歯を食いしばった。
「どうって言われても、死ぬのなんて簡単でしょ」
「簡単?」
「そうそう」
簡単なものか。もう何度失敗していると思っているんだ。
彼は奥歯をこすり合わせた。
「簡単な……」
「何?」
「簡単な――」
「聞こえないって。もごもご喋るなよ」
「簡単なわけないだろ! 俺はジャンクなんだよぉ! 死にたくてもこの体が……」
彼は膝をつき額をアスファルトに叩きつけた。
鈍い音がして、石粉が舞った。
そこから沈黙が数秒あった。
猛人は我にかえった。
恐る恐る少女の顔を見る。すると、彼女は恐ろしい程の無表情だった。
「いや、違う。これは――」
言葉は途中で途切れた。
少女の白く細い指が、彼の首にくい込んだからだった。
めきめき、と音がなった。
確実に首が軋んでいた。
刃物でも縄でも飛び降りでも壊れない体が、悲鳴をあげていた。
「や……し…………ぬ……」
「死にたかったんでしょ?」
少女の手が力を増した。
猛人は少女の腕を掴んだ。が、直ぐにはなした。
これで死ねる。
視界が夜の暗がりを超える闇に、閉ざされようとした瞬間、体が後ろに跳んだ。
少女が突き飛ばした為だった。
「あんた、マジで死にたいんだ」
「そうだよ、悪いかよ……」
猛人咳き込みながら声を絞り出した。
「別に。ただ」
彼女は言葉をきって2、3度グーとパーを繰り返す。その手を不思議そうに見ると、視線を猛人に移した。
彼は意地で彼女の瞳を見返した。
「なんだよ」 我慢できなくなり、猛人が訊ねた。
少女は不思議そうに彼を見て、首をひねる。
「だから――」
「あんた、本当にジャンク?」
猛人が言いかけたところで少女が割って入った。
「あ、ああ? そ、そうだよ」
「ふーん。そうだよね」
少女は自身の手を見て、もう一度首をひねった。
「アタシが殺す気で閉めたのに、あれだけ持ち堪えたんだから……まあ、そうなんだろうけど」
彼女は顎をしゃくる動作をしながら、鼻で一息吸った。
「あんた、何で血の匂いがしないの?」
今度は猛人が首をひねった。
「どういう事?」
「訊いてるのはあたしなんだけど」
「いや、その質問の意味がまったくわからないし、なんて答えていいかも……」
「あたしはあんたの、その言葉の意味がわからない」
「え……?」
「死にたい。ってところまではまあ、納得してやる。さぞ、いい暮らしをしてきたんだろうよ。だけど血の匂いがしないなんてありえない。それどころか、人間みたいな“におい”させやがって――。しかも、匂いがしないのは何でだって言ってるのに、その意味がわからないってどういう事だ? 記憶がないのか?」
「いや、だから血のにおいがするものなの? ジャンクって?」
「あ゛?」
少女は怪訝そうに顔を歪めた。その表情からは苛立ちが見てとれた。
「君も、ジャンクなんだよね?」
猛人の質問に少女は答えなかった。ただただ顔を歪めるばかりだ。
彼はこれをYESととった。
そして、この食い違いの原因を悟った。
立ち上がり、一息吐くと「俺、昨日まで人間だったんだ」 と告げた。
すると少女は声をだして笑った。
「な、何いってんのあんた! てか、何それ。わかった! いいよいいよ。もうさくっと殺してやるからさ」
「本当だよ」
猛人は真っ直ぐに彼女の目を見据えた。
この真摯な態度が功を奏したのか、少女は「なら話してみろよ」 同じく彼の目を見据えた。
猛人はジャンクに襲われた話をした。それから自殺を試みて失敗したことも。
「そして、今にいたるってわけ?」
「ああ」
少女は旧東京タワーを見上げている。
「あそこから落ちたのに?」
「ああ、死ねなかった」
「怪我は?」
「全身痛いよ。君にやられた首が一番痛むけど」
猛人はニヤつきながら首元をさすった。
「ちょっと、まってて」
少女は振り返ると、彼から数mはなれた。そして、ショーパンツから量子端末をとりだした。
猛人がそれをのぞき見るような動作をすると「見んじゃねえよ!」 と激が飛んだ。
彼女の手元から映像が浮き上がるのが見えた。何が映っているかまでは、 彼の方角からはわからない。ただ、彼女が「ふーん」「まじで?」「なんで」 と言っているのが聞こえた。
「はぁ!? 私が!?」
少女が叫ぶと、映像も消えた。
「何かあったの?」
猛人は少女の背に訊く。
振り返った彼女は顔を歪めていた。話が噛み合わなかった時のそれである。
「……んたの…………」
発せられた彼女の声には、これまでの勢いがなかった。
「なに?」 と、彼が聞き返す。
「だからさあ……あんたの」
「おれの?」
「その、あれだ……」
「あれ?」
「アドレス」
「アド?」
「端末もってんだろ」
「あ、あるけど」
猛人はHOLO×13を取り出した。
すると少女はずかずかと彼に近づき、それを取り上げた。
有無言わさぬ勢いに、彼が呆気にとられていると、
「はい、終わった」
端末を投げつけられ、慌てて受け止める猛人。
「なんだよ、いったい」
「あ、あたしのアドレスいれといた」
「え、あ、はあ……」
「一ヶ月後、連絡する」
「え、なんで」
「知るか!」
怒鳴られ、猛人は首を傾げた。
「とにかく、一ヶ月後だ! それまで死ぬなり、なんなりしてろ!」
少女は吐き捨てる様にいうと、走り去っていった。
「な、何なんだよ」
猛人は後味の悪さに、口をへの字に結んだ。
端末に何をされたか確かめるため、HOLO×13を弄った。
淡い緑のホログラムが現れる。上から順に各メニューが並んでいる。
彼は『BOOKs』をタッチ。次に『ADDRESS』をタッチした。
すると、名前やニックネームが現れた。
その横にはアルファベッドや数字の羅列が並んでいる。確かめる様に、映像を下にスクロール。
すると、カ行に見覚えのない名前があり、指を止めた。
ここまで思い出して、猛人は足を止めた。
そこはネオン灯と廃ビルに縁どられた河川敷――自身がジャンクだと知った場所だった。
「ここで……襲われたんだよな」
遠くからサイレンが聞こえた。
猛人は後ろを仰ぎ見た。
「MOAの処理班……? 本当に帰ってよかったのか……まあ、」
向き直り、彼はポケットからHOLO×13をとりだすとADDRESSを見た。
「栞生……。あの子の名前……」
旧東京タワー以来、彼女の事が頭からはなれない。
何度かタワーにおもむいてはみたが、会う事はなかった。
そして、今日が――と思ったと同時、着信がきた。
「長かったな……」 猛人は呟き、通信画面をひらいた。
端末から映像が浮かび上がる。そこにはプラチナブロンドの少女――栞生が映っていた。
「よう、生きてたんだ」
「ああ」
「死ぬのやめたの?」
「どうだろう」
「ふーん」
「もう自殺はしてないけど」
「そうなんだ」
「ていうか、何で一ヶ月後に連絡を?」
「さあ」
歯切れの悪い返事に、猛人は困った。沈黙が続いた。
少女がそれを払うように咳払いをした。
「つかさ、今から迎えにいくから!」
「は? バイト終わって帰宅する所なんだけど……」
「家どこ?」
「第3トウキョウ6区の外れ、ジンボータウンだけど」
「なんか目印になるものある?」
「これといってないかな」
「ふーん、それじゃ旧東京タワーまできて」
「え?」
「そんじゃ」
「え、おい!」
通信は切れた。
猛人は大きく息をつく。そして振り返り、帰路を引き返した。




