舞台裏に咲いた黒薔薇
リリアナ・レイノルズ。
表向きのリリアナは、「完・璧・な・令・嬢」そのものだった。
整った顔立ち、洗練された話術、優雅な振る舞い―― すべてが計算され、磨き抜かれていた。
彼女の笑顔は社交界の照明のように明るく、誰もが自然と視線を向けた。
育てられた役割を疑うことなく演じる彼女は、第一王子妃候補として、誰の目にも疑いの余地はなかった。
だが、その完璧さは、表の顔を取り繕ったに過ぎない。
幼いころから与えられた美と教養は、リリアナにとって“勝利のための武器”であり、同時に鎧でもあった。
秀でたものを持たぬ自分が、舞台の主役になるためには―― 見た目の華やかさで世界を掌握するしかない。
そう信じて磨いた自我は、やがて硬い殻となり、柔らかな感情を締め出していった。
だが、妹エリスの存在が、彼女の心に影を落とした。
エリスは、見た目は派手ではない。
だが、清楚な佇まいと誠実な振る舞い、薬学における才は、人々の心を静かに掴んだ。
知人や他家の貴族がわが家を訪れたとき、エリスが薬学の話題で生き生きと語る姿は、場の空気を一変させた。 そして、皆から尊敬の眼差しを向けられる。
リリアナは、話題にも入れず、何も答えられなかった。
次第に、リリアナの胸に冷たい怒りが芽生え、それは静かに、しかし確実に膨れ上がっていった。
――舞台を奪われる。 舞台は私のもの。誰にも渡さない。
その嫉妬は、やがて執念へと変わる。
両親の堅実さに阻まれ、必要な装飾が与えられないときでさえ、内心では叫んでいた。
「私が着飾ることでこそ、価値が生まれるのだ」と。
華やかさは正当化され、目的のための手段となった。
* **
第一王子が初めて我が家を訪れた日。
リリアナとともに、エリスも挨拶をした。
彼の来訪の目的は、薬学への興味からだった。
王子は、薬学の質問をリリアナとエリスに投げかけた。
リリアナは答えられなかった。
エリスは、恥ずかしそうにしながらも、目を輝かせて語った。
その光景を見た瞬間、リリアナの胸にあった冷たい怒りは、やがて炎のように熱い嫉妬へと変わった。
(――あの子は、私よりも聡明で、純粋で、第一王子の目を惹く。私の舞台を奪う気?)
それ以来、彼の視線がエリスに向けられるたび、リリアナの心は嫉妬と焦燥に蝕まれていった。
そして、決意する。
(舞台は私のもの。誰にも渡さない)
社交界での地位を固めるため、宝飾品やドレスの新調を父に依頼するが、堅実な両親は度々それを断った。
「エリスは薬草園に通って努力しているのに、あなたは見た目ばかり」
そう言われるたび、リリアナは心の奥で叫んだ。
(私が着飾って社交界に出ているからこそ、第一王子に認められたのに!)
第一王子との面会の時だけは、婚約者としての体裁を整えるため、両親も渋々、リリアナのドレスを新調してくれた。
だが、リリアナは満足しなかった。
もっと自由に、もっと華やかに、もっと高く―― その欲望は、やがて常識の枠を超えていく。
* **
社交界の噂が運んだ、エリスの婚約者のラウルの“暗い才能”。
違法な販路と金の流れ。 リリアナはそれを利用することにした。
ただこの情報を家のために使うのではなく、己の欲のためだけに。
自ら手を汚すことなく、裏で動く男を道具にすればよい。
彼が作る流通網を使い、利益は自分の懐に入れ、表では慈善とやらで名声を得る。
それは冷徹な合理性に基づく戦略だった。
彼女は自らの潔さを装い、寄付を行い、養護施設や教会に薬を届ける“聖女”としての像を築いた。
だが、その薬を調合したのはエリスであり、供給の実務を担ったのも妹・エリスであった。
リリアナは、舞台に立ち、スポットライトの光を浴びる。
舞台裏の仕事は、才能ある妹に押し付けられた。
――エリスにとってそれで十分だと、リリアナこそ輝く女性なのだと、自分自身で信じ切っていた。
「エリスの才能は、私が使えばいい。彼女は舞台裏で、私のためだけに、働けばいいのよ」
そして、エリスを陥れるために、偽文書を仕込み、マリアを買収し、ラウルを操った。
「私は、ようやくこの国で一番高い地位の女性になる足がかりができた。妹なんて、もうこの舞台には相応しくない」
そのリリアナの私欲が、エリスを裁判に引きずり出した。
* **
三年後―― リリアナは、ついにその座を手に入れていた。
皇太子妃として、舞踏会の主役に据えられ、社交界の頂点に立つ。
“聖女”と称され、慈善の象徴として民衆の憧れを一身に集めていた。
だが、その華やかさの裏には、誰にも知られてはならぬ闇があった。
毒薬の密輸、身売りの斡旋、賄賂の受け渡し
―― リリアナは、表の王宮とは別に、影の帝国を築いていた。
寄付という名目で届けられる薬は、王族主導と見せかけていたが、 実際には、かつて妹エリスが調合し、納めていたものだった。
その事実は、巧妙に隠され続けていた。
ようやく、あの妹が“亡くなった”というのに、また煩わしい問題が起きた。
つい先日、ラウルの悪事が露見し、捕まったのだ。
彼はまだ錯乱しており、私の名前を話してはいない。
だが、いずれ口を割るだろう―― あの方に相談して、彼を消さなくては。
そう思いながらも、リリアナは、皇太子とともに舞踏会のフロアを優雅に舞っていた。
皇太子も、参加者も、誰一人として、リリアナの本性に気づいてはいなかった。
いや、気づこうとしなかったのかもしれない。
彼女の笑顔は、あまりにも完璧だったから。
舞踏会の終盤。 皇太子がリリアナを称えるスピーチを始めた、その瞬間だった。
天井の投影装置が作動し、会場の壁に映像が映し出された。
・密輸契約の映像
・身売りリストと金額表
・賄賂の受け渡し記録
・偽文書作成の証拠
それは、誰の目にも明らかな“証拠”だった。
会場がざわめき、空気が一変する。
誰もが、壁に映る記録に目を奪われていた。
その中を、ロゼ――かつてのエリスが、静かに歩み出た。
「殿下。これは、皇太子妃が築いた“影の帝国”の記録です」
その声は、澄んでいて、よく通った。
だが、そこには怒りも悲しみもなかった。 ただ、事実を告げる者の声だった。
リリアナは絶叫した。
「違う! 捏造よ! 私は皇太子妃なのよ!」
「私は聖女なのよ! 誰よ、こんな嫌がらせするのは!」
「ただじゃ済まないから!」
だが、その声に応える者は、誰一人いなかった。
会場の誰もが、沈黙の中で、彼女の叫びを見下ろしていた。
皇太子は、ただ黙っていた。 その沈黙が、何よりも重く、冷たかった。
リリアナの声は、やがてかすれ、震え、消えていった。
その場にいた誰もが、彼女の“仮面”が剥がれていく音を、確かに聞いた気がした。
* **
舞踏会で悪事が暴かれたその夜、リリアナは拘束された。
貴族籍は剥奪され、顔には火灼の刑――罪人の印が刻まれた。
かつて“聖女”と讃えられた女は、今や“反逆者”として、凍てつく地へと送られた。
その地では、食事も満足に与えられず、毛布一枚も贅沢だった。
石の寝台は冷たく、風は壁の隙間から容赦なく吹き込む。
孤独と寒さが、彼女の身体を、心を、じわじわと蝕んでいった。
リリアナには、エリスのような薬草学の知識もない。
誰にも守られず、誰にも顧みられず、わがまま三昧だった女、リリアナ。
その顔には、かつての栄光の面影はなく、ただ罪人の印だけが色濃く残されていた。
「寒い……誰か、毛布を……」
震える声が、石壁に吸い込まれていく。
誰も応えない。 代わりに、囚人たちの嘲笑が響いた。
「おい、聖女様が震えてるぞ。祈れば暖かくなるんじゃないか?」
リリアナは泣き叫んだ。
「私は……私は……皇太子妃だったのよ……!」
だが、その声は、氷の壁に吸われて消えた。
外の誰にも届かない。 誰も、もう彼女の名を口にすることはなかった。
かつて舞台の中心に立っていた女は、今や誰にも見られぬ場所で、 ただ震えながら、過去の幻を抱いていた。
* **
舞踏会は、“皇太子妃の崩壊劇”として、後世まで語り継がれることとなった。
かつて聖女と讃えられた女が、民衆の前で罪を暴かれ、崩れ落ちた夜。
その記憶は、王都の歴史に深く刻まれた。
そして、リリアナ・レイノルズの名は、王宮の記録から、王都の戸籍から、すべての公文書から
――完全に消された。
誰もが彼女の名を口にすることを避けた。
まるで、最初から存在しなかったかのように。
* **
舞踏会の夜、エリスは誰にも正体を明かさず、静かに会場を後にした。
華やかなドレスの裾を揺らしながら、誰にも気づかれぬように、誰にも見送られぬように。
彼女の瞳は、冷たく澄んでいた。
その奥には、燃え尽きた炎の残り香が、静かに漂っていた。
「確かに、舞台に立ったのはリリアナ。 でも、物語を描いたのは――私。 あなたの言う通り、私は舞台裏で“黒子”を務めたわ。 完璧に、ね。」
その言葉は誰に向けたものでもなく、 ただ、夜の帳に溶けていった。
そして、彼女は消えた。
物語の幕が下りたその瞬間、静かに、確実に――勝者として。
――《復讐計画:対象③ 完了》
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