いつもと変わらないラン・カスター
ラン・カスターの説明です。このあたりから登場人物がちらほら出てきます。
愛馬のステラを早足で走らせながらラン・カスターの街を抜ける。
青毛に額に星形の模様がある牝馬で、小さい頃から飼っている私の友達。
賢くて、でも少しだけお転婆。
それに好物はなんとオーガスタおばさんのパン。馬の癖に、いい趣味してるわ。
今もこうしてオーガスタおばさんのパン屋の前を通ろうとすると、わざと歩みを遅くする。
まあ仕方ないか。
パン屋はすでに仕込みを終えて、香ばしいにおいを漂わせてくれてるし。
朝食を食べたばかりの私だって、思わず店に入りたくなるもの。
私はパン屋を通りすぎるまでゆるりと辺りを見渡す。
果物屋さんは、色鮮やかな果実を陳列している最中。
お野菜屋さんも一緒。
バールは、稼ぎのメインは夜だけど昼間はみんなの憩いの場としてコーヒーとお茶を出してくれる。
流石に早朝は、まだ開いていないけど。
「おはようレミィお嬢ちゃん!」
ふとパン屋の厨房の窓からパン屋のおかみさんが顔を出して挨拶をくれる。
「オーガスタおばさんおはよう!あとでパンを買いに行くから、私の分を取っておいて下さいな!」
私の言葉の後にステラもヒヒンと鳴く。
「あいよ!待ってるからね!ステラにもなんか用意しとくよ!」
私は笑顔ひとつと手を振って進路に顔を戻す。
学校は町の東側にある。
ちなみに私の家は西側、農耕地は南側で、北は山岳牧草地帯、あとは石切場。
マル爺が住む領主邸は町の北東にある。
カスター川は町の北から西に向かって流れていて、石切り場は川の向こうで、領主邸はこっち側だ。
商店街を抜けて工房街に入る。既にあちこちの工房から声や、澄んだ音が聞こえてくる。
算出する良質な土と石のおかげでこの街は発展してきた。
土からは磁器が、石からは建材が作られて、二日おきに川船で都会へと出荷される。
その貿易のルートを作ったのが、実はお父さんだったりする。
二十年前に、お供二人だけを連れてやって来た。
当時は丁度、大きな戦争が終わった直後で都会では再建が取り組まれ始めたのだという。
再建には資材が必要。
大きな都市ではいくらあっても足りない。
カスター川の下流に位置する大都市オルフェニームも例外じゃない。
王族直轄地である大公都市と呼ばれているだけに、人も建物も多い。
そこに目をつけたのがお父さんの実家、つまりラーネッド家。
貯蓄分は捨て値同然に提供。それだけでも凄いのだけど、足りないモノを探しに行こうと当主のエウリゴールは五人の子供達をそれぞれ各地にやって食物から石材から人材まで探しに行かせた。
あ、エウリゴールは私のもう一人のお祖父ちゃんね。
で、お父さんは石材探しにこのラン・カスターを訪れた。
当時のラン・カスターは、戦火こそ免れたけど、徴兵のせいで若い男が居ないなんとも陰気臭い街になっていたらしい。
古くから職人の街、として静かながら栄えていただけに伝統を受け継ぐ人を大切にしていた。
しかし若い後継者候補は皆兵士に取られてしまい、今はありとも未来を憂いていた。
そんな時に来たのがお父さん。
特産品である石材を建材用に大量発注を行う傍ら、兵士として徴兵されたラン・カスターの若者たちを呼び戻すようにしたのだとか。
よそ者に厳しいのが田舎町とはいうけれど、それでも未来のためとお父さんを受け入れて、お父さんの言うとおり石材を出荷した。
この街は良質の花崗岩と石灰岩が豊富に出るものだから戦乱から三年の間でおおよそ十年分の収入を得たのだとか。
それもラーネッド商会のツテのおかげらしい。買い手に安値で買い叩かれることもなく、適正価格で売りさばく。
元から手元にあった備蓄分は捨て値にできても、新しく仕入れ多分は仕入先の損にならないように慎重に値段交渉をしたのだとか。
需要過多の状態で、暴利を貪ろうとする商売人も居るのだけれど、お父さんはそうはしなかった。
そうすると、長く続くお客さんは出来ないのだと常々言っていたし。
その後はお父さんの言っていて通り、質の良い石材が、適した値段で手に入る。それだけで次から次へと買い手は増える。
金の入る街には人も入ってくる。
ラン・カスターも例外ではないけれども、不便なその立地からさほど大きな人口増加はなかった。
険しい山々に囲まれた街。
オルフェニームからラン・カスターへは山道を馬車で四日。
もしくは蒸気船でカスター川を遡って二日。
二十年前は今ほど蒸気船が普及していなかったから、月に二回の定期船しかなかったらしい。
それが国内有数とまでいわれる豊富な石材資源を有するラン・カスターが発展できなかった最大要因である。
ではなぜ、ただの商人が二十年前にそれをなし得たか?
それは、ラン・カスターの人種模様も大きく起因している。
ラン・カスターの領主は私とおなじ、柔らかな肌と五本指の手足を持つヒュム人種だけど、他にも毛の生えた肌と鋭い爪を持つビース人種、透き通った鱗と水掻きを持つマーモ人種、そして鋼鉄の鱗と爪を持つドラコ人種が、共存して暮らしている。
二種族が暮らしている街というのは珍しくもないのだけど、四大種族が、それも豊富な水場の近隣にしか住まないマーモ人種までも揃っているのは、この街の規模からすれば珍しいのだという。
お父さんはそのマーモ人種の能力を上手く利用したのだ。水に親しみ、泳ぎはどの人種よりも秀でている。
カスター川を下りオルフェニームへと進む船の船頭をマーモ人種に、力のいる漕手をビース人種とドラコ人種に、そしてオルフェニームでの商売をヒュム人種のお父さんが…。
街の、それぞれの人種を交易の最初の段階から組み入れて、実際にラン・カスターのものが取引される様を見てもらったのだと言う。
実際にいくらで売れたのか、どんな人たちに売られるのか、そして、自分達の街のものが、どれだけ必要とされているか…。
こうしてお父さんはラン・カスターの全ての人種から信頼を得て商売を始めたのだ。
質の良いものが、表に出ないまま活用されないのは勿体無い。
そんな言葉が、当時の父の口癖だったのだと、アルノフお祖父ちゃんは教えてくれた。
商売は軌道に乗り、町は豊かになっていった。
人も、全てではないが徐々に戻り、戦争によって静まり返った町は穏やかな活気溢れる街に戻ったのだと言う。
輸出業は町の一大産業となり、ラン・カスターの名前を世に知らしめる結果になった。
元の職人工芸業も快復し、オルフェニームとの河川交通も随分と良くなった。
蒸気船が頻繁に(それでも二日に一隻だけど)行き交うようになってからは、職を求める人や観光客もちらほら見える。
「ようレミィ。今日も元気そうだな。」
「あらアルマ、ごきげんよう。テッセアちゃんもおはよう。」
工房街を抜ける頃に町の北側に通じる道から、二つの馬の姿。
私と同じく馬を駆って登場したのは幼馴染みの二人。
同い年の男の子アルマに、二つ下の妹のテッセアちゃんだ。
二人とも褐色の髪の毛にブラウンの瞳。そしてお揃いの乗馬服。
黒毛の馬は雄馬のオールドクロス。私のステラと同じくらいの年齢の馬。
体格が非常に良くて、気性はやや激しいけどステラと同じく賢い馬。
テッセアちゃんはそのオールドクロスの妹のビービアンに乗っている。
こっちも黒毛馬で、体格はステラよりも少し小さいくらい。
「おはようございます、レミィさん。ステラもおはよう。」
ステラはテッセアの挨拶に嘶きで応える。
「やっぱりみんな馬で来るのね。私もステラを用意してきてよかったわ。」
「そりゃあそうだろ。お前もそうだけど、家が遠いやつらはみんな、楽したいもんな。まあ山羊使うやつがいたのはびっくりしたけどな。」
「ああ、二つ下の…えっと、確かショーンね。牧童の子の。」
「そうそう。冬の間は放牧しないからって、雄山羊を引っ張り出してきてさ。俺さ、山羊もかっこいいなーって思っちゃったよ。」
馬の足音が堅い音から柔らかい音に変わる。
石畳の市街地を抜けて土道に入ったのだ。ここまでくれば、学校はもう目と鼻の先。
「そうね、でもアルマだったら振り落とされるかも知れないわね。山羊って、結構気性荒いのよ。」
「乗らないよ、俺が乗ったら潰れちまう!…はは~ん?さては、お前乗ろうとしたことあるんだろ。」
アルマがにやにやと私を見る。図星だ。
その二つ下の子に頼んで乗ろうと試みたのだけど、知らない人には警戒心が強い山羊の前には、それは無駄な努力に終わった。
私がその時得たものと言えば、おしりに大きなアザと、お父さんのきつーいお叱りだけだった。
「私のことはほっといて。そうだテッセアちゃん、今日の午後予定ある?私、授業が終わったらオーガスタさんのパンを買って船着き場に行くのだけど、一緒にどう?魚も釣る予定よ。」
「ありがとうレミィさん。パン屋さんへはご一緒するわ。でもごめんなさい。実は午後からはお兄様と用があるの。領主様のお手伝いがあるんです。」
「マル爺様のお手伝いじゃ仕方ないわ。そうだ、明日そっちにお邪魔するの、聞いてる?」
「聞いてるぜ。アルノフじいさんもだろ。ちゃんと持て成すから心配するなって。」
「期待しているわ。アルマ。」
アルマとテッセアは領主様付き執事の子供達。
子供好きのマル爺夫妻からはまるで孫のように可愛がられて育てられてきた。
そのため、テッセアちゃんは一通りの礼儀作法は勿論、乗馬やダンス、お料理に裁縫まで何でもできる。
私よりもよっぽどお嬢様らしい女の子。
まあ、兄のアルマは全然違うけどね。
不細工ではないけど、お調子者ですぐに図に乗る。
マル爺のお使いでオルフェニームに行った翌日なんて、『都会はどーだ』『こーだ』『やっぱり都会はすごい』という自慢話ばっかり。
いつか都会に行って、有名貴族の筆頭執事になるんだ、とか言っているけどまあ夢は誰でも見るもの。
アルマの夢は否定しない。だって、私の『夢』も同じくらい壮大なんだもの。
誰にも言わないけど!
「なんだよレミィ、俺の顔に何かついているか?」
「いいえ。今日もあなた、楽しそうだなって思っただけよ。」
「?なんだ、変なやつだな。」
校門が見えてきた。
私たちはそれぞれの手綱を操って、馬達を学校の厩舎まで向かった。