ボンボンとアイネクライネナハトムじじい
ボンボンは初めて会った時からすでにボンボンって呼ばれていたから僕は彼の本名を知らない。でも、放課後の公園で集まる仲間たちには家から持ってきたおやつと呼びやすいあだ名があれば何も問題はなかった。
ボンボンのあだ名の由来はチョコレートボンボンで、彼の父親はアフリカ系の外国人だった。
今考えると結構ひどいと思うけど太ってるからブーとか日本人でも地黒でケニアってあだ名の子もいたので小学生のネーミングセンスなんてそんなものだ。
僕はピアノ。ピアノを習ってたからピアノっていうすごい安易な名前。
「おい、ピアノ。河原にいるアイネクライネナハトムじじいって知ってるか?」
「えっ、何それ?モーツァルトの?」
「モーツァルト!やっぱピアノは音楽やってっからそういうの詳しいんだな〜」
「いや、じじいのほうは知らない。でも、アイネクライネナハトムジークって曲は知ってる」
「ふーん、なんかすごいらしいから見にいこうぜ!」
「河原は危ないから行っちゃ駄目ってママに言われてるんだけど…」
「お前まだママとか言ってんの?もう俺たち三年生なんだから大丈夫だろ」
「そうだよ、赤ちゃんじゃないんだからさー。ピアノはお坊ちゃんだから真面目だなあ」
ジャガが小馬鹿にしたように言う。ジャガは僕のことを下に見ててこういう風に言ってくるから苦手だ。
でもジャガとボンボンと仲が良いから仕方なく一緒に行動してる。
ボンボンは同年代の中ではかなり背が高く運動が良くできた。走るのも踊るのも投げるのも上手かった。
頭が良くはなかったけど遊んでて楽しいし僕は彼のことが好きだっだ。
公園から河原に向かう道でアイネクライネナハトムじじいについてきいてみた。
「アイネクライネナハトムじじいってどんな人なの?」
「なんかヴァイオリンがめちゃくちゃ上手いらしいぞ」
「ふーん、そんな人が河原にいるんだ。駅前でパフォーマンスとかならわかるけど」
「あっ、そういえばあそこのでかい家、最近有名な画家が引っ越してきたらしいんだけど、出るんだって」とボンボンが白くて少し変わった形の大きい家を指差しながら言った。
「えっ、もしかしてお化け?」
「そう、夜中になると不気味なマネキンがあの家の周りをウロウロしてるらしい」
「うわ、怖いね。まあ夜は出歩かないから大丈夫だと思うけど気をつけよう…」
「俺は怖くねえよ」とジャガは言ったけど顔色がとても悪くて全然説得力がなかった。
しかし、有名な画家がこんな田舎に住んだりするんだなと僕は思った。
河原に着くと僕たちはアイネクライネナハトムじじいを探し始めた。
「多分ホームレスがいるあたりに居るんじゃないか?行ってみようぜ」
ボンボンとジャガとブルーシートテントがたくさんある所に向かった。ホームレスの人たちはブルーシートと木の板ですごく器用に家を作る。
ママはああいう人たちは怖いから近づいちゃ駄目よと言っていたけどアイネクライネナハトムじじいに興味があったし、意気地なしだって思われるのが嫌だった。
ただでさえ背が低くてピアノを習ってるから女みたいだとか酷いとオカマとか言われるのにこれで断ったらジャガに馬鹿にされそうだから勇気を出した。大丈夫、何かあれば逃げれば良い。
河原に降りていくとテントの近くに人が集まっていて、そこにアイネクライネナハトムジジイはいた。
木で出来た箱の上に乗ってヴァイオリンを持ち、まわりをホームレスのおじさんたちに囲まれていた。
おじさんたちは昼間からお酒を飲んでいて僕はこういう人はいつ働いているんだろうと思った。
アイネクライネナハトムじじいは僕のおじいちゃんと同じくらいの年齢だった。
長い髪を後ろで縛って白いシャツに黒いズボンを着てわりと身綺麗なのでホームレスっぽくなかった。
もしかしたらここに住んでいる訳ではないのかもなと思った。
「こんにちは。あなたがアイネクライネナハトムじじい?」
じじいはちらりとこちらを見て怪訝そうな顔をした。
「なんだあ、お前たち。ここは小学校じゃねえぞ。それに俺はじじいじゃねえ。音楽家だ」
「俺たちはあなたの演奏を聞きに来たんです」
「そうか。なかなか見どころがあるじゃねえか。見物料はなにか持ってるか?俺はタダじゃ弾かねぇんだ」
「お金は無いんですがこれなら」とボンボンはポケットから煎餅を出した。
じじいはニヤッと笑ってからそれを引ったくるように取ってボリボリと食べ始めた。
「よし、俺はこういう煎餅が一番好きなんだ。演奏してやる」
「やったあ。この煎餅俺の母ちゃんの働いてるところのやつなんだ」
「へぇ、また持ってきても良いぞ。好きな曲を弾いてやる」
じじいは背筋をピンと伸ばしてから弓を引いた。その音を聞いた瞬間鳥肌が立った。今まで聴いたどんな曲とも違った。
じじいの腕がまるで別の生き物のように速く速く動く。
強く弱く繊細に大胆に響く音楽に僕は感動した。僕の知っているヴァイオリンとは全然別物だった。
叩いて弾いて押して引いて、リズムが、メロディが生まれる。運指もあり得ないくらい軽やかなのに音程の狂いは全くなく、かつ感情が乗っていた。
それはもう僕のピアノなんかとは全然違う。じじいは、本物の音楽家だった。
「ラ・カンパネッラだ。」
じじいは得意げに言った。僕もボンボンも感動してなかなか言葉が出ない。
あまりにも素晴らしかった。音楽を聴いてこんな気持ちになったのは初めてだった。
ボンボンと興奮したのか息を荒くしていた。
じじいはヴァイオリンを片手に持ち、優雅にお辞儀をしてから木の台から降りた。
そして、まわりのホームレスのおじさんたちからも食べ物や煙草、お酒などを貰っていた。どうやらじじいはそうやって生計を立てているらしい。
「すごかったです!こんなに大きい音のヴァイオリン、初めて聴きました!」
「そうだろうそうだろう。これは良いヴァイオリンだから音がデカいんだ。お前なかなか良い耳してるな」
「ピアノはピアノを習ってるから多分そういうの分かるんだよ。でも俺はなにも習い事やってないけどじじいのヴァイオリンがすごいって事は分かった」
「ピアノ?今流行りのキラキラネームってやつか?」
「いえ、それはあだ名なんです」
「ふーん、お前も音楽やるのか。仲間だな」
じじいは歯ぐきをむき出しにしてニカッと笑った。あんなにすごいヴァイオリンを弾くのに何でこの人はこんなところにいるんだろう?と僕は不思議に思った。
僕たちはじじいのたった一回で演奏の虜になってその後もボンボンのせんべいと僕の用意するチョコレートなんかを献上してたくさんの曲を弾いてもらった。
カルメン、24のカプリス、ツィガーヌ。今まで知らなかった超絶技巧曲の数々を聴くと彼が有名な音楽家だったという事をしみじみと感じた。
こんなに上手いのにどうして辞めてしまったんだろう。ヴァイオリンを愛おしそうに手入れするじじいを見て不思議に思った。
じじいはアイネクライネナハトムじじいってあだ名だけど僕たちが見た限りはその曲を一度も弾かなかった。
「アイネクライネナハトムジークは好きじゃないの?」
「いや、一番好きだから何度も弾いていたらじいさんたちが飽きたって言うから辞めたんだ」
じじいは煎餅をボリボリと噛み砕きながら言った。じじいは自分もじいさんなのに他のホームレスの人たちのことをじいさんと呼んでいる。
「そういえば、じじいはビンボーなのになんでヴァイオリンを売らないの?」
「これは俺の魂だからな!このヴァイオリンを売るくらいなら飢え死にを選ぶさ。死ぬ最後の一瞬まで俺はこいつを演奏したいんだ」
「じじい良いこと言うじゃん!俺もヴァイオリン、やってみたいな」
「やめとけ、苦しい道だぞ。でもお前がどうしてもっていうなら少しだけなら教えてやっても良い」
「うん!約束だよ!」とボンボンは嬉しそうに言った。
それから数日後、ボンボンは誕生日プレゼントにお父さんからカメラを買ってもらってそれを自慢げに見せてくれた。
ピカピカの青いカメラには虫や花や車、道路に大きい雲、ボンボンのお父さんとお母さんと3人で撮ったものなど色んな写真があった。
ボンボンはお父さんの肌の色と瞳の色が似ていて、顔のパーツはお母さんに似ていた。仲が良さそうな家族で羨ましいなと思った。
「ピアノも一緒に撮ろうぜ!」
ボンボンと2人で撮った写真には白くてひ弱で気の弱そうな僕と黒くて背が高くてガタイの良いボンボンが写っていた。
僕はもう少し背が伸びて健康的になりたいなと思った。
そのあとボンボンはじじいの演奏している姿やホームレスのおじさんたちの写真をたくさん撮った。僕は写真には詳しくないけどボンボンの撮る写真は味があって好きだった。
寒さが少しだけ落ち着いた頃、河原のみんなと天ぷらを食べた。
ホームレスのおじさんが貰ってきた冷凍のエビと白身魚を揚げたものをめんつゆにつけて口に入れる。
揚げたての天ぷらは噛むとサクッと音がしてプリプリのエビとサクサクの衣にじゅわっとおつゆの味がしみていて美味しかった。
僕はこんなに美味しい天ぷらは初めて食べた。
ボンボンも気に入ったようで次々と口に入れてはうまいうまいと言ってほっぺたをパンパンにして食べていた。
じじいは魚の天ぷらに塩を付けてサクサクと音をさせながら食べてからコップ酒をクイっと呑んでご機嫌だった。
その後赤ら顔で天ぷらのカンタービレという自作の曲を弾いていた。
ヴァイオリン自体ははとても綺麗で楽しい曲なのにじじいの歌はめちゃくちゃだった。
ヴァイオリンはすごく上手いのに歌の才能はないのだなと思った。
天ぷらを揚げてくれたおじさんは昔は食堂で働いていたらしく大きい鍋があればもっと美味しくできたのになあと言った。
こんなに美味しい天ぷらよりも美味しくできるなんて、この人もすごい人なんだなと思った。こんなにみんな色々特技があるのにホームレスなのが不思議だった。
そんなことがありつつもすごく楽しくて僕らはずっとゲラゲラと笑っていた。
最初はちょっと怖かったけどホームレスのおじさんたちもじじいも明るくて楽しい人たちなので僕は彼らのことが大好きになった。
この先もずっとみんなと仲良く過ごせると思ってた。でも、ある日突然それは終わってしまう。
その日はひどい大雨が降った。窓に叩きつけるような激しい雨で、窓の向こうで雷がピカッと光ってから轟音がした。僕は怖くなって布団に潜った。河原みんなは大丈夫なのかと、とても心配になった。
河原の家は普通の家より脆いから三匹の子豚の藁の家みたいに風で吹き飛ばされてしまうかもしれない。
雨の影響で川の水も増えるからきっと身体中が濡れてしまう。
春も近いとはいえまだ寒い。身体が濡れたら凍死まではいかなくても具合は悪くなるだろう。
どこか安全な場所に避難してくれていれば良いけど、なんだかすごく嫌な胸騒ぎがした。
次の日、雨は上がって雲ひとつない真っ青な空だった。僕はボンボンの家に電話をして、みんなの様子を見に行こうと言った。
「雨、ものすごかったけどおっちゃんたち大丈夫かな?」
「まだ結構寒いし凍えてるかも、何か手伝えたら良いんだけど…」
河原には水溜りがたくさんできて、地面がぬかるんでいた。じじいのテントの近くでおじさんたちが騒いでいる。僕たちはそこに近づいて行った。
「あっ、ボンたち、こっちに来ちゃだめだ」とおじさんが言う。
みんなが僕らからじじいのテントを隠したけど運動神経の良いボンボンはそこをすり抜けていく。
「じじい?どうしたんだ?具合でも悪いのか?」ボンボンは声をかけながらテントのスライダーを開けて、目を見開いたあと凍りついたように動かなくなった。
「ボンボン?どうしたの?ねえ、大丈夫?」
「…じじいが、じじいが死んでる」
「えっ…?」
僕はボンボンを押しのけてじじいのテントの中を見た。一昨日までは元気にヴァイオリンを弾いていたじじいは真っ白な顔で床に倒れていた。
じじいの額からは血が出ていて、目の濁り方からしてもうすでに事切れているのが分かった。信じられない。どうしてじじいが死んでるんだ?
怖いけどもう一度真っ直ぐ見る。じじいは明らかに怪我が原因で倒れている。という事はじじいに対して加害を加えた人間がいるのだ。
「どうして、じじいが死んでるんだよ。おかしいだろ」
ボンボンが鼻をすすりながら言う。
「ボンたち、警察を呼んだからそこから出なさい。見つかると面倒だから家に帰ると良い」
「嫌だ。僕たちも立ち会う。じじいがどうして死んだのか理由を知りたい。じじいは、僕たちの友達だから」
救急車とパトカーがサイレンを鳴らしながらやってきた。警察の人と救急の人たちはじじいのテントの中を検分する前に近くにいた僕たちに何も触らない様にと言った。
ドラマみたいなテープが貼られて、その黄色と黒がじじいが死んだことが現実だと知らしめる様だった。
警察の人が僕たちに話を聞くと言ったので僕たちはついて行くことにした。
「君たちはあの状況を見て混乱していると思う。辛いかもしれないがそれでもわかることを教えてほしいんだ」
「はい。何でも答えます。だからじじいが何で死んだのかわかったらどんなに些細なことでも良いから教えてください。じじいは僕たちの友達なんです」
刑事さんは少し考えてからわかったと言った。
僕たちは刑事さんにじじいの交流関係や普段の生活についてなどを話した。
まだ司法解剖が済んでいないのでハッキリとは分からないが、頭部の怪我が直接の死因ではなく低体温症で亡くなったのでは無いかという所見らしい。
つまり、じじいは頭部を殴られるかぶつけるかして倒れて気絶状態になりそのまま体温が下がって死んでしまったということだ。
なぜじじいがそんな目にあったのか?犯人に対して怒りが沸く。僕はじじいの仇を討ちたい、と思った。
また何かあれば話を聞かせて欲しいと言われ、僕たちは連絡先を伝えた。もし思い出したりした事があればすぐ連絡をしてくれと名刺を渡された。
家に帰って来たけれど食欲が湧かなくて全然食べられなかった。奇しくも今日のメニューはエビの天ぷらだった。涙がじわりと滲んだけど泣いたらママが変に思うから我慢した。
そのあと湯船につかりながら今日のことを考えて、泣いた。
じじいはもうこの世界のどこにもいないのだ。生きてるじじいのことは全然怖くなかったのに僕は死んでるじじいを怖いと思った。
ちょっと前まで普通に喋ってヴァイオリンを弾いていたのに、あんな風に何も見ていないからっぽになってしまったのがとても恐ろしかった。
いつもより長くお風呂に入っていたからママが心配したけどのぼせちゃったと言って赤い顔を誤魔化した。
次の日から僕とボンボンの犯人探しが始まった。どうしてじじいが殺されたのか?思い出せる限りにはホームレスのおじさんたちとも仲良くやっていたしそれ以外の交流も無さそうだった。
でも世の中にはホームレスに対して石を投げたり火をつけたりする人がいる。同じ人間なのに酷いと思う。暴力は弱いものに向かう。本当に残酷なことで、すごく嫌な気持ちになった。
じじいのテントのまわりにはまだ黄色と黒のテープが貼られていた。警察の人たちがまだたまに調べに来ていてホームレスのおじさんたちは遠目にそれを観察していた。
そういえば、じじいのヴァイオリンはどうしたんだろうと僕は思った。
テントの中にヴァイオリンがあったかどうかは思い出せないがあんなにじじいが大切にしていたヴァイオリンだから壊れたり汚れたりしていないかが心配になった。
ボンボンにもヴァイオリンがあったかどうか聞いたけど思い出せないと言うので刑事さんに電話をかけることにした。
僕はまだ持っていないけどボンボンがキッズケータイを持っているので名刺を見ながら電話をした。
「あの、こんにちは。中川です。名刺を見て電話しました。実はじじいが亡くなった事件についてちょっと気になることがあるんですが、テントの中にヴァイオリンってありましたか?じじいはヴァイオリンがとても大切にしていていつも肌身離さず持っていたんです」
「ヴァイオリン、うーん、あったっけなあ…、多分なかったような…?ちょっと調べてから折り返すよ。この番号で良いのかな?」
「はい。5時までなら対応できます。親にはあんまり知られたくないんです」
「わかった。協力感謝する」
電話を切ってから僕たちは公園のベンチに座って電話がかかってくるのを待った。前みたいに遊んだりする気が起きなくて、地面を見てた。急にぽつぽつと地面が濡れて、雨かなと思って顔を上げるとボンボンの目から大粒の涙がこぼれていた。
「じじい、なんで死んじゃったんだろうな…。俺、じじいのこと尊敬してたんだ。本物の音楽家ってこんなに格好良いのかって思ったんだ。だから、犯人が許せない。絶対に許さない。俺たちでじじいの仇をとろう。」
「そうだね。僕も犯人を許さない。じじいは尊敬すべき音楽家で、僕らの大切な友達だ」
その日のうちには連絡は来なかったけど、次の日刑事さんから電話がかかってきてヴァイオリンが無かったこととそれについて聞きたいとのことで僕たちは駅前のファミレスに来ていた。
ドリンクバーのメロンソーダの気泡が次々はじけて消えていった。僕たちはじじいのヴァイオリンについて知っていることを全て話してからボンボンのカメラに写ったじじいのヴァイオリンの写真を見せた。
「これがそのヴァイオリンなんだね。確かに高価そうなものだから無くなっているというのは気になる。嫌な言い方かもしれないが盗むような人に心当たりはあるかい?」
「高いものとは聞いていましたがホームレスの人が物を売ったりするのは難しいんじゃないでしょうか?」
「あ、いやホームレスの皆さんを疑っているわけじゃないんだ。むしろそれ以外で例えば楽器を演奏している人であったり、彼に対して恨みがある人がいなかったかな?」
僕とボンボンは顔を見合わせてから首を振る。じじいが交流する中で楽器を演奏するのは僕くらいだったしこの数ヶ月でホームレスのおじさんたち以外の人がじじいの演奏を見ていることなんてほとんど無かった。
その後ドリンクバーのジュースを3杯飲んでから僕たちは解散した。刑事さんはまた何かわかれば連絡してくれるとのことだった。大人だけど僕たちの話をきちんと聞いてくれて良い人だと思う。
その後、ボンボンと僕は2人で話し合い、ヴァイオリンを探せばじじいを殺した犯人に繋がるのではないかと考えた。
僕は楽器屋さんの消耗品コーナーでヴァイオリン弦を買う人全員に声をかければ何か情報が得られるのではないかと思い、ボンボンと張り込みをする事にした。
田舎だからかヴァイオリンの弦を買う人はあまりいない。僕たちが見張っている間に弦を買ったのは2週間で4人だけだった。
その人たちにヴァイオリンの写真を見せて聞いてみてもみんな知らないと言っていたし本当に知らなそうだった。
お店の人は毎日来ることに対して最初は不信感を覚えていたみたいだけど、欲しい楽器があるけどお金がなくて買えないから見にきてると言ったら笑顔で迎えてくれるようになった。
「刑事さんからも連絡ないし、ヴァイオリンも見つからないし全然進まねぇな」
「うん。でもヴァイオリンを持ってる人がいますか?って聞き込みをするよりは効率的だと思うよ」
「わかってる。ピアノの案がすごく良いっていうのもわかってるんだけど焦っちゃって、ごめん」
ボンボンは拳を握りしめて地面を見る。多分、悔しいとか不甲斐ないとかそういう事を考えてるんだと思う。僕も同じ気持ちだった。
店員さんに聞いてみたらヴァイオリンの弦交換は大体2〜6ヶ月くらいでするものだと知り、もっと時間がかかるのかと絶望を感じた。ギターの弦は大体2〜3週間で替えるからそれくらいの期間できっとなにか手がかりが分かるだろうと思ったのだ。
それによくよく考えればネットで買ったり買い溜めしていたら犯人を見つけることはできないんじゃないだろうか?
それでも僕たちにできるのは地道な張り込みしかなかった。刑事さんから一度連絡があった。じじいのテントからは貴重品類が無くなっていたことにより物取りの犯行と見て捜査を続けているとのことだった。
もう僕もボンボンも出口が見えない張り込みに疲れてきた春の日、ヴァイオリンケースを背負った若い男の人が店に来た。
僕たちはいつものようにヴァイオリンの写真をその人に見せた。彼は写真を見てすごく驚いていた。
「このヴァイオリンの事って警察にはもう届けてる?」
「はい。刑事さんには伝えてます」
それを聞いた男の人は顔色を悪くして何かを考えていたが、僕に目線を合わせて言った。
「一緒に警察に行こう。なんとなく、これは盗品なんじゃないかと思っていたんだ。50万じゃ安すぎると…君たちにも迷惑をかけたね」
多分このお兄さんはヴァイオリンが僕のものだと勘違いしているみたいだけど訂正せずに刑事さんに電話をしてから警察署に向かった。
「すみませんでした。あまりに素晴らしい楽器で手放せなかったんです。うちはあまり金銭的に余裕もなくて、藁にもすがる思いで買ってしまったんです…」
「ちょっと経緯がわかりにくいから話を整理しようか」と刑事さんが提案した。
お兄さんの話によると、隣の家の子どもが親戚が亡くなってヴァイオリンを貰ったけどうちでは弾く人がいないから音大に通っているお兄さんに売りたいと言ってきたらしい。
子どもの言うことだし胡散臭く思ったが見せてもらったヴァイオリンの状態は素晴らしく、とても自分に買える値段のものではないと一目でわかったそうだ。
試しに弾いてみるとやはり鳴りが素晴らしく高価なものだろうと思い一応値段を聞くと50万円というのでそれなら頑張れば払えると考えて購入したらしい。
「やっぱり、そんなうまい話はないんですよねぇ…まだ前の楽器のローンも残ってるのに…」
「隣の家の子ってどんな子ですか?」
「え、君の友達じゃないの?喜多さんのところのあかりちゃんだよ」
喜多というのはジャガの名字だ。キタアカリっていうジャガイモがあるのでジャガってあだ名なのだ。
「えっ、ジャガが犯人なの?!」
「嘘だろ…?」
男っぽい言葉遣いをしてるけど正真正銘の女の子のジャガがまさかじじいからヴァイオリンを盗むなんて予想もしていなかった。
最近はあまり遊んでなかったけどジャガはじじいが死んだ後も学校で普通に話しかけてきてたし特に変わった様子もなかった。
「本当に信じられない。なんでそんなことをしたんだ…」
僕もボンボンもじじいの仇が思いもよらない人物だったので戸惑ってしまったけど、刑事さんがジャガの家に事情聴取に行くことになった。
僕たちはジャガに直接会うことはできなかった。その後学校でジャガに会うことは二度となかった。先生は急な転校と言っていたが色んな憶測が飛び交っていた。
刑事さんによるとジャガはとある理由(これはプライバシーに関わることなので、と言って教えてもらえなかった。)によりお金に困っていて、そんな時にじじいのヴァイオリンが高価なものだということを思い出して盗もうと思ったらしい。
あの大雨の日、足跡が消えるとか音が聞こえにくいだとかそういう理由でじじいのテントに忍び込んだところでじじいに見つかってしまったのだ。
ジャガが焦ってじじいを突き飛ばしたらよろめいたじじいが頭をぶつけて倒れて気を失ってしまった。ジャガは怖くなったけどとにかくお金に困っているのでじじいのヴァイオリンと財布、それに腕時計を盗んで次の日にお兄さんに話を持ちかけた。
でも、死んでしまうなんて思わなかった。殺すつもりはなかったと言っていたらしい。
ジャガはボンボンがじじいのところばかりに行くのも気に食わなかったそうだ。
彼女がこれから先どういう風に裁かれるのかは僕たちにはわからない。でも、もうきっと会うことはないだろう。
ボンボンはその後、ずっと貯めていたお年玉を使ってじじいのヴァイオリンを相続した。
いつの間にそんなことにと思ったが、家族のいないじじいはいずれは大切に扱ってくれるであろうボンボンに譲るつもりで遺言状を書いていたらしい。
じじいはあのヴァイオリンを自分の魂だと言った。ならボンボンがあのヴァイオリンを弾き続ける限りじじいの魂も音楽とともにある、と僕は信じている。
ボンボンがヴァイオリンのチューニングを始める。彼は元から背が高かったが、ぐんぐんと背が伸びてもうじじいよりも大きい。僕も前よりは背が伸びたけどやっぱり凸凹コンビのままだ。
まだまだじじいみたいには弾けないけどボンボンは授業と寝食以外のほとんどの時間をヴァイオリンの練習や研究、イメージトレーニングに充てていて、とても9歳から始めたとは思えない安定した演奏と表現力でメキメキと頭角を現していた。
もともとリズム感や音感が良かったのもあるとは思うがボンボンの不断の努力はすさまじかった。僕もそんなボンボンに引っ張られるようにたくさん練習をした。
「よし、ピアノ。行くぞ。俺たちの番だ」
「うん。ねぇ、ボンボン。じじいは天国で聴いてるかな?」
「いや、ここにいる」とボンボンは人さし指でヴァイオリンをそっと撫でた。
僕たちはこれからじじいの一番好きな曲を演奏する。
最初の一音を鳴らす。僕たちは、まだまだ未熟だけど、音楽家だ。
今度こそ異世界恋愛ものを書くぞと気合を入れたのですが気付いたらジュブナイルになっていました。
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