狂騒の霊廟
仕合の準備をするために、胸に手をやり、あの力のスイッチを入れた。
その瞬間、大気を震わす様な拍動が響き、静謐な墓所の隅々まで揺れ動いている様に見えた。霊たちの青白く透けた身体も揺らめきたつ。
「ほう……? この波動は……」ドワーフ霊は何かに気付いた様だ。続けて「あらぁん? アナタ、何か不思議な力を持ってるみたいねぇ?」霊たちは、この力がオンになった事を感じ取っていた。一人だけおぼろげな人影の姿の霊が「ふっ。退屈しなくて済みそうだ」と冷たく囁き、首なし霊は「ただの生者の分際で、生意気だぞぉ。踏みにじってくれる……!」と息巻いた。
ジジは楽しそうに笑いながら、スタートの合図をする。
「この状態のカイトは、そう易々とは捕まらぬぞ……? そのほうらも心してかかるが良い! では――始め!」
合図とともに、すぐさま首なし霊が躍り出る。持っていた剣は何処かにしまった様だが、こちらを殴りつけるつもりで突進して来ているのが、感じられた。
「どの様な力も我の生前の、輝かしき武功の前では、霞むわ! 覚悟せよ、その貧弱などてっぱらに風穴あけてくれる……!」
首なし霊は小物感を丸出しながら、霊とは思えぬほど俊敏に間合いを詰めて来る。
だが、あの黒衣の戦士たちの方が余程すばやかった。
思い切り振りかぶった右腕の一撃を、身を捻りながら易々と躱す。そして、間をおかず、他の霊たちの動きを見るために壁際に移動した。
「ぬおおお!? ば、馬鹿なぁ。我の一撃がこうも容易く……!」
首なし霊は悔しそうに喚いたが、諦める気もないらしく、すぐに反転してこちらに向かって来る。
こいつら、少し透けてるけど、向こう側をはっきり見通せる程じゃないから面倒なんだよな。壁際から奥の空間に居たはずの、残り三人を探すが、あのおぼろげな姿の退屈霊が消えている事に気付いた。
あいつ、いないぞ!? 何処へいった!?
慌てて周囲を見回すと、背後の壁の中から青白い腕が、こちらを掴もうと伸びて来る姿が目に入った。
「あぶねっ!」
それをすんでの所で躱し、一歩前に踏み出す。背後からは「ちっ。俺が物体に潜めることをもう知られたか……!」と悔しそうな声が聞こえる。
すぐ右隣から奇声が聞こえ、あの凄惨な顔をした女霊が、唇を尖らせながら迫って来ていた。
「ただ触れるだけなんてつまらないわぁ……! その唇を、あたしのモノにしてあげるぅぅぅ!」
おげぇ!? 目にするだけで息が詰まる様な、グロテスクな顔が俺の唇をめがけて襲い来る。
こ、こいつには絶対つかまりたくねぇ! 突き出された両腕を躱し、脇の下をくぐる様に、女霊の背後へと回った。後ろからはまた「キイィィィ!」と奇声が響く。
よし、今のところは順調だな――いや!
下だ!
女霊の脇をくぐった時に、僅かに視線がさがったのが幸いしたか。床から伸びて来ていた腕に気付き、それをステップで右に距離を取りながら躱す。だが、連続した移動で、徐々に無理な体勢になってきていて、床を蹴った片足は宙に浮いたままだった。次に動くとするなら着地側の脚一本になる。それに、いちど壁から離れたはずが、また壁際に追い詰められていた。
くっ。不味いぞ、あのドワーフ霊を見失った! 今、突然こられたらもう躱しきれない!
左手をみると、先ほど躱した首なし霊と女霊が、道を塞ぐ様に左右に展開し、迫りつつあった。
「ふははは、追い詰めたぞぉ! これで貴様は終わりだぁ!」
「唇ぅ! くちびるくちびる、唇ッ!!」
視界の端、右手の床からまた退屈霊の腕が伸び、間をおかずに全身が現れ道を塞ぐ!
もう左右には躱せない! なら、跳ぶしかない!
力加減を間違えるなよ……! ここの天井は低く、三メートル程度しかない。力を込め過ぎれば、ぶつかってゲームオーバーだ!
意を決して、残った右足で床を蹴り、首なし霊と女霊の頭上をすり抜けた!
だが――!
「え? 嘘だろ!?」
まるで着地点を初めから予想していたかの様に、ドワーフ霊が、逃げ場所を塞いでいた。空中で身体のコントロールを失ったため、為すすべもなくその細い腕に捕まってしまう。
終わりを告げるジジの声が響いた。
「そこまでじゃ!」
ゲームに負けてしまった俺は、その事実に打ちひしがれながら床へ手足をついた。そこへ声がかけられる。
「ほっほっほっ。お若いの、足じゃよ。足。足がついてさえおれば、どんな攻撃も躱せる」
その言葉を噛みしめ何度も反芻した。足……? 跳んで、身体の制御を失ったのが、敗因……? あの時、他の手段で足を何処かにつけられていたら、まだ躱せた……?
ジジは結果よりも過程を楽しんでいたのか、満足そうな声でドワーフ霊に話しかけた。
「見事であったぞ! そのほう、名は何と申す?」
ドワーフ霊は跪き、答えた。
「ほっほっほっ。ルドランにございます。死してもなお、この名だけは忘れる事が叶わず。いまだに我が身を縛り付けておりましたが、この様な形で役立つ日が来ようとは、まさに僥倖と言えましょう」
ジジは満足そうに頷き、宣言する。
「此度の仕合、勝者、ルドラン! 先ほどの宣言どおり、この精霊銀エレスティアルを一粒、与えよう。面を上げよ! 遠慮せず受け取るが良いぞ!」
「ははぁ。ありがたき幸せにございます」ドワーフ霊は、跪いたまま、恭しい態度で捧げる様に下から手を伸ばし、褒美を受け取った。その精霊銀の輝きは、霊であるはずのルドランの手からも、零れ落ちることなく煌めいていた。
他の霊たちは悔しそうに口々に、次があったら自分が勝者となると鼻息を荒くする。
満足そうに近寄って来たジジに尋ねる。
「な、なあ。あの精霊銀、何で霊の手に乗っても零れ落ちないんだ?」
ジジは顎に指を添えながらこちらを見た。
「その前に、カイト。おんしも中々に、見事であったぞ! まさかあれほど機敏に、状況を判断しながら動けるとは……! やはり、おんしこそ我が伴侶に相応しい!」
いや、質問に答えろよ。
「ふぅむ。斯様な言葉は不要であったか? まあよい、答えてやろう。……それが、精霊銀の特性じゃ。あの石は霊体に満ちる力、すなわち魔力を閉じ込める性質があるのじゃ。故にこの森のエルフはあれを通貨として利用しておる。分かるかの? 霊となり果てても魔力は失ってはおらぬ。それ故、霊体が器の様に働き、精霊銀に触れる事が出来るのじゃ」
そうなのか……。アイシャは、便利な魔法の触媒だって言ってたけど、通貨にもなってるなんて知らなかった。うん? マナを閉じ込めるって事は……。
「なあ。精霊銀にあらかじめマナを入れておけば、霊体のマナが空になっても、そこから魔法を発動したり出来るのか?」
ジジは驚いた様子でこちらを見た。
「ほほう? あれだけの説明で、そこまで頭が回ったか。その発想の源は何処にあるのか……。やはり侮れぬのう」
いや、質問に答えろよ。
「今の答えでおおよそ察しはついたじゃろう? ……出来るぞ。この森のエルフは皆、精霊に親しみ、常日頃からその力を利用しておる。故に、精霊銀が通貨たり得るのじゃ。転ばぬ先の杖、と古くから言う。魔力が尽きても、精霊銀に十分な蓄えがあれば、生死を分かつ様な状況で天運を味方につける事も可能じゃろう」
その答えに満足したが、一つ疑問が浮かぶ。
「なあ、お前。あの精霊銀、何処から持って来たんだ?」
ジジはおかしそうに腹を両手で押さえた。
「くふふっ。あの小娘の手持ちを幾つか拝借したまでじゃ」
んなぁ!? ど、泥棒じゃねぇか!? それを偉そうに褒美とかぬかして、他人にやるなんて……。こ、こいつ……!
「はぁ、ほんと、お前と付き合ってると疲れるよ。……満足したなら、そろそろここから出ようぜ?」
ジジはゆっくりと頭を左右に振った。
「ならぬ。……儂は、まだこの奥に興味がある! カイト、更に進むぞ! まだ見ぬ神秘を求めてな!」
は、はあ!? まだ、続ける気なのか!?
そこへ、あのドワーフ霊ことルドランがやって来て、忠告した。
「ほっほっほっ。あなた方には、この様な忠告、無粋かも知れませんが。更に奥へ進まれるのでしたら、お気をつけくだされ。……既に自我を失い、亡者と化した者どもが巣食っておりますゆえ」
ご忠告どうも、ってか。
「お、俺は! そんな危険な場所へは行かないぞ!」
ジジは無言で、また俺の腕を掴んだ。そして「忠告、感謝する」と短く礼を言い、奥へと無理やり進み出した。霊たちから離れたせいか、周囲は再び暗闇へと包まれていく。抵抗しながら、あの石を取り出した。
「や、やめろぉ! お、俺は、また生きてアイシャに会いたいんだっ!」
ジジは笑いながら、俺を引きずる。
「くふふっ。そう願うのならば、真剣に現実と向き合う事じゃ! ほれ、そこに曲がり角がある。はたしてその先には何が待ち受けておるのかのう? まっこと、心躍る墓所じゃな!」
そんな訳ねぇ!? は、離せ!
もがきながら、引きずられていった視界に、新たな通路が映り込み始める。
曲がり角の先も、奥へと長い通路が続いているらしく、またぼんやりと青白い光が壁際に幾つも並んでいるのが見えた。遠目からもそれは人型に見える。
あ、あれが、全部、自我を失くした霊なのか!?
ジジは俺を引っ張り背後に回り、その通路へと突き飛ばした。
その瞬間、真っ暗だった左隣の壁が、急激に明るくなり、青白く輝く骸骨の姿が浮かび上がる。
その手には剣が握られていて、こちらへ向かって音もなく振り抜かれた!
「うあっ!」
かろうじて身を躱したが、左腕の皮が薄く裂かれ、血が染みだして来る。
「くそっ! いきなり!」
ジジには構わず、振り向いて逃げ出そうとするが、背後には既に青白い光が灯り、道を塞いでいた。どの手にも剣が握られていて、冷たい白光を放つ。
霊体なのに、剣だけは物体なのか!? 先ほどの鋭い痛みを思い返し、傷口を見た。
非常に浅い傷ではあったが、間違いなく物理的な怪我だった。
意を決して、前を向き走り出す!
「そうじゃ、その意気じゃ!」
自分だけ天井ちかくへ浮遊し、安全地帯を確保したジジが囃し立てる。
くそぉ! こいつ、覚えてろよっ!
どこまで続くのか分からない、廊下を走り抜ける間にも、次々と青白い光が灯って行き、襲い掛かって来た。
無数の剣が突き出され、薙ぎ払い、振り下ろされる。
それを必死に躱しながら、奥へと走り続ける。
何か……。自分で言うのも何だけど、俺ってこんなに戦い慣れてたっけ? 前のアイシャとの模擬戦の記憶と比較すれば、驚くほどに身は軽く。敵の動きも良く見えた。
まさか、まだ力のスイッチが入ってるのか?
い、いや、脚には異常な力も反動も感じない。これは――純粋に俺じしんが成長したと思っていいのか? そう思うと何処か嬉しさが沸き起こって来る。
いや、こんな所で油断したら、即、死につながるぞ! とにかく今は走れ!
ここで気になっていた事をジジに尋ねる。
「おい! 後ろにいるんだろ? この道が行き止まりだったら、どうするんだ!?」
ジジは状況ににつかわしくない、穏やかな声で答える。
「大丈夫じゃ。この奥へも霊気の流れが形作られておる! つまり、向こうにも出口があると言う事じゃ」
信じていいんだな!?
「それにのう。おんしはどう感じておるのか分からぬが、真に避けがたき死の危険が訪れたなら、儂がおんしを窮地から救いだしてやるぞ。故に、安心して励むが良い。……ほれ、また曲がり角じゃ! 視線の移動に注意するのじゃぞ!」
くっそぉ! 安心なんて出来る訳ないだろぉぉぉ!
角を塞ぐ様に、陣取っていた骸骨霊の眼前を床へと滑り込みながら躱す。そして、奥の状況を確認しつつ、転がりながら跳ね起きた。
「明かりだ! だけど、小さな窓くらいの隙間しかないぞ!」
恐らく地上からの明かりと思われるモノを見つけたが、まぶしく光るそこは四角い小さな窓の様な空洞だった。通り抜ける事が出来なかったとしたら、背後から迫る骸骨霊たちの餌食となるだろう。
「ほれほれ! 力の限りに駆けるのじゃ! 緩めれば、尻に刃が食い込むぞ!?」
囃し立てるジジには構わず、全力で駆け抜け、四角の空間へ、両腕を伸ばし、頭から飛び込んだ!
狭い空間を囲んだ壁が肘や膝へぶつかり、鈍い痛みを感じる。
そして――。
これまでにない強烈な明るさを感じ、目を細めた。気が付けば、狭い空間を滑る様に抜け、地上へと脱出していた。通り抜けた場所をみやるが、霊はついて来てはいなかった。息を切らし、反転して、倒れたまま開けた空を拝む。降り注ぐ温かな光が生を実感させてくれる。
「ハア、ハァ! まぶしっ! でも――無事に外へ出られたぞ!」
ほどなくして、ジジが後を追って、現れ、穏やかに笑いかけた。
「よくやったの。カイトよ。本心を申せば、途中で泣きついてくると思っておったぞ。じゃが――おんしは、最後までやり通した。……自らを誇るが良いぞ!」
そう言ってジジは俺の額へ手を伸ばし、優しく頭を撫でた。そして、慈しむ様な瞳で、覗き込んで来る。何処か気恥ずかしくなり、目を逸らす。心なしか、頬も火照っている様だ。
「くふふっ。素直ではないのう。まあよい。カイトよ、儂は決しておんしを見捨てぬ。……故に、心穏やかに、己の行く先を見極め、もののふとしての道を歩むが良いぞ」
その言葉にくすぐったくなり、柔らかな草に覆われたその場で二、三回ころがる。
ジジは笑いながら追いかけてきて、また頭を撫でた。
何ていうか……。こういうのも悪くないかもな……。
美しい少女に見守られ、進んで行く先に、自分が望んだ未来はあるのだろうか? 今は、まだ何も分からない。けれど、認められ、撫でられる、この感触は悪くないと思った――。




