動き始めた非日常
「アナタって本当に上達しないわね」
レイル=カーミラがうんざりしたように言う。
「悪かったな、全然コツがつかめないんだよ。というより修行法がわるいんじゃねーのか?」
「はぁ、案外そうなのかもね。いっそ死にかけた方が能力に目覚めるかもね」
「もうすでにハンターに追われて死にそうになったんだけど……」
「そうなのよね。……もしかしたら、シロってまだ完全な人狼になりきってないのかもね」
「どういうことだ?」
「人間と人狼の中間だから、白狼状態に変化はできても能力には目覚めない。人間と人狼の中間だから銀の弾丸の効き目も薄かった」
呟きながらレイルは合点が言ったのか納得したように頷く。
「案外私の考え的を得てるのかもね」
「じゃあ、これまでの五日間は?」
「もし私の考えが当たっていたら全くの無駄ね」
言われた瞬間、犬神はやる気の無い顔になる。
「……まじかよ。俺の睡眠時間返してくれよ」
「まあ、とりあえずアナタの修行は一旦中止ね。それよりも、明日からシロを人狼にしたっていう狂人の捜索にでも行きましょう」
「おいおい、ハンターとか大丈夫なのか?」
「基本的には大丈夫。力を使わない限りはよっぽど近くまで接近しないと彼らは私達を感知できない。だから、シロが学校へ行っても別段何のことは無かったでしょ」
どうやら、鉢合わせしない限りハンターのことを気にする必要はないらしい。
「ちなみに俺の能力ってどうなるの」
「とりあえず、能力については保留ね。何らかのキッカケを掴めないと恐らく進歩しなさそうだし。それに私もその狂人の捜索には同行するからハンターに関してもまぁ最悪な事態は避けられるんじゃないかしら」
いかんせん希望的観測の割合が大きい気もするが仕方ない。ここで延々と座禅組んでいるのもそろそろ、限界だった。
犬神は立ち上がって目の前の御主人様に質問する。
「ちなみに、探索ってどうすんだよ? そう簡単に見つかるとも思えないんですけどね」
「まぁ、狂人については中々見つからないと私も思っているわ。ただね、この街を観光で回ってた時に思ったんだけどえらく血の匂いが濃い場所があるのよね。まあ、そこを中心に探してみましょう。もしかしたら、例の狂人ではなくてただの化物かも知れないけどね」
「じゃあ、とりあえず今日はもう終わりでいいのか?」
そうね、と言ってレイルが立ち上がり出口へ向かっていく。どうやら本日はお開きのようだった。
「ただシロ、明日からはまた戦闘になるかも知れないから覚悟はきちんとしておいてね」
「わかってるよ」
そう言って廃病院から二人で出ていった。
帰り道は静かだった。元々、この街は夜になると人通りが極端に少なくなるため自身の足音が異様に響く。
「じゃあ、ここでお別れね」
ひと気の無い廃屋の前でレイルが声をかけてくる。レイルはどうやら廃屋に勝手に居着いているらしい。
「了解」
そう言って、レイルと別れてゆっくりと帰り道を歩く。
この五日間能力には目覚めなかったが、色々と体の変化はあった。
あの夜のように白狼にはなれなかったが、代わりに身体能力はもはや人間の域を越え始めた。ブロック塀を殴れば簡単に砕けたし、胴体視力は飛び交う物体は全てコマ送りで見えるレベルになった。
自分が人間で無くなっていくことに恐怖を覚えつつ、同時に近い時に必ず起こるであろう戦いに頼もしさを覚える自分もいた。
犬神はぶらぶらと歩き自分の家の前まで辿りつく。軽くジャンプすると犬神の部屋がある二階まで飛び上がれた。そのまま玄関を介さずに自身の部屋へと潜り込む。
明日からは探索が始まる。もしかするとあの狂人にいきなり出会って戦いが始まるのかも知れない。
物事が前向きに進んでほしいという願いと同時に危険があるという不安を胸に抱きながら犬神は重たいまぶたを閉じた。
「最近授業中寝過ぎじゃない?」
「んなこと言われてもね、眠たくて仕方ないんだよな」
学校へ登校し席に着くと連日連夜の寝不足から犬神は机に突っ伏して寝てしまう。
受験前のそんな姿を心配して幼馴染の綾芽が犬神に向かって声をかけに来ていた。
「ちゃんと夜寝てるの?」
「寝てるつもりなんだけどな、何か妙に寝付きが悪くてね」
「ホラー映画でも見て寝られなくなっちゃってるとか?」
「俺はそこまで子供じゃないし、まずホラー映画見ないしな」
机に突っ伏して犬神がやや不機嫌に答える。
「怖いから?」
「つまんないから! 俺がホラーごときでビビるわけないし」
綾芽の頭を傾げながらの問いに間髪入れずに答えた。
いつも通りのくだらないやりとりだったが、犬神の内心としては、化物に自身がなってしまっても綾芽が普段と変わらず話しかけてくれることで言いようのない安心感を感じていた。
「そう言えば知ってる?」
「また、うわさ話か? 今度は空飛ぶバイクと真っ白なワンちゃんの他に何が出たんだよ?」
「違う違う、今度は出たんじゃなくて消えたの。近くのホームレスがたくさんいた公園知ってる?」
「ああ」
そう言いながら思い出す。そう言えばあんまり使われていなかった公園は何時の頃からか、ホームレスがたまり始めて今では十数人ほどが身を寄せ合って生きていた。
「それがさ、一斉に消えちゃったんだって」
「はぁ? マジで」
「うん。朝通学路で近くを通る子が言ってたよ。いつもは、ダンボールハウスから何人かが公園に出て動いているのに誰も居なかったんだって」
「ダンボールハウスやテントに皆閉じこもってただけじゃないの?」
顔を訝しげながら幼馴染に確認を取る。
もしかすると、例の狂人か何かをしたのかも知れない。詳しく知ってレイルに伝えなければいけないと犬神は考えた。
「いや、完全に人の気配が無かったって言ってたよ」
どうやら、今日の夜の探索ポイントがあっさりと決まったらしい。
「何か怖いよね。私なんか今日学校に止まらないといけないのに」
「えっ! 何で?」
「アレ? 知らなかったの今日学校主催の受験生追い込み勉強会だよ。先生と生徒が泊まりこみで勉強しまくるっていうこの学校の受験生にとってのメインイベントだよ」
犬神も聞いた事はあった。参加する気は全く無かったが。
「へー、ちなみに何人ぐらい参加するの?」
「五十人ぐらいかな? 白夜くんはその様子だと参加する気無いな」
「当然だろ。もう第一志望なんて諦めたからな」
犬神自身もう受験がどうとか言っていられなかった。とりあえず、人間に戻るのが第一優先事項である。
「まぁ、最近の様子だとそうだよね。……何か最近危ないことにでも巻き込まれて無いの?」
ふと、真剣に幼馴染が顔を近づけ犬神に問いかける。
その問いに犬神が馬鹿正直に答えられるわけも無かった。
「大丈夫だよ。だらけきった青春を謳歌してるよ」
作り笑いで幼馴染に笑いかけながら鳴り響くチャイムで会話を終了した。
授業が始まると同時に再び犬神は机に突っ伏せる。今日の夜の探索について考えながら。
「ここが噂の公園?」
夜中にひと気の無い公園にレイルの高い声が響く。
例の廃病院でレイルと落ち合った犬神はすぐさま説明をして一緒に公園までやってきた。
「確かに人の気配は無いわね」
おもむろにテントの中を覗きながらレイルが言う。
「ただ、すごく臭わねーか? 何か血のニオイというか、腐りかけた肉みたいなニオイというか」
「あら、鼻が利くようになったのシロ? 確かにここには血の匂いがするわね、あと、人間の肉のニオイね」
あくまで淡々とレイルが喋っていくが思わず犬神は聞き返さずにはいられなかった。
「人間の肉? ってことはもしかして……」
「恐らく食べられたんでしょうね。まあ、珍しいことではないけどね。人肉を食べる化物なんて、ありふれてるでしょ? ただ、一つ聞きたいんだけど、ここのホームレスって何人ぐらいいたの?」
「俺も良くは知らないけど、十数人って言ってたかな」
そう答えるとレイルは顎に手を当てて少し考える。
「おかしいというか、何か奇妙ね。人肉を食べる化物はありふれてはいるけれど、一度に十数人も食べる奴はそんなにはいない。かと言って一度に馬鹿みたいに食べる奴はこんな風に骨や肉片を残さず食べるようなお行儀の良い奴はいないし、自身の痕跡を残さないような知恵がそもそも無い。というか、知恵のある人肉喰いをする化物はハンターを恐れて大喰らいなんてそもそもしない」
「て言うと、やっぱりあの狂人がヤッたのかな。アイツなら勘だけどハンターなんて気にせずに自由気ままにやりそうだけどな」
「私は違う化物がやったと思うのだけれどね。ねえ、シロ。アナタ他には行方不明者が出たって話知らない?」
レイルに聞かれ、頭をひねる。そう言えば、ウワサ好きの幼馴染が何やら言っていた気がするけれども、
「ああ、そういやウチの学校の生徒が一人行方不明になってたな。確か幼馴染が言ってたような気がする」
「幼馴染ってこの前一緒に帰ってた子? あの子可愛かったわね。妹にしたいぐらいに」
「やめろよ。関係無い話をするなよ。今は真面目に捜査しようぜ」
慌てた様子で犬神が口を出す。犬神としては大事な大事な日常をレイルのような非日常の象徴のような奴に壊されたくは無かった。
というより、本気でちょっかいを出してきそうで犬神としては怖かった。
「ハイハイ。それで、行方不明の子はどこで消えたの?」
「それがわかれば行方不明に何かなってないだろ……いや、待てよ何か『忘れ物したから学校へ取ってくる』とか言ってたとかなんとか……」
「ふーん、学校か。一般的に人肉を好む連中は若いほうが良いっていわれてるから学校を狩場にするのはあり得るわね」
犬神的には、全然一般的じゃねーよ、と思いつつ質問する。
「っていうかさ、大喰らいする化物ってどんな奴がいるんだ?」
「基本的には教団という組織が出来てから、海にいる化物以外やらなくなったわよ。昔はよくあったらしいけど。あと、重傷を負った化物が大喰らいをして一気に回復しようとするとかいう話も聞くけどね」
「ってことは、今回のパターンは重傷を負った化物が大喰らいして回復しようとしたっていうパターン?」
「そうでしょうけど、もう、そんなにそいつは長くないでしょうね」
レイルは公園のブランコに腰掛けながら、隣に座った犬神の方を向いて喋る。
「どうして? 大喰らいで回復したんじゃないのかよ」
「ハンターもね、人間に直接危害を加える奴を一番敵視するの。人間を喰う何て最悪のパターンね。そういう連中を見つける術式を教団は完成させた。というより、術式と呼ばれる研究はこれに端を発したって言われてるけどね」
「おいおい、ちょっと待ってください術式ってなんですか?」
えー、そこから説明しないといけないの、っと露骨に嫌そうな顔をレイルがする。
お願いします。そこはちゃんとしてくださいと、犬神が目で訴えかけた。
「えーとね。私たちみたいな人外の連中は能力ってものを持ってる。まあ種類は千差万別で同じ種族でも能力が別ってこともザラだけどね。そういった連中にシロはただの人間が狩る側として襲って来ると思う」
犬神は首をブンブンと横に振った。
「そうよね。でも教団という組織を作った人間には術と呼ばれる力を持っていた。アナタも知ってるんじゃない? 昔話とかで超能力使う偉人聖人、日本で言えば陰陽師とかね」
「つまり、西洋でいうところの魔女と魔法使いってこと?」
「そういう事、まぁ、教団の初期は術を使って化物を追い払ったら今度は守った人間に迫害されてたりしてたけどね。……私もよく彼らの化物退治を吸血鬼達と見に行ってたわ」
昔を懐かしむように言っていた。思えば彼女は恐るるべき存在であるハンターに対しても昔の友人のように話している。
散々彼らにちょっかいを出して遊んでいたことが容易に想像できた。
「そんな中で教団の連中は政府とも結託して、大きな力を持つようになったの。そんな連中の中で一番重宝されたのは化物を感知する術を使える者だった。しかし、その術が使えるのは極僅か。そのため、せめて人を喰う人外だけでも感知出来るようにするために考えられたのが術式と呼ばれるモノの始まりよ」
「それで、術式ってのは?」
「今から説明するわよ。術式ってのは術を式と呼ばれるある法則に基づいた文字列に直し、その式を特別なアイテムなんかで記したモノを指すの。術に比べると効果なんかは落ちるし、全ての術を術式に直せるわけでも無い。でも、この力は画期的だった。術を使えない教団の人間でも化物相手に多少なりとも戦えるようになったしね。これのおかげで兵隊を増やして教団の力は本格的にヨーロッパ全土に広がったしね」
「おいおい、そんな呑気に語ってるけど、人外を感知する術式が溢れてるんじゃ俺達もヤバいんじゃ?」
話を聞けば聞くほどハンターの溢れているこの世界で生きるのが恐ろしくなってくる。
「大丈夫よ。術を使って感知するならともかく、術式での感知は非常に幼稚で微小だから。彼らの創り上げた感知用の術式で褒めるに値するほのは二つしか無い。一つは人外の能力を感知するモノ。これは結構精度が良くて、一定の人口がいる街にはだいたい設置されてるわよ。だから、化物同士が出会って殺し合いを始めたらハンターがやって来る何てよくあるパターンね。もう一つがさっき言った人肉を食べる種族を感知するモノ。というよりは、人肉のニオイを術式が感知してるって話だけどね」
「というと?」
「人肉って結構臭うのよね。そうだから、一人ぐらいならまだしも、短期間で大喰らい何てしたらほぼ確実にその術式に引っかかる。どうせ今夜ぐらいにハンターに狩られてると思うわ」
そろそろ、説明に飽きてきたようでレイルはブランコを漕ぎ始めた。
「ちなみに、人に化けてる人外を見破る術式もあるけど、これは非常に精度が悪くてハンター自身が身に着けて自分の目で見える距離じゃないと分からないレベルだからまあ大丈夫よ。というより、精度が高いもの何て作ったら、妖怪と人間が混ざっちゃってる日本だと大混乱でしょうね」
「えっ! そうなの?」
驚いた表情の犬神にレイルが知らなかったの、という感じで答える。
「わりとよくある話ね。教団の始祖で術を使ってた連中だって化物と人間の間の子だったし、日本だと近代化をキッカケに人間に化けれる連中と人間と見た目が変わらないモノたちは人間社会に混ざっていったわよ」
「知らなかった」
多少ショックを受けている犬神の隣で構わずにレイルはブランコを漕いでいた。
「それより話は変わるけど化物狩りでも見に行く? というより、もしかしたらその化物例の狂人と何らかの関係があるかも知れないし、ハンターが手をつける前にちょっかい出してみるのもいいでしょうしね」
「それはいいけど、どうやってそのバケモンを探すんだよ?」
「実は私も術式ってやつを昔勉強してね、昨日言ってこの街の血の匂いがした場所にそれぞれ術式を仕込んでみたのよ。恐らくこの手の奴は幾つか狩場を持っててそこに来る奴を狩るパターンだといいわね?」
語尾にだんだん力が無くなり力なくレイルは言った。
「ただの希望!? おいおい御主人様自身を持って言い切ってくれよ」
「だって、三箇所に仕掛けた術式にどれも反応が無かったもの」
そう言ってレイルは袖から三枚の紙を取り出す。恐らくこれに対応した場所に化物が来ると反応があるのだろう。
「どこに仕掛けてたんだよ?」
「シロと出会った廃ビルとこの街の河川敷と飲み屋街の路地裏ね」
残念だ、とあからさまにがっかりするレイルを尻目に犬神は一つ疑問を持つ。
「あれっ? もしかして学校には何にもしかけてないの?」
「そうね。そう言えば学校もコイツの狩場の可能性があったわね」
その瞬間、嫌なイメージが頭に浮かぶ。忘れている事があるような気がする。思い出せ、あのウワサ好きの幼馴染は何て言ってた?
『何か怖いよね。私なんか今日学校に止まらないといけないのに』
思い出した瞬間嫌な汗が全身から湧きでた。
すぐさま隣のレイルに向かって叫ぶ。
「ヤ、ヤバいよ御主人様、急いで学校へ行かなきゃ。今日は、今日は学校で生徒が、綾芽が泊まってるんだ! 急がないとヤバいよ」
忘れていた自分に嫌気が差す。
「落ち着きなさい。わかった今すぐ学校へ向かいましょう」
レイルは最悪の事態が頭に浮かびガクガクと震える犬神に一喝する。
だが、悪いことは重なるモノである。
「おいおい、何処へ行くつもりだ?」
それは闇夜から突然現れ、レイル目掛けて呪文のようなものがびっしりと書きこまれた鉄パイプで襲いかかってきた。
ひらりとレイルは躱し、犬神の襟を掴んで男と距離を取る。
男は満月の時に出会った神父服の男だった。
「ハンターってのは本当に空気が読めないわね。今のタイミングで登場したら完全に悪役はアナタの方よ」
「絶対悪である人外の化物連中に何を言われても気にはならんさ。ただし、無視されるのはやめてくれ。中年はナイーブだからな。無視されると傷つくんだよ」
ハンターの男は結界も張らずにいきなりレイル目掛けて殴りこんできた。それだけに不気味でもあった。
「いいシロ。今回は結界も張られてないからアナタは楽に逃してあげられる。でも、逃げ出した後のことは自分で決めなさい。学校へ向かって化物と戦うもよし、そのまま逃げて何処かに身を隠すのも良し。ただ、一つだけ言っとくわ、能力が使えないし白狼にも自由に変化できない今のアナタは化物にもハンターにも恐らく殺されるわ。だからよく考えなさい。そして、後悔しない道を選びなさい」
そう言うと、小さな体の何処にそんな力があるのかと思うほど強烈な力で放り投げられた。
犬神は向上していた身体能力でくるりと空中で体制を整え、近くの民家の屋根に着地した。幸い今回は犬神を追ってくるハンターも見えなかった。
すぐさま、犬神は走りだした。場所は無論学校へである。
犬神の望みはもう一度日常の生活へと戻ること。それならば、幼馴染を失うわけにはいかなかった。
自分が非日常の世界へ足を踏み入れ人外の存在になりはててしまっていても、彼女と話しているときは自分が変わらず人間だと思えたから。人外の存在になって、日常の素晴らしさを感じさせてくれた人だったから。失うわけにはいかなかった。
きっと化物がいたら俺は殺されてしまうのだろう。もし、その化物を殺しにきたハンターと鉢合わせをしても殺されてしまうのだろう、そう頭の中で思ってはいても学校へと進む足は止まらなかった。何の役に立たないとわかってはいても、何にもせずに失ってしまったら絶対に後悔するから、もう大好きな日常へ戻ってこれないだろうから犬神は全力で走り抜けていった。
「今回はアナタ一人なのかしら?」
「どうだろうかな? もしかすると貴様のツレを殺しに行ってるかも知れないし、今夜の襲撃は個別行動をしていて偶然お前たちを見つけた私が居ても立ってもいられず行動を開始したのかもしれんぞ」
「まあ、どうでもいいけど今回はあんまり遊ぶ気は無いわよ。結界も張られてないしすぐにお別れするから」
「貴様のツレが心配か?」
「フフフ、そうね。シロに死んでもらわれると非常に困るからね。でも、それ以上に人間を喰って暴れまわってる化物の方が気になるのよ」
「ご心配なく。そいつは私達も知っているよ。今日の今頃から日本のハンター達が襲撃する予定になってるよ。場所は近くの高校だな。本来は私も参加する予定だったのだけれどね、貴様を見つけたら無視するわけにもいくまい」
両手に例のごとくバールのようなものと鉄パイプを持ち、不気味な笑顔を浮かべながら神父が話す。
「出来ればアナタは私を無視して化物の方へ向かう方が良かったと思うわよ。日本のハンターだけでは対処しきれないかもしれないしね」
「心配してもらわなくても、日本のハンターにも優秀な奴が一人いるから大丈夫さ」
「甘いわね。もしかしたら、アイツが出てくるかも知れないのに」
アイツというセリフにだけ言いようのない怒気を込めてレイルが喋る。
「まぁどちらでもいいさ、あちら側のことを気にするよりも、私は今を気にしないと殺されかねないのでね!」
言うと同時に神父が飛び込んでくる。だが、レイルは慌てはしない。この前は相手側を気遣ってあまり能力を使わなかったが、今回は手加減するつもりは無かった。そのためすぐさま、能力を発動した。
「『跪きなさい』」
その言葉はいつものように紡がれた。万物全てに命令出来る最強の能力。
だが、相手は膝をつくことなく、止まることなく、武器を振り下ろした。
「なっ!」
驚いたレイルは反応が遅れ神父の攻撃を避けずに右腕で止めた。
思わず痛みで顔をレイルがゆがめるがそんなことはお構いなしに、神父がもう片方のバールのようなモノで襲いかかる。
流石に二擊目はふわりと後ろに飛んで躱したが、レイルは慌てていた。なんせ能力が使えなかったのだから。
「ギリギリ間に合いましたね」
暗闇からもう一人、この前の満月の夜に出会ったハンターが現れた。手には馬鹿でかい本を開いており、それと同時に辺りに結界が張られていく。
「ああ、本当にギリギリだぞテレサ。もう少し素早く能力を封じ込める結界とやらは張れんのか?」
「無茶を言うのはよしてください。私だって相当無理をしたんです。あと、もう一つ言っておくと神父、あんまり長時間は持ちませんよ。良くて一時間、悪くて三十分です」
「了解した。聞こえたかレイル=カーミラ? お前の能力は封じさせてもらった。これでようやくお前を殺せそうだ」
レイルは右腕を抑えながらハンターをにらみつけた。まさか、能力を封じる結界を作れるとは思っても見なかった。予定が大分くるったことに舌打ちしながら覚悟を決めた。
「殴り合いってスマートじゃないから好きじゃないんだけどね。まあいいわ、オイタがすぎる子にはお尻ペンペンしないとね」
そう言って軽く右腕を回す。どうやら、すぐさま回復したらしい。
「どうやら、この結界でも超回復の類は止められないみたいだな」
「そうみたいね。おかげで両手でアナタ達のおしりを叩いてあげられるわ」
「戯言を!」
そう言って神父が両手の武器で殴りかかってくる。
それをレイルは造作もなく躱し、前回の戦いとは違い神父の腹目掛けて反撃を繰り出した。
「ぐっ!」
小さなうめき声を上げるが神父は止まる事なく、両手の武器を振り回す。
上段、中段、下段、突き、それぞれの攻撃を両の手で次々と繰り出していくがレイルには届かない。受け止められる事なく、簡単に避けられ的確にカウンターをもらった。
誰の目にもわかる劣勢、だが神父は止まることなく無く攻撃を繰り出していった。
右手からの見え見えの上段を囮に左手で相手の足をすくいにかかる。それをひらりと後ろへ飛んで避けるレイル。それを追っかけて神父が強引に飛び込んでくる。そこにカウンターを合わそうと神父の顎目掛けて右腕をだそうとした。
神父もレイルの攻撃を避けようともせず、今度は右足で彼女を蹴り飛ばそうとした。
交差する瞬間、レイルが嫌な予感がし蹴りをガードしようとする。本来なら相打ち覚悟で殴っていても良かった。人外の存在であるレイルには超回復があり、ただの人間である神父にはそれが無いのだから。だが、レイルは自らの直感でガードに回った。蹴り飛ばされた左手に鈍い痛みが走る。
「うーん、損傷というレベルでもないな。腕が折れるところまでいけばよかったが、まあ打ち身レベルところか」
「アナタ、その右足に何か細工でもしてあるのかしら? 何か嫌な予感がするのだけれど?」
「そうだな、この右足には術式が組まれていてな『不治』というものなんだが、正直なところ能力を封じている結界の中では効き目が薄い気もするな。どうかな、レイル=カーミラ、痛みは消えずに残っているかな? だとしたらいいのだがな」
「残念ながら、痛みはゆっくりとだけど消えてるわよ」
だが、明らかに先ほどの鉄パイプの一撃を受けた時より治りは遅かった。あの右足にはどうやら相当の注意を払わなければならないらしい。
「ゴメンなさいねシロ、どうやら助けに行くのは遅くなりそうよ」
小さくつふやきながら、もう一度構える。
そこへ神父が再び暴風のような攻撃で迫ってきた。
その攻撃一つ一つをレイルは丁寧に避けた。先ほどまでは反撃しながらだったが、今回は前回同様に避けることに徹し始めた。
レイルは短期決戦を避け、結界を張っている術者が果てるのを待つことにした。先ほどの会話が真実ならば長くて一時間ほど攻撃を躱し続けなければいけないが、能力を封じる結界と超回復を阻害する術式を刻んだハンターがいるのならば無理は出来なかった。
犬神の安否を祈りながら、ハンターとの戦いに集中するしか無かった。