別れ
犬神がもう一度学校へ続く坂道を駆け上がっていき、戦場となった教室に戻るとそこには教団のシスターと思わしき人物と薄く消えかかっているレイルがいた。
蜘蛛の糸に囚われていた生徒たちは保護されたのか教室にはいなかった。
「レイル! 大丈夫か!」
姿を見た途端犬神は叫ぶ。
慌てて隣へ座り手を取ろうとするが、スルリとレイルの手が自身の手をすり抜けた。
「シロ、そこにいるのね」
か弱い声が響く。
「ああ、いるよ。俺が勝ったよ。勝ったんだよ」
「そう、良かった」
消えそうな声を犬神は一言一句聞き逃さないようにする。
恐らくこれが最後の会話になることがわかっているから。
「色々迷惑かけちゃってゴメンね、シロ。もう一度謝っておくわ」
「いいよ、謝らなくて。そこは謝罪じゃなくて、感謝を言うところだ」
犬神の言葉を聞いてレイルは優しく微笑み、
「そうね。ありがとう、シロ」
そう言うとさらに体が透けていく。
「オ、オイ!」
慌てた犬神が声をかけるが、レイルは微笑んだまま
「もう時間みたいね。大丈夫、私は死なない。私はこのまま地球に帰るだけだから。だから、心配しないで。もう、アナタに触れられないし話もできないけど、私が消えちゃうわけじゃないから」
「でも、もう逢えないんだろ」
「考え方の問題よ。私は地球と一緒なんだから、シロが生き続ける限り私はそこにいるのよ。だから、心配しないでいい。寂しくもない」
今度は体が徐々に光の粒子となって崩壊し始める。
「だからね、シロ。私の最後のお願い聞いてくれる?」
「何を今更。御主人様はお願いするより命令してる方が似合ってるよ。……早く言えよ、きっちりやってやるから」
犬神のそのセリフを聞くとレイルは満面の笑みを浮かべる。そして、
「じゃあシロ、最後の命令『人として幸せになりなさい』これで、アナタは人に戻れるはず。もしかしたら、弱ってるせいで幸せになるって部分は不十分かもしれないけど、それは頑張ってね。じゃあね」
弱っていたのが嘘のように幸せそうな笑みを浮かべながらレイルは朝日と共に消えていく。
「わかったよ。努力するよ。御主人様」
目に涙を浮かべながら犬神は朝日の差す何も無い陽だまりに座り続けた。
「やったぞ。遂にやった。あのレイル=カーミラをこの日本でヤルことに成功した」
レイル=カーミラの消滅の報告を受け取った有栖川司教は大喜びですぐさま教団の本部へ連絡しに自身の書斎へと向かった。
彼の頭に描いていたシナリオが彼の予想どうりに動き始めている。
報告ではレイル=カーミラを殺したのはどうやらイレギュラーの存在だったようだが、そこはあまり重要ではない。
彼にとって重要なのは、吸血鬼達が拝み奉っていた彼女がこの日本で殺されたという一点のみ。
首謀者が誰なのかはあとから付け足せばどうとでもなる。
これで待ち望んだ、吸血鬼達との戦争がこの日本で起こす事ができる。
そうなれば、教団を軽視し続けた日本の政府も教団に頼らざるを得ない。
彼の思い描く未来に思わず顔がにやけながら自らの書斎の扉を開いた。
「直接報告に来ましたよ。有栖川司教」
自身の書斎に居たのはまだ現場で事後処理に追われているであろう八神だった。
「何故お前がここにいる?」
当然の疑問を目の前にいる男に問いかける。
「直接報告するためですよ。有栖川司教。そのために、同僚に事後処理を全部押し付けてエンジン音がおかしくなってるスカイウォーカーに無理させてここまで来たんですから」
「報告ならすでに聞いた。ご苦労だったな。見事レイル=カーミラを討ち取ったらしいじゃないか」
書斎の自身の電話に向けて歩きながら司教は八神に労いの言葉をかける。
だが、八神の表情は厳しく、曇っていた。
「僕が討ち取ったんじゃない。殉死した神父でも無い。シスターでも無い。誰でもない化け物達が殺しあっただけですよ司教。僕達は何も出来なかった」
「別に構わないじゃないか。キミ達は与えられた任務をこなしたんだ。それは確かに神父のことは残念だが、それでもキミ達の功労に変わりは無い。それにキミの手柄にすればいいじゃないか。八神君」
「司教。僕の手柄だというのなら、1つだけ僕のわがままを聞いてくれませんか?」
思いつめた表情で苦しそうに言葉を吐いていく。
「何だ? 私に出来ることなら何でも言ってくれ」
笑顔と対象的な真面目な表情で八神は言った。
「レイル=カーミラの死の事実を伏せて、僕を吸血鬼の円卓同盟の交渉役としてヨーロッパへ派遣してくれませんか? このままだとこの日本で戦争が起こります。大勢の人達が死んじゃうんです。今なら、レイル=カーミラの死の事実が公になっておらず。真実を知っている僕が吸血鬼にキチンと事実を伝えれば戦争を回避できるかも知れない!」
その一言で有栖川司教の笑顔は消えた。
「何を馬鹿なことを言ってるんだ! 吸血鬼と交渉? そんな馬鹿げたことが成立する訳がない。それにレイル=カーミラを殺した奴は確かに我々でないかも知れないが攻撃したことは事実だ。それに吸血鬼が事実など信じるわけがない。彼らは暴れる場所を求めているだけだ!」
「暴れる場所が欲しいのはアナタでしょ、有栖川司教。アナタはこの日本を戦場にして日本における教団の、あなた自身の地位と権力を強化したいだけだ」
「な、何を言っている! 無礼だぞ! 恥を知れ」
飼い犬である自身の組織のハンターに真実を告げられ一瞬怯み、無意識に大声で怒鳴っていた。
「無礼は百も承知、それでも僕が剣取りを銃を握った理由は『人を守ること』だ。その信念だけはねじ曲げれない」
「冷静になれ、八神。相手は化け物だぞ、話が通用する相手とは思わん」
「それでも僕は、アナタの行動を止めなくちゃいけない。それに化け物だからって話が通用しないとも思えない」
八神は脳裏にあの白狼を思い浮かべる。彼は確実に守るために戦っており共闘もした。それは間違いない。
「レイル=カーミラと戦う内に気でも狂ったか」
頭を振りながら司教は八神を無視して受話器まで向かっていく。
特定の番号を回せば本部まで直接連絡できる。
そして、レイル=カーミラを倒したことを吸血鬼達に大々的に宣伝してもらえば全てが思惑道理にいく。
本部の連中にもすでに金を握らせ計画を伝えている。あとは完了の合図を残すのみなのだ。
もはや、レイル=カーミラを殺した英雄もハッキリ言って邪魔になっている。
後で秘密裏に英雄のまま消えてもらおうかと考えながら司教が受話器を掴もうとした時、八神が懐から拳銃を抜いた。
無論銃口は司教の胸に向いてである。
「本気で狂ったようだな」
「僕には人が死んでもお構いなしで自らの野望を達成しようとするアナタの方が狂ってて、化け物に見えます」
「本気か? お前は感じないのか、教団の中で日本支部が軽視されていることの歯がゆさを、大した実力も無いくせに後ろ指をさして笑ってくる陰陽師共への悔しさを! そのすべてがもう少しで解消されるのだぞ。教団の中では尊敬の眼差しで見られ、一般人には感謝の眼差しを向けられるのだぞ。その未来がそこまで来ているのだぞ」
もはや隠す事なく思いの丈を八神に向かって吐いていく。その表情はこれまでの人生に対する憎悪すら感じさせ、有栖川がこの世界に入って常に感じていたことを、徐々に溜まっていた鬱憤を吐き出す。そして、そのすべてを聞いて受け止めた八神が返答する。
「それでも僕は、ひとりでも多くの人が笑っている未来のほうがいい」
「黙れぇぇぇーー!」
その言葉が引き金になったのか、司教は素早く自身のポケットへ手を突っ込み、小さなナイフを八神へ向かって投げつけた。
その瞬間八神も引き金を引いた。
小さな部屋に大きな銃声が響く。
残響が通り過ぎたあとは静寂が漂った。
八神の放った銃弾は的確に司教の胸を貫いていた。
一方司教が投げつけたナイフは八神の首の皮一枚を斬りつけて後ろへ飛んでいった。
「最後の最後に飼い犬が噛み付いてくるとはな。計画が甘すぎたか……」
司教はその場に倒れかかるがその体を八神が受け止めた。
「司教……」
「フフフ、腕が鈍った。昔なら確実に相打ちには出来ていたものを……。八神、あのナイフは餞別であり呪いだ。お前は人を守るために人を殺した。ゆえにお前はもう信念を曲げられないし逃げれない。その若さゆえの行動にお前の残りの人生全てを縛られる」
「それで良いです。誰かを守る事がアナタへの贖罪だと信じ前へ進み続けます」
その言葉に有栖川は口から血を垂らしながら嬉しそうに微笑んだ。
「お前の歩く茨の道を司教としてでは無く、有栖川龍元として応援しておくよ……」
憑き物でも落ちたかのように、先程とは違い晴れ晴れとした表情で有栖川龍元は目を閉じた。
「さようなら、司教。ボクの家族が襲われたときに救ってもらってからずいぶん長い間お世話になりました」
脳裏に浮かんだのは、自身の家族が化け物に襲われたとき、当時ハンターをしていた有栖川に救われたワンシーン。
その場から早く離れなければならなかったのになぜか動きたくなく涙が溢れ始めていた。
「本当にありがとうございました」
軽く鼻声になりながら、床に転がった司教のナイフを回収し重たくなった足を強引に引っ張って司教の書斎の扉を開いた。
「まさかあそこまでやるとは」
ドアの先にはシスターテレサが居た。
「どうするのですか八神クン? もうすぐ人がやって来てアナタを確保してゲームオーバ、吸血鬼の説得なんて夢のまた夢ですよ」
「シスター、邪魔はしないでもらいたい。出来れば見逃して欲しい。アナタのパートナーを死なしておいて虫のいい話だと思う。でも、僕はここじゃ止まれないんだ。後で必ず償いはする」
「本当?」
「必ず!」
「なら、私も連れていってくれませんか? ヨーロッパへ行くんでしょ? 私もレイル=カーミラに一つお願いごとされまして。円卓同盟の吸血鬼に手紙を渡さないといけなくて。それに、もうあの神父が死んだら教団にいる義理はないのですよ」
遠い目をしながらシスターが言う。
「あの神父とどういう関係?」
「一応保護者だったんですよ。彼はね。私の死んだ両親の親友だったんです。いろいろと面倒を見てもらったり見たりの関係でしたけど。教団自体に私はそれほど恩もないので」
そう言うと呆然としていた八神の手を掴んで走りだした。
「ほらもたもたしてると逃げ切れませんよ」
「了解です。シスター」
次回でラストになると思います
色々駆け足でゴメンナサイ