表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
156/160

異能『ひねもす無謬』

 鋭く心臓を射貫くような視線が、こちらを離さず、徐々に歩み来る。その足音が、広い空間に反響した。


「では――戦いを始める前に、皆にこの御仁の情報を幾らか共有するでござるか」


 研究主任と呼ばれた、その肉体は、だぼついた制服に覆われていはいるが、明らかに細く、脆弱に思える。とても戦えそうな身体には見えない。腕や脚の筋肉などは、枯れ木のようだ。


「おや、おやおやあ! 服の上からでも、こちらの肉体の貧弱さを読み取ったようでござるな? ぶふふ! 流石と言うべきか、それとも――」


 何だ……? この薄気味悪い感覚は。まるで思考を読まれたかと錯覚するが、恐らくそうではない。ただ、こちらが発する身体的な情報から答えを導き出したのだ。……それもまた、想像でしかないが、この眼鏡の男の視線には、そう思わせる何かがある。


「……全く信じられない事にござるな。しかし、残念な事に間違いないようでござる」


 まただ……! 今、確かに何かが――凍り付いた。


「皆の衆! 驚くことなかれ! この、目の前の白髪の老紳士! その正体は――何を隠そう、まごうことなき――あの伝説の騎士、『デトマソ』本人に相違ないでござるよ!」


 後ろに控えていた面々がざわつき、疑念を表し次々と文句をつける。

 その名……それを、今の前置きを挟んで語るからには、恐らく――。


「デ、デトマソって、まさか――あの、『暗殺騎士デトマソ』かッ!?」


 やはり……。一体どうやってそれに気付いた……?


「て、帝国が新都に居を構え、新たに生んだ暗部とも呼べる一面! そ、その最初の一人であったと言う……」


「帝国の暗殺者の始祖――」


 場は騒然となり、男たちはまた内輪の話に夢中になる。


 やれやれ。今から戦うつもりだったのでは……。研究者とはこういったモノなのだろうか? 自らの命が危険に晒される状況で、目の前の未知に飛びつくとは。


「し、しかしだな! デトマソが生きたのは、およそ二千八百年も前だぞッ!? そ、そんな時代の『ヒト』が――今も、生きている訳がないだろうッ!?」


 ここでシスが再びこちらを横目で捉え、笑みを浮かべる。


「ヒト――で、あったならね。ぶふふ!」


 軽薄な笑いに隠された、凍りつくような恐ろしい本音が見えた気がした。


「ああ~。考えれば、考える程、拙者に勝ち目があるとは思えないでござるな。乗り掛かった舟ではあるが、正直な所、今すぐ下船きぼうでござるよ」


 その言葉とは裏腹に、シスは恐れなどおくびにも出さず、まるで近所に散歩に出かける様な足取りで近寄って、お互いの手が届きそうなギリギリの所で止まった。


「……もう、私の間合いの中です。本当に、拳を交えるのですかな?」


 あまりにも大胆不敵。眼鏡越しの視線は、こちらを睨み続ける訳でもなく、興味の赴くままに揺れ動く。


「ぶふふ! お主の高名は、かねてより存じ上げておりますよ。ええ、それはもう。ただし、御伽噺の中で、ござるが」


 唾を撒き散らすように不快な口を尖らせた笑い方も、相手の嫌悪を誘い、隙を突く手に思えてくる。


「では――」


 驚いた事に、シスは無防備な姿勢のまま更に踏み込んでくる。


 その大胆さに無意識のうちに反応し、右腕が動き出していた。


「おっほおお! 速い、速い! なんという拳速でござろう! あまりの速さに、拙者、目が回り申した!」


「――ッ!?」


 なんだ……? 何が起きた!?

 鼻を突き合わせる程の距離に、無防備に踏み込んだ、そのまま打てば鳩尾に、拳がめり込んでいたはずだ。だが、何の手応えもなく、シスは、まるで拳の先端に押されたように、後ろに下がっていた。更に不可解なのは、肉体の動きを一切ともわない移動の現れ。脚が動いた様子も全くないのに、直立不動のまま回避する。


「ぶふふ! 分析中のようでござるな? 何が起きたか! それが分からねば、勝機は遠のくばかりなりぃ――!」


 もう一度、こちらから踏み込み、左拳を弧を描くように振り抜く。


 しかし――。


「おっほおおッ!? 当たるかと思った! いやあ、本当に恐ろしい速さでござるな。一体どんな修練を積めば、その段階に辿り着けるのか、拙者のような凡愚には、計り知れぬ事柄にござるよ!」


 何だ……? 左拳は、確かに側頭部へ狙いをつけた。だが、また何の手応えもなく、シスの身体は、拳の先端にぴったりと貼り付いたように、右にズレていた。


 当てようと狙っても、かすりもしない……?


 ならば――!


「おおおおッ!」


 両腕を連続で繰り出し、ひたすらシスの頭部を狙い、挟み込むように拳を振り続ける。


「ひょおおおッ!? こ、これが伝説の暗殺者の拳の冴え!? まるで空間を薙ぐように、鋭く速いッ! 拙者、矢も楯もたまらず、感涙にむせび泣き――」


 シスの身体は、打ち込んだ拳から自動で距離を取るように、軌道上の終点へとズレていく。その自然のモノとは思えない奇妙な動きは、右の打ち込みで、左に回避した直後に、すぐさま左拳を右に避けるという、本来なら不可能なはずの動作を現す。


「す、すげぇ――! 速すぎて全然みえないのに、シス研究主任には見えてるのかッ!?」

「何回みても、全くあの人の能力が理解できねぇよ!」

「あれだけ、激しく攻撃されても、かすりもしてないッ――」


 外野が騒がしいですな……。しかし、確かに能力と聞こえた。であれば、これが、何らかの異能であると……?


「ぬううう!」


 正体は全く見えない! だが、これならばどうだ――!


「おっほおおッ! 頬を撫でる風が、心地いい。……はっ! 閃いたッ! 何らかの自動的な動力を確保し、自然に近い風を起こす装置! そんな物があれば、大儲け間違いなしにござるなッ! 拙者の研究資金も潤沢になる事うけあいでござろうッ!?」


 左右から同時に頭部を挟み潰すように打ち込んだが、シスは奇妙な動きで前面にズレて、事なきを得る。


「ぬうううッ!? 面妖な!? 両側から同時でも、躱すとは――」


 その言葉に、訂正が加えられる。まるで、間違った答案にバツをつけて考え直すように仕向ける、教師の如き態度で……。


「おっと、それは少々、的外れにござるな。拙者、これほどの拳速を躱し得る動体視力も、反射神経も持ち合わせてはござらん」


 眼鏡が薄明りの中で、怪しく光った。


「――では、一体なんでござろう? 躱す、が間違いなら、この現象の解は如何なるものでござろう? さあさ! 楽しい推理の時間の始まりにござるな!」


 その言葉が投げかけられる間にも、上と下からの軌道で挟み潰しを狙う。様々に角度を変え、両側から同時に拳打を繰り出す。だが、その悉くがまるで宙に舞う羽毛を殴りつけたように、手応えもなく、位置がズレて、無効化される。


「う~ん。うん! やはり、同じことの繰り返しでは、少々、刺激が足りぬと見える。それでは徐々に興味も薄れ、頭の働きも鈍くなるというもの。ならば――趣向を変えて、こんな感じはどうでござろう?」


 その瞬間、心臓の鼓動に、異常を感じた。激しく動く肉体に合わせて、拍動も速く強く、全身へと血液を届かせていた。それが唐突に、何拍も止まったかのように、遅く弱々しい脈を生む。


「ぬうううッ!? この――感覚はッ!?」


 身体が――思う様に動かせない……!


「おっほおお! 何たる力強き鼓動! 拙者の儚き血管が、決壊しかねぬ圧に無力に撓んで悲鳴を上げてござるッ!!」


 なん、だと? 今のセリフ。相も変わらず芝居がかっているが、聞き逃せない不可解な言に及んだ。


「心の臓の力を入れ替えた……?」


 自らの心臓の働きとは思えない、遅く弱々しい拍動は、数拍で元に戻ったが、その奇妙さに思わず左胸を抑えてシスを見つめる。


「リソースの変換……」


 シスはわざと伝わるように、こちらに理解しやすい形で力を発動させたのか。眼鏡越しの視線は、細く絞られ、私の持つ全てを見透かされたかと錯覚する。


「答え合わせの時間もまた、格別なものにござろう? どうでござるかな? お主の想像と、拙者の異能の実像は、どれだけ重なっておりましたかな?」


 自ら力の正体を語るか……!


「おっほおお! その目、怖い、怖い! じ、つに! 恐ろしいでござるな! しかし、心配ご無用! 拙者の異能。知られた所で、対処法など早々あり申さんッ!」


 拍動が戻り、打ち込みを再開するが、やはりかすりもせず、奇妙な位置のズレで躱され、その間にも溌剌と、己の力の秘密を語りだし、滑稽なまでの饒舌さに、形容しがたき怒りが湧き出す。


「今の作用。その解は、なんでござろう? その様子では、薄々かんづく、という段階でもなさそうでござるな。――では、丁寧に一から始め申そう」


 くッ――! 先ほどから全く同じことの繰り返しだ。こちらを小馬鹿にしたような語り口に、抑えようと努力しても、怒りを誘発される。


「先ほど、リソースの変換と言った、それは聞き洩らしてはござらぬな? それが分かっていれば、簡単な事。お主の時間を消費する事で、拙者の空間を産生し、座標に加算しているのでござるよ」


 何の話だ!?


「マジすげぇ能力だぜ。何回きいても欠片も理解できねぇ」

「見ろよ。相手の爺さん。あの伝説の暗殺騎士デトマソだろ? 全く対応も出来てねぇ、ざまあねぇな」

「ほんとに本物か疑念の余地があるが、伝説的な存在も大した事ないのかもな?」


 ぬう! 気が散る!


「もっと噛み砕いた説明を欲するでござるか? う~ん。とはいえ、これ以上、解きほぐす余地もないような……」


 シスはぽんと両掌を打った。


「おお! これなら分かりやすい! ……お主の拳が動き、それによってお主の時間というリソースが消費され、本来ならば拙者の身体に食い込み、破壊していたはずの拳打を、こちらの空間、つまりは三次元上の座標に加算する事で、無効化している。それは本来ならば、殴られた力によって、吹き飛んだ先の途上か。もしくは移動を伴わずに、部位に破壊をもたらす場合でも、そこに加わった力を生み出した時間的リソースが、結果として現す事象――打撃による座標の移動、部位の破壊。それを拙者の空間上の座標に加算し、移動かのうな隙間へと位置をズラし、結果的に、その力の影響じたいが、空間的リソースに変換され、費やされた事となる。故に、破壊は起きない」


 全く意味が分からない……。


「ぶふふ! 分からぬでござるか? 更に大雑把に端的に表すなら、お主が移動に消費した時間を、拙者の座標に反映。つまり、お主の現在での時間的リソースの消費が、変換され、拙者の未来の空間座標に加算されているのでござるよ。触れたはずの拳は、あくまで現在であり、未来には一切、届かない」


 私の現在うごいている拳が、その影響を受けたはずの未来へと移動する事で無効化されている!? そして、それは自動で行われると……!?


「お! その様子だと、イメージは掴めたようでござるな? 流石の理解力」


 ならば――逃げ場がない程に空間が埋め尽くされていれば、回避は不能ではないのかッ――!


「ふんッ!」


 腰を落とし、瞬間的に急速に移動した重心からと、踏みしめた床からの反作用を取り出したエネルギーを合成し、シスへ殴りかかる。

 ひとつの懸念があります。まずは、この手法で、それを確かめねば――。


「ほ~う? 発生した運動エネルギー自体を身にまとって、更に動きが高速に……」


 何だ? この男……私の動きが追えないのではなかったのか――!?


「ああ疑わしい、疑わしい! 一度、何かを疑えば、その他の全ても疑わしく思えてくるッ! それは、未知を解き明かすには適した態度でござろう。――しかし、こと戦においてはどうでござろうな?」


 何度となく感じた。何かが凍りつくような捉えどころのない違和感。それが、この男の異能が原因だとすれば――まだ、隠された何かがある!


「おっほおお! 先にも増して凄まじいキレ! 当たらないと分かっていても、冷や汗モノでござるよ!」


 ぬうう! やはり、かすりもしない!


「けれども、正体が見えていれば、ほれ。この通り――」


 シスの手が、僅かにこちらの拳へと動いたように見えた。その瞬間に、拳を中心にまとっていたエネルギーが霧散し、肉体を加速させていた力が一気に衰え、標準の速度に戻る。


「どうやら、お主と拙者、異能の相性が最高にいいようにござるな? これでは幾ら張り切ってみても、くたびれ損というモノ――」


 力を消されるのは想定の範囲内だ! 一度きえても、再び灯せば、炎は燃え上がるッ!

 打ち込みに伴い、固定されていた姿勢を瞬時に更に沈ませ、床より返る強い力を再び纏い、シスの顔面を打ち抜く。

 恐らくこれも躱される。力の消去も予想していた。だが、無影の鎧を破った。あの時の状態を再現できれば、届く可能性がある! そのためには、何度となく打ち込み、生まれたエネルギーの総量を空間を埋めるまで増大させねば!


「ふ~む。同じ動きも、繰り返し見るには限度がござるな。ここいらでひとつ――」


「ぬうッ!?」


 何だッ!? この現象は――!?


「分身の術、なんてどうでござろう? 西方の忍と呼ばれる者には、こんな奇術がありふれているとか――」


 こちらの拳の動きに合わせて移動していたシスの身体から、突然もうひとりが現れて、踏み込んでくる。


「速いッ!?」


 どうなっている? この男、素の身体能力でも一般人を遥かに凌駕するというのか!?


「ぬぐっ!」


 一瞬で肉迫したシスの華奢な拳が、頬に食い込み、想像を絶する威力と痛みで、困惑の呻きが漏れる。


「おっほおお! ヒトを殴るなど、平和主義の拙者にすれば、耐え難き邪悪の所業にござる。しかし――」


「こういう場合は、例外にござるな?」


 何だ? 私の拳が追っていたはずのもうひとりが、消えた――?


「昔――この現象を初めて成した時、ひとつの不可解な力へと行きついた」


 触れられてもいない胸部へと、外圧の高まりを感じた。


「ぬがあああッ――」


「どうでござろう? 所謂ひとつの、必殺技、という奴でござるよ」


 胸部で起きた局所的な爆発に、内部の心臓までもが、影響を受け、その動きが止まろうとしていた――。

評価・ブックマーク・レビュー・感想などいただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ