『物質透過』対『時空間変換』
爆発の強烈な衝撃を受けた心臓が、撓み、正常な動作を止めようとしていた。
「終わり――にござるかな?」
不味い――このまま倒れ込んだのでは、間に合わない。床への距離が遠すぎる――その過程で脳への血流が破綻し、意識を失うだろう。
ひとつだけまだ手がある! だが、それを成すには腕を使ったのでは遅い! 身体の各部を最速で動かさねば!
昏倒の前に、力を生むには――。
「――んんッ!? 前や後ろに倒れるのではなく――この動きは何を狙って――」
意識が薄れ行く中、足を透過し、沈んでいく身体に合わせ、ふくらはぎを使い、足首を後ろへ逸らしていく。そして、最小の動きで落下の準備を整え、透過を解き、重力を感じながら、真っすぐに落ち、膝を床に叩きつける。
「最速の動作で、意識を失う前に、膝をついたッ!? しかし――それで一体なにが」
通常の関節の屈曲の過程を無視した、強制的な直線の落下。それにより、全く無駄なく最速で床へ膝を打ち付けた。痛みを感じる間もなく、重心が一気に下方へ移動し生んだエネルギーと、叩きつけられた両膝が受けた衝突のエネルギーを合成し、それを――左胸の奥、心臓へと送り込み、ショックにより止まりかけていた心筋を無理やり動かし、拍動を再開させる。
「ぬ、ぬううッ!」
何とか再び動いたが、しばらくは力を送り続け、補助する必要があるか……。それは、この男との戦いの最中に継続できる行いか……?
「は――ははは! 素晴らしい、実にエクセレントッ! 倒れ込んだのでは間に合わないッ! 故に――自傷的なやり方で、爆発的な運動エネルギーを生み、それをもって止まりかけた心臓を強制起動するとは――!」
やはり、この男の目には、私の体内での現象までもが見えている……。
「死に向き合う中での、その機転ッ! 侮り難し――お主は、間違いなくヒトを越えているッ!!」
心拍が不安定な中で、シスが今までにない口調を表し、こちらを褒め称えるのが聞こえた。その間にも、あのボンドとの激戦で編み出した防御の神髄を思い起こし、肉体を絶え間なく動かし、生まれたエネルギーを心臓へ送り込んでいく。
小刻みな肉体の動きを継続しつつ、立ち上がり、痛みを訴える膝を押して構えを取る。
「膝は……大丈夫ですかな? 今までの非礼、ここに謝罪いたしますよ。この通り……。お主は、間違いなく、ここで命を落とすような人物ではない。いや――奥に待つ、アレにすら敵うかもしれない」
シスは奇妙なほど態度を改め、誠意を示すように深く頭を下げ、謝罪の意思を表した。
「何の……つもりですかな? その態度こそが、貴方の偽りなき実像であると?」
ここで眼鏡越しの瞳が、頬の肉に押されて歪むほどに、満面の笑みを見せる。
「そう――でござるな。落雷を受けたかの如く、心うたれ申した。故に、それをするのが、ごく自然であると……。しかし! 拙者には似合いませぬな! いや、全くお主の言う通りにござる! 一本取られ申した!」
笑顔は消え、真剣な眼差しに変わった。
「では――改めて。命を欲する訳ではござらぬが、しばし、手合わせに興じて頂きたく……」
この男の真意が読めない。だが、何かを、待っている……? そのために己の命を使い、時を稼ごうと。そこには如何なる覚悟が隠されている? 時が満ちた暁には、何が、始まる――?
「お、おい! やべぇぜ! あの爺さん、研究主任の必殺に耐えちまった!」
「落ち着けよ。まだ一回だけだろ。次くらったら終わりさ」
「そ、そうそう。あの分身の術を破れる訳ねえ!」
一通りのやり取りを終え、外野の困惑が聞こえる中で、再びシスが歩み来る。
ぬう。相も変わらず悠々と、恐怖など一切あらわさず、その心の内を知る事すら叶わない。働きに不安が残る心臓へ防御の神髄により、発生したエネルギーを送り、収縮を補助し続けるが、これでは元の目的であった防御が疎かになる。いや、余計な動作が増える分だけ、読み合いで不利にすらなり得る。
「その全身の協調運動。先の心停止の危機を脱しはしたが、いまだ、働きは十全とは言えぬようでござるな。元は何のための技術かは計り知れぬが、それを維持しながら、拙者の分身に抵抗できるでござるか?」
そうだ――、あの分身の術。あれの原理も分からぬまま。次にまたあの爆発を受ければ、ただでは済まないだろう。
胸部に強烈な力を感じたが、奇妙な事に外傷は全く見当たらない。何らかの方法で体内にのみ力を送り込んだのだ。
「その目。何か感じ取れたでござるか? 拙者の異能を破る答えにつながる何かが――」
問いかけには答えず、無言で拳を突き出す。
「それを繰り返すばかりでは、結果は変わり申さん」
また時間と空間の変換が仕込まれているのだろう。ならば、それを崩す方法を探るのみ。
「ほ。凄まじい拳速でござるが、これでは拙者には――」
拳が触れたと思った。実際には何の感触も返らない、しかし、その瞬間を確かに目視し、すぐさま打ち込んだ姿勢を残した幻像を生み、秘密裡にその陰に隠れる。
シスはこちらの陽動に気付いていないのか、再びあの分身の術を使い、生み出されたもうひとりが近寄って来る。
ぬ――! 何かがおかしい、先のような目にも止まらぬ速度が失われている! 何か――条件が違うのだ……!
「はて? 思ったより速度が出ないでござるな。先の――十分の一にも満たない……」
目を凝らせ、先の爆発の解を得るのだ。
「ほ~う。なるほど、この打ち込みの動作を取る、これ。お主の姿を象った幻覚でござるな? 道理で発生する運動エネルギーも微弱だった訳でござるな」
ぬう!? 早々に看破されただとッ!?
「後ろに隠れているのが、透けて見えるでござるよ。――諦めて、もう一度、先の一撃を受けるつもりでござるか?」
幻像が掻き消され、もうひとりのシスが背後に隠れた私を捉えた。
ぬ! まただ、後ろにいたはずのもうひとりが消えた。
まだ、何が起きたか分かった訳ではない。しかし、二人に分化したどちらかが消える事。それ自体が必殺の一撃の合図ならば――!
「さて、もう一丁。出前の追加オーダーでござるな。受取先の指定は――心臓! 覚悟めされよ」
その時、確かに感じた。心臓への違和感を。急速に心筋に異常が起き、再び動きを止めようとし始める。
死の予兆を――。
「このまま受ければ先と同じッ! どうせ死地を彷徨うならば! せめて自らの意志で――」
感じ取った力が影響を拡大する前に、首から上を除いた大部分を完全に透過し、外部から入り込む謎の力を強制的に遮断した。
「おっほおお!? これは、この変化は!?」
間合いの内に踏み込んできていたシスの身体がブレ、そこから途轍もない力の波動を感じた。だが、それは再び爆発を生む事なく終息し、感嘆の混じった小さな声が漏れる。
「物質透過とは――! 即座に心臓への異常を察知し、それを強制的に遮断し、拙者の必殺技を透かした――!」
驚嘆と同時に、狂気的な熱情を感じさせる言葉が続く。
「全く底知れぬ力にござるなあ! それでこそ、それでこそでござるよッ! それでこそ試す価値があるというモノッ!」
力の影響が解けたかどうかは、透過しているため分からない。だが、シスのただならぬ様子から、今の一撃は不発に終わった事を悟り、すぐさま透過を解き、全身に再び血液が巡るのを感じ、寸時の安堵を得て、また心臓へエネルギーを送る動きを再開する。
「確かに、それで影響を遮断すれば、拙者の必殺技、今の用法では致命打は与えられませぬな!」
ぬう。その言葉……。別のやり方もある事をほのめかすか……。
「さて、一度この用法は破られた。であれば、ひとつ報酬がわりに、今の力の秘密などを」
まただ。そうやって自らの秘密を簡単に打ち明けようとする。それすらも、何らかの策の内なのか――?
「先ほど、殴られたはずの肉体は、お主の時間を消費し、未来の拙者の空間座標に移動する事で無効化したと話したでござるな? しかし、それはあくまで相手の時間を対価とした空間の移動……。つまりは、拙者じしんの時は消費されずに保留されているのでござるよ。――故に、保留された自らの時を消費することで、もうひとりの自分――分身を生んだのでござる」
なるほど、そういうからくりでしたか。解説された所で、その原理などほとんど理解は出来ませんが、何が起きたのかを朧気には掴めますな。
「そして、もう感づいているのではござらぬか? お主に打たれたはずのひとりが、消えたでござろう? あの瞬間に、心臓に不可解な負荷を感じたのでは――? それが答えでござるよ。未来へズレ、お主の拳打を無効化していた肉体が消滅する時に、ついでに体内にちょいとした細工を施し、死を再現したのでござる。結果としてそれが心臓の力を極端に弱め不全に陥り。……後は、分かるでござろう? その死にかけの心臓とお主の物との力を入れ替えた。本来ならば、数拍で効果の消える心臓の弱体化。そこへ外部からの衝撃を送り込む事で、追い打ちをかけ、弱った状態を持続させる」
「どれ。これが、先の技の正体でござるよ。得心がいき申したか?」
長々と続く解説に、どうしても問いかけたくなる。
「何故……。そう易々と秘密を語るのですかな?」
それに奇妙にさえ映る破顔が返る。
「拙者、研究者でござるが、秘密主義は信条に合い申さぬ。故に、破った者には、全て伝える事を密かな美徳と自称してござる」
「そんな答えで、納得は出来かねますな」
「ほ! それもそうかも知れませぬな! では――」
シスはまた無言で揺らめきながら迫りくる。
先の言から、あの分身にも様々な発現ほうがあるはず。一度やぶったからとて全く油断は出来ない。
思いついたひとつの戦術を試すため、踏み込み、拳を突き出した。
「ふ~む。お主の分析力からして、この繰り返される拳打は、いささか不可思議でござるな? 何か――先とは異なる狙いが」
まずはこの男の能力に揺さぶりをかけ、効果が現れる条件を洗い出す。
シスの身体に伸びる腕を、途中で透過させ、感覚が薄れゆく中、何度も解いてかけてを連続し、徐々に迫っていく。
「――ッ!? これは――物体としての情報が途切れる事で、時間の消費が計測できず――」
拳の先端が、シスの身体に触れようとした瞬間に、完全に透過を解き、そのまま最後まで突き出す。
焦りを浮かべた表情が一瞬みえ、そこにいたはずの身体が忽然と掻き消える。
「ぬうッ!?」
何処へ消えたッ――! また分身したのかッ!? いや、周囲にそれらしき気配はない。では――、一体どうやって逃れた?
「気配――でござるか? どんなに速く動こうと、それを察知されれば、お主の感知網から逃れる事は出来ない」
後ろ――!?
「ぬうッ! 先ほどまでの動きとは全く質が異なる! この寸時に、どうやって後ろへ回った!」
前方に跳びだしながら、空中で反転し、攻撃に備える。しかし、背後へ回ったシスは動きを止め、両脚を除いた全身を小刻みに痙攣させた。
「……どうしました? 絶好の機会を不意にするとは」
痙攣が徐々に治まり、シスは指先で眼鏡を弄ぶ。
「いやあ、慣れない事はやるものではござらぬな。少しばかり、戦士の真似事を、と思ったのでござるが、これは中々に堪える」
一切みえない動き? いや、また時空を操ったのか?
今の言を解釈すれば、確かに戦士の真似事と言った。ならば、限界を越えた身体能力の向上だろうか? もし、それが異能なしで出来るのならば、恐ろしい想像に行きあたるが……。
「ぶふふ! また悪い想像にかまけ、目の前の現象を読み違えたようでござるな。ええ、顔を見れば一目瞭然にござるよ」
今の動きの原理は不明だ。だが、先の一撃、異能による時の消費を欺き距離を詰めた。やはり、完全な透過状態を維持した場合、移動しても力の対象とならない可能性が高い。
「迷いを与え、判断を誤らせる。それも一興、しかして拙者の矜持にはそぐいませぬな。今回は、解説よりも――」
シスが右腕を振り上げ、一気に振り降ろし、それを腰を曲げながら床に打ち付けるように動かした。
その瞬間――。
「――ッ! また消えた!」
いや、違う。視界から消えたと錯覚する程に、速い!
一瞬で目の前に現れ、こちらの左胸へ手を伸ばす。
「生体の時間的・空間的リソースの消費。それは、常に他人が必要な訳ではござらん。このように自らの腕を振るい、まだ表には現れない次元の狭間にて、待機させた実体へと、費やした時と空間を、加算したのでござるよ」
自身の肉体のみで完結し、これほどの加速を得られると!?
「まあ、加速に費やした部位は、一時、解けぬ硬直に見舞われる故、万能とはほど遠い欠陥仕様にござるが!」
左胸に伸びた掌は、明確に心臓を狙っている。再び力を加え、心停止を起こすつもりだろう。その意図を感じつつも、防御と攻撃。どちらを選ぶべきか、判断に迷い、対応の遅れを自覚し、逡巡する――。
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