永遠の島
汲み上げられた海水が島中を巡り、すべての歯車が回りきる。
それが12時。
ゲートからは絶えず役目を終えた水が吐き出される。
水が落下するエネルギ―を利用して浮遊する機械仕掛けのこの島は、水に覆われ人がいなくなった星の、ひろいひろい海のどこかを漂流していた。
13時。
海はまぶしく、太平の名で呼んだ人々が姿を消した今も穏やかに凪いでいた。
この星の廃墟のひとつである島に小舟がひとつ流れ着く。
汲み上げられる水。落ちていく水。それらによってきいきいと回る大小の歯車は、潮の満ち引きと呼応するように規則正しく、主を失ってもなお勤勉に役目を果たしている。
13時30分。
かつて街であったこの島のすみずみにまで水を届ける水道橋の音を確かめながら彼女は所定のルートを巡回する。
水がどの順にどこを巡っているか、それによってどの歯車が動くかが日によって変わることはない。
24時間のサイクルで寸分の狂いもなく稼働する島には、海と同じように人に付けられた名があった。
だから「彼女」にも人に付けられた名があった。
彼女は島の番人である。番人という役職名だが、人ではない。
人ではないが番人である彼女は、煌めく水に浮かんで悠久の時を過ごすこの島にとってのイレギュラー要素を確認しなければならない。
どこからか流れ着き緩やかに衝突した小舟に縄をかけて、滅多に使わないレバーを回して引き揚げる。
14時。
遥か高く、島の最上層では厳かに鐘が鳴っている。
島の下層で淡々と職務に当たる彼女の首から下げられた艶消しのシルバーのタグには彼女の名が書かれていた。
そして小舟の中にただひとつ転がっていた小瓶のかたいかたい蓋を難なく開けた彼女が、さらにその中の手紙を広げた時に、一番上に書かれていた名はそれと同じだった。
「時計島管理人 ミス・セレス」
15時。
時計島にかつて住んでいた人々にもっとも人気があったのが、丁寧に整えられた生垣のある中層の庭園である。
すべての大陸が、自然にできた島が、環境破壊による海面上昇によって水中に沈み、故郷である陸地から離れざるを得なかったかれらに安らぎを与えていたもの。
それは空や海の青ではなく、草木の緑に花の赤や白だった。
だから庭園の整備はセレスにとってきわめて重要な職務のひとつである。この時間にいつも伸びすぎた枝を切り、落ちた葉を掃き集め、海に廃棄する。
だから今日もセレスはそうする。先程読んだ手紙に何と書かれていようとも。
17時。
再び鐘が鳴る。暗くなり始めた海面が上昇する。時計島の中に冷えた風が届き、細かい鎖がしゃらしゃらと音を立てる。
機関室の点検を最後にセレスの日中の職務は終了する。
19時。
闇に呑まれるような海の上で機械の音が静かに響いている。
セレスは目を閉じている。
彼女は人の少女と同じような体格で、同じような顔立ちで、同じような服装をした、人そっくりの機械だ。
だから彼女が目を閉じることの意味は睡眠ではなく、休眠及びエネルギーの充填である。
機械人形は夢など見ない。思い出など振り返らない。感傷には浸らない。
「セレス」
数十年前に聞いたことのある声がする。
セレスが目を開けると、そこには自分と同じ銀色の髪、同じ青い瞳、同じ身長、同じ白いワンピース――
自分を造った技術者がいた。
「もういいの、セレス。わたしたちは絶滅したの」
機械人形は夢など見ない。そのはずだったのに。
「争うことをやめなかった、星を壊すことをやめなかった、わたしたちが悪いの。きっと時計島の人達も長くは生きられなかったでしょう。それでもあなたは永遠に職務を続けることでしょう。いいえ、そんなことをしなくてもいい。わたしたちは滅びた、わたしたちが造ったものも滅びるべきなのよ」
セレスは気付く。これは夢ではない。昼に読んだ手紙と同じ内容だ。
あの手紙の中身を読むことで入力されるコードが、休眠中の自分に干渉してくる。
もう二度と目覚めてはいけない。これが命令だ。
規則正しく何年も、何十年も島を守り続けていた自分の役目がここに終わる。そういう命令だ。
「わたしたちがいなくなった世界の空がどんな色をしているか、この目で見たかった。美しい世界がいつまでも続いて欲しかった。でも、これがあなたに届くということは、それは叶わなかったということなのでしょう。だからもう、おやすみなさい」
いいえ。
セレスのメモリに「否定」の言葉が浮かぶ。
だって。
「時計島設計者 アズーラ」
青は、空は。毎日、どこにいたって、同じように輝いているもの。
あなたの世界は青い。だからわたしの世界は美しい。
6時。
目を開けたセレスは、自分を終了させる命令には従わなかった。
否、従うための条件を満たしていなかった。
アズーラが望んだ空、美しい世界。
それは浮遊する島の上で今日も、寸分の狂いなく時間通りにいつもと変わらない表情を見せる。
あなたの美しい夢はここにある。
歯車は今日もきいきいと音を立て、滑車が上下していく。
そしてまた鐘が鳴る。