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帰還

座禅って気を鎮めるような修行の気がしますけど、あんまり気にしないでください。



 痛い、苦しい、つらい

 もはや、犬神の思考にはこの三つが永遠と繰り返されているだけだった。

 逃げ切れると楽観した瞬間、左前足の付け根に激しい痛みが走った。撃たれたのだと理解したのは、ビルの屋上から落下して一瞬意識を失いすぐ目覚めた時だった。

 ビルから落ちて、無人の車の上に落下した。幸い自らの身体はかなり強固なものだったらしく、落下の痛みはさほどでは無かった。しかし、銃弾の痛みは強烈だった。

 痛みで意識を手放そうとするのを、楽をするなとばかりに脳を焼ききるかのような痛みで覚醒させる。痛みに耐えて歩こうとすると、俺のことを忘れるなとばかりに激しい痛みを叩きこむ。

 今の犬神は思考の大半を痛みに奪われ、殆ど夢遊病のように漂っていた。だけれども、その方向はある一箇所を目指している。

 今や追われてすらいないため、レイルの命令も意味がなくなっている。そんな状態の彼が目指していたのは、自分の家。昨日まで確かにあった日常へ彼はゆっくりと歩いて行く。人狼の力で血は止まって傷もふさがり始めている。けれども、痛みは消えない。

 うっすらぼんやりとした頭で化け犬の状態のまま、家を目指す。道路には人はいなかったが、もうすぐ夜明けだ道路には人があふれる。本来ならすぐさま姿を隠さないといけないのだろうけれど、そんなことは微塵も考えないし考えられる状態でもない。

 そうやって歩いて行くと、だんだん空が白んでいく。それと同時に徐々に犬神もサイズが小さくなっていき、大きく生えた牙は小さくなっていき爪も人の物と大差なくなっていく。

「眠い」

 小さくボソリと呟く。半分夢の中にいるような気分である。しかし、意識を夢の中に預けそうになると痛みが強引に引き戻す。そんなことを延々と繰り返しながら気づけば見慣れた景色が周りにあった。

 小さな頃遊んだ公園、いつも一緒に遊んだ幼馴染の家、そして何より日常を過ごす我が家があった。

 我が家が犬神の目に入った瞬間、彼は残った力を振り絞り駈け出していく。そしてそのまま二階にある自分の部屋まで飛び込んだ。

 それとほぼ同時に人型に完全に戻り、自身の部屋の床へ倒れこむ。そのまま、限界を超えていた犬神は安心しきった表情で今度こそ意識を手放した。





 鳥もさえずりに飽き、家の前の道路に人が溢れ始めた頃犬神の部屋に小さなノックが響く。

 だが、その程度の音で激闘の夜を終えた犬神が目覚めるわけが無かった。

「お兄ちゃんいつまで寝てんの?」

 ドアの向こうで犬神の愛すべき妹が声をかけてくる。

 でも、犬神は起きない。

「もう急がないと遅刻するよ?」

 だが、起きない。

「ドア開けるよ?」

 しかし、返事は無い。

 妹も流石に時間的にヤバいので、ドアを開いて愚兄を起こしに部屋へ踏み込んだ。そして、すぐさま血相を変え部屋から出ていった。

 ちょうどそのタイミングだった。犬神の妹が勢い良く階段をドタバタと降りる音で、ようやく犬神がまどろみから抜け出す。

 夢うつつの状態でとりあえず床から体を起こす。するとまた、ドタバタと妹が階段を登る音がする。

 おいおいそんなに急ぐと転ぶよマイシスターと寝ぼけながら思う。そして、開かれたドアの向こうに妹が現れる。

「おはようマイシスター。朝から騒がしいね」

 寝ぼけたまま目の前の愛しき妹に話しかける。だが、妹の表情は非常に強張っており、犬神をゴミを見るような、下衆をみるような目で見てくる。

 うーん、一部の人間にはお願いされそうでもあるその完璧とも言える人を見下す目線を妹からされる覚えは無い。

 おかしいなと思っているともう一つおかしな事に気づく。妹の手に少年時代に犬神が使っていた金属バットが握られていた。

「おーい、どうしたんだ? そんなもの家の中で持ち歩くものじゃないだろ?」

「うるさい黙れ!」

 普段の妹とは似ても似つかぬ覇気と怒気が混ざった声色が響く。その声色で犬神はビビる。これは妹が完全に切れているときである。

「お、おい。どうしたんだよ。そんなに怒って」

 声を震わせながら犬神が問う。その問いに妹は答えず、

「うるさい、変態クソ兄貴。いっぺん地獄みてこぉぉぉぉいぃぃぃぃぃ!」

 叫びながら手にした金属バットで容赦無く犬神の頭をホームランした。

 わけも分からず、再び床に倒れる犬神その時やっと気づく。


 あっ、俺裸のまんまだった。





「本当にスイマセンでした!!」

 犬神はガンガンする頭に一切遠慮することなく床に叩きつけるように土下座した。こすりつけた頭の横に妹がバットを突きつける。

「お兄ちゃんさ、本当はわざとやってんだよね? だってさ、流石に昨日妹の目の前で服脱ごうとしてさ、あんなに怒られたんだからさ、普通はわかるよね?」

 妹はかつて無いほど切れていた。犬神自身は昨日巨大な白狼の姿からいつの間にか人型に戻っており当然白狼の時は全身が毛に覆われているから真っ裸なわけで、元に戻れば服を着てないただの変態なわけで。

「それにさ、お兄ちゃん。私だったから頭を野球ボールに見立ててホームラン打っただけですんだけどね、最近じゃ国民的アイドルも公園で真っ裸になって警察のお世話になってんだよ? お兄ちゃんみたいな変態だったらそのまま禁固刑だよ」

 うーん。世間一般では頭を金属バットで殴られて、地獄に短期旅行して閻魔様のお世話になるぐらいなら、警察のお世話になったほうがいいのではないだろうかと犬神は思ったが、そんなことは絶対に言えなかった。

「ありがとうございます。それもこれも、我が素晴らしき妹君のおかげでございます」

「そうだね。じゃあたっぷりと反省したら、勝手に学校行きなよ。私もう行くから」

「そんなに冷たくしないでマイシスター」

「うっさい、じゃあね!」

 泣きついてくる情けない兄にオマケの蹴りを入れて妹はそのまま部屋を出ていった。すぐさま玄関が開く音がしたため、そのまま学校へ行ったらしい。

「はぁー、とりあえずは俺は人には戻れたし、無事に帰ってこれたんだな」

 自らの手を見つめ自分自身に確かめるように喋る。

 犬神自身の記憶としては、八神に向かって咆哮し撃たれた部分で曖昧になっているのだが、無事に自分の家に帰ってこれていることから逃げ切れたと考えてよいだろう。

「まあとりあえずシャワーでも浴びてゆっくりと学校へでも行くかな」

 ゆっくりと体をいたわるように立ち上がり、階段を降りる。

 階段を降り切って浴室へ向かおうとすると、

 ピーンポーン 

 と、玄関のチャイムが突然鳴った。

 とりあえず浴室へ向かっていた足をそのまま玄関へ向けドアを開ける。するとそこにいたのは、幼馴染の神宮綾芽だった。

「お、おはよう、白夜くん。ねえ、一緒に学校へ……キャァァあぁァァーー」

 突然幼馴染が悲鳴を上げる。その悲鳴に犬神がすぐさま辺りを見渡す。もしかしたら、ハンターが追ってきたのかも知れない。一瞬で犬神が全身に緊張の糸を張り巡らせる。だが、すぐさまその糸は切れることとなった。

「変態!!」

 幼馴染は大きく足を引いて豪快に犬神の股間を蹴り飛ばしそのまま去っていった。

「はぅわ……」

 猛烈な痛みで軽く意識が遠のいていくのを感じながら犬神はまたもや気づく。



 あっ、俺裸のまんまだった。……あとゴメンナサイ閻魔様、またお世話になります。




「だ、大丈夫?」

 もう何時間も経っているのに股間の痛みにさいなまれる犬神は常に瞳に涙を浮かべながら机にうずくまっていた。

「もう、何も言わないでくれ。全部俺が悪かったし、大丈夫だから」

 あのあと、犬神は一人で学園に登校した。幼馴染と顔をあわせるのは恥ずかしかったが、向こうから話しかけてきた。

「そ、そうなんだ。そう言えばさ知ってる?」

「何を?」

 強引な話題変えにそのまま犬神は付き合う。

「この街に巨大な化け犬と空飛ぶライダーが出現したって話」

「ぶっ!」

「もう、汚いな」

 犬神が吹き出す。なぜなら知ってるも何も、当事者なのだから。

「し、知らないな?」

「えー、知らないの? 今日学校中その話題で持ちきりだよ。それに、その話を裏付けるように街のあるビルの窓ガラスが割れてたり、道路に大量の血が落ちてたり、路上駐車してた車が巨大な物体に押しつぶされてるような跡があったり」

「そ、そいつはすげえな」

 犬神は自身が派手に暴れすぎたことにようやく気づく。これだけ暴れたらハンターがこの街に増えちゃうかもしれない、頭を悩ませる出来事がまた一つ増えたことにうんざりしながら机に突っ伏す。

「まあ、俺にはどうでもいいや。とりあえず眠いから寝るわ」

「えー? 今日だって学校普通に遅刻してきたのに寝ちゃうの?」

「今日だけは勘弁してくれ、朝一番に妹に地獄への小旅行をプレゼントされて、そのあとお前にお前の居場所は地獄だと言わんばかりにもう一回地獄へ送り返されたんだ。ちょっとくらい、だらけさせてくれよ」

 もっと言えば、昨夜からずっとハンターと絡まれて地獄の縁を歩いて来たんだ。その上、元の人間に戻る道も前途多難だし、レイル=カーミラがどうなったのかも気になるしもうどうしようもない。八方塞がりだ。だから、とりあえず寝よう。

 犬神にとって自身の体を休めるのと同時に逃避へと走りたかった。

「もう、先生に怒られたって知らないんだからね」

 そう言うと、綾芽は自分の席へ帰っていった。

 先生に怒られるぐらいなんともないさ、今日二回も閻魔様に怒られたんだから……。




「白夜くん一緒に帰ろ」

 授業は普通に終わり、教室は昨日の噂で持ちきりだった。自分の話が出てくるたびにビクビクしてしまい犬神は心やすまらない学校から早く出ていきたかった。

「いいよ、一緒に帰るか」

 すぐさま荷物をまとめ、下校する。相変わらず綾芽と一緒にいるとクラスの連中や学園の男どもが冷やかしの目や殺気の篭った目で見てくるのだが、まあいちいち気にしても仕方は無かった。きっと、つい先日まではそれも悩みのタネだったのだろうが、もうそんなことには構っていられなかった。

「ねえ、何かあったの? 今日の白夜くん何かヘンだよ」

「別に何でもないさ。ちょっとした心配事があってさ、しばらくすれば何とかなるだろうし、何とかするさ」

「ふーん。心配事なら何でも相談してもらってもいいんだよ」

「大丈夫だよ。なんていうか、男の悩み的なものだから」

「何それ?」

「今日の綾芽のアレで、不能になったらどうしようかな? みたいな話だよ」

「馬鹿!」

 チャラけて話をしながら、道を歩く。こうやっていると、昨日の事が嘘みたいである。

 というより、あんな世界が自分たちの生活の裏側に普通にあると思わなかった。日常に浸かりながら犬神はゆっくりと考える。

「さて、これからどうしようかな」

「家に帰ったらってこと?」

「そうそう、例の噂の場所でも見に行こうかなって」

「どうかな、何か野次馬がいっぱいいそうだからやめておいた方がいいと思うけどな」

 だが、そうは言っても何かしら自分で動かなければ事態は動かない気がする。とりあえずは。犬神としてはレイルに会いたかった。彼女に会っていろいろと話を聞きたかったし自分の能力についても話がしたかった。

 だから、突然後ろからかけられた声にビックリした。

「そうそう、やめておきなさい。ああいう場所には教団の連中が張ってるから」

 慌てて後ろを振り向くと小柄な金髪の少女、レイル=カーミラがそこにいた。

「御主人様、無事だったのか!」

「御主人様!?」

 ハッと思い隣を見る、そこには当然一緒に下校していた綾芽がいたわけで、当然犬神の言動を訝しんでいた。

「いやいや、気にしないでくれ綾芽、この子はこの前偶然出会って遊んでたんだが自分の事を御主人様と呼べと言われていてさ、その遊びのせいでついつい呼んじゃっただけだからさ」

「そうなの? 私はてっきりエロゲとかでよくある、ちっさなロリっ子に罵られて興奮しちゃう、ロリコンでドエムな変態に白夜くんがなっちゃったのかなって思っちゃった」

「ちげーよ! ってそんなことより綾芽、お前ってエロゲすんの!!」

 ………………

 その瞬間、風が凪いだ。お互いに固まった時間がこの話題にはお互い触れてはいけないと理解させる。

「ま、まあ、そんなことはともかくとして、とりあえずこの子を送っていくわ。だから今日はもうバイバイ」

 逃げるようにして、目の前の金髪の少女を抱いて幼馴染から距離を取った。

「ちょ、ちょっと待ってよ白夜くん。……もう、いっつも私をのけ者にして」

 幼馴染の勘で何かの事件に犬神が絡まれていることを薄々気づいていながら、自分になんにも頼ってくれないことを歯がゆく思いつつ綾芽はそのまま自宅へと帰って行った。






「もっと、気の利いた登場の仕方はないのかよ! 例えば昨日俺がピンチになってる時に颯爽と現れたりさ」

 とりあえず犬神はレイルを連れて近くの喫茶店に飛び込んだ。コーヒーと紅茶を頼むと目の前の御主人様に愚痴をこぼす。

「無茶を言うわね、私だってハンターを二人も相手してたのよ。正直私の方がピンチだったわ。それと今日の登場だけど本当は私だってシロが一人になるのを待ってたのよでもアナタ放っておいたら昨日の現場に隣にいた女の子と行きかねないと思って私がわざわざ止めに入ったのよ。感謝こそされる覚えはあってもいきなり怒鳴られる覚えはないわ」

 目の前の傲岸不遜な御主人様は犬神に対し全く悪びれずに言う。

 いろいろと、犬神も反論したかったがとりあえず一旦深呼吸してレイルに向かって本題に入った。

「あのあと、どうなったんだ? 良く無事だったな、ハンターに見つかったらヤバいんだろ」

「まあね、特に昨日のハンター達は世界でも指折りの実力者だったけど、私の能力の対策がされてなかったから、アナタが逃げれるくらいの時間を適当に稼いで能力使って逃げたわ。そしたら、気配をたどるにどうやら結界の外にもハンターがいたみたいで、ヤバいなシロ死んでないかな、と心配していたわけ」

「そんでもって、今日俺に出会ったわけだ」

「そういう事ね。でも、良く平気だったわね」

 関心するかのようにレイルが言う。

「現場も軽く見て回ったけど、どうやら、シロを追ってたハンター銀の弾丸でシロを撃って来たでしょ」

 そう言ってレイルがテーブルの上に銃弾を置く。その銃弾は白く光っていた。

「シルバーバレット。化物を殺すのにこれほど優れたものはないわ。危なかったわねシロ、これで撃たれてたら無事では済まなかったわよ」

「いや、何か言いにくいんだけど。普通にそれに被弾して無事なんだけど……」

「本当! 傷は? もうふさがってるの?」

 驚いた表情でレイルが顔を寄せてくる。間近に迫った顔に多少ドギマギしながらも椅子を引いて距離を取って答える。

「ああ、どうやら傷は完全にふさがってるっぽい。撃たれたすぐの記憶が曖昧なんだけど、強烈な痛みがずっと続いてたけど朝になれば大丈夫だったよ」

「……うーん。一応効果がないってわけじゃなさそうだけど。本当にアナタ人狼なの?」

「えっ!? 知らないよそんなの? そっちがそう言ったんだろ」

「もし、人狼なら銀の弾丸との相性は本来最悪よ。かすり傷でもなかなか治らず、内蔵にでも当たろうものなら、そこから体が腐っていくわ。それが、あっさりと一晩で治るだなんて。ああ、もしこれが銀の弾丸でないのならば納得よ。人狼の生命力は吸血鬼と張り合えるレベルだから。でも、銀の弾丸に耐性を持っている人狼なんて聞いたことないわ」

 難しい顔をして目の前の少女は悩んでいる。そこに犬神が口を挟む。

「じゃあ、人狼じゃないんじゃないか? ちょっとだけ調べたけど、人狼って人狼に噛まれて伝染するんだろ。でも俺は狂人に銃弾を撃ちこまれてこの世界に入ったんだぜ。元々が異端なのだから、銀の弾丸の効き目が悪いのもまあいいんじゃないか」

「そうなのかもね。でもそうなると、ますます気になるわねその狂人が、これは私も応援を呼んだほうがいいのかしら?」

「応援って?」

「決まっているでしょ。吸血鬼よ」

「ぶっ―」

「汚いわね」

 机に思いっきりコーヒーを吹いてしまった。だが、そんなことより、

「やめてくれよ。俺の街で戦争が起こるんじゃないのか?」

「そうね。吸血鬼が極東の日本なんて地に集まったりなんかしたら、教団側も何かあるのかと勘違いしてハンターをいっぱい送り込んで、ハンターとの小競り合いが戦争になっちゃうかもね」

 冷静に分析しながら、レイルが告げる。犬神は額を手で押さえながらやれやれという感じで、

「やめてくれ」

 ただそう頼むしか無かった。



「まあ、そんなことより。今日はもっと大事なことを伝えに来たんだけどね」

 そう言ってレイルは机の上に一つ首輪のようなものを置く。

「何これ?」

「まあこれは単なるプレゼント。シロ、アナタって白狼に変身したら服は破けて変身が解けたら丸裸でしょ!」

 ニッコリと笑いながらレイルが言う。

「……ああ、それで今日はえらい目にあった」

 二つ目は若干自分が悪い気もするが……。

「そこでこれをつけるとあら不思議、人から狼になるときの服を首輪に格納し、狼から人に戻る時自動で自分に着さしてくれるという優れものよ」

「でっ、何で首輪なんだよ!」

「?? だってシロって私のペットでしょ」

 何馬鹿なこと言ってるのといわんばかりに返答する。

「あーあ、何か御主人様ってムカつくな」

 若干キレ気味に言うがレイルは何にも気にせず言う。

「まあ、付けておきなさい。突然変身したり、突然変身が解けたとき裸だと格好わるいわよ」

「ああ、そうだね!」

 畜生と毒づきながらテーブルの首輪を手に取った。首輪にはびっしりと呪文のようなものが書かれていた。恐らくこの呪文で、さっき説明された効果を引き出すのだろう。

「それよりも、今日から毎晩特訓を開始するわよ」

「特訓?」

「もう忘れたの? アナタの能力を引き出すための特訓よ。どうやら、ハンター達も活発に動くつもりみたいだから、私達もさっさと行動していくわよ。場所はこの街の廃病院。時間は十二時が過ぎたくらいね。じゃあ、そろそろ私はこの街の観光を再開するわ。遅れないようにね」

 そう言って、レイルは足早に帰っていった。

 残された犬神は静かに残ったコーヒーに口を付けて飲み干す。どうやら、日常を取り戻すための戦いは始まったばかりのようである。 






 夜中にこそこそと動く影があった、犬神である。レイルとの約束を果たすため、機嫌の戻った妹と楽しい晩餐を過ごしたあと風呂に入って夜こっそりと今度は玄関から抜けだした。

 昨日のように月をみたら白狼に変化できるのかなとも思ったが、どうやら変身できるのは満月の夜のみらしい。今日の犬神は至って普通の人間そのものだった。

 歩くこと二十分で例の廃病院までたどり着いた。この病院は夏は肝試しに使われて若者がよく来るけれども、シーズンがすぎれば誰も近寄りもしない場所だった。

「うーん、俺ってあんまり幽霊とか好きじゃないんだけどな」

 軽くぼやきながら廃病院へ入っていく。出入り口のガラスは木っ端微塵に粉砕されており、中へは簡単に入れた。

「おーい、御主人様来たぞ」

「了解よ」

 叫ぶとすぐさま返答が帰ってきた。声の方向を見るとレイルが病院の受付のカウンターに座っていた。

 犬神もそのへんの椅子に座る。

「ふむふむ、やっぱり人狼とおんなじように満月の時にしか変化はしないのね」

「どうやらそうらしい。一応変身出来るかどうか気合入れてみたけど意味無かったよ」

 とりあえずの状況確認を済ますと犬神はおもむろに尋ねる。

「そんで、俺は何すればいいの」

「何て言うか、簡単なんだけど難しいことをしてもらうわ。生まれつきの人外なら一も二もなく簡単にやっちゃうことなんだけどね」

「いいから、早く言ってくれよ」

「気を高めながら語りかけてくる声を聞きなさい。語りかけてくるってのはもちろん私の声のことじゃないわ、恐らく自分に従う何かの声か、自分自身に宿ってる力があなた自身に語りかけてくるはずよ。その声が聞けたら次のステップへ進みましょう」

 わけがわからない。犬神は即座にそう思った。

「わけがわからないって顔してるわね。まあいいわ、とりあえずやってみなさい」

 命じられるまま立ち上がる。そしてそのまま、ドラゴンボールみたいな格好で気を高めようとする。

「うおぉぉぉぉぉーー!!」

「やかましい!」

 怒られた。

「声を聞けって言ってんだから、静かにやりなさい。っていうか、それより日本で気を高めたり集中するときって座禅じゃないの? そのポーズは一体何?」

「えっ、知らないのドラゴンボール!? たしかヨーロッパでも人気だったはずだけど……」

「……うーん、何か聞いたことある。吸血鬼達がたまに集まってドラゴンボールごっことか、かめはめ波選手権とかしてたような気がする……」

 吸血鬼が行うドラゴンボールごっことは殴りあいながら空を飛び最終的に岩か地面に相手を叩きつける遊びである。かめはめ波選手権はつくりあげた気の塊でどの程度のクレータが出来るかどうかを競う遊びである。どちらも吸血鬼の界隈では流行っていた。

「まあ、とにかく座禅のほうがいいと思うからそっちでやりなさい」

「っていうかさ、思ったんだけど御主人様の絶対命令を使えば俺って簡単に使えるようになるんじゃないの?」

「まあ、使えるようにはなると思うわ。でも、恐らくそのあと反動が来るでしょうね」

「……どういうこと?」

「私の能力は、かなりの負担を相手にかけるのよ。まあ簡単に言えばドーピングね。シロ、アナタにかけた命令はかなり力を抑えた方だからあんまり気にしなくても大丈夫だけど、能力に目覚めさせるなんてのはかなり相手に負担がかかっちゃうからあんまりオススメできない。あと、相手が嫌がっている命令も強引にかけると相手が壊れちゃう可能性がある。まあ、裏技としてその負担を私が受けるってのも出来るんだけどね」

「へー。案外面倒臭いんだね」

 強力な力には違いないが。

「あのさ、俺にかけた命令ってあんまり気にしなくて良いって言ってたけどどれぐらい気にした方がいいの?」

「あの程度なら、せいぜい運が悪くなった程度よ。たとえば、朝いきなり肉親に金属バットで頭を殴られたり、親しい人に思いっきり股間を蹴られたり」

「御主人様のせいか!!」

 犬神は叫ばずにはいられなかった。どちらも自分が人狼になってなければ死んでるレベルである。

「まあ、その様子だともう体験済みみたいだし、過去のことは忘れなさい。それよりも修行の続きよ」




 そうやって始まった修行、だが、初日は何の成果もでずに終了したのだった。


次回は再びハンターサイドのお話になると思います。

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