先触れの再訪
作業は順調とも言えないが、柱の先端の削り出しは少しずつ進んでいた。
「先端が結構、鋭くなってるし、怪我しない様に気を付けないとな」
こんな作業でも意外と汗をかくものだな。頭から垂れて来た雫が隙間から染み込み瞼を撫でた。ゴーグルを一時的に額の上に動かし拭う。
「ふう、ちょっと休憩でもするかな?」
何だ――? 今、背後から何か聞こえ――。
思考を終える間もなく、背中側の肩辺りに何かがぶつかって来たのか、鈍い衝撃と共に骨の軋む様な音と激しい痛みを感じた。
「ぐわぁ!」
不味い!? このまま上半身を押されると目が柱に刺さる――!?
痛みに耐えながら何とか両腕を地面に突っ張り、柱への直撃は避けた。
だが、一体なにが起きていると言うのだろうか? 肩にかかる重圧で振り向く所か動く事もかなわない。
「ふふぅん。カイトったらどうしてそんなに必死になってるの?」
んなぁ!? この声――アイシャなのか!? 一体なにを考えて――!?
「私、小鳥さんみたいに軽やかでしょ? そうだよね!? ね、答えて!」
話が見えないが、肩に座っているのか!? まるで強迫している様な口調だが、何が起きているんだろう?
いや、そんな事よりも早くどいてくれないとこのまま潰れてしまいそうだ。
「どうしたの? 軽いでしょ? ねぇ!」
軽い? それって――、体重がって事か――!?
アイシャは指先で首筋をなぞったと思うと、力を込めて突いて来た。
「もう! 早く答えてよぉ!」
痛たたたた! や、止めてくれぇ! 力が抜ける――!
「な、何の事か分からないんだ! それよりも早くどいてくれないか? もう耐えられない!」
首に突き刺さっていた指に更に力が込められる。
「むぅ! まだ言うの!? そんなに私が軽くないって言いたいんだね!」
体重の事を気にしてる!? 彼女に直接そんな事を言った覚えはな――。
ああ! あの時! まさか、寝たフリをしていたのか――!? まったく気付かなかった、彼女は眠っているものだと思っていて、軽はずみに口にしてしまった言葉が、知らないうちに傷つけていたのか?
だけど――。
今更きづいてももう遅い――。
もう弁解の猶予もない、柱の先端は眼前に迫っていたが、抵抗する余力は残されていなかった。
ダメだ! 潰れる! このまま眼球を貫かれて死ぬのか――。
その時――、身体の中心から渦巻く力の奔流が溢れだし、爆風の様な鼓動が全身を震わせ、頭の中心に残響を轟かせた。
その心音と共に四肢に今までに感じた事のない力がみなぎっていく。
無意識に、跳ね上げる様に上体を動かしていた!
「え!? 何が――!? きゃああああ!?」
響くアイシャの悲鳴と共に我に返る。
どうやら肩に乗っていた彼女を身体ごと吹き飛ばしてしまったらしい。
大丈夫だろうか――? そんな想いを抱き反射的に立ち上がり振り返った。
その僅かあとに、木の板が撓む様な大きな音が響いた。
彼女は空中でバランスを取り、上手く屋根に着地していた。その様子に胸をなでおろす。怪我がなさそうで良かった。
屋根に繁茂していた植物が衝撃で表層の土ごとえぐられたのか、周囲に飛び散り舞い落ちていく。いや、あの屋根の痕跡――普通の人間だったら足から落ちても重傷は避けられないか!? でも彼女は――。
「もう! いきなり何するの!? ……でもカイトったらすごいパワーだったね。ハンターモードの時の私みたい――」
良かった。無事みたい、だ――。
「ぐあああっ!」
上腕あたりが裂ける様な、電流の如き衝撃が走った。
両腕に感じる鋭い痛みに耐えられず倒れ伏してしまい、地面に転がりながらもがき苦しむ。
「カイト!? 大丈夫なの!? 今、助けるから――!」
アイシャが屋根から飛び降り駆け寄って来た様だが、顔を上げる事すら出来ないでいた。朦朧とする意識の中で、以前に似たような痛みを感じた事を思い出す。
あの力――、一つ目との戦いの中で、現れた――そうか、これは、『反動』、なのか……。
意識が飛びそうになる中、アイシャの声が響く。
「傷を見せて! 大変! 腕の筋肉が裂けちゃって、内側にどんどん血が溢れだしてる! 少しだけ待って! すぐ治すから! 今できた所の傷なら私の治癒魔法でもかなり回復するはずだよ! だからしっかりして!」
言葉を続けながら彼女は治癒魔法で傷を塞いでいた様だ、痛みが少しずつ引いていき。暗転しそうになっていた意識も寸前で引き止められた。
気絶を誘う強烈な痛みも少しの時間で、脈打つ疼き程度にまで治まっていた。
自身の状態を確かめる様に、両目を開いた。
こちらを心配そうに覗き込む彼女の顔が見える。……ああ、また心の負担になってしまったな。まだ一日も経過していないはずなのに、情けない……。
背中に感じる温もりは……。彼女に抱き起されているのか。左手は力強く握られていた。
「大丈夫なの? この怪我って、もしかしてさっきのすごいパワーが原因なの?」
少しずつ思考が明瞭になって行く、整理し言葉を選びながら喋りだした。
「うん……。俺自身にも、まだ何なのか分かっていないんだけど、生命の危険を感じた時に、あの力が発動するみたいなんだ……。今のも含めて二回しか経験してないから、これもまだ想像でしかないんだけど」
言葉を続けようとした時に、彼女の表情が驚愕の様相を取る。
「ええ!? 生命の危険って!? わ、私が乗ってた……から……なのかな」
いや、多分それだけじゃなくて、尖った柱が目に刺さりそうになってたからだと思うけど……。彼女のせいだと言えなくはないか。……すごく落ち込んでるみたいだな。表情が青ざめて来た。耳が感情を表す様に、徐々に垂れ下がって行く。
「わ、私――。カイトに命の危険を感じさせちゃうくらい『重い』んだ……。う、うううぅぅぅ」
多分、問題の根幹はそこじゃないと思うんだが……。しかし、余程きになっているんだな。
「う、う、ううぅぅぅ」
彼女に握られた左腕に温かな雫が落ちる。
泣いて――いるのか。
「ゴメンねぇ。私が、感情に任せて、こんな事をしなかったら、カイトは、危険な目に遭う事も、なかったのに……」
小さな嗚咽が彼女の本心を露わにしていた。
「許してなんて言えないよぉ……」
彼女の右手を強く握り返した。
「泣かなくていいよ……」
涙の流れ落ちた跡を幾筋も残したまま、彼女は真意を窺っているのか、伏し目がちにこちらを見た。
幼子に言い聞かせる様に優しい声音で続ける。
「君が悪くないって事は、ないかも知れないけど。結果としてちょっと怪我をしたくらいで済んだんだ。……それに、君を暴走させた原因を作ったのは俺だし……」
彼女は首を左右に振る。
「そんな事ないよ、私がつまんない事を気にしすぎたのがいけなかったんだ。いくら謝っても足りないよ」
少し落ち着いて来たみたいだな。
「いいんだよ、もう。それに、今回の事で一つ思った」
彼女は潤んだ瞳で言葉を待った。
「俺――、もっと強くなるよ。君に心配をかけないくらい――! 前の約束に追加する」
彼女は右手で涙を拭いながら頷いた。
「うん。分かったよ。絶対、忘れないから」
左手を再び強く握られた。それを握り返し、決意を心に刻む。
「それにさ。強くなれば、乗られても平気になるはずだろ?」
彼女は目を丸くした。そして俯き、震え出す。笑いを堪えているのか?
「もう! カイトのバカ! ふふふ、でも期待してるよ!」
もう涙は止まったみたいだな。……これでいいんだ。彼女に涙は似合わない。
「やっぱり、私、カイトが居ないとダメみたい……」
小さく呟かれた言葉はその場に吹いた風に乗り、空へと混じり溶け込んでしまったのか、まったく聞き取れなかった。
「え? 今、何か言ったか?」
アイシャは笑顔に戻り、こう答えた。
「何でもないよ! えへへ」
約束――、果たすには、あの謎の力の正体を知る必要があるんだろうな。勿論、身体を鍛えたり、戦闘技術を身につけるのも重要なのだろうが……、この世界の住人が、地球人より遥かに強いのなら、俺自身も地球人としての身体のままでどこまで行けるかは分からない。
その保証がない以上は、得体のしれないモノであっても力を求め、正体を暴かなければ……!
まあ、でも今は、濾過装置を作るのが最優先だな。
腕の動きを確かめてみる。疼く様な感覚はあるが、痛みもないしまた傷が開いたりはしないか? 日常的な動作なら問題ないのか、確かめておくか。
「さてと、そろそろ作業を再開したいから離れてくれるかな?」
アイシャはそのまま手を離すのかと思ったら、膝の下に右手を回し、俺を持ち上げた。そしてそのまま立ち上がり、まるで羽でも抱えている様に、重力を感じさせない動きで地面に降ろした。
「強くなるのならこのくらい――、じゃないやっ! ……私なんか霞んじゃうくらいじゃないとダメだよっ! ねっ?」
笑いながら強く頷き返す。
「それでさ、作業を続けたいんだけど、さっきの傷、また開いたりしないかな?」
アイシャは顎に手を当て宙を見つめる。
「どうだろ? 結構ひどい傷だったけど、出来てすぐに治したから私の魔法でもかなり効いてるはずかなぁ……。無理しなければ、大丈夫かも? また痛みが出たら直ぐに言ってね? 治すのが早いほど良く効くから」
その言葉に安堵する。とりあえず腕の状態に注意しつつ、作業再開と行くかな。
「ありがとう。もしまた痛んだら直ぐに言うよ」
そこでアイシャはまたあくびをするのだった。
「ふわぁ。あ、ゴメンねぇ。また眠くなってきちゃった……。そろそろベッドに戻るねぇ、おやすみぃ」
アイシャは手を振りながら去って行った。
額の上にあったゴーグルを再び装備した。
もう一度、腕の傷を確かめてみたが、青痣ひとつ残っていなかった。治癒魔法とやらは彼女の言葉通り、すぐに治せば相当な効果を持つのかも知れない。
作りかけの柱に向き合う。一番むずかしいのは次の板の処理かも知れないけど、これも失敗を繰り返せば面倒な事になるからな。
気合いを入れ直さないと――!
※ ※ ※
薄暗い寝室でベッドに座り込み、靄のかかった頭と閉じそうになる瞼に抵抗しながら、先ほどの出来事を思い返していた。渦巻いていた激情は、まるで憑き物が落ちたかの様に霧散していた。
「カイト……。優しいな……」
彼の名前を呟き、両手に残った感触を確かめる様に、自分の身体を抱きしめ包み込む。
「優しすぎて、こわくなっちゃうくらいだよ……」
徐々に抵抗する力が弱まって行く。気が付けば、ベッドに横たわっていた。
「私――」
閉じた瞳の奥でこれまでの出来事を振り返って、ひとつずつなぞっていった。
「私には、何が出来るのかな?」
その言葉を最後に、意識は微睡みの中へと沈んで行くのだった――。
※ ※ ※
昼間でも光のほとんど射さない暗く静かな森の中に複数の足音が響く。淡々と、時計の針の様に、一定のリズムを刻みながら湿った地面を震わせていく。
重なる足音は三つ、その集団は一人ずつ順番に縦に並んでいた。
真ん中にいた、顔の上半分を黒い仮面の様な物で覆った一人が話し始める。身体も黒色の外套で覆われているが、その隙間から見える胸部には鈍い光を放つ、剥き出しの金属が歩調に合わせ揺らめいていた。
「エーデルガルド領、数百年も対帝国の最前線を張ってる武闘派って触れ込みだったから、どんなモンかと思っていたが、大した警戒網でもなかったな。拍子抜けしたぜ」
野太い声の雰囲気から男性なのだろう。それに答えたもう一人も、先の発言の人物と同じ外見をしていて、一番うしろに位置していた。
「実際には、もう教科書にすら載ってないですけど、ゆうに千年は越えてるって話ですよ。最後に帝国からの歴史に残る様な侵攻があったのが、もう六十年も前で、それからは小競り合いもほとんどなかったらしいですから、相手さんも緩んでいるのかも知れませんね」
もう一人はその口調から後輩にあたるのだろうか? こちらもやや中性的な声ではあるが、男性なのだろう。それを受けて、先ほどの男が言葉を返す。
「はあぁ。千年だってか? 想像もつかねぇな。ほんとエルフってのは何を考えて生きてんのか分かったモンじゃねぇな」
大袈裟に身振りを加え、話す男に一番前を歩いていた人物が、振り向きもせずに冷たい声を放つ。
「お前達、聞こえているぞ。任務中の私語は慎めと言ったはずだが? 緩んでいるのはお前達ではないのか?」
厳しい口調の声は低く、一言で男性と認識できる。前の男は他の二人よりも頭一つ分は長身で体格も良かった。注意された真ん中の男は、呆れた様に、両腕を振って反抗した。
「相変わらず堅いなあ。お前さんは、一時的に隊を預かってるからって。こんな小人数なんだ。上官ぶらなくてもいいだろ?」
その反応に、前の男は憤慨したのか、急に足を止め振り向いた。
「口を慎め。……黒い森が始まる。まもなくエーデルガルド領を抜け、クリフトブラン領へ入るはずだ。非常に濃い瘴気を放つ、瘴域が散見される危険な場所だと言われている。気を引き締めろ」
後ろの男は、振り返り、背後を確認していた。
「尾行がつくかと一応、警戒してたんですけど、心配なかったみたいですね。知らないうちにつけられてて、右も左も分からない森の中で奇襲を受けるなんて最悪のシナリオは避けたいですからね」
真ん中の男がおどけた調子で答えた。
「お前も心配性だなぁ。あんだけゆるゆるだった連中が、そこまでするかよ」
前の男は静かに、だが、力強く二人を叱った。
「おい、聞いているのか? 警戒は勿論、重要だが、今はこれから進む場所の話をしている」
後ろの二人は前の男を真剣な面持ちで見つめているのだろうか? 仮面の上からはその目を窺う事は出来ないが、口元は先ほどよりも引き締まっていた。
「ここ精霊の森の中でもクリフトブラン領とシレンディヴナ領は隣接しており、どちらも領地の大半を瘴域が占めていると言われている。……厄介なのは、この二つの土地が隣接している所だ。我々の目的地には、クリフトブラン領を抜けるのが最短とされているが、道を誤れば、シレンディヴナ領に迷い込む可能性もある。目的から離れた場所での交戦で疲弊するなど目も当てられん。加えて、人目を避けるにはなるべく危険な場所を進む方が効率が良いだろう。……魔物の巣窟に入りこんでも無駄口を叩くつもりか?」
後ろの男が手を挙げた。
「質問があるのですが、民間人と遭遇した場合はどうするのですか?」
前の男は冷たい声で言い放つ。
「秘密裡に処分せよとの命が出ている。逃せば、我々の動向を察知される危険性が高まる。死体はその辺りに捨て置けば、魔物の餌となるだろう」
それを聞いた真ん中の男は大袈裟に首を振ってみせた。
「はあぁ。嫌だねぇ。異種族とは言え、民間人を殺せなんてよお。お偉いさんってのも何かんがえてんだかなぁ」
前の男は口元を歪ませ、脅す様な口ぶりで答えた。
「今度は不敬か? 目に余る様なら、上に報告する事も考えなくてはな……」
後ろの男は慌てた様子で否定する。
「じ、自分は何も言ってませんよ!? せ、先輩も、気持ちは分かりますが、その辺にしておいた方が……」
真ん中の男は悪びれる様子もなく、右手を振ってみせる。
「へいへい、お手柔らかに頼むぜえ。それよりも時間がないんじゃねぇのか?」
前の男は苛立ちを隠し切れない様だが、声量を抑える事は忘れていない。
「お前達が話を逸らしたのだろうが。……いいか? 最短のルートの開拓が上からの命だ。そのためには、危険な道を迂回せず通る必要も出てくるだろう」
前の男は懐から何か光る物を二つ取り出した。
その一つ、小さな針を銀色の液体に浮かべガラス瓶で覆った、不可思議な物体を木漏れ日の方へ掲げる。
「この『帰巣の精霊』と呼ばれている道具、これが正しいのなら針は常に帝都の方角を指しているはずだ。そしてこちらの『精霊喰らい』。これらを信じて進むしかあるまい」
真ん中の男は不満そうに答えた。
「いくら俺たちが精鋭だってもよ、真っ直ぐ突っ切りゃ、何度、魔物と戦う事になるか分かんねえぞ。全滅したらどうすんのかねぇ?」
前の男は何にも期待していない様に、冷淡に返す。
「その時は、また代わりが派遣されるだけだ。我々の任務は情報を生きて持ち帰る事だ。いいか? 魔物と遭遇しても決して冷静さを失うな。訓練を思い出し、陣形を崩さず交戦しろ。もし分断された場合は、分かっているな?」
黙して前のやり取りを聞いていた後ろの男が、首元にぶら下がる何かを取り出し答えた。
「この『音無しの笛』で居場所を知らせる。ですよね?」
前の男は素早く頷く。
「そうだ。この仮面と一体になった耳当て。これは絶対に外すなよ」
真ん中の男は緊張感なさげに口答えする。
「はあぁ。この笛の音、あんま聞きたくないぜ、嫌いなんだよなぁ。こう、頭ん中に直接ひびくって言うかよ」
前の男は無言で振り向き、歩き出した。後ろの二人もそれに続く。
「行くぞ。夜になる前に大きな瘴域を抜けられる様に、せいぜい祈るといい」
真ん中の男が嘲る様に返す。
「祈れって、俺たちゃ一蓮托生だろ? それとも嫌みか? お前さんにしちゃ珍しいな」
言葉はそこで切られ、再び薄暗く沈黙した森の中に足音が響き始めた――。




