逆鱗
翌日、とある港にて、天真とハジメが互いを睨み合っていた。両者ともに、すでに変身しているようだ。
天真はいつものように薬を飲み、先ずは対話を試みる。
「高円寺日向はあの時、キミが『自我を統合できていない』と言っていた。そしてキミは、自分の記憶の中に彼の自我が眠っていると言っていたね」
元より、この少年は日向の思惑によって作り出された存在だ。
「ああ、そうだけど」
そう答えたハジメは、少しばかり眉をひそめていた。天真は深呼吸を挟み、己の導き出した結論を口にする。
「あの男が何を考えているか、それを推測すれば……キミがどんな主人格を持っているかは明白だ。キミは、あの男には成し得なかったことを成そうとしている。そうだろう? ハジメ」
確かに、あの日向であれば己の人格を複製し、それをハジメに移植していたとしても何ら不思議ではない。しかし天真の発言は、ハジメの逆鱗に触れていた。
「一緒にするな……あの男と、僕を……一緒にするな!」
激昂したハジメは、俊敏な動きでホログラムの画面を操作していった。その姿を前にして、天真は咄嗟に繭の防壁を作り出す。直後、繭は勢いよく爆発し、彼は宙に放り出された。そして彼が地面に着地したのも束の間、その足下も凄まじい爆発を起こした。天真は眼前の強敵を睨みつけ、思考を巡らせる。
「任意の場所に爆発を起こせるのか……厄介だな……」
これでは爆炎をかわす手段がない。
「さあ、全力で立ち向かってくる良い。今の貴方には、まだ僕を倒すことは出来ない」
少なくとも、この戦いにおいて防御や回避が意味を成さないことは明白だ。そうなれば、天真に出来ることはただ一つである。
「……良いだろう」
それは攻撃に集中すること――ただそれだけだ。彼の両手から、何本もの糸を織り交ぜた束が放たれる。ハジメは咄嗟の判断により、ポータル.exeを実行する。両者の間の空間には裂け目が生まれ、糸の束はその中を潜り抜けていった。
直後、天真は自らの放った糸に、背後から呑み込まれた。
彼はすぐに魔術を解き、己の身を取り囲む糸の塊を消した。彼の背後には、もう一つ空間の裂け目がある。必死に闘志を燃やしている天真とは対照的に、ハジメは依然として涼しい顔をしている。
「まだだね。もう少し、育てる必要がありそうだ」
「それはどうかな? あの裂け目を通れない大きさの塊を作れば、キミにだって攻撃は通るはずだ」
天真はまだ、万策を尽かしたわけではない。彼は糸をつなぎ合わせ、その場に巨大な人形を生み出した。人形は剛腕を振り下ろし、その強靭な拳を標的に叩きつけようとした。しかしその拳の真下の空間に、巨大な裂け目が発生する。
「甘いね……」
ハジメがそう呟いた直後、人形の強烈な打撃は天真の身に襲い掛かった。
「しまった……!」
地面に叩きつけられた彼の身に、ノイズが走り始める。彼が見上げている空では、巨大な裂け目が開いている。何やらハジメの生み出す裂け目は、ある程度その大きさを調整できるらしい。
よろけながら立ち上がる天真を前にして、ハジメは言う。
「己の弱さを知るが良い。そして貴方が強くなった時、もう一度、僕に挑むと良いだろう」
直後、その上空には黒い球体のようなものが生み出された。球体は天真の身を勢いよく吸い込み、そして呑みこんだ。それが勢いよく縮小するや否や、空には大きな爆発が発生した。爆炎と煙に包まれつつ、変身の解けた天真はその衝撃に吹き飛ばされる。彼はその身をコンクリートに叩きつけられ、大量の血を吐いた。
ハジメの圧勝だ。
満身創痍の標的を後目に、ハジメは空間の裂け目を潜った。直後、その場に生み出されていた全ての裂け目が閉じ、その場には息を荒げている天真だけが残された。