10 その後の人生
その後、結局<産業奴隷>となった彼は、その場で奴隷の証である『奴隷陣』を首に刻まれる。
<産業奴隷>
様々な労働に使われる奴隷。
その扱いは、買い取られた主人によりピンからキリまでで、主に借金を払えず身分を売ったものがなる借金奴隷の一種
『奴隷陣』とは、奴隷になった時に刻まれる魔法陣の一種で、そこに買取主の名前を刻むことで主従関係を結ぶ事ができるものである。
もしも奴隷が主人の命令を拒んだり、危害を加えようとすれば、即座にその『奴隷陣』が発動し、奴隷に耐え難い痛みを与えるため、奴隷は主人に逆らえない。
つまり奴隷になると言うことは、人としての尊厳、権利その全てを失うということと同義であった。
しかし彼がなった<産業奴隷>は、重罪を起こした<犯罪奴隷>よりその扱いは丁寧で、本来は生きていくのに最低限の扱いは保証されるはずだ。
しかし、普通の<産業奴隷>の10分の1にまで値段を下げても、誰一人として彼を買う雇用主はいなかったため、やむを得ず彼は、<犯罪奴隷>と共に、過酷な鉱山へと売られる事となってしまったのだ。
鉱山での仕事は、一筋の光も差さぬ洞窟内で朝から晩までひたすら鉱石を掘るという作業を繰り返し。
不衛生な環境での重労働。
食事は1日2回、硬いパンが一つに水のようなスープが一杯だけ。
更には人を襲うモンスター達が数多く生息しているため、そこに送られた犯罪奴隷達は長くはもたない。
そんな事実死刑とほぼ同義の場所で、名前のない彼は14歳までの約二年間を過ごした。
その間、誰も彼もが絶望と恐怖に顔を歪め、世界を怨みながら目の前で死んでいったが、彼の心には波風一つ立たない。
これが『当然』。
だから何一つ文句を言うことも逆らうこともしない。
ただ淡々とあるがままを受け入れ続けるその姿は、そのおぞましい外見と合わさり、他の奴隷達に大きな恐怖を与えたが、彼にその理由は分からなかった。
『今ある現実を受け入れる』。
それ以外の『在り方』を知らなかったからだ。
そうして時は経ち、彼が14歳になってすぐの頃、劣悪な環境により以前よりもガリガリでみすぼらしくなった彼の元にある人物が現れた。
公爵家メルンブルク家の次男<リーフ・フォン・メルンブルク>。
リーフは、奴隷たちの中にいる彼の姿を見つけると、美しい顔を歪めてニヤリと笑った。
「あぁ、お前、死んだかと思ってたら奴隷になっていたのか。」
リーフはニヤニヤと心底楽しそうな様子で、その場にいた責任者の男に金貨の袋を投げつける。
そして名前のない彼を初めとした数十人の奴隷を買うと言い、その全員の首にすぐさまメルンブルク家の名前が入った『奴隷陣』を施した。
リーフが大量の奴隷を買い漁った理由────それは、メルンブルク家の一族全員を狙った暗殺者達が、近々屋敷を襲うつもりであると情報が入ったためだ。
メルンブルク家は悪名高い公爵家であり、恨みを持っている人間はたくさんいた。
そのためそういった依頼が出る事は当然の事だったが、メルンブルク家の者達は今までの所業を反省するどころか、それを逆手に手柄を挙げようと考えたのだ。
『死んでもかまわぬ奴隷たちを肉の盾兼捨て駒として使い、メルンブルク家お抱えの私営兵達にトドメを刺ささせよう。』────と。
そしてその後、予定通りに決行された作戦は見事成功をおさめ、メルンブルク家は無傷のまま『卑劣な暗殺集団に立ち向かった勇気ある者達』として一躍脚光を浴びることになった。
買い取った奴隷全員の命と、名前のない彼の『右腕』と引き換えに……。
名前のない彼は、たった一人生き残った。
彼を殺す事で呪いが伝染するのではと恐れた暗殺者達は、彼の右腕を切り落としただけでその場を去ってしまったから。
自分は存在していないから、誰も彼に死を与えてはくれない。
痛む腕を抱えながら、自身すらもそれをどう自分へ与えればいいのか分からなかった。
そうして用済みになった彼は、右腕を失ったまま身一つで捨てられ、そのまま行く宛もなくウロウロと歩き回る。
どこにも居場所がない彼が歩いて歩いて、最後に辿り着いた場所、そこは────……『母親』を待ち続けた、以前よりももっとボロボロになってしまったあの小屋だった。