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ビヰ玉Ⅳ  作者: 由城 要
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弐)うつし世は夢、夜の夢こそまこと


 左一が七緒の母親の話を孝次から聞いたのは、学校を帰ってきてすぐのことだった。話を聞いてすぐに孝次と共に七緒に話しかけようと思ったのだが、その時はまだ七緒も混乱していて、ヨシが会わせてくれなかった。

 使用人達と和泉家の食事は別々に行われる。父である和泉と弟の孝次とで食事をし、そのあとに使用人達が別室で交代交代食事をするのだが、父と一緒の夕食を抜け出すことは出来ず、使用人達の食事の邪魔をすることはヨシによって妨害された。

 食事のあと、七緒はすぐ父の部屋に呼ばれていった。もう今晩は会話をかわすことも出来ないのかもしれない、と左一は思っていた。


「……あっ……」


 就寝の前に厠へ行って戻ってきた左一は、たまたま階段の前に立っている七緒に気づいた。辺りに秋代やヨシの姿はない。


「七緒」


 どんな顔をしたら良いか分からなかったが、左一は小声で七緒を呼んだ。本当の所、呼ばずにはいられなかった。孝次も同じ気持ちだろうと左一は考える。母を病で失う悲しみは、自分たちもよく知っているのだから。

 七緒は気づいていないのか、階段の前で何かを拾うと、台所へ向かっていく。左一はもう一度口を開いた。しかし、その瞬間。


「なな……お……?」


 階段前の廊下の暗闇から、開け放たれた台所へと七緒が向かう。その姿はまるで煙に光があたったかのように薄れ、そして扉から漏れ出す光の中にかき消えた。

 まだ子供の左一の言葉で形容するならば、幽霊のように、という言葉がしっくりくる、そんな消失の仕方だった。


「……えっ?」


 瞬きを繰り返し、何度も目を擦る。見間違いではなかった。たしかに、七緒がそこにいたはずだった。一人挙動不審におろおろとしていると、和泉の部屋から戻ってきた秋代が後ろから左一に声をかけた。


「あら……左一坊ちゃん。厠ですか?」


 左一は咄嗟に秋代を振り返った。


「あ、秋代!な、七緒が……」

「七緒ですか?七緒ならもう二階に……あら?」


 秋代は階段を見上げ首を傾げる。先に二階へ上がらせたはずなのに、明かりが灯っていない。もちろん真っ暗な中を上っていったとは考えられなかった。


「ヨシさんのところかしら?……ああ、坊ちゃん。何かあれば伝えておきますよ」


 不思議そうな顔をした秋代だったが、深くは考えていないようだった。左一は咄嗟に機転をきかせる。


「あっ……、秋代!あの、七緒は……えっと、そう!今日は僕らのところで寝るんだって!いいよね……?」

「えっ……坊ちゃん達の部屋でですか?」


 普段左一達を甘やかすことが多い秋代が、珍しく顔をしかめた。左一もこの提案があまり良いことではないと分かっている。それでも、今目の前で起ったことが本当だとしたら、家中が大騒ぎになる。きっとヨシや秋代達は七緒を探しまわり、父の和泉は心底心配するだろう。

 左一は真剣な表情で秋代を見る。相手がヨシだったらおそらく絶対に許してはくれないだろう。しかし、今ここにいるのは秋代だ。


「ねぇ、お願い、秋代。お母さんがいない辛さは、僕らだって分かってるんだよ。それに……秋代達のいる部屋じゃ、七緒も気を使っちゃうんじゃないかな」


 使用人の部屋は大きな和室だ。区切りもない部屋で女達が布団を敷き詰めて寝る。そんな場所では七緒も心休まることが出来ないはず。左一は懸命に秋代を説得する。最初は困ったような顔をしていた秋代だったが、左一の真っすぐな瞳に、仕方なく折れた。


「……分かりました。今晩だけですからね?」

「ありがとう!……あ、でもヨシには……」

「大丈夫です。私から伝えておきましょう」


 上手く言っておきますから、と秋代は微笑んだ。左一はもう一度礼を良い、廊下を戻っていく。ゆっくりとした足取りがやがて早歩きになり、自分の部屋につく頃には転がり込むほどの勢いになっていた。









「孝次っ」


 障子を開けて飛び込んできた兄に、孝次は目を丸くした。就寝前の左一がこんなに興奮しているのは珍しい。布団に包まって丸くなっていた孝次は、顔だけ出して兄を見た。


「に、兄ちゃん?どうしたんだよ」

「なっ、な、七緒が……っ!」


 平静を装っていたもののやはり気が動転しているらしく、左一は孝次を布団から引きずり出した。左一は孝次と違って喧嘩は全くしないものの、時折自分より強い力を発揮する時がある。勉強も学年一つ分上だが、力も歳の差一つ分上なのだと、孝次は最近そう思う。

 まだ春の冷たい空気が漂う部屋の中に引き出された孝次は、様子のおかしい左一に首を傾げる。


「七緒?七緒がどうかし……」

「消えちゃった!消えちゃったんだよ、さっき!!」


 左一は身振り手振りで先ほど見た風景を伝える。孝次は疑い半分の顔でそれを聞いていた。左一は一度寝てしまうと寝ぼけることが多い。もしかしたら厠へ行く途中で半分寝てしまったのではないかと、孝次はそう思った。

 混乱したままの左一の両肩を掴んで、孝次は言う。


「兄ちゃん、そりゃ夢見たんだよ。七緒が消えるわけないだろ、ユキじゃあるまいし。……きっとそのうち、秋代に言われて此処に来るよ」


 おそらく奇妙な顔でここにやってくるであろう七緒を想像して、孝次は息をついた。なんでここで寝なきゃいけないんだ、という顔をしているだろう。でも、確かにあの使用人の大部屋で寝るよりは少しマシかもしれない。

 左一の言うように、自分も七緒と話がしたかった。七緒と出会ったあの夏の日、西川のほとりで泣いていた七緒の顔を孝次は今でも覚えている。

 でも、と左一が言いかけたとき、ふと孝次は顔を上げた。渡り廊下から足音がしてくる。木造のこの家の床は歩くと軋みが起きる。大人であれば大きな音が、子供であれば小さな音が、暗くなった家の中に静かに響く。七緒が来た、孝次はそう思った。

 音はゆっくりと渡り廊下を曲がり、2人の部屋の前まで来た。閉め切られた障子の前で足音は止まる。


「……おい、なんでそんなところで突っ立ってるんだよ」


 障子はいつまで経っても開かなかった。孝次は立ち上がり、障子を引く。七緒の姿があると確信していた2人の表情が凍った。そこには誰の姿もなく……足音を立てるものは何一つとして存在しなかった。

 先に我に返ったのは孝次だった。慌てて廊下に出ようとした時、足下を白いものがすり抜けた。駆け込むようにして飛び込んできたのは、いつぞやの子ギツネだった。勢い良く飛び込んできたものの、左一と孝次を見て驚いたように固まった。しばらくするとキョロキョロと何かを探し始める。


「……き、キツネ?」


 左一が瞬きを繰り返しながらキツネを見る。孝次は辺りを見回している子ギツネの首をむんずと掴みあげた。


「あれ……コイツ、七緒の……」


 孝次には見覚えがあった。七緒が和泉家に来てしばらくしたころ……秋が過ぎた頃だっただろうか。あの辺りから時折姿を現すようになった子ギツネだ。中庭の雪かきをしている七緒の側ではしゃいでいるのを見たことがある。

 しかし孝次とは対照的に、左一は首を傾げた。


「七緒の?」

「え?兄ちゃん、見たことあるだろ?この間だって、コイツ……」


 眞治との一件。あのとき、子ギツネが七緒の側にいた。川で溺れそうになった時も、この白い物体を見た気がする。しかし、左一は困った顔をするばかりだった。

 孝次は抵抗をやめて、だらりと垂れ下がる子ギツネを見ながら困惑していた。このキツネを見ていたのは、今まで七緒と自分だけだったのだろうか。七緒も驚かなかったし、左一も何も言わないので、てっきり見えているものだと思っていたのだが……。

 混乱する孝次に、左一はとりあえず子ギツネを受け取った。キツネは左一の腕の中に入ると暴れたが、しばらくすると抵抗をやめて大人しくなる。


「ええと……よく分からないけど、僕が気づいていなかっただけで、この子は七緒の周りにいたの?」

「うん……」


 自分でもよく分からなくなってきた孝次に、左一は言う。


「でも、おかしいよ。それって、去年の秋だよね。半年以上経ってるんだから……この子、もっと大きくなっててもいいんじゃないかな」

「……」


 孝次は左一の腕に収まったキツネを見る。すると子ギツネは何かに気づいたように顔をあげた。しっぽを立て、先ほど孝次が開け放った障子の向こうに視線を向ける。今度こそ七緒かと思った2人だったが、そこにいたのは思いがけない人物だった。

 左一が声をあげる。


「巽おじさん!」









「おじさん」


 孝次は小声で中庭に立つ巽に声をかけた。巽は白い人差し指を立てて微笑むと、和泉の部屋と二階の部屋に視線を向ける。どうやら使用人達は仕事を終えて寝る準備に入ったらしい。雨戸を閉めるのはいつも七緒の役目だったが、代わりの誰かが仕事を忘れているのだろう。

 左一はキツネを抱いたまま、縁側をそっと開けた。父はもう眠ってしまったらしい。部屋の明かりが消えている。


「おじさん……あの……」

「大丈夫」


 巽は2人の話を聞くこともなく、大丈夫と頷いてみせた。一番欲しかった言葉だったのか、左一は不思議に思うことなくほっと胸を撫で下ろした。一方の孝次は一瞬安堵したものの、疑わしげな視線を向ける。

 巽は長い髪を肩から後ろへ流すと、縁側に腰を下ろした。すると子ギツネがまるで親を求めるように巽の側へと擦り寄っていく。


「……七緒のことなら大丈夫。今はちょっと『見えない所』にいるだけだ」


 ふわふわした白い毛を撫でながらそう言う巽に、孝次は口を開いた。


「見えない所って、何処だよ。家の何処かにいるなら、出てくるはずだろ」

「……そうだね。でも、其処は入るのが難しくて、出てくるのはもっと難しい場所なんだ」


 フッと、子供部屋に灯っていた灯りが揺らぐ。巽は微笑みながら2人の少年を見る。左一は困惑の表情を浮かべ、孝次は疑わしげな表情を浮かべる。

 左一はオロオロしながら巽を見上げた。


「じゃあ……七緒は、出て来れないの?」

「七緒がこちらに戻りたいと思えば、戻って来れる。でも……」


 否定的な言葉が続くことに気づいて、黙っていた孝次はおもむろに口を開いた。帰ってこない可能性など信じたくない。ユキのように、母のように……突然いなくなってしまうことなど、考えたくもなかった。


「じゃあ、どうすれば七緒を助けられるんだよっ」


 孝次、と左一が弟をたしなめる。巽は頷くと、懐から出した紙を子ギツネにくわえさせた。そして2人を見る。


「なら、キミ達が助けるかい?もしかしたら怖い目に遭うかもしれないし、……キミ達自身が此処に帰りたくなくなるかもしれない」


 それでもいいかい、と巽は問いかける。

 左一と孝次は互いに顔を見合わせる。孝次は真剣な表情で、そしてそれを見る左一は微笑みながら。しっかりと目を見て頷いた。

 2人の決意が固いことを確認した巽は、縁側から立ち上がる。空は曇り、月はおろか星すら浮かんでいない。ただ春の強い風だけが吹き荒れていた。


「2人とも、何か……そうだな、宝物を持っておいで」


 巽の言葉に、孝次はまたもや疑わしげな顔に戻る。しかし左一はパッと思いついたように部屋に戻ると、拳に何かを握りしめ戻ってきた。

 手を開くと、丸く透明なビー玉が二つ現れる。確かにこれは2人の宝物だった。父から貰った3つのビー玉のうちの二つ。もう一つは川に落として無くしてしまった。

 左一は青いビー玉を持ち、そして赤いビー玉を孝次に渡した。巽はそれを見て微笑む。


「……じゃあ、行こうか」









 巽に促されるまま、中庭から裸足で外へ出る。玄関の脇をすり抜け、そして門を出た。左一も孝次もどこか遠くに行くのかと思っていたが、巽はそこで足を止めた。


「巽おじさん?」


 風が吹き荒れている。2人は強い風によろめきながら、巽の背中を見た。門から家を見つめ、巽は懐から何かを取り出す。それは手のひらほどの大きさをしたガラスのようだった。紫色のガラスに、細かい装飾が施されている。骨董屋の商品に並んでいてもおかしくないほどの、美しい球体のガラスだった。


「……」


 巽は強い風の中で何かを呟いた。そして手にしていたガラスを地面へと放る。咄嗟に左一が肩をすくめた。放射線を描いたガラスは高音を響かせて割れる。ふわり、と紫色の煙が闇の中に放たれ、門の中を通り過ぎていった。


「!」


 ふと、孝次は目を見開く。一瞬前と眼前の風景が変わっていた。門の隣に銀杏の大きな木が立っている。表札も真新しく見えた。そして、一番驚いたことは、玄関の前を人影が横切ったことだった。それが七緒なのか他の誰かだったのか、それははっきりと見えなかった。2人いたようにも思えたが、別なところを見ていたせいでそこまで意識がついていかなかった。

 巽はもう一度2人を見る。


「いいかい?……ここは、キミ達の家であり、キミ達の家じゃない」


 まだ4、5歳くらいの身丈だった。左一は見ていなかったのか、巽に視線を向ける。しかし孝次は目を離すことが出来ず、ついそちらに釘付けになってしまっていた。


「でも、七緒は今此処にいる。……彼女を助けたいなら、探し出して教えてあげることだ。帰るべき場所はここではないことを」

「……はい」


 左一は頷くと、孝次の手を取った。孝次はやっと我に返って、巽を見る。巽は2人と視線を合わせると、真剣な表情で言う。


「あともう一つだけ。……帰る時に、後ろを振り返ってはいけない。キミ達自身が帰れなくなってしまうからね」


 2人は頷いた。確かめ合うように手を握ると、握った手が再び応えてくれる。2人いれば安心だと、左一は思った。自分一人ならどうなるか分からないが、2人ならきっとなんとかなる。

 七緒も加われば、きっと大丈夫だと、心の中で確かめるように呟いた。


「……じゃあ、行っておいで」


 左一と孝次は顔を見合わせ、そして門をくぐる。玄関へ向かって真っすぐに向かっていく2人の背中を見送った。

 風になびく髪をおさえながら、足下を見る。白い子ギツネが紙を加えたまま、巽を見上げていた。


「キミも主人の守護を頼むよ。管狐」


 キツネは頷くと、2人を追って駆け出していった。巽はそれを見送り、そして屋敷を見上げる。

 強い風が吹き荒れる。春の嵐は何かを奪い去ろうとするかのように、木々をざわめかせ、そして闇の中に渦巻いていた。







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