研究主任シス
骨と不可視の力を操った男を破り、山のあった部屋から踏み出し、周囲の状況を確認する。
「ふむ。そもそも、この部屋であれだけ激しく戦ったのに、誰も現れなかった。それを踏まえれば、この付近に他の保安担当者はいないと見て良いでしょう」
部屋の外を見て、静寂に多少の違和感を覚えたが、もう一度へやに戻り、山へ向き合う。
「犠牲者の遺体を、このままにはしておけませんな」
あの無明迷宮で生じた現象について、思考を巡らせ、可能となる筋道を描いていく。
「ふむ。こんな感じですかな?」
「ふん――」
膝を深く曲げ、重心を低く落とす姿勢を取り、そこで生じたエネルギーを右腕に伝わせ、拳を弾けるように加速し、ついで大気へ与える影響を極限まで高め、軌道に発火を生み出し、それを山へ投じる。
「それぞれ、葬儀の作法も異なるでしょう……。しかし、この場ではこれ以外の方法は取れません……。申し訳ない。せめて、魂に安寧を、再び目覚める来世には、貴方がたに至上の幸福が訪れる事を、祈りますぞ……」
燃え上がる炎に包まれる山を、しばらく見守り、その場を離れ、廊下へと出る。
左右を見回すが、両方へ道がつながり、どちらへ進むか僅かな迷いが生じる。
「ふむ。あの研究者は、答えに躊躇したまま、命を奪われましたな。しかし、このエリアの何処かに、遺体を搬入するルートが存在するはずです。そこを見つけ出し、他のエリアに移動しなければ……」
旧都に入り、これまで度重なる戦闘で、随分と時が経った。出来るだけ急がねば、もうすぐ夜明けかもしれない。眠っていた人々が、活発に動き出せば、地下とはいえ、この場の騒ぎを聞きつけ、新たな犠牲者を生むかもしれない。
「ロゼさまと、お嬢さまに誓った身です。それだけは避けねば」
火葬の炎に揺らめく部屋から廊下に出て、左右に広がる通路の右手へと進む。
「この壁……。木材でも、石材でもない。押したこの感触は、金属……? 所々に錆のような跡が見られますな。この施設は、三千年いじょうも前に作られたとしたら、その当時の技術で可能なのでしょうか……」
周囲の壁や天井の様子を見つつ、先の一戦で天井を激しく殴打しても、全く壊れる事がなかったさまを想起し、現代の物より優れて見える素材の不思議さに、首を傾げる。
「そういえば、通路に沿って設置されたこの装置は一体?」
壁沿いに、長い通路でも途切れる事なく、腰当たりの高さに謎の構造が続く。それは、他の場所で一度も目にした事のない物で、並んだ小さな車輪を覆うように蛇腹状の道がつながっている。
「この場所の機能を考えると、遺体の搬送ようの設備に思えますが」
目を凝らすと蛇腹状の構造の溝に埃らしきモノが見られるが、つい最近まで使われていたのか、他に目立った傷や破損はない。
「む……? おかしい。廊下の端の曲がり角……。この謎の設備はその先まで続いていますが、手前にある扉が、開いている……」
いや、開いていると表現するのは不正確か。何らかの力によって、こじ開けられた。
近づいていくと分厚く頑丈な扉の端が、限界を越えた力で掴まれたのか、ヒトの頭がひとつ入る程の厚みが、ひしゃげ、歪められ、内部の構造が覗いていた。
それにそっと手を当て、力を入れて確かめる。
「むう。この強固さ、とてもヒトの腕力で歪められるとは思えません……。では、この破壊の痕は、一体なにものが……?」
そこから手を離した時、掌に気味の悪い感触を覚え、粘液状の何かが糸を引き、垂れ下がった。
「これは――」
垂れた先の床を見ると、そこにも何らかの痕跡が見えた。しゃがみ込み、目を凝らして確かめようとした時、今まで嗅いだことのない奇妙な臭気を捉えた。
「何かが――這った跡、でしょうか? それにしても、この匂いは……。これを直接かいだ記憶はない。しかし、何処か引っ掛かる」
しばしの間、記憶を探ると近い匂いに思い当たる。
「海……? 微かに潮の香りに似た臭気が――」
複雑に混ざりあい、とりたてて特定できる程に強い匂いではないが、一度、潮の香りと感じ出せば、それが離れず、海の匂いのように錯覚し始める。
「どうなっているのでしょうな? 特定できる様な匂いではありません。それでいて頭を過った記憶が、確かに海を指していて、意識にこびりついて、離れない――」
その時、分厚い扉の隙間から覗く暗がりから、ガラスが割れるような音が聞こえた。そして、何かが焦げた匂い。複数のヒトの声も微かに混じり、徐々に賑やかになっていく。
「近い!」
この先に、何者かが。この実験所の職員たちだろうか? 真実がどうであれ、引き返す道はない。
壊れ、ひしゃげた扉のこじ開けられた空間に、身体を横向きに変え、ねじ込んで、強引に進んで行く。
「激しく重なる四つの足音。息を切らせ、途切れた発声。何かが起きているのは間違いない」
それに、ヒトの声には、確かに恐怖が表れていた。
「急がねば――」
※ ※ ※
燃え盛る炎に包まれたピラミッド状の山の付近に、動きを止めた異形の死体が膝をつく。その場に姿の見えない何者かの声が響き、火の粉の爆ぜる音に混じり、揺らめく大気の中に吸い込まれて行った。
「あ~あ。まさか、君までやられちゃうなんてねぇ」
返答はない。明るい炎の明滅と高熱の中で、ただ静かにひとりだけの声が聞こえる。
「……その姿、一度も見せた事もないモノだ。本気――だったんだねぇ。いつも、職務に忠実で、激しい感情なんて表す事もなかったのに」
動きのない屍の異形の右腕が、独りでに浮き上がる。
「こんなに肉体が、取り返しのつかない変形を遂げるまで、戦い抜いた。……敗れ、散って行った者を慰める言葉なんて、僕は知らない。ただ――いや、せめて、魂に安らぎが訪れる事を祈っているよ」
異形の屍は、空間に開いた不可視の穴に、内からめくれるように吸い込まれて行った。
「あ~あ。ここの施設も、本当に今日でおしまいみたいだ。今まで戦った、誰も敵わなかったけれど、最後までそう上手く行くかな?」
落胆の様でいて、実際は、期待が滲みだしている。不可思議な声は、何かを望んでいた。
「どちらにせよ、あんなモノが這い出て来たんじゃ、ヒトにはもうどうにも出来ないけどねぇ」
声の向けられた方角からは、何者かが這うような薄気味悪い音が聞こえてくる。それは、何かを探しているのか、ゆっくりと室内に入り込み、燃え上がる遺体の山へ近づいた。
「僕らが生み出した。直近での最高傑作と、アレの戦いを高みの見物としゃれこみたかったけども……」
声の発せられる位置が、にわかに入口の外の廊下がわに変わり、室内へ向けて響く。
「いや、もしかすると、それよりもずっと面白いモノが見られるかもねぇ」
また何か、興味深い事柄に行き着いたのか、声の明るさが増し、その場の状況に似つかわしくない軽薄さを帯びる。
「ここまで無茶苦茶に壊したんだ。途中で死んだりしないで下さいよ」
最後の言葉は、誰に向けられたのだろうか? そこで声は途切れ、再び炎の唸る音だけが空間を包んだ。
「暗殺者さん」
※ ※ ※
「こっちだ! このまま共有区画へ向かって、外へ逃げるぞ!」
慌ただしく響く、足音と声。喧噪に包まれた天井が見上げる程に高い、大きな部屋に入り込んでいた。反響した音が上部の開けた空間に吸い込まれていく。
「ま、待ってくれ。もう、息が切れて、脚も、まともに動かない」
先頭に立ち、他の三人を誘導していたひとりが、後方へ、励ましを送る。
「外までは、あと少しだ! 脱出さえ出来れば――」
それに否定的な声が重なった。
「本当にそうか……? アレが――外にもいたら……?」
その声に反応するように、後ろにいた三人が、足を止め、項垂れた。いや、最後尾のひとり、荒れた海の波を象る奔放に伸び、くねった薄い黄の髪の男。彼だけは、他とは違い、ただ何かを閃いただけなのか、すぐさま顔を上げ、興味深そうに周囲に目をやり、落ち着きなく動き続ける。
「ぶふふ。そうだねぇ。確かに、その可能性が高いでござるな。実際、拙者たちは、既に詰んでいるでござる」
先頭のひとりが、それに怒りを露にするが、罵倒を掻き消す声が、こちらを捉えていた。
「そこの御仁も、そう思うでござろう?」
なんと! 完全に気配を消して、成り行きを見守った。その状態で陰に潜んだ私を、まるで始めから気付いていたかのように、射貫くとは――!
眼鏡ごしの鋭い視線が、こちらを離さず、他の三人が驚愕と恐怖の混じった悲鳴を上げた。「この状況で侵入者にまで!」恐慌をきたした声が辺りに響き渡り、彼らが私いがいの何かに追われていた事が想起される。
「ぬう。絡みつくように不気味な視線……」
先ほど弱音を吐いたひとりが、慌てた様子で最後尾の男のそばへ行き、身体を盾に隠れるようにかがませて、縋りつく。
「シ、シス研究主任! この中じゃ、まともに戦えるのはあなたしかいない!」
後ろにいたもうひとりも、同じ様に眼鏡の男の服の端を掴み、震えを見せる。
「そ、そうだ! 元はと言えば、あんたの異常な好奇心が原因なんだ! どうにかしてくれ!」
全員の目がこちらへ向けられ、恐怖と困惑の眼差しが絡みつく。ただひとりを除いて。
「あ~。うん、確かにそうでござるな。うん、うん。拙者の好奇心は、誰にも止められないでござるよ。それが例え――」
眼鏡へと指をやり、弄び、隠された視線が、再びこちらへ向けられる。
「時間でさえも――」
ぬ――? なんだ、今の感覚は……? 何かが、起きた? いや、目の前の状況には、何一つ変化がない。ただ、不可解な凍てつきを捉えた。
「いや――それが何かすらも分からない……一体、何が、凍った……?」
その遠い呟きを、眼鏡の男は、恐るべき聴覚で捉えたのか、嬉しそうに囃し立てる。
「おっほおお! これは、実に、実に興味深い! 今のが知覚できたと!? ヒトにそんな情報を受容する感覚器官などないはず!」
シスと呼ばれた眼鏡の男は、こちらを不動で見つめ続け、何かを読み取ったのか長い息を吐いた。
「これは困った。拙者たちの置かれた状況は、もはやにっちもさっちもいかない、前門の虎、後門の狼。まさにそれが的確でござろう」
さほど困った様子ではないが、何処か芝居がかった所作が、何かを隠した道化に思えてくる。
「拙者の人類最高峰の頭脳によれば、アレに対しての、ボンド殿の勝率は、おおよそ二十パーセントほどでござった」
その言葉にざわめきが起きる。「まさか! ボンドさんは、保安主任だぞ!? 風切りみたいな身勝手な野郎と違って――」その荒々しい問いかけに、静かな制止が返る。
「そ。その風切り殿も、既に敗れた様でござるな。なおかつボンド殿まで……そこの御仁に介錯され、名誉ある死を遂げられた。それを思えば、今すぐ振り返る事なく出口へ走るべきでござるな」
ボンド……とは、あの骨使いの黒衣の男か……。しかし、何故? この眼鏡の男は、それを知っている?
動揺が広がり、「風切りも――ボンドさんも戦死だと!? レバン所長も、もう何時間も音信不通だ! 待てよ――! 戦力になる者が、ひとりもいない……? そ、そんな――じゃあ、誰がアレを止める――!?」その言は、私を指したモノではないようだ。この部屋の奥の通路の先に、一体なにが……?
「心配ないでござるよ。アレはまだ成長途上で、本調子じゃあないでござる。今は、ヴィズゴ殿がしんがりを務め、阻止しているはずでござろう。任せておけば、当面は問題ないでござるよ」
ヴィズゴ……とは、初耳だ。そもそもあの風切りの本名すら不明だが、組織内はコードネームの類で通る訳ではなく、本名を用いるのか? それにしても彼らは、こちらを忘れたように内輪の話に夢中だ。本当に危機が迫っているのだろうか。
「だから心配なんだ! ヴィズゴ! あんな風切り以上に、自分本位なクソ野郎に任せて安穏としてられない!」
その言葉を一喝する、静かな激情が場に静寂を生む。
「……そこまでにするでござるよ。強者には、それ相応の礼節が必要。例え、性格がねじ曲がっていようとね。それが、裏で生きる者の宿命にござろう?」
押し黙った三人は、その場に立ち尽くし、シスの次の言葉を待っている様だ。文句を言いつつも、内心では彼を信頼しているのか、他の面々の顔には、期待らしき淡い想いが見え隠れする。
「どちらにせよ、不味い状況に変わりない、でござるな……。では――そこの御仁、猶予は十分にあったはず、この時間で、そこを離れず、待ち続けた――それは」
人差し指で眼鏡を押し上げ、シスは威圧的な声を上げた。
「明確な戦意と受け取って構わないでござるな?」
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