「神徳」考核大崩壊
午前9時ちょうど。尚羅夢が「高天原のゴミ処理場」に足を踏み入れると、オフィスは異様な熱気に包まれていた。
壁に貼られた「神明再就職KPI進捗管理表」の前で、様々な格好をした──いや、明確に「普通の人間ではない」存在たちが、小声でぶつぶつと呟いている。
袴姿の老人。ローブをまとった女性。作業服のようなものを着た大柄な男。そして昨日、自動販売機に土下座していた痩せた神官風の男性も、隅っこで縮こまっている。
「おはよう。ちょうど良い」
鬼塚室長が現れた。手には分厚いバインダーと、銀色のiPad。彼はオフィス中央のプロジェクターの前に立ち、冷ややかに一同を見渡した。
「本日は、第四四半期『神徳適性評価会』を開催する。各自、先週配布した評価表の記入は済んでいるか」
ザワザワという音が広がる。神々──どうやらそう呼ぶのが正しいらしい──は、それぞれ手元の書類やタブレットをいじり始めた。
羅夢に、鬼塚が一枚のクリアファイルを渡した。
『神明職務適性評価表(Ver.4.1)』
項目は以下の通りだった。
信徒満足度(CS):信仰心維持・向上への貢献
奇跡生産効率:単位信仰力あたりの顕現効果
現代社会親和度:法制度・技術環境との適合性
リスク管理能力:顕現に伴う副次被害の抑制
業務改善意欲:新規スキル習得・サービス開発への姿勢
各項目、自己評価(5段階)と「具体的な成果・課題事例」の記入欄がある。完全に、どこかの企業の人事考査様式だ。
「では、順番に自己評価を発表し、質疑応答を行う。最初は……雷神」
先ほどから腕を組んでいた作業服の大男が、「おう」と低い声で応じた。堂々と前に出る。その途端、オフィスの照明が一瞬、ちらりと明滅した。
「まずはCSだな」雷神は胸を張る。「わしのCSは間違いなく5点満点! 先月も、悩める女性の祈りに応え、その浮気性の男友達を天誅したぞ!」
プロジェクターに、彼が提出した評価表が映し出される。
事例:信徒A子(25歳)より「裏切った男に罰を」との祈願を受け、対象男性の車両への落雷を実行。直撃により車両全損、男性は軽傷。
「……車両全損」鬼塚が淡々と読み上げる。「そして対象男性、神谷健一郎(28歳)は、現在当センターを相手取り、損害賠償及び傷害罪で訴訟を提起している。請求額は車両代償金350万円、慰謝料200万円、弁護士費用50万円、計600万円」
オフィスが水を打ったように静かになる。
「あなたのその一件による、信徒A子からの信仰力収益は……約15万円相当だ」鬼塚の指がiPadを軽く叩く。「差し引き585万円の赤字。CSどころか、リスク管理能力は0点。総合評価はEです」
「な、なんですと!」雷神の周囲に、静電気のようなものがパチパチと迸る。「しかし、あの女性は喜んでおった!」
「その女性は、三日後に別の男性と交際を始め、あなたへの信仰を止めました」鬼塚の声は変わらず平坦だ。「感情的な復讐願望は、持続的な信仰心に結びつかない。ビジネスの基本です。次、貧乏神」
ローブの痩せた男性──貧乏神が、震えるような足取りで前に出る。提出された評価表は、ほとんど空白に近い。
信徒満足度(CS): 自己評価 1 (信徒は常に不満です)
奇跡生産効率: 自己評価 0 (生産と呼べるものはありません)
現代社会親和度: 自己評価 -2 (接触する全ての経済活動を阻害します)
業務改善意欲: 自己評価 1 (改善のしようがありません)
オフィスに、息をのむ音が漏れる。マイナス評価を自分でつける神。
鬼塚は数秒間、評価表を見つめ、そしてゆっくりと顔を上げた。
「……興味深い」彼はそう呟く。「持続的かつ安定的に、負の価値を生み出している。この再現性は、ある意味、稀有な特性だ」
貧乏神は、きょとんとした顔で鬼塚を見上げる。
「例えば、金融機関のストレステスト。あるいは、新製品の耐久性試験。」鬼塚の目が、分析用の計器のように冷たく光る。「『悪いことが起こりうる最悪のシナリオ』を、常に再現できる存在。需要はあるかもしれない」
「そ、それは……」貧乏神の声はかすれる。「褒めていただいて……よろしいんでしょうか?」
「褒めていません。特性の分析です」鬼塚はきっぱりと言い、次の神を呼ぶ。「次。縁結びの神」
評価会は淡々と、しかし残酷に進んでいく。
縁結びの神(華やかな衣装の女性)は「カップル成立数」を誇示するが、その多くが「社長令嬢と過激派活動家」「刑事とヤクザ」などの危険な組み合わせで、リスク管理で減点。
学問の神(老学者風)は「知識伝達効率」が高いが、「現代の受験システムと乖離している」とされ、社会親和度で低評価。
疫病神(陰気な中年男)は、もちろん全項目で最低点。
そして、最後に呼ばれたのは、ひときわみすぼらしい姿の小さな神だった。名札には「靴下仲良しの神」とある。
彼の評価表は、全ての項目が「1」か「0」。事例欄には、細かい字で書かれている。
・信者の靴下の片割れが行方不明になった際、もう片方も隠れてしまい、結果としてペアを揃えられないようにした(CS低下)
・業務改善として「三つぞろいの靴下」の概念を提案したが、需要なし
鬼塚は長い間、その評価表を見つめた。そして、静かに、しかし誰にも聞こえるように宣言した。
「靴下仲良しの神。全項目において基準値を大きく下回り、改善の見込みも乏しい。センターとしてのリソースは有限です」
小さな神の体が、微かに震え始める。
「よって──人間界再就職プログラムへの即時参加を勧告します」
「や、やめてください……!」小さな神の声が詰まる。「私だって……靴下を、仲良くさせたいだけなのに……!」
その瞬間、神の体から微かな光が漏れ始めた。形がゆらぎ、ぼやける。まるで、映画のフィルムが焼けるように、その輪郭が崩れていく。
「あ……ああ……」神の声は、遠のいていく。「なんで……靴下だけ……なんで……」
パチン、という軽い音とともに、その神の座っていた場所には、ゆらゆらと光る、小さな淡い球体が一つ残されただけだった。それもすぐに色あせ、ただの曇りガラスのような塊になる。
誰も動かない。鬼塚でさえ、一瞬、目を細めただけだ。
すると、隅にいた疫病神が、重そうにため息をつき、コピー機の横に積まれたA4用紙の空き段ボールを持ってきて、そっとそのガラスの塊を中に入れた。箱の側面には、油性ペンで「神格残滓 要冷暗所保存」と走り書きされている。
「……次の議題に移る」
鬼塚の声が、硬い空気を切り裂く。まるで、ゴミ一つ片付けただけのように。
尚羅夢は、その全てを、ダメ人間目で見つめていた。内心、一つの感想がゆっくりと浮かぶ。
(ここにいる神様って……俺たち留学生より、よっぽど悲惨なんじゃないか?)
評価会が終わり、神々がしょんぼりとそれぞれの席に散って行く中、鬼塚は羅夢のデスクに近づき、分厚いファイルを「ドスン」と置いた。
「尚羅夢さん。これが、あなたが最初に担当するクライアントたちだ」
ファイルの表紙には、大きく「Eランク リソース」と印字されている。中をめくると、雷神、貧乏神、学問の神……評価会で散々な結果だった面々の写真とデータが並んでいる。
「明日から、これらのクライアントに対する『再就職支援』を開始する。まずは、現代の労働市場に適応するための第一歩だ」
鬼塚は、羅夢の目をまっすぐに見据える。
「履歴書の書き方を教えてやってくれ」
羅夢はファイルを見下ろし、そこに綴じられた雷神の写真──どこか誇らしげにカメラを見つめる大男の顔を見つめた。そして、貧乏神のうつむいた肖像。学問の神の、老いた知性に満ちた目。
(……神様に、履歴書の書き方……)
彼はそっと息を吐き、ダメ人間目を少しだけ上げて鬼塚を見返した。
「……具体的目标は、何でしょうか」
「三ヶ月以内に、いずれか一人でも、人間界での『収益を生む就労』に結びつけること」鬼塚の答えは速い。「それが、このセンターの、そしてあなたの評価基準だ。給与の続くかどうかも、そこにかかっている」
鬼塚が去り、オフィスにはコピー機の低い駆動音と、遠くで誰かがすすり泣くような音だけが残った。
羅夢はファイルを開き、最初のページ──雷神のデータを見つめる。特技欄には「落雷」「雲の操縦」「稲妻を用いた照明」とある。職務経歴は「日本神話時代より、雷神として祭祀」。
(これを、どうやって「経歴」に落とし込めと……)
彼はふと、窓の外を見た。渋谷の街が、午後の光を浴びて忙しなく動き回っている。その中で、神々は「再就職」の二文字にすがろうとしている。
そして、彼自身は──時給1500円にすがっている。
ロビーの方向から、またもや「カチャン……」「……ごめんなさい……」という、自動販売機と貧乏神の、哀れなやり取りが微かに聞こえてくる。
尚羅夢は、静かにパソコンの電源を入れた。検索バーに「障害者就労支援 履歴書 書き方」と打ち込む手が、なぜか少しだけ重たく感じられた。
(まずは……様式を用意しないと)
彼の一日は、こうして、神々の「神生」再建よりも先に、書式のダウンロードから始まるのだった。




