15 孤独
そうして野外実習が始まると、リーフは早速レオンハルトに囮役をするよう命令し、危険そうな場所へ率先して向かわせる。
それに対し、レオンハルトはいつもどおり無表情、無感情のまま、ただ淡々とリーフの無茶な命令に従い、途中までは順調だった。
しかし────……何度目かの囮役の最中、レオンハルトは背後にいた味方のはずのリーフが放った魔法攻撃に背中を打たれ、そのまま崖から転落してしまう。
『────あぁ、これは死ぬな。』
落ちる瞬間、レオンハルトの頭の中にはそんなことがぼんやりと浮かび、それに恐怖も不安もなかった。
心には何一つ『死』に対する感情は浮かぶことはなく、一寸の光も差さない暗い暗い闇の中、彼は特に抵抗することもなくただ落ちていった。
それからどれくらいの時間が経ったのか……レオンハルトは、自身の体を襲う耐え難い感覚によって目を覚ます。
「────っ!!!????」
初めて経験する強烈な感覚……常人ならばとっくに正気を失っているであろうその感覚に、たまらず獣のような叫び声を上げる。
そしてもがき苦しみ、のたうち回りながら周囲を見渡すと……辺り一面にピンクと紫のまだら模様をもつ禍々しい巨大キノコがびっしりと生えているのが目に入った。
【ポイズン・ヒートマッシュ】
それは少しでもその胞子を吸ってしまえば、気が狂いそうになるほどの苦痛と性的興奮を引き起こし、やがては死に至る恐ろしい毒キノコであった。
幻とまで言われている、素材ランク S S Sのポイズン・ヒートマッシュ。
崖下にその群生地が存在していたお陰で、崖から落下したレオンハルトは死を免れたが、そのせいで大量の胞子を吸い込んでしまったため、結局死の淵に逆戻りすることとなってしまったのだ。
助かる方法はたった一つ。
自分ではない他者と性的行為を行う事。
それにより苦痛と性的興奮は徐々に薄れ、次第にその毒素は体から抜けていくという。
その特殊性から今まで発見されたポイズン・ヒートマッシュは裏の世界で高値で取引されており、今では発見され次第即処分が法律で決められている指定禁止素材として認定されている。
レオンハルトは痛みと苦痛で何度も気を失いながらも、頭の中は、自身の主張する下半身をどうにかしたいという気持ちで一杯であった。
ほぼ無意識で自身のものを触り何度も何度も絶頂に導くも、その苦しみと性的興奮は収まるどころか更にひどく体を蝕む。
熱い。
苦しい。
痛い。
あぁ、早く誰かと交じり合いたい、自分以外の誰かと……。
…………。
────誰と?
レオンハルトは『答え』に辿り着き、一瞬動きを止めた。
そんな『モノ』がいるはずないではないか。
生まれた瞬間から疎まれ、蔑まれ、母親にすら捨てられた。
誰も自分を受け入れない、存在することすら認めてはくれない。
自分がいていい居場所はこの世界のどこにもなく、地に足すらついていない自分を……一体『誰』が助けるというのか。
絶対的な孤独の中、ただ一人漂うだけの存在。
それがこのレオンハルトなのだから。
「……ハハッ…………。」
レオンハルトは笑った。
そしてそのまま大きな声で、たった一人ゲラゲラと笑い続ける。
嬉しいも悲しいもない空っぽな笑顔……。
それこそが、正真正銘レオンハルトの生まれて初めての笑顔だった。
彼の狂ったような笑い声が響き渡る中、彼だけしかいないと思われたその場所で突如、獣の唸り声が混じり始める。
そして、それは次第に数を増やしていき、とうとう悶ながら笑い転げている彼の目の前にその姿を現した。
赤い血のような毛並みに口から大きく飛び出た2本の牙。
危険ランクが極めて高く、もし討伐するとすれば1頭でも最低中隊レベルの戦力が必要なモンスター<ブラッティー・ウルフ>だ。
一頭姿を現せば、その後を仲間であろうブラッティー・ウルフ達がゾロゾロと続けて姿を見せる。
その数は推定30匹ほど。
どうやら大規模な群れを、このポイズン・ヒートマッシュの群生地を中心に築いている様で、上から落下してくる動物やモンスターを喰らって生活しているようだった。
ポイズン・ヒートマッシュは人型種にしか作用せず、もちろんこの目の前のブラッティー・ウルフ達には全く効かない。
そのため新鮮な血肉を好む彼らにとって、この場所はそんな獲物がリスクなしで手に入る、まさにうってつけの場所であった。
彼らにとって、レオンハルトはちょっとしたおやつ兼、退屈をつぶすおもちゃのようなモノ。
そのまま苦しみもがくレオンハルトの様子をしばし観覧していたブラッティー・ウルフ達だったが、次第に飽きてきたのか、ついには群れの中の一匹がレオンハルトに向かって飛びかかった。
牙が、爪が……レオンハルトを引き裂きその命を奪おうとした、まさにその瞬間────……。
────ザシュッ!!!
レオンハルトは、腰に装備していた小型ナイフを即座に引き抜き、そのまま自身の左目を縦に思いきり切り裂いた!
途端に襲いかかる左目の激痛によりレオンハルトは一瞬で正気を取り戻し、向かってくるブラッティー・ウルフの大きな口に向かってナイフを突き刺す。
────……グチャ……。
ゾッとする様な水音と同時に肉を刺す感触が、ナイフを持つ手に伝わった。
これが、命を奪う音と感触……。
その情報が脳へと到達するより早く、レオンハルトはナイフを横に振り、その肉を切り裂く。
するとその直後、口から大きく横に裂けてしまったブラッティー・ウルフは、大量の血飛沫を上げその場に崩れ落ちた。
そんな仲間の死を目の当たりにしたブラッティー・ウルフ達は、最初戸惑う動きを見せていたが……数による優位を思い出し、大きな唸り声を上げ次々と彼に飛びかかる。
しかし、レオンハルトはその気配すら感じさせる事なく、ブラッティー・ウルフ達の攻撃を難なく避けてはその命を奪っていった。
そして、とうとう最後の一匹になってしまった個体が逃げようとその背を向けた、瞬間────……レオンハルトはその背に深々とナイフを刺したのだった。
<英雄の資質>(ノーマル固有スキル)
< 完全なる不干渉 >
あらゆる状態異常をほぼ無効とすることができる耐性系の最上スキル
(発現条件)
ランクSSSに分類される強い毒に対し自力で生還する事
< 豪傑 >
自身の全ステータスが常人を超えて大きく跳ね上がり、HP持続回復能力を得る。(欠損は不可)
任意で常時発動可
(発現条件)
ある一定回数以上、瀕死状態を経験する
< 守護王 >
あらゆる物理、魔法攻撃に高い耐性を持つ
任意で常時発動可能
(発現条件)
ある一定回数以上、物理または魔法攻撃を受け生き残る事
ブラッティー・ウルフ達の流した血で大地が真っ赤に染まる中、立っているのはレオンハルト、ただ一人だけ。
そんな彼の心の中は助かったという喜びも、死を目の前にした恐怖もなく、ただ純粋な疑問のみがぼんやりと浮かんでいた。
先程まで確かに地に足をつけ、この世界に存在していた彼らが一瞬でここから消えてしまった。
そして今ここにいるのはこの世界に存在しないはずの自分。
それが堪らなく不思議だった。
『死』とはこの世界からその存在を奪う事だ。
『生』を受けた日から手に入れた、愛も希望も知識も人格もあらゆる感情も、『死』と共に全て消え去る。
では、『生きて』ココに存在していない自分は、一体何なのか?
レオンハルトは真っ赤に染まった空っぽな手を見下ろし、ぼんやりと考えた。
『生きる』とは、『死ぬ』とは一体なんなのか?
その境界線はどこに存在しているのか。
その答えは<叡智>をもってしても、導き出すことは出来なかった。