出航
「ふんっ、こんな物ですね」
解放していた視覚を平常な状態に戻し、数え歳で10歳のミチヒコは折り畳み式振動ナイフをしまった。背後の通路には破壊された対人警備ドローンが山積みにされていた。
通路を進むと目当ての独房があった。
覗き窓の口に掴まって、懸垂の要領で頭を覗き窓の高さまで持ち上げた。
相当殴られて拘束着を着せられた子供のNo.3、ニシューが床に転がされていた。
「No.3っ! ニシューっ! 差し入れ持ってきましたよっ?!」
「・・なんですか?」
なげやり気味に転がり直してミチヒコの方を見るニシュー。
ミチヒコはストロー付き紙パック入りのニシュー用に調整された経口栄養液を扉の下にある小窓から滑り入れた。
「私も自分用の持ってきた。一緒に飲もう!」
「これ、血みたいな味するから苦手なんですけどね。まぁ回復の効率は良いですが。・・よっとっ!」
ニシューは軽々と拘束着を内側から破り捨て、身を起こし、経口栄養液を取った。
「なんで脱走して街で暴れたりしたんですか? 今、No.2達が後始末に行って、大変みたいですよ」
ミチヒコは座って扉にもたれて、やはり血のような味のする自分の経口栄養液をストローで飲みながら聞いた。
ニシューもストローを差して、不味そうに経口栄養液を飲み出した。
「・・廃棄される前に、好き、を探してみようと思ったんです」
「好き?」
「本で読んだんです」
「本? ・・ああ、また生殖に関する書籍データの入った端末を職員から取り上げたんですか?」
「端末は取り上げましたが、生殖の本じゃありません。絵本です!」
「絵本??」
ミチヒコはストローから口を離して唖然とした。
「それは人間の子供が読む物ですよ?」
「いいんですっ! とにかくっ、私は熊さんと兎さんの絵本に感動しました。そこに書かれた、好き、を探してみたのです」
「熊は兎の肉を好むという」
「違いますっ!」
「・・まぁ、いいでしょう。私達には、個、が芽生えた。とオズマ博士も言っていましたし」
ニシューは異常な触覚を持つ、自分の片手の掌をしげしげと見詰めた。
「街で、普通の格好していたら、結構長い間、ただの子供だと思われていました。No.9。ミチヒコ。私達は、なぜ、人間に似ているのでしょうか?」
「それは、解釈が難しいですね」
幼いNo.3とNo.9はそれから暫くストローで、それぞれの経口栄養液をチュウチュウと吸っていた。
警備の厳重な、カーガワ基地第3メディカルセンターにミチヒコはヴェックと来ていた。
「食堂で1時間後な」
売店で滅菌済みの合成花の花束をいくつか買ったヴェックは通常病棟へ去りだした。通常と言っても第3者メディカルセンターでは重度入院者の病棟であった。
「1時間もニシューと間が持たない」
「兄弟姉妹みたいなもんだろ? 花も渡してやれよっ」
ヴェックは去った。
「花・・」
確かに、ヴェックがうるさいので花束は1つ買っていた。
「私が、ニシューに花を渡す・・解釈し難いですね」
ミチヒコは大いに困惑しながらも、病室に向かった。
一方、当のニシューはVIP用の特別病室でベッドから身を起こしていた。やや、やつれている。両手にグローブを嵌めさせられ手錠も付けられていた。
病室には無数の花束とプレゼントが溢れ返っており、さながら芸能スターが入院しているかのようだった。
病室には医師、看護師、武装した兵士がいた。ニヤニヤとしている医師。
「No.3さん。貴女の強化された鋭敏な触覚、No.9を上回る身体能力。大変興味深い物でした。貴重なサンプルも一通り頂けました」
「そうですか」
気だるげなニシュー。
「ところで・・諜報部の取り調べが済み次第、再度、今度は倍っ! サンプル採らせて頂きますよ? 大丈夫ですよね? どうせすぐ治ってしまいますし。協力して頂けるならぁ、タリッタ姫の処遇に良い影響があるかもしれませんねぇ? ふぇふぇふぇっ!」
ニシューに顔を近付けて嘲笑する医師。しかし、
ピっ。
「っ?!」
医師はスティック型キーでニシューの手錠を解錠していた。
「ん~っ。息が臭かったですけど! 自分から近付いてくれて手間が省けましたよ?」
グローブを取るニシュー。
「なっ? ななな??」
驚愕する医師だったが、その身体を背後から看護師と兵士が取り押さえた。恍惚とした顔をしている看護師と兵士。
「ぐぉっ?! な、なんだお前達っ??!!」
「未登録ですが、私の真の能力は接触洗脳です。触らなくても生身で近付いてくれればある程度感覚器に干渉できます。短期感であれば干渉の蓄積も、可能です。勿論」
ニシューは素手で、医師の額を掴んだ。
「べぇうっっ???!!!! ぽぽぅっ???」
激しく痙攣する医師。
「直接触った方が手っ取り早いですけどね。貴方は私が麻酔で私が眠っている間に私の身体をゴム手越しに触りまくってくれましたね? 私は触覚が発達しているのでわかるんです。不必要な画像も随分撮ってくれたようですね?」
「べべべべっ???」
痙攣し続ける医師。
「総合的判断で! サンプルとしてもはや旧型の私にはこれ以上の検査は不要。手錠、及びグローブも不要。タリッタ姫については人道及び王室への配慮が必要。お前自身は私のスケベデータを削除し、3ヶ月後に自決しろっ。余罪があるなら他のスケベデータも処分しておけっ! 理解・・できましたか?」
「り、りり、理解しまちたぁーーーっ!!!!」
ニシューは医師を床に放り捨てた。なおも痙攣して身体を仰け反らせている医師。
「おっほぉーーーーっ?! 気持ちいいぃーーーーっ?!!」
顔をしかめるニシュー。
「最悪ですね。ムカついたから脳をイジり過ぎましたか。・・お前、落ち着いたらさっさと部屋を出てゆけっ。もうすぐミチヒコがくるはずだ」
「は、はひぃ・・あ、ああっ」
医師は痙攣し続けていた。
ミチヒコがニシューの病室の前まで来ると、ちょうど平然とした医師と看護師と兵士が二重扉の病室から出てきた。
3人はミチヒコ等いないかのような素振りですれ違い、歩き去った。
「・・・」
病室には別の番兵も2人いたが、鉄面皮だ。さっきの3人はおそらく洗脳済みだが、この番兵2人はまだニシューと接触していないらしい。とミチヒコは察した。
ミチヒコはカードキーで病室に入った。
「なんだこの部屋? 芸能人か?」
呆れるミチヒコ。
「私がこれまで垂らし込んだ合衆国の要人達のコネを総動員しました。カメラもマイクもありませんよ?」
「洗脳か?」
「半々ですね」
「半々・・」
「うふふっ」
「お前、護衛型のプラス1、だよな?」
たじろぐミチヒコ。
「勿論ですっ! ・・なんですか? ソレは」
ミチヒコの持っている花束を訝しむニシュー。
「ヴェックが持ってけ、てさ。俺も昔は酷い目に遭ったが、災難だったな」
花束をサイドテーブルに慎重に置くミチヒコ。
「ミチヒコに物をもらうのは経口栄養液をもらった時、以来ですね」
「いつの話だよ」
当時は最後の餞別になることも考えて渡したが、今になってみると、こそばゆい。
「・・どれくらいで回復できそうだ? 2日前に入港した新型艦、アレに鹵獲機と俺と姫が乗せられる。プロパガンダに使うつもりだろう。姫の奪還がネットとマスコミにリークされたから、当局も苦肉の策だろうな」
ミチヒコは、さらなる暗殺の可能性については一先ず黙っておくことにした。
「3日後には回復してみせます。体内感覚を回復に専念させれば、いけます! 船にも乗り込んでみせますっ」
ニシューはプラス1に不可欠の定期調整を受けているのか? ミチヒコはふと気になった。
「諜報部の取り調べでは下手なことをするなよ? コネとすっとぼけだけでやった方がたぶんリスクが低い。薬物対策だけにしとけ」
「それくらいはわかってます」
基本能力に関しては既に自分達は旧型になりつつあって、未登録の特殊能力さえ秘匿していれば、レア個体である以上の価値は無くなるはず。
ミチヒコはそう考えていた。
「それは、そうと」
丸椅子を取ってミチヒコはベッドの近くに座った。ピックアップ艦まで誘導した後、まともに話す機会がこれまでなかった。
「他のNo.はどうしてるんだ? 連絡取ってるのか?」
「連絡先は知りません。No.7なんかは上手く立ち回ってるみたいで、何度か助けられました」
「俺はこれまで全然だぜ?」
「こっそり助けてくれてたんじゃないですか?」
「マジか? それって」
「ミチヒコ」
ニシューは遮って切り出した。
「オズマ博士は最後になんと?」
「ああ、君達が、本当の幸いに至ることを願っている、と言ってましたよ」
「・・はい、わかりました」
2人はそれから、ポツポツと、8年間の出来事を話した。全てのことは話さなかったが。
南極、合衆国永久徴発エリアのシオモリラボで、すっかり老け込んだシオモリ博士は多数の調整槽を前に端末の操作とデータの確認をしていた。
この部屋には多数の研究員が詰めていた。
1人の軍人、マツダが、シオモリに近付いた。
「Dr.シオモリ!」
「何か?」
「No.3のサンプルデータが取れた。即時解析をっ!」
「データか・・採取したサンプル素材本体の移送は?」
「今の戦況では最短で10日は掛かる」
ため息を吐くシオモリ。
「カーガワ基地の近くにキンチョー生体研究所があったろう? そこで詳細なデータを取って送らせてくれ。残りのサンプル本体はその内、でいい」
「いいのか? ようやく共和国から奪還したNo.3のサンプルだが」
眉を潜めるマツダ。
「構わない。再現性の低いオズマシリーズ、いや、人の形に拘るプラス1自体が既に古い。直にこの、プラス2、シリーズが投入される。全てがクリアだ」
シオモリは調整槽群を見上げた。そこには、肥大した人の脳と芋虫の中間のような生物が眠っていた。
その1つが片目を開け、シオモリと目が合った。
「おはよう。ママだよ? フフッ」
シオモリ博士は笑った。
カーガワ基地の士官用温室へと続く廊下を、ミチヒコとニシューは歩いていた。
ニシューはメイド服を着て両手に布グローブを嵌めている。血色はすっかり良かった。
「調整は受けてるのか?」
「ヘッタクソでしたが、共和国艦では受けていました。ここでも乗船前には受ける予定です。メンテ無しで道具は使わないでしょ?」
「そうか。それは合理的で、解釈できる」
2人は二重認証のカードキーで温室に入った。
即、視覚を解放して周囲を完璧に見回したが、事前情報通り、カメラとマイクは見当たらなかった。
温室は、急遽5倍は花が足された温室の花園の中央にドレスを着たタリッタ姫はいた。ぼんやりと草花や木々やその実を見ている。
(運の強い人だが、霞のようだな)
ミチヒコがそう考えていると、
「姫ぇ~っ!!」
ニシューは尋常では無い速度でタリッタ姫に飛び付き、抱え上げ、
「お久し振りですぅっ、あはははっ!!」
そのまま物凄い速さで回転して大喜びした。姫は為すがままだ。
ミチヒコは視覚で見切って、すぐにニシューの肩と腰を掴んで止めた。
側に寄ると、姫は少しアルコールの匂いがした。
「ニシューっ、生身の人だぞっ?」
「はっ! 姫っ?!」
抱えられたタリッタ姫は真っ青になってグッタリとしていた。
「元気、・・そうね、ニシュー」
ニシューに必要以上に背をさすられながら、庭園管理用のバケツに一通り吐いて、タリッタ姫は少し落ち着いた。
「二日酔い気味だったからちょうどよかったわ」
「申し訳ありません・・」
「水です」
ミチヒコは別室で控えていたニシューと違い真っ当な、派遣された王室の侍従から受け取った水の入ったコップをまず、手袋を取ったニシューに渡した。
解放した触覚でコップ越しに確認し、さらに一口飲んで確認するニシュー。
「これは、確かに水ですね。姫」
「早く、飲むわ」
ニシューからコップを取って美味しそうにコップの水を飲むタリッタ姫。
「ふうっ、美味しい。・・2人とも、ありがとう」
まだ少し冷や汗をかいてるタリッタ姫。
「私の能力で治しましょうか? 姫は肝臓も心配です」
「やめなさい。私に能力を使えばお前とは絶交です。肝臓に関してはウコンを信じています」
肝臓の情報がノイズだな、と考えるミチヒコだったが、ニシューに合わせていると話が進まないので、咳払いを一つして、切り出すことにした。
「タリッタ姫。私は4位兵曹長のミチヒコ・シオモリ。アーマーパイロットで、ニシューの同類です。姫が乗船される新型艦に私も詰めます」
「私もですっ!」
タリッタ姫をしっかと抱き寄せて宣言するニシュー。ぬいぐるみであるかのような扱いだ、と呆れるミチヒコ。
「多くの場合、任務は艦の護衛ではありませんが、最大限配慮します」
アーマーによる任務の速やかな遂行が艦を守ることになる。なんらかの経緯で、艦内で再び暗殺の危機に晒される可能性は未だあったが、これはミチヒコではどうしようもない。
ニシューとニシューの能力に頼るより他無い。
「心強く思います、ミチヒコ」
「私もっ! 姫を守りますっ」
「貴女も心強く思ってよ? ニシュー」
ニシューに微笑み掛けるタリッタ姫。
「ううっ、姫ぇーっ!」
ニシューは泣いてタリッタ姫をまた抱き寄せた。
「とにかく、よろしく頼みます・・」
身動き取れなくされながら、姫は改めてミチヒコに言った。
「はっ」
敬礼しながら、ミチヒコは、ニシューはこの、育ちは高貴そうでも陰気な女のどこにそこまで入れ揚げたものか? と奇妙に思っていた。
暫くして、他の正規の侍従を含め連れ立って姫とニシューとミチヒコが温室から出ると、離れた位置に立たされた兵士2人が遠巻きに敬礼し、一行が別のフロアに入り扉を閉めるのを見送った。
「・・・」
そのすぐ側の通路から死角になった脇の通路の陰に、十代後半のようでもあるが非常に小柄な、清掃員の制服を着て大きな帽子を被った女がいて、ジャマーコロイドの影響を受け難いタブレット端末でタリッタ姫のデータを見ていた。
『タリッタ・エル・イヨ』合衆国の象徴王室、第8王女。10代前半から、これまでに3回共和国有力者と政略結婚させられいる。2人いた子供はいずれも暗殺。現在、20歳。一時期薬物中毒になり王位継承権は剥奪された。現在はアル中気味だが安定はしている模様・・。
「行ったね? 背の高い方だけ応えな」
脇の通路の陰から小柄な清掃員の服を着た女が声を掛けた。
「行きました!」
兵士2人の内、背の高い方のみが応えた。
「様子は?」
「特にNo.3は姫と近しいようでしたが、No.9も気安く見えました。姫も特に警戒はしておりません」
「調査部にはNo.3は熱心だが、他の2人は淡々としていた、と伝えな。それからあたしに会ったこと、言われたことは、明日には全て忘れな」
「了解ですっ!」
2人の兵士が、敬礼するのを確認し、小柄な女は脇の通路の奥へと去り始めた。
「ニシューはパワーあるけどマジ雑過ぎ。このNo.2っ! コダマさんの音声改竄でっ、もう少しデリケ~~っトにっ、修正しとかないとね!!」
清掃員姿の小柄な女は自信満々に呟き、帽子を被り直して暗がりに消えていった。
10日後、カーガワ基地から新型艦グラングリフォンが出航した。
本来はさらに10日後に出航するはずが、姫とニシューの乗船で、これ以上当局の介入が酷くならない内にと艦長が急がせた為、艦内は出航しても慌ただしかった。
グラングリフォンのドッグでは塗装を白く塗り直された共和国のハイエンド機『ヴァル・サバト』のコクピットに、パイロットスーツを着たニシューが不満気な顔で乗り込み、機体チェックに付き合っていた。
ミチヒコ機が画像付きで通信を繋いできた。
「機嫌好くしろよ。仕事だぞ?」
「私は姫の侍従でパイロットではありません」
「お前に生体コード合ってんだ。しょうがないだろ?」
念入りに多重認証していたのはニシューなりの保険であったはずだが、不満は不満らしい。
「そっちは役得ですねっ」
「悪目立ちしそうではあるがな」
ミチヒコは、ヴァル・サバトの構造を取り入れたユンノス改をベースにした試作機『ヴァル・ユンノス』に搭乗し、機体チェックに対応していた。
青と白のコントラストで塗装されたその機体は、ユンノス系機体の新たな発展の可能性を提示していた。
・・艦内の士官フロアの最奥に設けられた広い専用区画の私室で、豪奢だが床に固定できる仕様の椅子に座ったタリッタ姫は美しい装飾の木製の薄い強化プラスチックフィルターと組み合わさった写真入れを開いて2枚の写真を見ている。
近くの鏡台には酒瓶と酒の注がれたグラスがあった。
写真は、1枚は乳離れしたくらいの男児、もう1枚は女児は3歳程度で女児の方は屈託無く笑い、男児はおしゃぶりを咥えて不思議そうにカメラを見上げていた。
そこへ落涙するタリッタ姫。
「また、生き残ってしまった。私は、この上、何を果たせばよいのか?」
姫は、顔に手を当て、すすり泣いた。
グラングリフォンは西へ、親共和国ゲリラに占領された旧ナールト市へと進路を向けていた。