9 消える世界
変わらぬ外見、変わらぬ空腹、変わらぬ日常、そして変わらぬ1人で完結する世界……。
何一つ変わらないまま、自分が生まれた日でもある<イシュル神の日>を迎え、彼は準成人と呼ばれる12歳になった。
その日は彼にとって特別な日ではなかったが、世界中の人々にとっては違う。
彼が生まれた1月1日の<イシュル神の日>。
その日はイシュル神が世界を創生した聖なる日とされていて、同時に生まれた日に関係なく生きとし生けるモノ共通の誕生日とされていた。
そのため、その日は世界中で飲めや歌えの盛大なお祭りが開かれ、人々は自分がこの世界に生まれ、存在している事を神に感謝する。
勿論それは名前のない彼の住む街も同様であったが、彼はいつも通りリーフに何度も何度も木刀で殴られ、いつも通りにボロボロの状態で帰路についていた。
『当たり前の日常』
それによって、心に浮かぶものは何もない。
空っぽの心のまま、彼は家へと続く道を見つめた。
本来なら、とっくに暗くなっている帰路の道。
しかし、今日だけは祭りの明かりによって光り輝く道になっていて、陽気な音楽と人々の幸せそうに笑い合う声が、痛いくらいに彼の背中を叩いてくる。
それがなんだかムズムズする様な感覚を彼に与えたが、やはりそれに対しても何1つ思い浮かぶ事はなく淡々と歩いていると……やがて見えてきた自分の家から、うっすらと灯りが漏れている事に気がついた。
────『母さん』だ!
彼の足は次第にスピードをあげ、とうとう走り出すと、彼の心には今までに感じたことのない大きな『喜び』が突然湧き上がった。
自分の生まれた日に、母さんが帰ってきてくれた。
その事実は現在走っている光り輝く道同様、彼の心を明るく照らし、更に背中を痛いくらいに叩いていたモノは優しく吹きつける追い風へと変わる。
毎日寂しくたっていい。
どんなに悲しくても辛くても、お腹が減ってたっていい。
自分という存在がこの世界に生まれ落ちた、今日この日に、たった一言……いや視線を向けてくれるだけでいいのだ。
ここに俺という存在がいることを、どうか証明してくれ!!
そんな願いを心の中で叫びながら、息を乱し家に飛び込んだ彼が見たもの、それは母親────……の姿ではなく、3人のガラの悪い男たちの姿であった。
「…………。」
固まる彼に視線を向けた男たちは、見る見るうちに怒りで顔を赤らめる。
「っふざけるなぁぁぁ────!!!」
一人の男が怒鳴り散らしながら、近くの椅子を蹴り飛ばした。
飛んできた椅子は彼の顔のスレスレを通り隣の壁にぶつかって大破したが、彼はピクリとも動かない。
「こんなんじゃ元なんて取れねぇじゃねぇかっ!!!とんだ大損だ!!
あのクソ女ぜってぇ探し出して八つ裂きにしてやる!!!」
その後続く男達の話によると、母親は彼らに多額の借金をしていたらしく、その際の担保として自身の子供である彼を差し出したらしい。
そして返済の期限は、名前のない彼が準成人を迎える12歳までと決められていたため、彼らは姿を消した母親の身代わりとして彼を回収しに来たとの事であった。
彼らにとって、これは悪くない取引であった。
まだ年若い準成人の子供は、労働斡旋所で高値で引き取ってもらえるし、もし器量が良く貴族の目にでも止まれば、更に多くの金が手に入るはずだった。
彼が普通の子供でさえあれば。
男たちの怒りは収まらず、静かに立ち尽くす名前のない彼に向け罵詈雑言を浴びせ始めたが、その言葉は何一つ彼の中へは入ってこなかった。
世界との最後の繋がりであった『母親』。
それに完全に捨てられた事で、彼が今まで必死にしがみついていた世界から彼という存在は消え失せてしまったからだ。
そして世界から弾き飛ばされた彼は、恐ろしいほどの虚無の空間へと放り出された。
いっさいの光も通らぬ真っ黒な空間に一人きり。
まるで自分そのものであるかの様な真っ暗な空間の中、自分という『個』がドロドロに溶けて混じっていったのを感じた。




