闇金融
数時間後、借金取りの男たちは路地裏で煙草を吸っていた。金の回収が上手くいかず、彼らは酷く苛立っている様子だ。
「確かに、あの娘に法的な返済義務はない。そして義務感を煽ろうにも、あの娘の気が強すぎる。あのクソアマ……」
「なかなかの上玉だったし、上手く追い込めば風呂屋に飛ばせそうだったんだがな……役に立たねぇ女だ!」
二人の怒りは、すでに紅愛にも向けられていた。もはや伊呂波の抱える借金は、紅愛にとっても他人事ではないようだ。
そこに一人の男が姿を現した。
「金の取り立てが出来なくて困ってるのか?」
――伊吹だ。何かを企んでいるのか、彼は借金取りたちに興味を示している。
「ああ、そうだ。だがアンタには関係のねぇことだ。汚れた金に手を染めていねぇうちは、ワシらの業界に関わらねぇ方が良い」
「そうだぞ。若ぇ兄ちゃんが、俺らに関わっちゃいけねぇよ」
借金取りは口を揃えてそう答えた。彼らはまだ、伊吹がヴィランであることを知らない。傍から見た伊吹は、完全にただの若者だ。
そこで伊吹は、突拍子もないことを口走る。
「俺様があの債務者を殺してやるよ。そうすれば、その娘が借金を相続することになる」
その言葉に、男たちは耳を疑った。
「アンタが人を殺す……? ワシらのためにか?」
「確かに、債務者が死んだ後、その子供は借金を相続することになる。法的にはそれで間違いねぇが……アンタ、正気か?」
彼らが驚くのも無理はない。しかし、自ら手を汚すことなく局面を有利に進めることは、彼らからしたら願ってもないことだ。
「俺様を信じろ」
そう言い残した伊吹は、路地裏を後にした。
*
その日の夜、伊呂波はとあるビルのエレベーターから姿を現した。彼女は大金を抱えており、その背後の看板には「4F しあわせファイナンス」と書かれていた。何やら彼女は、この金融会社から金を借りたらしい。そんな彼女をエントランスで待ち受けていたのは、伊吹である。
「借金の返済のために金を借りたのか、それともホストに貢ぐために金を借りたのか……いずれにせよ、このままじゃ借金が雪だるま式に増えそうなものだな」
「あなた、一体……誰なの?」
「俺様は伊吹――ヴィランだよ」
自己紹介を終えた彼は、悪意に満ちた微笑みを浮かべていた。彼は注射器を取り出し、彼女の首筋に注射針を突き刺した。
「うぅ……ぐぁ……」
体内にヴィラン細胞を注入され、伊呂波は苦しみ始めた。それから彼女は気を失い、その場に倒れる。その様子を目の前にして、伊吹は独り言を呟く。
「これで推しが不幸になるようセッティングできた。そうだな……どうせなら、紅愛本人が直々に実母を殺すシナリオの方が面白いだろう。妹の生活を必死に支えている紅愛が、実母に人生を狂わせ、その決着をつけることで借金を相続する。完璧だ。なんて美しい悲劇なんだ。これこそまさに、俺様が望んでいた『推しの苦しむ姿』じゃないか」
話す相手がいない時でもなお、彼は冗長な発言をするようだ。否、それを止める者がいない以上、かえって彼は多くを語るのだ。
「さっそく明日、紅愛に会いに行こう。ああ、愛しい。妹想いの推しが、強く生きてきた推しが、これから悲劇を背負う推しが、全て愛しい。だが俺様の感情は、誰に理解されなくても良い。紅愛を愛しているのは、俺様一人だけで良いんだ。俺様は、俺様を好きにならない紅愛が好きなんだ。さあ、俺様に最高のエンタメを供給してくれ……紅愛」
伊吹は恍惚とした笑みを浮かべ、それから一枚の写真に口づけをした。その写真に写っている者は、もちろん紅愛である。彼はビルから立ち去り、夜の街を突き進む。その足取りは妙に軽く、彼が胸を弾ませていることは火を見るよりも明らかだった。