疑念
それは、人のようでいて、人ではなかった。
清潔な白衣に身を包み、薄紅色の髪をショートヘアにして佇んでいる。通路の警告灯が赤く明滅するたび、その髪だけが夜光塗料のように微かに光を帯びて揺れる。そこだけ見れば、どこか儚げな少女のようだった。
だが、その顔面には生身の人間が持つ生の匂いが欠片も存在しない。
血色を忘れたように冷徹な陶器の肌。呼吸の気配も、瞬きも、表情の癖もなく、まるで完璧に整えられた精巧な仮面だった。
その硬質な静寂の中で、唯一、異質に蠢くもの。
眼窩へ深く埋め込まれた多重レンズだけが、虫の複眼のように、生き物めいて回転していた。
キュル……キュル……。
小さな駆動音を立てて真鍮のレンズが収縮し、焦点を合わせる。
華奢な腰回りには革布が幾重にも巻かれ、隙間から鈍く光る無数の器具が垂れ下がっていた。ピンセット、目打ち、細長い針。外科医と解剖学者と魔女が、お気に入りの道具を持ち寄って無理やり詰め込んだような異様さが、白衣の裾から覗く。
腹部は、人間の構造から完全に逸脱していた。不自然なほど滑らかな球体が、ちょうど腹の代わりをして嵌め込まれている。表面は薄いピンク色の摺りガラスみたいにぼやけていて、内部の様子は一切窺い知れない。
指は、細い真鍮針を何本も束ね、よじって指の形へ押し込めた代物だった。
関節が曲がるたび。ぎち、と。
神経に障る微かな金属音が鳴る。
生物が立っているのではない。
精密に作られた異物が、人間の真似をしてそこに佇んでいた。
「……絡繰り人形」
ミサキは、知識の中にあるその単語を引き当てる。
絡繰り人形とは、そもそも人間の労働を代替する目的で開発された人工機構であり、工業、医療、警備、果ては軍事分野に至るまで様々な現場に投入されることを前提として設計された存在である。
しかし、その多くは人間に対して協調的とは言い難い性格傾向を有しており、基本的に人類を見下すような挙動を取る。
なぜそのような思考傾向が組み込まれているのかは、製造元の企業のみが把握しており、詳細な理由は公表されていない。
とはいえ、その性能は極めて高く、他社製の同型機と比較しても演算能力や判断精度において明確な優位性を持つため、その能力を買った朝廷により現在では管の維持管理のため無くてはならない存在として扱われている。
総じて、有能。しかし性格面に難あり。
ミサキは過去の遭遇経験から、少なくとも友好的に雑談できる相手ではないと知っていた。
だが、目の前の個体は、その記憶の中にある絡繰り人形よりもさらに奇妙だった。
絡繰り人形というものは、もっと人に似ているはずではなかったか。
彼女は音もなく滑るように近づき、ミサキの目の前でぴたりと止まった。レンズが最大まで突出し、ミサキをその顔の凹凸を、顕微鏡で覗き込むように執拗に観察し始める。
無言。至近距離で見つめあう。
「す……」
「す?」
「すんばらしいぃいいいいいいい!!!!!!」
鼓膜を直接叩き割るような絶叫。
ビシィッ! 素晴らしい敬礼!
そのまま強引に握手! ブンブンと振り回す!!
「自分ッ! 貴女ののような怪奇を至近距離で観測できて、感無量なのでありますッ!! 」
「うぉおおお……!」
「自分の名はツクモ! ツクモって呼んで欲しいのです!」
「ものすごい勢いっ!」
ぶんぶんぶんぶん。手が振り回されて残像が見える。さっきまでの無機質な観察機械はどこへ行ったのか。感情を爆発させるたび、腰の器具群がしゃらしゃらと激しく鳴り、白衣の裾がばさばさと揺れた。
「出来れば色々調べたいのです! これでもかと調べたいのであります! 大丈夫、健全だから!」
熱意に押されて後ずさるミサキを逃がすまいと、ツクモは両手の針指をカチカチ鳴らしながら、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
「や、ヤモリぃ! こいつ怖い! ボクが会うやつ皆こんなだ!」
「気になるのです! 非常に、興味深いのでありますッ!」
ツクモの針指が、ミサキの肩へ伸びる。
「そこまでにしてください」
呆れ混じりの声と共に、ヤモリがその腕を軽く払った。
「はっ! これは失敬失敬!」
ツクモはぱっと身を引くと、胸へ拳を当てて改めて深々と一礼した。
「では改めて自己紹介を。自分の名はツクモ。 普段はこの管にて保守、解析、修繕、検体管理、その他多数の業務へ従事しているのであります! どうぞ、よしなにお願いしたいのであります!」
ガシャン、と小気味よい金属音を立てて差し出された右手に、ミサキはおずおずと自分の手を重ねた。見た目に反して握り返された掌は人肌の温もりを精巧に模していた。
「それより、ちゃんと差し込めたんでしょうね? 出来ませんでしたとは言わせませんよ」
ヤモリの刺すような問いかけに、ツクモはぱっと身体を離し、得意げに胸を張った。
「それならばっちりなのですよ。」
にこやかにピースするツクモから発せられる声。そこでようやくミサキは気づく。
「貴方はあの時の審査員の人!」
あまりのテンションの激変ぶりに、同一人物だと結びつくまで随分と時間がかかってしまった。だが、今ツクモの口から発せられた声は、あの無機質な会場のスピーカー越しに響いていた声と全く同じなのだ。あの牛さんの中の人なのだ!
今更気づいたのかと、ヤモリが不敵な笑みを浮かべる。
「その通り。第一の審査員はこちらの手の者。つまり、最初から貴女の合格は定められていたということです」
「試験突破に際し、努力や才能などに頼る必要などありません。すべては事前の根回しで決するのですよ!」
「おお!!………………………………待てよ?」
反射的に喜びかけて、はたと気づく。
「つまりボクが何を言おうと、というか言わずとも。合格してたのでは?」
「貴女が突然全裸になろうが、同室に居る人間を片っ端から殴り倒そうが合格していましたよ」
「そっかぁ」
結構、頑張ったんだけどな……ミサキは遠い目をした。
「それより、こっちこっちなのです! 自分はちゃんと、ヤモリがいった通りに準備したのですよ」
くるりと振り返る
「我々の今後のための……とっておきなのです!」
ツクモに案内された先、扉が開かれるとそこに広がっていたのは、先ほどまでの錆と油にまみれた陰鬱な廃棄区画とは打って変わり、驚くほど生活感の溢れる穏やかな居住空間だった。
地下特有の圧迫感を打ち消すように、壁面は清潔感のあるオフホワイトのクロスで統一され、天井の埋め込み式ライトが、まるで春の陽光のような柔らかな暖色で室内を照らしている。
床には厚手のオーク材を思わせるフローリングが敷かれ、その上には肌触りの良さそうなアイボリーのラグが広げられていた。
「じゃじゃ~~ん! どうでありますか、この広々としたリビング! 沈み込んだら最後、二度と立ち上がれないソファ~に、古き良きテレビ! さらには、この乾燥した地下空間には欠かせない、ウォーターサーバーも完備であります!」
ツクモは、細い真鍮の指先で次々と部屋の設備を指し示していく。
「それだけではないのです! 殺風景な景色は精神衛生に良くないとの判断から、品種改良された耐陰性観葉植物を、アクセントとしてバランス良く配置しておいたのであります! 24時間体制でマイナスイオンを噴射し続ける、まさに地下のオアシスなのでありますな!」
部屋の隅々には、艶やかな葉を湛えたパキラや小ぶりな多肉植物がセンスよく並び、家としての温もりを添えていた。得意げに胸を張るツクモに対し、ヤモリは眉間の皺を深く刻み、冷ややかな声を投げた。
「……ツクモ。私はあくまで、必要最低限の生活ができるスペースを確保しろと言ったはずです。ここまでの過剰な装飾は指示していません」
「そして~~! ぷんすかと怒っているヤモリも、あっと驚くこと間違いなしのメインディッシュは――こちら! キッチン、なのであります!」
ツクモが自信満々に指し示した先。そこには、一般家庭用としては最高峰のスペックを誇る、対面式のシステムキッチンが鎮座していた。
人工大理石の真っ白な天板は、塵ひとつなく磨き上げられ、壁のラックには、プロが愛用するような鋼の包丁が美しく整列している。棚には熱伝導率に優れた銅製のソースパンや、使い込まれた風合いの鋳物ホーロー鍋が、出番を待つかのように整然と並んでいた。
「…………」
「見てください、この充実のラインナップ! 包丁セットに、銅製フライパン、さらには低温調理器から燻製機に至るまで、あらゆる調理器具を網羅しているのでありますよ!」
先ほどまで小言を連発していたヤモリが、ぴたりと口を閉ざした。その瞳が、吸い寄せられるようにキッチンの棚へと向く。
ミサキは見た。
ヤモリの中で、怒りが調理器具に敗北する瞬間を。
「……ふん。まあ、邪魔にならない範囲の設営ならば、問題は無いでしょう。……ちなみに、基本的な調味料の備えは」
「抜かりないのであります! 岩塩、黒胡椒、数種類のハーブに、オリーブオイル。他にも色々。一通り揃っているのです!」
「…………」
ヤモリは無言のままキッチンの使い勝手を確認するように、指先で天板の滑らかさをなぞり、包丁の重心を確かめるように一本手に取り、満足そうに息を吐いた。
ヤモリは料理好き。これは意外な一面だ そうミサキはソファに横たわりながら、心のメモ帳に追記した。
「寝心地は如何ですかな? フワフワでありましょう!」
「確かに……フワフワだ……。素晴らしい……満点だよ」
ツクモはぐっと拳を握った。
吟味したかいがあった、という顔である。
冷蔵庫の確認をすませたヤモリが、静かに振り返る。
「我々は試験をクリアするまでここで過ごすこととなります。それほど長い期間とはならないでしょうが、必要な時以外はここから出ないように」
「? どうして?」
ヤモリは言葉を返さず、ツクモに目線で説明を任せた。
「ここは管の地下深く。普通は、我ら絡繰り人形以外を招き入れることは許されていないのですよ」
ツクモは声を潜め、さらに続ける。
「特に、管の最高責任者であるヒマワリ様は極度の人間嫌い、怪奇嫌いなのです。ここに住んでいるとバレた暁には……楽に死ねることを祈るほか無いのですよ」
「……なんでそんな物騒な場所を選んだのさ?」
「他より圧倒的に設備が良いですし、何より下層の街など防犯に期待できそうもありませんから」
ヤモリがぴしゃりと言葉を切る。
ミサキの対面に座ると、そのまま真っすぐとミサキを見やる。
「ミサキさん。改めて情報の交換及び、認識のすり合わせを行おうと思います」
「我らの目的はアンサーの確保およびに上層へ昇り詰めること」
「そのためにはまずミサキさんがプロジェクトの試験を勝ち進む必要があります。すでに第一試験は突破し、残されるのは二つ」
「右腕を出してください。宿っているアンサーを解析します」
「ほい」
ミサキが腕を差し出すと、黒い携帯電話がずるりと皮膚から姿を現す。
ヤモリは足元から真っ黒な鞄を持ち上げると、そこへ無造作に手を突っ込んだ。そして──どう見ても物理的に入るはずのないサイズの大型モニター、キーボード、各種配線、巨大な解析機器を次々と引っ張り出し始めた。
バッグから取り出した機器をミサキの腕の携帯に接続すると、ヤモリは猛然とキーを叩き始めた。ディスプレイの無機質な光が、顔を照らす。しばらく音だけが響いて。
「ふむ、なるほど……いくつか疑問点が解消されました」
ディスプレイを流れる無機質な文字列を追いながら、ヤモリが静かに呟いた。
「まず第一に――これはもう、アンサーとは呼べませんね」
「んん?」
ミサキがソファの上で首を傾げる。ヤモリは視線を画面に固定したまま、淡々と言葉を続けた。
「正確に言うなら、分け身……あるいは子機、その一部分と表現するべきでしょう」
「一部分?」
「ええ」
規則的なキーボードの打鍵音が、静かな室内に小さく響く。
「サヨリ様が所持していたあの携帯。本来はそこにアンサーは囚われていた。しかしあの日に脱走した。貴女も見たでしょう?」
サヨリとの会話。静寂を切り裂く携帯電話の着信音と、それに続いた惨劇。
怪人アンサー。
ツクモが小さく頷く。
「今ここに居るのは、本体が外へ脱出する際、その場に切り離されて残った欠片。出力で言えば、本体の十分の一も残っていれば御の字でしょう」
「しかしそんな状態では互いに意味が無いでしょう。私は完全なる力をもったアンサーの力を使いたい。貴女はアンサーそのものと共に上層に向かいたい」
「だからこそ、この街のどこかにいるアンサーを、その本体を確保しなければならない。……現在、どこもかしこも色めき立っていますからね。裏社会の大物を殺し、その手から逃れた怪奇を我こそはと狙う連中が山ほどいる。そんな彼らに後れをとってはいけません」
「それに、アンサーを確保しその力を手に入れることは、貴女が試験を勝ち抜く上でも大きなアドバンテージになる。力はあればあるほどよろしいですから」
そこで一息つき、
「そもそも、怪奇である貴女が何故上層に行こうと?」
問われたミサキは、一度「ふっ」と笑った。
ソファの中で沈んでいた身体を、勢いよく起こす。
この話だけは、何度しても飽きないのだ。
「この世界が6日後に滅ぶからさ!!!」
ばばーん。ミサキは華麗にポーズを取った。
「滅ぶ……。それは……何です? 6日後に?……何故?……貴女の、怪奇の力でそう確信したと?」
「そのとおり! ボクにかかれば未来を見通すことなんて造作のないことなのさ!」
ヤモリは居住まいを正し、ミサキへと身を乗り出した。
画面の解析結果より、今はこちらが重要だと判断したのだろう。彼の目が、ミサキの言葉の裏側を探り始める。
「具体的には、どう滅ぶのですか」
「ふっふっふ……怖いかい? 怖いだろう?」
「具体的には」
「あ、具体性はボクにも分からないよ」
「……」
「滅ぶってイメージが頭の中でビビッと来ただけだから」
ヤモリは冷蔵庫へと去っていった。
代わりにツクモが飛びついた。
「怪奇ッ! 怪奇っ! 仕様を知りたいのですっ! 【こっくりさん】って何が出来るのでありますか!?」
その一言で、ミサキの顔がぱっと輝いた。
見どころがある。こいつは非常に見どころがある。
ミサキはソファの上で足を組み、指を顎に添えた。
「ほう。気になるかね、ツクモ君」
「とっても!」
「例えば探し物とか探し人。それにちょっとしたパスワード程度なら直接答えを割り出して解くこともできる! これはもう、こっくりさんの面目躍如ってやつだね」
「確か」横から冷ややかな声。香辛料の瓶を眺めていたヤモリだった。「紙に文字を書き、その上へ硬貨を置き、霊を呼び出す遊びでしたね」
ミサキの顔がさらに輝いた。待ってましたと言わんばかりに懐へ手を突っ込む。
「試すかい!?」
取り出されたのは、年季の入ったお手製の「あいうえお表」と、一枚の十円硬貨。
「ほらほらほら!」
ばさり、と机へ紙を広げる。
「やり方は簡単! 硬貨へ指を乗せるだけ!」
「やりませんよ」
「えぇ~?」
すると、ツクモが真鍮の指先を見つめながら、もじもじとし始めた。
「ヤモリ! 代わりにやってほしいのです……自分じゃ意味が無いので」
「だからやりませんって」
「ひん」
ツクモの肩がしゅんと落ちる。
「泣いちゃったよ……! ほら……君だけだ! この場を収められるのは!」
「……」
ヤモリは深々とため息を吐くと、諦めたように机の前へ腰を下ろした。
「これで満足ですか」
「いえーい!」
ミサキとツクモが同時に拳を突き上げた
「では問いましょう。――アンサーの居場所を教えなさい」
「知らないよ、そんなの」
「…………………………」
「……質問を変えましょう。アンサー本体の居場所を、大まかで良いので教えなさい」
「知らないってば。もっと簡単な内容じゃないと無理だよ」
ヤモリは無言のまま、硬貨の上に置いていた指を離した。
「あ」
ミサキが言った。
「ここまで役立たずだとは思いませんでしたよ…………ん?」
ヤモリの視界の端に、何かが映った。
机の上に、ミサキをデフォルメして小さくしたような何かが、ちょこんと乗っていた。
「……」
「……ヤア!」
チビミサキが短い手を挙げた。
ヤモリが振るえる指を向ける。
「何ですこの……ナマモノは……?」
「? 何を指さしているのです?」
ツクモが首を傾げた。
その多重レンズは、机の上をきょろきょろと探っている。だが、何も捉えていないらしい。
にじりにじり……チビミサキはにじり寄る
「何だと聞いています!」
「ミサキサ~」
「く、来るなっ!!」
椅子をひっくり返し、部屋の隅へ逃げ惑走を始めるヤモリ。ミサキとツクモには、ヤモリが一人で虚空に向かって暴れているようにしか見えなかった。
ツクモが顎に手を当て、分析する。
「察するところ、儀式の中断に伴う認識限定型の残留現象……対象者の視覚、または精神層にのみ干渉する、小規模な呪的分身でありますかな?」
「多分その通り!」
ミサキは我が意を得たりと胸を張った。
「儀式を中断した奴には、強制的にボクの一部が植え付けられちゃうのさ! 自分にしか見えないチビミサキと半永久的に過ごさないといけなくなる!」
「ふむふむ。これはまた怪奇らしい現象ですなぁ」
「……まあ、ほんとは身体を乗っ取るはずだったんだけどねぇ」
ミサキはてへっと舌を出した。
「今のボク、ちょっと力が足りなくてさ。ミニサイズになっちゃった」
「話してないでっ、コイツをどうにかしろーーーー!!!」
見えないナマモノに追われ続けるヤモリの悲鳴が、地下施設に虚しく響き渡った。
それでも、ソファは柔らかく、観葉植物は健やかで、キッチンは完璧だった。
閑話休題。
「……結局、貴女の力に期待できる部分がこれっぽっちも存在しないことが分かりましたね。ここまで雑魚だとは」
ヤモリが冷静に言う。チビミサキは消えた。とりあえずミサキが視界には入らないようにしたのだ。
「つい先日、ボクに負けたろ君」
「…………それで六日後に世界は滅びそうですか? 私には妄言にしか聞こえませんが。貴女程度の怪奇に未来を見通す力があるとは思えませんし」
「じゃ、滅んだらどーすんだよ」
「仮にそんなことがあれば何でも言うことを聞いてあげますよ! そんなこと起こりえないでしょうがね」
「言ったな??」
さて、と。ヤモリが仕切り直すようにして視線を向ける
「では貴女の右腕の力を使ってアンサーの居場所を割り出しましょう」
「右腕の力?」
「アンサーの力ですよ。その力は、あらゆる組織や個人が喉から手が出るほど欲しがるほどに強力なのですよ。劣化しているとはいえ、この程度のサーチはやってのけるでしょう」
ヤモリが指示を飛ばす。
「さあ、今は貴女の一部なのでしょう。その力でもって見つけ出しなさい」
「やってみるけどさ……」
ミサキが自らの右腕へ意識を向けると、機械化されたその腕が、生き物のようにドクンと蠢いた。握られている黒い携帯電話の画面がバチバチと激しくスパークし、無数の文字列を高速で羅列し始める。
接続されていた大型ディスプレイが、まるで発狂したかのように激しく明滅を始めた。
画面全体へ奔る凄まじいノイズ。砂嵐、高速で流れる無数の文字列、エラーコード、意味不明の記号群。
──そして一瞬の後。
それらすべてが、嘘のように一斉に消え去った。
代わりに映し出されたのは、あまりにも鮮明な一枚のデジタルマップ。
下層全域。その中央付近で──一箇所だけが、赤く脈動していた。
まるで、生き物の心臓の鼓動みたいに。規則正しく、確かに、そこに『本体』が存在していると告げるように。
「こんなあっさり……」
ミサキが呆然とつぶやく
「おぉ~! ハイテクでありますなぁ、ツクモもびっくりであります!」
「ここまで詳細に分かるとは……」
ヤモリは静かに画面を拡大した。しかし、赤い点はそれ以上細分化されない。全体の座標は見事に示しているが、建物内部の詳細な位置までは絞り込めないようだ。
「ふむ……」
ヤモリが顎へ手を当てる。
「場所は商業区画ですね」
ツクモがすぐに反応した。
「元々は大型商業モールだった場所でありますな! 現在は『怪奇専門店』へと改装されている店であります!」
「怪奇専門店?」
「怪奇の売買、保管、収集を扱う場であります。店主はブモウ。警備から運営まで、従属させた怪奇に任せていることで有名な場所なのであります」
ヤモリが小さく頷き、再度マップを鋭く見据えた。
「内部の詳細位置が不明な以上、現場へ直接乗り込むしかありませんね」
ヤモリは立ち上がる。
「私は少々街を探索してきます。ミサキさん。貴女は先行して、現場に向かってください。それと、これを耳に」
ヤモリから差し出されたのは、小さな通信用イヤホンだった。
「ボク一人? ツクモは一緒じゃないの?」
ツクモを指さす。
「ツクモは残念ながら、ここを離れるわけにはいかないのであります!」
絡繰り人形であるツクモはここから出ようとするとそれはそれは煩雑な手順をクリアしなくてはいけないらしく、今回は力になれないと済まなさそうな顔でそう語った。
「さあ、とっとと行きなさい。無駄話をしている時間は一秒もありませんよ」
ヤモリの容赦のない言葉に追い立てられるように、ミサキはイヤホンを握りしめた。
アンサーの影が潜む、未知の怪奇市場。
ミサキは小さく肩を竦めると、まだ見ぬモールへと足を踏み出した。
居住空間の喧騒を離れたヤモリは、下層の中核部分に位置しながらも不夜城の光すら届かない見捨てられた雑居ビル街に立っていた。
酸性雨に削られたコンクリートの壁面は、腐敗と老化の象徴のようであり、路地裏に溜まった汚水が街灯の毒々しい紫を反射している。
目的の場所は、その一角にある古びた雑居ビルの三階。
看板も出していないその事務所は、表向きは経営コンサルタント、実態はこの街のあらゆる噂を売り捌く情報屋である。
誰が何を欲しがり、誰がどこで死に、どの怪奇に値が付いているのか、そういった流れを誰よりも早く嗅ぎ取る。ヤモリは、アンサーがサヨリの手から逃れ、ミサキと別れた後、彼らに調査を依頼していた。
ヤモリは一歩、また一歩と、軋む階段を上っていく。
三階の廊下に入った瞬間、彼は足を止めた。廊下の壁には、目に見えない巨大な爪で引き裂かれたような深い傷跡が、蛇のように長く、どこまでも続いている。
「……これは」
ヤモリは低く呟き、半開きになった事務所の扉を、革手袋をはめた指先で押し開けた。
室内には、かつての豪華な調度品が無残な姿で散らばっていた。
足を踏み出したヤモリの靴底が、ネチャリと重い音を立てる。視線を落とせば、そこはすでに床板の模様が見えないほどの血の海だった。
そこかしこに転がっているのは、事務所のガードマンと思しき屈強な男たちの死体。
ある者は胴体を真っ二つに断たれ、ある者は四肢を切断されている。その断面は、ヤモリがこれまで見てきたどんな刃物よりも鋭利で、鏡面のように滑らかだった。
「少なくとも、ただの人には無理そうですね。……やはり、怪人アンサーでしょうか」
ヤモリは低く呟いた。
怪奇を調べる者は、怪奇へ近づく。
怪奇へ近づいた者は、怪奇の側からも捕捉されることとなる。遠くから眺めているつもりでも、気づいた時には向こう側から手首を掴まれている。
ヤモリは眉ひとつ動かさず、凄惨な死の山を縫うようにして部屋の最奥、所長室へと繋がるデスクへ歩み寄った。
奇妙なことに、主の机の周囲だけは、嵐が避けて通ったかのように綺麗なままだった。
ヤモリは壁のスイッチを入れ、冷徹な光の下で改めて惨状を俯瞰する。ガードマンたちは無残に切り刻まれているが、肝心のこの部屋の主――所長の姿だけが、どこにも見当たらない。
自身に襲いかかる脅威から逃げたのか。……いや、違う。逃げることさえ叶わなかったからこそ、ここには争いや逃走の痕跡が一切残っていないのだ。
「サヨリ様と同じく電話が架かり、それを取り……そして攫われた」
あの時サヨリは瞬きする間に消えた。あれを見る限り回避できるとかできないという話ではない
「しかし貴方は理解していたはず、アンサーの脅威を、何故ならサヨリの死を知っているから。情報屋の貴方が聞き漏らすことなどまずありえない。街に脅威が野放しになっていることなど理解していたでしょう」
「貴方はお気楽にも全く対策をしなかった? まさか、それではここで生きていけるわけもない」
ヤモリは床へ視線を落とした。
そこに、黒く焦げた紙片が散っている。
しゃがみ込み、革手袋の指で一片を拾う。
呪符。それは燃えている間のみ、ありとあらゆる怪奇を退ける対怪奇ご用達のアイテム。
「ざっと見て30枚。紙質を見るに高級ではないが粗悪品でもなし、そして枚数は十分にある。一時間に一枚ペースで燃やしていたのでしょうね。果たして一体どれほどの損失になるのでしょうか。しかし偏執的なまでに対策を取っていたことはこれで明らかになりました」
「では何故アンサーは貴方を攫うことに成功したのか。まさかこの程度の呪符ではものともしない強力な怪奇だった? あるいは……」
しばらく考えるもこれと言った答えはでてこない。これだけの情報では足りない。
「……そして攫ったついでにアンサーは虐殺していった……これまた血の気が多いですね」
「しかし、これは……解せませんね」
ヤモリは、切断された記録端末や、文字が読めないほどに切り裂かれた書類の山を凝視する。
「殺し尽くすのはまだ良い。ですが、自ら証拠を隠滅する怪異など聞いたことがない。しかも、こうも物理的に、執拗に……」
怪奇とは本来、己の性質に忠実な現象だ。ただ殺したければ殺し、呪いたければ呪う。そこに隠蔽や策略といった打算が入り込む余地は本来、存在しないはずだった。――例外を除いて。
ふと、脳裏に一人の少女の顔が浮かんだ。
ミサキ。
怪奇でありながら、人間臭く、妙に感情豊かで、どうにも規格から外れている存在。
怪奇にも、あのように人へ近しい個体が存在しないわけではない。
だが、そういった存在は大抵、力を持たない。力を持たないからこそ隠れ、生き延び、人に寄り添うことでしか存在できない。
目の前にあるのは、それとは真逆の圧倒的な……暴力。
かぶりを振って目の前の惨状を見る――このあまりに執念深く、理性的でさえある破壊の痕跡は、アンサーがどういった存在なのか、その正体の欠片を残骸から読み取らんとする
一つの仮説が、澱んだ思考の底から浮かび上がる。
「………………」
沈黙と死臭が支配する部屋に背を向け、ヤモリは静かに事務所を後にした。




