返済義務
翌日の昼間、紅愛はテクノマギア社の休憩室にて、黙々と弁当を食べていた。昨日のこともあり、彼女の目は光を宿していない。底知れぬ絶望を抱え、彼女はふと考える。あの母親は、今までどれほどの借金を抱えてきたのか――長期的に彼女との接触を断ってきた紅愛にとって、それは想像の及ばないことであった。
そんな彼女の側を、ヒロが通りかかる。
「妙に暗い顔をしているな。何があった? 紅愛」
正義感の強い彼は、仲間が悩んでいるのを放っておけないようだ。そんな彼を、紅愛は突き放そうとする。
「別に。オレにだって、一人になりてぇ時はあるよ」
そんな返答をした彼女は、依然として曇った表情をしていた。無論、それを野放しにするヒロではない。
「前に、君は俺の悩みを聞いてくれた。今度は、俺に君の悩みを話して欲しい。俺は絶対に、仲間を見捨てたりはしない」
そう語った彼は、その眼差しに熱い使命感を宿していた。こうなれば、彼が引き下がることはないだろう。紅愛は深いため息をつき、己の幼少期を頭に思い浮かべた。
両親が離婚した後、紅愛は家事の全てをこなしてきた。実母が半ば育児放棄していた中、彼女は必死に妹の世話を焼いてきた。当時はまだ十代前半だった彼女からしてみれば、その身に降りかかる負担は計り知れないものだ。それでも紅愛は、花凛の前ではなるべく愛想笑いを浮かべるようにしていた。そんな彼女が花凛を連れて親元を離れたのは、彼女が十八歳の時だ。無論、当時の彼女には高等学校に通う資金などなかった。彼女の就職活動は、酷く難航した。
そして今、紅愛はウィザードとして働いている。脳を侵食する雑念に抗い、彼女は事情を語り始める。
「オレは昨日、ヴィランと化した実母を殺した。親父と離婚した後に、親父の血を引いているオレや妹を煙たがり、ホストクラブに貯金のほとんどを費やしてきたような……そんなどうしようもねぇ親だったよ。だけど、殺すほどのことではねぇよなって」
「……虚しいよな。ウィザードの宿命というものは」
「それだけじゃねぇ。オフクロが死んだことで、今はオフクロの借金の返済義務がオレに付きまとっている。オレ一人の命がかかるだけならまだしも、オレは妹の命も背負っているんだ」
妹想いの姉にとって、親の借金を背負わされることは死活問題だ。深刻な事態を前にして、ヒロの表情が一変する。
「何故、君が苦しまないといけないんだ。君が一体、何をしたっていうんだ!」
「オレが実母を見放してきたことは事実だ。きっと、罰が当たったんだろうな。あんな親でも、オフクロはオレのオフクロだから……」
「人が良すぎるぞ、紅愛。君はもっと、親を憎んでも良いはずなのに……」
「良いんだよ、これで。親を憎んだところで、なんの解決にもなりゃしねぇだろ。親を憎みながら、その親の尻拭いをするために生きていくなんて、それこそ最悪な人生だと思わねぇか?」
「それは……そうだが……」
ヒロは言葉を失った。今の彼に、彼女を救える手立てはないだろう。彼は頭を抱え、その場にうつむいた。
その時、日向が二人の側を通りかかった。彼は不敵な笑みを浮かべ、紅愛に助言する。
「債務者の子供は、相続放棄という手続きによって債務を免れることが出来るぞ。相続開始から三ヶ月が経過した場合、相続を承認したことになる。細かい手順は後でショートメールに記載しておくから、一刻も早く手続きを進めると良い」
善は急げだ。紅愛は、早急に手続きを進めるべきだろう。
この時、彼女は実母の最期を思い出していた。実母が己の体にもたれかかった時、彼女は確かに温もりを感じていた。
「……オフクロは、オレを愛していたのかな」
そう呟いた彼女は、名状し難い虚しさを感じていた。