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緊急クエスト『寝室に潜入せよ』

 脳内で先ほどの出来事を反芻しつつ、脱力して地面に倒れていたら、アイシャに動きがあったのでそちらを見ると、彼女は手で口を覆い隠しながら大きなあくびをした。

 初めて見たな。もしかして眠いのかな?


「ああ、ゴメンね? 別にカイトの事が心配じゃない訳じゃなくて……。昨日ほとんど寝てないから我慢できなくなっちゃって」


 いや、この状態を心配されるのも困る。早急に起き上がるべきだな。勢いよく上体を起こし、そのまま手を支えに立ち上がる。アイシャはその間にも、もう一度おおきなあくびをした。


「あれ? もう大丈夫なの?」


 思えば昨日の俺は、死にかけていて、いつごろ回復し始めたのかは分からないがその間、彼女はずっとつきっきりで眠ることもなく看ていたのかも知れないな。

 そう考えると再び感謝の念が湧き起こってくる。そんな状態で今まで付き合ってくれていたのか……。いや、あの罰ゲームは除くけど!


「眠かったり、疲れているのなら、休んでくれていいぜ? ここには危険もなさそうだし、俺の方は一人でも何とかなると思うし」


 アイシャは眠そうな目をこすりながら答えた。


「うん……。それじゃあ、お言葉に甘えて、寝させてもらうね……。もし、何か用事があったら起こしてもいいからね? ここには魔物は出ないけど、狼とか蛇はいるし、森に入るなら注意してね。お腹が減ったらシチューの残りとかパンを勝手に食べてもいいからね? ふわぁ。それじゃあ、また後でね、おやすみぃ」


 「おやすみ」と言葉を返す。

 彼女は反転し、家の入り口へと消えて行った。先ほどまでと打って変わって本当に眠そうな足取りだ。

 家のドアが閉められ、続いて寝室側のドアも閉められたのだろうか? くぐもった小さな音が聞こえた。その後は、場を静寂が支配していた……、残された『俺のイメージ』的には、だが。

 彼女がいなくなった事で確かに人の声は聞こえなくなったが、ここは生き物の溢れる森の中だ。静かになる訳がないだろう!? 二人でいた時は、あまり気にならなかった周辺の音が、突然あふれだした洪水の様に鼓膜に反響しはじめる。


「だあああ! うるせぇ! ……いや、冷静になれ。久しぶりに意識したからうるさく感じるだけで、この程度なら騒音とは言えないはずだ」


 そこら中の木という木に何百羽もの鳥がとまっているとでも言うのだろうか、鐘の中に入って外から絶え間なくつかれているかの様に、鳴き声がこだまする。その陰に隠れて地面ふきんでも森の中からは、様々な距離感で低い声や高い声が響いていた。動物の鳴き声だと認識できるモノはまだいい。少し聴覚に集中してみれば、背後にある深い草地からは絶えず何かが動き回る音が聞こえてくる。


「こんなに音で溢れてたのか……。は、ははは。これは、独りでいてもまったく寂しくないなぁ! うるせぇ!」


 さて、何をするかな……。考えついでに彼女の先ほどの言葉を思い返しなぞってみる。うん? そういえば、パンはともかくシチューの残りって火を熾せないと温められないよな。彼女は当然の様に出来るから見落としていたのだろうか? 冷たいまま食べる訳にもいかないかな……。そうか、あの地下室も明かりを灯すのに精霊の力を利用した仕掛けがあるんじゃ? 俺が一人で入ると多分、真っ暗だろう、その中で探しものをするのも大変そうだ……。まあ、今は腹は減ってないんだし、飯の事は考えなくてもいいか。


 この森にはあの一つ目じゃない普通の狼もいるんだな。出会うと危険かも知れないけど、ちょっと見てみたいかも。外見に大きな差異があるのかはそれなりに気になる。


 とりあえずは――。先ほどスルーしたあの場所を見に行ってみるか。

 あの簡素な小屋の方を見やると、全体から黒い靄が立ち昇っている様に錯覚してしまう。


「そんな訳ないんだけどな……。俺の予想が正しければ、あそこは……」


 少しずつ歩を進め、小屋の側へと辿り着く。いちど深呼吸をしてから緩慢な動作で覗き込むのだった。


「うわぁ。やっぱりかぁ……」


 中は獲物の解体を行う場所の様だった。真ん中に巨大な丸太製の台座があり、その割れ目には、大振りのナイフが刺さっていた。ナイフは既に洗浄されたのか、汚れている様子はなかったが、これを使って捌いたのは間違いないだろう。

 中に踏み込んでみると微かな腐敗臭らしき匂いがした。気分が悪くなるほど酷い訳ではないが、昨日の彼女の状態を想像してみると、ここの清掃にかける時間もほとんどなかったのかも知れない。


 左の壁に目をやると、あの一つ目の物と思われる毛皮が剥がれてぶら下げられていた。そこに肉の匂いでも残っているのか、ハエらしき虫が数匹はい回っている。


「目のとこの穴が一つしかないし、間違いないな」


 先ほど外から見た時に血らしき物の痕跡が見えたが、中には壁、床を問わず所々に赤黒い模様が描かれているのだった。かなり古いモノもある様だ。壁とかは洗浄しなくてもいいのか……? 確か血の精霊に頼めば、血の汚れも簡単に落とせるって言ってたよな。


「しっかし、こういう虫はちゃんといるんだなぁ」


 右の壁には解体どうぐなのか、幾つかナイフが掛けられていた。どれも良く手入れされているのか、血も付いていないし、錆びも見当たらない。その隣には作業着が掛けられていた。

 小屋を抜けた奥にも虫が数匹とび回っているのが見えたので、そちらに恐る恐る進む。

 毛皮にたかっていた虫が、俺に気付いたのか周りを飛び始めた。


「うわぁ! 気持ちわりぃ! 近寄んじゃねぇ!」


 両手を振り回して、虫を払いながら奥へと進む。そこは小屋と森の間にある小さなスペースだった。虫の飛ぶ地面に目をやると土が少し盛り上がっており、白い何かが見えた。


 これって――!


「ぎゃあああ!? 誰か死んでるぅぅぅ!?」


 訳ないか……。多分、奴らの白骨死体だなこれ……。高温で燃やされて埋葬されたのか、骨は崩れてまとまった形を失っていた。いや、わずかにだが、処理されていない骨も混じっている様だ。時間がなくてとりあえず埋めたのだろうか? 虫がたかっていた原因はそれか? 鼻腔はやはり微かな腐敗臭をとらえた。


「墓……ね。手でも合わせとくか? 俺も命を狙われた危険な怪物だったけど、もう死んじゃってんだし」


 いや、待てよ。先ほどの食事の後に終わりの儀式はなかった。取り込んでてそれ所じゃなかったしな。……ここで言うのはおかしいかも知れないが、命に感謝するという意味ならそちらの方がいいか。


「ごちそうさまでした」


 いや、何か白骨死体に向けて言ってるのも猟奇的な気がしてきたぞ。……とりあえずこれで化けて出てくれるなよ? 地球ではあり得なかった事も、この世界では本当に起きかねない。


「さあ、戻るかぁ。こんな虫がぶんぶん飛び回ってる所に長居したくないしなあ。うん? こっちにも何かあるな」


 家の裏手は森との間に幅が三メートル程度のスペースがあり、そこには毛が毟られた皮が物干しの様な設備に掛けられている。近くには大きな桶が幾つかあり、どれも蓋は閉じられていた。そばの小さな木製の棚に両側に持ち手の付いた奇妙な刃物が立て掛けられており、その上には毛の固そうなブラシと骨を削りだした様なナイフが置かれていた。皮が干されている設備の奥には下部が地面に埋められている一メートル程度の丸い柱と、斜めに置かれた厚い板が見える。奥のスペースには、家の外壁から迫り出した簡素な屋根があり、その支柱も二本たっていた。ここで何か作業をしているのだろうか……。


「これ以上みてても、何か分からないし、戻るか」


 来た道を戻り、小屋の入り口を出た所で気付く。


「この小屋の隣、まだ森との間にスペースがあるな。何かあるのか?」


 覗き込んでみると、そこにはまた丸太の台座があり、今度は割れ目に斧が刺さっていた。


「ここは薪割り場かな。家の中にあった薪はここで作られてたのか」


 隣の小屋側の地面には小枝も落とされずに、樹皮もそのままの大振りの枝が積み上げられている。反対側には既に小枝も皮も処理された物が積まれていた。


「やっぱりアイシャも良く働いてるんだな。当たり前かもだけど」


 自分にも何か出来る事がないだろうか? 家の前の広場に戻ってきて、一度のびをして青空を見上げる。空を舞う鳥らしき黒い影が見えた。今、一番の問題はやはり井戸の汚染なんだろうな……。地面へと向き直り顎に指を当て、過去に見聞きした知識を総動員して考えてみる。

 そこで妙案が閃いた。


「そうだ! 出来るかどうか分からないけど、浄水器を作ってみよう! ……あ、いや、それは大袈裟か、簡単な濾過器かな」


 ここにはペットボトル何てないし、土台から自作する必要があるのか? とにかくやってみるか。でも、アイシャにいちど起きてもらわないと、必要な材料や道具があるか分からないな。……いったん家に戻るか。


 家の入り口に立ち、緊張の面持ちでドアに手をかける。

 何でこんなに緊張してるんだ。別に入っちゃいけない訳でもないし、悪事を働く気もないのに……。

 徐々に開かれたドアは軋み、音を立てた。目の前のテーブルには、まだ先ほどの食事で使われた食器などがそのまま残っており、頭の中には、食べた物のイメージが甦るのだった。


「う、あの目玉が……」


 思い出すと眩暈がしてくる。ドアを慎重に閉め、次は左手の寝室の入り口へと向かう。

 そうか……。彼女が寝ている場所に侵入すると感じてるからこんなにも緊張するのか……。ドアノブに伸ばす手は小刻みに震え、額からは一筋の汗が流れ落ちた。口は渇きを覚え、生唾を飲み込む。小声で自分に言い聞かせる様に、呟く。


「何もやましい事なんてないはずだ……。あ、開けるぞ」


 潤滑油が切れた様な重苦しさの漂う腕の関節を無理やり動かしていく。徐々にドアは開かれ、その奥の部屋を見通す視界が広くなっていく。瞬きもせずに動作を終えた。そして壁に身体を隠しながら寝室を覗き込むのだった。


 数時間前には自分の寝ていた場所だが、視点を変えてみれば、異なる物が見えてくる。あのベッドの頭側の壁、こんな風になっていたのか。ベッドの左隣りには大きな姿見が壁のくぼみに丁度良く収まっていて、順に右に視線を移していくと、世界地図、右端の机のあたりには、女性の肖像画が掛けられていた。


 あの絵、エルフの女性か……。暗いし遠目で分かりにくいけど、どこかアイシャに似ている気がする。


 アイシャはベッドに寝てるみたいだな。そういえばこの部屋、前より暗くなってるか? 明るさの違いに気付いて、左の壁に目をやると、窓のカーテンは閉じられていた。目を覚ました時に見たレースのカーテンの陰には遮光性のあるカーテンが隠されていた様だ。床とベッドの端へと届いていた光も今は見えない。


 身をかがめ暗い部屋に少しずつ、出来るだけ音を立てない様に、慎重に踏み込んでいく。一歩、一歩の体重移動を確かめながら、床からの反作用を感じ、衣服の擦れる音、自分の呼吸、心音さえも消し去る様に……。く、くくく。お、俺はステルスゲームは大得意だったんだ。こんなの朝飯前だぜぇ。


 だが、寝ている女の子の部屋に忍び込むという『クエスト』は生半な難易度ではなかった様だ。そもそもの達成目標を見失っていたのが問題なのだが。欲望に忠実な心に葛藤が襲い来る。ま、不味いぞ!? ここで、立ち上がらなければ、彼女の寝姿を拝めない! だが、立つ時に床が軋むかも知れないぞぉぉぉ!? そ、それでも、俺は――! 見たいんだ!


 息を殺し、徐々に足腰に力を込めていく。ベッドの端から上へと視界が開け、少しずつ彼女の姿が見え始める。い、いいぞ。今の所は順調だ。く、くくく。も、もうすぐ――!


 中腰になった辺りで足元の床が比較的に大きな音を立てた。し、しまった!? 気付かれて――!?


「んんぅ。カイトのバカ、ヘンタイ……」


 寝言か!? 寝てても夢の中で罵倒されてるとか納得いかないぞ!? それとも本当に気付かれて!?


 慌てて彼女の様子を確かめたが、アイシャはベッドの上で安らかな寝息を立てていた。呼吸に合わせて重力に捕まった『豊かな実り』が上下する。そしてベッドの脇に置かれたブーツが示す様に、彼女は素足だった。薄暗い寝室でもしなやかな白い脚が怪しい輝きを放つ。


 その様子を目に入れた瞬間に堪えていた息が荒くなり始める。こ、これは――、不味いぞぉぉぉ!? 呼吸を鎮めるんだ! で、でもこの姿――、まるで女神だ!


 心の声に呼応する様に、我慢しきれず大きく息を吐き出してしまう。先ほど女神と呼んだ舌の根も乾かぬうちに、今度は邪な想念が心を侵食し支配していく。こ、腰の辺り、服もそのままで寝てるからきつそうだな。ゆ、緩めてあげたい。視線を身体のすぐ上に移す。い、いや! 緩めるのなら『豊かな実り』が良いぃぃぃ! 窮屈な衣服に抑え込まれたあの膨らみを! 自然のままの! ありのままの姿に解放してあげるのだあぁぁぁ!


 心の中でありったけの想いを叫び、再びベッドに目をやるが、その変化に愕然とする。


 えええ!? い、居ない――!? 一体どこへ!?


 なんとベッドの上に横たわっていたはずのアイシャの姿は忽然と消え失せていたのだ。その場にはめくれた薄い毛布だけが残されていた。


 突然、背後から首筋をつつかれる。


「うひゃあ!?」


 頓狂な声を上げ、驚きと恐怖から硬直する身体に冷たい声が浴びせられる。


「ふふぅん。カイトったら、こんな所でそんなにハァハァしちゃって、いったい何をしてたのかなぁ?」


 アイシャなのか!? ま、また一瞬で後ろに回られて――!? ハンターモードになってる!? いや、この状況じゃ『アサシンモード』!? 慌てて後ろを向こうとするが、肩と腰を押さえられただけでまったく身動きが取れない。


「ふふぅん。動いちゃダメだよ? ちゃんと答えを聞くまでこのままだからね?」


 不味いぞ。完全に狩人の声だ――!


「ま、待ってくれ! 用事があって部屋を訪ねただけで、何もやましい事なんてないんだ! 信じてくれ!」


 背後の気配はまだ剣呑として、まるで背中に突き刺さる様だ。


「用事があったのならぁ、普通に起こせばいいんだよぉ? 私、起こしてもいいとは言ったけど、寝てる所をえっちな目で観察してもいいとは言ってないよねぇ?」


 完全に気付かれてたぁ!? 狸寝入りだったのか!?


「ほ、本当なんだ! 作ってみたい物があって、それの材料や道具があるか確かめようと――!」


 ここで背後の気配はやっと穏やかになった、気がする。多分。


「ふぅん? 何か作りたい物があるの? 寝てる私の姿に興奮して襲い掛かろうとしてた訳じゃないんだね? ほんとかなぁ? ……怪しい気配を感じたから睡眠を中断して起きちゃったんだからねっ!」


 んなぁ!? 気配で起きたって、武術の達人かよ!? そ、それに見て興奮してたのは事実だけど、襲うなんてこれっぽっちも考えてないぞ!? 苦しみから解放してあげたいと思っただけだあ!


「ふふぅん。カイトのさっきの戦いでの勇気を評価してぇ。許してあげたけど。こういう事を何回も繰り返すのなら、お姉さん、また『罰』の事を考えないといけなくなっちゃうなあ?」


 無言で頭を激しく左右に振る。


「ほんとに分かってるのかなぁ? 怪しいな……」


 ここでまた弁解をし続ける事になるのだろうか? 思えば、本来の目的を忘れ、寝室に忍び込もうと思った時点で、このクエストは失敗していたのかも知れない。彼女の役に立ちたいと言う純粋な動機も、目先の『豊かな実り』にはかなわないのであった――。

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