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GUARDIAN  作者: 剴鴉
14/14

勇者の追憶

「懐かしいな」

 6畳半の部屋を、ぐるりと見回してから、猛人は呟いた。

 そこは13区にある実家の自室だった。

 部屋の隅にある布団に、彼は腰をおろす。ふわっと日のかおりがした。

 あらためて部屋を見回し、違和感をおぼえた。部屋の中央にある、四足のひくい木机が高く感じる。

 不意に、枕側にある立ち鏡が目に入り、彼はぎょっとした。

 そこには11歳くらいの自分がうつっている。

 しかも突然 「おにいちゃん」 と呼ばれ、猛人はおそるおそる部屋の中央に向いた。

 そこには見覚えのある少年が立っている。

「ともき、君?」

「うん」

「なんで、君が、っていうか、なんで」

 とにかく不思議な状況に、猛人は思うように言葉がだせない。

「おにいちゃん。僕をみつけて。おにいちゃんなら」

 智樹の声が途切れた。それでも口をぱくぱくとさせている。

「なに、何を言いたいのっ。智樹君っ!」

 猛人は身をのりだした。すると、智樹の体をすりぬけ、木机に頭をぶつけた。

 痛みを堪えつつ振り返ると 「とも、」 

 彼は言いかけた言葉を飲み込むと、薄くなっていく智樹の像を、呆然と見送った。

「おい!」

 突然、どこからか声が聞こえた。

 辺りを見回し、最後に天井をみあげる。彼の視界に、染みだらけの懐かしい景色がうつった。

 しばらく見ていると、シミだと思っていた斑点が、突如うごいた。大きく広がり、天井を黒く染めていく。

「おいって!」

 また声がした。黒一色になった天井からだった。

 聞き覚えのある声に、

「かんな」

 猛人は呟いた。それから目を見開きとびあがる。すると体が、天井を突き抜け、真っ暗な空間に出た。

 トンネルに似た閉鎖感を感じるが、そこには縦にも横にも敷居がない。

 彼は、闇を掻きながら、とにかく真っ直ぐ進んだ。

 しばらくすると光が見え、そこから栞生の声が聞こえた。

 猛人は意を決し、光に飛び込む。あまりの眩しさに目を閉じるしかなかった。少して、光がおちつくのを感じ、薄目をつくると、赤、青、黄色のネオンボールが見えた。

 そこに栞生の顔が割りこんだ。

「おい、起きたのか」

「あ、う……ゆ、め」

「ん?」

「夢、か」

「よくわかんねえけど、二人共たすかったな」

 猛人はゆっくりと瞬きをした。それから体を起こそうすると、力が入らず、口だけが歪んだ。

「無理すんなよ」

 彼女は彼の体に腕をまわす。

「ごめん」

「なんにだよ」

 栞生は言いながら、ゆっくり猛人の体をおこした。

「ここは?」

「15区、Jキッズの拠点。あんたの部屋だよ」

「そっか。……どうなった、あれから」

「ん? あぁ。拐われた人間はMOAが救出したって事になってる」

「そう……」

「つか、右京あいつも、もうちょっと手加減すりゃいいのにな」

 彼女は口を曲げる。

「はは、おれが悪いから」

 猛人は右京を、そして黒鵜との戦いを思い返した。

「栞生は、もう大丈夫?」

「は、余裕だぜ」

 彼女は腕を曲げ、力こぶをつくってみせる。

 しかし、その言葉とは裏腹に、Tシャツの袖からのぞく細腕には、包帯がまかれていた。よく見れば首や脚にも。

「俺が、もっとはやく駆けつければ……」

「はあ? あんたはよくやったよ。って右京が言ってた」 栞生はそっぽを向いた。

「本当に、そうなのか……」

「まあ、今はとにかく休め!」

 彼女は立ち上がり、ドアにむかって歩きだした。入れ替わるように右京が入ってくる。栞生は一瞬たちどまったが、直ぐに出ていった。

「右京さん。すいません」

「え、なんでなんで」 

 右京は軽い調子でいうと、床にあぐらをかいた。

「たぶん右京さんは、あれ以上、俺が暴走しないように止めてくれたんですよね」

「あはは、そんなカッコイイもんじゃないけど。欲にかられたジャンクがどうなるかは、嫌ってほど見てきたから」

「……」

「それに、栞生が生きてるのはタケちゃんのおかげなんだよ? もっと胸張って、彼女みたいに捜査官しとめたぜー! 的なノリで、さ」

「……」

「まあ、タケちゃんはそういうタイプじゃないか」

 右京が薄く笑う。つづけて、

「言わなきゃなんない事があるんだけど」

「智樹君……死んでたんですね」

「え、うん。どうしてわかったの」

「それは……」 夢で智樹を見た時から、猛人は直感していた。智樹の思念体――いや、魂が会いにきたのだと。

「死体はでてきてないけど、誘拐していた奴らの事を考えると、」

 右京は言葉途中で口をつぐんだ。

 そんな彼を一瞥して、猛人が頭をふる。

「……俺は、守りたかったんだ……耕史くんも、栞生も…………智樹君も……助けたかったんだ……」

 彼は大粒の涙を流した。

 どうして、こんなに悲しいんだろう。やるせないんだろう。もっと、自分に出来ることがあったんじゃないか。

 そう思うと、涙がとまらなかった。


 それから3日後。

 猛人の体は回復していた。だが、心はここにあらずだった。

 Jキッズ拠点の自室で、彼はホロディスプレイに流れる情報番組を、眺めている。それはちょうど、彼がかかわった誘拐事件をとりあげていた。

 避難勧告までだしたにもかかわらず、ジャンクを取り逃がした、と番組に出演しているゲストタレントが非難の声をあげている。他の出演者も賛同し、番組はかなりあれていた。

『しかし、生き残った人たちは幸運でしたね』

 出演者のひとりが言った。

『それにしても今回の事件は謎がおおいですね』

『本当に。MOA捜査官も関与していたって噂がありますからね~』

『それはこわい。取り逃がしたジャンクもまだ生きているんだろうし、存命の被害者は気が気じゃないですねわね』

 猛人は小さく首をふる。

 もう終わった事をいつまで話す気なんだろうか。

 彼は思った。

 自分たちは安全なところから見ているだけではないか、と。 

『そうそう。あと、噂といえば』

『あ、その話しちゃいますか?』

『動画投稿サイトにアップロードされているムービーが、今回の事件に関係あるっていう』

『なんでもサイトの運営者でも消せないらしいですよ』

 これを聞いて、猛人は身をのりだす。

『それは色々な意味で怖いですね~』

 直ぐに自身の端末で、スナッフムービーが投稿されているサイトにアクセスした。

「本当にまだのこってる」

 彼は眉をよせる。考えてもみれば、これは誰が投稿したのだろうか。

 素朴な疑問だった。

 同時に、この事件に関して自分ができる、最後の足掻きではないだろうか、と考えた。

 猛人は、てばやく着替え、端末を握りしめると久々に外へでた。

 日光がやたらと眩しく感じる。

「そういえば、栞生は智樹が通ってた小学校に聞き込みにいったって……」

 薄目で太陽を見ると、次に、行き先を見定めた。

 

 Mt11:00の8区。

 蒸し暑さに、あがった雨が重なって、繁華街を行き交う人々は、皆一様に顔を歪めている。

 猛人は、通行人とすれ違うたびに、その心うちを想像した。

 気象庁は何をしているんだ。人工粒子、仕事をしろ。梅雨をとりはらえ。

 そんな風に考えているに違いない。

 彼は口元を緩ませると、不意に、すれ違う中年女性に声をかけた。 

「すいません。久米優子さんのお宅ってこの辺じゃないですか?」

「久米さん? もしかして、あの事件のことかい?」

「いや、まあ」

「もしかして、取材? なら私のコメントもつかわれるのかしら?」

 嬉しそうに頬を押さえる女性に、猛人は情緒なく告げる。

「そういうんじゃありません。被害者のかたに話をききたいだけです」

「あ、あらそう。久米さんなら、あなたが歩いてきた方向を、真っ直ぐ15分ほどいったところよ。米屋ヒサヤスってお店」

 女性は不服そうにへの字口をつくり、去っていく。

 猛人はその後ろ姿に礼を言うと、言われたとおり歩いた。

 しばらくして、彼女が言ったように、『ヒサヤス』とかかれた電子掲示板が見えた。

 店の前で、ヒゲを生やした中年男性が、威勢のいい声を出している。

「あの、久米さんですよね」

「へいっ、らっしゃい! おにいちゃん買ってってよ。うちの米うまいよ。そのへんの量子化されたインスタントとはわけが違うからさっ」

「いや、買い物にきたんじゃなくて」

「ん?」

 男性が笑顔をつきだす。

 事件の話をするのは気が引けた。どう話をきりだそうか。

 猛人が考えていると、男性の顔が途端に強ばった。

「またか。もう、ほっといてくれないか」

「すいません。話をききたいだけなんです」

「もう、うんざりなんだよっ」

 男性は怒りをあらわに、声をあげた。

 猛人は、やはり、と内心で呟く。

「あの事件以来、なんでお前の娘は生き残ったんだ。もしかしてジャンクとぐるだったんじゃないか。うちの息子が死んでなんで? なんで? なんでって」

 男性は店前にもかかわらず、涙ながらに訴える。

 猛人は思う。事件が解決しても、彼等の中では終わっていないのだと。

 それから一文字にしばった口をひらき、

「俺は、娘さんにどうしても聞かなきゃいけない事があるんです」

「なんだってんだ! 娘にはっ」

 男性が言葉途中に、つかみかかってきた。彼の手がTシャツの襟にかかる。

 その顔を間近にみて、猛人は居た堪れなくなった。

 目下のクマとコケた頬が、はつらつと接客していた時の彼とは別人だった。さらに、口元や目元には新しいシワがいくつもみてとれた。必死に笑顔をつくっていたに違いない。

 他にも話をきける人はいる。ここはあきらめよう。

 猛人が思った時だった。

「どうしたのお父さん」

 店の奥から髪を三つ編みにした、14歳くらいの少女がでてきた。

 男性はふりかえり、

「優子は部屋にいろっ」

「お父さん……?」

 彼女は首をかしげ男性を見たあと、猛人を見やった。

 数秒、沈黙がつづき、

「いいよ。事件のことでしょ」

 優子はあっさり承諾した。

 男性は 「ダメにきまってるだろ」 父親の顔になる。厳しい眼差しのおくに、憂いをこめて我が娘を見つめた。

「拐われたのは……お父さんじゃないでしょ」

「……優子、だけど」

 父の言葉をまたず、彼女は店前にでた。

「どうぞ、はいってください」 そう言って、猛人を招く。それから 「うえの一番おくの部屋で、まっていてください」 

 猛人はいわれるまま、階段をあがった。年季の入った木造りの床が、実家を思い出させる。

 部屋のドアをあけなかに入ると、彼は腰をおちつける場所を探した。

 茶色い絨毯にしようか、左すみの勉強机は、図々しいか。右のベッドは……余計にあつかましいな。

 思いながら、絨毯にあぐらをかいた。

 それから直ぐに、階段を上がってくる音が聞こえた。部屋のドアがひらくと、優子が入ってきた。ドアをしめ猛人に1歩ちかづき、

「なにしにきたの。また――」 彼女は両手で握った包丁を、猛人に向けた。そして、

「あなたジャンクでしょ。お父さんには手出しさせない。わたしが、」

「なんで、ジャンクだと思うの?」

 猛人はゆっくり立ち上がる。彼女に歩み寄り、包丁の先が腹にふれるまで近づいた。

「拐われてから……なんとなくわかるようになった」

「そうか」 猛人がさらに1歩でる。彼女は狼狽気味に1歩ひいた。

「こ、こないで」

 優子の背中がドアにぶつかった。それでも猛人は前にでた。

「だ、だめっ」

 彼女は包丁おとすと彼をつきとばした。だが、猛人はびくともせず、逆に優子のほうが、背をドアにぶつけるはめになった。

「それじゃ俺は殺せないし、もし、君達に何かする気なら、とっくにしてる」

「じゃあ、なんできたのよっ」

 彼女は涙をためて言った。

 猛人は見上げてくる眼差しを見返すと、優子からはなれ、

「話を聞きたいだけなんだ。怖がらせてごめんね」 

「本当に、なにもしない?」

「うん」

「ジャンクなのに、なんで」

 これに彼は沈黙した。

 かえす言葉がみつからない。彼女からすれば、その言葉どおりに思うのが当然だ。ジャンクからすれば、彼女を襲い、食らうのが当たり前なのかもしれない。

 だから、猛人はありのままを彼女に伝えた。

 自分の仲間には、むやみやたらに人間を襲うジャンクはいないと。

 次は優子が黙った。それから猛人に近づくと腰をおろし 「なにをききたいの?」 彼女の表情がいくらか和らいだ。

「多田智樹って子をしらないかな」

「ともき……ともき君!?」 彼女は目をみひらいた。つづけて、

「彼の知り合いなの?」

「そんなところかな。知ってるの?」

彼女は 「うん」 とこたえ、間をおいて 「わたしが、こうやっていられるのは彼のおかげ」

 優子の表情が、みてとれるほど明るくなった。

「智樹君が?」

「拐われて、気がついたらわたし……ううん、みんな同じ部屋に連れてかれるの。それで、そこにとじこめられて……あかりが弱くて、ずっと薄暗くて。わたし怖くてしかたなかった。でも、そんな時、ともき君がはげましてくれた。わたしだけじゃなく、みんなの事も。絶対に助かるよ、って。彼が言うと、本当にそうなんだって思えて、少し怖くなくなった」

「そんな事があったのか……。彼についてほかに気づいた事はなかった?」

「わからない……」

 彼女は小さく頭をふる。

「智樹君は、PSIだったんじゃないか?」 猛人が訊ねた。

「え……でも、そうかもしれない。彼、まるで助かるのがわかっているみたいだった。信じているとか、思い込んでるって感じじゃなくて。なんていったらいいんだろ……」

 うつむく優子をみて、彼は内心で彼女のいいたい事を代弁した。確信、と。

 助かる、と言った智樹には、それがあったに違いない。

 だが、それ故に腑に落ちない。肝心の智樹本人が死んでしまっているではないか。もしも彼がPSIだとしたら、よほど不安定な力だったのだろうか。それとも、そういう能力だったのか。

 考えてみても、その時の彼に聞いてみなければ答えはでないだろう。

 猛人は別の質問を優子になげかけた。

「拐われた人たちの中に、電気技師とか、そういうのに詳しい人はいなかった?」

「電気? ううん。殆どがわたしと同じくらいか少し下の子供ばかりだったよ。だから多分だけど、いないかな」

「そうか」

「もしかして、投稿されてる動画のこと?」

「あ、うん。どうしてもあれがきになってね」

「……あの動画、もう見ないほうがいいよ」

「確かに。グロテスクだし、なにより不謹慎だもんね」

 猛人はバツがわるくなり苦笑いを浮かべる。

「違う。あの動画」 彼女はいいかけて、言葉をのみこんだ。

 あまり、深くきかない方がいいのはわかっている。あれほどの体験をして、これだけ気丈にふるまえるのが奇跡にちかい。しかも目の前にいるのはジャンクだというのに、こうやって話をしてくれているのだから 「ごめんね。この話はもう」

「ううん、違う。そうじゃなくって。あの、わたし友達にPSIに覚醒しかけている子がいて。その子も拐われたこなんだけど。助け出されてから直ぐ、その子が訪ねてきたの。それでね、あの動画、呪われてるって……いってた」

「呪われ……うーん」

 確かに彼女くらいの年齢なら、幽霊や呪いといった類を信じてしまうのはわかる。だが、それはない。

 猛人は内心で言い切った。

 幽霊と言われているのは死後、その者の思流分子の波である思流が、プラスかマイナスに傾いている状態――つまり思念体だけが、のこってしまった状態だ。

 彼女のいった呪いも、非PSI――つまり意捉性をもたない普通の人間が、意図せず思流の位相を合わせてしまった結果おこる、偶発的な超常能力だ。

 彼は考えつつ彼女に訊いた。

「その子は、何で呪いだと思ったの?」

「わたしにはよくわからないけど、動画を見たら、その音とはべつに、声みたいなのが聞こえたんだって」

「声? それって人の声なのかな?」

「怖くて、詳しくはきいてないけど、その子に話をききたいなら住所おしえます」

「いいのか? 君達をどうこうする気はないけど、それでも俺はジャンクだよ」

 猛人はわざと脅かすようにいった。彼女に、というよりは人間に、それでも受け入れられたかったのかもしれない。

「うん……。ただ、勝手にっていうのは流石にわるいから、今きいてみる」

 彼女は立ち上がり、勉強机の引き出しから端末をとりだした。そこから直ぐに四角いホログラムが現れ、

「もしもし、亜貴? うん、うんううん」 と会話がはじまった。

 優子は突如 「えっ!」 と、声をあげる。それから、うーん、どうだろ、などと顔をしかめた。それから猛人を一瞥して、

「わたしは、そういうのよくわかんないから……多分、いいほうかな、うん」 会話を続けながら、端末から浮かぶホログラムを、彼に数秒むける。

 彼女は向き直り、さらに数分会話をすると通信をきった。

「どうだった?」

 猛人がきく。

「会ってもいいって。ごめんね、あの子はなしだすと止まらなくって」

「はは、いいんじゃないのかな」

「なのかな? あ、端末からメールおくります。アドレスおしえてもらっても」

「あ、うん」 

 虚をつかれて、猛人はしどろもどろに、ポケットから端末をとりだす。

 黒鵜よりも攻撃がうまいじゃないか、と猛人が笑った。

 それを見て、優子は小さく首をかしげる。

 彼は優子とその父親に会釈をして、ヒサヤスをあとにした。

 そのあしで7区を訪れた猛人は、メールに添付されている、地図のホログラムを見ながら歩いていた。中心街ぬけて居住エリアつくと、両手に建ち並ぶ家を交互にみて、七瀬亜貴の住まいをさがす。

 この間、彼を訝しむ視線は多々あったが、誰も通報するにはいたらない。

 閑静な住宅街といえば聞こえはいいが、猛人は危惧をおぼえた。というのも、誘拐事件で捕まったのは無名のジャンク数名と、尉官未満の捜査官数名のみ。と右京から聞いていたからだった。

 耕史が、そんな寄せ集めに心を惑わされるはずがない。事件の黒幕は他にいるはずだ。そして、もしまたそういう輩が、似たような事件をおこしたら、住民が率先して動かなければ防ぎようがない。互いに互を気遣っていれば、今回の事件はもっとはやい段階で解決したはずだ。

 そう考えながら歩いていると、

「あっれ? もしかして」 前からきた少女が猛人を指さした。チューブトップに同丈のベストを着用し、下はメガナイロン製のタイトパンツをブーツインしている。

 見覚えがない。彼は首を傾げた。

「えー、おにいさんでしょ、優子のところにおしかけたジャンクって」

「ん? え、じゃあ君が亜貴ちゃん?」

「そうそう。へー、映像より男前じゃん」

「あ、はあ……それより話を聞きたいんだけども」

「いいよ。かわりにご飯おごってよ。あ、いっとくけどジャンクが食べるようなグロいのは勘弁ねっ」

 亜貴は白い歯をのぞかせると、猛人の腕に手をまわした。

 そうやって、強制的にカップルの格好で歩かされた末に、二人が行き着いたのは中心街にある喫茶店だった。

 向かい合うかたちで席に着いた猛人は、さっそく本題にはいる。

「歩いてるときもちょっと訊いたけど、智樹くんを知らないの?」

「んー、だれ? ってかんじ」

 彼女は髪に編み込んだ青いエクステンションを指でいじった。

「その、こんな事いったら怒るかもしれないけど、あんまりショックなさそうだね」

「ショック? 誘拐の?」

「うん」

「あー、あるっちゃあるけど、うちが捕まってたの、優子たちにくらべれば少しだし」

「どのくらい?」

「1日くらいかな。気絶して、目が覚めたら暗い部屋にいて、優子や他の子たちもいたから、とりあえず怖くなかったし」

 亜貴はあっけらかんと言ってのける。

「それじゃ、優子ちゃんはどのくらい監禁されてたんだろう」

「優子からきいてないの? 確か13日くらいっていってたかな」

「そんなに!?」

 猛人はおもわず声をだした。

 それほど長い時間、恐怖にさらされて、なぜあれほど気丈にふるまえるのだろう。

『彼がいたから』

 不意に優子の言葉が、脳裏をよぎった。

 智樹の存在は、あの場においてそれほどでに大きかったのか。それにもかかわらず亜貴は彼を知らない。つまり、彼女がつかまったとき智樹は死んでいたということか。

「で、聞きたい事ってそれだけ?」

「あ、いや、ムービーの事について教えてほしいんだ」

「厶……呪いの動画ね。はいはい、いいよ」 亜貴は店員がもってきたジュースにストローさすと、猛人に目をやる。

「えー……と、べつに教えるってほど話す事ないけど、あの動画には声がまじってる」

「優子ちゃんにきいたよ。周りの音声とは別にって事だよね?」

 亜貴は短く返事をして、ストローに口をつける。一口のんで直ぐ、猛人に困った顔をしてみせた。

「優子にきいたかもだけど、うちは一応PSIだから、そういうのに敏感なんだよね」

「PSIはみんなそうなの?」

「違うと思う。もっとすごい力持ってる人でも、波長が合わなきゃ、あの“呪い”は聞き取れないんじゃないかな」

「なるほど」 猛人が難しい顔でうなずく。

「なんて言っていいかわかんないんだよね。PSIじゃない人にうち感覚を伝えるのってちょー難しいし。なんだろうなぁ……あの動画、本当はグロじゃないのかもしれない。……まあなんにしてもあんま見ない方がいいと思う。うち、あの手の心霊動画みると、耳の裏が痛くなるだよね、ビキッ! て感じで」

 これを聞いて、猛人は口元に手をやった。

 波長というのはつまり、思流のそれをさすのではないだろうか。

 PSIは自身の思流を無意識に捉える、意捉性という機能をそなえている。これにより、その位相を揃えて、高密度の思念体エネルギーを生み出し超常現象をおこす。他人の思流や、それこそ残留思念に干渉したり、影響をうけたりしても何ら不思議はない。

 ここまで考えて、彼はふと疑問に思った。

「確か、思流の波長は個人によって違うんじゃないの?」

「ん? うち、難しい事はわからないよ。『一応』だからね。うちの場合つよい……思流っていうの? それを見たり聞いたり感じたりするってだけ。無意識下で自分の力の使い方がわかる、本当のPSIとは違うし。ただ、お兄さんが言うように、ひとりひとり、感じは違う。でも、うちがわかるのはそれだけ。もっと感じるためには、それ用の力がいるんじゃない?」

「つまり、そういう“意個性”か」

「そそ、それ! うちにはそれがないし。だから普通の人には気味悪がられるじゃん? かといってPSI側には中途半端って見下されるし。あたしもお兄さんみたいなジャンクに生まれたかったな」

「はは……は。それもどうかと思うけどね」

 猛人はジュースをすする亜貴を見て、憂い顔になった。

 ジャンクを前にして、彼女があっけらかんとしていられる理由が、何となくわかった気がした。

「絶対ジャンクのがいいよ! 強いし! 変態おやじにナンパされてもワンパンでしょ?」

「まあ、ね」

 猛人は脱線しかかった話をもどすため、質問した。

「その波長ってのが合うと、どうなるの?」

「んー……わかんない。全然ちがう映像に見える可能性もあるかなぁ?」

「なるほど、ね」

 猛人は頭をひねる。

 あのムービーがPSIの能力なのか、偶発的に発生した超常現象なのかはわからないが、強い思念が込められているのは確かだ。亜貴がいうように、呪いだとすれば、恨みか。死者の……。

「ねえねえ、智樹って子さ? いつ死んだの?」

「え?」 彼は質問の意図がわからず、眉をよせた。

「あ、そのあれ。優子はかなりながいあいだ監禁されてたのに助かったじゃん? なのにその子は……運がわるいなーって」

 そう言われれば、彼はいつ殺されたのだろう。猛人は首をかしげる。それから端末をとりだすと 「ちょっとごめん」 優子に通信をおくった。

「はい、あ、さっきの――亜貴にあえました? あの子、学校にもいかず、いつもうろうろしてるから」

「はは、いま一緒だよ。それより、訊きたいんだけど、智樹君は……いつ亡くなったの?」

 猛人は唇かんだ。おそらく優子も同じだろう。彼女のつくる間が、彼にそう思わせた。

「端末とかとりあげられて、あの場所じゃ時間を確認できなかったから、確かじゃないけど、彼は、わたしが監禁された日の、二日後に……」

「そっか、それだけ聞きたかったんだ。ごめん」

 通信をきると正面からさすような視線を感じて、彼は首をかしげた。

「お兄さん、もしかして優子とできてる?」

「は?」

「あ、はは――なんでもない。気にしないで。ところで話はおわり?」

「うん。とりあえずは」

「そんじゃアドレス教えてよ! ほら、また話が聞きたくなるかもしれないじゃん?」

 猛人は頷き、亜貴とアドレスを交換した。それから彼女が、カレーライスを食べ終わるのを待って別れた。

 彼はその足で、生き残った被害者たちに会うため、7区だけじゃなく、6区や8区にも足をはこんだ。

 彼等の自宅、または病院――会える者もいれば会えない者もいた。会えても話ができな者も。

 あらかたきき終えた猛人は、8区のとある公園で考えていた。

 あたりはもうすっかり暗くなっている。

 彼はブランコに座り、振子の揺れに身をまかせた。

 何かがわかりそうで、わからない。彼は思った。

 智樹の存在を知っている者もいれば、知らない者もいる。ただ、知っている者は皆、智樹が元気をくれた。励ましてくれた。希望をあたえてくれた、と言っている。

「うーん、なんで彼はそこまで気丈に振る舞えたんだ?」 猛人は自分にといかけ、目をつぶる。しばらく考え、ふと、とある被害者の話を思い出した。

 その女の子は生き残ったなかで、最も長く監禁されていた子供だった。

『とも君? 最初つれてこられたとき、彼すごく怯えてたよ。ママに会いたいって、部屋の隅で震えてた。みんなそうだった。でも、それから少して、突然かれが立ち上がったの。暗くてよくわからなかったけど、それでも、その時のとも君の顔は凄かった。拐われた事とか監禁されている事とか全部そっちのけに驚いてるって感じ……。その時からかな。彼が、凄い明るく元気に、皆に話しかけはじめたの』

 最初は怖がっていた。でも、何かが彼に希望をあたえた。それは恐らく、優子が言っていた、本当に助かるという確信。では何故、智樹はしんでしまったんだ。

 猛人は口元に手をやった。

 彼がさらわれたのは、いつだったか。確か、自分がはじめて耕史と会った日。その10日ほど前だ。

「ムービーはその3日後に投稿されたんだっけ」 彼は、ハウンズと一戦交えた時の事を思い出した。それからまた考えに耽った。

 優子が拐われたのは、救い出される13日まえ。 

 ――ん? と猛人は首をかしげる。

 優子の発言から、智樹が死んだのは、彼女が拐われ監禁された日の2日後――救い出される11日ほど前。

 智樹が拐われたのは、救い出される14日ほど前。ムービーが投稿されたのがその3日後――つまり救い出される11日ほど前。

 猛人のなかで何かがつながりそうだった。彼はおもむろに端末をとりだし、智樹のフォトを見た。

 旧東京タワーばかり。というよりは、決まった場所ばかりだ。あれほど溺愛されていたのだから、彼がせがめば、もっと色々なところに連れて行ってもらえたはずだ。

 なのに……と思い、彼は智樹がPSIの可能性がある事を思い出した。同時に、栞生に通信を送り、彼の通っていた小学校で何を聞いたのか訊ねた。

 気だるそうにこたえる彼女に 「本当にそう言ったんだね?」 猛人がきく。

「だから、そうだっての。ありえねえだろ、言ったとおりになっちまう能力とか」

「いや……」

 猛人は呟き、やぶからぼうに通信をきった。それから、端末でインターネットに接続し、検索サイトで、智樹のフォトが撮られたあたりの年代の事を調べた。

【6区の旧東京タワーにて事故。PSI暴走】【8区の居住区でジャンク暴れる】【7区中心街、アパレルセール会場を武装強盗が襲う】

 簡単に時事ネタが出てくる。そして、記事にかかれた事件の日付と、フォトの日付を照らし合わせる。

 一致していた。

 旧東京タワーでPSIが事件を起こした日は、砂浜で撮られている。8区の居住エリア、つまり智樹が住むところで事件がおこった時には旧東京タワーで撮られている。7区で事件があった時も旧東京タワーだ。

 その後も、写真の日付と出てきた事件の日付を照らし合わせた。

 全部一致している。それから、気になる記事を見つけて、彼はホログラムをいじる指をとめた。

【多田幸則(35)10区にて、ジャンクと捜査官の争いに巻き込まれ死去】

「11年前」 猛人は記事にかかれた日付をみて呟いた。

 写真に父親がうつっていないわけだ。この多田幸則という男が智樹の父親だろう。彼は思った。

 写真と記事を見る限り、ことごとく事件を回避している多田親子。智樹が生まれる前に死んだ父親。PSIの智樹。その力。投稿されたムービー――猛人のなかでつながった。

 そしてそれは、自分に智樹探し依頼した、彼の母親――多田に伝えなければなけない事実だった。

 猛人は急いで、彼女の家に向かった。

 ぐんぐん速度をあげると、あっという間に到着。呼び鈴をならす。まったく反応がない。何度ならしても、うんともすんともいわないので、ドアをに手をかけると、開いてしまった。

「すいません。多田さん」

 いいながら、彼はあがりこんだ。すると、多田は居間に座り込んでいた。彼女の怒り、悲しみのハケ口にされたのであろう。ひっくり返った家具やゴミが散乱している。

「あら、あなた」 多田がいった。

 猛人に向いた彼女の顔は、死体のように青白い。目の下には濃いクマができており、肌はボロボロで粉をふいていた。

「多田さん……俺、智樹君をたすけられませんでした」

 彼は深々と頭をさげる。どんなに深くさげても足りない。

「あ……なた」 多田は立ち上がると、彼に詰め寄り、その後頭部を思い切り叩いた。

「あなたのせいよっ! なんで智樹が死んで、他の子はたすかってるの! ねえ! なんでよ! なんでなのよ……」

 頭をおこし、猛人は小さく頭をふった。

「あなた! 責任をとりなさいよ! あなたが死ぬか、生き残った奴らをみんな殺しなさいよ! じゃないと割にあわないわ! 智樹が、智樹がうかばれない」

 多田は怒鳴り終わると、その場にくずれ落ちた。

「なぜ? なんで、あの子が……。怖かったでしょうに……辛かったでしょうに……きっと、みんなを恨んで死んだんだわ。あなたも、生き残った人も、私の事も……」

 猛人は膝つき、彼女の体を起こした。

「多田さん、もしかして智樹君には、予知能力があったんじゃないですか?」

 彼女は顔おこし、目を見開く。それを見て猛人は、

「やっぱり……。多分、あなたが最初に言った、智樹君がPSIじゃないっていうのは本心でしょう。だけど、薄々は勘付いていたんじゃないですか? 彼にも特別な力があるって」

「……だったらなによ。今更それを知ってどうするっていうの。あの子はもう……」

「智樹君は誰の事も恨んじゃいない。当然あなたの事も」

「なんでわかるのよ!」

「俺、今日、被害者の人たちに会ってきたんです。びっくりしました。あんな体験をして間もないのに、もう普通に生活ができている人がいるんです。それで、理由をきいたら、智樹君の名前がでたんですよ」

「あの子の……?」

「はい。智樹君がいたからたえられた。元気をもらえた。希望がわいたって」

「でも、あの子は死んだじゃないの!」

「……俺も、それがひかかってたんです。智樹君には助かるという確信があったはず」

「なら……」

 訴えるような多田の目を、彼は見返した。それから口の端を噛んだ。頭をふって、彼女に伝えるべき話を続ける。

「いえ。生き残った被害者の1人が言ったんです。彼は最初、ひどく怯えていたって」

 彼女の目にどっと涙があふれた。それでも猛人は続けた。

「その被害者がいっていました。拐われた状況をそっちのけにする程、おどろいた顔をしていた、って。それをさかいに、彼が明るく元気になったって。きっと……その時に予知したんだと思います。みんなが助かる事を……そして、自分が死んでしまうことを。だからっ……だから彼は奮い立った! いや、自分を奮い立たせた。残りわずかの命で、何ができるか考えた。助かる人が、その後も普通に暮らしていけるように……彼は、みんなの希望になろうとした」

「なんで、そう言い切れるのよ」

「正直、俺は半信半疑です。でも、きっと、あなたならそれを確かめられる」

 猛人は端末をとりだすと、少し操作して、彼女に渡した。

「これって……?」 受け取り彼女は呟く。

 浮かび上がっているホログラムは、スナッフムービーの再生ページだった。

「被害者の話を照らし合わせると、智樹君がなくなった日と、動画が投稿された日が同じなんです。それでPSIの子が、このムービーから声がするって」

 彼は言葉途中に、動画を再生した。

 猛人にはおぞましい殺人の映像にしか見えない。

 しかし、彼女にはちがったようだった。

「ともきっ! ああ……」

 多田は涙ながらに映像を抱きしめた。

 それを見て猛人は、やはり、と内心つぶやく。

 智樹は殺された。その時の心情まではわからない。だが、PSIであり思念体を無意識下で扱える彼ならば、死後にそれを残すことが出来るのではないだろうか。そして、その思念体は、彼が最も愛する、母親に波長をあわせたものなのでは――。

 猛人は考えるのやめ、立ち上がると、部屋をでるため踵をかえす。途中とまり、肩ごしに多田の姿をみて頭をふった。

 真相は彼女の姿が物語っている。

 小難しい用語や理屈を並べるよりも、子の想いが母に届いた。そう考えるのが一番しっくりきた。

 そして彼は、部屋をでると星を見上げた。

 わずか11歳の子供が、死に直面してなお、あれほど強く生きた。それなのに自分は、人間だジャンクだと悩んでいる。

 猛人は自分がひどくちっぽけに思えた。

 智樹ほどの勇気が自分にあるのかはわからない。だけど……。


 ――――数ヶ月後。

 第3東京府都6区は紅葉の季節をむかえた。

 道を縁取るように植えられた人工木は、紅い葉を茂らせ、空域飛行車両で見おろせば、大地が燃えているかの如く、鮮やかな景色をおがむ事ができる。

 肌寒さに秋を感じながら、女性は河川敷に面した道を歩いていた。

 やりたくもない残業をさせられて、むしのいどころが悪いせいなのか、普段は通らない路地裏にはいる。

 ここを突っ切れば家はすぐ目の前だ。ああ、はやくシャワーを浴びたい。

 彼女は暗がりを、手で確かめながら進んだ。

 幸い、快晴のうえに満月という事もあって、目がなれてくれば、どうという事のない道だ。女性は思った。

 今度からここを使おうかしら。そうすれば朝ももう少し寝ていられる。

 そんな事を考えながらニヤけていると、何かにぶつかって倒れてしまった。

「いったぁ! ちょっとなに」

 前方を見ると、男がいた。

 彼女は咄嗟に、まずい強盗か、と考えた。あり金をわたせば見逃してもらえるかもしれない。

 しかし、そんな希望的観測は、男の肉体が変化した事によって、もろくも打ち砕かれた。

「ジャ、ジャ……」 男の服が破れ、あらわになる本性に、女性は思わず言葉を失った。

「人間の女かぁ~ついてら。今日も猫かネズミしかくえねえっておもってたら」

 女性は悲鳴をあげ、逃げようとした。

 しかし、変化した男の腕が絡みつき、身動きをふうじられてしまった。

 彼女は腹に巻きつく三本の触手をほどこうと、必死に身をよじる。

「むだだって。大丈夫、痛いのは一瞬だから、おとなしく食べられろ、な?」

 女性は叫んだ。助けてくれ。誰もいい。お願い。誰か。

 だが仮に、人がそれを聞いても助ける事はない。助けないのが当たり前であり、暗黙の了解だ。2次被害を防ぐため警察ですら、対応できないとわかれば、人名救助よりも、MOAへの応援要請を優先する。

 ジャンクの男はそれを知っていた。そして女性も。

 だが、彼女は叫び続けた。誰かが守ってくれる。そう信じて。

「その女性ひとをはなせ」

 声がして、女性はその方向を見た。

 黒髪の青年が立っている。

「た、たすけてっ! おねがいっ!」

 彼女は叫んだ。

「女はだまってな! んだガキぃ? てめえも食ってやろうかぁ?」

 ジャンクの男は、胸にある口で舌舐めずした。

 しかし、直ぐに口を歪めると 「んだよ、おめえもジャンクじゃねえか」

 これを聞き、女性は呆けたように声をもらした。

「ああ」 という青年の返事が、彼女の希望をさらに打ち砕く。

「いっとくけどよぉ、こいつは俺が見つけたんだ。まあ腕の一本くらいはやってもいいけどよ」

 男は女性の腕に、触手を巻きつけた。

 途端、激痛がはしり彼女は悲鳴をもらす。

 はっきりとわかる、この男は自分の腕をもぎ取ろうとしていると。

「おら! あばれたら余計いてえぞ!」

 だめだ死ぬ。

 今度こそ本当にあきらめた瞬間だった。女性は風をかんじた。同時に腕の圧迫もなくなった。さらに、男が叫び声をあげながら倒れる瞬間が見えた。

 すると、彼女自身もその場に倒れた。痛む腕をおさえながら、男をみて、そして、青年を探した。

 彼は先程までいた場所にいなかった。

 女性や男を通り過ぎた先、数mのところに立っている。その六本指の左手には、男の触手が握られていた。

「て、てめぇ! やりやがったな!」 男は起き上がると青年を睨めつけた。

「はなせって、言っただろ」

「くそっ。い、いいのかよ! 俺は、あのアーチヘッドの手下なんだぜ?」

 青年の眉が動いた。

 男はそれをみてとって、

「右に3枚の刃をもつ、長頭のすげえジャンクさ。あの黒鵜時臣にタイマンで勝ったっておヒトよ! 俺に手だすってことは、奴を敵にまわすってことなんだぜ?」

「3枚の刃って」

「あ?」 男は顔をしかめる。

「こういう?」

 青年の右腕が変化するのを見て、男の顔は恐怖で引きつった。

「そして頭はこんな感じだろう?」

 つづいて彼の頭が、黒く、鈍光のある長頭に変化する。

「右の三枚刃、それにその頭――アーチヘッド!?」

 男はがたがたと震え、その場から走り去っていった。

 彼はそれを見送ると、頭と右腕を人の姿にもどす。それから女性のそばにより、

「この辺はあぶないから、あまり通らないほうがいいですよ」

「あ、あ、あなたは」

 女性の目には恐怖が色濃く浮かんでいる。

 それを見てとって、彼は立ち上がった。それから踵をかえすと、路地をぬける。そして、思い切り跳躍。

 宙で夜風を感じながら、青年は耳をすませた。後ろから声がした。先程たすけた女性のものだった。だが聞き取りはしない。必要がない。

 その声にどんな感情がこめられていようと、彼がやる事に変わりはない。なぜなら彼は――――。

 青年はビルの頂辺に着地して、ふたたび跳躍する。

 その軌跡が、月を斬った。

完結です。

設定で完結にしていないのは、後日譚のようなものをのせるからなんですが、この話そのものには関係のない内容になると思います。

ここまで読んでくれた皆様、本当にありがとうございました。

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