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GUARDIAN  作者: 剴鴉
13/14

猛人

 猛人と耕史の邂逅より、さかのぼること30分。

 栞生は6区にきていた。

 半分は自分の意思。もう半分は違う。

「ちっ、しつけえな」

 彼女は河川敷で足を止め、忌々しそうに息を吐いた。

 その顔には、いつも見せる余裕がない。

 捜査官に追われるのは何度目だろう。

 栞生は思いながら、あさってに向いた。

 今追ってきている奴らは確実に自分の動きを捉えている。

 Jキッズの拠点に戻るわけにはいかない。かといって、捜査官の目が厳しい区域に行くわけにも。

 人間を盾にするのが好ましい。

 今までの彼女ならそうしたかもしれない。

 しかし、その考えが浮かんだ時、同時に浮かんだ一人の人間。

「何で猛人あのばかのこと考えてんだ。あたし」

 栞生は再び走り出した。

 相手がこちらの動きを察しているように、彼女もまた相手の動きを捉えていた。

 それは彼女のからだから発せられ、つながっている電子による効果だ。

 栞生は、それに触れた物体を大雑把にだが、把握する事ができる。

 不意に 「よしっ」 と、彼女は意気のこもった声を出した。

 先程から追手がかかるのは、弱い電子場ばかりだった。だがついに目当ての罠に対象がひっかかったのだ。

 これで、より精密な“スキャン”をする事ができる。

 人数は3。

 一番小さいのはおそらく女。

 栞生は笑みをつくった。しかし、直ぐに眉をよせると

「異物があんな。密度も……ボーグか」 舌をうつ。

 一番大きいのは男。

 内心で呟き、彼女は耳の裏を手で押さえる。

「痛っ。PSIかよ、うぜ」 顔をしかめた。

 少しして栞生は足をとめた。先ほどと同様にあさってのほうを向く。

「なんだ……こいつ」

 彼女は唾を飲んだ。

 最後の一人。並びの真ん中に位置している男。

 中肉中背で体格的にはもっとも特徴に乏しい。

 ボーグでもなければPSIでもない。

 それなのに、と彼女は目を閉じる。

 自身がつくった電子場と意識を、リンクさせるためだ。

 普通の人間のはずなのに、波の通りが悪い。

 栞生は顔をしかめる。理由をさぐるため、より集中した。

 瞬間 「わっ!?」 と、彼女は声を上げ、目を開いた。

 何故、そうしたのか自分でもわからなかった。

 ただ、集中した瞬間、彼女の頭に一つのイメージが浮かんだ。

 それを思いかえし、

「人間がジャンクを食うなんて……ねえねえ」 頭を振って否定する。

 同時に、栞生の胸には好奇心が生まれていた。

 得体のしれない捜査官はどんな奴なのか。

 闘争本能が彼女のなかで膨れ上がっていく。

 戦ってみたい。

 栞生は追手がくる方向を睨みつける。

 それから向きをかえ、ふさわしい場所をさがした。

 人が多く、いざとなったら、それに紛れて逃走が楽な場所がいい。

 考え、6区に詳しくない彼女が真っ先に思いついたのは、

「旧東京タワー、か」 足をはやめる。

 河川敷から街の方へ曲がり、通り抜ける。

 転々と建つ家々を過ぎ、栞生は違和感を感じた。

 だが、それが何なのかまでは、はっきりしない。

 しかも、意識の隅においてあった、3人の動きが速くなるのを感じた。

 旧東京タワー付近まできて、改めて3人に意識を向ける。

「えらく速いな。あたしとそんなに変わらないじゃん」

 しかも、3人が等速で移動している。

「PSIのやつか」 栞生は前方を見定めた。

 そして、旧東京タワーにつくと 「あ?」 思わず声がでた。

 そこには、人っ子一人いないのだ。

 違和感の正体はこれか、と彼女は自分が走ってきた方向を見やる。

 ここにくるまで殆ど人間にでくわしていない。

 いま走ってきた距離なら、仮に夜中だとしても、もっとすれ違うはずだ。

 思いながら 「くそっ」 と呟く。

 完全に誘導された。と、内心で愚痴った。

 奴らは狩人? 自分は獲物? 奴らは追い込んだつもりか?

 栞生は考えると鼻でわらった。それからあたりの景色を見回す。

 普段ならライトアップされている建物に灯が点っていない。

 薄暗い中で大きく重厚な圧だけを湛えている。

「人間どもは避難ずみ、か」 呟くと、彼女は空域の一点を見た。

 それは建物より高く、宙道スカイロードよりも低いところで浮かんでいる点に縫い止められた。

 ゆっくりに見える点は、距離が近づくほどに速度感をましていく。

 より近づき、こんどは減速。

 人型の像が3つ、並列して宙に浮いている。

 そしてそれが下降。

 栞生の数mさきに3人の捜査官が降り立った。

「流石は久留須中将。皆、避難を終えているね」

「はい。でも避難勧告って、はじめてみました。てか八千、あんたの力べんり! つかえる!」

「ども」

 彼らは、会話を終えると、栞生に向いた。

 その視線をうけとめ、彼女は眉をよせる。

「7区の……どうやってつけてきた」

「俺の力」

 八千が小さく手を上げる。

 いちばん大きい男。

 栞生が内心で呟く。それから視線を横に 「小さい女」 

 最後に中央を見定める。

 この2人といるという事は、これが黒鵜時臣か。

 彼女は口の端をつりあげた。

「君に少々たずねたい事があってね。同行してもらえないかな?」

 黒鵜が一歩まえに出る。

 それに合わせて栞生は一歩ひいた。

「なに、ここじゃダメなわけ?」

「ゆっくり、話すにはちょっとねぇ」

「はっ! あたしをナンパするにはトシ食い過ぎだよ、おっさん!」

 栞生は両腕を各態させ、狙いを定めた。

 だが電撃を放つ寸前、首に痛みを感じ、片膝をついた。

「先制もらい」

 八千が呟く。

「ナイスっ!」

 木下は言いながら、階級章を指でこする。

 目の前にあらわれたバトンを掴むと、栞生にむかって駆け出した。振り上げながら、それに備えられたギミック――ギアをかえる。そしてトゲを備えた球を、目標にむかって振り下ろす。

 栞生は横に跳んでそれを躱した。木下に手を向け、不敵に笑う。

 つぎの瞬間、彼女の前腕から扇状に雷がほとばしる。

 それをうけて木下は膝をおった。 

 栞生は余裕の笑みを湛える。

 これを浴びせれば人間なんて――あと数秒で1人クリアだ。

 思った時、右の横腹に痛みを感じた。

 何かに噛まれたような感触に、それを振り落とそうと、彼女は地面に転げた。

 起き上がって視線を前にもどすと、後ろ襟を支点に吊られる格好で、木下が宙を後退している。

「PSIのやつか」

 栞生が忌々しげに呟き、視線を八千に向ける。

 彼の横に木下がおちるの認め、同時に、黒鵜がその場にいないと気づいた。

 奴はどこだ、と首をふった瞬間、背や腕に鋭い痛みを感じた。

 目の端に黒鵜をとらえ 「てめぇ――」 

 言いきる前に彼の鞭が、さいど彼女の体を打った。

 痛みが脳天をつきぬける。

 それから逃れようと、栞生は後ろに跳んだ。

 鞭が彼女のいた場所を叩く。

「焼け死ねバカが!」

 栞生は黒鵜に手を向ける。が、左肘に痛みがはしった。

「っぜんだよ!」

 彼女は振り落とすように腕をふった。

 それに合わせて、電撃が地をなでる。

「ナイスだよ八千君」

 これを聞きハッとした栞生は、視線をまえに戻した。

 黒鵜がいない。

 思った瞬間、首に圧迫を感じ、原因に目をやった。

 黒鵜がいた。

 彼の手が自分の首を掴んでいる。

 右手で殴ろうとするも、その手も掴まれた。

「アームド、しまっちゃっていいのかよ」 栞生は口の端をつりあげて見せた。

「構わないよ。いつでもだせて、いつでもしまえるからね」

「へ、便利だな。あたしにも1つくれよ」

「君がMOA捜査官になるなら、考えなくもないよ」

「はっ、冗談、」

 首を強くしめられ、彼女の言葉はとぎれた。

「こういうお喋りも楽しいけど、君にはしばらく眠ってもらうよ」

「まだ……眠く、ないん、だ……よね」

 栞生は目だけを動かし、自身の左腕を見た。

 肘が半分近くなくなっている。

 どおりで動かないわけだ。

 彼女は顔をゆがめた。それから、

「く……そ、がっ!」 無理矢理に左腕をもちあげる。

 中指を立てると 「死ねっ」 

 指先から上に、雷がはしった。

 それは弧を描き、地を舐めまわすように円をえがくと、黒鵜を捉えた。

 彼女の指先から、さらに幾本もの雷が弧を描く。

 彼とその場をしこたま打ち、二人を中心に雷のドームをつくりあげた。

 数秒して首の圧迫感がなくなった。

 栞生は口の端をつりあげ電撃をおさめる。

「人間があたしに勝てるとおもってんのかよ」 

 言いながら、彼女は右手の親指で、首を掻っ切って見せた。続けて、

右京あいつも大げさなんだよな。大した事ねえじゃん、こんな奴」

 視線を他の2人にうつす。

「あのPSIのがうぜえな」

 栞生は目を細めた。すると景色が変わり、ぼやけた。

 自分はなぜ空を見ているんだろう。

 目を瞬かせ、歪む視界を正して、前を見る。

 黒鵜が立っていた。

 なぜ、立てる。

 彼女はおもった。

 ジャンクでも、お陀仏しておかしくない電撃をあびせたはずなに、と。

 栞生は膝をついて、黒鵜を見上げた。

 その顔には無数の熱傷。

 裂けた頬からは骨が見えている。

「これくらいじゃ死ねないねぇ」

 黒鵜はこれまでと変わらぬ調子でいった。

 栞生はその顔をみて、そうか。と内心で呟く。

 ボーグでもないのに、自分を押さえつける膂力。

 こちらの攻撃方法を見ても、臆さず距離をつめる理由。

 黒鵜の顔のキズが瞬く間に治っていく。

 栞生は歯をこすった。

 そして 「バイオニックブラッド」

 呟き、同時に、彼女のなかに疑問が生まれた。

 捜査官がBBを常用しているのは知っている。

 それを使用するとどうなるかも理解しているつもりだ。

 身体能力と回復力の底上げ。

 やっかいな代物だ。

 しかし、今まで電撃を浴びせた事がある人間に、ここまで回復力がある者はいなかった。

 膂力にしてもそうだ。

「不思議かい?」

 黒鵜が小さく首を傾げる。

 栞生は素直に 「ああ」 とこたえた。

「私が常用しているのはレベル4」

 意味が分からず、栞生はまゆをよせる。

 そんな彼女のかわりに木下が声をあげた。

 栞生は彼女を一瞥する。

 生きてやがったか、と。

 しかも、まだ余力がありそうに見えた。

「んじゃ、やっぱしかたないか」 

 栞生が言った。次に、歯を食いしばる。

 すると彼女の体が、透明度の高いターコイズグリーンに変色しはじめた。

 それを見て、黒鵜は飛び退いた。

 彼のいた場所に、彼女の体から発生した火花がちる。

「いつ以来かな、完全にかわるのわ」 

 いいながら彼女は身をおこす。

 身長は2mちかく、一糸まとわぬ体には両腕がない。

 透き通った胴体は女性的なくびれと、胸に小さな膨らみが二つ。

 目も鼻も口もない頭部からは、髪の毛を模す、透明度の低いターコイズグリーンの触手が、無数に足元まで伸びている。

 それが、腕のかわりと言わんばかりに宙をうねった。

 すると彼女のまわりに、とつじょ雷が発生した。

 向きや、角度はデタラメ。しかし、その力は先程までと比べ物にならない。

 触手の動きに合わせるように、無数の雷の束が宙を駆けまわる。

 その一つが、八千をとらえた。

 彼は何mも弾き飛ばされた。

 木下はそれを見て、意を決し、雷の嵐に突っ込んだ。

 一撃、二撃と、身を焦がす。

 それでも前にでると、雷が矢のように降りそそいだ。

 そして、爆轟。

 ボーグ化された彼女ですら、宙を舞った。

 黒鵜が倒れた2人を見やる。

「さて、どうしたものか」

「てめえで、最後だ」

 栞生がいった。

 そして、雷の一つが黒鵜に直撃する。

 一歩後退。直ぐに三歩でた。

 それを数度くりかえし、彼の手に握られた金属鞭がはしった。

 栞生はやすやすと躱す。

「消えた。いや――」 黒鵜が呟く。それから、もういちど鞭でうった。

 それが掠り、栞生は肩に焼けるような痛みを感じた。そこを見ると、実際にやけていた。

 視線を黒鵜にもどす。鞭が赤熱している。

 厄介なギミックだ。

 おもいながら、彼女は体を力ませた。

 そのからだは、細胞ひとつひとつが発電器官である。

 独自に電気を生み出せる彼女は、その応用も可能だ。

 自身を電磁誘導することで、高速移動を行う。

 これがあれば捕まる事はない。ついてこれた捜査官は今までいない。

 彼女はのっぺらぼうに笑みを浮かべた。

 そして、黒鵜の鞭を躱す。右に、左に。

 その間、余裕をもって電撃を浴びせる。

 完璧なヒット&アウェイ。

 そして彼の鞭を、再度かわした。と、思った時だった。

 身に、焼くような痛みを感じ、彼女は一瞬気絶した。

 胸に焼きあとがあるのを認め、鞭にうたれたのだと悟る。

 よけたはず、と彼女は高速移動を行う。

 しかし、また打たれた。

 これだけ速く動く物体を、どうして捉えられる。

 彼女は、半ばがむしゃらに、その速度をあげた。が、右の肩から左脚の付け根に、鞭をくらい動きをとめた。

「なん、で……」 徒歩で近づいてくる黒鵜に、栞生が訊ねる。

 返答のかわりに、拳がとんだ。

 それを腹にもらい、彼女は両膝をついた。

「く……そ……」

「うん、若いねぇ。速くても、動きの幅と拍子が一定じゃ、誘導するのは簡単だよ」

 黒鵜は顎をなでながら告げる。つづけて、

「さらに、君のような色付きは、」

 彼は言葉きると、左拳で彼女の顎をはねあげる。破砕音とともに、そこから頬にかけてヒビがはいった。

「もろい」 拳を一瞥し、彼はさいど口をひらいた。

「物体の強さは、その物の一番よわいところできまる」 

 声を出す余力すらない栞生は、必然と黙るしかなかった。

 それを見て、黒鵜はもういちど彼女の腹を殴った。

 うめき声があがるのを確認して、

「わかるかな? 物理学だよ。これは戦闘行為においても当てはまる。自論だがね。君みたいなジャンクは一見派手で強そうに見えるが、ひとたび劣勢になると――例えば今の状況。どうしようもない。君の場合、おそらく電気を自由に生み出せるんだろう。が、その器官のせいで、本来ジャンクがもつ優位性がうすい。つまり耐久力と回復力」

 黒鵜は彼女の側頭を殴りつけた。

「とはいえジャンク。こうやって素手で殴ると、コチラも痛いんだよねぇ。情報をききだすという目的がないなら、真っ二つにするところなんだが――」

 彼は殴ったほうの手をぷらぷらさせる。

 突っ伏した栞生を見ると 「きいてないか」

 端末をとりだし、久留須に応援を要請した。

 そして、倒れている木下のもとに行き抱きおこすと、

「大丈夫かい?」

「黒鵜……二尉……ジャンクは」

「ああ、仕留めたよ。直ぐに応援がくる」

 黒鵜は階級章を中指でさわった。

 針のついた銀色の細い筒が、彼の手にあらわれる。

 それを彼女の首にさすと、

「とりあえず、応急処置だけど」

「ありが……と……」

 木下は気を失った。

 黒鵜は、彼女をそっと地面に寝かせると、八千のもとへ。

「八千君」

「うす」

「意識はあるようだね」

「でも動けない」

「うん。木下君にくらべれば軽傷だし、もうすぐ応援がくるから」

「うす」

 立ち上がった黒鵜は、いま相手にしていたジャンクを見やる。

 透きとおったターコイズグリーンのからだは、ぐったりと地に伏したままだ。

 相手にはああいったものの、かなり手ごわいジャンクだった。

 これほどの力をもつものが無名のままとは、第3トウキョウもなかなかに混沌としている。

「起きないとは思うが、念のため薬をうっておこうか」


 

 猛人は6区に入った。

 ビルの側面に飛びつくと、別の建物に飛び移る。

 3m近い巨体が、ひとっ飛びで数十mは移動していた。

 彼は突如、その速度をゆるめた。

 弾丸は速度があればいいというものではない。

 対象を突き抜けるよりも、その中で全エネルギーを発散したほうが与えるダメージが大きいからだ。

 今の彼はまさにそれ。攻撃対象にあたるまで力をためて、発散する時をまっている。

 猛人はふと、人がいない事に気づいた。

 だが直ぐ、それがどうした、と頭の隅においやった。

 彼の背に浮かぶ野太い脊髄がうごめく。その中腹から新しく髄が伸び、皮膚の下を這うように肩を、肘を通って手首で止まった。

 栞生はどこだ、敵はどこだ。

 思った時だった。

 強い光がみえた。

 幾重にも枝分かれした青白い光だった。紫も混じっていた。

 ハウンズでの彼女を思い出し、猛人は光の方向へ跳んだ。

 その明かりで長頭が鈍く光る。そこには目も鼻も口も耳もない。

 人間で言う口に当たる箇所に、ジグザグの模様があるだけだ。

 近づいていく途中、突如ひかりが消える。

 それを見てジグザグが歪む。

 そして視界に、美しいターコイズグリーンの躯体をとらえた。

 彼女が地面に倒れている。

 それに近づく男をみて、

「黒鵜……」

 猛人は唸った。

 飛びついた建物を蹴り、彼は男の前に、立ちはだかるように着地した。

 その衝撃で粉塵がまった。

 猛人は肩ごしに栞生の姿を確認した。

「新手。そこに寝ているジャンクの仲間かい?」

 黒鵜が訊ねる。

 猛人はこたえる事なく地を蹴り、右拳をくりだす。

 それは身長差から、打ち押し気味に黒鵜の胸を直撃、彼の体が地面をドーム状にへこませた。

 そこに鉄槌を打ち下ろそうと、猛人が振りがぶる。

 しかし、地面から砂埃をわって現れた鞭が、彼の体を叩いた。

 それにより、数瞬おくれて振り下ろされた左拳は、地面に穴を穿つのみとなった。

 猛人は、1回、2回と宙返りをして距離をとる黒鵜を睨めた。

 彼は何度も咳こみ、落ち着くと 「私じゃなきゃ死んでるよ」 鞭を赤熱させる。

 猛人は天にむかって咆哮することで返事とした。

「猛々しいねぇ」

 言葉と共にくりだされた鞭が、彼の体を打つ。

 腕を、胸を、脚を、しこたま打たれながらも、猛人は黒鵜にとびかかる。

 それを躱し、繰り出される鞭が、集中的に長頭を叩いた。

 煙があがり、はれると、その表面を見て黒鵜はぎょっとした。

「硬いね」 目を細め、彼は階級章を親指の腹でこすった。

 すると、針のついた細い透明の筒が、目の前にあらわれる。

 それを掴み、黒鵜は一瞬まゆをひそめた。

 そして、自身の首にさすと、筒の中の灰色の液体が徐々に減っていく。

 それが全てなくなり、筒を投げ捨てた彼が、

「MOA――モンスターオブアンチの意味がわかるかい?」 訊ねた。

 それから彼は高速で猛人の背後にまわった。今までとは比べ物にならない速度だった。

 振り向きながら薙ぐ猛人の拳を、屈んで躱し、黒鵜は真っ直ぐに拳をはなった。

 それが直撃するや、猛人の体は数mちかく宙を舞い、地面に激突。勢いのまま更に何mも地面を削った。

君達ジャンクに敵対する怪物。毒をもって毒を制す。そういう意が込められているんだよ」

 黒鵜はにっこりと笑った。

 猛人は起き上がり、

「だからジャンクを殺すのか……」

「そいう仕事だからね」

「栞生も殺す気か」

「彼女には、色々聞きたいことがあるから直ぐには始末しないよ。それに珍しい躯体だから技研が欲しがるだろうしねぇ」

 猛人は改めて栞生を見た。

 全身キズだらけだ。欠損している部位まである。

 これに、彼の怒りが膨れ上がった。

 すると突如、右腕を違和感が襲った。

 見ると、人差し指と中指の間、薬指と小指の間に亀裂がはいっていた。

 それが、手首に、肘に、のぼってくる。

 そして肩までくると、彼の腕は亀裂を境に、たち割れた。

 猛人は叫んだ。

 痛みではなく、今まで感じたことのない快楽のせいだ。

 彼は栞生の言葉を思い出した。

『変態する時、何か大切なものを思い浮かべろ』

 その意味がわかった。

 何か、絶対的な芯になるモノがなければ、肉体の変化に伴う快感に負けてしまう。

 猛人は思った。

 自分には何があるか、そう考えている間にも彼の腕は変化を続けた。

 割れて、2本ずつになった指が癒着をはじめたのだ。

 それが終わると、右腕はゆるい曲線を描きながら、それまでの倍近くに伸びた。

 傷口は滑らかにふさがり、平らな“3枚”の腕は、より金属的なものへ変わった。

 それぞれ、先端は鋭く尖り、片側がカミソリのように鋭い。

 彼が叫び終えた時、それは“三枚刃”となっていた。

 猛人は黒鵜にむかって駆けると、それを斜めに振り下ろす。

 仰け反った男の胸をかすめ、三枚の刃はなんの抵抗もなく地面を裂いた。

 黒鵜は胸をおさえ、地の亀裂を一瞥 「レベル5をうっておいてよかった」 笑みを浮かべた。

 そして鞭を奔らせる。

 加速のあまり、中腹から先は目視不可。

 それを受けて猛人は身を揺らす。

 が、それを反動に、彼は三枚刃で黒鵜を薙にかかった。

 互いに一進一退。

 有効打のないまま、彼らは切りむすぶ。

 しかし徐々に差が生まれはじめた。

 優位なのは黒鵜だった。

「君達の頑健な体と、そこからくる攻撃力は驚異だが」

 黒鵜はすいすいと猛人の攻撃を躱す。

「その実、非常に大味」

 言いながら、彼は軽く鞭を当てる。

 それを意に介さず、猛人は前にでた。

 刃を振るうが、円を描くように体をいれかえられ、拳を叩きこまれる。

「精密さに欠け、攻撃の意を消す事もない。そんな力押しじゃ、私は捉えられない」

 つづけて、黒鵜の拳。鞭、拳――背後からもらい、猛人の膝がわらう。

 猛人は上体を後ろによじった。

 黒鵜は彼の動きに合わせて、長頭に拳を放つ。

 それをうけて、猛人は数歩さがった。

「そろそろ限界かい?」

 黒鵜が訊ねる。

 猛人は内心で 「限界だ」 と答えた。それから声にして、

「もう、我慢できない」 

 途端、三枚刃が震えた。

 原型がわからないほどぼやけ、黒い像になった。

 振動はさらに加速し、音が鳴った。

 金属をひきちぎる時に鳴る――さながら雷音だった。

 それと同時に三枚刃が消えた。

 黒鵜は首を傾げる。

「せっかくいい武器だったのにねぇ」 とどめをさそうと鞭をふるう。刹那、その腕が宙をまった。

 黒鵜はぎょっとするあまり、一瞬、身心ともに硬直した。

 直ぐに、黒い巨体を確認すると、彼はその場から一歩も動いていない。

「何をした?」 言いながら目を細め、歩み出ると、地面に落ちた自身の腕をひろう。

 そして元あった位置に腕をもっていくと、たちまち回復した。

 彼は鞭を数回ふって調子を確かめる。

「まあ、こんなもんか」

 言った直後、黒鵜は、ハッとしたように天を仰いだ。

 視線の先には、月を4つに分断する、3つの黒い影があった。

 それが、1、2、3と順番に落ちてくる。

 黒鵜はバク転2回で2つ躱し、側宙で3つ目の影を躱した。

 彼は影の正体を見て、眉をよせると 「刃か」 鞭でそれを打った。

 弾かれた1枚が、宙で黒い霧に変化した。

 それに続くように、残りの2枚も霧になる。

 そして、3つは宙でまじわり、1つの大きな黒霧とかした。

 黒鵜が鞭でそれを打つ。が、すり抜ける。

 霧は、意思があるかのように蠢くと、黒鵜に向かってとんだ。

 直進から急上昇。途端、下降してきた霧を、彼は間一髪で躱した。

 霧は地面に黒い水たまりをつくり、破砕音の後、浮き上がった。

 ずたずたの地面があらわになる。

 これに気を取られ、横合いから伸びてくる拳に、黒鵜は気付かなかった。

 側頭を殴られ、彼は吹っ飛んだ。

 起き上がった黒鵜もとには、霧がせまっていた。

 鞭をふってみても、すりぬけるばかり。

 彼は迫る霧を、すんでのところで躱しながら、鞭で叩いた。

 金属と金属のぶつかる音が鳴った。

 黒鵜は、その瞬間、目を凝らし小さくうなずいた。

 猛人は、左拳をもういちど叩き込むため、彼にとびかかった。

 一瞬で間合いをつめ、頭部めがけて、左拳を突き出す。

 が、その腕を這うように、黒鵜の右拳が肘を、肩を通り、顔面に迫った。

 猛人はそれを、顔で受け止める。

 それから黒鵜の右腕を左手でがっちりとつかまえた。

 そして霧と化した三枚刃を、浴びせようとする。が、外れた。

 黒鵜は鞭を使い、自身の腕を切って逃れたのだ。しかも、猛人の背後に回り込んでいた。

 猛人は振り返り、霧を放った。

 黒鵜は左腕で顔をかばい、前に踏み出すと、全身を切り刻まれながらも霧をぬけた。

 彼は勝利を確信した。

 ジャンクの息の根をとめるため、全身全霊の一撃を準備――左腕を引き絞った。

 鞭が真一文字に長頭を両断した。かに思えた。

 そこには、頭部がなかった。

 黒鵜は一瞬、綺麗にはねとばした、という錯覚をおぼえた。

 だが手応えのなさに、彼は言った。

「君の勝ちだ」

 瞬間、大顎をそなえた黒い楕円体が、横合いから黒鵜の上半身を拐った。

 それは彼の半身をくわえたまま地面に激突し、アスファルト面を砕きながらすすんだ。

 地面を泳ぐ途中で、楕円は消え、黒鵜の半身だけが地面を転がる。

 猛人は右腕と頭部を、消失させた状態で立っていた。

 その上方でうごめく霧が、彼のからだを取り巻くと、三枚刃と長頭が再生された。

 猛人の顔が黒鵜の上半身に向いた。

 彼が立つ位置から、数十m近くはなれた場所に転がっている。

 彼はそれに向かって歩きだした。

 あと数mというところまできて、

「武器を……粒子……化、すると……たかを……くくっていた、よ」

 黒鵜がとぎれとぎれ言葉をつむぐ。

 黙っている猛人を無視して、彼はしぼりだすように続けた。

「な……るほ、ど。その、頭も……か……」

 言葉のかわりに、猛人は三枚刃を扇状に広げた。

 そして、それを振り下ろす。が、途中で動きを止めた。

「なんで、邪魔をするんですか」 

 猛人は三枚刃をひき、自身と黒鵜の間におり立った、右京を睨めつけた。

「タケちゃん。もう終わりだ」

「終わり?」

「ああ、拐われた人間たちはMOAが救出してくれる。耕史君の事も、」

「耕史……彼は……もっとジャンクが住みやすい世界なら、彼は……利用されたんだ。人間に!」

「それは栞生から聞いたよ。何人かのMOA捜査官も、彼のいたグループに加担している。けど、」

「なら! やっぱりMOAにそそのかされたんだ! 彼は、彼は……あんな顔で笑う彼が、」

「タケちゃん……それでも、もう終わりにしなきゃだめだ」

「なんでだよ! そいつは、栞生をキズつけたんだぞ! あんた、どっちの味方なんだ! どけよ」

 右京は頭を小さく横にふった。

「どけっ……」

「それは出来ない」

「どけえっ!」

 猛人は全身を戦慄かせる。

「そいつを、助けにきたのか。MOAを……あんたは」

 右京は視線をさげ、そして 

「俺が助けたいのは、タケちゃんだよ」 腕が変化していく。

 手は灰がかった水色に変色し、指先からは幅の狭い鈎爪が生えた。

 そして前腕の皮膚、肉がめくれあがり濃紺に変色。花びら状に幾重にも重なって、彼の前腕は、金属質な鱗につつまれた。

 猛人は右京を見やり、

「口?」

 差し向けたられた彼の左掌に、ぎざぎざとした歯のある、楕円の穴があいていた。

 突如、そこから何かがとびだした、

 突き刺されたような痛みに、猛人は自分の腹を見た。小さな穴があいている。

 視線をもどすと、彼の“口”から無数に何かが飛び出してきた。

 猛人は三枚刃でそれをうけとめる。

 刃と刃の間から、いくつかくらい、彼はうめきながら数歩ひいた。

 それから刃を見ると、透明な液体で濡れていた。

 水か。

 思った瞬間、猛人の胴体は右京の両手に掴まれた。

 途端、胴に激痛がはしり、猛人の全身が緊張した。

「ごめん。すぐだから」

 右京がいった。

 その言葉どおりだった。

 胴に走った痛みがひいていく。

 しだいに触覚が麻痺。

 視覚も、嗅覚も、聴覚も。

 あらゆる感覚が麻痺していく。

 そして思考まで鈍くなり、猛人の時間は止まった。

 右京は胴体から手をはなし、1歩さがる。

 それから、全身霜でおおわれた猛人の巨体を、肩に担いだ。

 踵を返すと、

「き、君も……なかまか、い」

 黒鵜が呼び止めた。

「真っ二つなのに、まだ生きてるの? ある意味ぼくたちより化物だね」

「は、は……は。黒い、ジャン、クを……しとめ、たの……か。その……力、きいた……事が、ある。そ、うか……君が……デ、ビル……フィ……ッシュ、」

 右京は黒鵜を一瞥した。

「さあ、だれそれ。僕はしがないジャンクだよ」 

 右京は栞生に向かって歩きだした。

「ふ、ふ……。と、ころ……で、医者を……よんで、く……れる……と、ありが……たいんだ、けど……ねぇ」

 右京がぴたりと足を止める。それから顔だけを黒鵜にむけた。

「“おれ”はジャンクだ」

 冷ややかに告げる彼の目には、人をくう無邪気さはなく、無機質な鈍光を堪えた、さながら鮫だった。

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