暗闇の誘い
突然の発情精霊ことジジの登場で、思わぬ時間を取られてしまったが、デルライラムからは、出来るだけ早く来るように言われていたのを思い出した。
んん? 具体的な時間は指定されてなかったと思うけど、師匠おこってるかな? 初日から遅刻とか洒落にならないぞ。
「なあ、そろそろ朝ごはんにしないか? 俺、今日から師匠のとこで修行なんだけど……」
アイシャは俺の言葉を受けて、再び台所へと向かった。置かれた大鍋からは徐々に湯気が立ち昇りはじめ、辺りに良い匂いが漂う。俺の隣でその様子を見守っていたジジがくんくんと鼻を鳴らす。
「ふむ。良い香りじゃ。朝餉じゃな。せっかく肉体を得たのじゃ、ヒトの食するモノはどの様な味がするのか、存分に堪能させてもらおう」
その言葉に俺とアイシャの二人は同時に疑問を呈する。
「え? ジジちゃん。精霊なのにご飯を食べるの?」
「ええ!? お前、図々しくも飯を食うつもりなのか!?」
ジジは不満そうに俺たちを交互にみやり、念を押す様に、俺を見て止まった。
「何じゃ? 儂の分はないのか? この儂に捧げものをするのは、ヒトの子の役目じゃろうて? 昔から変わらぬならわしであったぞ」
そんな不満そうにこっちを見られても、俺には何の決定権もないぞ。
「くふふっ。以前は受肉しておらなんだ。それ故にどの様な供物も味を知る事は叶わぬ夢であった。しかし、今の儂にはこの肉体がある。望まぬはずがないじゃろう?」
俺は沈黙を守りながらアイシャへと目配せする。アイシャはどうするべきか思案している様だった。
やがておもむろに話はじめる。
「ジジちゃんが、食べたいのなら用意してあげるけど、食器とかの使い方は分かるのかな? ……それに、三人分になると……残ってる食糧が心配になるかも」
そうだぞ! ただ飯ぐらいは俺だけで十分だぞ!
「お前! この家の食糧事情にも配慮しろよな!」
ジジは口をきつく結んで俺を睨む。
「何じゃ? 働きもせずに食糧を浪費しておるのは、おんしも同じではないのか?」
うぐぅ。グサッと来たぁ! 分かってたけど、それを言われると反論できねぇ。
俺たちがそんなやり取りをしている間にも、アイシャは滞りなく食事の準備を始めていた。食卓には次々と料理の盛られた皿が置かれていく。
「あれ、そういえばさ。ここって椅子が二つしかないよな? こいつの分はなくね?」
それを聞いたジジは怒りを露わにする。
「何じゃと! 儂に椅子を用意せぬとはどういう了見じゃ! 即刻もってまいれ! ほれ、それまではその椅子は儂のモノじゃ!」
言葉と共に、ジジは俺に尻から飛び掛かり、その弾力のある臀部で椅子から押し飛ばしてしまった。
「うあああ!? な、何て事するんだお前ぇ!」
ちゃっかりと椅子を占領したジジは、怪しげな目つきでこちらを見て笑う。
「くふふっ。おんしの様なおのこには今のもある種の褒美であろう? 素直に受け取るが良いぞ」
んなぁ!? そ、そりゃ、張りがあってそれでいて柔らかい尻の感触は悪く――じゃねぇ! 一瞬すぎて堪能する暇なんてなかったぞ! もう一回こい!
「ふむ? 一度では不満か? それならば、ここに跪き頭を垂れるのじゃ。さすればおんしを椅子代わりに使ってやらんでもないぞ?」
「断るッ!」それは、男のプライドが許さないぜ! ……まあ、前にアイシャに思い切り乗られたけどさ。くっ! あの時も感触を楽しむ暇なんてなかったってのに!
俺たちの悪ふざけにアイシャからお咎めの声がかかる。
「もう、二人とも。ご飯の前で埃を立てないでよ。行儀の悪い子にはご飯あげないよ?」
その言葉を受けて、俺たちは忠犬の様に、大人しくなるのだった。どんな家でも食を握っている者が一番つよいのだ。
アイシャはこちらを振り向いて、俺に一言。
「カイト? 悪いんだけど、私の部屋に入って椅子を取って来てくれるかな? ジジちゃんのために、ご飯の時だけ用意してあげようと思うんだ。……あ! 床を傷つけない様に気を付けてね?」
ジジはこちらを見やり勝ち誇った様な笑みを浮かべた。
「そういう事らしいぞ? さあ、儂の椅子を取ってまいれ!」
うぐ、くそぉ。何で俺が……。
ぶつくさと文句を垂れながら、寝室へと入り、ベッドの横にあるアイシャの椅子を持ち出し運んできた。それをアイシャの意見を聞きながら位置を調整し、食卓の手前側に置いた。手前に二つ、奥に一つの形になる。
「へいへい、お持ちしましたよ。女王様」
冗談めかした俺の言葉に、何の疑いもなく尊大な返答が来る。
「うむ。くるしゅうないぞ」
ジジは誰に問う訳でもなく、当然の様に、背もたれと肘置きのあるアイシャの椅子へと腰かけふんぞりかえる。その前にシチューの盛られた大皿が置かれた。
ん? このシチュー、前より彩が増してるな。相変わらず肉なしの様だが、緑や赤、黒い豆らしき粒が幾つも見えた。
隣を見るとジジは目を輝かせながら大皿を覗き込み、今にも食いつきそうな様子だが、置かれたスプーンには手を付けていない。
もしかして、使い方が分からないのかな?
ま、人の事は後だ。くくく。この日の為に用意した俺のとっておきを……。
ズボンのポケットからはみ出していたそれをおもむろに取り出すと二人の注目が集まった。
既に着席していたアイシャからも興味津々な視線が注がれる。
「え? カイト。何もってるの? 木の棒?」
棒? ただの細い棒きれに見えるかもしれないが、これはれっきとした食器だぜ!
「これは箸さ! 俺の故郷じゃ、これを使って飯を食うんだ! どんな料理にも対応できる万能の食器なんだぜ」
二人から「おお」と歓声が上がる。ま、まあ。積まれてた薪の中から短くて細目なのを選んで削り出しただけだから不格好もいい所なんだけど。見た目はともかく、問題はちゃんと使えるかだな。
「それじゃ、ご飯の前の儀式だよ。ジジちゃんも私の真似してやってみてね」
それにジジは不服そうに口答えする。
「何じゃと。古くはヒトの子の尊崇を集めた儂に、俗神や精霊に祈れと申すのか?」
「まあ、いいからいいから。最初は上手く出来なくてもいいんだよぉ」ジジの高慢な言葉にもアイシャはどこ吹く風だ。そしてにやつきながら俺を見て「カイトなんて、最初は食卓にあちこちぶつけてすっごく大変だったんだからぁ」クスクスと続く。ちょっ!? 余計な事ばらさなくていいし! 隣を見ると案の定、ジジが口元を隠しながら半笑いになってこちらを見ていた。
「くふふっ。その姿が目に浮かぶ様じゃのう。おんしは相当に不器用と見えるからな」
うがあああ、くそぉ。見てろよ。俺の華麗な箸さばきで絶対みかえしてやる!
そうして儀式を経て間をおかず食事が始まったが、ジジはスプーンの扱いに苦労している様だった。おぼつかない手つきでスプーンを持ち、シチューを掬い口元へ運ぼうとするが、手元が震えて開いた胸元に派手に零してしまう。
「あ、あつぅ!」
「ジジちゃん! 大丈夫!?」
むほぉぉぉ!? こいつには悪いが、『銀閃の双丘』が濡れ光る姿には正直、興奮する――! アイシャはすぐさま立ち上がり、ジジへ駆け寄りハンカチを取り出して、汚れた胸元を拭った。
それはえもいわれぬ煽情的な光景で、柔らかな双丘が拭かれるたびに嫌らしく艶やかに揺れた。
ぷるぷるぷる。
うおおおお!? ダメだぁ!? あのハンカチとの間に挟まりてぇ!? い、いや! ハンカチになりてぇぇぇ!?
い、いや。落ち着け。ここはこいつが火傷してないか気遣って男を上げる時だろう。
こほん。冷静なフリをして、と――。
「大丈夫か? 熱いシチューだけど、火傷とかしてないか?」
ジジは不服そうにこちらを一瞥した。
「ふん。おんしが儂の失態を嫌らしい目で眺めておったのには、気付いておるぞ! 今更、身を案じる素振りなどするでないわ!」
ふぐおおお!? とっくに気付かれてた!?
アイシャも怪訝そうな目つきで俺を見据える。ぷ、ぷるぷるっ。ぼく、悪いニンゲンじゃないよ。ちょっと思春期なだけで……。
「ふん。おなごが苦しんでおる時に、それを眺めて悦に入るなど、見下げはてた奴じゃ。儂の目も節穴じゃったかのう?」
そ、そこまで言われるの!? ちょ、ちょっと嫌らしい事かんがえただけじゃんかぁ!
うぐ、何か今日一番こころを抉られた。
ぐふっ。
隣では、アイシャがジジに優しくスプーンの使い方を教えていて、和気あいあいとした雰囲気になり、こちらは俯きながら寂しく孤独に箸を運ぶ事となった。
うぐ、くそぉ。見てろよぉ。俺の箸さばきで!
この状況を覆す!
意を決して、シチューの豆に箸を伸ばしたが、全く上手く掴めず取りこぼしてしまう。
だ、ダメだぁ!? 自作のこの不出来な箸じゃ、先端が上手くかみ合わなくて豆が掴めねぇ!? く、くそ! 初めて作ったから仕方ないけど、甘く見すぎていたかッ……!
隣からはクスクスと笑い声が聞こえ、そちらを見るとジジとアイシャは二人で俺の醜態を楽しんでいた。ちょっ!? さっきの俺の態度を差し引いても趣味悪すぎだろう!? いじめか!? いじめなのか!?
「どうしたのじゃあ? それが万能の食器の本領かの……? 実に見事なものじゃなぁ?」
うおおお!? いたたまれねぇ! この場から消えてしまいたい!
それからは諦めてスプーンを使って食事をとったが味も良く分からなかった。
傷ついた心はそう簡単には癒えそうになかったが、隣の会話が漏れ聞こえて来る。
「しかし、粗末な食事じゃの。味はそれほど悪くなかったと思うが、……もうちと肉を入れたり、何とかならぬのか? 受肉しての初めの食事がこれとはのう」
「仕方ないよ。私が狩りに行けてなくて、前に獲ったお肉も尽きちゃったし、ここ数日は木の実の採集くらいしか出来てないんだよ」
「何じゃ。肉がないのならば、そこらに山とおる獣を狩れば良いではないか」
「だ、ダメだよ! 私は、魔物狩り専門のハンターで森の生態系には介入しない主義なの!」
「何をごたくを。魔物も生態系の一部ではないか。そなたの好悪の問題ではないのか?」
「ち、違うよ! 魔物は瘴域で生まれた自然とは異なる存在なんだから!」
「じゃからの、今では、それも含めて自然環境は成り立っておるのではないかと、儂は言っておるのじゃ。この世に瘴域が現れたのが何時の話じゃと思っておる」
何やら難しい話が聞こえて来るな。ふっ。だが、今の俺には関係ない事さ……。
「むむむ。そんなに言うのならジジちゃんが狩りに行って来てよ!」
「何じゃと! 高貴なる儂の手を汚せと申すのか?」
「ふふぅん。ご飯が食べたい人に貴賤なんてないんだからぁ。欲しいモノは自分で獲らなきゃね!」
「ぐぬぬぬ。こやつめ。一端に煽りよるわ……!」
何だ? また喧嘩になりそうな雰囲気……? ふっ。ここは俺が一肌脱いでやるか。
「あ、そうだ。まだご飯は終わってないんだった。ちょっと待っててね」
うん? 雲行きが怪しくなってきたぞ……? 毎度の食事でシチューの後に出された物とは――そう、パンだ。あれは地下の貯蔵庫に置かれている――!
「ぬああああ!」
食卓に突っ伏していた俺が、奇声を上げて起き上がったのに、二人は驚愕の様相を取る。
「な、何じゃ!? 先ほどまでしおらしくしておると思ったら」
「どうしたの? カイト? お腹でも痛くなったの?」
く、くくく。ここは俺の名誉挽回のチャァァァンスッ!
おもむろにアイシャに近づき、ある事柄を内密に伝える。
ジジはその様子を訝しんでいたが、追及はしてこない。
「はっ。そう、そうだね。確かにあの姿はジジちゃんには見られたくないかも……。じゃ、お願いするね。パンは一番手前の棚にあるから。それと、これ。暗い所で光る石だよ。明かり代わりに持って行って」
ふっ。自分の知謀が恐ろしいぜ。これで間違いなくアイシャからの信頼は取り戻せる。
二人が見守る中、床の扉を開き、地下への梯子を降りて行った。暗く冷たい空間に軽快な足音が響く。ほどなくして底までたどり着いた。
「真っ暗だな。ええと、さっき受け取った石を取り出して……」
石を掌に乗せて掲げると仄かな光が周囲を照らし始めた。
「ふむ。この地下室、こんな形になってたんだな」
腕を動かし、隅々まで見渡してみるが、壁際に置かれた多くの棚と木箱や瓶が見えるだけで、何も目立ったモノはなかった。ま、秘密の部屋があったりとか、期待してた訳じゃないけど。上からアイシャの声が聞こえる。
「カイトォ? 大丈夫? 暗いから気を付けてね?」
アイシャの言葉通り、籠に入り布に包まれたパンらしき物体が見つかった。
「多分これだな。よし、持って上がるぞ」
それを手に取り、籠の取っ手を左腕に通し、脇に抱えながら梯子に足をかける。何事もなく、作業は終わるはずだった。
だが――。
その瞬間、何やら寒気がして、左手に広がる暗闇に目を向けてしまった。
「何だ……? 何か、いるのか?」
先ほどの石を取り出し、奥を照らすが何も見当たらなかった。
「うん? ただの勘違いか……。室内でも初めて入る場所だし、暗いと本能的に恐怖は感じるのかもな……」
眼前の暗がりはただ静けさをたたえ、何も答えてはくれない――。




