日常とのズレ
「ぎゃああああ」
犬神は絶叫しベッドから起き上がった。
悪夢からの目覚めは得てして救いではある。ただ、彼の場合は新しい災厄を同時に引き寄せた。
「お兄ちゃんキモイ」
悪夢から目覚め、恐怖から戻ってきた、犬神白夜を迎えたのは、妹の罵倒とやたら威力のあるグーパンチだった。
「いたたた」
鼻の頭をジャストミートされ苦しく呻いた犬神は、周りを見渡した。そして自分が部屋のベッドで寝ていたこと、妹が朝起こしに来たことを確認した。そしてそれと同時に昨日の夜の事を思い出す。自らの幼馴染を家まで送り届け、その帰りにおかしな警官に出会ってそれで……。
犬神は自分が拳銃で撃たれた事を思い出し、背中を手で探る。何の傷も痛みも感じなかった。だが昨日の出来事が夢とは犬神には思えなかった。あの、死を覚悟させるような恐怖が今もハッキリと思い出せた。とりあえず、気のすむまで確認を取ろうとした犬神は妹に背中を向けて服を脱いだ。
「マイシスター。俺の背中に傷みたいなものない?」
妹から何の反応も帰ってはこなかった。犬神は妹の方に振り返ると妹は顔を真っ赤にして、こぶしを握りしめ、おおよそ妹が兄に向けるような眼ではなく、汚らしい害虫を見るような眼でこちらをみて、
「死ね!変態ぃぃぃぃぃぃ」
と振り向いた兄の顔面がくぼむほど素晴らしい右ストレートを叩きこんだ。そして犬神はベッドへと再び眠りについた。二度寝は蜜の味というけれど、本日の二度寝は血の味がする二度寝だった。
「何寝てるのよ」
「ぐはっ」
眠りにつこうとした犬神は、すぐさま妹に腹をニーキックされた。おはようからお休みまで面倒を見てくれる妹に、なんとも言えないかわいさを感じながら目覚めた。先ほどの悪夢からの目覚めと違って、今度は気持ちのよい目覚めではあった。多少体が痛いけれど……
「お兄ちゃん、朝だよ。ご飯できてるから、早く食べよう」
妹に催促され、体を起こすそして落ち着いて全身を見て見ると服装は昨日のまま、それに家に帰った記憶はない。あるのは、警官に体を撃たれた記憶だけ、だけどそれはどうやら夢のようである。ならどうやってここで寝ていたのか?
「マイシスター。俺って昨日ちゃんと帰ってきた?」
「いや、家の前で倒れてたよ、チャイムならして玄関でぶっ倒れてたよ。もう、いくらお酒飲んでるからってあそこまでたどり着いたなら部屋まで頑張ってよ、私ここまで運ぶの大変だったんだから」
妹の健気な行動に感動しながら、もう一度記憶をたどる、家の前までたどり着いた記憶はない。ちなみに犬神は、今まで何回も酒を飲んだが酒を飲んで記憶が飛んだ事はない。
「ありがとう、マイシスターお前はいつだってやさしいな」
「キモイよお兄ちゃん」
そして今度は妹の蹴りをこめかみにもらった。ぐらりと犬神の視界がぐらつく。
「あれ、俺感動して泣いてるのかな、お前の姿が、歪んで見えてきたぜ」
馬鹿なセリフを言いながら、犬神は自分の部屋から出て行った。そしてリビングに向かう途中に自分の服をもう一度見るどこにも穴など無く増してや血の痕すらない。どうやら完全に夢の中にいたらしい。ようやく昨日の出来事に納得のいく決着をし、妹の作った朝食にかぶりついた。
「うまいよ、マイシスター。最高だ」
犬神は自らの妹が作った朝食を褒めて褒めてほめちぎった。
「お兄ちゃん、毎朝同じこと言ってる、ボキャブラリー増やそうよ」
妹はうんざりした顔をして、兄を見つめる。兄は妹を喜ばそうと、新しい褒め言葉を考える。
「このベーコンエッグは味の宝石箱やー」
これを言ったとたん兄妹の中にさむーい北風が駆け抜けた。
「ゴメン。お兄ちゃんに何かを望むことが間違ってた」
朝一から犬神は妹を失望させたようである。犬神自身もかなり落ち込んでいた。怒涛の勢いで食べていた朝食が、さっきの一言から全然減らなくなった。そこまで妹をがっかりさせたことがショックだったらしい。
「あとそれとお兄ちゃん昨日みたいにあんまり遅く帰ってきたらだめだよ。お父さんもお母さんもいないからって遊んでばっかだとろくな大人にならないよ。それにお兄ちゃん今年受験でしょ勉強しなくちゃだめだよ」
犬神家の両親は一年前から外国へ仕事に行っている。ちょうど犬神が卒業するころには帰って来るらしいが、今のところ両親は外国から一度も帰って来ることもなく、兄妹で協力しながら暮らしている。もともと妹は両親と一緒に外国に行く予定だったのだが、妹が日本がいいと駄々をこねたため、一人暮らしの夢は破れて、二人で過ごしている。
最初は妹がいない方が何かと好き放題できると思ってはいたが、今では妹がいてとても感謝している。妹は家事を素晴らしい手際でこなしていき、親がいた時となんだ変わらない生活を兄に供給してくれていた。当然兄も手伝いはするが、いかんせん手伝うと妹にうざがられるため、力仕事以外はすべて妹に任せるようになった。
「わかってるよ。もう文化祭も終わったし、これからは勉強に専念するよ」
妹は頷くと、一足先にご飯を食べ終わり食器を流しにつけると自分の部屋に学校へ行く準備をしにいった。犬神も朝食を食べ終わるとさっとシャワーをあびて、着替えて家を出発した。家を出る頃にはどうやら妹はもう学校に向かっていたらしい。
「暑いな」
九月の終わりという時期ではあった。だが、十分にお日様は仕事をしており、残暑が厳しい日々が続いていた。風のない日だと汗が止まらないなんてこともざらだった。犬神は暑さにうんざりしながら学校までの道を歩いて行く。校舎の中まで入ってしまえば冷房が体を冷やしてくれる。それまでの我慢なのだが、暑いのが苦手な犬神にとっては十分すぎる拷問だった。
「おはよう」
後ろから聞きなれた声が聞こえてくる。犬神が後ろを見ると幼馴染の綾芽が涼しい顔をしながら歩いていた。綾芽が部活をしている時は朝練のため一緒に登校することはなかったが部活が終了してからは、たまに一緒に登校することがある。
「お前は暑くないの? 俺は太陽が憎くなるほどしんどいんだけど」
全身からだるそうなオーラをだしながら、隣を歩く美少女に話かける。まあ、周りから見ればどう見ても釣り合っていない。冴えない男と美女のコンビ、どうしてあの二人が一緒に歩いてるんだ? と疑惑の目で見られている。目立つのが嫌いな犬神はやや歩く速度を速めた。
「まあ私は暑いのは平気だから。寒いのは苦手だけど」
「俺と反対だな。冬は全然大丈夫だけど夏はつらいね」
綾芽は犬神と話をして笑いながら歩いて行く、一方犬神は一歩一歩進むたびに汗をかいていた。
「みんな元気に登校してくるかな、みんなかなり飲んでたから案外ヤバいかもね」
「大丈夫じゃね。なんだかんだで一番飲んでたのは綾芽だし。それにしてもあちぃぃ」
「そればっかりだね。もうちょっとで学校だからがんばって」
「がんばってる人間に『がんばって』は禁句だからな。頑張ってもどうにもならないんだよ」
犬神が汗を滝のように流しながら、歩いていくとようやく学校へと続く最後の坂道へとたどり着いた。ちなみにこの坂道はかなりきつい角度の坂で自転車通学の生徒もこの坂では自転車を押して上っている。
「今日こそこの坂を制覇してやる。いくぜ」
たまに自転車部でもない奴が最後まで漕いで行こうとしているが、犬神が見た結果は全て同じだった。
「今日も失敗だぁぁぁぁ!」
途中まで坂を漕いで行くのだがそこから全く進まなくなり逆走して坂の下にあるゴミ置き場に盛大に突っ込んで行く。ちなみに過去に一度だけもう少しでゴールだった所を見たこともあるのだが、目の前で風が吹いて女子生徒のパンチラをみて鼻血を出しながら落ちて行ったこともあった。その時の彼の一言は「もう少しでゴールだと思ったら視界が真っ白になった」だった。きっと彼がゴールする日は遠いであろう。
教室につくとすでに冷房が効いており、犬神は至福の表情を浮かべながら自分の席にもたれかかった。
「生き返るぜ」
犬神は自分の机の中にいつも入れっぱなしの勉強道具を取り出し、下敷きで自分を煽ぎながら辺りを見渡した。みんなどうやら休むことなく登校しているようだった。ただ顔を見ると全員疲れ切った顔色をしており、どうやら昨日の宴会の疲れが抜けていないようだった。
「やっぱりみんな疲れてるね」
隣の席の綾芽が犬神に向かって話かける。犬神は若干苦笑いを浮かべながら答える。
「昨日一番飲んでた奴がピンピンしてるのにみんな情けないな」
ただクラスの人間は酒を飲んだ後、カラオケに行っているから、その疲れもあるのかもしれなかった。そして昨日の事を考えて、大事なことを思い出す。
「なあ、綾芽。俺って昨日綾芽を家までちゃんと送ってるよな」
「何その変な質問?ちゃんと家まで送ってもらったと思うけど」
「俺その時大分酔ってた?」
「ううん。私と比べて、意識は大分しっかりしてたと思うけど」
「だよな。うん。やっぱりあれは夢じゃないのか?」
「ねえ。何の話してるの?」
綾芽は犬神を何やら心配そうな目で見つめながら、犬神に向かって詳細を聞こうとする。
「いや、別に大したことじゃないんだ」
けれども犬神は何でもないという風に、話を切ろうとした。だが、綾芽は引き下がらない。
「何の話なのか、ちゃんと答えてよ。気になるじゃん」
犬神はしまったと思った。綾芽が興味を持った事は真相まで辿りつかないとあきらめない。
「昨日あのあと何かあったの?」
「何もないと思う、だけど何かあったのかもしれない、だけど、普通に考えるとやっぱり何もないね」
「なに、そのすごく優柔不断なセリフ! ギャルゲの主人公の共通ルートの時のヒロインに対する反応みたい」
何となくすごく不名誉なのか、うらやましいのかわかりかねる例えられ方をされていた。いやそれより。
「っていうか、お前ギャルゲーすんの!?」
幼馴染の見てはいけない趣味を覗いた気分になり、犬神と綾芽の間に、かなり気まずい空気が流れた。数秒二人が空気と共に固まったあと、大きく綾芽が咳払いをして再び話始める。
「まあ、白夜クンの知っている事を全部教えてもらうから」
どうやら綾芽のギャルゲープレイヤー疑惑は追及してはいけないらしい。
「まあいいけど、きっと信じられないと思うな」
「いいから話しなさい」
どうやら早く話を進めていかないといけないらしい。そのため、犬神は昨日綾芽と別れたあと、変な警官に会って、妙な質問を受け、そして、警官の拳銃で撃たれて、目が覚めると自分の部屋で、妹の話では家の玄関の前で倒れていたという、普通に考えれば酔って変な夢を見ていた。だけで片がつく事を綾芽に話した。案の定彼女も「悪い夢でも見たんじゃない」といって、話を全て聞くと興味を無くしてしまった。犬神自身も疑問は解消こそしなかったが、無理やり納得することにした。
そうしているうちに授業が始まった。犬神の通う学校は進学校当然授業はそれなりにレベルは高く、キチンと受けなければやっていけない。まあ、犬神は成績はいつもギリギリでテスト前に綾芽にテストに出そうな部分を教えてもらいながらやってきているため、彼自身は、もはや受験のための授業になっている今の時期の授業はもうどうでもよくはなっていた。
犬神は進学する気はあまりなかった、というより進学できる頭を持っていなかった。無論学校を選ばなければ、入れそうなところはあるのだが、名前のない三流私立に行くぐらいなら就職した方がましだと思っていた。なので、推薦で地元の国立大学に落ちれば、親が紹介してくれる会社に就職することになっていた。
今の授業は数学のセンター試験の過去問のプリントを授業中に解けというものだった。ただ犬神にはさっぱり分からなかった。というか問題の意味すらつかめない。第一、数学なんて名前が付いているのに、最近じゃアルファベットを使う事の方が多いじゃないかとくだらない事を思いながら、とりあえず回答欄に、2を書いて埋めていった。今までの統計学上2が答えになる確率が一番高いのであった。今日は何点になるかなと数学を冒涜するような解き方をし、クラスで一番に問題を解くと犬神はそのまま眠りについた。
本日の授業は生徒の弱点把握のためのセンター過去問を解かすのがほとんどだったため、犬神は得意な教科はすばやく終らせて寝て、苦手な教科は諦めて寝るということを繰り返した。
現在の時刻は昼休みである。本日は木曜日、両親が共に外国に行っているため、犬神に昼休みに食べる弁当はどこにも無い。そのため、毎日購買でパンを買って食べるという行動を繰り返していたのだが、親が外国に行ってから半年を過ぎたころから幼馴染が毎日木曜日だけお弁当を作ってくれているのである。
犬神はそのことに大変感謝していた。決して、学園のヒロインである綾芽の料理が食べれることを喜んでいるのではなく、作られた弁当が大変おいしいから喜んでいるわけでもなかった(味でいえば妹の料理の方が十倍おいしい)。犬神が喜んでいたのは弁当の量である。綾芽は毎回木曜日に犬神に向けて用意する弁当は重箱五段である。内訳は一段目丸ごとご飯、二段目サラダ、三段目揚げ物系、四段目魚料理、五段目肉と野菜の炒め物。毎回多少の変化はあるがたいていこれだけのものを用意してくれている。
そして、この中身はほぼ全て犬神一人のためだけに作られている。綾芽は綾芽で小さめの弁当に普通程度の量の弁当を自分用に持っており、現在重箱は犬神の机の上に広げられ、綾芽の弁当は彼女の膝の上に乗っていた。
「サンキュー綾芽。じゃあ早即、いただきます。」
そう言って犬神は所狭しと自分の机の上に並べられた弁当に箸をつけた。
「よくかんで、ゆっくり食べてね」
綾芽も犬神の顔を見ながら自分の弁当を口に運んでいった。犬神は彼女のセリフを無視して、掻き込むように弁当に喰らいついた。
初めて弁当を綾芽が用意したときは弁当はこれほど豪華なものでは無かった。もともと、犬神が「購買のパンに飽きたから妹に弁当作ってって言ったら『何で中学生の私が駄目兄貴のために朝早く起きなきゃいけないのよ。寝言は寝てから言って』って言われたんだよ」と綾芽に向かって愚痴を言い、綾芽が「なら私が作ってあげるよ、毎日は無理だけどね」と言って作ったのが始まりだった。
そして、作られた弁当は非常にかわいらしいものだった。クラス、いや、学校中の男達が憎悪と羨望のまなざしで犬神を見つめているなか、弁当を食べ終えた犬神の第一声は「量が少ない」だった。綾芽が「ゴメン、でも味はどうだった?」と弁当が完食されていることから、きっといい返事がもらえると思いながら聞くと、「まあ、不味くはないよ」と犬神が答え、次回から重箱で大量のおかずとご飯が用意されることになった。
ちなみに犬神はこの後、学校中の男達にボコボコにされ、女子の最低な男ランキングの首位におどりでていた。
「おいしい? 白夜クン。今日の炒め物とかは、先週のと違って微妙に味を変えてみたりしてみたんだけど」
毎度恒例となった食後の味の批評である。犬神は毎回重箱の弁当と料理を完食はしているのだが、こう聞かれると常にこう答えた。
「普通だね」
その一言に綾芽は少ししょんぼりしながら、重箱を片付け始める。
かなり残念で報われない姿だった。いっそ食べられないほど不味ければ彼女は幼馴染のために朝早く起きて弁当を作ろうともしなかったのだろう。犬神をうならせるようなおいしい弁当なら、毎回犬神に「おいしい」と言わせるためにネットでレシピや味付けを調べて頭を悩ませることも無かったのだろう。毎回の如く「不味くはない」、「普通」とだけ返されてそのたびに『二度と作ってやるものか』と綾芽も思うのだが、犬神も用意された重箱の中身は米粒一つ残さず完食しているため、綾芽もがんばって「おいしい」と言われるまで料理を続けようとしているのだった。
「そう言えば、一年のクラスの一人が行方不明になってるって知ってる?」
片付けを終えた後、互いの席に座りながら、綾芽が犬神に向かって問いかける。
「いーや、初耳だけど? どうせ昨日の打ち上げではめをはずしすぎて、どっかお外で居眠りでもしてるんじゃねーの?」
「私も噂で聞いただけだからあんまり詳しく知らないんだけど、その子打ち上げの後「忘れ物を取りに学校に行く」って言って友達と別れたあと居場所がつかめないんだって。もしかしたら学校の幽霊かなにかにさらわれたんじゃないかって、みんな言ってるよ」
「オカルトかよ! あんまり興味ねーよ俺」
この手の話題は常に女子の独壇場だ。女は怖いものが嫌いといいながら結構な確率でホラーが大好きである。知り合いが何人も彼女とホラー映画を見に行って眠れない夜をすごしていることを犬神は知っていた。
「それより、行方不明になってる奴って、男、女?」
「女の子だけど」
「じゃあ、絶対街で悪い男に引っかかって大人の階段上っただけだよ」
とんだかいだん違いだ。犬神はうんざりしながら机の上に突っ伏した。
午後からの授業も寝て過ごす時間はたっぷりとあるのだから昼休みぐらい起きて話を続ければいいのだが、この男は興味の無いこと以外は基本寝て過ごす。そう考えると、学園祭のときはほぼ不眠不休で働いていたのが嘘のようである。
「ちょっと! まだ話の途中なのに勝手に寝ないでよ」
「何だよ、まだ何かあるのかよ」
「さっきの日本史の答え合わせしよう」
綾芽はニコニコしながら犬神の方を見ていた。犬神は数学と英語以外なら割とできるほうだった。
「パス。めんどい」
けれども、犬神は綾芽の提案をぶった切った。犬神の成績なら本日の日本史の問題なら十分に八割の正解を狙えるので、学校でもトップクラスの成績を誇る綾芽と答え合わせをしても十分話にはついていけるはずだった。けれど、肝心の本人のやる気が皆無だった。
「つれないなー!」
口をとんがらせながら綾芽が言う。その言葉を聞いた白夜は少し怒りながら反論する。
「三回に一回ぐらい俺のほうが点がいいならやってもいいけど、今までの人生でお前にテストの点で勝ったことねーじゃん。俺の頭が悪いことの証明をこれ以上積み重ねても意味ないだろ」
「別に勝ち負けはどうでもいいでしょ。大事なのは間違えたところをキチンと理解して次に繋げることだよ」
「たまには勝利という飴を与えてくれないとやる気もおこらねーよ」
そしてそのまま白夜は不貞寝をした。前日徹夜をしていたからというだけでは説明がつかないほど、体が睡眠を求めていた。
「もう放課後だよ」
幼少のころよりずっと聞き続け、耳になじんだ綾芽の声が聞こえて白夜は目を覚ました。どうやら昼から放課後までずっと眠っていたらしい。
辺りは夕日に彩られ、全てが赤く色付いていた。
「大丈夫、白夜クン? 体調悪いの? ずっと眠り続けてたし」
幼馴染は机に突っ伏している白夜の顔を覗きこみながら話しかけてくる。
「……大丈夫だよ。少し疲れてただけだから」
白夜は眠そうに目をこすって答えるが、同時に不安も覚えた。徹夜をしたことは何度かあったがこれほどまでの眠気は感じたことが無かった。
「あんまり昼寝しすぎると夜眠れなくなるよ」
「あんまり子供扱いすんなよ。十分眠れるよ。今この場でもう一度眠りたいくらいにな」
幼馴染の忠告を話し半分に流し、白夜は鞄を持って下校の準備を始めた。もうクラスに残っているのは二人のみだった。
外に出て並びながら帰って行くとグランドで野球部たちが練習している。白夜達の学校の野球部はそこそこ強いのだが、甲子園に出場できるほどではない。それでも毎日熱心に練習していた。
「がんばってるな、野球部」
「そうだね。私たちも勉強がんばらないとね」
そこまで言うと綾芽は多少顔を赤くして白夜の方をまっすぐ向いて話しかけた。
「あのさ、今日夜家で一緒に勉強しない? 白夜クンのわからない問題全部教えてあげるよ」
白夜にとっては願ってもない提案ではあった。二週間後には中間テストが控えてあることを考えれば、今のうちから苦手な科目はつぶしておきたいと考えてはいた。ただ、二日続けて夜家を空けていると妹にがみがみと言われる気がしていた白夜は少し悩んだ。
その時、辺りに快音が響き、野球部の練習していた方向からライナー性の打球が一直線に白夜達の方向目がけて飛んできた。
「危ない!」
野球部全員が声をそろえて白夜達の方向へ叫ぶ。その声に反応した白夜は目の端に打球を捕らえた。
(どこが危ないんだ? 止まって見えるほど遅い打球じゃないか!)
周りの目から見れば非常にスピードに乗った打球だったが、白夜の目にはコマ送りに見えるほどゆったりとしたスピードでこちらに向かってきていた。だが、肝心の打球に到着地点にいた綾芽は全く反応できていない。白夜もさすがにスピードが遅くても硬球が当たれば痛いだろうと思い、すばやく綾芽の前に回りこみ野球部のスラッガーが放った会心の当たりをいとも簡単に素手で受け取った。
「えっ!」
危ないという声にだけ反応し、体を硬くしていた綾芽は飛んできた打球を素手で受け取った白夜の行動に驚いた。そして続けて彼を心配する声をかける。
「大丈夫!? 怪我してない!」
彼女に声をかけられた白夜本人は全く持って平気だった。素手で打球を受け取った時点で打球の威力が大したことが無くても相当のダメージがあるはずである。しかし、白夜本人は痛みを全く感じていなかった。そして何事も無かったかのように、受け取った打球を野球部の方へ投げ返した。
「大丈夫、大丈夫。あの程度の打球で怪我なんてしないよ」
なおも心配してくる綾芽に向かって手を見せながら白夜が答える。綾芽も白夜の手を確認するが多少赤くなっている程度で特に腫れている様子も無いことがわかった。
「白夜クンが運動神経いいことは知ってたけど、ここまですごいとは思わなかった」
「別にあのくらいの打球なら誰でも反応できるだろ」
改めて帰路に就き始めた二人は先ほどの出来事について話し始める。
「いや無理だよ、すごい勢いでこっちに向かって来てたよ! あんなの驚いて硬くなるしかできないよ」
「それは言いすぎだろ、現に手も赤くならないヒョロ球だったぜ。大したことはなかったんだよ」
「それが不思議なんだよね。どんなに威力が無かったとしても、もっと派手に手が赤くなってもいいと思うんだけど」
「昔悪戯と喧嘩のしすぎで手の皮が厚くなってたんだよ」
そう言って一旦この話を切り上げる。もうすぐ綾芽の家の近くである。
「あっ! 思い出したけど今日どうする、家に来る? 夕飯だってご馳走するよ!」
綾芽が髪を振りまきながら振り返り、もう一度少し顔を赤くしながら白夜に提案する。
「ちなみに、夕飯は誰が作るの?」
「私だけど? だって今日お父さんもお母さんも仕事でいないし」
最後に行くに従い声が小さくなる綾芽の返答を聞き白夜は即座に結論をだした。
「今日は家に帰るわ。妹も二日連続で夜一人にしたらさびしいだろうし」
白夜は表面上そうは言ったが、綾芽の飯より十倍おいしい妹のご飯を選んだだけであった。これが、綾芽のお母さんが作るのならばきっと白夜はお邪魔していたのだろうに……
「わかった。それじゃあ、白夜クン、ちゃんと勉強しないと駄目だよ。バイバイ」
やや残念そうな顔をしながら綾芽は手を振って自分の家へと帰っていった。
そして白夜は自宅への道を進んで行き、昨日警察とであった場所で足を止めた。
道路には血痕も薬莢も落ちてはいなかった。第一に辺りには住宅が立ち並び、銃声なんてものが響けば騒ぎになるはずである。
「やっぱり夢だったのかな」
そう呟きづつも気が付けば手に汗を握っていた。どうやら体はあの夜の恐怖を本物として認識しているらしい。
「馬鹿らしい」
夢にビビッている自分自身にイラついて、白夜は頭を振りながら自宅へと帰った。