5 名前のない主人公
その本の主人公は、生まれつき名前がなかった。
なぜなら、母親が彼に名前をつけなかったからだ。
そして周りの誰も彼に名前をつけず、それどころか存在すらしないように扱う。
時にはひどい暴言の数々を浴びせたり、追い払うため石を投げつけ……慌てて逃げていくその姿を見ては、人々は正しい行いをしたと満足そうに笑いあった。
何故そんな仕打ちを彼にするのか?
それは彼が、その世界で禁忌とされている『黒』を持って生まれてきたからであった。
『光を飲み込むような、真っ黒な黒髪と瞳』
それだけでも十分禁忌な存在であるというのに、彼の左半身は、まるで重症のケロイドの様にドス黒く爛れ、その上には判読不能の不気味な文字がびっしりと書き込まれていた。
彼の生まれた国、アルバード王国はもちろん他国でも最も大きな影響力をもつ────<イシュル教>。
それによれば、『白銀は神の色、白は神聖な色』とされており、それに相対する『黒』は禁忌の色であると考えられている。
つまり、その禁忌の色と醜く呪われた様な左半身から、彼は生まれながらに神の天罰が下った大罪人であるとみなされてしまったのだ。
イシュル神が世界を創生したとされている<イシュル神の日>、世界中がお祭り騒ぎをする中で彼は生まれた。
彼の母親は貴族を相手にする娼婦であり、父親が誰かはわからない。
しかし、貴族相手ならば十分な手切れ金が期待できるとの一心で、母親は彼をこの世界に産み落としたのだ。
しかし────……。
「き……きゃぁぁぁぁぁ────!!!」
母親は、自分の腹から出てきたモノをみて大きな悲鳴を上げた。
そして母親は、直ぐに汚い布でそれを包み、教会が運営する孤児院へと駆け込む。
それを早々に捨てるために。
しかし、教会はまるで『禁忌』そのものであるかの様な彼の外見を見て、引き取りを断固拒否した。
「なんていう醜悪な姿……っ。 そのような不浄な存在を、引き取ることなどできない! 」
そんな、教会側から投げつけられた拒否の言葉に母親は、ひどく憤慨する。
「だったらこんなモノ、今すぐにでも捨ててやる!!」
そう大声で怒鳴りながら暴れる母親に、教会の者たちは大いに慌てだした。
『万人は等しく生きる権利があり、その中でも子供は神の使いである』
これはイシュル神の最も大事な教えとされていて、いかなる理由があったとしても、準成人と呼ばれる12歳より前の子供の命を奪うことは最大の禁忌だったからだ。
その罪を犯した者には重い重い刑罰が与えられ、貴族であろうが死罪になる事もある。
もちろんそれに加担した者、見て見ぬふりをした者も同様に罰せられるため、教会はそれを見過ごすわけにはいかなかったのだ。
結局教会は悩みに悩んで、ある一つの条件を母親に提案した。
「その子供が12歳を迎えるまで育てるなら、教会が毎月まとまった賃金を払おう。」
それを聞いた母親は、暴れるのをやめて考える。
この化け物を世話すれば毎月まとまった賃金がもらえる。しかも自力で稼ぐよりも多くの賃金が────……。
彼女は嬉々としてその提案に飛びつき、教会側はホッと胸を撫で下ろした。
教会側としては子供が準成人である12歳まで育てば、後は死のうが生きようがイシュルの教えは守ったこととなる。
そのため、その母親が育てるイコール死ななければ何でも良いという育て方をしたとしても……教会にとってはどうでもよいことだったから。
こうして双方の利害は一致し、名前のない彼は12歳まで母親の元で育てられることになった。