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問われる英雄の資質

 気が付けば、雨が降り始めていた。冷たい雫が、露出した肌に打ち付ける。


「雨、本降りにならないといいけど……。まあ、それよりも――」


 奥に見えていた人影は、おもむろに動き、こちらへ声をかけてきた。


「やあ、こんにちは。今日は、いい天気ですね――」


 その姿は濃い茶色のフードと外套で、覆われていて、顔は見えない。

 エルフなのか? ここら辺に他のエルフがいるかなんて、アイシャは何も言ってなかったけど、このフードをくれたくらいだから、可能性はゼロじゃない。

 耳は、見えないな。フード越しでも、長い耳があれば、形が分かりそうな物だけど。性別は、声の感じからして、男かもしれない。


 そんな事を考えつつ、挨拶に返答する。


「あれ? でも、丁度いま降りだして来ましたよ。本降りにならないと――」


 いや! もういないッ!?


 どこへ!?


「動くなよ……」


 その言葉と共に、背後で草葉が揺れる音がして、右の首筋に何かが突きつけられる。


 突然の出来事に驚き、硬直していたが、額から冷や汗が垂れ、雨の雫と紛れて流れて行く。首筋の感触は、鋭い刃物に思えた。それが、皮を押し、突き破る手前のギリギリの力で、とどまっている。


 背後の男は、声のトーンを落とし、こちらを嘲る様に、喋り出した。


「神殺しだと聞いていたが、拍子抜けだな。ここまで容易いとは」


 それに思わず返答していた。


「神殺しだって――何故、知ってる!?」


 男は、呆れた調子で話すが、こちらを威圧する首筋へ、より力が込められた様に感じた。


「お前たちは、ヒトの中で知られていなければ、秘匿できているとでも思ったのだろうが、筒抜けなんだよ。俺たちにとってはな――!」


 早口で、まるで罪を糾弾するかの様に、言葉は続く。


「お前のしでかした事で、この世界の均衡は、大きく傾き、崩れた。それに、神々が気付かないはずがなかろうよ。当然、お前の事も、全て暴かれている! 元はこの世界のヒトではない事すらなッ!」


 男の中で、怒りが沸々と湧き上がっているのが、言葉から伝わって来る。


「お前の様なよそ者がなァッ! この世界の、パワーバランスを大きく崩したんだよッ! てめえの命惜しさの為になッ! 分かっているのかッ!? 対立する神々の間の、均衡を損なう。それは、つまり、神界大戦の再来を予期させるッ! 三度目のなッ!」


 もはや、話の内容について行けないが、男の怒りは止まらず、こちらを侮辱し始める。


「お前は、イムイト神に取りこまれたヒトの魂を解放して、英雄にでもなったつもりだろうが、そんな訳ねぇんだよッ! お前の行為を、引き金に、より多くの命が奪われる、破滅的な危機が訪れる可能性が、飛躍的に増加したッ! 失われる命はヒトだけにとどまらず、その数も数万じゃ済まないッ! 分かってんのかッ!? お前が、救ったと思ってる魂の数より、遥かに多いんだよッ!」


 抵抗できずに震える身体を奮い立たせ、言葉を返す。


「だったら、俺たちはあの神に殺された方が良かったとでも言うのかッ!? 俺ひとりじゃない! もうひとり仲間がいたんだぞッ!?」


 男は、冷笑する。


「その方が良かっただろうよ。お前たち二人の命で済むなら安いモノだ! ……輪廻に還れないヒトの魂は、問題ではあるが、そのためにこの世界の根幹を揺るがす程の事じゃない」


 こちらも怒りがこみ上げて来る、身体の中で眠っているジジを想い、彼女の命が軽んじられた気がして、爆発しそうになる。


「何だとッ!?」


 ここで、釘をさす様に、首筋に力が込められる。


「くっ!」


 男は、冷静さを取り戻し始めたのか、声から怒りが感じられなくなる。


「……元々、お前の意見なんざ、求めちゃいねぇんだよ。俺は、警告に来た。いいか、もう一度いってやる。お前は、英雄なんかじゃねぇ。自らの命をなげうってでも、より多くの者を救い、世界に貢献する。……それが、求められる英雄の資質だよ。お前のやった事は、ただのエゴイズムの成れの果てだ」


 ただ黙って聞いている事しか出来なかった。


「俺の名は、ロドス。イレイストゥル・アミニシアさまの眷属にして、第一の使徒。きたる日、お前の命を絶つ者だ。覚えておけ」


 なんだ? また別の神の使徒って事か――?

 そこで、脳内に直接ひびく様な、捉えどころのない声が、その場の空間ぜんたいを震わせた。髪、肌、衣服、そして、周りの草木のざわめきが、それの存在を明らかにしていく。


「そのくらいでいいよ。ロドス」


 何だ?

 まるで、少年みたいな声。だが、透き通っていて、開いた鼻孔から空気の様に、身体に入りこんで来るのを感じた。それが、体内を満たし、肺の中で膨らんで弾けた。


「キミを見ているよ。四畝波海兎――」


 いつの間にか、首筋への圧力はなくなり、自由を取り戻していた。最後に響いた声の後には、風のさざめきだけが残っていた。葉が宙を舞い踊るさまを見つめながら、しばらく呆然としていたが、気付けば、雨脚が強くなっていて、急いで木陰に入る。

 今まで姿の見えなかった、森の生き物たちが、ひょっこりと現れ、普段の生活に戻って行く。


「何だったんだ……。夢でも見てたみたいだ……。でも――」


 確かな敵意を感じた。そして、ジジの命を軽く見た。自分よりも何よりも、それが許せなくて、湧き上がる行き場のない怒りを覚えた。




※ ※ ※ 




 精霊の森から遥か北東、大陸の北東の端に位置し、周囲の諸王国を支配し、まとめあげた、巨大な帝国。その中心部、皇帝の玉座も含む、全ての機能が集まる帝都アヴセンスウトーケン。その軍事区画に設けられた、正規兵ようの第一兵舎、それに隣接する二階建ての大きな食堂、その中は、朝食を待つ多くの兵士たちで賑わっていたが、そこに、不釣り合いな影が二つ見えた。その二人は、二階を支える柱の間の席に居て、身を隠す様にしている。


 既に着席していた小柄な一人は、茶色の垢ぬけない帽子を目深に被り、同じく色褪せた古着ふうの茶の外套を纏ってはいるが、まとめて結われた純白の髪が、帽子の隙間から見え隠れし、身体の純白のドレスも完全には隠せていなかった。そもそも一般市民の入り込めない、その場所で、みな一様に同じ服を着た兵たちに紛れるのは、無理があった。幾人かが、不審がって視線をちらちらと注ぐのが見える。


「やあ、お待たせぇ。白のお嬢さん」


 もう一人の大柄な男は、白と呼ばれた少女と比べると、幾らか警戒心の薄い服装だが、庶民の間に立てばほぼ目立たないであろう、古ぼけた茶の外套を羽織っていた。頭髪は、緩やかな帽子で隠されていたが、灰色をしているのが窺えた。

 その男が、隣に着席したのを確認した少女が、忌々しそうに呟く。


「その呼び方、やめてくださらない? 前にお伝えしたはずですわよ。灰かぶり!」


 男は、面白そうにけたけたと笑い、芝居がかった仕草で口答えをする。


「ああ、その呼び方、傷つくなぁ。うぐ、心が――おじさんの、ガラスのハートが、砕け散りそうだよ? ねえ?」


 少女は、その態度が癇に障ったのか、隣の男の脛を横から蹴った。


「大声を出さないで、それに近いわ、もうひとつ向こうの席に移ってくださらない?」


 そして、顔の前で手を往復させ、空気を払う様な仕草を取る。


「それに、貴方、身体はきちんと洗っておいでかしら? それとも、これが加齢臭ですの?」


 男は、さして不快そうな態度も見せず、へらへらとしながら、ひとつ向こうの席に座った。


「痛いし、臭い、とか酷いなぁ。おじさん、まだ、そんな歳じゃないよぉ? でもさぁ、秘密の話をするんでしょ? こんなに離れちゃって大丈夫かなぁ?」


 少女は、舌打ちをし、頭の角度はまったく変えず、視線もうつむいたままで、小声で話す。


「貴方と、わたくしの、探していたヒトが、見つかったそうね? 今も、この場は、その噂で持ち切りですわ」


 男は、首だけを動かし、後ろの様子を窺って見せる。


「へえ? 僕には、ざわざわした音の集合体にしか、聞こえないけど、そんなのが分かるの?」


 少女は、不快そうに、また目の前の空気を払う仕草をし、同時に、耳に蓋をして見せた。


「他にいい場所はなかったのかしら? 先ほどから小鳥のさえずりの様に、ぴーちくと騒がしいけれど、実際は野太い合唱ですもの、耳栓を持参するべきでしたわね。……それに、整髪料というのかしら? 汗に混じって漂って来るそれが、まるで重症者の病棟の様で、屋敷のトイレに帰りたくなりましたわ」


 男は、感心した様に、口笛を吹いて見せる。


「ひゅ~。よくそんなに暴言が出てくるねぇ。君ん家のトイレはそりゃ、かぐわしい匂いで満ち溢れているんだろうねぇ。もしかすると、皇室の植物園のお花畑よりもいい香りがするんじゃないかなぁ? ……にしても、整髪料か。軍の規則じゃ、禁止されてるはずだけど、こっそり使ってるお洒落さんがいるんだろうねぇ。いやあ、帝国軍人もヒトの子だなぁ。鉄の規律と、鋼の精神を誇ったのも昔話なのかもねぇ?」


 少女は、その言葉を無視し、沈黙していると、テーブルを挟んだ向かいの席に、二人の兵士が座った。その二人は、少女と男を気に留める様子はない。


「おい、聞いたか? ゴドフリート隊が、早朝、帝都に戻ったらしい。隊長のゴドフリートは重傷で、治療ようのポーションの中毒症状まで併発してて、今は、意識不明なんだってよ」


「マジかよ。俺ぁてっきり、全滅して帰ってこないモンだと思ってたぜ。しかし、あの武門の名家でもある、ゴドフリート流の当代の継承者が、重傷ってよ。相手はどんな奴だったんだ? まさか、魔物ってオチはねぇよな」


「作戦の帰還よてい日はとっくに過ぎてたモンな。……相手の情報は、分からないけど、知ってる奴はいるかもな。……んでさ。帰還よてい日の大幅な超過から、退院後は、厳罰かと思いきや! なんでもそれを帳消しにしても、余りある様な成果を持ち帰ったらしい。何なんだろうな? すっげぇ気にならないか?」


「なるな!」


 そのやり取りを、少女は目を伏せ沈黙し、男は目を光らせながら聞いていた。


「……聞いたかい? 今の話?」


「ただの噂ですわ。確証がないのではなくて?」


 男は、肘をテーブルにつき、目の前で手を組み、表情を隠して、薄く笑った。


「そうでもないんじゃない? 僕と君が、探しているヒトが見つかったんだ。そうだろ? ……で、これからどう動くんだい? 君の権力があれば、どうとでもなるだろう?」


 少女は、不快そうに鼻を覆い隠して見せる。


「権力ですって? わたくしたち賢者は、象徴的な存在ですわ。実権を求めるなど、そんな俗物的しこうは、お門違いですわよ」


 男は無言だが、肩を揺らしていた。


「それ、黒の姉御が聞いたら、烈火の如く怒るだろうねぇ。君は、あのヒトが、どう足掻いても手に入れられないモノを持ってるもの」


 少女は、額に手を当て、目を瞑った。


「あの女の話は出さないでくださる? それにしても、見当はずれだったかしら。貴方とわたくしの探しているヒトは、別だった様ね」


 男は、大袈裟に驚いてみせる。


「おやぁ。誰がそんな事を言ったんだい? まだ、何も話していないだろう?」


 少女は、冷たい声で返す。


「分かりますの。何も話されなくても――」


 男は、嘲る様に、身をくねらせた。


「おやおや、切ないねぇ。そんな事いわれちゃ。立つ瀬がないよ」


 二人は、そのままお互いに視線を交わす事もなく、その場に座り続けていた。


 そして、同時期、皇城の中心から張り出した三本の剣を模した巨大な通路。その一角に居を構える、第一騎士団の団長室で、書類の束に目を通し、ほくそ笑む黒い影が見えた。その部屋の窓の上には、金色の雄獅子を象ったレリーフが掲げられているが、不思議な事に、それには二枚の輝く翼がついていた。


「なんという成果だ。探し続けていた、先代の精霊の巫女が見つかるとは――」


 金髪の後姿と黒い鎧、その声からは、性別は分からない。


「元の目的は、大精霊域にあるという森の核の探査だったが、先代の巫女が手に入れば、それすら必要あるまい。……大瘴域で、トロルに遭遇か。取るに足らない相手だな、だが、選抜の基準は想定よりは上にする必要がある。急げば、準備にかかる時間は、二日ていどか」


 黒い鎧の肩当てが、音を立てて小気味よく鳴り、その人物の高揚を代弁しているかの様だった。


「私みずからが、指揮をとり、赴く。ああ、血が沸き立つ様だ。これほどの高揚感は、今まで味わった事がない! 必ずや先代の巫女を手に入れ、帝国を更なる繁栄へと導こう!」


 腰から剣を抜き払い、それを身体の正中線に合わせる様に、掲げて見せる。剣が巨大な窓から射す光で、輝き、その鋭い切れ味を想起させる。


「全ては、皇帝陛下の御心のままに――そして、帝国に永遠の繁栄を――!」


 自らが忠誠を誓う者と、治める国に心酔する姿は、ある種の狂気にも見え、恐怖を喚起した――。

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