アナタは幾つなの?
腰に手を当て、怒ったフリをしてそっぽを向いていた少女は、こちらに向き直り小さく「そっか」と呟いた。
「もうひとつの質問を忘れてたよ。あの矢はね、私の必殺技でぇ『追尾の矢』って言うの! 『風の精霊』の力を借りて、どんな場所でも獲物を逃がさないすごい矢なんだから!」
『追尾の矢』……? それも魔法の一種なのだろうか? 矢と言えば、放つ武器は弓か? 何処に持っているんだろう? 武器と言えば、背負ったり、腰に引っ掛けたりして持つのが普通なのか? 疑問とともに、少女の腰のベルトの右側に見え隠れする何かが気になって、覗き込んだ。
「これは――クロスボウ?」
少女の右腰には複雑な機構を持つそれが、掛けられていた。
「よく気付いたね! これはね、昔、『ウィルスマイト』の王都で自称発明家のおじさんから試作品ってことで、格安で譲ってもらったんだよ!」
少女は自慢げにそれを右手に持ち、構えてみせた。
『ウィルスマイト』というのは、何処かの国か街の名前だろうか? それよりも気になるのは、取り出された武器だ、それをつぶさに観察する。ただのクロスボウではなく、上方に左右に分かれたアコーディオンの蛇腹の様な機構を有していた。見たところ矢を複数本、収めることが出来る様だ。左右から送られた矢は中央で合流しており、その先が発射地点となっていた。持ち手の近くには、弦を機械的に引き絞る回転式のレバーがついている。これを回して矢を発射するのだろうか?
「これは、連射できるのか?」
連射できるクロスボウと言えば、飛距離や威力が大したことなくて、毒でも塗らないと使い物にならないという話を前に読んだ覚えがある。これもその類なのだろうか?
「できるよっ! 手動でも秒間、二射はかたいかも?」
その武器に対する率直な疑問を口にする。
「うんっ! 飛距離は三『リーブ』五『クラウン』くらいかなぁ? 威力も全然ないよっ! でもね、追尾の矢は最初に風を纏えるだけの速度で射出できれば、後は風の精霊たちが自動で敵を狙ってくれて、威力も十分になるから問題ないの。私にかかれば不十分な試作品でも必殺の武器になっちゃうってことだよっ!」
少女はまた胸を張ったが、さすがに耐性が出来てきたのか、それほどの動揺は起きなかった。それよりも『リーブ』や『クラウン』とは何だろうか? さっそく問いかけてみる。
「あれ? 知らないの? 大陸全土に浸透してる長さの単位で、色んな事に使われてるんだよっ! リーブはぁ、このくらいの長さでぇ」
少女は、身振りを交え、可憐な指先を上下に伸ばし、「このくらい」の長さを示して見せた。うん? リーブというのは、大体「一メートル」くらいだろうか? 余談だが、彼女の『豊かな実り』はおそらくそれでは済まない。
「リーブの語源はねっ! 古代のウィルスマイトで初めて『聖騎士』の称号を授けられた、騎士リーブの愛剣の長さから取られたって伝説が残っているんだよっ! エルフの長老たちでもその頃に生きてた人はいないかも?」
伝説に残る聖騎士の剣の長さが単位に? ありそうな話ではあるが、それ以前は何を使っていたのだろうか? そして、もうひとつは?
「クラウンはねっ! これも古代のウィルスマイトで鋳造されて一時期だけ使われてたって言われてる、大きな金貨のサイズから取られてるんだよ!」
少女が片手で示した長さは「十センチ」くらいだろうか? そんなに大きな金貨があったのか。まあ、エルフにとっての伝説になるくらいだから確かな話ではないのかも知れない。ここで思い当たる。少女にそれを尋ねるのは少し躊躇されるが。思い切って聞いてみよう。
「なあ、エルフってすごい長命だって聞くけど、やっぱりアイシャもすごい年齢なのか?」
質問を受けた少女は、今度は、頬をふくらませてこちらに抗議の意思を表している様だ。その頬を指でつついて、反応を試したい衝動が沸き上がる。
「ふぅん? カイトってぇ、女の子にそんな事きいちゃうんだぁ?」
さすがに不味かっただろうか? こちらを見つめる視線は今までになく、刺々しい気がする。しかし、そんな表情も可愛く思えてしまう。重傷だな、これは。湧いて出た心配をよそに少女の表情は一転し、はちきれそうな笑顔になる。
「うそうそっ! 私も長く生きてるし、エルフの宿命だからねぇ。そんなに気にはしてないよっ! えっとね。今の私の年齢はぁ――」
ここで、わざとらしく長い間が置かれる。生唾を飲み込み、額から一筋の汗を流して、期待を演出する。
「百八歳だよっ! どうだ! 参ったかぁ!」
百八!? いや、想像よりは若い数字だったけど、百八って!? 俺の煩悩の数かあぁぁ! ……いや、よく考えたら俺の煩悩、百八くらいじゃ足りないな。……仕方ないもん! こちとら思春期の男の子だもん! 煩悩の生涯の友だもん! 自分で言ってて気持ち悪くなってきた。
次はこちらの番だろうか? あまり答えたくなくなってしまったが……。
「じゃ、私が尋ねる番ね。貴方はぁ、いくつなのぉ? ね、お姉さんに教えて?」
少女の口調はどこかこちらをからかっている感じがする。いや、もう少女とは呼べないのか!? てか、「お姉さん」って。むむむ、余計に答えたくなくなってきたぞ。こう、守るべき「何か」のために!
「はやく教えて! 私にだけ答えさせてずるいよっ!」
アイシャは急かしてくるが、既に態度は素に戻っているようだ。ずるいと言うのも掛け値なしの本音だろう。わざともったいぶった調子で答えてもいいが、それほどの余裕を見せられる器量もないか。
「 歳」
蚊の鳴くような声で返した。
「ずるぅい! 聞こえないよっ! ちゃんと言って! はい! もう一回!」
追い詰められてしまった。「男のプライド」が最後の一線を死守しようとしているのだ! これは、そう簡単には譲れない。
アイシャは強硬手段に出てきた。無遠慮にベッドに身体を乗せて、四つん這いでこちらににじり寄ってくるのだ! 重力に従い、下を向き腕の動きに合わせて、左右に揺れるそれを目で追ってしまう。
息もかかりそうな距離になり、鼓動は早鐘を打ち、目を合わせられなくなり、逸らして俯いてしまう。さらに女性に特有の香りが鼻腔をくすぐる。
もう耐えられなかった――。
「十七歳」
ついに言ってしまった。これで、俺はもう――。
「十七歳なの? うん、うん! ちゃんと答えられて偉いよっ! 少年! お姉さんが、「よしよし」してあげようかなぁ?」
顔に息が吹きかかる。その場で転がりたいが、距離は詰められており、もう逃げ場はなかった。
まるで小さな子供にかけられるセリフの様である。「男のプライド」は現実を直視し、揺さぶられ崩壊しようとしていた。
「馬鹿にしてる訳じゃないよ? 人間なら若い「子」がそのくらいの歳なのは、普通だし。……ちょっと可愛いなって思っただけだからね?」
追い打ちをかけられ、俺のプライドは砕け散っていた。自分が飼われる小動物の器に吸い込まれて、丁度よく収まった錯覚にとらわれる。
もういい! むしろ小動物になった方が得が多いのかも知れない! ……猫とかになって、この『豊かな実り』の上で丸くなって眠るのだ! その状態で優しく頭を撫でられたりして!
想像していると悪くない気分になってくる。いや、この上なく良い気分だ。
いや! ここは、ハムスターも悪くないな! ぐふふ、あれだけ小さければ、この谷間に挟まることも可能だろう。両側からの絶え間ない柔らかな圧力を感じながら恍惚とした気分になる! 天国かここは!? さらに、さらにぃ! 眠っているアイシャの身体を「山」に見立てて登るのだあ! もちろん『あの頂き』を目指してなあ! 進む間も足先は柔らかな肌の反発を感じるのか!? うおおおお。ハムスター羨ましすぎるぞ!
妄想はエスカレートし、留まる所を知らなかった。これが思春期の力なのか!?
「ねえ? さっきから何処を見てるのぉ? こんなに近いんだからぁ、ちゃんと目を見る!」
両手で頬を挟まれ、無理やり目を直視させられてしまった! 支えをなくしたアイシャの身体がバランスを崩し、こちらに傾き、さらに近づいてくる。頬は柔らかな指先の感触で震え、また心臓が暴れ出そうとしていた。
見つめ合い、ふたりとも一言も発しない。紅く染まった頬と、お互いの呼吸だけが主張し合い、沈黙の中に時も静止した様に感じた。
どれくらいそうしていたのだろうか? 時間の感覚は曖昧になっていた。
「あのお? アイシャさん? そろそろ離れてもらえますか?」
言葉と共にすぐに現実に引き戻されていた。
自分のした事に気付いたアイシャは、顔をさらに紅潮させて、慌てた様子でベッドから引っ込んだ。
「ご、ごめんね! ちょっと悪ノリしちゃったみたい」
アイシャは両手を顔の前で振り回し、動揺している様子だ。何だ。恥ずかしさも忘れてただけなのか……。お姉さんとか言っちゃって……。いや、心はもっと言われたいと主張していた。男心というのも複雑なんだな。
「それにしても、ほんとにえっちなんだからぁ。そんなに「ここ」が好きなの? 『お――』」
続く言葉を予測し、光の速さで遮る! 光速の「カイトシールド百八」とは俺のことだっ!
「待ったあ! その言葉は刺激が強すぎるから、言っちゃダメだ!」
アイシャは理解できない様子で、呆然としていたが、やがて悪戯っぽい笑みを浮かべ、こちらを見た。
「まだ「何も」言ってないよぉ? 「何を」想像したのかなぁ? お姉さんに正直に言ってごらん?」
クスクスと笑う声が聞こえる。墓穴を掘ってしまったようだ。一言も発せず硬直していた。アイシャの唇が「その言葉」を示す形に変わっていく。
「お」
ダメだ! もう止められない! 俺はどこまでも無力だった。その事実に打ちひしがれる。
「っ」
肌を上気させ、アイシャ自身も興奮しているのが、見て取れた。
「ぱ」
生唾を飲み込み、最後の言葉を待った――。
「なぁんてね! 冗談だよっ! カイトったらそんな顔しちゃって、今ので興奮したのかなぁ?」
嵌められた! この娘が魔性なのを忘れてた! 絶望のあまり両手で頭を抱え、上半身を前後に激しく振っていた、壁や床があったらそこに打ちつけていたかも知れない。
「ほんとにここが好きなんだねぇ。男の子はみんなそうなのかなぁ?」
アイシャは両手で『豊かな実り』を持ち上げた。重力に従い、歪み、指に柔らかく食い込む、艶めかしい生き物の姿が強調され、自然と目は釘づけになる。
もうほんとにわざとなのか、そうじゃないのか、分からないな。
しばらくそうしていたが、急に手を離したため、『豊かな実り』は重力に引かれその身体を空中で躍らせていた。
うわあ、ぽよんぽよん、めちゃくちゃ揺れてるよ。やばい、今のやってみたい。
両手の平で重力を感じつつ、『豊かな実り』を解放してあげるのだ。まさに至福と言えよう。そして、無慈悲に手を離し、弾み揺れ動く姿を眺める。非の打ち所がない完璧なプランだ。……またやつが目を覚ましそうな気配を感じて、そこで想像を止めた。やつを好きな様に暴れさせるのは、上策とは言えない。
「そろそろさっきの話に戻そうか……? その試作品を手に入れたのって、何時頃の話なんだ?」
このままでは彼女にペースを握られたまま、弄ばれるだけで、日が暮れてしまうだろう。名残惜しくはあったが、話を進める必要がある。
アイシャは遊び道具を奪われた子供の様に、唇を尖らせ、つまらなさそうにしていたが、こちらの質問に答えてくれた。
「うぅんとね。五十年くらい前かなぁ?」
五十年!? そんなに時間が経っていれば、自称発明家という考案者はもう他界しているのでは!? いや、その人物もエルフの可能性もあるか。生きていれば、大発明家にでもなってそうだ。どちらにせよ、試作品で使いものにならなかったそれは、立派な武器として実用化されている可能性もあった。
「あのおじさん、良い人でね。この試作品を買ったら、メンテナンスの仕方とかも丁寧に教えてくれたんだよっ! それで、自分で整備してるから、五十年たった今でも使えてるんだ!」
むむ、そのおっさんも魅了されてた可能性があるな……。そんで、優しく教えるフリしながら、舐めまわす様に観察してたに違いない! くそ! 会ったこともないおっさんに嫉妬してるのか俺は!? ふう、落ち着け。今しりたい事はあらかた聞いたんじゃないか? そろそろ外に出てみたくなってきたな。
「外に出たいの? 身体が大丈夫ならいいよ?」
そういえば靴がなかったんだった、所在なさげに裸足の指を動かしてみる。
「あの変わった靴なら、外にあるよっ! ちょっと待ってて、カイトの着てた服ももう乾いてるだろうし、取ってきてあげるね」
しばらくして、アイシャは服と靴を持って戻ってきた。ずぶ濡れになっていた靴はもう完全に乾いている様だった。これから着替える俺を気遣ったのか、それとも自分が恥ずかしかっただけなのか、彼女はこちらに背を向けてしまった。まあ、見られてると緊張するし、また良くない事が起きるだろう。ベッドの端に腰かけ、震える手で「アイシャのパジャマ」を脱ぎ、シャツを身に着け、上着とズボンに手を伸ばす――。
あれ? 妙だな。大怪我で血塗れになっていたと思われる服には染みひとつ残っていなかった。
「ふふぅん。それはねぇ。私が『血の精霊』にお願いして、綺麗に分解してもらったんだよ」
そんな便利な精霊がいるのか。地球にもそんなやつがいれば、洗濯も楽になるかもな。いや、どんな血生臭い現場を想像してるんだ。
慣れ親しんだ服の上下を着込み。靴も履いた。とはいえ、上着の右袖はそがれたままだし、ズボンは骨折の影響で大穴が開き、その他の部位も擦り切れて、手入れされていない古着の様相を呈していた。
「カイトの着てる服、ボロボロだよね……。そうだっ! すっごくいいこと思いついちゃった! 私がカイトに新しい服を作ってあげるよっ! 裁縫は得意だからまかせて!」
嬉しい提案ではあったが、自分は何も返せていないのに、貰ってばかりでいいのだろうか?
「そんな事、気にしなくていいよ。重傷だったんだし、色々と調子を取り戻してから返してくれればいいのっ!」
アイシャの優しさが身に染みる。この世界に来てからろくな目にあっていなかったが、救われた気分になるな。実際、救われたんだけど。
「じゃあ、お願いしようかな。俺に似合いそうなかっこいい服にしてくれよ?」
まかせて! と胸を張る。胸を。
その時、腹部があの低い唸りを上げた。人に聞かれるのは少し恥ずかしい。それが好きな相手となれば尚更だ。
「やっぱり、お腹減ってるよね。外に出る前に先にご飯にしちゃおうか。もう用意はできてるの、後は温めればすぐ食べられるよ」
あの時と同じで、空腹はいちど意識しだせば、止まらなかった。この世界で料理を食べるのは初めてだな。エルフの料理ってどんなものなんだろう?
「となりの部屋に食卓があるよっ! いこっ! カイト」
こちらに伸ばされた手を遠慮がちに掴んだ。彼女の体温と心のぬくもりが伝わってくる。
温かいな……。
はじめて好きになった女の子と手を繋いで、手料理も食べられるなんて、全人類が羨むシチュエーションだ。
期待に胸を躍らせながら、歩き出した――。