第三勢力
翌日、伊吹は高層ビルの立ち並ぶ街を練り歩いていた。無論、彼はまだ変身していない。傍から見れば、彼は普通の人間と区別がつかないだろう。しかし、ウィザードとしての力を極めた者にとって、彼の正体を見破ることは容易だ。
「……!」
何らかの危機を感じ取った伊吹は、すぐに後方へと跳躍した。直後、その前方からは糸が飛来し、その先端は彼が先ほどまで立っていた位置にこびり付いた。伊吹は玄武型のヴィランに変身し、重力に逆らうかのようにその場から上昇する。
「感じるぞ……ウィザードの魔力を……」
どうやらヴィランにも、ウィザードの魔力を感じ取る力が備わっているらしい。彼は迫りくる無数の糸をかわしつつ、とある高層ビルの屋上を目指して飛行していった。その屋上で彼を待ち構えていたのは、天真である。
「キミはマリス団の幹部……伊吹だね。さあ、ボクと戦ってもらおうか」
「妙に好戦的だな……天真。お前も、マリス団に入らないか? 特にお前は、ウィザードとも戦っているようだからな」
「悪いね……ウィザードはあくまでも、商売敵でしかないんだ。そしてボクの仕事は、キミたちヴィランを狩ることさ」
何やらこの男は、テクノマギア社とマリス団――そのどちらの勢力にも属していないようだ。
「なるほど、お前は誰の味方でもないわけだな。お前は一体、なんのために戦っているんだ?」
「愚問だね。そんなもの、金と名声のために決まってるじゃないか!」
「ふっ……浅ましい奴だな」
少なくとも、この二人が手を組むことはないだろう。天真は妖しげな微笑みを浮かべ、周囲に無数の糸を放った。しかしその全ては謎の力により、彼の手元に圧縮された。直後、彼の身は宙に浮かび上がり、そして何度もビルの屋上に叩きつけられていく。
「ボクが負けるわけには……いかない……」
天真はそう言ったが、今の彼に勝機はないだろう。そして彼は今、かつてない屈辱を味わっている。何故なら、彼の眼前のヴィランが本気を出していないことは明白だからだ。しかし伊吹は、むやみに相手を嘲るような性格でもない。天真は宙で体勢を整え、己の両足で屋上に着地した。そして彼は、伊吹の真意を問う。
「キミの目的はなんだ……伊吹。ボクを倒すなら、ボクをビルのふもとに叩きつけた方が早いだろう?」
確かに、ビルの屋上にいる標的を殺めることが目的であれば、その標的をふもとまで突き落とす方が効率的だろう。勿論、伊吹がそうしなかったことには理由がある。
「ヴィランに目的なんかない。本能のままに悪意を振りまき、そして闘争を好む……それがヴィランだ。ここでお前を殺してしまっては、つまらないだろう」
「要するに、ボクを育ててから、もう一度戦おうという魂胆かな?」
「まあ、そんなところだ。逢魔の奴にも、お前たちの命や魔法石は奪わないよう言われているからな」
そう――ヴィランにとって、ウィザードは恰好の遊び相手なのだ。それでウィザードに命を奪われるヴィランは多いが、彼らの本能はそういった危機感を酷く鈍らせているのだろう。どのみち、今この場において、伊吹は優位に立っている。彼は大きな欠伸をし、それから変身を解いた。
「……興醒めだ。お前には期待していたんだがな」
「なんの真似だ……?」
「今のお前と戦っても、何も楽しくない――ただそれだけだ」
そう言い残した伊吹は、屋上の淵から飛び去っていった。天真は悔しさのあまり、握り拳を震わせるばかりだ。彼はすぐに変身を解き、ポケットから錠剤の包装用シートを取り出した。それから数錠の錠剤を呑みこみ、天真は深いため息をつく。
「もっとだ……もっと、強くならないと……」
そんな独り言を呟いた彼は、底知れぬ使命感を帯びた眼差しをしていた。