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それから数週間後、俺の引越しのためにみんなが集まった。
引越しといっても、俺の身の回りのものと、わずかな家具を運ぶだけだ。
物件は、割と簡単に見つかった。地元の不動産屋に掛け合ってみた所、なんとも人のいいおじさんが、格安で部屋を貸してくれたのだ。
「アパートを借りたいんですけど」
「あい、どんな部屋をお探しで?」
「できるだけ古いアパートで、ベランダのある二階の部屋がいいんですけど」
「古いアパート? あることはあるけど、どうしてまた古い部屋なんて探してるの?」
「実はですね、仲間内で映画を作ってまして、その撮影に使いたいんですよ」
「ほー、兄ちゃん、映画なんて作ってるの? 何、学校の部活か何かなの?」
「まあそんな所です。なんで、ちょっとくらい騒がしくても、迷惑にならない所がいいんですけど」
「大丈夫大丈夫。そこ、あんまりボロだから他の住人なんていないんだよ」
そんなやりとりの後、近所に格安でアパートを借りる事ができた。どれくらい安いかといえば、都心の月極駐車場よりも安い。それで、バストイレ付きの2DKだ。まさに撮影にはうってつけなのだが、いざアパートに着いて見て、俺は驚きを隠せなかった。
そこは俺たちが求めていたボロアパートそのものなのだが、想像の遥か上を行っていた。
元々白かったであろう外壁は、ところどころ剥げ落ち、何色と表現していいか分からないような色になっている。階段と外廊下の手すりは錆び付き、ほとんど朽ち果てている。床も今にも抜け落ちそうで、震度三くらいの地震でも倒壊しそうだった。
そのアパートの、階段を上がって一番手前の部屋が、俺の新居だった。
「なんつーか、すげーな」
「いいんじゃないかな。理想的だと思うよ」
本当に他人事のように言いながら、小野寺と大垣が黙々と荷物を部屋に運び込む。それが床に置かれるたびに、俺は床がきしむ音にビビッていた。
「俺、ここに住むんだよな……」
道理で他の住人がいない訳だ。こんな所、いつ取り壊されても不思議じゃない。
「口ばかり動かしてないで、手を動かしたらどうなの、この愚図」
文句を言いながら篠原が衣類の入ったダンボールを持ってくる。この女、引越しの手伝いなのに、どうして今日もゴスロリ着てきたんだろう。他に服持ってないのかよ。
女性に対してそんな事を言った日には、いつ呪い殺されてもおかしくないし、このまま何もしなくても呪われそうなので、渋々荷物運びを再開する。
荷物は普通の引越しよりも随分少ないと思う。持ってきた物といえば、本当の身の回りのものと、最低限の家具だけだ。あくまで映画の撮影用の小道具なので、画面に映らないようなものは用意しなかった。反対に、フトンなんかは三組用意してあり、擬似的に三人暮らしているように見えるという寸法だ。
これらの家具は、各々の家から不用品を拝借したり、それでも用意できなかったものは、リサイクルショップで格安で購入したりして揃えた物だ。
とまあ、捜してみれば、家の中には普段使っていない家具なんて結構あるもんだね。追加で買ったものなんて、ほとんどない。
「やっぱり誰かが生活してないと、不自然だね」
小野寺の言うとおり、雑然と家具が並べられただけの部屋は、まるで映画のセットの様でしかなかった。
「という訳で、生活観の演出、よろしくね」
俺がわざわざ住まなくちゃいけない理由が、それだった。部屋を借りて、家具を置いて、それらしくしたところで、「セット」のような不自然さしか生まれない。どうしても、誰かが住んで生活観を出さなければリアリティが着いて来ない、というのが小野寺の意見だった。
「でもなあ、こんな環境じゃ、生活できる気がしないよ」
なにせ、ここは自分の家じゃない。名義上は俺の家、という事になってはいるが、けれど引越し早々なじめる訳もない。俺は生まれてこの方、引越しという経験をした事がないので、これは普通の感覚なのかもしれないけれど。
「大丈夫だよ。実家からそう遠いわけじゃないんだから。すぐ近くにコンビニだってあるし」
小野寺の言い分は、まるでコンビニさえあれば生活に困りはしない、という具合だ。確かにこのアパートの立地は、俺たちの生活圏のど真ん中なので、いつも行っている店にも近いし、何より全員の自宅からも近い。だからこそこのアパートに決めた、というのもある。
それよりも何よりも、一番の問題が、このアパートには電話回線しか通っていない、という事だ。
「これじゃ、インターネットができない」
つまり、このアパートの一室でネットワークに接続するには、電話回線を利用するしかないのだ。通信速度? お話になりませんよ、ほんと。昔、自宅に光回線が来る前に使ってたけど、ほんと酷かった。あの地獄が再来すると思うと、もう震えが止まらないね。なんせネット廃人だから、俺。
「まあ、その分執筆に専念できると思えばいいじゃない。中々ないわよ、こんな機会」
「人事だと思って言ってくれるな、篠原。じゃあ、お前が代わりに住むか?」
「嫌よ。私には相応しくないわ、こんなアパート」
ケッ、どいつもこいつも、勝手なことぬかしやがって。
「まあ心配すんなって。近いんだから、寂しくないようにちょくちょく顔出してやんよ」
大垣のやろう、ここを溜まり場にする気じゃないだろうな。
「ご飯食べたくなったら、うちのお店に来ればいいよ~」
手料理作りに来てあげる、じゃないあたりが憎いぜ、村主。
くたびれた畳の上にへたり込みながら、俺は大きなため息を吐いた。
こんなアパートで、生活できんのか、俺?
日が傾き、荷物の整理も一通り片付いたところで、ささやかな引っ越し祝いのパーティーが始まった。
といっても、コンビニで買ってきた酒で宅呑み、と言ったほうが正しい。
隣も下の階も空き部屋なので、大人数でワイワイ騒いでも気にならないので、全員バカみたいにはしゃいでいた。
全員で乾杯の音頭とともに、発泡酒を一缶開けたところまでは、かろうじて記憶がある。でもその後が、どうにも定かじゃない。
元々俺も、そんなに酒に強くはないしね。好きなんだけどさ。
なんとなく憶えているのは、大垣がえらく下戸だった事、小野寺が泣き上戸で、村主が笑い上戸だった事、その中で篠原が一人、顔色一つ変えず黙々と酒を呷っていた事。
俺自身も非常に気分よく飲んでいたんだけれど、どうやら疲れが溜まっていたらしい。いつの間にか、眠りに落ちていた。
ただ、俺はワナビなんかじゃねぇ。作家デビューする気なんざ、これっぽっちもねぇって痛々しいほどに力説していたのだけは、憶えていた。