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十三歳






12/7発売の電子書籍化記念短編。

十三歳頃の二人になります。





 







 不思議と、暑さを感じない夜だった。


「こんばんは。洗濯中の抱き枕に代わって来ました」

「……駄目だからな」


 深い眠りの中にいたのに、唐突に叩かれた扉を開けると、薄暗がりの向こうには婚約者がいた。

 眠気にぼやける視界の中、彼女のお気に入りの肌触りの良い、丈の長い寝巻の裾が揺れている。唐突な、けれど初めてではない襲来に溜息を一つ。続けて首を振ると、む、とユリシアの唇が不満げに歪んだ。


「そんなことを言わずに。もう夜も遅いですから、早く寝ましょう?」

「こら部屋に入ろうとするな」


 にゅるん、と猫を思わせる身軽さで俺の部屋に入ろうとするユリシアの両肩を抱えるように押しとどめる。そんなーと呟きつつ俺のベッドに飛び込もうとする婚約者に腕の力を強めたりにゅるにゅると脇から抜けられそうになったりして、しばしの格闘。


「諦めが悪いですね……」

「俺の台詞だが?」


 溜息をつきたいのはこっちだ。

 薄い肩だな、とか風呂上がりの香油か良い香りがするな、とは思うが、ここで触れることに日和って力を弱めると一気に乗り込まれるので、一瞬も気は抜けない。

 そもそもいま何時だと置かれた時計を確認すると、長針も短針ももう少しで真上を指すところだった。

 いくらかわいい婚約者といえどこんな時間にたたき起こされるのは可愛くな……いややっぱり可愛いな、なにもかも最高にかわいい、と眠気に負けそうになりながら、それでも今晩の安眠の為に寝ぼけ眼で引き留めていると、遂にあきらめたのか、彼女は俺の肩に自分の頭を置いて、もう一つ溜息をついた。

 すり、と肩になつかれて、不満げな声を聴く。


「カイリがつれない……婚約者なのに」

「婚約者だからだ。にしても、さすがにこんな時間は初めてじゃないか?」


 さすがにねむい、と呟くと頭を撫でられる。出会った頃はおんなじくらいの背丈だったのに、いつの間にかこぶし一つくらい彼女の背を超えて、至近距離で顔を見るとき、上目遣いをされるようになった。



「今日は忙しかったですしね。……お誘いにきました。一緒に寝るか、私の部屋で夜更かししませんか?」


 ベッドはそこにありますから、とにっこり笑う彼女に、これで一切下心がないのがなぁと思いつつ、返事の代わりに手を引いて、部屋を出た。



 連れてこられたすぐ隣の部屋は蝋燭一つだけ灯されて、見慣れた窓際のテーブルの上に、見慣れないワイングラスと、ラベルにジャクロが描かれた瓶が置いてある。冬だったら暖かいミルクでも良かったんですけど、と呟きながら、ユリシアは透明なグラスに、両手を使って朱色の液体を注いだ。



「……酸っぱいな」

「言うと思った。これも借りてきました」


 促されて軽く舐めると、飲めたものでは無いとまではいわないが、甘党には強い酸味が舌を刺激する。少し顔をゆがめると、次に差し出されたのは六種類ほどの蜂蜜の小瓶だった。

 蜜蜂がどの花の蜜を集めたかによって、風味や味が全然違うんです。試してみませんか?と、彼女は小さなスプーンで、くるくると粘り気のある金色を回す。



 ほの暗い部屋の中で、窓から見える満天の星と、彼女の瞳だけがきらめいていた。

 明るくはない光源のせいで、蜂蜜瓶のこまかな色の違いは分からない。けれど蜜色の彼女の瞳が一番美しいと、それだけは分かる。


 銀の匙で瓶の中身を手の甲に落とされて、マナーは悪いなと思いつつ、ぺろりと舐める。彼女の言う通り強い甘みの中にも風味や味の残り方に違いがあって、これが一番甘いとかどれがまろやかだとかぽつぽつと感想を落とす俺を、ユリシアは嬉しそうに眺めていた。

 全ての瓶の味見をしてからハルシャの花の蜜を選ぶと、彼女は一匙ワイングラスに飴色を落として、くるくるとかき混ぜる。ワインによく似た色の液体の水面が、波打つように揺れた。


 自分のワイングラスにも全く同じことをしてから、胸の少し上に掲げる。


「乾杯」

「……乾杯」


 甘みをたされた液体は飲みやすくて、酒精は一切含まれていないはずなのにとろりと喉を伝った。

 眠気はすっかり覚めていた。けれど夢見るように、大人の真似をして手のひらでグラスを回す少女を眺める。


 俺のベッドでも、彼女のベッドでも、何度も一緒に眠った。安心を求めて、愛されていると実感したくて、大切であると伝えるために、銀色の髪を指で梳いた。



 人間の抱えるどうしようもない欲求の一つに、理解されたい、があるのだと思う。


 自分の感情や行動の理由、あるいは自分そのものを、誰かに、出来るならば好きな人に理解して受け入れてほしい。分かっているよと笑ってほしい。

 どんな言葉も仕草も、この望みの前では、ただの手段になり果てる。



 生まれて初めて好ましく感じた相手はユリシアだった。彼女が好きで、笑ってほしくて、そう思っていることを思い知らせたい。だから一緒に眠って、香油を贈って、階段を下りるときに手を差し出した。


 それが色を変えたのは、いつからだっただろうか。


「ふふ、カイリ口開けてください。……舌が真っ赤」

「こんな暗いのに分かるのか?」


 なんとなく?と答える彼女の唇こそ、蜂蜜入りの朱色の液体にあかく染まっていた。

 つやりとしたそれは触れれば柔らかくて、そうして甘酸っぱいのだろう。


 知りたい、と思って頬の肉をかんだ。

 初めて出会った日から可愛かった彼女は、これから毎日美しくなる。

 この子はこれから女性になって、俺も男になる。言葉や抱きしめる事以外にも好意を伝える手段を得て、ただの好意は変質していく。―――欲を纏って。

 そうして俺たちは、大人になる。



 遠くない未来が、少しだけ寂しい。

 当然と受け止めるには、三年間、ひたすらに愛おしんでいたから。


 口腔が鈍くいたんだのと、彼女があと五秒、と呟いたのは同時だった。星の光にきらめく瞳は嬉しそうに、俺の背後に置かれた時計に向けられている。


「3,2,1……。フェンデル家のカイリ、あなたに、渡したいものがあるんです」


 唐突に養父の家名を出した彼女は、そうして、テーブルの上にベルベットの小箱を置く。



 箱を開く。そこにあったのは、懐中時計だった。

 手のひらに収まる大きさの、つやつやと光る銀色のそれ。傷どころか指紋一つ無い蓋には、ハミントンの家紋が彫り込まれている。

 リューズを押して蓋を開くと、時刻はちょうど、十二時を数秒過ぎた所だった。

 

 大きく彫られた家紋はハミントンの人間だと証明するときに役立つだろうな、と思い至って気が付いた。

 乾杯とこの贈りものの理由を、それが今日だった理由を。


 思い出す。三年前の俺がこの家に引き取られてすぐに、ハミントンに来た伯父と祖父を。執務室で彼らが書類にサインをしているときに、細く白い手が、俺の手を握っていてくれていたことも。



「……俺がフェンデル侯爵家の養子になったのは、三年前の今日か」


 せいかい、と彼女のあかい唇が動いた。


「三年前の今日、あなたは書類上正式にフェンデル家の養子になって、私と婚約しました。……養子を出す側(レイクリッヒ)の、異議申し立てができる期間は三年。今あなたは完璧に、フェンデルの人間になった。明日……いえ、今日の昼には義祖父様や伯父様が来て、あなたに祝いと、歓迎の言葉を贈ると思います。それより早くお祝いしたくて、だから夜更かししたかったんです」


 あの懐中時計大好きな伯父様なら絶対、絶対にフェンデル家の紋入りの懐中時計をあなたに贈るでしょう?私だってまだ、あなたに時計を贈ったことはないのに。


 だから先にプレゼントしようと思って、といたずらの成功した子供のように―――実際いたずらの成功した子供みたいなものかもしれないが、そういって、ユリシアは瞳を細めた。


 手に取った銀の時計はずしりと重い。裏に小さく彫られた工房の名は、国有数の技術を誇るゆえに、何か月も待つ必要があると聞いたことがある。


 ―――この三年、結局実の親である人々は、一度だって俺に関わろうとすることはなかった。忘れているのだと思う。三年前のユリシアに出会って連れ帰られた日だって、その翌々日に義兄がもろもろの交渉のためレイクリッヒ家を訪れた時、俺が居なくなっていることすら、元家族も使用人たちも気付いていなかったらしいから。


 そこに感慨はない。ただ、何事もなく三年経って良かったと思う。血がつながっているというだけで、俺には縁のない人々だった。それだけの事だ。


 指紋を付けることもいとわず、ガラス張りの文字盤をなぞる。もう俺は一番を得た。きっと彼女以外の誰からどんな時計を贈られたとしても、この時計を生涯つかうのだろう。



「ありがとう、ずっと大事にする。……覚えていてくれたんだな」

「当然でしょう?彼らにとってはカイリが養子になった日ですけど、私にとってもあなたとの婚約記念日なんですから」

「はは、無茶苦茶嬉しいよ。でもごめん、何にも用意してない……」

「去年も一昨年も何もしませんでしたし、当然ですよ。どうしてもっていうならこれから一緒にベッドで寝てくれるだけで」

「それは駄目」


 どうして……?と首を傾げられるが、むしろどうしていいと思ったのだろうか。さんざん触れたい抱きしめたいと、一緒に眠らないと伝えてからはとくにおねだりされるけれど、相変わらず一切の照れを感じない。

 まさかこれから先何年間もずっと抱きつかせろ攻撃が続いたりするのか。


 さすがにそれはないだろうな、と思いつつ、夜は鍵があるんだから諦めてくれと苦笑した。


「なるほど鍵」

「なんか言ったか?」

「いいえ?なんにも」


 ちょっと時計を頼んだ工房に頼むことが増えただけです、これから忙しくなりますね、と心なしか目を爛々と輝かせた婚約者が、もう一杯どうですかと瓶を俺に向ける。

 感謝を述べつつ、もう一度乾杯するためにグラスを差し出した。次は違う蜂蜜を入れよう、そう考えるだけで楽しくて、嬉しくて、愛おしかった。




 穏やかにきらきらと、二人っきりの夜は更ける。

 彼女が気付く、その日まで。








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