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K.2








 離れませんから、絶対はーなーれーまーせーんー!!!と愛らしい声で主張しながら、ユリシアが俺の頭にしがみつく。



 かつてを、彼女に何の邪な気持ちなく抱きしめられる事が出来ていた頃を思い出していたせいで油断した。

 可愛い可愛いあと近い、と良い匂いと制服越しの暖かさや感触に心臓を跳ねさせながら、必死に彼女を抱きしめ返さないよう理性を働かせる。

 あと二年あと二年あと二年。 


 手荒なことをしたく無いから、頭をロックされたこの体勢から無理に引き剥がす事も出来ない。

 足を絡めて離すまいと抵抗するユリシアは、俺が彼女の白い首筋とか、流行りの口紅で色付く唇に噛みつきたいと考えているなど夢にも思っていないに違いない。ヤケクソになりながら叫んだ。


「せめて膝!」


「はい!!!」


 いそいそとユリシアが俺の膝に座って、嬉しそうに頭を擦りよせる。計画通りとでもいうように大きな目は猫のようににんまり笑んでいて、余りにも可愛い。唇が当たる距離でこの顔を寄せられるよりはマシだが、これも大概酷い。あと二年あと二年あと二年。


「両手を俺に回すな、ほらこれでも読んで」


「カイリが読ませてくれれば良いのでは? 私はカイリに抱きついているので」


「良い訳あるか」


 名案なのにとぼやきつつ、やっとユリシアは結婚式に向けた招待客候補のリストを読み始めた。むくれた表情を消したあと、紙を捲る指は速い。



 綺麗で美しく、可憐で愛らしいユリシア。毎年毎月、毎日可愛くなるなと思いながら、手触りの良い銀髪を撫でる。

 けれど本当にこの警戒心のなさはどうにかして欲しい。割といつだって、ユリシアがこうやって無防備に擦り寄ってくるときは特に、この最愛の婚約者をどうしてやろうかと考えている。


 胸を張って隣に立ちたいから耐えているだけで、俺は決して無害な抱き枕ではないのだ。

 彼女からの愛情を疑ったことはないけれど、例えばユリシアが他の男に惹かれるなら、本当に酷いことをしてでも繋ぎ止めるだろう。

 家や恩を捨ててでも、ユリシアが嫌がり、俺を嫌ったとしても。




 不穏を孕んだ視線に気づかず最後まで目を通したユリシアは顔を上げて、甘そうな蜜色の瞳で俺を覗いた。


「良いと思います。後は当日の席によっては招待したい家があるので、私もまとめておきますね。あと……レイクリッヒ伯爵家は載っていませんが、大丈夫ですか?」


「ああ。俺の身内としては、フェンデル家の方々に出席を頼んであるからな」


「そうですか。まあ、良い式にしたいですからね」


「そうそう」


 頷き合って、俺の実の親と兄の名前は書かれていない名簿をしまう。すかさず抱きつこうとしてくる抜け目ない婚約者の口に、千切ったパンを押しつけた。


「ほら、早くしないと食いそびれるぞ」


 食べる間は喋らないマナーの良いユリシアは、私もあーんしたい!と片手を持ち上げる。後でなと新しい一口を与えて、膨らむ頬と、柔らかな唇の動きを楽しむ。


 彼女がほんの少しもハロルドに心奪われなくて良かった。これからもユリシアに酷いことなんてせず、ずっと優しい男でいたい。


 そう思いながら、何も知らない婚約者の口を、また塞いだ。



 決して愛しい婚約者には伝えないけれど、ハロルドはユリシアに執着していた。


 成長すれば顔は変わる。頭の骨は大きくなり、パーツの配置も微妙に変わる。

 子供の頃は比類なき美貌をしていた兄は、青年になるにつれ、ただの容姿が整っている男になった。


 決して凡庸ではないが、周囲の関心を集めた怖気立つほどの美貌は、絶妙に配置されていたパーツは、年を経て僅かに移動した事で完璧ではなくなった。 


 多分、美に執着する兄も両親もそれに気づいていた。けれど認めたくなくて、認められなくて、他人に当たり散らし続けた。

 周囲は完璧でもない癖に傲慢な彼等から少しずつ離れていき、兄が学園に入る頃残っていたのは慈悲で譲られたお飾りの次期当主の身分と、我儘で尊大な性格だけ。


 それでも、だからこそ元兄は許せなかったのだろう。

 ユリシアが自分に縋って愛を乞わなかったことも、結局その後ユリシア以上の容姿や身分の少女の家に婚約を持ちかけられなかった現実も。

 当然の報いである自分の境遇を、ユリシアのせいだと思っていたのかもしれない。


 俺以外のレイクリッヒの面々を心底嫌っているフェンデル家当主は、不正の証拠を集めて家を追放してやろうと、定期的に弟家族の身辺調査を行っている。同じ学園に通う者としての情報提供を対価に、調査結果の写しを送ってもらっていた。


 俺たちが学園に入ってから、ハロルドは数少ない伝手を使ってユリシアの噂を集めていた。わざわざ彼女について調べてまで、取り巻きに対して女の癖に当主の座を譲らない傲慢女とか、男に逆らう馬鹿などと、醜い言葉で彼女を貶していた。

  

 気色悪い逆恨み男が連れていた四人の恋人は、自分を見なかったユリシアへの意趣返しのつもりだろう。


 レイチェル・リーアはヴァイオリンが得意で、ユーリ・ミーニーはつややかな色素の薄い髪を持っていた。リリィ・ジヌレの目は黄色で、カリュ・ムルテは刺繍や料理がうまいらしい。


 ユリシアより優れた一点のある少女を複数集めて、ユリシア以上の恋人を得ているとでも言うつもりか。

 他の男がユリシアを見ているだけでも腹立たしいのに、こんな気持ち悪い男が気持ち悪く彼女に執着しているなど、考えるだけでも反吐が出る。


 はらわたが煮えくり返ったので、フェンデル当主の了承のもと、ハロルドに関わる調査結果の中でも特に悪質なものを匿名で学園にバラしておいた。

 退学まであと一歩、元兄に次が無くなるまで。





 ユリシアは、何も知らない。

 ハロルドがユリシアについて知ろうとしていた事も、廊下ですれ違う時などに俺を睨みつけていた藍色の目も、元兄が恋人達に贈るのはユリシアに似合いそうな銀や金色のものばかりだった事も。

 人懐っこくて愛情深くて、興味のないものに冷酷な俺の婚約者は、ハロルドの顔すらもう覚えていないだろう。


 ハロルドが抱えていたものが執着か恨みか、恋だったのかはわからない。

 けれどどちらでも良い、どうでも良い。ユリシアが選んだのは俺で、ユリシアの隣にいるのは俺なのだから。これから先、永遠に。



 食事に使わない、指を絡めた方の手を引きながら笑った。

 絶対に誰にも、何があってもユリシアだけは渡さない。

 





 昼休みは、あと四半時と少ししか残っていない。

 ユリシアの求めるままに、甘そうな果実を彼女の口元に運ぶ。飲み込んだ後、彼女は今度こそ空いた片手を持ち上げた。


「お腹いっぱいです、次は私。……ふふ、何からが良いですか?」


 悪戯っ子のような笑顔も、俺に対して隠さない好意も、本当に愛おしい。


 大人しく口を開けながら、停学中の四人と昨日退学になった元兄について、また思いを馳せる。


 身分を驕る者にこの国は手厳しい。謹慎が終わったあとも、少女達に元通りの生活が訪れる事はない。

 噂が大好きな生徒たちによってハロルドや彼女達の奔放な生活は悪しき見本として話の種になっているから、少なくともこの学園にいる限りは、彼女達にまともな縁談が来ることはないだろう。すでに彼女らの両親の耳にも事情は届いているから、停学期間が明けても学園に戻らない娘もいるかもしれない。


 それでもハロルドに比べれば、玉の輿を諦めるだけで良い少女達はマシな筈だ。

 もうまともな貴族で、ハミントンに喧嘩を売ったレイクリッヒにパーティの招待状を送る家はない。いつか誰もかもに忘れられる三人は、これから先は衰退の道を辿るだけ。


 他人事のように、遠くない未来を憐れむ。


 むかし家族だった三人に対して、もう恨みは無い。何一つ優しくされた覚えは無いけれど、あの醜い家に居たから、ユリシアに連れ出されて恋も愛も知ることが出来た。


 奇跡か何かで過去に戻れて、生まれる家を選べたとしても、俺はレイクリッヒを選ぶだろう。

 そうして豪華なだけの庭園で、ブルースターのハンカチを探しに来たユリシアに、砂糖菓子片手に出会いたい。銀髪を緩く編んで水色のフリルのドレスを着た、天使のように可愛い女の子に。


 彼らがいたから、ユリシアに出会えた。

 ユリシアに出会えたのだから、彼らはもう用済みだ。


 与えられた、最後の一口を飲み込む。 

 足りなかったですかね?と首を傾げる最愛の人に満腹だと答えてから、包み紙を片付ける。

 まだ膝から降りようとしないユリシアは、明日は何を買おうかなと呟きながら俺の肩に頭を乗せた。


「もう明日の話か?」


「カイリといたら、一日なんてあっという間ですよ。きっといつかこの学園生活を思い出して、楽しくて一瞬だったなぁってなるんです」


「そうか。……そうかもな」


「いつかカイリがおじいちゃんになっても、こうやってあーんで食べさせてあげますからね」


「介護か?」


 くすくすと笑いながら、ユリシアが小さく頷く。カーテンが揺れて、なびく布の影が教室を染める。

 その頃にはユリシアだっておばあちゃんだろと反論しながら、細い腰を抱き寄せた。

 いつかこの日を思い出す時、俺達は夫婦になっている。子供だっているかもしれない。

 けれど絶対俺は、妻になったユリシアに、ハミントンの当主となったユリシアに、老女になったユリシアに、何度だって恋をする。


 いつか懐かしくなる二年三ヶ月が、それでも今は待ち遠しい。

 本当に明日どうしようかな、と呟きながら瞳を伏せる婚約者に、あと二年と念じる代わり、形のいい額に唇を当てた。結婚の許可は取れたし、少し位は許されるだろう。


 一陣の風が吹く。

 額に掛かる彼女の前髪はさらさらだった。触れた唇は少し暖かくて、甘い良い匂いがした。

 腕の中のこの人が、心の底から愛おしい。


 そういえばユリシアにキス、しかも俺からするのは初めてだなと思いながら、顔を離すと。




 ーーー色白なユリシアの顔が、木苺より真っ赤に染まっていた。


 少し紅が落ちた唇がわなないて、蜜色の瞳は見開かれていた。彼女は凄く震えた声で、俺に言った。



「……………ぃてない」


「ユリシア? ごめん、いやだっ」


「こ、こんなことするって、き、きいてない!」



 小動物のように肩を震わせ、目尻に涙を浮かべて。婚約者は耳まで赤く染めて、そう叫んだ。

 つられて俺の顔も朱に染まる。そんな俺に構うことなく、ユリシアは脱兎のごとく教室の外に逃げ出した。



 後片付けも忘れて、椅子を蹴って俺の知る十倍照れ屋だったらしい婚約者を追いかける。

 嘘だろ、散々俺に抱きついたり擦り寄ったりしてた癖に?!


 人の多い廊下を駆ける、細い背中を追う。太陽を映して、ユリシアの長い銀髪がきらきらと光った。


「待てユリシア、転ぶぞ!」


「追わないでください!またさっきみたいな事するつもりでしょう私には絶対耐えられません、めちゃくちゃになります!もう駄目です、カイリにめちゃくちゃにされる!」


「廊下を走るなバカップル共!!何をしてたんだ不純異性交遊でしょっぴくぞ!!!」


「せんせーあそこはもうどうしようもないです」




 走る。走る。生徒や教師の生温い視線を感じる。絶対明日には学園中の噂になる。恥ずかしくて、照れ臭い。

 けれど、きっとこの瞬間も、いつか懐かしくなるのだろう。


 全くスピードを落とさない運動神経のいい婚約者に、階段は駆けおりるなよ!と叫ぶ。

 分かってます!と行儀良く叫び返して、ユリシアもきっと、笑っていた。









 …………ハミントンのオールウェイズバカップルが喧嘩?いやあれはいつも通りいちゃついてるだけ、みたいな噂に流されて、その前の婚約破棄騒動やハロルドの事は、人々の話題から消え去っていった。









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