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根拠のない評定

大広間の壇上で、わたくしの品位は、首席から失格に書き換えられた。


 その宣言を聞いた瞬間、わたくしが思ったのは、屈辱でも怒りでもなかった。


 ――その評定は、いつ、どの合議に基づいて下されたのか。


 わたくしはヴェロニカ・アーデン。アーデン公爵家の娘で、この国の王太子妃候補の首席だった。「だった」と過去形になったのは、たった今のことだ。


 この国では、王太子妃は血筋だけでは決まらない。妃候補評定という制度がある。評定委員会が、候補の令嬢たちを項目ごとに評定する。品位、教養、慈愛、治世への理解。その評定が記録され、首席が次の妃となる。わたくしは三年間、その首席だった。品位の評定は、委員会で最も高い。


 ただ、首席ではあっても、好かれてはいなかった。


 わたくしの品位は、立ち居振る舞いの正しさで得たものだ。礼の角度、言葉の選び方、感情を顔に出さないこと。どれも、規則の通りにできる。けれど、それは「冷たい」とも呼ばれた。婚約者であるユリウス殿下からは、いつか面と向かって言われた。お前は品があるが、心がない、と。


 わたくしは、それを否定しなかった。否定しても、評定は変わらない。わたくしは、心で首席になったのではない。正しさでなった。そういう候補だった。


 夜会は、その評定の首席を、公に披露する場のはずだった。退屈な夜になるはずだった。決まっていることを、決まった通りに告げる。それだけの夜のはずだった。


 壇上に立ったのは、評定委員長グレタ・ロウゼン侯爵夫人だった。年輩の、品のある婦人だ。評定の実権を、長く握っている。


「本日、評定委員会は、評定の重大な修正を行いました」


 夫人の声は、落ち着いていた。


「ヴェロニカ・アーデン嬢の品位を、失格といたします。理由は、品位条項に反する行いです。同嬢は、男爵令嬢サラ・メルクに対し、継続的な侮辱と排斥を行ってきた。妃たる者の品位に、これは値しません」


 広間がざわめいた。


 グレタ夫人の隣に、王太子ユリウス殿下が立っていた。そして、その後ろに、小柄な令嬢がいた。栗色の髪を結い、伏し目がちに立っている。サラ・メルク。最近、評定に名を連ねるようになった男爵令嬢だ。


「これに伴い、サラ・メルク嬢の品位を、最上位と評定します。総合において、サラ嬢を新たな首席候補といたします」


 夫人は、一束の書類を掲げた。


「これが、アーデン嬢の品位を失格とした根拠です。同嬢がサラ嬢に行った侮辱の記録。日付も、場所も、目撃者も記されています」


 ユリウス殿下が、夫人の隣で頷いた。


「私は、この記録を読んだ」と殿下は広間に向けて言った。「読んで、恥ずかしくなった。私の婚約者が、これほど弱い立場の者を踏みつけてきたとは。どちらが妃にふさわしいかは、明らかだ」


 拍手が起きかけた。けなげな男爵令嬢を、正義の王太子が救い、高慢な公爵令嬢が裁かれる。物語としては、完成していた。


 わたくしは、その物語を聞きながら、別のことを見ていた。


 サラ・メルクだった。


 断罪される者ではなく、断罪を見ている者のほうを、わたくしは見ていた。人を見るとき、わたくしはまず、その者が状況のどこに立っているかを読む。サラ・メルクの立ち方は、奇妙だった。


 この場は、彼女にとって、初めての修羅場のはずだった。男爵令嬢が、公爵令嬢を退けて、王太子妃の首席に立つ。本来なら、震えるか、青ざめるか、少なくとも緊張するはずの夜だ。


 けれど、サラ・メルクは、落ち着いていた。


 怯えてもいない。勝ち誇ってもいない。彼女は、伏し目がちにしながら、ときどき広間を見回した。誰かを探すのではない。確かめていた。壇の位置、王太子の立ち位置、わたくしの表情。まるで、この場面を前にも見たことがあって、それが「知っている通り」に進んでいるかを、照らし合わせているようだった。


 そして、わたくしと目が合ったとき、サラ・メルクは、かすかに微笑んだ。


 勝者の笑みではなかった。憐れみの笑みだった。けれど、その憐れみには、温度がなかった。目の前の人間に向ける憐れみではなく、「そういう結末になる役の人」に向ける、決まりきった憐れみだった。


 わたくしは、その表情を、覚えておくことにした。


 奇妙な娘だ、と思った。けれど、その奇妙さに名前をつけられなかった。社交界の令嬢を、わたくしはたいてい読める。誰が何を欲しがり、何を恐れているか。けれど、サラ・メルクの落ち着きには、心当たりがなかった。記録にない動きだった。


 いまは、脇に置いた。先に、確かめるべきことがあった。


「殿下」


 わたくしは、静かに口を開いた。広間が静まった。泣くのか、取り乱すのか、弁明するのか。誰もが、そのどれかを予想していた。


 わたくしは、そのどれもしなかった。


「一点だけ、確認させてください。サラ嬢を品位の最上位とする評定は、評定規程第7条に定める、二名以上の合議によるものですか? それとも、委員長おひとりの判断ですか?」


 グレタ夫人の眉が、わずかに動いた。


「……何を言うのです。評定は委員会の総意です」


「総意であれば、合議の記録があるはずです。直近の合議で、サラ嬢の品位を審議した記録は、評定院に綴じられていますか?」


「ヴェロニカ嬢」とユリウス殿下が遮った。「こんなときまで、手続きの話か。お前のそういうところが、品位を欠くというのだ。サラ嬢を見ろ。彼女は、お前にどれほど傷つけられても、人を悪く言わない」


 お前のそういうところが、品位を欠く。


 その言葉を、わたくしは覚えておくことにした。後で書きとめておく価値のある一言だった。


 殿下は、本気でそう信じている顔をしていた。あの正義感に、嘘はなかった。だからこそ、厄介だった。彼は、誰かに渡された評定を、自分の正義として信じている。


「承知しました」とわたくしは言った。「お尋ねしただけです」


 わたくしは、完璧な角度で礼をして、踵を返した。


 拍手が、わたくしの背中で起きた。けなげな娘を守る王太子への、温かい拍手だった。


───


 廊下は、静かだった。


 給仕が一人、目を伏せてわたくしの前を通り過ぎた。昨日まで首席候補だった令嬢に、もう深く礼をする者はいない。噂は、宣言より速い。


 社交界の物差しの上で、わたくしは今夜、首席から失格に落ちた。


 不思議と、堪えなかった。社交界の喝采を、わたくしは元々あまり信じていない。喝采は、評定ではない。根拠の記録もない。ただの空気だ。


 わたくしには、二つの物差しがある。一つは、社交界の物差し。誰に好かれ、どれだけ噂されるか。その物差しの上で、わたくしは今夜、いちばん低い場所に落ちた。もう一つは、評定の規則という物差し。合議があるか。根拠記録があるか。条文の通りか。その物差しの上では――まだ、何も決まっていない。サラの最上位は、合議の記録のない、無効の評定のままだ。わたくしの失格も、根拠が示されていない。


 社交界では、わたくしは負けた。けれど、規則の上では、まだ勝負は始まってもいない。


───


 自室に戻り、わたくしは手帳を開いた。


 革表紙の、こまかな覚え書きで埋まった手帳だ。今夜のことを、いつも通り記録した。


 品位、首席から失格に修正。サラ・メルク、品位を最上位に。殿下の言葉「品位を欠く」。


 そこまで書いて、手が止まった。三つ、引っかかることがあった。


 一つは、評定だ。サラ・メルクの最上位に、合議の記録があるとは思えない。月に二度の合議で、その評定が決まった覚えがない。評定だけがあって、根拠がない。誰かが、合議を飛び越えて、書き換えた。根拠のない評定は、規則の上では、まだ存在しない評定だ。


 二つめは、失格の理由だ。グレタ夫人は「継続的な侮辱」と言った。具体的な記録があるとも言った。けれど、わたくしには、サラ・メルクを侮辱した覚えがない。そもそも、ほとんど言葉を交わした記憶もない。


 恋の話なら、ここまで手間はかからない。殿下がサラに惹かれているだけなら、ただ「心変わりした」と言えばいい。けれど、誰かはわざわざ、品位条項という規則を選び、合議を装い、記録まで作った。規則を使って、わたくしを落とした。


 わたくしは、これを恋の後始末だと読んだ。殿下の心変わりを、正義に見せかけるための工作だと。


 それが、わたくしの読み違いだった。けれど、それに気づくのは、もう少し先のことだ。


 三つめが、いちばん名前をつけにくかった。


 サラ・メルクの、あの落ち着きだ。


 初めて公爵令嬢を退ける夜に、震えもしない娘。この場面を「知っている通りだ」と照らし合わせるような目。わたくしに向けた、温度のない憐れみ。あれは、勝者の顔でも、悪人の顔でもなかった。


 あれは――結末を、先に知っている者の顔だった。


 わたくしは、手帳にそれを書こうとして、書けなかった。記録にない出来事は、書きようがない。誰かが未来を知っているなどというのは、検めようのない話だ。検められないものを、わたくしは点にしない。


 だから、こう書くにとどめた。


 サラ・メルク――この場を、初めてとは思っていない(要観察)。


 手帳を閉じた。


 明日、評定院の記録室へ行こう。サラ・メルクの最上位に、合議の記録が綴じられているかどうか。それを確かめれば、今夜の出来事が、恋の話なのか、別の何かなのかが分かる。


 わたくしは灯を消した。


 首席でなくなった最初の夜は、静かだった。けれど、頭の中では、二つのものが、ずっと宙に浮いていた。根拠のない評定と、結末を知っているような、あの娘の目だった。


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