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エキセントリック・スパイダーマン MLB選手 ジミー・ピアソール(1929~2017)

作者: 滝 城太郎
掲載日:2025/11/06

ピアソールの守備は、2025年のワールドシリーズで例えるとわかりやすい。守備範囲と捕球技術はアンディ・パヘス、肩と返球のスピードはレフトからの好返球で二度の併殺を完成させたキケ・ヘルナンデスといったところだろうか。

 一九五七年、パラマウント映画製作・配給の『栄光への旅路(Fear Strikes Out)』がわが国でも封切られたが、アンソニー・パーキンスが主演したということ以外、大して話題にも上らなかったので、洋画ファンでも覚えておられる方はほとんどいないだろう。ところが、この作品はアメリカでは評価が高く、これが監督デビュー作となったロバート・マリガンは、一九五八年度の全米監督協会賞監督賞にノミネートされている。

 この映画の原作は、ジミー・ピアソールという当時二十七歳の現役メジャーリーガーの自伝である。彼はアメリカでこそ有名な選手だったが、来日経験もなく守備のスペシャリストということもあって、実際のプレーを見る機会がなかった日本の野球ファンには馴染みが薄かった。むしろ過小評価されてきたと言ってもいいかもしれない。

 ベーブ・ルースやルー・ゲーリッグといったメジャー史上有数のビッグネームですら、その野球人生が映画化されたのは引退後であることを考えると、このクラスの選手が二十代の若さにして映画の題材にされたのは、プレーヤーとしての実績のみならず、それまでの人生がドラマティックで感動的であったからだ。


 ジミー・ピアソールはウォータベリーの洗濯屋の次男として生まれた。元マイナーリーガーの父ジョンは、息子をメジャーリーガーにするのが夢だったが、年かさの兄が他界してからというもの、ジムは一人息子として両親の期待を一身に背負って育った。

 運動神経抜群のジミーは、レーベンワースハイスクール時代の一九四八年にレッドソックスとマイナー契約を結ぶ傍ら、バスケットボールでも主力選手として母校をニューイングランド大会で優勝(一九四七)に導くほどの腕前を持っていた。

 彼の外野手としての傑出した守備能力はバスケットボールで培った跳躍力によるものが大きい。

 二年間のマイナー生活を終えた一九五〇年、ピアソールは二十歳にして父が越えられなかったメジャーの壁を乗り越えた。

 外野手として先発四試合、代打で二試合だけの出場だったが、ノーエラーで七打数二安打四四球とまずまずの成績を残しながら、翌年は3Aに逆戻りしている。

 一九五一年、3Aで三割四分二厘、十五本塁打の活躍が認められたピアゾールは、翌一九五二年、遊撃手としてメジャー再昇格を果たす。ところが復帰早々、ヤンキース戦の試合開始直前にビリー・マーチンと殴り合いの大喧嘩をやらかしたかと思えば、ゲームの最中にクラブハウスで同僚であるバーニー・ステフェンスの四歳の息子を張り倒すなどトラブルが絶えず、わずか一ヶ月でマイナー行きを命ぜられてしまう。

 ここでもホームランを打ってホームインした自軍の選手に水鉄砲で水をかけるなどの奇行が目立ち、数週間のうちに四度もの退場処分に遭っている。それから間もなく病院で診察を受けたピアゾールな七週間の入院を余儀なくされ、この年は再びグラウンドに戻ることはなかった。

 ピアソールは学生時代から躁鬱の気があったが、精神科医の診断によって、双極性障害(重度の躁鬱病)であることが判明した。原因は父親による過度の期待であり、その重圧が彼の健全な精神を蝕んだのである。これに加えて、得意なわけでもない遊撃を守らされたことで、ジョー・クローニン監督に不信感を抱き始め、被害妄想が拡大してゆく中、突発的な暴力行為に及ぶようになったのだった。

 すでに妻子持ちのピアソールは、家族と医師の献身的な介護の甲斐あって選手生命の危機を脱し、一九五三年にはレギュラー外野手として不動の地位を獲得する。映画はここでハッピーエンドの形で終わっている。

 実際、一九五三年の活躍ぶりは素晴らしかった。

 二割七分二厘、三本塁打、五十二打点、十一盗塁というのは、先頭打者としては平凡な成績ながら、六月十日には一試合六安打(九回まで)のチーム記録を作っている。この成績で年度のMVP投票で九位の得票を集めたのは、守備での貢献度が傑出していたからである。

 前傾姿勢からのダッシュの速さといい、守備範囲の広さといい、当時球界最高の外野手と謳われた同僚のドム・ディマジオに勝るとも劣らなかったが、ピアソールは助走をつけてフェンスを駆け上り、ホームラン性の打球までもぎ取ってしまう特技があった。

 フェンスを恐れず内野スタンドにダイビングすることもしばしばで、誇張でもなくフィールドを越えた守備範囲が最大のウリだった。

 近年ではフェンスにラバーが張られているため、フェンス際でのジャンピングキャッチもしばしば見られるようになったが、ピアソールの時代はフェンスに向かって全力疾走できる選手など数えるほどしかいなかった。

 ある試合では、ミッキー・マントルの左中間への大飛球を逆シングルでは届かないと判断するや、右の素手でダイビングキャッチするという超美技を披露したこともある。


 また、捕球から送球に入るスピードが速く、しかも強肩だったため、右翼守備ではライトゴロも含めて七つもの併殺を完成させている。特に「シューストリング・キャッチ」と呼ばれる外野手が地面すれすれの外野飛球をダイビング気味に捕球する美技は、ヒットと勘違いして離塁した走者が帰塁できずにアウトになり、併殺が完成することが多いが、正面のライナーは距離感がつかみにくいうえ、照明が目に入る危険性もあるので、後逸のリスクを考えると、なかなかこういう思い切ったプレーをする外野手にお目にかかれる機会は少ない。

 コンクリートのフェンスを恐れることなく駆け上り、D~E難度のシューストリング・キャッチをお家芸とするピアソールの芸術的守備はやがて日本の野球雑誌でも紹介されるほどの注目を浴びるようになった。

 ピアソール以前の外野手では、トリス・スピーカーとディマジオ兄弟が守備の巧さではトップ3というのが通説だったが、この一年の活躍で、ピアソールこそメジャー最高の外野守備の達人、という声までちらほら聞こえてくるようになった。

 実際、レッドソックスの外野手として彼のプレーをつぶさに見てきたテッド・ウィリアムズは、「これまでに見た外野手の中では、ジミーが最高だ」と手放しで絶賛していた。ドム・ディマジオ、ピアソールとともに外野を守っていたウィリアムズが両者を比較した結果の評価だけに、スタンドで観戦していたに過ぎない専門家より説得力がある。

 しかし、彼にとっての最大の賛辞は尊敬するベーブ・ルースの未亡人から、「ベーブが生きていたら、きっとあなたのプレーを見たがったに違いないわ」と言われたことだろう。これで自信をつけたピアソールは、一九五四年には待望のオールスター出場を果たし、一九五八年にはゴールドグラブ賞にも選ばれた。

 守備の達人としての名声が高まるにつれ、バッティングの方もたくましくなり、一九六一年には自己最高の三割二分二厘でベストテン第三位、合わせてゴールドグラブ賞も獲得した。

 バッティング面での進歩は、「二割九分は打てる力を持っている」と潜在能力を高く評価していたテッド・ウィリアムズが、個人的に指導してくれたおかげである。


 ピアソールは感動的な映画のラストから想像されるようなメジャーリーガーになれたか、というとそうではない。長らくレギュラーとして活躍はしたものの、ファインプレーと同じくらい奇行の方でもしばしばマスコミを賑わせていた。

 カツラを被ってバットでエアギターを弾きながら打席に向かうくらいは、観客の笑いをかっても害はないが、カッとなるとアンパイヤに向かって罵声を浴びせたり、ヘルメットを投げつけたりする癖はなかなか直らず、時には観客と殴り合いを演じることもあった。

 これほどの名手でありながら、オールスター出場もゴールドグラブ賞も二度ずつに過ぎないのは、やはりエキセントリックすぎる性格が災いしたのだろう。

 引退後は、アスレチックスのチケット販売からレンジャース、ホワイトソックスのブロードキャスター、カブスのマイナーチームのインストラクターなどを務めたが、歯に衣着せぬ性格が災いして経営陣とそりが合わず、幾度も解雇の憂き目に遭っている。

 面白いのはあれだけ派手にやり合ったビリー・マーチンとは仲良くなっていることだ。インディアンス時代には同じユニフォームでプレーし、マーチンがレンジャースの監督になった時は、ピアソールにコーチを依頼している。

 マーチンに言わせると「ジミーはとても人間らしい奴なんだ。ただ俺と一緒で、ちょっと神経質で喧嘩早いだけさ」とのことで、似た者同士、裏表のない性格で気兼ねなく付き合えたのだろう。ただし、四六時中傍にいる夫人はたまったものではなかったようで、マーチンには三度、ピアソールには二度の離婚歴がある。

 先述の映画では、マイナー時代のピアソールがファウルフライを追ってスタンドに飛び込んだ際にぶつかった看護士メリーと結婚するという運命的な出会いが描かれていたが、彼の再起を支え、九人もの子をもうけた献身的な妻メリーでさえ、最後は堪忍袋の緒を切らしており、その最期は三人目の妻が看取っている。

2025年のワールドシリーズはブルージェイズのドールトン・バーショのシューストリングキャッチも印象に残っている。ただしバーショは肩は強くないので、ピアソールの域までは遠い。私は残念ながらピアソールの現役時代は知らないが、リアルタイムで見た外野手の中ではパイレーツ時代のデーブ・パーカーのスピードと鉄砲肩が印象深い。


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