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ビヰ玉Ⅳ  作者: 由城 要
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参)己に言い聞かせよ、 今日が人生最後の日だと


 七緒は足を止めた。異変が起きたことにすぐに気づいたからだ。台所に人の気配が一つしかない。しかも、辺りが明るい。まるで昼間のような明るさだった。

 混乱よりも、呆然としていた。七緒は辺りを見回して、使用人の姿を探す。しかし、そこにいるのは見慣れない背中の女、一人だけだった。竃の隣で野菜を切っている。その身なりは使用人らしからぬ、色鮮やかな着物だった。

 まるで花江のようだ、と七緒は思った。孝次の友人で染物屋の娘、花江はいつも鮮やかな色の着物を着ている。羨ましいと思ったことはないものの、目を奪われる美しい着物だった。勿論、あの高飛車娘の前で、口に出したことも態度に出したこともないが。

 しかし、この人は誰なのだろう、と七緒は思った。艶やかな黒髪に白い肌。声をかけることは出来なかった。声が出ないせいだけではない、手を叩いて注意を引くのは失礼な気がしたし、相手も驚くかもしれないと思ったからだった。

 困ったように辺りを見回す七緒。しかし、先に七緒に声をかけたのは女ではなかった。


『七緒のビー玉、もーらいっ』


 後ろからそう叫ばれ、七緒は飛び上がった。同時に、聞き覚えのある言い方に顔を顰めて振り向く。今のは孝次だろうか。喋り方が似ていた。

 しかし、振り返った先にいたのは孝次ではなかった。白く細い足の少年が、手の中で橙色のビー玉を弄んでいる。いつの間にかビー玉が少年に渡っていることに気づいた七緒は、驚いた表情で少年を見る。


『持っていかないでよ、せっかく返してもらったのにさ』


 七緒はスッと背中に寒気を覚えた。赤、青、橙色とある3つのビー玉。橙色は誰のものだったのか。七緒は頭から血の気が引くのを感じた。

 グルグルと頭が回る。此処は何処なのか、自分は何をしているのか。隣に立つ少年の名前を口にしたとき、今まで感じていた違和感が平衡感覚を奪い取ってしまった。


『……七緒?』


 ユキが自分の顔を覗き込む。いつの間にか腰を抜かしていたことに七緒は気づいた。

 ふと辺りが僅かに暗くなる。顔をあげると、見慣れぬ女性がユキの後ろから七緒を見ていた。心配そうにこちらを見る二つの目はユキによく似ている。


『こら、女の子を苛めちゃ駄目でしょう』


 ポン、と少年の頭を叩き、女性は七緒に手を差し伸べた。色鮮やかな着物が目に眩しい。女は目鼻立ちがすっきりしていて、目尻にかすかに笑い皺がある。黒髪は漆黒の艶を持っており、唇は紅をぬったように赤かった。

 七緒はぼうっと彼女に見とれていた。女は壮年と呼ぶにはまだ早いが、子供がいてもおかしくはない年齢だった。


『苛めてないよ。……ね、七緒』


 左一のような声で同意を求められ、七緒はやっと我に返った。そして震える息を吐く。

 ユキの隣にいた女は首を傾げ、七緒を見た。すかさずユキが七緒を指差す。


『七緒は声が出ないんだよ』

『人を指差しちゃいけません。……大丈夫?あらあら……』


 七緒はいつの間にか目に涙を浮かべていた。何故かは自分でも分からない。混乱する心情を吐露することが出来ず、代わりに溢れてきたのは涙だった。

 ボロボロと涙をこぼす七緒に、女性は膝を折ってその頭を撫でる。ユキが少し羨ましそうに七緒のことを見ていた。









「七緒、どこにいるの」

「七緒ーっ」


 誰もいない家の中を歩くのは、奇妙な感覚だった。左一は鳥肌のたった腕をさすりながら、孝次に問いかける。


「誰も……いないね。七緒、いるのかな」

「……」


 孝次は何も答えなかった。ついさっき見たあの影は何だったのだろう。七緒ではないことは間違いなかった。2人いたような気がするのだ。人……いや、子供が。

 引っかかることは他にもあった。巽はなぜ、七緒がいなくなったことを知っているのか。あの呪術的な道具は何なのか。そして、狐と七緒の関係は。


「孝次?」


 左一が答えを求めるように袖を引っ張ってくる。誰もいない家の中で、唯一確認出来るのは弟の存在だけだ。孝次にとってもそうだった。左一がいなければ、こうやって家の中を歩き回ることも難しい。


「……きっと、端から端まで、全部の部屋を確かめれば、見つかるよ。兄ちゃん」

「あ……た、確かにそうだね。じゃあ……上の階からいこうか」


 上の階。2人は玄関から真っすぐに廊下を進み、階段を見上げた。上は真っ暗だが、もし今現在の家と同じ造りならば使用人達の部屋と、物置代わりに使っている小部屋、そして空き部屋が一つあるはずだ。

 階段を上ろうと手すりに手をかけた2人は、ふと上から床板を踏む音が聞こえてきたことに気づいた。思わず硬直して視線を彷徨わせる。音はまるで二階の廊下から階段を下りてこようとしているようだった。

 孝次は慌てて階段の影に左一を引っ張り込む。床板の軋む音が徐々に下へと下ってきた。七緒ではない。七緒の足音とは違う。


「……」


 僅かに灯りが階段を照らし始める。蝋燭を持っているのだろうか、足音の主は階段を下り、2人の真後ろで止まった。

 ガチガチと歯がなっている。左一は孝次の袖を握りしめた。気づかれたのだろうか。いや、気づかれたとは一体何に対してなのか。

 孝次も恐怖と戦いながら、ゆっくりと階段を見上げた。床に照らし出された人影は、人の形によく似ている。

 ふと、聞き覚えのある声が頭上から聞こえた。


「誰だい、入り口の鍵を閉め忘れたのは……」


 対して不満に思っていないにも関わらず、愚痴っぽいその言い方。孝次はホッと胸を撫で下ろした。


「なんだ、鬼婆か……」


 そう呟くと、ふとヨシの瞳がこちらへと向けられる。はっきりと目が合ってしまった。孝次はその瞬間、いつものヨシを相手にした時とは違う、妙な感覚を覚えた。

 ヨシの目は普段より少し大きく、額に寄った皺も僅かに少ない。階段を下る足取りもはっきりしていた。

 ヨシは階段の下を見たものの、首を傾げて歩き出す。


「……風の音かね?」

「!」


 孝次と左一は顔を見合わせた。確かに目が合ったはずだった。あの位置から階段の下を見れば、自分達の姿がはっきり見えるはずなのだ。

 ヨシは首を傾げながら玄関の鍵を閉める。


「全く……今日の当番は秋代かい?忘れっぽくて困ったもんだよ……」


 孝次と左一は頷き合い、そしてヨシを避けるようにして階段を上る。何故かは分からないが、ヨシに自分達の姿は見えていないらしい。

 階段を上りながら、ふと左一は玄関から寝室へと見回りに向かうヨシを見つめた。ヨシは使用人を取り仕切る立場にいる。実際かなりの高齢で、体にさわるからと、夜中の見回りは殆ど秋代の役目だった。

 何故、秋代ではなくヨシがわざわざ見回りをしているのだろう。それに、秋代が玄関の鍵を閉め忘れたことなど一度もない。

 何かがおかしい。改めてそう思ったとき、階段を先に上りきった孝次が、呆然と立ち尽くしていることに気づいた。


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